この五月に「[新版]日本の民話」シリーズ全七九巻が完結した。一昨年四月から巻数順に毎月三冊ずつの刊行ペースを維持してきたわけで、わたしも実質二年半にわたって二万ページ超のゲラを読みつづけてきたことになる。民話という内容の性格上それほど専門的知識を必要とせず、読みやすさもあってなんとかクリアしたが、それでも日々一定のページ数をこなすというノルマは日常的にプレッシャーとなっていたことは事実である。それに見合う発見もいろいろあって楽しかったから、それなりに民話通になったこともたしかだろう。
 編集者とは因果なもので、なにかつねに仕事に追われていないと気がすまないものらしい。昨年、民話の刊行もメドがついてきたころ、別件で哲学者の加藤尚武さんの家へお邪魔したときに、以前からお願いできないものかと考えていた著作集刊行の話を持ち出したところ、加藤さんからも色よい返事がもらえた。わたしは加藤さんの歯切れのいい明快な文章が好きで、ヘーゲルなどもあまりよく読んでいないのにわかったような気にさせてもらえるところがあって、これを機会にあらためて勉強させてもらおうという編集者特権を活かした企画でもあった。
 小社ではすでに加藤さんの第一論文集『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』(一九八〇年、山崎賞受賞)、『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』(一九九二年、和辻哲郎文化賞受賞)、『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』(二〇一二年)といったヘーゲル関係書のほか、生命倫理学関連の日本におけるパイオニア的告知書『バイオエシックスとは何か』(一九八六年)、『二十一世紀のエチカ』(一九九三年)などを刊行させてもらってきている。このうち『哲学の使命』『哲学原理の転換』はわたしが企画・編集したものである。
 偶然だが、加藤さんはしばらく文京区小石川の小社のすぐ裏のマンションに住んでいらしたこともあって、よくコピーを取りに来社されたり、道でばったりお会いすることもあった。山形大学、東北大学、千葉大学、京都大学から鳥取環境大学初代学長などの経歴のほか、日本ヘーゲル学会会長、元日本哲学会会長といった要職をかねて指導的立場をこなされてこられたうえにいまも現役バリバリの著作活動をつづけておられるにもかかわらず、まったく気さくで驕らない人となりは、わたしのようなヘーゲル門外漢でも近づきやすいところがあって、けっこう言いたい放題や無理を言わせてもらいつつ、あいまをぬってなんとか著作集のプランを練り、データや本を受け取りながらようやく著作集の全容が固まりつつある。
 加藤さんの膨大な著作、論文の整理がなかなか進まないのは、コンピュータの発展によって原稿が手書きからパソコン入力に変わっていったことが理由のひとつにあげられる。パソコン以前の本とそれ以後の本ではデータの有無と再現可能性が問題になる。出版の技術革新もめざましく、活版印刷からオフセット印刷に変わるなかで著者の元データが本のデータとしてかなりの程度まで再現可能になったことによって、著者がもっている初期データを利用することができるようになったというわけである。当然ながら、この初期データが本として完成する段階までで校正その他によって改変されているので、あくまでも慎重な処理が必要だが、いずれにせよ、著作集に収録ということになればあらためて原稿の再チェックが必要になるわけだから、この時点で内容を再構成するつもりで進めるしかない。単行本や雑誌の出版社の都合で最初の原稿が大幅に削減されたことなどもあるとのことなので、今回これを復元することもありうるし、出版当時の書誌情報が古くなっている場合は最新情報を取り込む作業も必要になる。全面的に書き換えることは不可能だが、最大限の編集努力をするのは読者にたいする義務であろう。
 そういうなかで、いまはとにかく収録の確定している原稿を著作集仕様予定のページで通読を進めながらストック作りをしているところである。今回も一日のノルマを一〇ページと想定してファイル処理や編集タグ付けもかねて通読をこつこつと続けている。こういうときにはわたしが作った編集用マクロ(一括検索・置換処理プログラム)が物を言うのであって、テキストのファイル一括処理ができないと効率も精度も圧倒的に悪くなる。というより、この専門度の高い内容で、想定しているA5版四〇〇ページ超、全一五巻を隔月刊、つまり二年半で六〇〇〇ページ超の著作集を完結できることなどひとりの編集者の仕事としてはありえない。久しぶりにこのマクロ処理をしながらまだまだバグのあるプログラムを修正して精度を上げる追加処理も加えるなど、半分はわが趣味であるテクスト処理プログラムの改訂も同時におこなっている。もちろん、加藤さんの文章のクセや内容上の特性にあわせた専用の「加藤尚武マクロ」も作ってこちらの精度も上げるようにしているところ。繰り返すが、加藤尚武さんの文章は読んでいてわかりやすいし、歯切れもよく、読んでいるとこちらのアタマが良くなっていくことを感じさせてくれる感度のいいものなので、なんとか早く実現したいし、読者と喜びを共有したいというのがいま心底思っていることである。
 さいわいこの七月にはわれわれの共同復刊事業をおこなっている書物復権の会が新企画説明会を開いて取次関係者、主要書店のひとたちに集まってもらい、それぞれの社から新しい企画を直接アピールする会が予定されている。昨年から準備をしてきてまだ全容を発表できるところまできていないこの加藤尚武著作集を、企画説明会でおおいに宣伝するための整理にラストスパートをかけているところである。そしてできればことしの秋ぐらいから刊行開始といきたいと望んでいる。

「高江のヘリパッド基地工事の強行に見られるように、二〇一六年七月の参院選後の安倍改造内閣の強権が沖縄においてとみに顕著になっている状況がある。その権力意思の源流がこの裁判の法廷の中にまで流出していたと考えられる」と仲宗根勇さんは「越境広場」3号で書いている(「辺野古=高江・我が闘争――裁判抗争にあらがい、闘いの現場に立つ」)。「この裁判」とは、昨年七月二十二日に国土交通大臣が、翁長知事の辺野古埋立て承認の取消しに対する国の是正指示に応じないのは違法だとして翁長知事を相手とする「違法確認訴訟」を福岡高裁那覇支部に提訴した裁判を指す。昨年三月四日に成立した国と沖縄県との形式的な和解条項をたてに、国家権力が自分の意のままにならない怒りと焦りから沖縄県知事を訴えた訴訟であって、そもそも和解条項とは無縁な訴訟であるにもかかわらず、和解条項の手続き上の問題を利用するかたちで権力的に沖縄県知事をねじ伏せようとした見え透いた策略である。しかしすでにこの訴訟のために政府にべったりの裁判官を一か月前に那覇支部に赴任させたうえで、超短期間であたかも既定の事実であるかのごとく、「県が国の是正指示に従わないのは違法であることを確認する」という判決主文でもって、沖縄県の辺野古・高江の闘いとそれを支持する翁長知事の埋立て承認取消しを違法とする、というまことに政治的な裁判であった。この権力によって送り込まれた多見谷寿郎という裁判長は、成田空港建設をめぐる裁判のさいにも証拠調べもろくにせず、国の権力意思をそのままに判決を下すという札付きの権力代弁人にすぎない裁判官で、上ばかり見ている「ヒラメ裁判官」(仲宗根勇)の典型である。
 沖縄の圧倒的な民意を無視するこうした安倍強権政治は、アメリカの最悪の大統領にも世界じゅうの顰蹙を買いながら誰よりも先に尻尾を振りにアメリカに出向き、内向きには沖縄に対してこれまでのどんな首相もしてこれなかった権力意識丸出しの暴力的圧力をかけ、その挙げ句に「家庭内野党」などと欺瞞と嘘っぱちで固まった昭恵【あきえ】夫人が悪乗りしたあげくシッポを出した森友学園問題で、みずからの私欲のためにいかに国民を欺いているかを暴露されているしまつである。野党議員から「アッキード事件」と揶揄され、血相を変えてもし事実なら首相を辞職するとタンカを切ってみせた。日本支配を裏で企む日本会議からも迷惑だと言われている森友学園とやらは、児童に長州藩の天下乗っ取りの芝居までさせているという。この長州藩覇権主義の亡霊、これほど無知で薄汚い男を冠に乗せている国がいったいどこにあるのか。いや、金正恩とトランプがいるから、いまや唯一とは言えないが、同類かそれ以下であろう。――こんな正当なことを書くと、第一次安倍政権のさいに、こんな男は一年ももたないだろうと予測した文章を発表したら、そんなことを書くおまえこそ日本から出て行け、という匿名の恫喝のハガキ(「未来」の挟み込みハガキで)を頂戴したことがあるから、今回も期待したい。実際、わたしの予想したとおり、「心身耗弱」とかいう深刻なビョーキでみずから退陣したが、現首相にはそのビョーキがますます昂進しているのじゃないか。精神科医の大井玄氏はトランプのことを「嘘つきで、人種差別を行ない、強者の論理を弱者に押しつけるガキ大将的精神年齢の持ち主である」と適切に指摘している(「みすず」3月号)が、そのまま安倍首相にも言えるのがこわいところだ。
 さて、そんな緊迫した沖縄の政治情勢のなかで、仲宗根勇・仲里効編『沖縄思想のラディックス』という論集が緊急出版される。これは本誌でリレー連載《オキナワをめぐる思想のラディックスを問う》というかたちで都合六人の筆者(編者のほかに八重洋一郎、桃原一彦、宮平真弥、川満信一の諸氏)に、現代沖縄の政治的・歴史的・文化的諸問題を思想的に深めるかたちで論じてもらうという意図のもとで二年ほどのあいだに書かれた論考を元に集めたものだが、これにくわえて最新の政治情勢や思想問題をふくめて両編者に「総括的まえがき」(仲宗根)と「展望的あとがき」(仲里)を書き下ろしてもらった。このアイデアとネーミングはわたしが発案したものだが、それに呼応して書かれたそれぞれの文章は、深く沖縄の思想の根底(ラディックス)に届いていると思う。
 とりわけ巻頭におかれた仲宗根さんの「総括的まえがき」は、昨年十二月二十六日に発覚した翁長県知事の、前知事による辺野古埋立て承認の取消し処分のさらなる取消しという、沖縄県民の期待を大きく裏切り、その後の辺野古の新基地建設工事再開に道を開いてしまう決定的な錯誤につながる行為を、専門の法律の知識を動員して徹底的に批判している。権力の茶番である「違法確認訴訟」前後の経過から知事による辺野古埋立て承認の取消しの取消しという歴史的な策動までの本質を的確に暴き出しているという意味で本書の白眉であると言っても過言ではない。とりかえしのつかない政治的錯誤のあとの、それでも闘いを継続していかなければならない沖縄のひとたち、それを支持するひとたちとその闘いの方法論たるラディカルな思考の歩みはとどまるところを知ることはないからである。
 本書はその意味でこれからの沖縄の思想が向かうべきところを多様なかたちで示唆しているはずである。わたしがこれまでその思想のアクチュアリティの面で力を入れてきたポイエーシス叢書に本書を加えることにしたのも、心ある思想系の読者たちに沖縄の問題のリアリティとアクチュアリティをもっと知ってほしいからでもあった。
 そして本書をめぐってこの四月十五日に那覇の県立博物館講座室で両編者による(おそらく)熾烈な講演と対談がおこなわれる予定であることをお知らせしておきたい。

 *この文章は「未来」2017年春号に連載「出版文化再生28」としても掲載の予定です。

 書店業界のシンボルとも言うべき柴田信さんが急逝され、それにつづいて柴田さんが会長をつとめてきた岩波ブックセンター信山社が倒産に追い込まれたことは、二〇一六年末におけるもっとも暗い話題である。柴田さんにかんしてはわたしなどよりもっと長くもっと深くつきあってきたひとたちがたくさんいるので、できればそういうひとたちの考えを聞かせてほしいぐらいで、わたし自身としてはあまり書きたくないテーマであるが、この問題をこのまま沈黙してやり過ごすことは、生前に柴田さんとなんらかのかかわりをもった人間として避けて通ることは許されないと思うのである。
 最初から歯切れが悪くなってしまうのは、倒産の問題は結局、当事者にしかわからない事情がいろいろあるからで、客観的な状況がわかったとしても最後の決断は当事者がなすべきであるからだ。負債額が一億三千万円弱あったからといって、このぐらいの歴史と知名度のある企業の場合、どうにもならないような額では必ずしもない。現に柴田さんは私財を投じて経営を支えてきたとも言われており、その柴田さん本人が亡くなってしまった以上、その意志を受け継ぐ力量も意欲もあるひとがいなかったということになる。関係の深かった岩波書店や取次の大阪屋栗田などの業界的なバックアップが可能であれば、こんなにあっという間の倒産劇は避けられたのではないか、と思わないわけでもない。柴田さんが高齢とはいえ突然の死であったために、十分な準備も申し送りもできていなかったのかもしれないが、あるいはすでに家族や周辺ではそうした覚悟をあらかじめしていたのかもしれない。すべては推測になってしまうが、どうにも納得しがたいものを感じる。
 晩年の柴田信さんと親しく接していた元「新文化」編集長の石橋毅史によれば、柴田さんは「経営とは資金繰りの苦しみを楽しむことだ、そうした日々を送りながら、いつかどこかで野垂れ死にする覚悟でいるのが経営者だ」と語っていたそうである。(「本屋な日々46/物語はつづく」)まあ、どこまで本気で言っていたのかはもはや不明だが、なんとも身につまされる話だ。書店業界(だけではないのはもちろんだが)の絶望的な不況のなかで、岩波ブックセンター信山社も売上げは最後のころは相当に低迷していたようで、倒産は時間の問題にすぎなかったのかもしれないが。
 信山社の(柴田さんの)意図していた書店展開は専門書を棚で関連づけて売る、というきわめてオーソドックスな手法である。神保町といういまでも本の町として通用している数少ない立地だからこそかろうじて可能かもしれない「専門書の専門書店」という実験的コンセプトは、書店としては理想的な形態である。現代の書店としてはワンフロア一〇〇坪にも満たない店構えではけっして十分なスペースではない。だからこそ限られたスペースのなかでできるだけ無駄のない選書で勝負するしかない。それが柴田さんのもくろんだ「専門書の専門書店」のイメージであっただろう。しかし、いまでもよくわからないのは、そのなかの相当なスペースを岩波書店の本が占めており、柴田さんによれば、実効性としてはきわめて厳しいものだったにもかかわらず、なぜ棚の配分をもっと抜本的に変えようとしなかったのだろうかということである。岩波ブックセンター信山社は岩波の名を冠しているとはいえ、資本的には完全に切れていたはずで、そこまで岩波書店に義理を立てる必要があったのか。それとも柴田さんはやはり専門書とは岩波書店の本が中心にあるべきで、その他の専門書出版社の本はその衛星のようなものだと考えていたのだろうか。ちなみに未來社の本などは常備として二〇冊程度しか置いてもらっていなかった。それはないだろうといつも思っていたが、それはスペースの配分を大きく変えてしまわないかぎり、不可能だったはずである。
 それでも店の入口の平台スペースを使って書物復権の会や人文会、歴史書懇話会のフェアなどを頻繁におこなって店に合ったロングセラーアイテムの発掘に力を入れていた時期もあり、出版社も協力してそれなりの成果も上がったようだが、そうしたノウハウも継続的に店の展開力を高めていったのか、わたしが書店現場に疎くなっていることもあって、そのあたりはもうひとつはっきりしない。仕入れのための資金などの問題もあっただろうが、新刊仕入れにそれほど積極的に取り組んでいたとも思われないところがあったのも事実で、そうした既刊本と新刊の組合せの関連づけと展開力不足に、柴田さんの「専門書を棚で売る」戦略イメージとのギャップがあったのではないか。
 いまさらこんなことを書きつらねたところでどうしようもないのだが、なんとか柴田さんが実験的に実現しようとしていたことを既存の書店が、たとえその一部でも取り込んでみてほしいと思わざるをえない。書店のなかに「専門書店」を意識的に作り出すことである。経営効率上は現実的でないかもしれないが、すくなくとも人文会が定期的に作っている専門書の必須アイテムリストなどを参考に、専門書を棚で関連づけて売る、という基本的な棚作りを心がけてほしい。アマゾンがヴァーチャルなかたちで読者へのお薦め本を関連づけてくるように、現物を並べて見せているリアル書店(何度も言うが、いやなことばだ!)の、そこに本があるという強みを生かして読者を動かせてほしい。そのことを最初からあきらめない姿勢こそが柴田さんの実験的意志を積極的に受け継ぐことになるはずである。出版社だって売れないだろう専門書をそれでも信じて世の中に送り出しているのだから、関連づけで客単価を上げるかたちで連携してもらう以外にないのである。
 ここまで言えば、柴田さんなら、「その通り!」と返事してくれそうな気がする。

 *この文章は「未来」2017年冬号に連載「出版文化再生27」としても掲載の予定です。

II-18 翻訳出版の危機

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 明るい話題に事欠く昨今の出版界にまたひとつあまり感心しない問題を提示しなければならないことになった。今後の出版文化において――すくなくとも日本の翻訳出版文化のありかたにおいて――大きな変化というか停滞が余儀なくされる可能性が出てきたということである。
 というのは、ここ最近のことだが、人文系専門書の翻訳出版において、原書にはない訳者解説、訳者あとがきなどの収録にたいして原出版社側ないし原著作権者側から(あらかじめ版権契約の段階で)厳しい制約が課されるようになってきたことであり、そうした文書を付加する場合には事前にその内容、分量、そうした文書を付加する理由書を原出版社に提示し、著作権者の許諾を得なければならず、しかも通常はよほどのことがなければ、承諾を得られないだろうというのである。かれらからすれば、日本語で書かれたその種の文書はそもそも判読が困難であり、場合によっては原書の内容を損なうものになりかねない、というのがその理由のようである。
 この問題を一般に理解してもらうためには、出版におけるさまざまな歴史的・技術的な問題点をきちんと指摘しておかなければならない。そして読者の側においても、こうした問題の所在を知っておいてもらいたいのである。
 どうしてこういう問題が生じたかというと、まずなによりも単純な理由は、翻訳作業が横文字(アルファベット)を縦文字(日本語)に転換することの困難さにあることである。翻訳という作業はある言語(ラング)を別の言語に置き換えることであるが、欧米語間の翻訳は広い意味でインド【=】ヨーロッパ語族と呼ばれる言語同士の翻訳であるから、さまざまなニュアンスのちがいもあるとはいえ、同じ語源をもつ単語も多いし、翻訳の問題は同族言語間の差異を克服することが中心となる。平たくいえば、言語間の移動であると言っていいが、日本語化という作業はそもそも共通するところがほとんどない言語間の変換であり、日本語特有の膠着語法とも呼ばれる文法的な形態的差異がなんとも大きく、そこにさらに歴史的文化的差異もくわわって、翻訳作業をいちじるしく困難なものにしている。欧米語間の翻訳では翻訳者の名前さえ掲出されないことがあるのは、翻訳という作業がそれほど重視されていないという理由でもあるのかもしれないが、日本語ではそう簡単なものではない。とりわけ専門書の翻訳では、言語的能力のみならず、原書の置かれている歴史的文化的社会的背景を十分に理解する知識と能力を必要とする。それがないと日本語として読めるものにならないばかりか、とんでもない誤訳だらけの本になりかねない。ヴァルター・ベンヤミンが「翻訳者の使命」で言うような、諸言語を貫いて抽出されうる〈純粋言語〉といった理想の言語の概念はここでは別の話であり、現実的には翻訳上のさまざまな工夫によってこの差異を埋めるべく日本語の翻訳者たちは悪戦苦闘しているのである。それでもどうしても訳文のうえでは実現できない、文脈上の背景の違いや問題点の所在などを読者に「解説」しなければ翻訳者としてのつとめを果たすことができないと考える訳者の姿勢は、翻訳者として誠実だと思う。読者もそうした「解説」を通じてその翻訳が信頼できるものであるかどうかを判断することができるし、そうならばその「解説」をおおいに参考にして理解につとめようとするのである。
 こうした言語間の差異、文化間の差異を埋める翻訳者たちの努力こそが、明治以来の日本の翻訳文化を形成してきたし、そのことを通じて欧米とのさまざまな格差やギャップを縮めてきた歴史がある。もちろん、それらを踏まえた多くの論者たちの研究や論説を通じて世界との知的交通が拓けてきたことも忘れるわけにいかない。長い自国文化をもつとはいえ、これまた長い鎖国状態を脱して明治以来せいぜい一五〇年間に日本がここまで世界水準の文化を(再)形成してくることができたのは、こうした独自の翻訳文化を実現してきたことにも一因がある。これは世界的には相当に稀有のことであるかもしれない。訳者たちの努力の蓄積、またそれを出版物として実現してきた各出版社の努力がなければ、こうした水準の実現は不可能であっただろうし、この努力はいまだ未完のプロジェクトとして今後も推し進めていかないわけにはいかないのである。
 こうした近代日本文化形成の特殊性にたいして欧米の原出版社はもうすこし関心をもってほしい。欧米語間の翻訳とちがって知的土壌の違う風土における文化的移植の営みが日本語への翻訳なのだということへの理解が十分とは言えない。日本語への根気の必要な翻訳とそれと一体化した理解への努力とはひとつの〈創造行為〉でもあるのだ。そうした認識のうえで対処してもらわないと、今後、訳者はそうした創造的努力をする気力を喪失してしまうだろう。
 また出版の条件として、刊行間際にならないと提出しづらい本文訳文や装幀プランの提出、付加文書の内容説明ないしその訳文提出も課され、それらの点検をするために二週間から一か月ぐらいの待機時間を必要とするとなると、出版社も刊行予定が立てにくくなってしまい、そこまでするのなら面倒な翻訳書出版を断念してしまう方向に傾いてしまいかねない。こうなると、これまでせっかく相互の文化的歴史的差異を縮めるべく努力してきた出版文化の歴史とは逆の方向に向かうことになってしまう。たとえば小社で刊行を準備しているジャック・デリダの宗教論が意図しているような、いまこそ相互理解を深めあうことを必要とする世界的状況のなかで、原著作権の防御的な法的権利ばかりが主張され、相互の無理解のほうに拍車をかけてしまうならば、歴史的にも社会的にも大きな禍根を残すことになるだろう。

 *この文章は「未来」2016年秋号に連載「出版文化再生26」としても掲載の予定です。

 ことしは専門書の復刊を主な目的として始まった書物復権運動の20周年にあたる。これを記念していつもの専門書復刊にくわえて、これまでに復刊してきた書籍のなかからオプションで連動フェアを全国の書店で展開してもらっている。これまでに復刊してきた書籍は毎年各社5点、総点数で700点ほど。そのうち在庫のあるものが500点ぐらいはあるようなので、そのなかから書店が選択して(あるいはおまかせで)ことし分の復刊書籍と並べて販売してくれている。大規模に展開してくれているところもあり、20年間の集大成として、どのような結果が出てくるか楽しみでもあり不安でもある。
 ともあれ、昨今の書物復権の会は一昨年から青土社、吉川弘文館が参加して10社の会となっており、それとともに会の構成メンバーもずいぶん様変わりしてきた。わたしなどはいつのまにか最年長者になってしまい、いまや唯一の創立時メンバーであるみすず書房・持谷寿夫社長ともども、実務的な活性化を進める若い世代の台頭に押されっぱなしである。そうしたこともあって、この20年という節目をひとつの機会としてあらためて書物復権運動を回顧してみようかという気になった。すでにこの会については何度も書いてきているが、重複をおそれずいまの時点で振り返ってみるのも悪くない。
 そもそもこの会の成り立ちは、みすず書房元社長の小熊勇次さんが専門書の危機をなんとか打開する必要を感じて提唱した〈書物復権〉という考えにもとづいている。小熊さんの考えでは岩波書店をどうしても巻き込まなければ始まらないということで、当時の岩波の安江社長に談判して実現したのである。専門書取次の鈴木書店が倒産するすこしまえのころで、いまよりはまだ本が売れてはいた時代ではあったが、それでも専門書業界では出版不況を先取りして、専門書に厳しい状況が始まっていたのである。ある新年会だったと思うが、当時の岩波の辣腕営業部長であった後藤勝治さんと坂口専務から「今度ちょっと相談したいことがある」と言われたことがあるが、どうもこの会の発足にかんする話だったのではないかと思っている。ともあれ書物復権の会は1996年に岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房の4社でスタートすることになり、未來社は勁草書房、白水社とともに声がかかり、二年目から参加することになる。そのさらに翌年、紀伊國屋書店出版部が参加して、それから十数年はこの8社の会の体制がつづくことになるのだが、紀伊國屋書店の参加によって、図書館への働きかけなど販売において大きな成果があげられてきたことは特筆しておいてよい。
 とはいえ、いまでもはっきり覚えているのは、(こんなこと書いていいのかな)後藤部長があるときしみじみ「もう岩波も独力ではむずかしくなって、みなさんの協力なしではやっていけなくなったんですよ」とわたしに言ったことである。岩波の営業の顔であった後藤さんがそんなことを言うのか、と驚いた記憶が鮮明だ。そういう状況認識のなかでの書物復権の会の出発だったわけである。
 会の活動の当初はマスコミの受けもよく、初回配本も350~400セットぐらいだったし、返品率もいまよりはだいぶ低かったように思う。ハガキによる読者リクエストなどもはるかに活発であって、参加した最初の年に復刊したE. H. カーの新組版『カール・マルクス』が読者リクエストで堂々ダントツの第一位となったこともあって、各社の驚きを呼んだことなどを誇らしく思い出す。マルクス本が売れなくなりはじめていたころで、思い切って新組にして出したところが思った以上の反応もあって驚いたが、もともとたしか43刷か44刷までいっていた本だっただけにこれはいわば「隠し球」のようなものだったかもしれない。
 2004年から東京国際ブックフェアへの共同出展という試みも始まっていまにいたっている(残念ながら未來社は2013年から出展をとりやめている)。また各地の書店や生協での編集者と読者の集いとか、紀伊國屋ホールを使っての各社主催連続セミナーの催しなど、編集者や著者を巻き込んでの大々的なイベントの取組みなども実現した。400人超のホールをある程度以上一杯にするためには事前の準備から宣伝にいたるまで、たいへんな努力を強いられたわけで、いまからみれば、相当にすごい活動をしてきた観がある。あるときには紀伊國屋書店からの急な提案を受けて会ではいったんキャンセルせざるをえなかったイベントを翌日にかけてわたしのコネクションを動員し、旧友の宮下志朗さん、鹿島茂さんらに声をかけて土壇場で実現させてみたこともあった。書物に造詣の深い著者たちによる、本にかかわる者たちの「総決起集会」ということばが壇上から発せられるようなホットな会になったこともいま思い出すとなんともおかしい。
 わたしも若かったんだな、という思いがよぎるが、しんどかった反面、けっこう楽しかったとも言える時代だったのかもしれない。それなりに時間もあったわけで、いまのように経営や本作りに追われまくっていろいろなケアができないことが残念でならない。編集した本が売れてこそ、喜びも倍増するのだが、そういうオイシイ場面を「編集」する楽しみが得られなくなっているからである。まあ老兵の出番ではなくなったのだろうが。
 自社だけではとうていできない(とくに未來社のような小さい所帯では考えられもしない)企画を考えられるのがこの会のいいところであって、最近は大学の図書館員などとも連携して読者との接点を作ろうとする動きも出てきており、そんな試みのなかからなにか新しい可能性が生まれてくることを期待したいと思うのである。

 月刊PR誌「未来」を「季刊 未来」に変更してからほぼ一年半になる。それにともない、この[出版文化再生]ブログの執筆回数も減少しているが、必要と思われる文章はそのつど書いて発表してきたので、当人にとってはさほど変化があるとは思っていない。むしろ強制が少なくなった分だけ、書きたいことだけを書けるようになってきている。
 さいわいなことにこの[出版文化再生]ブログのアクセス数はコンスタントに毎月2000~3000となっているので、なにかしら参照してくれているらしい。執筆の間があいてきているにもかかわらず、定期的にチェックしてくれているひとがいるのである。すでに『出版文化再生――あらためて本の力を考える』としてまとめてある[未来の窓]ブログのほうもいまだに毎月300超のアクセスがあるのが不思議で、刊行時に付けた注などを見てもらう価値があると思っているのだが、本のほうはあまり動きがない。その後に書いたブログをまとめた『出版とは闘争である』(論創社)のほうもいまひとつ。出版にかんする本は売れない、という常識があるらしいが、ブログのアクセス数との不均衡が気になる。
 それはともかく、「未来」季刊化にともなって新刊にかけられる編集の時間が増えたせいか、昨年はかなりの新刊を刊行することができた。わたしが仮ゲラ(未來社独自の編集タグ付きプリント)ないし初校ゲラで通読をするかたちでかかわった新刊は、4月から毎月3点の刊行をつづけてきている「[新版]日本の民話」シリーズの昨年刊行分27冊をふくめて44冊を数えた。ほとんどの本はほかの編集者との連携で進めたものだから、実際のところはかなり割り引いて考えなければならないだろうが、なかにはマーク・マゾワーの待望の『暗黒の大陸――ヨーロッパの20世紀』やダニエル・ベンサイド『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と逆境(十九―二十世紀)』などといったいずれも550ページ以上の大著もふくまれているから、経理業務などにとられる時間のことも考えれば、これは相当な仕事量だろう。ことしは順調にいけば、この数はさらにもうすこし増えるだろう。いいトシをしてこんなに編集の仕事をしていいのだろうか、と我ながら恥ずかしいほどである。
 昨年からことしにかけて栗田出版販売の民事再生申請に始まる一連の騒動、ここへきての太洋社の自主廃業といった中堅取次会社の経営破綻をみるにつけ出版業界の先行きはますます厳しくなっているが、そういうなかで未來社では新刊点数の増加ということもあって、このところ売上げはまずまず伸びてきている。もっとも製作費も相対的に増えているから、差引き勘定からすればまだそれほど好転しているわけではないが、先行投資的に進めてきた「[新版]日本の民話」シリーズが、ようやくここへきて刊行継続を知られだしたらしく読者の支持もふえつつあり、図書館の購入数も上がってきているので、この方向で推移してくれれば、かなりバランスがとれてくるだろう。ことしの最初からアマゾンと有償契約をしたベンダー・セントラルでも売行きの情報がつかめるようになった結果、こうした傾向が確認できるようになった。
 問題はいわゆるリアル書店(ふつうの書店)の元気のなさである。わたしは「[新版]日本の民話」シリーズの書店での売れ行きを、現在の書店の活性力のひとつのバロメーターとみているが、このシリーズの販売においても、せっかく期待して仕入れてくれた書店(大都市の大型書店、ご当地の地方書店)での販売が当初期待したほどの成果を上げるまでにいたらず、配本開始した時点から徐々に新刊配本部数が減ってきている。その反面、取次の専門書センターなどからの補充はどの巻もコンスタントにあり、既刊にさかのぼっての全巻購入などもあるので、どこかの書店経由で売れていることになるが、そのあたりがよく見えないところがこのシリーズが通常の書籍とちがうところなのかもしれない。これは元版のロングセラー「日本の民話」シリーズが、地元の一番店、二番店と言われるような老舗書店を中心に大きく販売実績を上げてくれた昔の事情とは食い違ってきている。そもそもそういったかつての老舗書店が低迷し、つぎつぎと廃業に追いやられつつある現在、いまや地方でもナショナル・チェーンの書店が支配的になり、そういうところではそれほど力を入れて販売してくれているように思えない店が多いように感じられる。とはいえ、巻数によっては、その地に根づいている地元書店がおおいに気を入れて売ってくれようとしているところも出始めているので、かつてほどではないにせよ、ご当地本として喜ばれるようになることも期待できる。わたしとしては幼いときから本を読む習慣を身につけるには絶好のシリーズだと思っているし、「ふるさと再生」ではないが、その地方ならではの方言を生かした地方文化の再生と活性化に寄与できるものと考えてきたので、これはなんとしても広く読まれてほしいのである。
 ここまで書いてきて、やはり出版というものはひとつの力になりうるし、ならなければならないとあらためて痛感する。出版界の不況はさまざまな要因があるので解決は簡単ではないが、出版されるべき企画はこんな時代であるからこそなおさら多種多様に存在しているとみるべきである。読者はそういうものをこそ待ってくれている。最近刊行された木村友祐『イサの氾濫』なども、小社ではめずらしい小説だが、東日本大震災による東北のダメージとそれにたいする中央政府の無策(というより無作為の放置)にたいする心底からの怒りを方言を駆使してぶつけた異色の作品で、初期の反応もいい。本が社会をよりよくしていく力となる可能性をあらためて教えてくれる本となるかもしれない。いまや東北は沖縄とともに、日本の政治的経済的矛盾の集約点と化しており、そうした問題の所在を明らかにしていく使命が出版に課されている。そういうものに応える出版こそが時代の隘路を切り開けるのではないか。出版とはまさに闘争なのだから。(2016/3/6)

