2013年12月アーカイブ

77 追悼・木前利秋 

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 木前利秋さんが亡くなったのは十二月四日の朝だという知らせが入ったのはその翌朝のことである。その日の夜中二時すぎに、木前さんに指導を受けたという亀山俊朗氏からメールが送られてきていたのである。
 亡くなる前々日の十二月二日の夜八時すぎだと思うが、なんとなく虫の知らせか、長らく進行の止まっていたハーバーマス論の仕上げ状況を聞いておかなくては、ということもあって自宅へ電話をしたのだが、夫人が電話を取り次いでくれた木前さんの開口一番のことばが「末期ガンで、もうなにもできません」というなんとも弱々しいことばだった。背筋がぞおっとするような、まさに霊界からの声のようなその声はなにごとかを伝えようとするかのようにつぶやかれたのだが、わたしはショックのあまりその内容をよく聞き取れなかったけれども、セキズイがどうとかというふうに聞こえたような気がする。まもなくして「妻に代わります」と言って夫人と代わってもらって事情をいろいろうかがったのだが、その辛そうな声を聞いたのが最後になってしまった。
 六日の大津での通夜に駆けつけたのはもちろんだが、棺のなかの木前さんのまったく変わり果てたその面差しには当然ながら生気のかけらもなく闘病生活の痕跡がうかがわれ、ことばを失なった。喪主である夫人がことば少なに語ったところによれば、三年半前に前立腺ガンを告知され骨にも転移していたため手術ができなかったとのことである。わたしの記録によればことしの一月十六日に家に電話を入れたときに、夫人から持病が再発したという話を聞いていただけで、不覚にもそれがどんな病気なのか聞きそびれてしまい、その後も気になりながら電話をできないままでいたことに自分に深い失望をしているところである。懸案のハーバーマス論の元になる論考のほとんどは「未来」に連載として書いてもらっていたので、毎月かならず電話とメール、FAXのやりとりがあったのに、ここへきて自分の忙しさにかまけて連絡を怠ったことがこんな大事になるとは予想できなかった。
 木前利秋さんとのつきあいはかれの東京時代にさかのぼる。その後、富山大学時代があり、大阪大学に移ってからもすでに十数年になるのではないか。その間もときどき連絡しては単行著書の刊行を促しつづけていたのだが、それがようやく実ったのがかれの唯一の単著となった『メタ構想力――ヴィーコ・マルクス・アーレント』で二〇〇八年三月のことだった。そのあとから念願のハーバーマス論を書くことを決意して始めたのが、さきほど触れた「未来」での連載であった。これは同年十月号から連載が始まっている。わずかに五年前のことである。その間、木前さんは十五本ほどの論考を断続的に書いてくれたのが、近刊予定にしていたハーバーマス論の中核になるはずであった。毎回きっちりした原稿を書いてくれて、催促も校正もかなり大変だったが、仕事に慎重な木前さんに原稿を集積していってもらうにはこれしか方法がなかった。その仕上げを直前にしてもなおかつ、最後の書き下ろしの一章のためにハーバーマス研究書の原書を何冊も積み上げてこれらを読んでからでなければ書けないということで時間を使っていたようで、そのために刊行が遅れてしまい、こんな事態を迎えてしまったのがわたしにはなんとも残念でならない。夫人にもやりたいのは仕事だと言いつづけていたとのことで、その念頭にあったのがこのハーバーマス論の仕上げであることは間違いなく、刊行されれば群を抜いたハーバーマス理解の書として注目されただろうし、ライフワークともなったであろう。その木前さんの心情を思うとなんともやりきれないのである。二日の電話のさいに夫人にはなんとか回復することができそうだったら、この仕事を仕上げるように言ってほしいと伝え、もしかしたらそのことがきっかけで奇跡的な回復がみられるかもしれないと淡い期待を抱いたのだが、むなしかった。当人には不満もあろうが、なんとか残された原稿を一冊にできないものかと考えている。
 木前利秋、享年六二歳。その図抜けた知識と能力の高さからいっても、もっともっと大きな仕事をしていいひとだった。人格的にもひとに嫌われるようなところはいっさいなく、慎重さと謙虚さのかたまりのようなひとだっただけに周りがもっと配慮してあげなければならなかった。いつも電話すると、はにかむような声が受話器の向こうから聞こえてきて、やりたいことを頼まれたときは心から喜んでくれていたのだろう。わたしより年下だったからこちらにも油断があったのかもしれないが、思えばあまり頑健なほうではなかっただろうから、この早すぎる死を惜しんでもすでに遅いのである。こんな文章を書かなければならないのも辛いことである。謹んで哀悼の意を表したい。(2013/12/7)
