未来の窓|2011

 
[未来の窓166]

沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉中間報告

 年もおしつまってこのほどようやく沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉第三回配本の比嘉康雄写真集『情民』が刊行された。連続して第四回配本の石川真生写真集『FENCES, OKINAWA』もできる予定である。次回予定の森口豁写真集『さよならアメリカ』の原稿も入稿したばかりで、これは残念ながらすこし遅れて二月ごろになりそうである。
 八月下旬に大城弘明写真集『地図にない村』、九月末に東松照明写真集『camp OKINAWA』がつづけて刊行されたものの、さすがに毎月刊行とはいかないことがわかってきた。これまでほとんど文字ものの編集ばかり手がけてきたわたしとしては、解説と作品リストぐらいしか文字のない写真集の編集作業とはどんなものかいまひとつわかっていなかったところがあり、写真原稿や解説原稿さえもらえれば順調に進捗するものと思っていたのである。
 ところがそこに思わぬ落とし穴があった。レイアウトから装幀まで引き受けてくれた戸田ツトムさんが、写真の配列と細かいレイアウトを実現するには、できれば解説原稿を読んでからにしたいという希望があり、それから三か月はみてほしいという要望が出てきたからであり、その一方では解説原稿がひとによってはレイアウト校正ができてこないと書きにくいというケースも出てきたからである。これではどちらが先かというジレンマに陥ってしまう。さいわいこれまでは監修者の仲里効さんか倉石信乃さんが担当してくれたものが三冊、残りの一冊もレイアウト校正を先に出してくれることになったので事なきを得たが、今後ははたしてレイアウト校正なしで解説者が原稿を書けるものかどうか心配がないわけではない。実際のところ、かりに解説原稿が先にあがったとしても、そこから三か月かかったのでは、こちらの刊行計画が大幅に遅れてしまうことになってしまう。先に写真の配列案ができていれば、なんとか解説を書いてもらうことも可能だが、戸田ツトムさんに配列まで頼みたいということになると、完全にデッドロックにはまってしまうことになりかねない。ここが頭の痛いところなのである。
 そこへもってきて、当初こちらが思っていたのとは異なって、同じシリーズでも写真家の作品の性格や質によって用紙、インクの種類や色、さらにはインクの盛り方にまで細かい変更がくわわり、まさに一点ごとに手触りの異なる写真集が製作されることになった。さいわい印刷所現場も戸田さんの要求する水準がどのあたりにあるのか、その目標はなにかということを徐々に理解して対応してくれるようになったので、色校の再校どりなどは最小限で抑えられるようになってきたが、はじめのころは本刷りの刷り出し段階での戸田事務所担当者の立ち会いと細かい修正の繰り返しもあり、これではいったいどれぐらい経費がかかることになるのか非常に心配したほどなのであった。
 すでに本欄のコラム「[未来の窓163]沖縄問題を展望する力になるために──沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉刊行はじまる」でもその時点での詳細な状況を伝えたつもりだが、その後、このシリーズについての記事や書評が多くはカラー写真入りで各紙に続々と掲載され、沖縄の地元紙「沖縄タイムス」「琉球新報」はもちろん、「毎日新聞」十月三十一日号、「読売新聞」十一月七日号(今福龍太氏評)、「朝日新聞」十一月十四日号(北澤憲昭氏評)といわゆる三大紙に三週連続で書評が掲載されるなど高い評価をしてもらった。なかでも「読売新聞」での今福氏の評には励まされるものがあった。《重要なのは(……)それぞれの映像が沖縄に対峙するときの迫真性と強度だ。沖縄という土地、それが経験した過去、その危急の現在に対しカメラをもっていかに過激に介入し、深い批評の眼差しを向けつづけてきたかである。風景の奥にある民の集合的記憶を掘り起こそうという情熱である。(……)沖縄から戦後という時空間の意味を問い直し、その時空間のいまだ終わらぬ苛烈な現前を深く私たちの視線に刻み込むために、この写真集シリーズは計り知れない力をもつだろう》と。
 さらにこれを書いているまさにこの瞬間に朝日新聞福岡本部の西記者から「朝日新聞」十二月七日号が届いた。それによると西部版だと思われるが、「沖縄とは? 写真に見る歴史」と題された西記者による記事が掲載されており、そこにも沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉が大きく紹介されている。「戦後の沖縄を切り取ってきた写真家の仕事が見直されている」と始まるこの記事は、シリーズ〈琉球烈像〉の内容紹介のあと、監修者仲里さんのコメントをはさんで以下のように結んでいる。――《普天間飛行場の移設問題、薩摩の琉球侵攻400年、琉球処分から130年――。昨年来、「沖縄とは何か」が内と外から問われている。戦後沖縄の現実、あるいは「根っこ」をとらえてきた写真家の仕事にヒントが見いだせるかもしれない》と。もちろんヒントは見いだせる。そしてこのシリーズを通じて沖縄の現実を見てもらいたいのである。
 このシリーズにかかわっている写真家の活動はそれぞれの写真展が精力的になされていることもあって、そういう会場での宣伝、販売もおおいに期待できる。いま現在、沖縄県立博物館・美術館で開催中の比嘉康雄展「母たちの神」では付属の「ミュージアム・ショップ」でこのシリーズの全点販売をお願いしており、すでに成果は上がりはじめている。また石川真生さんの個展も来年一月には開かれる予定であり、大城弘明写真展も横浜の「新聞博物館」での来年の開催が決まっているはずである。さらに東松照明氏の大規模な回顧展が来年、生地の愛知県立美術館で開かれることになっている。
 こうした活発な写真展の展開はもちろんこのシリーズとは別に決まっていたものが多いのだが、こうしたなかでそれぞれの写真家の仕事がこのシリーズでの写真集の内容といかに交差し評価されていくのか、わたしとしても関心をもたざるをえないし、期待しないわけにはいかないのである。
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