 *この文章は「未来」2016年春号に連載「出版文化再生24」としても掲載の予定です。

II-15 編集者というメチエ

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 思いがけないことがいろいろあって、あらためて編集というメチエについて考えている。この「メチエ」ということばは、たまたまホルヘ・センプルンの『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルの抵抗のモラル』(小林康夫、大池惣太郎訳)という翻訳を刊行したばかりだからかもしれないが、この本の原題は「Me+'tier d'homme」で、つまり人間のメチエ(仕事、職業、職能といった意味をもつ)とは何かということを二十世紀前半の知識人や作家三人の仕事の検討をつうじて問い直す本に触発されたからである。戦争やナチズム、全体主義といった暗い影の支配した時代のヨーロッパを〈人間〉の本来的なありかたを追求し生き抜いたそれぞれの生のありようを論じた本で、ヒトはいかに生きるべきかを考えるうえで非常に強い刺戟を与えられる。たまたま編集者、出版人として人生の相当な時間を過ごしてきてしまった人間として、いまさらのように過去を振り返りつつ、編集者ときには書き手としての自分のメチエを考えておくのも悪くないと思った次第である。
 そもそもはたして自分は編集者としての資質があるのだろうか、という根源的な反省をしてみる。というより、そんなものはもともとなかったのではないかと思う。家業を引き継いでしまうまえから文学や哲学を好んで読んだり書くまねごとをしていたから、活字の世界が自分のすぐ目の前で開けていくことに当初は驚きはしたものの、どうしてもこれでなければならない、という思いがあったわけではない。いろいろやりたいことがあったせいかもしれないが、よく知っている編集者には根っからの編集者というしかない優秀なひとたちがときたまいる。そういうひとを見ていると、自分はなんといい加減なことをやっているのかと思わざるをえないことはしばしばある。
 そんなわたしだが、これまでなんとかこの道を歩むことができたのは、なにも天職に目覚めたわけでもなにか大きな発見があったわけでもない。わたしのような不向きな人間でも必要に迫られれば、それなりに努力もし我慢もしてきた結果、どうやらこのままこの世界にいつづけるメドが立ってきたようにも思えてくる。必要と思える本(誰に? 誰が?)を作り、必要なひとに手渡していく。本を書きたいひとがいて、読みたいひとがいるかぎり、書物の世界はつづいていくだろう。ただそれがいまや従来のようには採算の合いにくい業種、業態になってきただけのことだ。わたしのように後天的にしか編集や出版にかかわることのできないできた人間には、べつにひとよりよく売れる企画を思いつく才覚もなければ、よりうまく売る方途を見出せるわけでもない。言ってみれば、バカみたいに売りにくい本を作り、それでもなんとかやりくりする芸だけは磨いてここまできたのだが、そうした道程を振り返ればなにがしかの痕跡とも轍とも言えないこともない経歴の厚みだけは増して、なんだかあちこちに人間関係のネットワークばかりがこんぐらがって、そのなかには友情とも腐れ縁とも言えるかもしれないさまざまな綾がついてきただけである。
 こういうなかで編集というメチエはやはりいまの時代、かなりおもしろいものなのかもしれないと思うようになってきたのだから、わたしも相当におめでたいのだろう。編集者の端くれとしてこれまでも行き当たりばったり、思いついたり思いつかれたりして著者とは同床異夢かもしれない真理探究をしてきたわけである。内外ともに数多くの編集者や編集志望者を見てきたが、どうやら編集者というメチエは、わたしのようなのらくら者を別にすると、どうも先天的にあるいは素質的に編集に向いたひとでないと成功しにくいのかもしれない。どういうことかと言えば、どんなささいな情報に接しても企画のアイデアが閃くとか、書き手に何を書いてもらえばいい本が生まれるか想像が自由に動くひとじゃないと、天性の編集者とは言えないのじゃないか、ということである。著者が書きたいテーマやまとめたい論文集を作るなんていうのは、別に創造的な仕事ではなく、せいぜいのところお産婆役をつとめるにすぎない。圧倒的に多数の編集者はこういう水準かそれ以下にとどまっている。そもそも自分が編集にかかわった本が話題になったり売れたりすることに人一倍関心をもてないようなひとは編集者むきじゃないと思う。そうでないと、他人が作った本がどうして話題を呼び、売れるのかがいつまでも見えてこないからだ。なにかに気づく、ということが編集者たる者のなによりもの才能なのではなかろうか。
 いまの時代、販売実績もデジタル化されてしまって取次でも書店でも上がってくる数字ばかりを見ているのでは、ほんとうに必要な売れ線の発見はおぼつかないだろう。自社出版物の売れ方だって、同じことだ。わたしなどは、若いころは取次が毎日持ってくる注文伝票の束をためつすがめつめくって、いったい何がどこで誰に買われているのかを目を凝らして見たものだった。そういう注文伝票の束との出会いだってりっぱなマーケットリサーチになっていたのである。流通倉庫が別のところにあるようないまの編集者にはそういう出会いの場面がないから、そういった手触り感をもたずに本を作っているだけになる。だから自分がかかわった本にさえいまひとつ愛着がわかないのではないだろうか。デジタル化されたデータにさえ関心をもっていない編集者の話をある大手学術出版社の幹部からも聞いたことがあるが、ひとごとではない。もっともそういう関心をもて、ということ自体が矛盾しているのであって、そういう営業感覚のない編集者に売上げに関心をもつように言ったり、いろいろな企画に気づくように言うことは、当人にとっては無理な要求なのである。
 まあ、こんな与太話をしてもしょうがない。わたしなんかは非才のゆえに体力と時間で仕事量をこなしているだけで、外から見ると(自分から見ても)働きづめの日々を送るしかない。業界の親しい友人にわたしはなんと「24時間編集者」と名づけられてしまったことがある(持谷寿夫「交遊抄」、「日本経済新聞」2011年10月5日号)。まったく冗談ではないでしょう。そりゃ無理だし、事実としてもありえないことだけど、編集者というか出版人というか、文字を読んだり書いたりするのが好きなことだけは間違いないので、これをあえて甘受して、編集者のメチエならぬ、出版の虫としての存在をおおいに自己主張しておこう。(2015/12/7)

 きょう(9月12日)の新聞報道によれば、安倍強権政府は、9日まで一か月休戦していた沖縄県名護市辺野古での基地移設作業をついに再開した。これにたいして翁長県知事は週明けにも辺野古の埋立て承認取消しに向けた手続きを開始することになった。予想された全面対決の事態だが、安倍晋三という戦後最悪最低の首相は、沖縄県民の基地移設反対の圧倒的な民意を踏みにじり、日本国憲法によって保障された「表現・思想の自由」としての基地ゲート前での抗議行動にたいしてもいっそう凶悪な牙をむいてくるのではないかと懸念される。もしそんな事態になれば、県民は断固として反撃するだろうし、安倍によって内乱=内戦状態が引き起こされることになろう。いまの安倍がやろうとしているのは、そういった憲法無視の独裁による戦争国家化の先取りされた国内実践予行演習版にほかならない。
 すでに本ブログの「II-12 いまや内乱状態の憲法危機――仲宗根勇『聞け!オキナワの声』の緊急出版の意義」で述べたように、この安倍政権の「憲法クーデター」による悪質な憲法改悪の狙いは、まず安保法制なる戦争国家法案化を突破口とすることであり、その端的な具体的実現の第一歩である辺野古基地移設強行工事再開がセットになっている。アメリカ政府への手みやげとして空威張りしてきた安保法制の立法化は、安倍自身にとってもみずからの政権護持の試金石となるから、なにがなんでも法制化の強行採決と辺野古の工事強行再開にはその政治生命がかかっているのである。本来なら東条英機とともにA級戦犯として絞首刑になるべきだった岸信介の孫として日本の政治になどかかわる資格のない超右翼が、この国を内乱=内戦状態に陥れようとしているのである。
 こうしたタイミングで元熱血裁判官の仲宗根勇氏の新刊『聞け!オキナワの声――闘争現場に立つ元裁判官が辺野古新基地と憲法クーデターを斬る』がこの14日に刊行される。辺野古の基地ゲート前での憲法論にもとづく安倍政権批判演説32本と戦争法案にかんする講演3本を起こして緊急出版されるこの本は、専門家として安倍自民党の憲法改悪の本質を鋭く暴き、現場の警察機動隊や海上保安官による憲法違反の暴力行為を現行の警察法や海上保安庁法にもとづいて断罪する法的正当性をもち、一方で現場で抗議するひとびとの闘争に強力な理論的根拠と勇気を与えているという意味で、まさにいまもっとも必要かつ影響力の大きい、待ちに待たれた本なのである。
 この本の刊行自体がひとつの社会的事件であると考えるのは、そうした本の力が社会的政治的意味でただちにひとびとの辺野古基地移設反対のための理論闘争の役に立ち、人びとの実践的行動を鼓舞する力になるからである。
 ところが、こうした本にたいしてここにきわめて奇々怪々な対応が現われた。これも「もうひとつの沖縄差別」であり、その裏にはなにかしら権力のキナくさい圧力を感じさせるだけに、放っておけない問題である。この件についてはすでに断片的に公表し、そのことによって引き起こされたその後の問題について、ここではその経緯を明らかにし、中間総括をしておかなければならない。
『聞け!オキナワの声』は既述したように、七月から八月にかけて音源からの原稿起こしにはじまる突貫作業によってなんとか九月刊行のメドがたち、本の概要(ページ数、予価など)が見えてきたところで8月25日にようやく書店用新刊案内の原稿を作成し、いそぎ新刊案内を作って各書店および各取次にFAXで告知した。刊行が迫っており、なるべく早めの注文をお願いしたのはそういう事情があった。とくに沖縄の書店・取次には期待するものがあったのは当然である。そういうなかで、8月27日に、以前から親しくしているうえに販売協力に積極的なジュンク堂那覇店にはわたしみずから店長に電話をかけ、刊行の予定と内容を知らせたところ、店長は本の意義と売れ行き判断から即座に120部の注文をしてくれた。時間の問題もあるのでこの分はお店に直送することにした。沖縄には通常は船便で配送されるので、ヤマトの書店とくらべて一週間以上の遅れが出ることをこれまでの経験から知っていたからである。事態の急迫にあわせて作った本を一刻も早く沖縄に届けたいという一心から特別サービスとして直送するという判断なのである。
 その注文に力を得て、これもこれまで親しくしている担当者のいるトーハン沖縄営業所に電話をかけたところ、その担当者が不在だったために代わりに電話に出たひとにこの本の意義とジュンク堂那覇店での初回配本部数を知らせ、もし営業所で部数を集められたら、ジュンク堂那覇店の分とあわせてこちらから直送する便宜を伝えておいた。沖縄ではトーハンのシェアが一番大きいし、同じトーハンの書店同士で売行きの見込める新刊入荷に差が生ずるのは不公平になると判断したからでもあった。
 ところが、翌28日の午前中にトーハン沖縄営業所長から未來社営業部長あてにメールが入り、この本は「一般的でない」ので販売協力はできない、今回は書店への販促は見送らせてくれ、という文面があり、わたしは自分の目を疑った。緊迫状況にあるいまの沖縄、辺野古情勢においてこれほどタイムリーで、ひとびとが読みたいと思ってくれるはずの本を、簡単な内容紹介を見ただけで一営業所長レベルの人間が「一般的でない」と判断し、なおかつメールとはいえ、証拠を残すかたちで、取次のひとつの業務である「販売協力」をはっきりと拒否してくるというのは、異例中の異例である。たしかに未來社は注文制(買切制)であり、特別な「販売協力」をお願いしたわけではないし、たいして期待もしていない。だから協力というのは書店から自主的に上がってくる注文部数を刊行日までにとりまとめ、こちらに連絡することぐらいでしかないのである。それをどう勘違いしたのか、一方的に「一般的でない」から協力しないとわざわざ言ってきたのである。
 わたしがただちにトーハン沖縄営業所の旧知の担当者に連絡をし、真意を確かめようとしていたところ、状況を察知したらしい柴田篤弘長が電話を代わって出てきたので、それならということで、どういうわけでこれほどの本が「一般的でない」という判断をしたのかその根拠を質したところ、「わたしが一般的でないと判断したからだ」と言い張るのみで(そのことをくりかえし3回も言った)いっこうに答えにならない。どういうことかとさらに聞いたら、「自分のところはジュンク堂ばかりとつきあっているのではなくて、一般の書店も多くあり、そういう店で一般のひとが読めるようなものではない」とまったく無意味なことを言いつのるばかりである。一般的でない本とは、一般のひとが読めないような本を言うことはあたりまえだから、トートロジーでしかない。こんな認識のひとが営業所長でいいのだろうか。確認のため、この本の拡販にはいっさい協力しないということですね、と聞いたところ、しません、とはっきり答える始末。いくら言ってもラチがあかないので、こういうことはわたしは言説の人間として公表してもいいかと確認したところ、平然と「どうぞ」と言うので、とりあえずツイッター、フェイスブック、ブログ等でこの異常事態をオープンにしたのである。
 このいずれかを読んだひとが知り合いの著者を通じてどういうことかと問合せをしてきたところから問題が大きくなった。事実を知った「沖縄タイムス」と「琉球新報」があいついで取材してくることになり、この営業所長にも取材が入った。新報はトーハン本社(広報課)にまで取材しているが、本社ではすでに状況は把握しており、上層部で大問題になっているということだった。あとで仕入担当者から聞いた話では、この件は「社長預かり事案」になっているという。トーハンの社員がわたしのブログを見て役員に報告したらしいことと、どうもこの営業所長も報告しているらしい。ただし、この所長は自分に不都合なことはいっさい報告していないようだ。トーハンの仕入担当者から沖縄営業所ではするべき仕事はちゃんとやっているので、そのことをわたしに伝えてくれと未來社営業部長を通じて言ってきたが、トーハン側からは当事者のわたしにたいしてなにひとつ問合せもせず、身内の沖縄営業所長の報告だけを信じこんでいるようである。
 そうした非協力的な事実の一例を挙げよう。それまでなぜかトーハン系の書店から(わたしが注文を直接もらったジュンク堂那覇店以外は)まったく注文が入ってこないのが不思議だったのが、9月4日になってようやく最初のFAX注文が入った。そのFAXの日付を見ると、トーハン沖縄営業所から送られた受注用FAXの時間がなんと9月2日の20時33分。じつはその日は沖縄タイムスの記者が夕方に所長に取材に行った日である。わたしが電話を入れて抗議してから5日後で、その間、所長は「販売協力」を拒否していたことになる。取材を受けて、事の重大さにようやく気がついた所長がその晩になって(所員が退社したあと)本社への言い訳のためにあわてて書店へのFAXを送ったことは明らかである。あとで当人に確認したところ、そのことは自分はやっていないし、指示もしていない、誰がやったかもわからないと明言していたが、事がこんなに大きくなってからほかの所員が所長への断わりなしでこんなことができるはずがないのは火を見るより明らかなことである。「一般的でない」などとは言っていないと取材にも答えたりしているらしく、しかも西谷に「恫喝」されたとまで言っているそうだ。
 わたしが問題だと確信しているのは、よほどのことがないかぎり、一営業所長が断言するには、あまりに大胆すぎること、不遜すぎることであり、その裏にはこうした発言を促す圧力があったからではないか、ということである。こうした一営業所長レベルの人間の「失言」にしては、この一件がふつうでは考えられない本社の「社長預かり事案」になっており、「琉球新報」の取材にたいして見解を公式発表することなっていたにもかかわらず、それがいまだなされていないことも疑問である。以前にトーハンをふくむ取次各社が鹿砦社のある原発批判本にたいして委託配本拒否という問題を引き起こしており、その理由として個人情報が本に記載されていたからという些細な理由をあげているが、今回は安倍晋三そのものを憲法論の立場から徹底的に批判している本だけに、そういう圧力がどこかから(言うまでもなく安倍政権から)かかっていたとしてもなんら不思議はない。いまの安倍政権ならメディア介入の一環として出版の自由の蹂躙ぐらいならいくらでもやりかねない疑いをもつからである。
 わたしはなにもひとりの地方営業所長の妄言をやり玉にあげるためにこんなことを書いているのではない。こういう本の出現をよく思わない権力に迎合した人間が取次のなかにいるのではないか、と危惧しているだけである。長年の取引先であるトーハンがまさかそんなことはしていないと思うが、もし原発批判本にたいする委託配本拒否と同じようなことがこの本にもなされようとしたのだとしたら、これは独占禁止法上の「優越的地位の濫用」にほかならないからである。
 さらに気になるのは、9月7日になって本社からの指示ということで柴田所長がわたしに電話をかけてきたのだが、自分の発言にも問題があったかもしれないがこちらの誤解もある、と言ってきたので、わたしは「あなたの『一般的でない』発言がまったく問題にならない理由にもとづいていることにたいして正しく理解している」ことをはっきり伝え、もしお詫びをしたいというならしかるべく納得できるような文書を提出することを求めたところ、上司に相談する、との返事であった。その後また連絡があり、その結果、「文書を出す必要はない」と言われたとのこと、その発言はトーハンの公式発言として考えていいのかと質したところ「そうだ」との返事。この件が「社長預かり事案」になっている以上、この判断は社長判断ということになる。所長にお詫び電話をさせることで、事をなし崩しに終わらせようとしたと解釈するしかない。
 未來社の社長ごときならこれぐらいでたくさんだとでも思っているのだろうか。いずれ責任者のきちんとした考えを聞く必要があるだろう。(2015/9/12-13)

 この四月から「[新版]日本の民話」シリーズを毎月十五日に三巻ずつ定期配本している。すでに第一巻の瀬川拓男・松谷みよ子編『信濃の民話』を皮切りに第一五巻『飛騨の民話』(江馬三枝子編)まで、元版(一九五七~八〇年)の巻数順に刊行してきた。
[新版]シリーズでは、これまでのサイズをハンディにし、活字も読みやすく、価格も求めやすくした。旧版で好評だった挿絵もすべて再現したので、このシリーズの民俗的香りはそっくり保存されている。
 ある程度以上の年配の方ならご記憶にあろうかと思われるが、一九七五年にはじまったTBSテレビ放映のアニメ「まんが日本昔ばなし」が市原悦子さんと常田富士男さんの名語りで毎週ゴールデンアワーに放映され、空前の「民話」ブームを巻き起こしたことがある。その原案として活用されたのが旧版「日本の民話」であった。
 誰でも知っている桃太郎や浦島太郎の伝説などが日本各地に少しずつ形を変えて語りつがれていることがわかるのもこのシリーズの特長である。劇作家木下順二が民話劇に取り組み、その代表作『夕鶴』は各地に伝わる「鶴女房」伝説から生まれている。
 戦後すぐに復活した生活綴り方運動などとともに、松谷みよ子を中心とする「日本民話の会」を母胎とした民話発掘の文化運動は広く各地の民話を採集、編集、記録してきた。これらの成果はこの「日本の民話」シリーズに結集された。このシリーズは民衆文化を対象とする民俗学などによっても高く評価されてきた。
 いま日本の政治は安倍晋三というウルトラ右翼ファシスト政治家によって、空前の危機状態にさらされている。すでに教育現場は、長年にわたる自民党の教育政策によって荒廃させられ、文字を満足に読めず、本を読まない世代がどんどん生まれてきている。大学では国策に沿わない文科系学問などはどんどん切り捨てられ、ゆがんだ歴史教育によって間違った歴史認識が押しつけられている。
 この[新版]シリーズの再刊は、こうした政治や教育の荒廃に抗して、日本人のこころのふるさととも言うべき民話の豊かな民衆的伝承の世界を再構築し、これからの日本を背負っていく若いひとたちを中心にぜひ読んで語りついでいってもらいたい、という願いをこめている。
 本を読むことはおのずから自分が生きることの意味を考え、世の中の矛盾や問題にたいして批判的に対処する精神を涵養するものである。本を読むことのすばらしい経験をきっかけに、今後も読書する習慣を身につけ豊かな人間になってほしい。それが本シリーズ再刊の最大の希望なのである。(2015/9/6~9/12)

*この文章は「しんぶん赤旗」からの依頼によって書かれたものである。

 安倍政権の集団的自衛権を認める閣議決定から始まり、戦争法案である安保法制制定のもくろみはそれ自体、現日本国憲法に照らしてあきらかな憲法違反であり、日本をアメリカに追随する戦争国家に仕立てようとする陰謀であることは、いまや国民のあいだでもはっきりと認識され、反対運動も激化してきている。小選挙区制による一票の価値の不平等と野党乱立の隙間をぬって選挙権者の二割にも満たない投票数で多数派を占めているにすぎない国会を我が物顔で自分の思い通りになると錯覚している安倍晋三を中心とする極右勢力の一派は、いまや世界各国の警戒や軽蔑をも知らぬ存ぜぬの鉄面皮で政治悪のかぎりを尽くしている。
 沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設を沖縄県民の民意をまったく無視して暴力的に強行しようとするのもその強権政治の現われである。というより、そこにこそ集中的に現われる軍国主義、植民地主義の横暴はいまの憲法改悪=軍国主義化路線の本質そのものである。その辺野古の新基地予定地の現場でいまいったい何が起きているのか、本土のマスコミはほとんど報道しないか歪めて報道している。そこで日常的に体を張っているひとたちの動きはあまり知られていない。その辺野古の現場に立ち、元熱血裁判官という立場から憲法論を軸に安倍一派の「憲法クーデター」のからくりを暴き、その強権的基地建設を実力阻止にむけてひとびとを鼓舞し、理論的にリードする役割を背負っているのが仲宗根勇氏である。その仲宗根氏の辺野古基地ゲート前での憲法論的アジ演説と憲法講演を集めた新刊『聞け!オキナワの声――闘争現場に立つ元裁判官が辺野古新基地と憲法クーデターを斬る』がいよいよ刊行される。
 仲宗根氏によれば、安倍晋三一派は、憲法遵守義務を怠るどころか憲法改悪にむけて国会審議もろくにおこなわず強行採決などの無法行為によって、実質的に国会を乗っ取り、大日本帝国憲法よりなお悪質な反動的憲法を実現しようとする点において国事犯である。現憲法では、九十九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されている。その義務を守らないばかりか、自分たちに都合のいい憲法改悪をもくろむという点において首相みずからによる憲法にたいするクーデターであり、すなわち日本はいま事実上の内乱状態に近い。辺野古で安倍一派が実現しようとしているのは、まさしくそうした権力乱用による内乱行為である。仲宗根氏によれば、刑法七十七条で「日本国憲法の基本秩序を破壊する意図をもって暴動をやった場合には内乱罪として死刑または無期禁錮にする」となっているそうである。もし辺野古で沖縄県民の民意に反して基地建設強行をしようとすれば、憲法で保障された「表現・思想の自由」を暴圧しようとする行為となり、これは安倍一派にこそ内乱罪の適用がなされるべきである。事態はいまやここまできてしまったのである。安倍晋三はすくなくとも戦後最悪の首相であり、そもそも知識や教養のうえでも首相の器でないことはかのアドルフ・ヒトラーと双璧をなす人物にすぎない。
 安倍晋三のやろうとしていることは、およそ民主主義国の総理大臣としてのレヴェルではない狂気の沙汰である。わたしがかつて書いたように、安倍には元A級戦犯の祖父岸信介の亡霊の恨みを晴らし野望を遂げようという長州藩的好戦主義、覇権主義の思いこみがこびりついており、やることなすこと妄想からきているものにすぎない。
 仲宗根勇氏のこの新著は、昨年刊行した前著『沖縄差別と闘う――悠久の自立を求めて』のあと、憲法論の視点から安倍一派の憲法改悪の妄想を批判的に検証する本を依頼していたものの、現場闘争もあってなかなか実現できそうもなかったところ、たまたま辺野古ゲート前でのアジ演説が録音されていることがわかり、それを所望するなかから実現したものである。ここには現場ならではの圧倒的なライブ感覚があるだけでなく、そのつど憲法論的な視点からの講義を意図してなされたものであったから、多少のダブリはあるものの、そのときどきの緊急課題に対応する戦略的・戦術的な抵抗方法の開示や理論的現状分析があり、まことに臨場感のある内容なのであった。すぐにこれを起こし、あわせて憲法にかんする依頼講演三本とともに超緊急出版にこぎつけたしだいである。
 安倍政権が何を企んでいるのか、翁長県知事に一か月休戦を申し出て、その間になんとか集中協議と称して県知事を抱き込もうと画策しているが、前知事仲井眞を籠絡したようにはいかないのは計算違いなのか、たんなる浅知恵のなせるわざなのか。そしてこの九月九日にこの「休戦」が終了したあかつきには、どんな企みがあるのか。もし休戦明けに問答無用の基地建設工事強行の策に出るとしたら、それこそまさに「内乱=内戦状態」となろう。そんなこともやりかねないのがいまの安倍強権政治なのである。これは憲法危機そのものであり、国民全部を敵にまわした「第二の戊辰戦争」となる。
 安倍晋三ごときに日本がいまや崩壊寸前に追い込まれている。このことに危機感をもたない人間は第二次世界大戦前の無知無能の、なすがままに支配された日本人の再来にすぎない。
 本書が刊行されるのは九月十四日。それまでに安倍の狂気の沙汰が及ばないことを祈るしかない。なお、仲宗根勇氏の熱烈なアジ演説の一部は、本に付けたQRコードの読み取りからも、未來社ホームページの本書のページ(http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624301217)からも聞くことができるようにした。すでにホームページからは聞くことができるようになっているので、アクセスしてその圧倒的な現場からの声に耳を傾けてみてほしい。