 最近、「未来」における本連載コラムについて直接いろいろな批判や言及がなされることがつづいた。ひとつは、十一月号に書いた「[出版文化再生7]いまもつづく〈東大闘争〉――折原浩さんの最新総括から」で折原浩さんほか共著『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(緑風出版)を紹介したさいに、わたしの表現に誤用があったことがいくつものメールや電話などで判明した。「救いがたい退嬰的な時代の流れに棹さすような本」と書いたその「流れに棹さす」がわたしのつもりでは、流れに棹を差すのだから「流れに逆らって、流れに抗して」という意味のはずだったのだが、逆の意味になっていた。流れに乗って、という意味になるということをわたしは初めて知った。不明を恥じるしかない。なかには底意地の悪いメールでの批判もあったが、甘受しよう。ほかのひとの例をあげて慰めてくれた友人もいる。それはともかく、さっそく「流れに抗するような本」と修正して未來社ホームページとココログページで掲載しているブログ版の修正をさせてもらった。さらに「たかが日本語、されど日本語」というブログページで「情に棹さすとロクなことはない」という反省文も書いておいたので、関心のある方は読んでいただきたい(いなくてもしょうがないけど)。
 それにしてもふだんあまり反響のない[出版文化再生]コラムだが、いまさらながら東大闘争と折原浩さんの本に触れたせいか、思いがけない反応があることがわかって驚いている。たまたまなのか、それとも思った以上にこのコラムを読んでくれているひとがいるのかわからないが、当初このコラムを再開するにあたって、以前の[未来の窓]のような出版業界をどことなく意識して(つまり出版社の発行人として)書くのではなく、もっと自由に書く場所として[出版文化再生]コラムを再設定したわたしの意図が、はからずも実現したということかもしれない。
 そんなところへ、今度は新手の批判(?)が現われた。「未来」十二月号に書いた「[出版文化再生8]〈白河以北一山百文〉はいまに通ず」にたいしてある読者から編集部あてにFAXでつぎのような批判文が届いたのである。
《安倍首相批判に長州人を持ち出すのに戸惑います。人の属性で人を語る文章に「未来」で出会うとは思いませんでした。これは大げさでなくヘイトスピーチと同根です。出自で何かを語っても空しいし、人間尊重とは逆方向の文化です。/よろしくご検討ください。》
 わたしは、先ほども書いたような理由で個人としては逃げも隠れもしないが、この批判には根本的な誤解ないし読み違えがある。まずわたしは長州_¨人¨_としての属性で安倍首相批判をしているわけではまったくない。ちゃんと読んでもらえばわかると思うが、戊辰戦争以来の、あるいは明治維新以来の長州_¨藩¨_の歴史的な政権奪取~権力支配の構造と、そこに連綿とつながる「長州藩がもっていた好戦性、自己中心主義、民衆蔑視、支配欲の前時代的な妄想」(前号のわたしの表現)から演繹した安倍政権の危険性を指摘したまでであって、そのときには触れられなかったが、ここへきて民主主義無視の「特定秘密保護法案」の国会強行突破の姿勢にも端的に現われている独善=密室政治への指向性を批判しているのである。「ヘイトスピーチ」というのはこういう根拠のあるわたしの言説のようなものに向けられるべきものではない。強者あるいは権力者が弱者あるいは被抑圧者にたいして権力的な言説あるいは振舞いとして、既成の権力構造あるいは抑圧構造を強引に固定させようとして発するものが「ヘイトスピーチ」の本質である。わたしの文章のどこにそんな構造があるのか。わたしへの批判は石破茂自民党幹事長の「デモでの絶叫はテロと同じだ」という発言に通ずるものではないか。
 以前、第一次安倍政権ができたときにわたしは[未来の窓]でその世間知らずぶりを批判し政権は長続きしないだろうと予想したが、当時、まわりからは期待をもって迎えられた安倍首相だっただけに、そういう批判をしたわたしに匿名の読者から「お前のような奴は日本から出て行け!」というハガキを頂戴したことがあった。また沖縄に触れた文章にたいしてある沖縄のアメリカ帰りの学者から《社主が個人的主張を出版社(publisher)という公共性の高い媒体を通じて表明してしまうことにも危惧を覚えます》という公正を装った批判があった。もちろんそれには「沖縄問題をめぐる知的恫喝を警戒しよう」という反批判(「未来」二〇一〇年七月号、のち『出版文化再生――あらためて本の力を考える』に収録)を書いているので、そちらも参照していただきたいが、一個人としての発言を出版人であるという理由だけで封殺しようとするこうした理解のなかにこそある種の逆立ちした「ヘイトスピーチ」がはらまれているのではないか。
 だからこうした批判がくるのは想定していたことではあるが、わたしの安倍批判が「ヘイトスピーチ」だというのは、ことの本質をあえて見ようとしないことである。末尾の「よろしくご検討ください。」が誰に何を言いたいのかよくわからないが、自分のような良識人の読者のためにこの種の文章を編集部は掲載しないようにしてほしいというつもりなのだろう。とんだお門違いだというのが、この文章を書いた理由である。そしてこうした「良心的」事なかれ主義がこれからも出てくるだろうことは、このコラムで言うべきことはきちんと言おうとすることにしたわたしの立場から先刻承知していることである。なんのことはない、こうしたリアル・ポリティクスにかんする文章を書くと、こうした巧妙な抑圧をかけてくる人間がでてくるのである。   

*ここで言及したブログはそれぞれhttp://www.miraisha.co.jp/shuppan_bunka_saisei/(本ページ)、http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/nishitani_talk/でご覧になれます。