 高橋哲哉さんからは沖縄米軍基地論の刊行予定を以前から聞いていたが、このほど集英社新書の一冊として刊行された『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』が送られてきた。すでに相当な話題書になっていることはアマゾンのランキングやいくつかの評価の分かれるカスタマーレビューを見ていてもわかる。もちろんさっそくにもこの本を読ませてもらったが、すでに刊行されていた岡野八代さんとの対談『憲法のポリティカ――哲学者と政治学者の対話』(白澤社)もあわせて読ませてもらったので、いちど整理しておきたいと思っていたところ、ウェブで高橋さんを中心に大阪府民が結成した市民団体「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」主催の「辺野古で良いのか――もう一つの解決策」講演会のニュースを見つけた。七月十二日に大阪市で開かれたもので高橋さんは講演で「日米安保条約をただちに廃棄できないなら、その間は本土に在沖基地を引き取るべきだ」と本と同じ主張を展開したということだ。
 七月十五日にはすでに報道されているとおり、衆院平和安全法制特別委員会での与党だけによる安全保障関連法案の強行採決がおこなわれた。安倍晋三という超右翼ナショナリストによる戦争国家化への野望が「切れ目のない」反動化政策によって日本はアメリカに追随するだけの、世界からの孤立化への道を邁進している。祖父のA級戦犯、岸信介の野望をここへきて実現しようとする長州藩的DNAの覇権主義がとどまるところを知らない。ヒトラー顔負けの野望に充ちたこの下劣漢は、それに同調するしか能のない取り巻き連中を従えて、なんでも自分の思い通りにできると勘違いしている。民主主義など眼中にないこの男からすれば、沖縄米軍基地などハナから撤廃する気などないし、なにがなんでも辺野古への移設を強行しようとしている。理屈の通らない妄想家を政治の表舞台に押し上げている盲目のどうしようもない日本人たちがはたして今回の暴挙を暴挙として認識することができるかどうか、はなはだ疑わしい。かつて岸を辞任に追い込んだように、なんとかこの妄想家を引きずりおろすしか、これからの日本を救う手立てはないだろう。
 と、少々脱線したが、高橋哲哉はヤマトゥンチュとして初めて正式に沖縄米軍基地のヤマト受け入れの必要性を明示した。
《「本土」の八割という圧倒的多数の国民が日米安保条約を支持し、今後も維持したいと望んでいる。日本に米軍基地は必要だと考えている。そうだとすれば、米軍基地を置くことに伴う負担やリスクは、「本土」の国民が引き受けるのが当然ではなかろうか。》(『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』八九ページ)
《沖縄にある米軍基地は、本来、「本土」の責任において引き受けるべきものなのに、「本土」はその責任を果たしていない。県外移設要求は、その責任を果たすことを求めているのである。》(同、九〇ページ)
「本土」人=ヤマトゥンチュを敵にまわす覚悟の勇気ある発言だと思う。なぜなら知念ウシや野村浩也などが主張しているように、「本土」人=ヤマトゥンチュこそ「無意識の植民地主義」の体現者であり、沖縄の基地問題にたいしては知っていてもシランフーナー(知らんふり)をして問題を回避する人間たちだからだ。知念ウシ『シランフーナー(知らんふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』(未來社、二〇一三年)にもくわしく書かれているように、どんなに沖縄好き、沖縄への「連帯」をうたうひとたちでも、ひとたび基地を「本土」=ヤマトに引き取れという話をすると、とたんに凍りついてしまうのである。あたかも自分の家の隣にでも米軍基地が引っ越してくるかのように、だ。高橋哲哉が言うように、《県外移設に関する限り、右も左も護憲派も改憲派もなく、沖縄を除く「オールジャパン」で固まっているようにしか見えないのだ。》(同前、四六ページ)これはもちろんいまの沖縄が「オール沖縄」でまとまっていることとの対比で言われている。
 この本にはみずから編集にかかわった本や論争の引用が多く、なかなか言及しにくいのだが、知念ウシさんと石田雄さんとの往復書簡はわたしが仕掛けた「論争」であり、一般的にヤマトの知識人のなかには、あれじゃ石田さんがかわいそうだ、という意見もある。たしかにヤマトの視点からみれば、人情論としてはありうるが、基地問題にかんする沖縄人の生活権の問題の側から考えると、やはり石田さんの分が悪いのは否めない。石田さんは平和主義者としての自身の論点を超えていかないのに比して、日々を生きる人間としての権利という視点からの知念ウシの正攻法は一貫しているからである。
 これともうひとつ気になる論争で高橋哲哉が論及しているものに、琉球大学教授新城郁夫の沖縄米軍基地県外移設論批判があり、わたしもあらためて「現代思想」二〇一四年十一月号の新城「『掟の門前』に座り込む人々――非暴力抵抗における『沖縄』という回路」を読んでみた。これまでにも同趣旨の批判を繰り返しているらしいが、――ウチナーンチュの内部論争にはヤマトゥンチュとしては軽々しく参加はしたくないが、――新城の論は「県外移設論」をあるべき基地闘争にたいする「人種主義的境界化を導入する流れ」だとして野村浩也や知念ウシを激しく攻撃している。高橋も言うとおり、野村や知念が言う「ウチナーンチュ(沖縄人)対ヤマトゥンチュ(日本人あるいは日本「本土」人)」という分割線は、新城の言うような単純な人種主義的分断ではなく、政治的権力的立場選択としての〈ポジショナリティ〉の対立線であり、それは人種とはちがって思想の問題として選択し直すことができるものとしてとらえられなければならない。たとえば新城はこんなふうに書いている。
《スローガン化した感のある「日本人は基地を引き取れ」「基地平等負担」等の主張が実現してしまうのは米軍基地への制度批判の抹消であり、そこでは、民族的枠組みを装う軸において国内的に配分され切り分け可能な実体的面積という形象化において、米軍基地が錯視されている。》
《日本人対沖縄人という対立は、いまや政治的暴力の根本を不問とする憎悪を生み出しているが、この憎悪によって抹消されるものこそ日本という制度への批判であり、国家暴力の源泉たる人種主義への批判である。》
 一見して明らかなように、ここには論理の飛躍がはなはだしい。〈ポジショナリティ〉という政治対立はあっても、それがすぐに人種的あるいは民族的な対立を生むわけではないし、ましてや基地問題や日本の政治制度の問題を「錯視」させるものではない。むしろその反対ではないか。そうした問題の根底を問い直す視点としても現実に基地の県外移設を実現させるべく、無知を決め込むヤマトゥンチュに問題を突きつけ、意識変革を迫ることこそが、抽象的闘争論を描くより必要なことではなかろうか。
 新城の論にはほかにも矛盾がいろいろあり、たとえば沖縄反基地闘争の現場リーダーでもある山城博治を高く評価するしかたと県外移設主張者たちを否定する論法とのあいだには断絶があってはならないはずである。ちなみに山城は昨年、未來社から刊行された川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』に「沖縄・再び戦場の島にさせないために――沖縄基地問題の現状とこれからの闘い」という、昨年暮れの県知事選挙における「オール沖縄」的共闘をも提唱する予見的な文章を書いているが、そのなかで県外移設論について《「米軍基地は沖縄にも要らなければ全国のどこにも要らない」、それゆえに「県外移設の要求はおかしい」という「もっともな主張」が踏み誤っているのは、政府の統治の論理に絡められている点だ。》(二〇一ページ)とはっきり書いているのである。深追いするつもりはないが、新城の論は現代思想的なタームをつらねて論点を補強してみせているが、ほとんど内容がない、反基地闘争に無用な分割線を入れるだけの批判のための批判でしかないという印象である。
 沖縄を長期にわたってアメリカに譲り渡そうとした戦後直後の「天皇メッセージ」と称される、沖縄の日本からの隔離、便利な基地押しつけ場所として沖縄を利用しようとした昭和天皇をはじめ、歴代自民党政権の長年の策謀の結果として今日の沖縄米軍基地があるという歴然とした現実をみるとき、安保廃止はもちろんのこと、八〇%以上の安保体制支持者がいるという日本「本土」=ヤマトの責任において、高橋哲哉の言うように、基地を応分に引き取るしか手はないと言うべきである。そうしてから初めて、ヤマトゥンチュは沖縄人=ウチナーンチュと対等に米軍基地撤廃すなわち安保廃棄に起ち上がる権利をもてるのである。当然、そのさきにはこうした今日の日本の、あるべき姿から遠く外れた現状を導いた責任者たちの追及も見据えていくことになるだろう。(2015/7/18)

 リュシアン・フェーヴルとともにフランス・アナール派歴史学の創設者のひとりであるマルク・ブロックという大歴史家のことは知らないわけではなかったが、きちんと読んだことはなかった。『封建社会』という主著のひとつは書棚に眠ったままであった。
 そんなブロックの『奇妙な敗北――1940年の証言』という本を読むにいたったのは、ちょうど編集にたずさわっているホルヘ・センプルンの講演集『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルと抵抗のモラル』のなかのブロックにかんする部分を読んで、感銘を受けたからである。当初、原書目次にあるBlochはエルンスト・ブロッホのことだと思っていたというオチもつくのだが(ブロッホはドイツ語読みだが、同じ綴りでもフランス語ではブロックになる。いずれもユダヤ系の名である)、なにはともあれ、センプルンの連続講演集は1930年代後半から第二次世界大戦中の三人の哲学者、歴史家、作家のナチズム、ファシズムに抵抗する人間としての生き方を論じたもので、いまのきな臭い世界ひいては日本の政治状況のなかで人間としていかに生きるべきかを示唆するものとして非常に重要な本に思われるのである。
 というわけで『奇妙な敗北――1940年の証言』についてコメントしておきたい。この本はもともと第二次世界大戦に志願兵として対独戦に参加し、1940年のフランス軍のみじめな敗北を味わうなかで書かれた手記である。ブロックは若いときにすでに第一次世界大戦にも従軍した経験があり、その戦功によりいくつもの勲章を得ているほどの実績ある軍人でもあった。1886年生まれのブロックは参戦当時すでに54歳。年齢的にも社会的にも兵役免除されている身分でありながらの参戦であった。
 ブロックは冒頭でこう書いている。
《ここに書き綴っているものは、出版されることがあるだろうか。私にはわからない。いずれにせよ、長い間これは知られぬままになったり、私の直接の仲間たち以外のところに埋もれてしまう可能性は高い。それでも私は書こうと決心した。(......)証言というものは、それがまだ新鮮なうちに書きとめられてこそ価値があるはずであり、私にはそうした証言にまったく意味がないとはどうしても思えない。》(平野千果子訳、岩波書店、39ページ)
 はたして生きて戻れるか、書いたものが後生に読まれうるのかどうかも不明なままで、それでも歴史家としてリアルタイムで戦争の記録を残さねばならないという気概にみちたものである。ここでブロックは英仏連合軍の参謀将校としての立場からフランス軍が負けるべくして負けたことを、その内部の戦略的甘さ、読みの悪さ、軍機構のつまらぬ官僚的体質、上層部から政権全体に及ぶ判断力と決断力の欠如、といった側面を余すところなく暴いている。たとえばブロックはこんなふうに書いている。
《私たちの軍が敗北したのは、多くの誤りがおかされ、その結果が積み重なったためである。それらの誤りは種々雑多だったが、共通しているのはいずれにも怠慢がはびこっていることだった。司令官や司令官の名のもとに行動していた者たちは、この戦争についてじっくり考えることができなかったのだ。言い換えるなら、ドイツ軍の勝利は、基本的には頭脳による勝利であり、そこにこそもっと重大な問題があるはずである。》(82ページ)
 それは端的に言えば、距離と速度の問題である。第一次大戦の経験にふんぞりかえるフランス軍上層部の古い頭では第二次大戦時における軍事技術の進歩、それに対応する戦略においてヒットラー・ドイツにまったく遅れをとっていたのである。「ドイツ軍のテンポは、新しい時代の速度を増した振動に合わせたものだった」のにたいして「私たちは、長い投げ槍で銃に対抗するという、植民地拡張の歴史にはなじみのある戦闘を再現したにすぎない。そして今回、未開人の役を演じたのは私たちだった。」(83ページ)――そしてこれは戦時中の日本軍が国内戦にそなえて国民に槍と刀で米軍に立ち向かわせようとした愚かさを思わせないわけにいかない。
 要するに、ドイツの電撃作戦に古い頭のフランス軍はその速度と距離感をまったく想定できなかったのである。「ドイツ軍は行動と不測の事態というものを信条とし、フランス軍は動かずにいることと既成事実とを信条としたのだ。」(96ページ)ベルギーとフランスの国境あたりでドイツ軍の予想外の追撃の早さにあわてふためく英仏連合軍のみっともなさが活写されている。
《速度の戦争においては、ドイツの心理学に基づく計算は当然のことながら的を射たものだった。しかしフランスでは、戦略について意見を聞くために、奇妙にも感情を測ることに専念する学者を何人か、その研究室から引っ張り出して来たらどうかと提案をしただけで、参謀部ではどのような嘲笑が起きたことだろう!》(106ページ)
 ブロックの憤懣が爆発しているが、そのあたりのことはいまは措いておこう。
 しかしこれらはけっして批判のための批判ではなかった。ユダヤ人であるブロックは遺書にもあるように「ユダヤ人として生まれたことを否認しようなどと考えたことは一度もなかった」(242ページ)にもかかわらず、それ以上にフランス人として生きてきた。だからこそブロックはこう書いたのである。
《だが何が起きようと、フランスは私の祖国でありつづけるだろうし、私の心がフランスから離れることはないだろう。私はフランスに生まれ、フランス文化の泉から多くを享受した。フランスの過去を自分の過去とし、フランスの空の下でなければ安らげない。だから今度は私がフランスを守る番だと、最善を尽くしたのだ。》(42ページ)
 なんとも感動的なことばである。こんなふうに書くことのできるブロックをうらやましくさえ思える。そしてブロックはフランス敗北のあとも、当然のように、対独協力のヴィシー政権に抗して対独レジスタンスを継続する。著名な学者でありながらひとりのレジスタントとしてあくまでも故国フランスのために命を捧げる覚悟であった。この覚書の最後にブロックはこう書いている。
《私たちはまだ血を流すべきだと思う。たとえそれが大切な人たちのものだとしてもである(......)。なぜなら犠牲のないところに救済はないのであり、全面的な国民の自由も、自らそれを勝ち取ろうと努力しなければならないからだ。》(238ページ)――そしてブロック自身、ゲシュタポに逮捕され、フランス解放をまぢかに控えた1944年6月16日、ナチズムの兇弾に斃れたのである。
 真の愛国者とはこういう人間のことを言うのである。そしてこうした人間が存在したことをいまこそわれわれは再確認し、そのことばを遺書として今日の世界でよりよく生きるために学び直さなければならない。(2015/6/26)

 先日(6月4日)、岩波ホールでのジャン・ユンカーマン監督映画『沖縄 うりずんの雨』を見に行った。6月20日からの上映にあたっての最終回の試写会ということもあって、満席だった。事前の評判もいいことを聞いていたので、なんとしても見ておかなければならない作品だったが、なかなか時間がとれずようやく最終回になって見ることができたのである。監督のユンカーマンさんとはおととしの知念ウシ出版記念会で初めてお会いしたが、今回は上映後の挨拶に登場されたあとに簡単な挨拶ができた。
 このドキュメンタリー映画は四部仕立てで(第1部=沖縄戦、第2部=占領、第3部=凌辱、第4部=明日へ)、沖縄戦などの古い記録写真を生かしながら、新しい映像と語りを入れた重層的なフィルム構成になっている。沖縄戦後70年という節目の年をまえに3年の歳月をかけて製作されたという。いぜんとして沖縄の植民地状況をよく知らない、あるいは知ろうとしない多くの日本人、さらには辺野古への強引な基地移設を推し進めようとして現地の反対を無視しつづける安倍強権政権へむけての、沖縄の歴史と現状を視覚的にも強く訴える作品となった。また、大田昌秀元沖縄県知事、元海兵隊員で政治学者のダグラス・ラミスさん、写真家石川真生さん(とその写真集『FENCES, OKINAWA』)などよく知っているひとや、知花昌一さんのような不屈の運動家のインタビューも断続的にはさみこまれていて、その肉声によっても沖縄の歴史と現状がよりわかりやすく伝わってくる。ちなみにタイトルに出てくる「うりずん」とはパンフレットによれば「潤い始め(うるおいぞめ)が語源とされ、冬が終わって大地が潤い、草木が芽吹く3月頃から、沖縄が梅雨に入る5月くらいまでの時期を指す言葉」とされ、「この時期になると戦争の記憶が蘇り、体調を崩す人たちがいる」ということで「沖縄を語る視点のひとつ」として映画のタイトルに使われたそうである。
 第二次世界大戦中、日本で唯一戦場となった沖縄には守備隊10万にたいして米軍は55万の大戦力で攻撃してきた。地形も変わったと言われたほどの海からの艦砲射撃、空からの爆撃につづいて1945年4月1日に読谷村に海兵隊が上陸し、12週間にわたる激しい地上戦のすえ占領された。戦闘に巻き込まれた住民も4人にひとりという死者を出し、日本軍の強い抵抗もあって米軍も多大な死者を出している。
「第1部 沖縄戦」は主として米国立公文書館所蔵の米軍記録映像(写真家ユージン・スミスのものをふくんでいる)をもとにしているが、2004年8月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件や現在の普天間飛行場の金網に基地反対の抗議文や布切れを貼り付ける住民の抗議行動も(あわせてそれを撤去する雇われ日本人の恥ずべき振舞いと発言も)記録されている。当時の元米兵の証言も以後、随処におりまぜて収録されており、悲惨な沖縄地上戦の米軍に与えた恐怖とトラウマも明らかにされている。またガマ(洞窟)に避難させられた住民たちの生き残りの証言も全篇にわたってちりばめられており、当時の日本および日本軍に刷り込まれた米軍への恐怖によっていつでも天皇のために死ぬことを最優先で考えさせられてきた実情が語られている。住民がむしろ日本軍によってスパイ視され残虐に殺されたりした話には事欠かないが、こうした体験が沖縄人の心底に戦争への忌避、平和への強い願いをいまも生んでいる背景がおのずと浮き上がってくる。
「第2部 占領」では、沖縄戦のすべての死者名(米兵のそれもふくむ)の刻みこまれた「平和の礎(いしじ)」の写真、「コザ暴動」と呼ばれた沖縄人の怒りの爆発とその記録の数々が映像化されている。「第3部 凌辱」では、チビチリガマでの集団自決が生き残りの女性の証言や知花昌一の解説によってその悲惨さが明らかにされ、また12歳の少女強姦事件を起こした3人の米兵のひとりがそのときの状況といまの心境をインタビューで答えているのも、その悲痛な表情とともに印象に残る。
 こうした反戦平和へのあくなきメッセージを発するこの映画のインパクトはたいへん強いものがある。ユンカーマン監督はパンフレットの「監督の言葉」の最後でこう書いている。
《米軍基地を撤廃するための闘いは今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。》
 この誠心誠意にあふれたアメリカ映画人のことばをわれわれは深くみずからに問い直さなければならない。沖縄県民の総意で圧倒的な勝利で実現したいまの翁長雄志県知事の度重なる要請にもかかわらず辺野古基地建設の野望を実現しようとする日米政府の植民地主義者的野望を打ち砕くのはわれわれ日本人でなければならない。安倍晋三首相をはじめ、そのたんなるおうむにすぎない官房長官や防衛大臣らの無能な発言と厚顔無恥な表情を見ていると、こうした本来ならば現実政治を担う見識も能力もない「お友達内閣」などをいまだにのさばらせているわれわれ有権者の卑屈と無責任ぶりをあらためて認識せざるをえない。そればかりかこのまま放置すれば、平気で「わが軍」(安倍の本音発言、自衛隊を指す)の海外進出、さらには米軍のお先棒をかついだ海外侵略、はては安倍と同類の領土拡張論者=習近平体制のいまの中国との最終戦争さえ予断を許さないいまの状況にたいして、あまりに鈍感な日本人をいつまで演じるつもりなのか、日本と日本人の危機を感じざるをえない。
 この『沖縄 うりずんの雨』をひとりでも多くの日本人が見て、なにかを考える機会にしてもらいたいと切に思うしだいである。(2015/6/6)

 書籍のISBNコード(International Standard Book Number)は一冊の書物ごとに振られている世界共通ルールにもとづく番号である。いまは13桁のコードが使われるようになっており、最初の3桁は「978-」で始まることになっている。その次にくるのが国別記号、出版社記号、書名記号、最後にチェックデジット(チェック数字)という構成になっており、この10桁分が可変的である。ついでに言えば、最後のチェックデジットはそれまでの12桁の数字から自動的に計算される、誤記防止用の数字であるから、使えるのは9桁である。さらに言えば、国別記号と出版社記号は国や出版社の規模(出版された書籍数)によってどこかの時点で権力的に決められているので、実際に使える桁数にはかなり幅がある。
 ISBNコードが権力的であるというのは、たとえば国別記号で日本は「4」が与えられているが、英語圏が0と1、フランスが2、ドイツが3、ロシアが5、中国が7、などと決められており、弱小国になると5桁ぐらいになるものもある。ちなみにお隣の韓国は「89」、イタリアなどでも「88」となっている。出版社記号も2桁から数桁ぐらいになる。これも同じ理由で、たとえば岩波書店は「00」、講談社は「06」となっている。中堅出版社は3桁ないし4桁が多く、新興出版社やマイナープレスになると5桁、6桁になっている。これはどういうことかと言うと、国別記号、出版社記号、書名記号で使える9桁のうち、書名に使える桁にずいぶん差があるということである。未來社は「4-624-」となるため、書名用に5桁使えるので、最大99999冊のコード付けが可能であるが、これが出版社記号6桁の出版社になると書名用には2桁、つまり99冊しか本が作れないということになる。この差をどう考えるかは別にして、これが権力的でないと言えばうそになるだろう。だから外国の出版社の規模を判断するに出版社記号に何桁の数字があてがわれているかで、知らない出版社の規模がおよそ想像できてしまうことにもなる。
 日本ではこのISBNコードを管理しているのが日本図書コード管理センターというところで、日本書籍出版協会の別セクションと言ってもいいような組織である。
 というわけで先日、確認の必要があってこのセンターに電話をしたのだが、そこのセンター長に確認した問題への公式回答がおよそ納得のいくものでないために、わたしはこうした文書を書いて業界内外にひろく問いを立ててみたくなったのである。
 ことのおこりは、たまたま未來社が参加している書物復権の会の本年度復刊書目のなかに内田義彦著『経済学史講義』というかつてのロングセラーがあり、これを復刊するにあたり、より購入してもらいやすくするためにそれ以前の箱入りをやめてカバー装にすることにしたのであるが、そのさいに読者や図書館のためにすでに購入ずみのものとは内容的に(すくなくとも版面的に)いっさい変更がないことを明示するために[新装版]という表示をくわえたところ、ある取次窓口から書名に変更があるからISBNコードを変えてくれ、という要請が出されたのである。[新装版]というのが書名変更にあたるというのである。一般に内容に変更がある場合、改訂版とか増補版、第二版、新版などという名前を元の書名に追加して表示することを「角書き」と呼び、それをふくめたものを書名とみなすというのは常識であるが、新装版はそれにあたらないというのがわたしの見解である。わたしはだいぶ以前に日本図書館協会の専務理事から、出版社が内容に変化がないのに安易にコードを変えることがあるのは、図書館として在庫がある書籍を間違って再購入してしまうことがあるから、こういうことは絶対にやめてくれと言われたことがある。これはたまたまわたしが聞いただけの話だが、その理屈はもっともなことだと思い、たまに新装復刊するような本があってもISBNコードを変えない原則でこれまでやってきた。それこそ外見が違うだけの同一の中身にたいして2種類のコードがあるのはおかしなことだからである。それにたいして文句を言われたこともなかった。
 ところが最近はかならずしもそうではないという話で、商売的にもコードを変えたほうが販路が拡がるために変更するのがあたりまえになっているらしい。図書館が間違って購入したとしても、それは購入者の責任だという笑えない話も聞いた。ちょっとそれは出版社の頽廃じゃないの、とわたしなどは思わざるをえない。こういうことを言うと、むかしこの種の主張をしたときに言われたことがあるように、〈書生さん〉らしい小理屈だということになるかもしれないが、一物二価ならぬ一物二コードということになるんじゃないのか。
 そんなわけでこの取次窓口でもこの問題は日本図書コード管理センターの見解を聞いてくれ、ということを言われたので、さっそくセンターに確認したわけである。その結果は、驚いたことにカバーなどの外装または奥付に[新装版]と表示したらそれは書名の変更であるからISBNコードの変更が必要だという理解であり、外装を変えても表示がどこにもなければ逆にコードを変更してはならない、という見解を聞かされた。それは無原則だし、内容は同じなのに、別コードを振るというのは理念的にもおかしいのではないかと主張したところ、そういう問題にたいして議論するつもりはないときっぱり断わられてしまった。なんであれそういうルールで運用されているので、某取次窓口の判断は「正しい」のだそうだ。ただし罰則規定はないので、このルールをあてはめるかどうかは最終的に出版社の判断だとも言われる始末である。以前にも消費税増税にあたって本の総額表示問題にもそんないきさつがあったことを思い出す。わたしは前述した理念的根拠からこの「ルール」を今回にかんしては採用するつもりはない。
 最近はすべてにおいて流通効率の論理が優先してしまっており、こうした原則的な問題にたいしてもなんら考慮が払われていないような気がする。出版文化のあるべきすがたや読者の立場からものを考えないこうした自己中心的な運用のしかたを業界全体が疑問視しないかぎり、読者離れと出版文化の崩壊はいっそう進むだろう。(2015/4/25)

「みすず」の今福龍太ヘンリー・ソロー論連載をおもしろく読んでいるが、4月号の「書かれない書物」も身につまされるところがあり、興味深い指摘があった。
 ソローの生前刊行された2冊のうちの1冊『コンコード川とメリマック川の1週間』という本は予定の販売期間終了後に製作費用の全額弁済を条件として1000部刊行されたが、ほとんど売れず4年後に706部の在庫をソローは引き取ることになった。そのことを通じて本を出すだけでは見えてこなかった「幸福の断片」をソローは見出す。この奇妙な幸福感とは、今福によれば、「彼自身の私的な自由にたいして物質世界が干渉しないことの幸福感である。商品世界から疎外されることで、彼は彼自身の精神が世俗的な何ものにも束縛されていない、より自由なものであると真に感じられるのだった」というものである。わたしなども売れない本を出しているからよくわかるが、どうもこの解釈はやけっぱちにも聞こえる。これはソローだからこそしゃれになる話であって、世の中にゴマンとある売れない本の書き手がそんな幸福感を味わっているとはとうてい思えない。
 ソローの時代もいまも売れない本はやっぱり1000部程度しか作らない(作れない)というのは残念だが、ほんとうである。この1000部が1500部だろうと2000部だろうと、本なんか読まない金勘定屋なんかになると、どっちにしたところ「誰が買うんですか?」といった程度の差異でしかない。1億3000万だか4000万だかの日本人のうち1000人とか2000人程度の購買者などかぎりなくゼロに見えてしまうのだろう。まあ理想も使命感ももったことのない人間には1000部や2000部の意味を講釈しても馬の耳に念仏だろう。これじゃ馬もかわいそうか。
 ともかく強がりでもいい、こういうひとたちに理解されない「買われないことの自由」を満喫し、そこからもうすこし「買われる自由」に転換したいものである。わたしの『出版とは闘争である』はそういう本のつもりである。(2015/4/22)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを転載したものです。

 きのうは沖縄から知念ウシさんを迎えて普天間基地の県外移設にかんする小さな研究会があり、ウシさんに誘われてオブザーバー参加してきた。直前に会のメンバーでもある高橋哲哉さんからも連絡があり、三人で会場である岩波書店へ出向いた。
 研究会の正式の名前は「思想・良心・信教の自由研究会」というもので教師やキリスト者を中心に10年つづいている会だとあとで知った。話の骨子は、知念ウシさんの『シランフーナー(知らんふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』(未來社、2013年)にあるように、沖縄の過剰負担となっている米軍基地をこれ以上、沖縄に置いておくわけにはいかない、日米安保を多くのヤマトンチュが支持している現状では、ヤマトが責任をもって基地を引き取るべきではないか、その痛みを知るなかで安保の存続を考えるべきではないか、という持論を展開するものであった。わたしには馴染みの説だが、この会のメンバーの多くにとっては初めて聞く話だったらしい。ウシさんの基本的見解は基地はなくすべきものであって移すだけのものではない、というものであって、基地の県外移設が最終目的ではない。ここは誤解のないようにすべき点である。沖縄人としては自分にイヤなものを他人に押しつけることはいけない、という基本的な精神的傾向がある。だからと言って、もともと自分たちが引き受けたものではない米軍基地を、普天間基地が世界一危険な基地だからという理由で同じ沖縄県にたらい回しされる謂われはない、ということである。ヤマトが必要にしているのなら応分に負担すべきじゃないか、というのがウシさんのまっとうな主張である。また、沖縄人は反基地運動のために生まれてきたわけじゃないともウシさんは言う。沖縄に行くとよくわかるが、日常生活のなかで反対運動などのために必要以上に時間とエネルギーを奪われているのが沖縄人なのだ。ヤマトでは考えられないことである。なにしろ事あるたびに県民人口140万のうち10万人の集会が開かれるのだから。東京で言えば、100万人の大集会を想像してみればよい。こうした運動のために日常生活を犠牲にしないですむようにしたい、というのがほんとうの沖縄人の心なのだと思わざるをえない。
 同じ日に翁長沖縄県知事がようやく安倍晋三首相と面談することになったが、翁長知事はウシさん同様に、もともと自分たちが招いたものでない米軍基地の代替地をどうしてまた提供しなければならないのか、という毅然とした批判を用意して安倍に迫ったが、そのあたりのことに安倍はいっさい答えようとせず、普天間基地の危険性を軽減するために、とか人道的な装いのもとにあくまでも「唯一の解決策」としての辺野古移設を押しつけようとするだけ。まったく傍若無人な振舞いだ。昨年11月の県知事選のあと、安倍は自分の思い通りにならない知事とは面会さえ拒否しつづけたのに、訪米をまえに突然の面会をすることにしたのは、言うまでもなく、マスコミ向けの(そしてヤマトンチュ向けの)「対話姿勢」といういまさらながらの擬制的なパフォーマンスにすぎない。
 ウシさんの話を聞いていて、こうした安倍のやり口を(ひそかに)自分のなかに内面化している多くのヤマトンチュの存在こそをどうにかしなければならないとあらためて強く思った。こうした傲慢で強暴な人間を行政のトップに据えているみずからの恥知らずぶりに気がつかないふり(シランフーナー)をしているヤマトンチュをどうするのかが問われているのである。(2015/4/18)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを若干の改稿したものです。

II-5 時ならぬベンサイド

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 ダニエル・ベンサイドの『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と悲惨(19-20世紀)』(Daniel Bensai``d: MARX L'INTEMPESTIF Grandeurs et mise`res d'une aventure critique (XIXe- XXe sie`cles) を佐々木力監訳で読みはじめているところだが、これはおもしろそうだ。さすがにデリダが当代最高のマルクス主義思想家とみなしただけのことはある。1995年刊行の大部の本だが、いまをときめくトマ・ピケティなどのデータ分析一辺倒の無思想家とはモノがちがう。いわゆるトロツキストだが、フランスでは共産党もトロツキズムとは必ずしも相容れなくはない関係を保っているらしい。この本も刊行当時かなり広く読まれたそうで、フランス共産党とも理論的共存関係にあると聞いた。
 ともあれ、まだ最初のところだが、「第一部 聖から俗へ 歴史的理性の批判家マルクス」の「第1章 歴史の新しい記述法【エクリチュール】」のなかで、ベンサイドは歴史的理性を批判的に検討している。ベンサイドによれば、マルクスは「歴史のカオスに秩序を導き入れるような一般史を廃棄」し、ヘーゲル的な「本来的歴史、反省された歴史、哲学的歴史」を再吟味する。ここはベンヤミンの「歴史の概念について」とも同調する視点をベンサイドは採用している。歴史が普遍的になるのは、現実の普遍化〔世界化〕の過程を経てはじめて生成する普遍化として歴史を考えはじめることができるとベンサイドは言うのである。
 ベンサイドによれば、マルクスは『ヘーゲル法哲学批判』への序説のなかでドイツ史の「逆説的な特異性」をつかみ、「革命はフランスでは政治的であるが、ドイツでは哲学的となる」という認識をもつにいたる。これは「経済的、政治的、哲学的な領域のヨーロッパ的規模での不均等発展を表わしている」のであり、この不均等性のもとで、先進は後進になり、後進は先進になるということである。《ドイツの政治的かつ経済的な「後進性」は、ドイツの哲学的「先進性」を規定するのにたいして、英国の経済的「先進性」はその内部に政治的かつ哲学的な「後進性」をはらんでいるのである。》(ベンサイド)だからマルクスは『ヘーゲル法哲学批判』への序説のなかでこう書いたのだ。《われわれは現代の歴史的な同時代人ではないが、その哲学的な同時代人なのである。》
 このヨーロッパ的な「不均等発展」の歴史的現実のなかで、政治経済的先進性と哲学的後進性(イギリス、フランス)とそれを逆転した政治経済的後進性と哲学的先進性(ドイツ)の対比はわかりやすい。ドイツ観念論からヘーゲル、マルクスへのドイツ哲学の先取性が18-19世紀ヨーロッパをリードしながら、どうして政治的経済的にドイツが立ち遅れていたのかを(ややドイツ的な解釈ながら)理解させてくれる。ヘーゲルが同時代のフランス革命をうらやんだ話はよく知られているが、この不均等発展のギャップの転倒性はおもしろい。
 ベンサイドのマルクス論を読むことによって、新しいマルクス解釈が期待できそうな気がする。大澤真幸が言うように、いまこそ読まれるべきなのは『資本論』なのかもしれない。(2015/4/12)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを転載したものです。

 きのうは村山淳彦さんの昨年11月に未來社より刊行された『エドガー・アラン・ポーの復讐』の出版記念会をかねた東洋大学退官のお祝いの会が市ヶ谷アルカディアで開かれた。70歳になった村山さんはこれからは悠々自適とのこと。思えば一橋大学時代から四半世紀以上にわたるおつきあいだったことになる。
 わたしもスピーチを頼まれていたので、村山さんの5冊の翻訳と最後の著書を刊行させてもらったお礼を述べるとともに、村山さんの特徴づけとして3点あげさせてもらった。これは言わずもがなだろうが誰もが知る村山さんの実力は別として、ひとつめは「謙虚」。『エドガー・アラン・ポーの復讐』の「まえがき」の冒頭部分が典型的なので、それを読み上げさせてもらった。つづいて「仕事の早さ」。わたしは催促したことがない。というか、いつもすでに原稿はできていたのだった。ただし、こんどの著書はわたしが「背を押した」ことにされていて、それは最後の村山さんの挨拶で触れられたことだが、わたしが村山さんに翻訳ばかりでなくて著書を出さなければいけない、と言っていたことを指していることがわかった。そう言えば、そんなことを言った気がする。失礼な話だよね。最後は「コンピュータに強いこと」。なにしろ1990年に刊行した最初の訳書レイモンド・タリス『アンチ・ソシュール』の原稿を一太郎のデータ原稿で受け取ったのは、わたしとしても初めてのデータ入稿だったので、印象に強く残っている。その後もわたしの[出版のためのテキスト実践技法]を学習してくれた編集タグ付き原稿データをもらうこともあった。
 いろいろなひとの話を聞いていて、村山さんの面倒見のいいこととともに、けっこう天の邪鬼だったということもわかって、ほほえましかった。当人は思いっきりシャイだと言うが、親しいひとにはけっこう辛辣なところもあったらしい。ともあれ、そういう村山淳彦さんがこれからはやりたいことをやるという身分になられたことは慶賀すべきことなのだろう。また仕事をいっしょにさせてもらう機会があればうれしいのだが。(2015/3/29)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを若干の加筆・改稿したものです。

 きのう(3月23日)は小林康夫さんの東大での最終講義を拝聴した。18号館ホールに立ち見と座り込みも出るほどの観衆を前に、小林さんらしく意表を突く演出効果満点のパフォーマンスのなかにも随所に知を語り、知を演ずる歓びを感じさせる名演であったと言えよう。
 開幕を告げるジョン・コルトレーンのバラッド演奏は一年生のための授業の始めにテーマ音楽として鳴らしたものだったそうだが、それにつづくヴェラスケス「ラス・メニナス」とピカソ「アヴィニョンの娘たち」の画像を背景にフーコー、デリダ、リオタールという3人の師を語り、そこから得たみずからの知的操作を本文なしの膨大な注の作成に終始したものと位置づけてみせたところに小林さんの矜持を見た。「ラス・メニナス」をフーコーが『言葉と物』の冒頭で表象分析した手つきを逆転させてあえてフーコーに異を立てるところもおもしろかったが、なによりも若いときにこうした書物と友人たちとの読書会をつうじて取り組んでいたというところに研鑽の厚みを感じさせるものがあり、みずからの知的貧困を思わされた。
 ちょうど読み終わった大澤真幸との対談『「知の技法」入門』のなかで、中学、高校、大学にかけて河出書房のグリーン版世界文学全集、中央公論社版「日本の文学」全巻を読破し、「世界の名著」でさすがに息切れしたといった、いわゆる濫読というか暴力的な読書体験が小林康夫という感性と知性の構造体をつくっていることをあらためて知るのだが、この厚みこそがゆるぎのない自信をもちきたらせている当のものなのだ。つまりは引き出しが多いということにつきるのだが、小林さんがインプロヴィゼーションの名手であるのはそこに理由があるわけだ。そうしたパフォーマティヴな知のありかたを見せることが小林さんの真骨頂なのであり、当人も十分に自覚するところである。
 知はなによりも行為であるとする小林さんがこの最終講義の後半をなんとみずからもふくむダンス・セッションで締めくくったのは、お見事というしかない。さきの対談本のなかですでにこう語っているではないか。《行為の究極はダンスですよね。ダンスというのは目的のない行為であり喜びのためだけの行為だから......「知」という行為もどこかでダンスみたいなことに繋がっていく。知は踊るんだと思いますね。》(218ページ)
 まったく自己解説もよくできていて、この本の段階で伏線は張られていたのである。しかも最後は「ラス・メニナス」での画家の退場する場面を復元するかのように、みずからダンスの場から室外へ立ち去っていくというオチまでつけて、フーコーの分析を体現してみせたのだから、念には念を入れた演出だったことに恐れ入る。まあ、よくやるよ、といった感慨もわかないではないが、とにかく前代未聞の「最終講義」だった。
 これにはさらにオチがつく。終了後、渋谷のカフェでおこなわれた二次会ではマイクを握って、これまた前代未聞の祝われる者みずからによる記念会の自作自演まで精力的に演じきってみせたのである。じつはこのあとの三次会にまで途中から参加してそこでも疲労をみせることなくしゃべりつづけていたこのヒトはなんというジイサンなのだろう。(2015/3/24)

 どこを向いても暗い話題ばかりがあふれている出版業界であるのはいまに始まったことではないが、書店の廃業が止まらない。かつては地方の老舗書店が世代交替もままならず、古い体質を時代にあわせて更新していくことができずに次々と店をたたんでいったが、最近ではその後に出店したナショナルチェーンの支店もたちゆかず閉店するところが多くなっている。いわゆるスクラップ・アンド・ビルドだが、どうもそれだけではすまない情勢だ。ナショナルチェーンの本家にも火がついたからである。
 すでにいろいろ報道されているように、池袋リブロが近く閉店するらしい。人文書に強い大型書店として池袋リブロは一九八〇年代にはわれわれのような専門書出版社にとってはたいへん強力なサポーターだった。デパートの書籍売り場からリブロとして立ち上げるときには小社の常備を全点買い切りで扱ってくれたことは驚くべきことだった。その後も優れたスタッフを擁して順調だったのはいつごろまでだったのだろうか。
 年々売上げが落ちていくこの業界の現状では、ナショナルチェーンといえどもこれまで通りの業態を維持していくのはむずかしい。最新の情報によれば、雑誌などはピークの一九九〇年代後半に比べて部数で半減、週刊誌にいたっては三分の一にまで減っている。書籍でも三割以上の売上げ減になっている。これでは工夫や品揃え努力によって多少は挽回する可能性はあるとしても、大型店になるとそれもかなりむずかしい。仙台地区の大型書店が軒並み閉店に追い込まれているという情報も衝撃的だ。これには東日本大震災からつづくダメージの累積もあるのだろう。
 まもなく刊行されるはずのわたしの新著『出版とは闘争である』(論創社)のなかに収録した「出版業界が半減期に入るのは時間の問題」というコラムは二〇一二年九月にこの[出版文化再生]ブログに書いたものだが、予想よりも早く現実のほうが到来したことになる。有力書店という受け皿が減少していくなかで出版社もますます苦しくなっていくのは目に見えている。
 こういうなかで、以前にお知らせしたように、この四月から「[新版]日本の民話」シリーズ全七十九巻が毎月十五日、オリジナル版の巻数順に三冊ずつ定期配本される予定である。すでに取次や大型書店、図書館流通センターなどには内容見本とともに販売交渉を進めているところで、感触はとてもいい。なかにはかつて「日本の民話」をおおいに売ってくれた経験をもつ書店人や取次人もいて、こんな不景気の時代だからなおさら期待してくれているそうで、たいへんありがたいことである。かつてはそれぞれの該当地区の老舗書店が「ご当地もの」ということで積極販売してくれた結果、大きな成果を生んでくれたものだが、いまはどれぐらい力を発揮してくれるだろうか。取次の地方担当とも連絡をとって適切な配本と販促を期待している。刊行時期にあわせて当地の地方紙にも広告を出すつもりで、準備を進めているところだ。
 また、今回は小社としても初めての試みであるリフロー型の電子書籍化も進めており、紀伊國屋書店の「KINOPPY」で先行販売的に扱ってもらうほか、アマゾンなどでの販売も検討中である。小社としてはいわゆるフィックス型の電子書籍(版面をPDFによってウェブ上で閲覧できるようにしたもの)では紀伊國屋NetLibraryや丸善eBook Libraryでの販売実績があるが、こうしたリフロー型電子書籍は一般読者を対象にしたものであり、まったく経験がないため、どういう反応があるのか、どういう可能性が開けてくるのか予測がつかない。「[新版]日本の民話」シリーズは内容的にも、挿絵が豊富にある点から言っても、スマートフォン端末などでも十分に読める一般性がある。専門書ではなかなかそうはいかないが、このシリーズにかぎっては期待してもいいのではないかと思っている。
 こうした再刊をすることになったために、すでにフィックス型を納品している紀伊國屋NetLibraryと丸善eBook Libraryには面倒をかけてしまっている。懸案事項であったすでに購入してもらっている大学図書館とどういう対応をするかも検討ずみである。新版もこれまで同様、あらたにフィックス版を納品する予定でいるので、順次入れ替えをお願いしているしだいである。内容はまったく変わらないが、活字も新しく読みやすくなり、価格も下がるので、これまで以上に購入がしやすくなるはずである。
 これにともなってこれまで欠巻が多くてオンデマンド版での購入を余儀なくされていた読者にとっても、「[新版]日本の民話」シリーズは、サイズがA5判ハードカバーから四六判ソフトカバーとハンディになり、活字も古い五号活字から新しい9ポ活字になって読みやすいうえに、価格も二〇〇〇円または二二〇〇円(税別)と手頃になった。刊行月日と価格もすでに決定しているので、読書計画にも取り入れていただけるとさいわいである。全巻予約の場合には未來社ホームページ(http://www.miraisha.co.jp/topics/2015/01/post-117.html)で期限付き予約特価の案内も出しているので、ぜひご覧いただきたい。
 ともかく、以前にも書いたことだが、日本人のこころのふるさととも言うべき民話の豊かな民衆的伝承の世界を、これからの日本を背負っていく若いひとたちを中心にぜひ読んで語りついでいってもらいたい。子ども同士でも簡単に人を殺してしまう昨今の殺伐とした人間関係を脱却し、民話が語りかける豊かな愛と共感の世界の発見へと向かってほしいと願うばかりである。そして本を読むことのすばらしい経験をきっかけに、今後も読書する習慣を身につけてほしい。それが本シリーズ再刊の最大の希望なのかもしれない。(2015/3/1)

 *この文章は「未来」2015年春号に連載「出版文化再生20」としても掲載の予定です。

 きのう(1月24日)の午後から夜にかけては稀代の哲学パフォーマーである小林康夫さんの会につきあって、なかなか充実した時間を過ごした。この会は小林さんの東大退官にあたっての最初のイヴェントとして企画されたもので、小林さんが10年以上にわたって拠点リーダーをつとめてきたUTCP(The University of Tokyo Center of Philosophy)のシンポジウム「新たな普遍性をもとめて――小林康夫との対話」で4部構成、発表者とコメンテーター計14名と小林さんとの対話という形式で午後1時から7時半まで延々とおこなわれた。小林さんがはじめにクギを刺したように、これは学会発表的なものであってはならず、あらかじめ小林さんが設定しておいた質問――(超)実存とは可能か、資本主義の未来、など――への個人の心底からの回答が求められるというもので、多少のバラツキはあるものの、おおむね創意に富んだものであったと言ってよいだろう。
 第一部冒頭で、いまや売れっ子となった国分功一郎は、人間の存在それ自体がもつ本源的な〈傷〉をどう抱えていくのか、というところでルソーの本性的自然人と別のかたちで生きなければならない現代的人間がかかえこまざるをえないfate=運命という観点をもちだし、尖端的医学の知見を応用して「当事者問題」を対他的に開いていくことで〈傷〉の治癒が実現されつつあるという論点を示した。これにはいろいろ異論や疑問も提出されたが、小林さんの実存への再検討という設問へのずらしの効いた回答になっていたように思った。
 また、ブルガリア出身の日本文学者、デンニッツァ・ガブラコヴァさんの「humanitasとantropos」という発表や、それにたいする中国出身の思想研究者、王前さんのコメントに見られたように、西欧近代の人間概念をそろそろ東アジア的視点で読み替えていく(脱構築していく)必要性=必然性が語られた。小林さんが言うように、こうした西欧の周辺地域や非西欧の知識人たちをも抱え込んで活動してきたところにUTCPという組織の独自性があるのだが、今回のシンポジウムはそうした人材の豊富さ、多彩さを開陳するものともなった。
 こういう人材を育ててきたUTCPという場は、今回のシンポジウムを開催することでそうした人材の成長を証明する場にもなったということで小林さんはとても満足していることをわたしにもらしたが、それは本音であったと思う。とにかくUTCPはたしかに有能な人材を輩出していくことで、この停滞する世界にさまざまな知のモデルを提供してきているが、小林さんという強力なコーディネーター抜きで今後もそうした課題を克服していくのは大変だろう。
 最後に小林さんは、いまの哲学雑誌などにほんとうの哲学は存在しないと断言し、これからの哲学は閉塞した現実にたいしていかにして風穴をあけ展望する視点を見出せるかというスタイルとワザが必要なのであると力強く締めくくった。世界にたいして日本から発信する哲学を、と。小林さんもふくめて、これからのひとたちにぜひそうした展開を期待したい。(2015.1.25)
 
 先日、論創社の森下紀夫社長から渡された小泉孝一さんのインタビュー本『鈴木書店の成長と衰退』を読んでみた。10年前に倒産した鈴木書店の生え抜きのひとりとして創業者の鈴木眞一氏を支え、苦楽をともにしてきたこの取次人の発言記録は、わたしにもたいへん興味あるものであり、鈴木書店時代の最後のころと、請われてベイトソンなどの翻訳を出している小専門書出版社の社長を引き受けていた時代にとても親しくつきあわせてもらった者にとって、さまざまな情報をもたらしてくれるものであり、感慨深いものがあった。
 この本には未來社と先代のことも何度か言及されており、西谷能雄が紀伊國屋書店松原社長と鈴木書店とのトラブルに介入した話など、わたしも知らなかった。日販が鈴木書店を買収しようとした話もあり、また、わたしが、当時、岩波書店とともに鈴木書店の経営に参画していたみすず書房の小熊勇次前社長(当時)の意向を受けて、トーハンの金田新社長に鈴木書店の買収を打診しに行った話(西谷能雄となっているのは能英の間違い)のことも出てくるし、鈴木社長のあとをうけた宮川社長との古くからの軋轢のこともいろいろ出てくるし、社内改革に苦慮している話も何度も聞かされた記憶がある。それぞれ腑に落ちる話である。わたしが岩波書店やみすず書房、東京大学出版会などに声をかけて小泉さんを中心に「鈴木書店を励ます会」をつくってしばらく定期的に会合をしたこともあった。結局、小泉さんは退社に追い込まれて、そうした協力関係も生かせなかった。このインタビューを読むと、小泉さんも言うように、鈴木書店がなんとか存続していたら、いまの出版不況にたいしてなんらかの打開する力になっていたかもしれない、というのはすこし未練がましいが、ほんとうである。
 しかし、この本の最後でインタビュアーの小田光雄が書いていることを読んで、愕然とした。なぜなら、このインタビュー(2011年10月)の校正をいちおう終えたあとで、3年ちかく小泉さんと連絡がとれなくなってしまい、「未刊のままで放置するのはしのび難く」刊行に踏み切ったこと、「最悪の場合はこのインタビューが遺書として残された」可能性があると、書かれていたからである。そう言えば、いつも年賀状をやりとりしていたが、このところ途絶えていたな、といまさらながら気づいた。このインタビューに同席したらしい後藤克寬さん(元鈴木書店)がJRC(人文・社会科学書流通センター)を立ち上げるときにはわたしや森下さんらとともに支援の中心になってくれたのが小泉さんだった。いっしょに何度か呑んだが、あの明るく歯切れのいい声をもう聞くことはできないのかもしれないと思うと、なんだかひどく世の中がますますさびしく思えてくる。(2014.12.30)

 未來社版「日本の民話」シリーズ全七五巻・別巻四冊が第1巻『信濃の民話』をもって刊行開始された一九五七年からすでに半世紀以上が経過した。それぞれ何度も増刷してきた看板のシリーズであったが、なにぶん版が古いものが多くなり、活版印刷が事実上消滅してしまったことなどもあって、新たな増刷がむずかしくなっていた。
 一時は未來社版五二巻分を元版として製作されたほるぷ版「日本の民話」全二六巻がたいへんな売行きを示したこともあり、ほかにも何種類か同様の企画もあったりなどしたうえに、未來社版を使って一九七五年にはじまったTBSテレビでのテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」が市原悦子さんと常田富士男さんの名語りで毎週ゴールデンアワーに放映されたこともあって、空前の「民話」ブームを巻き起こしたことはご存じの方も多いだろう。番組の終りにテロップで未來社版の出典が流されたことも他社の羨望の的になっていたこともなつかしく思い出される。その後、各社の同工異曲の民話本が刊行されたりしてしだいにブームも下火になったが、未來社オリジナル版シリーズは定評があり、いまにいたるも要望はたえず、品切れになった巻はやむをえずオンデマンド本作成でもって対応させてもらってきた。
 このオンデマンド本は元版からそのまま製版したものだけにその雰囲気はともかく、お世辞にもいまの読者に馴染みやすいものとは言えず、さらには定価も相対的に高くならざるをえず、本の性格上ひろく読まれるには難があった。それでもオンデマンドという方法は品切れになることがないので、どうしても必要とする読者には応えられるというのが唯一のメリットであった。それにしても、なんとか対応できないかと苦慮していたところへ、思いがけないかたちでチャンスがまわってきたのである。
 二〇一二年の経済産業省が関与した「コンテンツ緊急電子化事業」のさいに本シリーズの東北篇十一冊を電子化したのをきっかけに、オンデマンド印刷会社デジタル・パブリッシング・サービス(DPS)の強力なバックアップを受けて全巻のデジタル化=テキストデータ化を実現できたのである。このデジタル化したデータを使って紀伊國屋NetLibraryおよび丸善eBook Libraryでの大学図書館向けライセンス販売をDPSを介して展開してもらう一方で、今度はこのテキストデータを利用してシリーズ全巻の再刊を実現しようということにした。
 テキストデータはOCR(文字読み取り機)を使ってかなり精度の高いデータができており、これを徹底的に読み直して校正をしながら、わたしのテキスト実践技法をフルに応用して完全入稿原稿を作るという方法で、正確かつスピーディーでローコストの再刊が可能となる。こういったやりかたでやれば、企画から編集段階での著者とのさまざまなやりとりの手間とコストがかかる通常の新刊のおよそ一~二割程度の手間で一冊の新刊ができることになるわけである。読者が手に取りやすい判型と価格での実現を考えている。これには主要取引先の萩原印刷の理解ある協力によってより実現がしやすい環境が整いつつあることも言い添えておかなければならない。
 わたしもさっそく第1巻の『信濃の民話』を手始めに第【11】巻の『沖縄の民話』を手がけているところであり、このシリーズ用にさまざまな編集上の手法やテキスト一括処理用のマクロなどを開発中で、そうした方法を取り込むことによって編集作業がさらに高度化できるのではないかと思っている。もちろん、こうした技法や手法だけではなく、本の内容をしっかりと再現するべく校正と読み込みに気を入れなければならないのは言うまでもない。
 しかし、たいへんうれしいことには、わたしの予想をはるかに超えて、これらの民話がなんとも心温まる話が多く、感動しながら読むことができることであって、読み直しをかねた校正がすこしも負担であることなく楽しいことである。ときに悲しい話や残酷な話があるのはこの種の話では往々あることでいたしかたないが、こうしたこともふくめて、日本人のこころのふるさととも言うべき民話の豊かな民衆的伝承の世界は、いまのぎすぎすした経済主義一辺倒に成り下がった日本人のこころの原点を指し示す非常に有意義な世界を開いてくれる。これからの子どもたちに本が提供するすばらしい世界を知ってもらうことにもつながればたいへん意味のあることだし、本を読む習慣を早くから身につけてくれる機会にもなってほしい。このシリーズの再刊を思いいたった理由である。
 そこで残るのは製作スケジュールと販売方法の検討である。はじめは全七九巻を全巻プレミアム予約というかたちで一挙に全巻再刊してみようと思い立ったが、どうもそこまでの社の体力があるとも思えないので、たとえば毎月三冊ぐらいを定期配本していくような手法を模索中である。これだけ大きな企画は未來社でも経験がないので、どういう方法や可能性があるのか取次や書店の専門家にこれから教えてもらう必要がある。同時に電子書籍化も視野に入れているのでなおさらである。あまり無謀なことは避けなければならないが、すくなくともすでに実績のあるシリーズだけに失敗する危険はないだろうが、今日のような出版不況のなかでなんとかそれなりの成果を挙げたいと思っている。(2014.11.30)

 未來社のPR誌「未来」は1968年以来46年にわたって月刊を維持してきたが、この10月号をもって月刊をいったん終結し、来年1月刊行予定の号から季刊に移行することになった。長いあいだ購読していただいてきた読者および関心をもってきていただいた方々にはこの場を借りて長年のご愛顧へのお礼とお詫びを申し上げたい。
 小社は委託制をやめて注文制を採用するにあたって最終的な顧客である書店および読者への理解と協力をもとめて、それまで不定期刊であり新刊案内的パンフレットにすぎなかった「未来」を、出版社と読者のあいだをつなぐリトル・マガジンとして戦略的PR誌という位置づけから月刊に移行したのである。注文制というどちらかと言えば出版社本位とも受け取られかねない販売方法における書店店頭での露出度の低下を補い、その本を必要とする読者にできるだけ適切な出版情報を届けるために、自社出版物をふくむ出版環境・読書環境のよりよき整備へむけておこがましくもたんなるPR誌を超えた出版情報誌としてスタートを切ったのだった。
 しかしながら当時に比べると未來社の出版点数が大幅に減少していることもあり、新刊点数に比して「未来」にかかる比重が過度に高くなってしまい、肝心の新刊製作が遅れをとるという矛盾したかたちになってしまっているアンバランスを解消するため、現在の力では季刊ぐらいがちょうど現実的だということにいまさらながら気づいたからである。おせっかいにも「未来」を廃刊したらどうかという「忠告」をしてくれるひとも出てくる始末だったが、未來社にとっては「未来」は生命線である。ほかにもいろいろ理由はあるが、とにかくこの季刊化という選択は一見、一歩後退のように思われるかもしれないが、わたしからすればより積極的な意味でのスリム化だと思っている。一号ごとの質と量をより充実させるかたちでの季刊化なら読者にも納得してもらえるだろうと判断したわけである。
 この決定通知を「未来」の9月号と10月号で二度にわたって掲載したため、思ったほどの混乱はなく、残念がってくれるありがたい読者はいるし、季刊化にあたって1号あたり100円から思い切って200円にさせてもらったことにたいしてもクレームはいまのところひとりも出てきていない。購読者減はおこることも想定ずみだが、いまのところ継続してくれるひとも多く、しっかり「季刊未来」と書いてきてくれるひともかなりいて、周知のうえでの購読継続ということがうかがわれる。たいへんありがたいことだと思いつつ、季刊後の内容にたいする期待と責任にたいして気をひきしめているところである。
 この季刊化にあたっては、公開するまえに連載中の著者や有料広告を出してくれている仲間の主要出版社、製作にかかわってくれている取引先にはみずから直接出向き、しかるべき立場のひとへの事情説明と了解をとったことは言うまでもない。この業界にありがちな無用な誤解や無責任なうわさ流しに事前に最小限の対応をしておくためでもあったが、そうしたこともすべて杞憂だったのかもしれず、むしろそうした変化にたいしてあまりにも無反応なのに拍子抜けしているぐらいである。
 そういうおりもおり、東京大学出版会が出しているPR誌「UP」6月号の「学術出版」コラムで責任者のK氏が「UP」500号刊行にちなんで書いていることが心に沁みた。「出版不況が深まっていく状況下で、いくつかのPR誌が休刊したり季刊へ変更になったりするなか、装いもかわらず、よくここまで継続してきたと思う」とK氏はまるで「未来」のことを予測していたかのように書いていたのだが、もちろん前後関係としてそういうことはない。ただこうした言説に表われるような状況が現実的に存在することは疑いない。とはいえ、「未来」の季刊化がもっぱら社内事情によるものであることから、こうした事態が他に及ぶことはいまのところ考えられないし、すでに書いたように、この季刊化は積極的な戦術的一歩後退なのであるから、新しい第一歩だと考えている。(2014/10/22)

「エディターシップ」3号に掲載された井出彰さん(現在、図書新聞社社長)の「『日本読書新聞』と混沌の六〇年代」という講演録がおもしろい。井出さんが「日本読書新聞」の編集長だった話は不覚にも知らなかった。新左翼系の運動家で官憲につけまわされていた話もなかなかリアルだ。わたしも「日本読書新聞」が廃刊になった1984年前半に半年間「詩時評」をいまは東京新聞にいる大日方公男に頼まれて書いていたので、この年の後半に廃刊になったことを記憶している。廃刊の理由がはっきりしないというのもおもしろいが、そのころは井出さんはもういなかったらしい。
 それにしても井出さんも話しているが、メモをとっていないのでいろいろ歴史的に重要な事実がはっきり日付を特定できないために、記憶だけにたよっているという問題がある。合同出版の経営に関与した「木曜会」というのがあったそうで、7社の硬派出版社の社長が毎年交代で社長をつとめた話が出てくるが、そのうちのひとりが西谷能雄だったとの話はわたしは聞いたことがない。井出さんも「たぶん西谷能雄さんの息子の能英さんだって、そういうことは知らないと思うのです」と語っているが、たしかにわたしも知らない話である。この7人とは竹森久次(五月書房)、小宮山量平(理論社)、竹村一(三一書房)と西谷能雄などで、井出さんに言わせると「彼らは共産党員であって」ということになっているが、わたしの知るかぎり父は共産党シンパではあっても党員になったことはなかったはずである。別にどうでもいいけど、井出さんに確認したところ、どうもそのへんは曖昧だったらしく、ひとから聞いた話だそうである。
 同じ号で、みずのわ出版の柳原一徳さんの「世代を繋ぐ仕事」という講演録もなかなかいい。「出版に携わる人間は、直截的な運動によって社会を変えていくのではない。一点一点、丁寧に、まともな本を世に出していくこと」がなによりも大切だというしっかりした視点をもっている。未來社にもかかわりのある宮本常一にかんしても、著作権を悪用する事件があったことにも触れていて、実態がはっきりわかった。宮本の生地と同じ周防大島出身だが、いまは畑仕事をしながらひとり出版社をつづけているそうで、地方出版はほんとうに大変そうだ。
 この号は、井出さんが父のことを話しているからとトランスビューの中嶋廣さんから送ってもらったものだが、なかなかの充実ぶりだ。中嶋さんの「鷲尾賢也と小高賢」は鷲尾さんの追悼文として読ませるものがあり、わたしは接する機会がほとんどなかったが、会って話しておきたかったひとだと思った。この鷲尾さんには二、三年まえにいちど声をかけられたことがある。たしか高麗隆彦さんが古巣の精興社の画廊で装幀本の個展を開いたときだったと思うが、鷲尾さんが編集(インタビュー)した本への[未来の窓]での批判を褒められたことを思い出した。あなたの言うことはほとんどあってますよ、と鷲尾さんは率直に言ってくれたのである。中嶋さんの文章によると、ひとを褒めることはほとんどなかったという鷲尾さんがどういうつもりでそう言ったのか、いまとなってはわからない。本のことが無類に好きで、「生まれ変わってもやりたい仕事だ」という編集者であった鷲尾さんからすると、わたしのような計画性のない、行き当たりばったりの仕事はさぞや編集者の風上にも置けないものなのだろうと痛感する。(2014/10/4)

(この文章は「西谷の本音でトーク」から転載したものです。)
 前回に書いたことのつづきを書く。川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』(未來社)の刊行を記念して那覇で開催されたシンポジウム(7月12日)のさいに、コメンテーターのひとりとして登壇された仲宗根勇さんとその日のうちに新刊企画の話が進み、帰京後すぐ送ってきてくれた論考や時評などを読んで、これはますます今後の琉球(沖縄)の動向にとってこのひとの論点提起はぜひとも必要になるだろうと直感し、できればこの1か月ぐらいで100枚の書き下ろしはお願いできないかということを相談したことまではすでに書いた。書けるかどうかわからないとされながらも、なんと翌月12日の日付が変わる2分前に最終原稿がメールで届いた。そのまえにも途中経過の原稿を二度ほど見せてもらいながら書いてもらいたいテーマの追加挿入や、気になる問題点の指摘をさせてもらって同時に推敲もしてもらいながらの完成で、約束通り1か月で書き下ろし(最終的には120枚超)を実現してくれたことになる。その律儀さもさることながら淀みなく力強い筆致に、ひさびさに書き手の思いの強さを感じさせられた。
 仲宗根勇さんの新著『沖縄差別と闘う――悠久の自立を求めて』は、この書き下ろしを巻頭に、1980年代に書かれ、今日の沖縄の状況にいまでもそのまま通用しうる、先見の明にあふれた前述の論考や時評を後半に配置して、11月16日の沖縄県知事選をまえに、9月中には緊急出版の予定である。自民党安倍強権=狂犬政権によって選挙前に既成事実化をねらって強行されはじめた名護市辺野古沖の世界的天然記念物サンゴ礁を破壊するボーリング工事など、世界的な指弾のなかで暴走をやめないこの軍国主義者は沖縄県知事選に向けてなりふりかまわない暴行をつぎつぎとすすめている。普天間基地の県外移設を公約に県知事再選をはたした仲井眞弘多を公約違反に追い込み、仲井眞では選挙に勝てないと迷走したあげく、候補者難から県連の意向も受けて仲井眞を推薦しているものの、このままではやはり勝てないと踏んでいるらしく、これまでにもまして裏工作や脅しなどによって政権維持に躍起となるだろう。仲宗根さんの本はこうした当面の課題である沖縄県知事選で県内移設を強引に押し進めようとする権力主義的=利権主義的思惑を打ち破るための理論武装にもなる本である。
 仲宗根勇さんは、正当な手続きもなく勝手な解釈で平和憲法をぶち壊そうとする安倍晋三の暴挙を「憲法クーデター」と呼んでおり、ヒトラーがワイマール共和国憲法をなし崩しに解釈して独裁を築いた方法と重ね合わせてみているが、まったくその通りというしかない情勢になっている。仲宗根さんは「あとがき」にこう書いている。
《二〇一四年十一月の沖縄県知事選挙は、沖縄の民意を無視し、海上保安庁、防衛局、警察を総動員し辺野古移設工事に狂奔する安倍内閣、正確にいえば、憲法違反の選挙で選ばれた無資格国会の指名で、「国家権力」を_^僭窃【せんせつ】^_している安倍一派による国家悪に立ち向かう民衆蜂起の性格をもたざるをえない。この選挙は沖縄の未来を決する大きな歴史的意義をもつ。安倍一派の辺野古基地建設強行こそは沖縄差別を明確に示す決定的な蛮行にほかならず、沖縄は、憲法クーデターによって憲法危機を公然化させ戦争国家へひた走る安倍晋三壊憲内閣と対峙して構造差別を断ち、悠久の自立へ向かう歴史的転換点を迎えようとしている。》
 まさにこの11月に行なわれる沖縄県知事選はたんにひとつの県の首長を決める選挙にとどまらず、軍事基地や周辺諸国とのねじれた関係を今後どうするのかという緊急課題をふくめて、日本の今後のありかたにも大きな影響を及ぼすことは必定である。軍国主義にひた走る安倍政権のやりたい放題への審判も問われているのであり、その進退もこの選挙の結果にかかっているといっても言いすぎではない。だからこそ、安倍は必死になってこの選挙を勝つための悪あがきをしているのだ。ヤマトに住んでいる人間の多くはこの選挙のもつ重大な意味を十分に理解していないのではないかとわたしは怖れる。現に、わたしの親しい友人でさえ、わたしの沖縄への肩入れを多く記述したわたしの本などは売れないと断定してくれる始末である。ヤマトの人間の沖縄への関心の鈍さ、というか世界理解への浅さはどうしてこんな程度のままなのだろうかと不信が募るばかりである。沖縄人の気持ちがよくわかるのである。
 さて、仲宗根勇さんは、沖縄の日本「復帰」をめぐって1970年代から80年代なかばにかけて反復帰論者として鋭い批判を展開した論客として広く知られていたが、裁判官(沖縄県から初めて合格し「熱血裁判官」としても知られたらしい)になるという立場からこの30年ほどは沈黙をせざるをえなかったひとである。だから沖縄の若いひとには馴染みのないひともいるだろうが(ヤマトではわたしもふくめて十分に知られていなかったが)、裁判官退官後ふたたびその舌鋒鋭い批判の論理は衰えることなく、むしろこの間の「沈黙」中に蓄積されたエネルギーが大爆発している感がある。今回の書き下ろしなどはその典型だろうが、20代後半から30代にかけて書いた論考をまとめた『沖縄少数派――その思想的遺言』(1981年刊、三一書房)にはすでにその痛快で切れのよい批判力と論理的一貫性が冴え渡っている。たとえば、圧倒的に多くの「復帰」主義者が祖国としての日本「復帰」を過剰に信じこんで、「復帰」後のヤマトの理不尽な経済的侵略、政治的切断などすべて予想を裏切られるかたちで沖縄がたんにヤマトに組み込まれるにすぎなかった事態を招いたまま責任もとらず、県会議員や県庁職員などに横滑りして自分たちだけが「成功者」になり、絶対多数の民衆は生活を破壊され塗炭の苦しみをなめさせられた現状を1980年時点でつぎのように総括している。
《日本復帰というものが、沖縄の民衆の、革新的な最大限綱領のような外貌をとりながら、実は、変革とはおよそ無縁の、いかなるナショナリズムも許容しうる程度の最小限綱領にほかならないことを、大部分の「復帰」主義者たちが、明確に認識しえなかったことに、沖縄社会の今日の事態の、ひとつの悲劇的要因が潜んでいたと言えるかも知れない。そうでなければ、彼ら「復帰」主義者たちは、沖縄社会のあらゆる分野の、あらゆる意味での「復帰犠牲者たち」の鎮魂の「墓標」さえ建て得ぬままに、無神経なまでに厚顔におのれの「栄光」をことほぐことなど、でき得るはずはないからである。》(『沖縄少数派』212ページ)
 仲宗根勇さんの新刊をこの時期に世に送り出せることの幸運をほんとうの幸福に結びつけるためには、沖縄の人間はもとよりヤマトの人間も本書を読んで事態の重大さに目をこらしていただきたいと切に願うのみである。
(2014/8/31)

(この文章はすこし短縮して「未来」2014年10月号に連載「出版文化再生18」としても掲載する予定です)

 報告するのがやや遅きに失した感があるが、逆に、その遅れがその後のさまざまな動きをあわせて報告する機会を作り出したと考えるならば、こうした「間合い」もときには有用であろうか。なにを隠そう、わたしがこれから整理しようとしている事態とは、この七月十二日に那覇でおこなわれた「いま、なぜ、琉球共和社会憲法か」というシンポジウムについてその類い稀なる充実の報告と、その後のさらなる展開のことである。もとよりこのシンポジウムはそのひと月まえに刊行された川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』(未來社刊)の刊行を記念し、そこで問われている沖縄の自立の問題をあらためて問い直そうとするものであった。
 何十年ぶりかの強大な破壊力を想定された台風何号だかをその日の午前中にやり過ごして、ほぼ定刻通りに羽田を飛び立ったわたしは前日に那覇入りをし、シンポジウムの主催者たちといつもの居酒屋で入念な「打合せ」をして、余裕をもって当日の会場(とまりん地下会議場)へとおもむいた。
 ゆったり座れば100人ぐらいは入る会場は思った以上に融通が利き、最終的には150人超の聴衆で埋まるほどの盛況であった。沖縄ではシンポジウムつづきでひとが集まらないのではという不安を吹き飛ばし、有力なひとたちが多くフロアに参集されたこともあって、議論は最初から白熱し、2時から6時までの予定が7時半まで、短い休憩をはさんでゆるみもなくおこなわれた。その内容は全部録音したが、これだけで一冊にしてもいいのではないかと思ったほど充実した内容だったと言っていい。ジュンク堂那覇店の細井店長みずから出張販売に協力してくれたこともたいへんありがたかった。販売結果は39冊とまずまず。終了後、場所を変えてさらに出版祝いと懇親会をかねて11時まで熱いメッセージの交換がおこなわれたことも付言しておきたい。
 さて、仲里効氏の巧みな司会進行によって、シンポジウムはまず元沖縄県知事・大田昌秀氏の開会挨拶「沖縄へのメッセージ」で開始された。それは通り一遍の挨拶に終わらずに、かつて少年兵として沖縄戦に半ズボンのまま狩り出された経験をもつ人間として、また県知事として日米歴代政府首脳と沖縄の米軍基地返還をめぐってさまざまに交渉した経験をふまえて、現在の安倍政権がいかにヤマトと沖縄の人間にウソをつき見えすいた隠蔽工作をしながらみずからの軍国主義への野心をむきだしにしてきているか、ということをさまざまな事実を暴露しながら述べて、琉球社会がいかに日本国憲法から切り離されてきたか、にもかかわらずこの平和憲法をいかに必要としているかを明らかにした。辺野古への基地移設がどれだけ日本の税金を必要としているか、その維持費も現在の70倍になること、建設費用もその時間も日本政府が言っているのは真っ赤なウソであってはるかに時間も費用もかかること、いちど建設されてしまえば200年は基地を返還させることはむずかしいこと、現在の基地の分散状態を集中させることによって米軍の攻撃力を飛躍的に増強できること、などがつぎつぎと明らかにされた。これはマスコミの黙殺もふくめて「本土」ではほとんど知らされていないことであり、この内容はヤマトの人間にも広く知られる必要があると思った。さいわいこの講演はテープ起こしした原稿に手を入れて「未来」9月号に掲載させてもらうことになった。ありがたいことである。
 つづいて沖縄を代表する論客3人による『琉球共和社会憲法の潜勢力』へのコメント的報告がおこなわれた。主として川満信一氏の「琉球共和社会憲法C私(試)案」にたいする賛否こもごもの意見であった。地元の「沖縄タイムス」と「琉球新報」の元論説委員が登壇することによって沖縄新聞界の関心の高さが証明されたわけだが、中央のマスコミ界からは「偏向新聞」と呼ばれていることも明らかにされた。今後の沖縄2紙にたいする安倍政権側からの特定秘密保護法などを利用した圧迫も想定しうるが、ぜひその反骨精神を守り抜いてもらいたい。そして提案にもあったように、川満憲法私案を受けてさらにより現実的な「中間マニフェスト」の草案づくりを急いでもらいたい。
 そうしたなかでもわたしにとって大発見だったのは、すでに仲里効氏からも示唆されていたことだが、川満憲法私案と同時に「新沖縄文学」に掲載された「琉球共和国憲法F私(試)案」の起草者でもあり、一九七二年の「祖国復帰」への痛烈な批判を展開した反復帰論の論客でもあったコメンテーター仲宗根勇氏の批判的舌鋒の鋭さであった。反復帰論の論客としての言説活動のあと、裁判官として長期に及ぶ沈黙を余儀なくされたあと、退官して発言の自由を再獲得した矢先だっただけに、往年の批判精神をひさしぶりに爆発させた感があった。若いひとにはともかく、年配のひとにとって仲宗根勇のその名前の通りの勇名は知れ渡っていたらしく、仲里流に言えば、仲宗根勇が来るというだけでひとを集められるというほどの注目株なのであった。それで会が盛況だったのかどうかはともかく、その発言には慣れない者には最初はどこまで本気なのかと思わされるぐらいの迫力があった。知るひとにとっては仲宗根勇健在なりを知らしめるものであったにちがいない。川満信一氏の飄々とした詩人ならではの洒脱さにくらべると、強固な論理で徹底して押しまくる剛毅のひとという印象であった。
 懇親会の席でさっそく仲宗根勇氏に企画の申し入れをして快諾してもらい、とりあえず1980年代前半の論考がひと束送り届けられたのは東京に戻って2日後であった。さっそく読ませてもらい、その言説のいまだに古びない先見の明と論理性、剛直な論旨にあらためて感心すると同時に、いまの視点でこの30年に及ぶ沈黙の期間の諸問題や、憲法学者としての立場から安倍首相の解釈改憲の危険性、暴力性、非合理性をふくめて、いまの問題を総合的に論じてもらいたいということで、書き下ろしをお願いしている。すでにすごい勢いで書きはじめられていることは、とりあえずの分を送ってもらっているのでわかっている。11月の沖縄県知事選をまえに、沖縄をこれ以上悲惨な状況に追い込まないための理論武装のためにも緊急出版を予定している。おもしろいことに、わたしの「日録」での記事をさっそく見つけてこの企画について問い合わせてきた富山の「生・労働・運動ネット」というグループの運動家が、仲宗根勇さんの書いたものに関心をもっていることを伝えてきたりしている。
 シンポジウムの第二部は、冒頭にわたしの『琉球共和社会憲法の潜勢力』出版のいきさつについてのスピーチが要請され、出版についてのわたしの思いをのべさせてもらったところ、なんと4日後の「沖縄タイムス」紙の「魚眼レンズ」というコラムで写真入りで紹介されてしまった。「出版人として社会に対する批判的視点の強い本を一冊でも多く出したい」という決意を述べたことが紹介された。これもありがたいことである。
 その後は『琉球共和社会憲法の潜勢力』の執筆者4人(大田静男、高良勉、山城博治、丸川哲史の各氏)による報告があり、時間の制約のなかでそれぞれの視点から川満憲法私案の可能性と拡張性について述べられ、興味深い問題の指摘などもあったが、できれば本でそれらの見解にあたってもらいたい。
 今回のようにこれほど稔りの多い沖縄行きはなかったかもしれない。沖縄での熱い議論と熱気を持ち帰ると、ヤマトの、東京のひとたちの覇気のなさ、我れ関せずの沈滞ぶりに愕然とする。ここはあきらめずに、問題意識をもった数少ないひとたちと粘り強く闘争をつづけていくしかないと気合いを入れ直しているところである。(2014/7/31)

(この文章はすこし短縮して「未来」2014年9月号に連載「出版文化再生17」としても掲載します)

〈編集とは何か〉あるいは〈編集者とは誰か〉という問いは、通常の技術論的な位相を超えて存在論的あるいは文化論的な問いとしてとらえなおそうとすると、ひどく独善的な決定論に陥りやすい。編集者自身が自己規定すると、みずからの個人的営為にすぎないものをえてして必要以上に正当化してしまいがちである。そういう編集者を何人も知っているし、自分にもはねかえってこないともかぎらない、ややこしい問題でもある。編集者とはどうあるべきか、などとそもそも大上段に構えること自体、編集者=黒子説という世間的常識からすれば、とんだ思い上がりになりかねない。しかし、そうは言っても、編集者や出版社がいかなるポリシーももたずに、編集や出版の営為にたずさわっているということは考えられない。すくなくとも文化や芸術、学問的な仕事にかかわろうとする編集者はなんらかの規準をもつべきだし、もっているだろう。ただ通常は、こうした作業とのかかわりをことさらに言説化しないだけだ。
 だから編集者の仕事について触れる場合、多くは技術論または出版関連の周辺情報的なものに終始し、その内容が深く論及されることはほとんどない。ところが、そうした編集者の仕事をその存在論的あるいは文化論的な位相にまで踏み込んで論じた本が現われた。哲学・神学研究者である深井智朗『思想としての編集者――現代ドイツ・プロテスタンティズムと出版史』(2011年、新教出版社刊)がそれである。
 深井はこの本で自身の研究領域である神学研究から導かれた知見にもとづいて二十世紀前半ドイツの出版界の動きのなかに類い稀な編集者=出版人のサンプルを何人も見出している。表現主義時代のオイゲン・ディーデリヒス、左翼的運動家でもあったヴィリー・ミュンツェンベルク、廉価なポケット版シリーズを生み出したエルンスト・ローヴォルト、クリスティアン・カイザー社という名門出版社を引き継いだアルベルト・レンプといった、それぞれ個性と見識ある編集者=出版人の仕事を思想史的に位置づけながら、それらがあるべき文化や思想の推進者として重要な役割を果たしてきたことを実証する。深井は、これまでの思想史研究が著者としての思想家のテクストがどのように受けとめられてきたかという側面ばかりに目が向けられていたことに疑問を呈し、とりわけ学問的・宗教的・政治的な著作が世に広められるにあたっては編集者=出版人の理解と戦略が大きく影響したことを主張する。
《近代以後、大学やアカデミーという制度がかつてのような権威を失い、相対化され、そのような制度を超えて、大学の外での学が特別な意味を持つようになり、専門家集団としての大学人や学会員だけにではなく、広く大衆に思想の市場が拡大し、さらに市場が思想の価値を判断するようにさえなり、思想が一部の知的サークルの独占物ではなくなった時、この枠組み(「著者―読者」関係という枠組み――引用者注)は壊れ、両者の間に新たに知のプロモーターとしての編集者が登場したということはできないだろうか。彼らは自明の権威に代わって、マーケットが必要とする思想を供給するために登場した。だからこそ彼らは経営や技術としての印刷という問題を超えて、思想内容ともかかわるようになった。》(17-18頁)
 そして深井は、「著者―読者」関係という枠組みを超えて「著者─編集者─読者」関係という枠組みが登場したというのである。これはドイツのプロテスタンティズムにかかわる個別事例というだけではなく、二十世紀以降の近代的出版のありかたを的確に先読みしたものであったと言える。編集者=黒子である以上に、《編集者はその思想家の最初の読者となり、そして読者との接点を生み出すのであるから、思想のテクストを社会化するという大変重要な位置にいることがわかる。思想は著者によってロゴス化されるが、現代においてはさらに編集者によって社会化されるのである。》(79-80頁)ここから深井は〈思想としての編集者〉という概念を引き出してくる。
 わたしにはいささか面映ゆい命名ではあるが、編集者はみずからの思想をそれとしてではなくとも、その編集した出版物を通じてある種の傾向(=思想)として表現することは事実である。その手がける学術書、啓蒙書、文学書、芸術書等を通じて一貫しているのは、特定の政治的な立場の弁護としての無批判的な出版=編集なき出版ではない、つまり社会や体制に迎合するのではなく、これらに根本的な疑義を呈する書物の出版を心がけることである。社会や学問はつねに現状を乗りこえて発展していこうとする。そうした可能性に向かおうとする著者を支援すること、体制になんら新たな発見をもたらさない書物には見向きもしないこと、そういう意味で編集とは批判なのだ。
 深井のつぎのようなことばはその意味で重要であり、とりわけ現代的な意味で示唆に富んでいる。
《社会の主流に反して書物を出し、思想を問うという場合には、その時代の社会の動向を十分に知りつつも、それにあえて反する書物を出すということであるから、そこに出版社の神学や政治的態度が自覚的に現われ出ることになる。その場合にはまさにその思想は社会の木鐸となり、問いとなり、新しい時代の言葉となる。苦しい経営状況の中で破綻がやってきたとしても、時代に対してひとつの使命を果たしたという解釈が可能となる。/しかしその破綻の原因が、出版社がその時代の政治的動向を十分に理解せずに、時代とずれてしまった自らの立場を、ドグマのように奉じ、その路線を無自覚に踏襲しただけだったとすれば、それは出版社の怠慢、そして逆説的なことであるが出版社の保守化が起こったということである。思想はラディカル、リベラルでも、出版社、編集者の態度が保守的、権威的、伝統主義的なのである。》(160-161ページ)
 肝に銘ずるべきことばである。(2014/7/7)

(この文章は「未来」2014年8月号に連載「出版文化再生16」としても掲載の予定です)

 丸山眞男さんと未來社の関係は、小社創立以前に遡る。創立者の西谷能雄が弘文堂編集者時代から丸山さんとつきあいがあり、いろいろな事情(世に言う「夕鶴事件」など)があって独立するときに、丸山さんと本を一冊出すという約束があったようである。当時、新進気鋭の著者だった丸山さんの本を出したい何社かと同時にいくつもの企画が進行していたようで、内容も入れ替わったりしたらしい。
 ともかく未來社からはジャーナリスティックな政治学論集を出そうということで、「世界」一九四六年五月号に発表され、世間を震撼させた「超国家主義の論理と心理」をどういうわけか巻頭にいただいた『現代政治の思想と行動』が上下本二分冊で一九五六年とその翌年に刊行されるにいたって、この本は戦後日本を代表する名著の一冊になった。さらに一九六四年に大幅に増補された「増補版」が刊行されるにおよんで、日本の政治学はもちろんのこと、日本思想にかかわる者にとっては避けて通れない一冊になった。
 まだ創業まもない未來社のような小出版社(いまでもそうだが)にこの企画をさらわれた実力ある出版社が編集会議で責任問題をめぐって大もめにもめたという話を聞いたことがある。それほどにインパクトのあった本なのである。
 丸山さんは文庫ぎらいで有名であり、また容易に本を出さないことでも知られていた。『現代政治の思想と行動』の増補版を出すときにも、ゲラに赤字を真っ赤になるほど入れて五校ぐらいまでいったあげく、元に戻ってしまったというエピソードも聞いたことがある。そのゲラは額に入れて、なにかの催しのさいに展示したこともあるが、それほどにも校正に厳格な方だった。いまでもゲラに相当な赤字を入れるひとをみると、まるで丸山眞男みたいな大学者だなと冷やかすことがある。とにかくこうしたスケールの著者はいなくなったというのが偽らざる実感である。(2014/6/20)

*この文章は書店での丸山眞男共同フェアのためのチラシ用に書いたものです。

 東京新聞の広告ページのなかに「本の現場から」という150字分のコラムがあり、編集上の裏話がほしいとのことなので、以下の短文を寄せた。掲載は6月27日号らしいが、短かすぎて説明不十分のところがあるかもしれないので注を補足しておきたい。取り扱った本は前項でも取り上げた川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』である。
《この本は編者二人と那覇の居酒屋(*)で歓談中に企画されたもので、33年前の共和社会憲法私案(**)発案者川満さん独特の「いまさら、あんなもん」という照れで宙に浮いていたが、昨年末にふたたび点火された(***)。書き下ろし原稿を11本緊急に集めて安倍首相の憲法改悪(解釈改憲)にぶつけるべく強力な絶対平和主義論が実現した。》

(*)那覇の居酒屋とは「抱瓶」のことで、わたしの日誌によれば2010年6月6日の夜のことであった。
(**)「新沖縄文学」1981年6月号に発表された「琉球共和社会憲法C私(試)案」のこと。『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』に収録。
(***)2013年12月21日の東京外国語大学での「ラウンドテーブル 自発的隷従を撃つ」で招待された編者二人と二次会で盛り上がった話はこのコラムの「80」で書いた通り。(2014/6/20)

 すでにこの[出版文化再生]ブログの「80 絶対平和主義の社会構想――『琉球共和社会憲法私案』をいま問い直す必要」で書いたように、昨年末の東京外国語大学でのイベントのさいに、ゲストとして招かれていた沖縄の批評家仲里効さん、詩人の川満信一さんと会い、以前からあたためていた企画をあらためて世に問おうということになって、年明けから企画書をつくり、執筆者に呼びかけてこの六月に刊行の運びになったのが『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』である。
 スタートが予定よりすこし遅れてしまい、予定していた執筆者の何人かが書けないという事態になってしまったが、それでも十二名の協力を得て三〇〇ページ超の質量ともに十分な書物となってこのほど結実した。執筆者の何人かが予定の枚数を超えた力作を書いてきてくれたからでもあったが、最初の構想どおりに実現していたら、いまの倍になったかもしれない。それはそれで壮観だったろうが、この本が現在の琉球人にとって自分たちの将来を考えていくうえでの自己決定を迫る問題提起の書としてひろく読まれるためには、今回の分量ぐらいがちょうどよかったのかもしれないと思う。
 編者の川満信一・仲里効ご両人の判断もあって、琉球側から(編者もふくめて)七名、ヤマト側から四名、そして海外(中国)から一名の執筆陣はバランスがとれているのではないか。当然ながらほかにしかるべき執筆者はまだまだいることは間違いないし、そのことは十分認識しているつもりだが、今回はいま現に強行されようとしている日本国憲法第九条を骨抜きにしようとする強権政治の策動にたいする強烈なアンチとして、すでに一九八一年時点で提出されていた川満信一さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」という絶対平和主義を志向する社会構想を、この二〇一四年という時点であらためてその思想的・政治的射程を探るテーマの必然性と緊急性においてともあれ刊行する必要があった。見るひとによっては不十分だったり偏向があるかもしれないが、これを企画・編集したわたしとしてはこうした出版行為はいま出版にかかわる者として現時点で避けて通ることは許されないものに思われたのである。いま手元に本文の一部抜きがあるが、なんとも言えない達成感がある。
 しかし、それと同時に、琉球の出自をもつわけでもなくそこに在住しているわけでもないヤマト(日本)の人間として、琉球独立をも辞さない、琉球人の自己決定権の確立を促すような挑発的すぎるかもしれない本を積極的に編集・発行する出版行為とはどういうものかとあらためて考えざるをえない。琉球にとって良かれと思って出版することがほんとうに琉球人のためになっているのか、当事者ではない自分がどうしてそれを判断することができるのか、という問いである。ある琉球人によれば、未來社の琉球関連の出版は、ヤマト資本の琉球への侵略行為だと言われたことがある。たしかに出版業も資本主義社会のなかでのひとつの企業行為である以上、そうした側面があることは否定できないけれども、未來社ごときの小企業があたかも大資本の侵略行為のように解釈されることがあるとは想定もできなかっただけに、そしてそういうふうに解釈されたことは経験したことがなかっただけに、驚きを隠せなかった。ヤマトの出版社が琉球関連本を出版し、琉球人に広く読まれることが琉球人への加担のつもりでも、その商行為の内実において琉球への資本投下と(不十分ながらも)回収という論理を避けることはできない。ヤマト内部ではこんなことは考える必要もないのに、どうしてこう忸怩たる思いにとらわれるのだろう。
 それはともかく、本書には企画の原点となった川満信一「琉球共和社会憲法C私(試)案」を巻頭に掲げ、さらにこの私案をめぐって当時からの琉球人の精神的支柱とも言うべき存在である平恒次(タイラ・コージ)氏と川満信一さんの一九八五年の対談「近代国家終えんへの道標」もあわせて掲載してある。これは川満憲法私案の意味と価値を当時の時点で解説し、「琉球人の趣味、思想、理想等の基礎的な共通性」としての「琉球教」の確立の必要性を明らかにしたものであり、いまとなっては貴重な記録である。さらに本書には現時点での琉球の実情を踏まえ、川満憲法私案を補足しあるいは補訂し(高良勉)、さらには「響和」(今福龍太)して来たるべき琉球理想社会、戦争も基地もない絶対平和主義を志向する豊かな社会の設立を願う新たな憲法私案の二種類の提案もなされている。川満憲法私案をふくめてこれらはいずれも、川満私案の第一条「われわれ琉球共和社会人民は、歴史的反省と悲願のうえにたって、人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する。......」ものであり、第二条「......軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつくらない。......」し、第三条「いかなる理由によっても人間を殺傷してはならない。......」といった徹底した平和主義をもとに、豊かな共和社会(響和社会)の設立を願うものである。
 さて、この本の帰趨がいかなるものになるのかは、すでに書いた事情によっておおいに関心のあるところである。琉球ではもちろんのことこの本が広く話題になり、日本の社会を今後どう編成したらいいのか、問題提起としての役割を果たすことができれば、琉球社会のみならずヤマト(日本)社会の沖縄依存体質、アメリカ寄り一辺倒の国家構造にも大きな変革のきっかけとなるはずである。
 そうした意味でも、この七月十二日に那覇でさっそくこの本をめぐって編者や執筆者が中心になってシンポジウムが開催されることになった。委細はこれから未來社ホームページなどで見ていただきたいが、どんな議論が展開されていくのか、ぜひ自分の目で確かめてみたいと思う。(2014/6/6)

(この文章は「未来」2014年7月号に連載「出版文化再生15」としても掲載の予定です)


「新文化」3029号(5月1日号)によると、ことしの3月期は書籍の新刊発行点数は7574点(単行本は5389点)で対前年同月比112. 4%(単行本は118. 1%)。しかしながら売上げのほうは書籍・雑誌合計で1945億4000万で対前年比94. 4%。このうち書籍は学習参考書やコミックスのまとめ買いなど消費税増税前の駆け込み需要があったとされるにもかかわらず対前年比で95. 5%、雑誌にいたっては93. 2%(月刊誌94. 3%、週刊誌88. 8%)とさらに低調である。ちなみに書籍の販売部数は8956万冊で対前年比99. 1%。1月からの対前年同期比では97. 2%である。
 これはどういうことかと言うと、単行本書籍にかぎって言えば、新刊はふえているにもかかわらず発行部数は1575万冊で対前年同月比100. 7%、一点あたりの発行部数は85. 3%にとどまっている。文庫・新書等の全書籍でみても86. 7%となっており、総じて一点あたりの初版部数を下げて点数をより多く発行する傾向がいちだんと強まったということだろう。通常の年でも3月は年度末ということもあり、発行点数が相当ふえるのであるから、ことしの12%以上の急増は消費税導入前の駆け込み製作といった事情もあるだろう。印刷所の話では4月になってからの入稿がかなり減ってきているらしいので、前倒し製作の現実は否定できない。しかしながら、実際はそうした出版界の思惑とは裏腹に読者は消費税増税前に本を買おうとはしなかったということである。つまり、ひとつには本を買う以前に、インフラやクルマなど高額商品購入による差額の利益を優先したということであり、本などは二の次だったということになる。
 ところで一点あたり発行部数の減少はある意味では適正化の方向へ進んでいることも示していると同時に、水増し企画のツケとしての一点あたり売行き部数減という結果でもあるのではないか。
 こう考えてくるとネガティヴにならざるをえない昨今の出版界だが、そう暗い面ばかりでもない。つまりは信じられる著者がすくなからず存在することがその最大の可能性をもちつづけていることである。たしかにコアになる読者数が相当数減少していることは否めず、そのことによってせっかくの好著も期待された読者数(販売数)を得られず、著者にも編集者(出版社)にも相応の還元が得られにくくなっているのは事実だが、だからといって利益重視のこれまでの路線から一歩引き下がって考え直していくならば、出版にはまだまだ無尽蔵の可能性が残されていることは否定できないからである。問題はどうやって出版社としての企業運営を成り立たせるだけの方向性をこれからも見出せるかということにかかっているということだ。
 世界はますます混迷を深めている。人智を尽くしてこの世界を改善し、平和を実現していくために戦うべき相手、批判すべき対象には事欠かない。この世界を制覇し独善を押しつけようとする勢力がいて、それに批判的に立ち向かおうとする人間がいるかぎり、そしてこういう世界のなかでもみずからの存在、生き方を不断に問う人間がことばを発しようとするかぎり、出版という営為によってそうしたポジティヴな声を実現する活動をつづけることには意味があるし、出版を通じて文化の再生をたえずめざしていくことはことばにかかわる人間としての最小限の矜持でもあるからだ。(2014/5/3)

 現在の安倍強権政治の破壊的政治運営が日本国民を破滅の道へ連れ込もうとしていることはこれまでにも何度も言及してきたが、そうした全般的なテロル政治が科学技術や学問のありかたにまで及んできている危機的状況をあらためて教えてくれる本が刊行された。この3月に作品社から刊行された佐々木力『東京大学学問論――《学道の劣化》』がそれである。
 国立大学の独立行政法人化が実施されたのは自民党小泉純一郎政権下の2004年だった。当時、国立大学教員を除いては、この独法化がほんとうは何をねらっていたのか、一般国民はおろか、直接的な利害関係の薄い私立大学教員などにおいてさえも、関心が薄かった記憶がある。国立大学教官の特権的身分の危機というふうに一般に受け止められていたフシがあって、国民的危機意識は低かった。わたし自身にも心当たりがあるのでえらそうなことは言えないが、しかしすでにこのあたりから日本の学問を担うべき大学が国家の一元管理のもとに、学問の自由と自治が奪われ始めていたのである。学問の自由が支配的な経済論理、政治論理によって底を割られ、国家の政策に従属しないか、経済的効率性にあわない科学や学問は廃棄、解体の方向に追い込まれてきたのである。いわば国策としての学問管理のもとに、それに批判的だったり反対する者は容赦なく権利を剥奪する、つまりパージされて社会的に葬られ、国策に迎合する御用学者ばかりが大学の中枢を担うという構図があらわになってきたようである。邪魔者はセクシュアル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、パワー・ハラスメントといった、いきすぎた内部告発(もどき)によって大学や学界からパージしようとする風潮がいまや大学を席捲しているらしい。
 こうした大学と学問の置かれた危機的状況にともなって学問の劣化がとめどなく始まったことは学術出版をめざすわれわれにとってももはや拱手傍観しているわけにはいかない、ゆゆしき事態であると言わざるをえない。このままでは日本の大学の国際評価レヴェルの低下どころか、学問や科学の崩壊、優秀な頭脳の国外流出など歯止めがかからなくなってしまうだろう。最近のSTAP細胞の発見者と言われる小保方晴子さんの例などもそのひとつではないかと思われるが、そのことはさておき、東大教養学部科学史・科学哲学科の中枢を担ってきた佐々木力の場合は、こうしたいまの流れのひとつの典型ではないかと思う。
 この本は「あとがき」を書いている折原浩さんの挨拶文付きで贈られてきたもので(著者の了解も得てあると書かれている)、著者跋文のほかに第三者である折原さんの「あとがき」が12ページにわたって書かれている異例の本であり、書名の大仰さといい、みずからのセクハラ問題を論の中心のひとつに掲げている構成といい、いささかたじろがされる内容のものであったことは事実である。仄聞していた佐々木力のセクハラ問題を当人がどう釈明するのかといった下世話な関心もないわけではなかったが、どうも問題はそんなレヴェルにあるのではないらしいことが本書を読み進めていくなかでわかってきたからである。
 ことのおこりは2004年に佐々木力が大学院で指導にあたっていた台湾出身留学生の女子院生のセクハラ告発から始まったらしく、それを受けた当該研究室主任や研究科同僚、さらには東大教養学部、本郷の法学部の調査委員会といった学内の査問機関でのやりとりがいろいろあって、結局、停職処分、学部講義中止処分、大学院生の指導権の剥奪といった一連の重罪処分がなされ、のちに全面復権することになるのだが、それも形式的な復権にすぎないといったじつに隠微な「事件」である。ことの子細はわからないのでこれ以上言及する権利はないが、なんとも醜悪な権力的陰謀であると思わざるをえない。わたしも知っているひとが何人も関与しているらしいので、複雑な気持ちである。
 だが、問題はもっともっと複雑である。ことのおこりが独法化の始まる2004年だった、ということにあらためて注目しなければならない。佐々木によれば、独法化への移行が日程にのぼることになった2000年の夏に当時の教養学部長であったA教授(物理学専攻)が偶然遭遇した佐々木に言ったせりふがある。A教授は佐々木にこう言ったそうだ。「君はただでおかない。大学が独立行政法人になったら、上部の管理者権限が強化するので、覚悟しておくように」と(本書200ページ)。これが事実だとすれば、東大の原子力開発協力に批判的だった佐々木力を意図的にパージしようとしていた強大な学内勢力が存在していたということになる。
 これが佐々木の被害妄想でないと考えられるのは、東大工学部原子力工学科(1960年設立)がどれほど日本の原子力開発に国策的に協力し、原子力産業界への人材供給源となり、一枚岩的に批判者、反対者をパージしてきたかの事実を知ればすぐにわかることである。わたしも知っている安斎育郎さん(放射線防護学専攻)はその第一期生であり、在学中から異分子扱いされ、東京電力の社員スパイがいつも安斎さんの動向をすぐ横でチェックしていたほどであるのは有名だが、1975年の設立15周年パーティのときに、当時の教授が挨拶で「安斎育郎を輩出したことだけは汚点」とわざわざ言ったという話が本書で紹介されている(225ページ)。福島第一原発事故のときの原子力委員会委員長の斑目春樹は元東大教授、「3・11」直後にテレビで「原発は安全」をしつこく繰り返したが、途中でばったり出てこなくなって名前さえ忘れてしまうほどだった関村直人といった現役教授は、東電から毎年数億円の寄付を受けていたこともすでに明らかになっている現在、こうした「御用学者」たち利権勢力につらなる東大教授が数多くいるとしてもなんの不思議もない。わたしのつきあっている東大の著者たちの多くは人文系なので、こうした利権につながることはそんなにないはずだが、理系となるとこうした産学協同(大学闘争時代の打倒対象だったなつかしい標語だ)にどっぷりはまりこんだ影の世界があるのだろう。
 佐々木力は、みずから公言しているように、トロツキストであり、それでなくとも官僚や大学執行部から目をつけられやすいところへ、こうした国策科学への全面的批判者でもあったから、セクハラ疑惑にかこつけたレッドパージだった可能性はきわめて高い。大学を独立行政法人化するということはこうした異端分子を大学から排除するための方策だったことを考えると、こうしたことがますます進行している現在は、学問は「御用学者」のみの領域に成り下がっていく危険は増す一方なのかもしれない。このことを佐々木はつぎのように整理している。
《国立大学の法人化は、郵政事業の民営化とともに、新自由主義的私有化のきわめて重要な構成要素であった。現実の法人化施行の二〇〇四年度以降、大学当局=執行部の権限がきわめて大きくなり、教員の任期付雇用、解雇、処分などは、ドラスティックに非民主化されるようになった。研究者は、ごく一般的に言って、御用学者化されるにようになった。懲戒処分は、かなり恣意的に政治的になされるようになり、国立大学時代には保障されていた国家公務員としての権利は縮小され、処分に不服な者は、一回の審理だけで即刻解雇が可能となった。すなわち、不服申し立ては不可能になった。》(91ページ)
 この国はいま、おそるべき頽廃にむかって崩壊していこうとしている。佐々木力のセクハラ問題と同様な権力による国策批判者への恫喝と「事件」のでっち上げは本書でもいくつか紹介されているが、どれも同じ構造をもっている。「特定秘密保護法」などにいたるまで、さまざまな排除のしくみができあがりつつあるのだ。誰もがこうした監視と排除の目にさらされている。国民はこうした国家権力とそれに癒着する勢力のテロに最大限の警戒をしなければならないのである。(2014/4/20)

(この文章は短縮して「未来」2014年6月号に連載「出版文化再生14」として掲載しました)


 すでにこのブログの「77 追悼・木前利秋」で触れたことであるが、昨年十二月四日に亡くなった木前利秋さん(大阪大学人間科学研究科教授)の遺稿である『理性の行方 ハーバーマスの批判理論』を、未亡人である木前恵さんの了解を得て刊行させてもらうことになった。ようやく編集作業の最終工程に入ったところで、木前利秋さんの仕事ぶりについてあらためて思うところがあったので、今回は研究者の仕事と出版はどうあるべきかについて書いておきたい。
 この本の刊行のいきさつにかんしては、巻頭に「刊行にあたって」としてつぎのような一文を掲載する予定である。
《本書は二〇一三年十二月四日に亡くなった木前利秋氏の生前のユルゲン・ハーバーマスに関する論考を整理し、まとめたものである。
 木前利秋氏はハーバーマス論をまとめることを前提に、小社PR誌「未来」において二〇〇八年十月号から二〇一〇年一月号まで、二〇一〇年十一月号と十二月号、二〇一二年九月号から十一月号まで、合計二十一回の連載をおこなった。最初の十六回分は本書の第一章から第三章、次の二回分は第四章、最後の三回分は第五章に該当する。連載終了後、掲載原稿の全ファイルをまとめて木前氏に校正用に送っておいたが、なかなか進まず、その間に木前氏は体調を崩され不帰のひととなってしまった。
「未来」の連載原稿はそのつど厳密な校正をほどこしたもので、そのままにしてしまうのはあまりにも惜しい内容であり、これだけでも十分に立派なハーバーマス論としてまとめられるものだと思われたので、夫人の木前恵氏の了解のもと、生前の木前氏と関係の深かった上村忠男、岩崎稔両氏の査読を経たうえで刊行されることになった。ほかにハーバーマス関連の文章が四本ほど見つかったので、付論として収録することにした。
 そして原稿の読み直しと表記の統一その他のチェックを進めていたところ、恵氏から木前氏の使っていたパソコンのなかに元原稿に手を入れたらしいファイルがいくつも見つかったとの連絡が入った。さっそくファイルを送ってもらい照合してみると、相当な修正をくわえたものだということがわかった。とりわけ連載の前半は大幅に書き直そうとしていたことが明らかになった。亡くなる年の二〇一三年の夏頃まで、体調不良のあいまをぬって手を加える作業を繰り返していたことがファイルの最終修正日で確認できた。つまりほんとうに仕事ができなくなってしまった直前までこのハーバーマス論に手を入れていたことがわかるのである。亡くなる前まで夫人にこの仕事を仕上げたいという希望を述べていたということも伝えられている。まさに渾身の一冊として最後まで全力を投入されていたことになる。
 こうしたなかで原稿の徹底的な見直しと改稿ファイルにもとづいて修正をおこなったのが本書である。そのさい、藤原保信・三島憲一・木前利秋編著『ハーバーマスと現代』(新評論、一九八七年)に掲載された「理性の行方」という論文が徹底的な改稿をほどこされて本書のはじめに置く構想をもっていたことが確認できたので、これを急遽「序章 近代の行く末」(タイトルは改稿ファイル通り)として収録することにした。
 木前氏の最終的な構想が本書の通りになったかどうかは、いまとなっては不明のところがある。章ごとの改稿ファイルにはところどころ構想途上のメモらしきものもあり、本書第一章第三節、第二章「むすびにかえて」、第三章第三節後半以降は改稿ファイルにはなぜか存在しない。改稿途上であったのか、削除予定だったのかはにわかには判断できないが、内容からみて連載時のデータをそのまま掲載することにした。第四章は修正もすくなく、第五章にいたっては改稿ファイル自体が存在しない。おそらく連載の最後のほうはほとんどできあがっていた本の構想にあわせて執筆されたからではないかと推測しうる。それに比べるとまだ構想が十分に練れていなかった時点で執筆された前半は徹底的に改稿されており、それだけ意図が明確になっていると思われる。
 木前氏が存命していればより充実したものになったであろうが、いまはこれをもってよしとしなければならない。せめてもの供養になればさいわいである。》
 ここに刊行のいきさつの細部にわたって基本的なことはすべて触れており、また最初に言及したこのブログの「77 追悼・木前利秋」で亡くなったときの事情も書いているので(この追悼文は亡くなった三日後に書いたもので、本の付録にも収録した)、ここではいくつか必要な補足だけしておきたい。
 まず木前利秋さんが原稿を書くことにきわめて慎重で準備がととのわなければなかなか着手しない書き手であったことはかなり知られていたらしく、教え子の亀山俊朗さんの話では、木前さんが「未来」に毎月連載をしていたことなどはまったくの奇跡と周辺では受けとめられていたそうである。いわゆる「遅筆」のひとなのである。たしかに毎回ぎりぎりのところでの執筆と校正のやりとりがつづき、たいへんであったことは否定できない。西谷方式のテキスト処理と仮ゲラ校正の方法でなければ、おそらく間に合わないことがつづいたことだろう。しかしそうでもしなければ、当人もここまでの原稿をこれほど早く書けなかったのではないかと思う。
 最初の十六回の連載はいちども欠稿することなく完了したが、そのあと二章か三章分を書き下ろす予定だったのがいっこうに進行しないため、短期連載を二回(二章分)してもらったことでなんとか完成したつもりであった。「刊行にあたって」に書いたように、これらの全データを木前さんに送って、あとは校正を待つのみというはずだったのである。ところが、木前さんは古い論文に全面的に手をくわえた「近代の行く末」という序論に該当するものを用意していたのであり、「未来」連載分にかんしても元原稿に徹底的な改稿を用意していたのである。とくに最初の十六回の連載分は、こちらの都合でかなり急な依頼で始められたせいもあって、相当な修正が入っていることが判明した。連載が始まる二〇〇八年に刊行された『メタ構想力――ヴィーコ・マルクス・アーレント』という生前唯一の単著となった本を刊行したさいにもゲラに相当な赤字が入ったことからみても、木前さんはおそらく最後の最後までよりよいものにするための修正をくわえる執念のひとでもあった。
 わたしの知っている範囲で元の原稿にこれだけ手を入れる著者はきわめて少ない。原稿を書いたときの気合と感覚を大事にして元稿にほとんど手をくわえない文学系のひとが多いが、木前さんほど入念な推敲をするひとは稀である。まことに木前さんは研究者の鑑であった。おそらくこれまで書いてきたものの質と量からすれば、生前に何冊も単行著書を刊行していて当然の木前さんがようやく二冊目を出そうとしていたことがそうした慎重さの結果であったことを思えば、そうした木前さんをもっと励ましていかなければならなかったといまさらながら残念でならないのである。こうした貴重な著者の仕事を掘り起こし世に出していくのは、出版文化を標榜するわれわれ専門書出版社にとって最大の責任なのである。(2014/4/7)

(この文章はすこし短縮して「未来」2014年5月号に連載「出版文化再生13」としても掲載の予定です)

 一九九二年にわたしが編集したカール・シュミットの『独裁』の訳者解説として書かれた田中浩さんの文章がある。
《独裁の問題は、こんにちでは、とかく社会主義国家にのみ特有の問題として考察の対象とされている。事実、この問題は今後二一世紀にかけて現存社会主義国家自体が解決していくべき重要問題であると思われるが、同時に、独裁の問題は自由社会を標榜する資本主義国家にとってももはや解決ずみの問題となっているわけではない。》
《そればかりか、「政治の世界」においては、国内政治・国際政治を問わず、たえず「例外状態」が発生し、政府はしばしば独断的行動と決断を迫られることがありうるであろう。このさい重要なことは、そうした行動や決断がどの程度、国民的合意や支持を得ているか、ということである。したがって、独裁の問題は、その国における民主主義の成熟度をはかる試金石とも言える。(中略)「独裁」という問題が、政治的危機状態を口実にたえず登場してくるものであるとすれば、そうした独裁が専制に転化する状況を食い止め、あるいはそれに歯止めをかけ、さらには、独裁的措置を早急に正常な政治状態に復帰させるためには、国民の側としては、「言論・思想の自由」や「政治参加の自由」などの諸権限を強化することに努め、そうした「独裁」の危険性に対抗していかなければなるまい。》
《現代のようなめまぐるしく変化する国際的政治・経済情勢においては、「例外状態」=独裁にかんする問題は、「一国民主主義」や「一国の法律」の枠内だけではとうていおさまりきれない問題を含んでくる。これをいま「独裁の国際化」と名づけるならば、この問題をめぐる国際的独裁の問題は、「緊急事態」と「決断の必要」という名目の下に国際社会における「平和の破壊」と「戦争の危険」にまで結びついている》。
 最初から長々と引用したが、いま、これをふくんだ『田中浩集第三巻 カール・シュミット』の編集にかかわっていて、これらの文章と再会し、二十年以上前に書かれた文章が現今の日本および日本を取り巻く東アジアそして世界の政治情勢にたいしてあまりにもぴったりくることにあらためて驚かざるをえない。ソ連邦の解体にはじまり、イラク、アフガン、パレスチナとつづく紛争の日常化、そして竹島、尖閣諸島をめぐる日中韓のあいだの領土争い、さらにはこのたびのウクライナ危機......。
 第二次安倍政権が企図していることはすべて現在の状況を「例外状態」とみなすように危機意識をあおり立て、「言論・思想の自由」を封殺し(特定秘密保護法案による脅し)、みずから演出した東アジア領土問題の対外的葛藤をもとに平和憲法を解体させて軍事化への道を一気に走り出そうとしているだけに、この田中さんの文章にはリアリティがある。ことあるごとに自分を「最高責任者」として押し出していこうとする安倍の強引な政治姿勢は独裁者の強権的権力志向がむきだしと言わざるをえない。
 ヒトラーの政権奪取にひと役買ったカール・シュミットは、公法学者としてヴァイマール憲法の弱点をことさらに衝いてナチの進出のための露払いをしたが、その法理論的整備が終わったところからヒトラーは一気に独裁体制を築き上げて世界戦争まで突っ走った。ある意味でシュミットは危機の思想家として大きな構想力と影響力を示したが、一方で民主主義を根底から破壊する者として反面教師的な存在でもある。
 今日の日本の衆愚政治的状況に乗った安倍の極右的軍事化路線は、シュミットのような思想的バックボーンさえもたないままに、独善的な政策を次々と打ち出してきており、いまやヒトラー時代のドイツときわめて似た環境をつくりだしてきている。まさかと思うひとがいたら、当時のドイツでも知識人や政治家が手をこまねいているうちにどんどん外堀を埋められていってしまって、気がついたときにはもうどうにもならなくなっていたという歴史の教えを知らない者である。安倍と肝胆相照らす仲の麻生副首相がいみじくも露呈させたように、国民の知らぬまにナチまがいの独裁体制を築きあげたいというのが安倍政権の野望であることはいまや明らかである。従軍慰安婦問題もできればなかったことにしようとするいまの政権は、アウシュヴィッツさえなかったことにしようとした歴史修正主義者となんら変わるところがない史実の偽造の確信犯であり、この問題をめぐって世界じゅうから指弾されてもなんら反省する気もなく、東アジアとの亀裂を深めることでこの危機を乗り越えられるとでも思っているらしい。教科書問題にかんしても、例の〈自虐〉史観という勝手な論理で改竄を企み教育現場の荒廃を生み出そうとしている。まったく狂気の沙汰である。
 わたしたちがこの政治危機に感度を失なっているようだと、丸山眞男がかつて警告したように、どんな抵抗もすることなくただ時流に流されるたけの〈不作為の責任〉(「現代における態度決定」『現代政治の思想と行動』)という罪を現代でも演じてしまうことになりかねない。危機はすぐ鼻先にきているのだ。
《ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番【ファルス】として、と、かれはつけくわえるのをわすれたのだ》とマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭に書いている一節はよく知られている。ここでわれわれはあらためて問わなければならない。いまこの時代にヒトラーの猿真似をして民主主義を踏みにじり独裁者気取りで世界平和にやみくもに挑戦しようとする安倍は二度目のファルスの大根役者なのか、それともこの狂気に亀のように首をすくめてやりすごそうとする日本の国民がまたしても演じかねない〈不作為の責任〉こそがこのファルスの主役なのか、と。(2014/3/5)

(この文章は「未来」2014年4月号に連載「出版文化再生12」としても掲載の予定です)

 先日、トーハン主催で元社長金田万寿人(かなだ・ますと)さんの「お別れの会」が催された。大勢のひとが次々と現われては去っていくというかたちのお別れ会で、とくに誰かが話をするというものでもなかったのはいくらか寂しい気もした。金田さんは取次人としても破格の人望を得ていたひとだっただけに、とりわけそう感じたのだろう。わたしは金田さんにはいろいろ親しくさせてもらったからひとしお感慨深いものがある。
 とりわけ社長になられて間もないころに、土曜は暇なので遊びに来てくれということで、午前中に社長室におうかがいし、お昼をごちそうになりながらいろいろ懸案の相談をさせてもらったことがある。ここではその内容についてはすべて書くことはできないけれども、とにかく「未来」でのわたしの連載[未来の窓]についてはいつも意見を言ってくれ、親身に未來社のことも力になってくれたひとである。
『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の注で触れたことであるが、鈴木書店が倒産しそうになったときに、わたしが当時の鈴木書店幹部に頼まれてトーハンに買収を申し入れにいったことは忘れられない記憶のひとつである。社長になられて三か月ほどだったこともあり、当時トーハンは株式上場を考えていたから赤字会社をもつことはむずかしい事情があり、検討はしてくれたらしいが、実現しなかった。また日販が立ち上げたブッキングにたいしてデジタルパブリッシングサービスを立ち上げたときも、いろいろやむをえない力関係で立ち上げた会社をどうするべきか意見を言ってくれということで、率直に意見を言わせてもらったことがある。ブッキングはわたしの予想通り五年ぐらいで消滅したが、デジタルパブリッシングサービスがいまも健在であるのは、そのとき出版社はそんなに簡単にコンテンツを提供することはない、とわたしが断言したことにもとづいてトーハンが凸版とのツテを利用して出版社に働きかけたことが功を奏したのではないか、とわたしは思っている。
 いろいろな会で見かけると向こうから近づいてきて親しく話をしてくれたのは、わたしにとっては取次人でもほとんど金田さんぐらいしかいない。そうしたことを思い出すにつけ、金田さんに会う機会がなくなってしまったのは、ほんとうに残念である。
 金田さんとの出会いはわたしが未來社に入社してまだ日が浅いころで、親父の肝いりで未來社とトーハン幹部との会合が設けられ、未來社の注文制という枠組みのなかでどんなことが可能かという問題を論じ合う機会があった。そのときが初対面の金田さんはまだ仕入の係長だったが、そのときから急速に親しくさせてもらったのである。おそらく一九八〇年前後だったと思う。その後、何年かして人文会の研修旅行で山陰地方をいっしょに回ったことがあり、どこだか忘れたが「カナダ村」というところがあって、金田さんが自分の村だと言っておおいにはしゃいでいたことを思い出す。そこでさらに親しくなった。そのとき同行したのは日販の橋昌利さんで、こちらは剣道五段だが話のわかるひとだった。そういうひとたちも業界からいなくなってしまった。出版業界がとても元気な時代だったのだ。いまは金田さんへの深甚な感謝を捧げたい。(2014/2/14)
 前回のこのコラムで昨年末の東京外国語大学でのイベントについて触れたが、その二次会で沖縄の批評家仲里効さん、詩人の川満信一さんと、以前からあたためていた企画が再燃した。外大イベントのさいに配布された資料にもなぜか掲載されていた、一九八一年の「新沖縄文学」誌上で川満さんが提案した記念碑的な「琉球共和社会憲法C私(試)案」を軸に、その憲法プランの思想的射程を検証しようという企画だ。
 二、三年前に那覇の居酒屋で三人で企画会議をしたことがあって、仲里さんから提案された企画だったが、川満さんは「いまさら、あんなもの」といったていで、あまり乗り気ではなかった(ように見えた)。川満さん流の照れもあったのかもしれないといまになって思うが、このたびは時代状況もずいぶん変わってきており、特定秘密保護法案の国会強行採決や安倍首相の突然の靖国参拝、仲井眞県知事による裏切りというしかない辺野古への移転承認などいまの自民党の強権政治にたいして、もうやっていられない、といった雰囲気が沖縄でも高まってきている。昨年十月には「琉球民族独立総合研究学会」が創設され、独立問題をめぐって本格的な取組みも始まった。この一月には石破自民党幹事長が五〇〇億円の自派用支援金をちらつかせて辺野古をかかえる名護市の市長選に介入しようとしたが、名護市民の抵抗力の前に自民党はみじめに敗北した。四年前の名護市長選においても当時の民主党政権が内閣官房費を使って当時反対派だった自民党に金を流して移転反対派の稲嶺候補を陥落させようとしたが、僅差ではたせなかったことが問題になった。以前ならばこうした策動によって有利なはずの選挙も逆転されてしまうのが沖縄では常だったらしいが、そのときあたりから形勢がはっきり変わってきたようだ。今度の名護市長選では現職の稲嶺進氏が一九〇〇〇票、辺野古移転容認派の自民党推薦候補が一五〇〇〇票と前回より差が開いた。五〇〇億円のエサに飛びつこうとしなかった名護市民は確実に自民党的金権政治にたいして自分たちの生活権を選んだと言えるだろう。
 ところがこうした惨敗にもかかわらず、安倍首相は、ダブルスコアの敗戦を覚悟していたのに予想以上の善戦をしたという理由だけで、名護にも一定の支持者がいることに確信をもったと強弁する始末。まことに黒を白と言いくるめる自分勝手な解釈である。いまのところ自民党が優位に立っている議会だって、小選挙区制に依拠する小差勝ちを積み重ねた結果の圧勝にもとづくだけであって、国民の支持率は過半数にも満たない。同じ理屈を言うなら選挙に勝ったからといって相当な反対派がいることを認識しなければならないはずである。戦前の軍国日本のような体制を夢見る長州藩出自のDNAをもつ安倍は、この議会多数派の力学を利用して憲法第九条を廃棄するべく段階を追ってなし崩しに「自衛」という名の軍国化への道を固めようとしている。まずそのまえに憲法改正のための国民投票にもっていくために、国会での三分の二以上の賛成が必要という憲法第九六条を賛成半数以上ですむようにと画策している。また特定秘密保護法案は戦前の治安維持法の再現をめざしたものであり、この道程の第一歩にすぎない。このままでは内閣批判などもその取締り対象のひとつになって、国民はなにも批判できなくなっていくのは目に見えている。
 こうした安倍政権の野望をどうしたらいまのうちに粉砕することができるのか。残念ながら対抗しうる野党の不在がこうした一党独裁のやりたい放題、言いたい放題を助長しているのは認めざるをえないが、とにかく可能なところから反撃していかなければならない。そのひとつの可能性が三三年まえに発表されたこの「琉球共和社会憲法私案」を再検討することなのである。カントの永遠平和論にも通ずる驚くべきユートピア的、絶対平和主義的な憲法私案が現実的な実現可能性に乏しい側面があるにしても、その究極の理念までも疑ってはならない。
 以下にその全五六条から成る憲法条項の際立ったポイントだけでも確認しておこう。その「前文」にはまずこうある。
《九死に一生を得て廃墟に立ったとき、われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが、米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け、そして、ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦、非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と、それを遵守する国民に連帯を求め、最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。/好戦国日本よ、好戦的日本国民者と権力者共よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。》
 ここにはすでに今日の沖縄の現状にそっくりそのまま通底する認識があることがすぐにも見てとれるだろう。一九七二年の「日本復帰」後十年足らずで書かれたこの「反復帰論」の論客の眼差しは、日本という幻想にからめとられることなく、今日の沖縄の姿を見抜いていたかのようでさえある。
 その第一条には「人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する」とあり、第二条には「軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつくらない」とある。また第十三条には不戦条項として「武力その他の手段をもって侵略行為がなされた場合でも、武力をもって対抗し、解決をはかってはならない」とある。こうした絶対平和理念を凡庸な権力主義者は嘲笑しようとするだろうが、武力抗争とは武力で対抗しようとするかぎり終りなき抗争にほかならないことが好戦主義者には見えていないだけなのである。沖縄が軍事的要衝であるよりも東アジアにおける絶対平和の要石になるための社会構想がここでは切実に問われているのである。
 名古屋のちくさ正文館の古田一晴が『名古屋とちくさ正文館』(論創社)というインタビュー本(インタビュアー=小田光雄)を出した。送ってもらったまま時間がなくてすこし間があいてしまったが、一気に読んでいろいろ参考になることも考えさせられることも多かった。なによりも古田は書店の将来にまだ希望をもっているし、出版界のさまざまな問題や対案にたいして妥協しない。これまでの書店人としての経験をさらにいっそう磨きをかけることで生き延びることは可能だとかたく信じている。その姿勢がいい。頼もしい。
 古田の書店人になるいきさつはこの本でくわしく知った。演劇の演出などをやっていることは知っていたが、映画や詩や芸術についてこれほど深くかかわっていることまでは知らなかった。わたしがよく知っている北川透とその「あんかるわ」をはじめ、ウニタの竹内真一や、名古屋書店人グループの集まりやその中心にいた筑摩書房の故田中達治のことなどいろいろ出てきて、なつかしいと同時に、「名古屋文化圏」の特殊な成り立ちをあらためて認識した。人文会や歴史書懇話会とのブックフェアの試みなど、仕掛け人としての古田の人脈と力量がよく語られている。
 ちくさ正文館という人文書に理解のある稀な書店(とそのオーナー)が存在していたからこそ古田の存在がより光り輝いたという側面があったにせよ、書店の棚作りにこれほどまでの情熱と配慮をおこなってきた古田の心意気がなければ、この出版不況の時代を突破することはむずかしかっただろう。ちくさ正文館がいまとなっては中規模クラスのスペースの店になったことを受けて、「セレクトショップ」としてみずからを位置づけることができたのも、古田の棚作りの見識があったればこそであろう。古田はこんなことを言っている。
《書店に長くいると、新刊の鮮度の重要性が身に沁みている。書店の最大の楽しみは新刊の箱を開けるときだとよくいうけれど、それは読者もそうであって、新刊との出会いをもとめて書店にくるわけです。またそうであるからこそ書店が成立している。(中略)もちろん既刊本がすべて駄目だといっているのではなく、しばらく前の本でも丹念に拾い、新刊と同様に売る試みはしている。実際に棚に置くことによって、ちがう輝きを見せる本も多くあるわけだから。》(135ページ)
 そうか、新刊の箱を開くときに喜びを感じてくれるのがこのひとなんだ。そして関連書としての既刊本にも目を向けてくれる。いまはそういう書店人がどれくらいいるだろうかと思うとすこし寂しいが、こういう書店人がいるからこそなかなか売れないけれどいい人文書を出すことがまだ希望となることができるのだ。
 こういう古田の方法論からすれば、インタビュアーが問いかける時限再販論の可能性などは昨今の不況にたいする彌縫策でしかないのは当然である。古田はこう言いきっている。
《出版社は時限再販にして正味を下げれば、書店の利益率はそれで上がるから、現在の状態からは前進するし、書店にとってもメリットがあると勝手に考えているようだけど、......アリバイ工作的な時限再販論はむしろ書店側にとって迷惑だと認識したほうがいい。そのための労力を考えれば、少しばかり利幅がとれたとしても、労力と手間暇がかかるだけで何のメリットもない。》(137-138ページ)
 古田はまた「本屋大賞」のような書店人が選んで全国一律で本を売る方式にも批判的である。書店人がみずからのかかわる書店立地や環境などを考慮することなく、日々の棚作りの努力を怠ったままで安易に本を選んで売ろうとする姿勢はおかしい、と。古田は別のインタビューに答えて棚作りについてこう言う――「僕は品揃えや、この本の横にこれを......といった並べ方など、どの棚も印象づけできるように仕掛けをしています。それが毎日の仕事です。店頭の日常こそが、ライブみたいなものですよ」(154ページ)と。
 ひさしぶりに名古屋を訪ねて古田と本の話をしたくなった。
 暮れも押し詰まった昨年12月21日(土)、東京外国語大学での「ラウンドテーブル 自発的隷従を撃つ」に参加してきた。主催者の西谷修さんから連絡を受けていたことと、沖縄から批評家の仲里効さん、詩人の川満信一さんがパネラーとして参加するというので、おおいに期待して出かけたのだった。
 このシンポジウムは現代を深く考えさせ行動を促す刺戟に充ちたもので、終了後の二次会も稔りあるものだったが、議題となったエティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(1530-1563)の『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)が短い論説とはいえ非常におもしろく、かつ今日的にタイムリーな古典でもあった。モンテーニュの年若き無二の友人としてつとに知られていたラ・ボエシのこの若書きの書物はなんと16歳か18歳で書かれたもので、当時から危険な書物として警戒されており周囲の者たちからは死後刊行にあたってもいろいろと配慮がなされたという曰くつきのものである。それだけ16世紀当時の王政や絶対主義権力者にとっては恐るべき起爆力を秘めたものであって、その後この書物が著者の意向を離れて教会や革命派によって政治的に利用されたりしたのも無理もない。
 ラ・ボエシ自身はボルドーの司法官として短い一生を過ごし、かならずしも当時のフランス絶対王政にたいして批判的ではなく(むしろ協調的だった)、『自発的隷従論』はそうした身近な現実への具体的批判として書かれたというよりも、ひとりの権力者が存在するところにはかならず多数の隷従者が存在し、絶対者の圧政はこれら隷従する多数者によって力を与えられ、結果として支えられているという支配の構造を、当時としてもきわめて斬新な視点から解明したのである。ラ・ボエシの主張はたとえば次の一節に要約されるのではないか。
《このただひとりの圧政者には、立ち向かう必要はなく、うち負かす必要もない。国民が隷従に合意しないかぎり、その者はみずから破滅するのだ。なにかを奪う必要などない、ただなにも与えなければよい。国民が自分たちのためになにかをなすという手間も不要だ。ただ自分のためにならないことをしないだけでよいのだ。(中略)彼らは隷従をやめるだけで解放されるはずだ。みずから隷従し喉を抉らせているのも、隷従か自由かを選択する権利をもちながら、自由を放棄してあえて軛につながれているのも、みずからの悲惨な境遇を受けいれるどころか、進んでそれを求めているのも、みな民衆自身なのである。》(本書18ページ)
 ここにラ・ボエシの自発的隷従論の骨子があると言っていい。そしてこの視点は王政ならざる現代のグローバル化された世界支配の構造とはたしかにそのままあてはまるわけではないにせよ、構造的にはそっくりの心理的機制が働いている。この隷従論が自発性というものと結びついているところにラ・ボエシの現代性がある。この論をはやくからみずからのブログでとりあげていた西谷修は本書の解説で、歴代の日本政府=自民党が戦後のアメリカへの一方的な隷従をどこの国よりも自発的におこなってきた問題と重ねあわせてみているが、たしかにそう言ってみたくなるほど、とりわけいまの安倍晋三政権の政治的頽廃とアメリカへの隷属ぶりは度を越している。わたしに言わせれば、安倍政権を支持する日本人すべても同じである。西谷修が『自発的隷従論』を軸に据えて、ファシズム前夜の危機状況を読み取るべくシンポジウムを開催しようとしたゆえんである。
 この文庫本に併録されたシモーヌ・ヴェイユの「服従と自由についての考察」にはラ・ボエシの隷従論を踏まえてこんなふうに書かれている。
《多数者が――苦痛や死を強制されてさえも――服従し、少数者が支配するのである以上、「数は力だ」というのは真実ではない。ちょっと想像すればわかるように、数は弱さなのである。弱さは、飢える側、疲弊する側、懇願する側、震える側にあるのであって、幸福に生きる側、恩を授ける側、恐れさせる側にはない。民衆は、多数であるにもかかわらず従うのではなく、多数であるがゆえに従うのである。》(本書182ページ)
 つまりは隷従を習性としてしまう者たちに決定的に欠けているものは人間の本性としての〈自由〉への希求であり、いわば〈自由を命ぜられてある者〉としての人間的自覚の欠如である。民衆とは圧倒的にそうしたメンタリティに習性づけられている者のことである。「社会秩序というものは、どんなものでも、いかに必要であっても、本質的に悪である」(本書188ページ)とまで言ってのけるヴェイユにとっては「社会の力は、欺瞞なしには機能しえない。だから、人間の生におけるもっとも高貴なものすべて、すなわち、あらゆる思考の働きや、あらゆる愛の働きは、秩序にとって有害なものとなる。......思考がたえず『この世のものではない』価値の序列を構築するかぎりにおいて、それは社会を統治している力の敵となる」(本書187ページ)という結論は必然的である。
 第二次世界大戦末期の1944年に書かれたアンドレ・ブルトンの『Arcane 17 (秘法十七)』という詩的散文がある。その末尾に近い部分でブルトンはこう書く。
《人間の自由への渇望は、みずからをたえず再創造する力として維持されなければならない。自由が状態としてではなく、たえざる前進を引き起こす_¨生きた力¨_として想い描かれねばならないのは、そのためである。さらに、それは自由が、継続的にそしてもっとも巧妙なやりかたでみずからを再創造してくる強制や隷従に対立しつづけることができるただひとつの方法なのである。》(10/18叢書版p. 115)
 ここでブルトンは名こそ挙げていないが、自由に自覚的であるとは、しつこく頭をもたげてくる強制や隷従への圧力を唯一しりぞける力であることをラ・ボエシに代わって述べているように見える。ヴェイユとも共鳴しつつその反秩序性とはちがう意味で、「愛と詩と芸術」の力を鼓吹するブルトンの詩人的感性は隷従へと陥れようとする惰性的ヴェクトルを根底から突き崩す対抗的な力学を提示している。

*本論とは別に「西谷の本音でトーク」ブログで「〈自発的隷従〉の網にどういう風穴を空けるのか」というレポートと「思考のポイエーシス」ブログで「自発的隷従から自由になること」という一文をわたしは書いている。ご覧いただければさいわいである。(http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/nishitani_talk/およびhttp://poiesis1990.cocolog-nifty.com/blog/)(2014/1/7)

(この文章は改稿のうえ「未来」2014年2月号に連載「出版文化再生10」として掲載します)

77 追悼・木前利秋 

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 木前利秋さんが亡くなったのは十二月四日の朝だという知らせが入ったのはその翌朝のことである。その日の夜中二時すぎに、木前さんに指導を受けたという亀山俊朗氏からメールが送られてきていたのである。
 亡くなる前々日の十二月二日の夜八時すぎだと思うが、なんとなく虫の知らせか、長らく進行の止まっていたハーバーマス論の仕上げ状況を聞いておかなくては、ということもあって自宅へ電話をしたのだが、夫人が電話を取り次いでくれた木前さんの開口一番のことばが「末期ガンで、もうなにもできません」というなんとも弱々しいことばだった。背筋がぞおっとするような、まさに霊界からの声のようなその声はなにごとかを伝えようとするかのようにつぶやかれたのだが、わたしはショックのあまりその内容をよく聞き取れなかったけれども、セキズイがどうとかというふうに聞こえたような気がする。まもなくして「妻に代わります」と言って夫人と代わってもらって事情をいろいろうかがったのだが、その辛そうな声を聞いたのが最後になってしまった。
 六日の大津での通夜に駆けつけたのはもちろんだが、棺のなかの木前さんのまったく変わり果てたその面差しには当然ながら生気のかけらもなく闘病生活の痕跡がうかがわれ、ことばを失なった。喪主である夫人がことば少なに語ったところによれば、三年半前に前立腺ガンを告知され骨にも転移していたため手術ができなかったとのことである。わたしの記録によればことしの一月十六日に家に電話を入れたときに、夫人から持病が再発したという話を聞いていただけで、不覚にもそれがどんな病気なのか聞きそびれてしまい、その後も気になりながら電話をできないままでいたことに自分に深い失望をしているところである。懸案のハーバーマス論の元になる論考のほとんどは「未来」に連載として書いてもらっていたので、毎月かならず電話とメール、FAXのやりとりがあったのに、ここへきて自分の忙しさにかまけて連絡を怠ったことがこんな大事になるとは予想できなかった。
 木前利秋さんとのつきあいはかれの東京時代にさかのぼる。その後、富山大学時代があり、大阪大学に移ってからもすでに十数年になるのではないか。その間もときどき連絡しては単行著書の刊行を促しつづけていたのだが、それがようやく実ったのがかれの唯一の単著となった『メタ構想力――ヴィーコ・マルクス・アーレント』で二〇〇八年三月のことだった。そのあとから念願のハーバーマス論を書くことを決意して始めたのが、さきほど触れた「未来」での連載であった。これは同年十月号から連載が始まっている。わずかに五年前のことである。その間、木前さんは十五本ほどの論考を断続的に書いてくれたのが、近刊予定にしていたハーバーマス論の中核になるはずであった。毎回きっちりした原稿を書いてくれて、催促も校正もかなり大変だったが、仕事に慎重な木前さんに原稿を集積していってもらうにはこれしか方法がなかった。その仕上げを直前にしてもなおかつ、最後の書き下ろしの一章のためにハーバーマス研究書の原書を何冊も積み上げてこれらを読んでからでなければ書けないということで時間を使っていたようで、そのために刊行が遅れてしまい、こんな事態を迎えてしまったのがわたしにはなんとも残念でならない。夫人にもやりたいのは仕事だと言いつづけていたとのことで、その念頭にあったのがこのハーバーマス論の仕上げであることは間違いなく、刊行されれば群を抜いたハーバーマス理解の書として注目されただろうし、ライフワークともなったであろう。その木前さんの心情を思うとなんともやりきれないのである。二日の電話のさいに夫人にはなんとか回復することができそうだったら、この仕事を仕上げるように言ってほしいと伝え、もしかしたらそのことがきっかけで奇跡的な回復がみられるかもしれないと淡い期待を抱いたのだが、むなしかった。当人には不満もあろうが、なんとか残された原稿を一冊にできないものかと考えている。
 木前利秋、享年六二歳。その図抜けた知識と能力の高さからいっても、もっともっと大きな仕事をしていいひとだった。人格的にもひとに嫌われるようなところはいっさいなく、慎重さと謙虚さのかたまりのようなひとだっただけに周りがもっと配慮してあげなければならなかった。いつも電話すると、はにかむような声が受話器の向こうから聞こえてきて、やりたいことを頼まれたときは心から喜んでくれていたのだろう。わたしより年下だったからこちらにも油断があったのかもしれないが、思えばあまり頑健なほうではなかっただろうから、この早すぎる死を惜しんでもすでに遅いのである。こんな文章を書かなければならないのも辛いことである。謹んで哀悼の意を表したい。(2013/12/7)
 最近、「未来」における本連載コラムについて直接いろいろな批判や言及がなされることがつづいた。ひとつは、十一月号に書いた「[出版文化再生7]いまもつづく〈東大闘争〉――折原浩さんの最新総括から」で折原浩さんほか共著『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(緑風出版)を紹介したさいに、わたしの表現に誤用があったことがいくつものメールや電話などで判明した。「救いがたい退嬰的な時代の流れに棹さすような本」と書いたその「流れに棹さす」がわたしのつもりでは、流れに棹を差すのだから「流れに逆らって、流れに抗して」という意味のはずだったのだが、逆の意味になっていた。流れに乗って、という意味になるということをわたしは初めて知った。不明を恥じるしかない。なかには底意地の悪いメールでの批判もあったが、甘受しよう。ほかのひとの例をあげて慰めてくれた友人もいる。それはともかく、さっそく「流れに抗するような本」と修正して未來社ホームページとココログページで掲載しているブログ版の修正をさせてもらった。さらに「たかが日本語、されど日本語」というブログページで「情に棹さすとロクなことはない」という反省文も書いておいたので、関心のある方は読んでいただきたい(いなくてもしょうがないけど)。
 それにしてもふだんあまり反響のない[出版文化再生]コラムだが、いまさらながら東大闘争と折原浩さんの本に触れたせいか、思いがけない反応があることがわかって驚いている。たまたまなのか、それとも思った以上にこのコラムを読んでくれているひとがいるのかわからないが、当初このコラムを再開するにあたって、以前の[未来の窓]のような出版業界をどことなく意識して(つまり出版社の発行人として)書くのではなく、もっと自由に書く場所として[出版文化再生]コラムを再設定したわたしの意図が、はからずも実現したということかもしれない。
 そんなところへ、今度は新手の批判(?)が現われた。「未来」十二月号に書いた「[出版文化再生8]〈白河以北一山百文〉はいまに通ず」にたいしてある読者から編集部あてにFAXでつぎのような批判文が届いたのである。
《安倍首相批判に長州人を持ち出すのに戸惑います。人の属性で人を語る文章に「未来」で出会うとは思いませんでした。これは大げさでなくヘイトスピーチと同根です。出自で何かを語っても空しいし、人間尊重とは逆方向の文化です。/よろしくご検討ください。》
 わたしは、先ほども書いたような理由で個人としては逃げも隠れもしないが、この批判には根本的な誤解ないし読み違えがある。まずわたしは長州_¨人¨_としての属性で安倍首相批判をしているわけではまったくない。ちゃんと読んでもらえばわかると思うが、戊辰戦争以来の、あるいは明治維新以来の長州_¨藩¨_の歴史的な政権奪取~権力支配の構造と、そこに連綿とつながる「長州藩がもっていた好戦性、自己中心主義、民衆蔑視、支配欲の前時代的な妄想」(前号のわたしの表現)から演繹した安倍政権の危険性を指摘したまでであって、そのときには触れられなかったが、ここへきて民主主義無視の「特定秘密保護法案」の国会強行突破の姿勢にも端的に現われている独善=密室政治への指向性を批判しているのである。「ヘイトスピーチ」というのはこういう根拠のあるわたしの言説のようなものに向けられるべきものではない。強者あるいは権力者が弱者あるいは被抑圧者にたいして権力的な言説あるいは振舞いとして、既成の権力構造あるいは抑圧構造を強引に固定させようとして発するものが「ヘイトスピーチ」の本質である。わたしの文章のどこにそんな構造があるのか。わたしへの批判は石破茂自民党幹事長の「デモでの絶叫はテロと同じだ」という発言に通ずるものではないか。
 以前、第一次安倍政権ができたときにわたしは[未来の窓]でその世間知らずぶりを批判し政権は長続きしないだろうと予想したが、当時、まわりからは期待をもって迎えられた安倍首相だっただけに、そういう批判をしたわたしに匿名の読者から「お前のような奴は日本から出て行け!」というハガキを頂戴したことがあった。また沖縄に触れた文章にたいしてある沖縄のアメリカ帰りの学者から《社主が個人的主張を出版社(publisher)という公共性の高い媒体を通じて表明してしまうことにも危惧を覚えます》という公正を装った批判があった。もちろんそれには「沖縄問題をめぐる知的恫喝を警戒しよう」という反批判(「未来」二〇一〇年七月号、のち『出版文化再生――あらためて本の力を考える』に収録)を書いているので、そちらも参照していただきたいが、一個人としての発言を出版人であるという理由だけで封殺しようとするこうした理解のなかにこそある種の逆立ちした「ヘイトスピーチ」がはらまれているのではないか。
 だからこうした批判がくるのは想定していたことではあるが、わたしの安倍批判が「ヘイトスピーチ」だというのは、ことの本質をあえて見ようとしないことである。末尾の「よろしくご検討ください。」が誰に何を言いたいのかよくわからないが、自分のような良識人の読者のためにこの種の文章を編集部は掲載しないようにしてほしいというつもりなのだろう。とんだお門違いだというのが、この文章を書いた理由である。そしてこうした「良心的」事なかれ主義がこれからも出てくるだろうことは、このコラムで言うべきことはきちんと言おうとすることにしたわたしの立場から先刻承知していることである。なんのことはない、こうしたリアル・ポリティクスにかんする文章を書くと、こうした巧妙な抑圧をかけてくる人間がでてくるのである。   

*ここで言及したブログはそれぞれhttp://www.miraisha.co.jp/shuppan_bunka_saisei/(本ページ)、http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/nishitani_talk/でご覧になれます。

 きのう(11月16日)は知念ウシさんの『シランフーナー(知らないふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』の出版記念会東京ヴァージョンとも言うべき集会があり、わたしも主催者的立場から参加した。人数はそれほど多くはないが、沖縄の若手論客として注目を集めているウシさんの会らしく、通常の出版記念会のようなたんなるお祝いの会という以上に、相互の問題意識をぶつけあい、議論をたたかわせるまれにみる有意義な会であったと思う。わたしの司会進行が拙劣であったにもかかわらず、議論が高度なレヴェルで進行したのは、出席者たちのそれぞれの立ち位置や存在被規定性を軸にした発言がのっぴきならない現実を踏まえていたからだと思う。
 出席者の多くは、沖縄出身者やそれに近いひと、沖縄のかかえる問題に持続的な関心をもってきた研究者、メディア関係者などの割合が高かったし、在日韓国人研究者もいて、沖縄がかかえる植民地的現状をどうとらえるのか、具体的には知念ウシさんが提起している沖縄基地の本土引き取り論にどう応答するのか、各人の立場からの真率なぎりぎりの発言が次々と飛び出して、それぞれに耳を傾けざるをえない緊張感のもとで会は終始したのであった。若い沖縄出身の大学院生たちの感想を聞くこともできて、それぞれが抱えている悩みや問題意識の変遷などが率直に語られたのも新鮮だったし、これからの沖縄を考えていくうえでも彼ら彼女らに期待感を抱かせるものでもあった。
 しかし、ここでこの会の概括をこれ以上するつもりはない。そんなに簡単にまとめられるような内容ではないし、わたし自身がこれからさらに考えていくべき問題の本質をいろいろ見ることができたが、まだ十分に咀嚼できたとは言えないからである。ただ、そのなかでいちばん強く感じさせられたのは、日常われわれがほぼ無意識または常套的に使っていることばがここでは文脈が輻輳化するなかで安易に使えないということが顕在化したことである。沖縄ではことばの不用意な使い方は許されない局面もないではないが、それでも沖縄人特有のホスピタリティのせいか、かなり和らげられたものであった。しかし今回は論客がそろっていたこともあって、たとえば〈連帯〉というようなことばがしばしばもつ欺瞞性やイデオロギー性、権力的植民地主義的な無意識性が強く指弾された。
 その意味では、スピーチのなかでとりわけ在日韓国人の徐京植(ソ・キョンシク)さんの発言は、東アジアでの研究集会の例を挙げて、その複雑な立ち位置を明確に示してくれた点で印象に残った。沖縄人、韓国人、ヤマトンチューがいっしょに議論する場で進行係をつとめた徐さんはウチナーグチや自国語で語ろうとする沖縄人その他にたいしてここでは「標準語としての日本語」で議論をしようと呼びかけたところさまざまな異論が出たし、そもそも在日韓国人であって日本人でないのになぜ日本語なのか、といった反問を受けたそうである。これまでも沖縄や韓国でヤマト在住者であるためにヤマト批判を受けることもあって、たしかに沖縄や韓国からすればふつうのヤマトンチュといっしょくたに見られてしまうというかなり厄介でしんどい位置を引き受けさせられることに何度も直面したことのある人間として、知念ウシさんの基地引き取り論にたいしては在日韓国人である自分としては応えにくいが、ひとりのヤマト在住者としてはそれでもなんらかの応答をしなければならないという複雑な立場を表明され、そのためには他者にたいして自分の〈位置〉からの想像力による応答が必要なのだという回答を用意している旨の発言があった。この回答はきわめて哲学的な内容をもつので、容易には説明しづらいが、関係性の同位性に想像力をめぐらせて考えるなかから新たな関係性の構築を模索する方法とでも言えばいいだろうか。
 こうした徐さんのような立場から知念ウシさんの議論をどうとらえていくのか、ということはわたしなどの想像の埒外にあったことで不明にして気づかないできたが、〈自然的日本人〉という無媒介的な自己存在を超えた想像力の獲得がこれからは必要なのだと悟らされた会でもあったのである。その意味で日本語のなかにも深いところでの〈ことばをめぐる闘争〉が厳然として存在し、そのことにこれからは無知、無自覚ではいられないことになった。〈シランフーナー(知らんふり)の暴力〉とはその意味でも言い得て妙であることばだと再認識したしだいである。(2013/11/17-18)
 ことしのプロ野球日本シリーズはエース田中将大を中心とする東北楽天イーグルスの気迫の勝利に終わった。対する巨大戦力を誇る読売巨人軍は、一部の若手の頑張り以外には全体的に不調と不振が目立ち、監督の采配ミスもあって焦りのためか力を出し切れずに敗退した。長年の巨人ファンであるわたしとしては残念ではあったが、東北の野球ファンひいては東北人の喜ぶ姿にはただ頭を垂れるしかないし、なるべくしてなったという感も深い。世の趨勢は判官びいきもあって楽天の優勝を言祝ぐのが一般的であるようだ。巨人も戦いにくかった面もあるだろうが、楽天の優勝が早すぎることもいささか浪花節になりすぎてしまっているような気もして、なんとも複雑である。創設九年で優勝というのはすこしできすぎではないかと思えるし、早すぎた春ということばもあるぐらいだ。星野監督の優勝インタビューのことばもややセンチメンタルにすぎるとも聞こえたが、なによりもわかりやすいというのがスポーツの世界なのだから、これはこれでいいのだろう。
 東日本大震災後の行政による救済措置が思うにまかせないいま、こうした民間レベルでの東北支援はささやかであっても大きな力になるだろう。たかがスポーツ、されどスポーツなのである。そして楽天の全国的には無名の選手たちのひたむきさは、力にまさる巨人の選手たちの知名度と慢心を突破して、ほんとうに欲しいものはどうしたら手に入れることができるかを日本全国に知らしめたとも言える。
 そう考えるとこの楽天対巨人という戦いの構図は、どこか戊辰戦争の会津藩を中心とする東北列藩同盟対薩長を主体とする明治新政府軍とのいくさと似ていると言えなくもない。中央政府の大軍にたいして各個撃破されながら最後まで戦い抜いた東北勢は、敗北したとはいえ、その「義に死すとも不義に生きず」(会津藩主松平_^容保【かたもり】^_のことばとされる)ということばに現われているように、節操を曲げず時代の難局に相渉ろうとした自己に厳しい精神性ゆえに日本人のメンタリティの原点のひとつたりえている。野球のたとえはやや不謹慎のそしりを招くだろうが、この敢闘精神がよく剛を制したというのが今回の楽天の優勝でもある。
 それだけではない。問題はむしろ東日本大震災にたいする現安倍政権の基本的に無策とも言える東北支援の姿勢にある。先日、福島出身で会津にもゆかりのある高橋哲哉さんに指摘されたことだが、戊辰戦争のときに政府軍の一兵士が言ったとされる「白河以北一山百文」ということばに示されている東北蔑視の姿勢、これが近代日本をリードした薩長人のメンタリティを露骨に表現している。このことばが言わんとしているのは、白河の関より北の東北地方などは山一つが百文の値打ちしかない、という見下しなのであって、これは権謀術数をつくして明治新政府を樹立し、天下を制した薩長同盟の対東北敵対政策を反映している。幕末での京都守護職時代の会津藩によって長州藩は完膚なきまでに叩きつぶされた経緯があって、戊辰戦争のさいに会津藩にたいする必要以上の攻撃によってその恨みを晴らしたというのが歴史の教えるところである。NHKの大河ドラマ「八重の桜」をわたしは断続的にしか見ていないが、こうした側面をそれなりにとらえているようだ。安倍晋三首相が二〇〇七年に会津におもむき、「長州の先輩が会津の人々にご迷惑をかけた」と謝罪したことがあったらしいが、それが選挙のための遊説のついでに軽く触れてみるような説法でしかなかったのはその後の経緯を見ても明らかである。
 わたしは明治維新後の現代へとつながる国造りに薩長、とくに長州藩(山口県)の野望が貫かれてきていることに大いなる危惧をずっと抱いてきた。きちんと調べればわかることだが、明治政府はもとより日本軍国主義的拡張路線を押し進めてきたのは長州藩出身者だったし、戦後にかぎってみてもA級戦犯の岸信介、その弟の佐藤栄作、そして岸の孫である安倍晋三まで長州藩出自の系譜が現代日本をいまだに支配しているのである。岸などは戦後、アメリカCIAの庇護によって日本を反共の砦にすべくA級戦犯を免除されて首相にまで成り上がっているのだが、現在の安倍晋三はそのDNAを継承しているとされている。佐藤栄作は首相時代に沖縄密約の中心にいたし、いずれもアメリカの手先になって日本をアメリカの意のままにさせてきた張本人たちである。岸はヒットラーほどの大物ではないまでもさしづめゲーリング級の戦犯であって、そうすると安倍首相とはそうした戦犯の孫であり、もともと長州藩がもっていた好戦性、自己中心主義、民衆蔑視、支配欲の前時代的な妄想の持ち主である。だからそうした人物が原発再稼働(じつは核武装の準備)、憲法改悪による自前の軍隊の所有(自衛ならざる侵略軍設置)といった軍国主義復活の野望をもっているとしても、こうした長州藩出自の侵略的DNAからすれば、すべて納得がいく。「ゲーリングの孫」たる安倍首相が東アジア、とくに中国、韓国にたいして敵対的なのは、これらの国がそもそも友好の対象であるのではなく深層心理における侵略の対象予定国であるからにすぎない。
 こうした出自をもつ人間が東北地方にたいしてほんとうに共感をもつことはありえまい。安倍の会津詣でが会津若松市長によって一蹴されたのは当然であり、残虐な殺戮の爪痕がそんな便乗的な手口で解消されるはずもない。そこに民衆蔑視ゆえの軽薄さと不真面目さが露呈していることは明らかだ。
 ドイツならばゲーリングの孫が政権の座に就くなどということは考えられないだろう。もっともイタリアではムッソリーニの孫娘が議員になったりはしているが。ともあれ、この亡霊のような長州藩出身者の横暴と野望にわれわれはもうそろそろ敏感にならなければならないし、日本の政治が世界に通用する知力と行動力を発揮できるようになるためには、もうこうした亡霊から解放されるべきではなかろうか。
 東大闘争が収束した時期をいつと見るかはそのひとの解釈とか立場によってさまざまでありうる。常識的に言えば、一九六九年一月十八日、十九日の機動隊導入による安田講堂の封鎖解除とするのがそのひとつの見方であり、その後の裁判闘争などを考えれば、もっとあとということになる。
 一九六八年にその渦中に入学したひとりであるわたし個人などからすると、いろいろな傷みの記憶やら屈折抜きでは語れないところもあるが、それでもいちばんペエペエの世代だったこともあってわけがわからないままに通過してしまった事態も多く、上の世代にくらべると浅い体験でしかなかったにちがいない。その後もさまざまな体験記などが刊行されてそれぞれの〈東大闘争〉が証言されたり、あるいはそれとして論述されなくとも書き手各自に内面化されたそれがおのずから浮上してくる痕跡が散見されることはいまでもしばしばある。
 とはいえ、昨今の政治の右傾化、反動化にともなって自己利益の追求のみを是とする新自由主義と経済合理主義が日本社会を覆い尽くそうとする時代の潮流のなかで、こうした抵抗の痕跡も徐々に風化しつつあるという厳然たる事実も一方に存在し、東大闘争が社会に突きつけた問題提起はいまや歴史の彼方に没し去ろうとしているかのように見える。
 ところが、こうした救いがたい退嬰的な時代の流れに抗するような本が現われた。折原浩・熊本一規・三宅弘・清水靖久共著『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(緑風出版)がそれである。一九六八年~一九六九年をピークとする東大闘争のなかで造反教官として勇名を馳せたウェーバー学者の折原浩さんを中心に、折原さんの批判精神に強い影響を受けた若い世代の三人(といってもすでにいずれも六〇歳前後になっている)が、それぞれの視点からみずからの東大闘争へのかかわりかたとその帰結としてのその後の社会活動(原子力の情報公開法制定運動、市民運動など)をつぶさに記述したものである。
 折原浩さんを除くこれらの著者たちは、わたしと同学年の熊本一規氏を別にすると、東大闘争以後に東大に入学し、したがって東大闘争をリアルタイムで体験したことはないが、授業再開によっていちおうの収束をみた東大駒場キャンパスで頑強に授業拒否をつづけていた折原さんの対案としての公開自主講座に参加するなかから、_¨事後的に¨_東大闘争の問題提起をみずからの生きる課題として引き受け直してきたひとたちである。全共闘運動を踏まえ、権力的な学生処分、時の権力への迎合的態度、知的権力者としてのみずからの立場への保身的対応に終始する大学当局や教官たちのなかに知の廃墟を認めた折原さんをはじめとする造反教官たちが捨て身で提起した「帝大解体」と「自己否定」の論理(権力者として要請される自己を否定し、非権力的存在として自己を再確立すること)はいったん消えたように見えるが、その精神はそれぞれの運動者のなかに別のかたちで生きつづけている。それが二〇一一年三月の東日本大震災とそれにつづく原発事故によって露呈した原発関係者における新たな廃墟を見出すにつけ、この間の四〇年に及ぶ時間の再定義を著者たちに突きつけたのだと言っていい。そこに東大闘争と今回の原発事故が結びつく問題の本質があるのだ。
 折原浩さんの大学批判は、根底的に批判すべきものを批判せず矛盾や欠陥を内部に温存させる日本的共同体の悪しき体質に内部告発的に向けられたものであり、それは今日の原発行政にも伏在する同型同質の問題として提示されている。「第1章 授業拒否とその前後――東大闘争へのかかわり」のなかで折原さんは書いている。
《(大学は、)批判的理性の適用を手控えられ、「聖域」として温存されていた。「研究の自由」の主唱者が、自分自身とその足元は「自由に研究」しなかった。社会学は、安全地帯に身を置く気楽な他者批判であった。ところがいま、そうした「殻」を突き破り、研究活動とその拠点を「社会学する」対象に据え、社会学の地平を飛躍的に拡大すると同時に、そうした自己批判にもとづく自己更新機能を、大学に「ビルト・イン」していく可能性が開けてきた。》(五五ページ)
 この、身のまわりすべてを「社会学する」姿勢が、ウェーバー学者としての「マージナル・マン(境界人)」折原さんを決定的に造反教官に仕立てていくライトモチーフになっていった。そして駒場の教養学部教授会や大学当局への厳しい批判がつづいていくのだが、そこでの細かい事実関係は折原さんの文章に譲る。いずれにしてもわたしのような中途半端な学生の情報把握ではとうてい及びのつかない葛藤や事態の進展がこの時代にあったことをいまさらながらに知ることができて、折原さんの活動の一貫性と粘着性には驚かざるをえない。ずっと後年になって親しくつきあわせていただくことになる折原さんの柔らかい物腰と語り口のなかにもおのずから透けて見える情念の激しさと一徹さは、すでにこの時代から抜き差しならないほど強く折原さんの思想と行動にビルトインされていたのである。ここから今日の原発関係者における知的頽廃への批判的論点は遠く見晴るかされていたのではないだろうか。折原さんはヴェーバーの合理化論に関連させてこう書いている。
《「合理化」は「専門化」の進展をともなわざるをえないが、そうなると、「非専門家」の大衆は、自然科学の専門技術的応用の所産は日用材として享受しながらも、応用の基礎をなす合理的原理からは、ますます疎隔され、自分では技術を制御できず、「専門家」に頼らざるをえなくなる。とすると、大学で養成される「専門家」ないし「テクノクラート」が、「『専門バカ』であると同時に『バカ専門』でもある」となったら、どうやって技術を制御するのか。》(七一ページ、折原さん特有の傍点多用はここでは省略させてもらった)
 言うまでもなく、ここでの「専門バカ」とは原発利権にむらがる「原子力村」の住人たちを指している。   

 知念ウシさんの『シランフーナー(知らんふり)の暴力――知念ウシ政治発言集』がようやく刊行される運びになった。そもそもこの本は昨年の沖縄「本土復帰」四〇周年にあわせて刊行されるはずであったが、当初の構想からいろいろ変更や軌道修正があり、ウシさんも「あとがき」で明らかにしているように、初めてのエッセイ集で執筆時期が二十年にわたるため、それぞれの執筆事情や状況への補注作業等が必要になるということもあって、なかなかゲラを確定できない事態に立ちいたっていた。その間に垂直離着陸輸送機オスプレイの沖縄への配備や墜落事故など、沖縄をめぐる状況も予断を許さない局面がつづいているし、ウシさんの活動も、「未来」でのリレー連載《沖縄からの報告》でも見られるように、休むことなく精力的につづけられてきた。一方で東アジアでの軍事的拡張をめざす安倍晋三政権には沖縄への基地押しつけ政策を変更しようとする姿勢はさらさらなく、むしろ沖縄との関係は悪化の一途をたどっていると言わざるをえない。こういうときだからこそ、沖縄の声を「本土」(ヤマトゥ)に届かせる必然がますますあるのだ。なかでも知念ウシという存在はいまの沖縄の若いひとたちを代弁する強力な声のひとつであり、その政治的発言を集成した本書の刊行が待たれていた理由はそこにあるのである。
 知念ウシさんにはすでに「未来」でのリレー連載をまとめた與儀秀武・後田多敦・桃原一彦さんとの共著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』二〇一二年、未來社刊)ほかに、『ウシがゆく――植民地主義を探検し、私をさがす旅』二〇一〇年、沖縄タイムス社刊)いう単行著書がある。「沖縄タイムス」紙に五年間連載した人気コラムをまとめたもので、刊行時にはわたしも那覇での出版記念会に参加したし、この本と出版記念会については「未来」での連載[未来の窓]でも書いたことがある。「知念ウシさんの仕事――無知という暴力への批判」「未来」二〇一〇年十二月号、のち『出版文化再生――あらためて本の力を考える』に収録)それだ。今回の『シランフーナー(知らんふり)の暴力』の原稿はそのとき以前から企画中であることがこの文面からもわかる。その文章の最後にわたしはこんなことを書いている。
「手元に預からせてもらっている企画用原稿は、学生時代からの若書きもふくまれているが、そこには沖縄のひとと風土を愛しつつ、基地のない沖縄をどうしたら実現できるのかを粘り強く探求し、これまでの沖縄人が達することができなかったラディカルな論点と大胆かつ戦闘的な主張に充ちている。ヤマトの人間のほんとうの沖縄にたいする無知、すなわち沖縄に全国の七五パーセントの米軍基地を集めさせていることによって享受している平和ボケからくる沖縄への無関心こそが、沖縄人にたいする暴力であり攻撃でさえある、ということを暴き出していく。この論点と立場をわたしは断固支持していくつもりである。」(『出版文化再生』四〇八頁) ここにもあるように、今回の『シランフーナー(知らんふり)の暴力』は最初、わたしの提案でウシさんの文章にあることばをとって『無知という暴力』になる予定だった。そのことはウシさんの「あとがき」にも書いてある。沖縄への基地の押しつけや歴史・文化にたいするヤマトンチュ(日本「本土」人)の根本的な無知が結果として沖縄への暴力につながっているという視点をふくませようとしたものだが、それよりむしろ、ヤマトンチュはじつは無知なのではなく、知っているのに知らないふりをしているのであって、もっとタチが悪いのだということをウシさんはこの書名にこめようというのである。わざわざウチナーグチ(沖縄語)で「シランフーナー=知らんふり」ということばを使っているのはそういう意図を明確にするためである。わたしも次第にこのウチナーグチのニュアンスがわかるようになってきた(と思っているだけかもしれないが)。
 ひととひとの出会いは不思議なところがある。以前にも書いたことがあるが、知念ウシさんと初めて会ったのは、二〇一〇年一月二十三日である。なぜその日を特定できるかと言うと、その日はわたしが編集した仲里効写真家論集『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』の出版記念会が那覇でおこなわれた日であり、わたしはその日の二次会に飛び入り参加した、当時は沖縄地方区選出の民主党参議院議員だった喜納昌吉さんと意気投合してその後の語り下ろし本『沖縄の自己決定権』を刊行するきっかけになった日であり、またわたしの前に座っていたウシさんとそうした雰囲気のなかで最初の話をした日でもある。もっともそのときはウシさんも二次会からの参加で、喜納さんが紹介してくれただけでウシさんがそこで話していた内容が興味深かったので、それをPR誌「未来」で書いてもらえないかということを依頼してその日は終わったのだった。そのときの印象はどこかそっけなくよくいる「ツッパリ姉さん」という感じだったし、東京に戻ってからかけた電話でも最初はギクシャクしたものだった。東京の出版社というのを警戒していたのであろうか。それがどういうわけか、(きっと誰かの口入れではないかと想像しているが)急に話が通じるようになって、前記リレー連載《沖縄からの報告》の第一回目が書かれたのだったし、『闘争する境界』の刊行にも、さらにその後のいまもつづくリレー連載にも結びついたのである。
 こうしたつきあいは沖縄に行くたびにいまもさまざまな場所(とくに出版記念会)でつづいているが、今回は、ウシさんが「あとがき」に(悪いジョークだと思うが)書いてくれたように、「閻魔大王」(なぜかわたしが「ときには閻魔大王のように怒り、うろうろする私を厳しく叱咤した」)として十月の沖縄での出版記念会に出席するつもりである。また十一月には東京でも出版記念会をすることになっているので、いろいろなひとに呼びかけて楽しくまた有意義な機会をもちたいと考えているところである。
 この四月八日に創立一〇〇周年を迎えた精興社(*)から記念出版である『活字の世紀 白井赫太郎と精興社の百年』(精興社ブックサービス)をいただいた。社員座談会や年譜までふくめると四〇〇ページちかい大著である。著者の田澤拓也はノンフィクション作家で書き下ろし。小学館の雑誌編集の経験もあるという著者による綿密な取材にもとづく精興社百年の歴史と印刷業界をふくむ出版界や社会事情があたかもノンフィクションドラマのように書き込まれていて、一印刷業者の記念出版物とは思えないほどの重量感のある本に仕上がっている。精興社の百年がちょうど〈活字の世紀〉でもあったことが、書名にもうかがえる。
 この本をわざわざ届けに来てくれた旧知の担当者にもそのときに言ったことだが、これだけの本を――しかも外部のライターに依頼してまでできた本を――非売品扱いにしているのはもったいないのではないか、と思ったが、通読してみてその感をますます強くした。これは精興社の記録だけではなく、日本の印刷業全体の歴史でもあるし、ひろくは出版史、文化史の一角を占めるものとしても貴重な記録となっている。いかにも精興社らしく謙虚な姿勢であることは理解できるが、関係者以外の読者や研究者にとっても垂涎の書であることは間違いない。ISBNコードもついていることだし、そうしたひとたちのためにも市販されるようにすべきではないだろうか。
 この本は創業者の白井赫太郎とその経営者一族を中心とする物語であると言ってよく、とくに赫太郎とその妻イチの仕事ぶり、性格、生きかたや考えかたについて多くのページが割かれている。年譜によれば、一九一三年(大正二年)に東京市神田区美土代町で「東京活版所」として創業されたとき、赫太郎はまだ三四歳になる直前だった。一九二三年(大正十二年)の関東大震災によって工場が焼失し、いちはやく再建されたその十月には「精興社」と社名を変更している。精興社としては九〇年になるわけだ。
 戦争中のさまざまな苦労を経て、戦後、岩波書店や筑摩書房など有力出版社との大型企画や継続企画を中心に精興社は順調に成長をつづけていく。いまとはちがって、金庫に三か月分の原稿が詰まっている状態で、関係の深い出版社や条件のいいところから順次まわされていったらしい。
 こうした精興社の成長ぶりは当時の出版界の好況も反映していたことは間違いないが、創業者以下の誠実さと堅実な仕事ぶりからくる評価、安心感によるものが大きかったのではないかと思う。その精神はいまでも受け継がれており、わたしが知っている範囲でも、どちらかと言えば堅すぎるところもあるぐらいに紳士的なひとたちばかりである。創業者の厳しい姿勢と豊かな人間性に培われた社風はいまどき貴重である。この創業者夫婦について田澤はこんなふうに書いている。
「赫太郎とイチの言行【げんこう】は、今日の人々の目からすれば、いささか思いこみの激しい異色で独特なものと映るかもしれない。けれども自分が身を粉にして働いた果実であるとしても、まずは他人の役に立つようにと思いめぐらして行動することが、結局、自分や社会の人々のためになるはずだという考え方は、この二人の終生揺るがぬ生活信条だったのではなかったろうか。」(二二一頁)
 ところで精興社といえば、なによりも独特な美しさをもつ「精興社書体」で知られている。赫太郎が種字彫刻師として知られていた君塚樹石に頼んでこの書体の製作を依頼した顛末も本書にくわしく書かれているが、赫太郎の「読みやすく、細めで、しかも力強い」(六六頁)書体をという依頼を受けて実現されたこの「精興社書体」が出版社はもとより読者や著者に強い支持を受けたことが今日までの精興社のステータスのアルファでありオメガである。司馬遼太郎ならずとも自著がこの書体で印刷されていることの誇りと悦びには神話的なものがあり、わたしにも経験がある。いまでも親しくさせてもらっている著者との最初の本を精興社で印刷したところ、他社からの出版物ではそうしてもらえなかったのに、わたしが精興社に原稿をまわしてくれたことを感謝してくれて、こちらのほうが驚いたことがある。精興社は価格が高いのにわざわざ自分の本を精興社でやってくれたのは、特別なことだと思われたらしい。たしかに精興社にまわす原稿は組版がむずかしいとか、大事な原稿であるとかという理由のものが一般的にも多かった時代はある。ただ実際のところ特別にむずかしいものでなければ精興社の組版代がとくに高いわけでもないし、わたしのほうでも取引先のひとつとしてわりあい平均的に入稿していたころでもあったので、意識的にそうした面はあったものの特別な配慮をしたというのはやや買いかぶりだが、ずっとそういうことにしている。
 わたしの出版人生もいつのまにか三十数年になり、精興社とのおつきあいも同じ年数を閲してきたことになるが、本書ではその時期の記述は相対的に少ないので、わたしなどが思いあたる部分はそう多くない。精興社といえば、山田家とか青木家の系譜がなんとなくうかがわれていたのだが、創業者の出身地の青梅の人脈が緊密にからまりあって今日にいたっていることが本書で初めてわかったぐらいである。本社がいまでも青梅だというのはそういう事情があったのである。わたしも仕事がらみでいちど青梅工場にうかがったことがある。あののんびりした雰囲気が精興社の原点なのかということが本書を読んでいて納得できた。精興社がこれからもいまの苦難を乗り切って発展をつづけることを切に望む次第である。
(*)この本で初めて気づかされたのだが、精興社の「興」の字は正式には上部の「同」のところが左の棒と中の一と口の左側がつながっている。画数の問題で易者に一画少ないほうがいいと言われたことからこういう字になったとのことである。ここではすべて「興」の字になっていることをお断りしておきたい。   
 まもなく参議院選挙の日がやってくる。
 こういう場所で政治的なことを書くと、いろいろ批判があることはこれまでも何度か経験がある。匿名の脅迫ハガキをもらったり、隠微なかたちで小誌攻撃をされたこともある。しかしながら、昨年来の民主党政権の内部崩壊、それに乗じた自民党の権力奪取、世界の動向に反する原発再稼働と大企業優先のアベノミクス、さらには軍国主義に道を開く憲法改正(=改悪)に突き進もうとする日本社会の前途を考えると、このまま自民党安倍政権による暴走を許していいのか、ここで冷静に踏みとどまって考えるべきではないかと切に思うのである。
 いまの日本の政治状況を考えると、対抗勢力がないままに自公政権によるほとんど独裁的とでも言うしかない方向に政治と経済が暴走を始めていることに気づかざるをえない。自民党の支持率が過半数に遠く及ばない現状にもかかわらず小選挙区制をテコにした小差当選の積み上げによる議会の多数派形成、さらには平和憲法を廃し、軍隊をつくるための憲法改正(改悪)のじゃまになる、議会での三分の二以上の賛成が必要という日本国憲法第九六条自体をまず修正し、半分の賛成で憲法改正ができるようにしようという策謀である。なんのことはない、安倍首相は、過半数に遠く及ばない支持率にもかかわらず、議会多数派形成~九六条撤廃~平和憲法の破壊(軍隊の創設)という三段飛びで(A級戦犯でもあった祖父岸信介元首相以来の)一族の宿願ともいうべき軍国主義の復興を狙っているのである。
 もうひとつ許しがたいのは、福島第一原発の大事故を起こし、その原因究明も被災者救助も不十分なままに原発再稼働を進めようとしているうえに、世界に原発を売り歩く死の商人を首相みずから引き受けている恥知らずぶりである。もともと原発推進をしてきた自民党政権が民主党時代の菅直人首相以下の不手際をいいことに、みずからの原発創設責任をほおかむりしたまま原発再稼働の実現を企んでいるのである。これが世界じゅうの不安をかきたてて、アメリカ政府でさえも最近の安倍政権の強硬姿勢には疑問と警戒心をもちはじめていると言われるのも当然であり、中国や韓国との外交関係も急速に悪化してきている。
 こうした安倍政権の増長ぶりは、はっきり言えば、自民党に投票する日本国民の一定の支持層を基盤にしているにすぎない。こうした支持者はもともと自民党の利権政治から利益を吸い上げている一部の者は別にして、その多くは民主党への幻滅、投票すべき対抗勢力の不在という状況への漠然たる転換ムードに乗った無批判層であると言わざるをえない。しかしこのままいけば、そうした無思慮の結果が、ワイマール時代のドイツがナチの台頭を許したように、国民全体の「不作為の責任」(物事を深く考えずなにも行動しないこと=丸山眞男)が日本社会をなし崩しに独善社会に貶めていくことは目に見えている。
 こうした事態を打開するには、まもなく小社から刊行される永井潤子さんの『放送記者、ドイツに生きる』でのさまざまなドイツ事情の報告がおおいに参考になる。そこには第二次世界大戦で日本と同様、世界戦争を挑発して敗戦し、厳しい自己批判をへて戦後復興をはたしてきたドイツ人の生き方、政治姿勢など、日本人の無批判的な曖昧な姿勢とはあまりにも異なるドイツ事情がさまざまに描き出されている。
 その端的な事情のひとつが、保守派メルケル首相が福島第一原発事故以来、それまでの原発推進政策をすぐさま撤回して脱原発路線に切り替えたその決断の早さである。国内の脱原発の強力な流れを察知したすばやい政治的修正という見方もあるようだが、自身が出身地の東ドイツ時代に物理学者でもあったという個人的経歴と基礎的な知識がそうした決断を促したと考えてもよい。ヨーロッパのなかで原発推進派のフランスや天然ガス供給源のロシアなどとの葛藤や厳しいエネルギー事情のなかでこうした高度な政治決断をできる政治指導者がいる国はやはりうらやましい。日本の歴代首相にそれだけの器と知識と判断力をもったひとがひとりでもいただろうか。
 ドイツは一九八六年のチェルノブイリ原発事故の発生にともない国内も重大な被害にあった経験を踏まえており、福島第一原発の大事故を受けてドイツのメディアは独自の調査によって世界のどこよりもはやく、しかも事態の重大さを報道した経緯がある。日本では、政府や東京電力その他のずさんな報道を真に受けて被害の重大さを認識せず、ドイツの報道を過剰報道とみるひとが多かったが、結果をみれば、ドイツ・メディアの報道は正確だった。日本の原発問題をひとごとではなく、先進国家が共通にかかえる世界への責任としてとらえるドイツ人の心性が、この永井さんの本をつうじてつぶさに、しかもリアルタイムでとらえられている。ドイツからだからこそ、外部からだからこそよく日本の実情が見えるのである。実際に再生可能エネルギーの開発にむけてユーモラスな「おむつ発電所」などもふくめていろいろ具体的な試みの事例が報告されている。
 ことは原発の問題だけにとどまらない。日本の政治の姿勢がドイツなどからみるとすべて疑問だらけなのだ。
 最後に永井さんが紹介しているドイツの新聞報道の例をあげておこう。昨年の衆議院選挙の自民党圧勝を受けた見出し――「フクシマを軽視」「日本は原子力を選んだ」。また「少なからぬ地震の危険にされされている国で、原発を再稼働させるだけでなく、新しい原発の建設も視野に入れていくという方針は本当に賢いやり方だろうか? 日本のようなグローバルな大国は、原発を徐々に減らしながら、ほかの再生可能エネルギーを増やしていく方が、未来志向で賢明ではないだろうか」と一見穏やかだが、あきらかに皮肉の論調で述べられた記事もある。こうした外部からの指摘を受けなければならないほど、日本人の自助能力は足らないのだろうか。この参院選にひとつの結論が出るだろう。

(この文章は「未来」2013年8月号に連載「出版文化再生4」として掲載されます)

69 古典を読む悦び

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 小社のシリーズもののひとつに「転換期を読む」というのがある。これはいわゆるコレクションもので、洋の東西を問わず長く読みつがれるべき著作を編集・発行し、あるいは手に入りにくくなっている古典的な作品を発掘・再刊し、これに適切な解説を加えてひろく読者に供しようとするものである。まあ、言ってみれば未來社版の古典文庫なのだが、四六判ソフトカバーで比較的ハンディな厚さのシリーズである。装幀は伊勢功治さんで、瀟洒な造本に仕上げられている。
 このシリーズは、一九九八年にモーリス・ブランショの小説『望みのときに』(谷口博史訳)を皮切りに批評・文学・哲学・歴史学などさまざまな分野にわたっての刊行をめざしてスタートした。二十一世紀を直前にしていたこともあって「転換期を読む」という名前が付された。当初わたしはもっとシンプルに「未来文庫」にしようかと思っていたが、当時の編集スタッフ(いまはもう誰も在籍していないが)の多数意見を容れてこのようなシリーズ名になったのである。当時、わたしは「ポイエーシス叢書」という現代思想を中心とするアクチュアリティのあるシリーズにとくに力を入れていたので、この古典シリーズはほかの編集者にまかせておいたところ、なんとなく中だるみになってしまった感があり、いろいろ考えていると、このシリーズを活性化させるにふさわしい著作はいくらでもあることに気づくことになった。本を編集するということは、なにもムキになって新しい著作を生み出すばかりではないのだ。著者を駆り立ててともに未知の世界を開こうとすることは編集者の特権であり悦びでもあるのだが、そればかりではない。むしろ過去をふりかえってこれまで人類が達成してきた膨大な、さまざまな知見をあらためて新しい眼で再編集していく、という地味な作業が出版を通じてなされていくことが必要なのではないか、と思うようになったのである。
 そんなふうに思うようになったのは、わたしが編集者としての峠を越えたことにも原因のひとつがあるのかもしれない。新しい知を追うにはややトシをとりすぎたこともあろうが、それよりもこれまでの人生のなかで先を急ぐあまりに取り残してきたものの多さに、あるとき愕然としたということがある。これまでの知的財産を十分に知らぬままに新しい知見をもとめても地に足がついていかないことになるのではあるまいか、ということにあらためて気づいたと言えようか。
 これは編集者であるまえにまずひとりの人間として基本的な勉強をし直すべきである、とわたしはあるとき決心した。わたしの場合、日常の仕事としてゲラや原稿を読む以外に、諸関係から送られてくる本や雑誌はひととおりではない。これまでかかわりをもった著者や友人や未知のひとまで会社や自宅に送ってくれる出版物はありがたいことに年間一〇〇〇冊は下らない。義理を欠きながらもこれらのうちのかなりのものは読んでいるのだが、どうしても本来読まなければならないものがどんどん先送りされてしまうことになる。こうして長いあいだやってきたのだが、自分の残りの時間が減ってきて、このままいくと死ぬまでに読むこともできないもの、とくに古典がそっくり来世に持ち越されてしまうことにいささか危機感を抱いたわけである。ひとがひととして知っておきたいこと、知らないともったいないこと、知るべきであることは、この世に膨大にあり、なかでも古典は人類史のなかで選りすぐられて生き残ってきた知見ばかりなので、これを知らぬままでは死んでも死にきれない。ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、そうした心境になってしまったのだからしかたがない。教養主義的と冷やかされようがかまわないと思うことにしたのである。
 そういうわけで、この数年前から自分に課した読書の方針は、純粋な仕事以外にいくつかの種類の古典を毎日最低一〇ページ以上ノルマとして読むということである。こうするとたとえば三〇〇ページの本をひと月に数冊は読めることになる。ジャンルとしてはわたしの場合は哲学系、文学作品(詩、小説)がメインとなる。若いときとちがって乱読するのではなく、ある種の系統(著者とか影響関係とか)を立てて読んでいくのである。もちろん意外な脱線が生じて予定とちがう本を読むことになっても、今度はその流れに乗ってさらに読んでいくことにする。そうすると、ある著者のものでいくつか気になっていた本を読んでいくなかで、思いがけない著者のものを読むことになり、こうしたことをつづけていくと、どこかでそうした線がまわりまわって結びついてくることになる。たとえば、デカルト、スピノザ、ライプニッツと読んできてルソーにつながると、一方では友人の訳したモンテーニュを読んでいてルソーの見解がよくわかるようになる、といった具合である。
 こうした読書の結果は、じつに多くの有意義な、現代にも通ずる先人の目の覚めるような知恵の発見であり、深い感動である。古典を読む悦びがどのページを開いてもあふれている。ときには期待外れのものもあるが、無理してつきあうこともない。ほんとうに必然性があれば、どこかで再会することもある。
 とにかく、こうした読書の習慣からさまざまな発見や情報が得られて、場合によっては出版への可能性が開けてきたり、アイディアがわいてくることにもなる。こうしたなかから生まれたものに、たとえば上村忠男編訳によるクローチェ『ヴィーコの哲学』や水田洋編訳『ホッブズの弁明/異端』、さらにはストラヴィンスキーの二冊の翻訳、直近のものとしては萩原朔太郎の最後の自選アンソロジー『宿命』を粟津則雄さんの解説で刊行する予定であるし、その粟津さんがこの数十年のあいだに著名な詩人や批評家、学者と交わした歴史的な対談をまとめた初めての対談集『ことばへの凝視』もまもなく刊行される。こうして古典を読む悦びが編集する悦びへ、出版の可能性の拡大へつながるならば、出版人としてこれにまさる贅沢はないと思うようになったのである。

(この文章は「未来」2013年7月号に連載「出版文化再生3」として掲載)

 以前から気になっていたことだが、アマゾンでの本の売れ方を見ていると、「マーケットプレイス」経由のものがどんどん多くなってきている。これは「Amazonアソシエイト」という画面で自社の売上げレポートを見ているとわかることだが、要するに読者が自社のホームページからアマゾンに移って本などを購入するとその金額にたいしてアフィリエイトというかたちで紹介料が入る仕組みであって、そのさいに何をどこからいくらで買ったかもわかるという仕組みなのである。この場合、自社の本以外でも、他社の本、場合によっては本以外のグッズでも対象となるので、高額商品の場合などありがたいこともある。
 ともあれ、自社の本であれ他社の本であれ、購入先が「Amazon.co.jp」となっていれば定価販売なのであるが、「マーケットプレイス」となっているといわゆる中古販売で、アマゾンを舞台として出品者が通常は低価格で販売していることになる。この割合がどうやらいまは半分どころか7~8割になってきているのではないか。これはジャンルや価格によるのかもしれないが、その割合はどんどん上がってきているように思えてならない。これはていのよい割引販売でアマゾンは場所を提供しているだけだというだろうが、実際には中古販売に手を貸しているのと同じことで再販制にたいして問題があるのではないかとも思う。出版人はこのことになぜかあまり言及していないようだ。物言えば唇寒し秋の空、ということか。出品者は一種のショバ代を払うだけで済み、この方法で荒稼ぎをしているひともいるらしい。出版社としてはどうにも困ったことであるが、これもブックオフと同様、出版物のリサイクルの一種なのであろう。
 このことはすでに成毛眞が「ネット書評家のお勧め本をインターネットから時価で買うという時代になりつつある」(「変わる『本と私の時間』」「図書」2010年12月号)と書いているとおりである。成毛はこういうネット書評家を「本のキュレーター」と呼んでいるが、影響力のほどはともかく、こういうキュレーターもどきが本について書いているページがネット上にはいくらでもある。わたしの本もいろいろ言及されているのをときに読むことはあるが、はたしてこんなものがひとの購買意欲をそそるものだろうか、と思われるシロモノがほとんどだ。それはともかく、アマゾンの表面上の売上げのほかに、それの倍以上のマーケットプレイス市場があるとすると、これはいよいよ出版界の正常ルート(出版社→取次→書店→読者)の弱体化もむべなるかな、ということである。そういう矢先に、小取次の明文図書が7月末の自主廃業を決めたのももはや偶然でもなんでもないのである。
 小社も所属している「書物復権の会」も一九九七年に発足して以来、ことしで十七年目になる。いよいよこの六月から例年のように各書店でのフェアが開催されるが、ことしは春秋社が特別参加するかたちになって9社になり、従来の復刊活動においてもオプションフェアという新機軸をくわえてますます多彩になってきた。わたしとしても小誌での[未来の窓]連載を終わらせたこともあって、しばらくこの会の活動について触れる機会がなかったので、ここで会のかかえる近年の問題点と新しい展開についてすこし整理しておきたい。
 ことしの復刊書目は9社あわせて四〇点。これまでは各社五点を原則にしてきたが、ことしからは最低三点以上ということにした結果、特別参加の春秋社をふくめて三点の社が三社あった(みすず書房はセット本をふくめて六点、小社は従来通り五点)。復刊事業も適切なアイテムを揃えることが徐々にむずかしくなってきており、その一方でフェアを展開してくれる書店も諸事情ですこしずつ撤退を余儀なくされてきたせいか、初回出荷部数が漸減してきているのがここずっと続いてきている。そのためか復刊事業そのものがやや頭打ちになってきているのが現状なのである。
 とはいえ、復刊候補からもれたアイテムにかんしては、読者の注文さえあれば「オンデマンド」版による復刊が可能になった。この新しい復刊の試みはすでに書物復権運動と連動したかたちで三年ほどまえから始められ、すこしずつ成果を挙げるようになってきた。海外版権のあるものや特殊な著作権事情のあるものは実現していないが、こうした試みによって陽の目を見なくなりつつあった名著がなんとか復権できるようになったことはせめてもの幸いとしなければならないだろう。あわせて紀伊國屋NetLibraryへの出品をおこなうようにしたものもあり、ささやかながらも読者の要望に対応できるようになっている。
 さらに通常の復権フェアとあわせて既刊本を売るためのオプションフェアを準備したところ、予想を超える申込みがあった。特別なものではないが、ことしの復刊書の関連書、これまでの復刊書のベストアイテム、定番書、新刊・話題書、といった四つの切り口に各社それぞれ上位三点のアイテムをリストアップし、書店の希望にあわせて各社三点ずつ、上位二点ずつ、最上位の一点ずつ、という大中小三種類のフェアを選択して書物復権フェアと同時開催するというものである。当初、これまでより拡大ヴァージョンのフェアになるので、書店が受け容れられるか懸念されたが、意外なことに前向きに取り組んでくれようとする書店がかなりあることがわかった。心強いことである。
 それとは別にさまざまな切り口にもとづくテーマフェアのリストを一ダースほど用意して書店からの今後の要望に応えられるようにした。これはすでにこの三月から神保町の岩波ブックセンター信山社で始まっている書物復権の会連続フェア「大事に売っていきたい本」のために準備した六回分をふくむもので、各社三点三冊~五冊、合計二七点のミニフェアである。平台一台程度で展開できる小規模のものであり、信山社フェアを最初のステップとしてそれぞれの書店からのリクエストを期待している。ちなみに信山社でのフェアタイトルは三月「古典再読」、四月「現代史はここから始まる」、五月「思想と芸術の十字路」、六月「境界」、七月「書き手との新たな出会い」、八月「ベスト・オブ・人文書」となっている。なお、この連続フェアは柴田信会長からの依頼で、岩波書店一〇〇周年記念フェアと合同で開催されるもので、月に一度は関連イベントをすぐ上のフロアにある岩波セミナールームでおこなうという、地の利をいかしたなかなか贅沢なものである。関心をもたれた方はぜひ足を運んでみてほしい。
 もうひとつの大きな試みは、紀伊國屋書店福岡本店で五月におこなわれるブックハンティングをかねた「『本の力』~For Next Generation~次世代読者に向けて」ブックフェアである。各社五〇〇点プラス平積み一〇点という大がかりなブックフェアであるが、今回の特徴はそれにあわせて近隣の四大学が参加するブックハンティングである。各大学から派遣された担当者がスキャナーを手に欲しい本を現物を見ながら登録していくという方法で、あとで帯同した紀伊國屋書店外商部で各図書館の在庫照合をしたうえで発注されるという仕組みである。これはすでに昨年の東京国際ブックフェアで初めて導入した試みを福岡の地で実施しようとするもので、はたしてどういう結果を生むことになるのか、まったく予想がつかない。手間とコストに見合うのかどうか、はなはだ興味深いものがある。
 いずれにせよ、こうした新しい試みは書物復権の会のなかでも若い世代が企画し実現しようとしてきたものが多く、会のメンバーのなかで若手が成長してきている側面を反映している。古株としては事務局長として会運営を支えてきたみすず書房の持谷寿夫社長とわたしだけになってきており、こうした若い世代による会活動の新展開は今後の会を考えるうえで非常に頼もしいものである。展望の厳しい出版界ではあるが、とりわけ専門書の販売はますます困難が予想されるなかで、新刊・既刊を問わず、あらゆる手立てをこうじて売る方途を探っていかなければならないのであって、読者がそうした本と出会える場所を設定していく試みは貴重である。
 さて、そうした動きのなかで小社はことしの東京国際ブックフェアへの出展は辞退させてもらうことにした。くわしくは「出版文化再生ブログ」(http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/)の「52 なにごとにも始まりがあり、終りがある――東京国際ブックフェア2013出展をとりやめたワケ」(二〇一二年九月三十日)でくわしく書いたのでここでは再論しない。そこでの新企画説明会もブックハンティングにも参加することはない。残念ではあるが、トータルにみての判断なのでいたしかたないと思っている。(2013/5/11)

                ――「科学はあまりにのろすぎる」(アルチュール・ランボー「閃光」)

 大島堅一『原発のコスト――エネルギー転換への視点』(岩波新書)を読んで、あらためて原発の愚かしさと、それ以上に脱原発へ向けての具体的な取組みの必要性と緊急性、その可能な道筋を教えられた。この本は「大学入学したての一年生が読んでも理解できる」ように書かれたと「あとがき」にあるように、著者のこれまでの政治経済学的立場からの研究を一般書に仕立てたものらしく、たしかにわかりやすい。しかし急所はちゃんと押えてある。
 この本が「大佛次郎論壇賞」を受賞したことにもあるように、こうした原発批判の書がまっとうに評価されることで、この社会もまだ権力者の思うがままに世論操作されるところまではいっていないことを示している。まずこのことを確認するところから始めよう。
 東日本大震災以後、多くの原発批判書が刊行されたが、そのなかで、大島の筆致は怒りを冷静に抑えていたずらに反原発を叫び立ててはいないという点においてきわだっている。政治性や党派性に依拠することなく、政治経済学の論法で原発の内実をひとつひとつ洗い出していくのである。本書は震災の九か月後に刊行されている。したがって、その後の原発問題の推移や政治の動きについての論及はもちろんない。震災当時の民主党政権がその後、内部崩壊してしまい、さまざまな離合集散をみせたあと、もともと原発推進をしてきた自民党がふたたび政権を奪取するというおおいなる皮肉が実現している。自民党のなかでもタカ派の安倍晋三が首相に出戻り、さっそく原発再稼働をちらつかせているこの時代錯誤をどうやったら止められるのか。
 ともかく大島の本を読んでいこう。
 まず、本書は「はじめに」にあるように「原子力発電をどうするかをコストの問題として考えよう」とするものであり、原発が政府や東電などが主張するように、コストがかからない発電であるというウソを暴露し、むしろ脱原発のコストのほうがはるかに安くつき社会にとっても健全であることを解き明かしていく。原発推進側が提出する発電コストとは発電所建設費、燃料費、運転維持費などの直接経費をもとに算出されているが、東日本大震災によって明らかになったように、原発を推進するためには事故処理もふくめて計算外の膨大な費用がかかっている。そればかりかいちど原発を始めてしまったら、半減期が二〇〇万年超もあるような放射性物質もふくんでおり、後始末するのにも気が遠くなるような将来の時間が必要になってくる。こうした莫大な費用や危険負担を現在に生きるわれわれが後生の世代に押しつけていくことは倫理的にも経済的にも許されることではない。使用済燃料の再処理コストなどは「バックエンドコスト」と呼ばれ、将来へのツケとしてまわされることになる。
 本書での大島の原発批判は、書名にも現われているように、コスト論の観点からの批判が眼目であるので、以後はこの観点を中心に確認しておこう。
《発電という行為を社会的にみると、全体としてかかっているコストは電力会社にとってのコストだけではない。(中略)私企業が支払っている私的コストとは別に、社会が全体として支払っているコストを「社会コスト」という。発電コストを考える場合、この社会的コストについても計算する必要がある》(97ページ)というわけである。
 大島によれば、発電コストは基本的に三つの分けられる。
 第一は「発電事業に直接要するコスト」であり、減価償却費(資本費)、燃料費、保守費などから成る。
 第二は政策的誘導をおこなうための「政策コスト」であり、これは技術開発コストと立地対策コストから成る。前者は高速増殖炉開発など膨大な無駄をふくむコストがかかり、後者は「電源三法」にもとづく各種交付金、すなわち原発を強要するための札ビラたたき用資金である。
 第三は「環境コスト」で原発事故の後始末のためのさまざまな補償、移転費用、環境汚染復元費用、損害賠償などを指す。
 電力会社や政府、官僚、御用学者、電力労組らが喧伝する発電コストとはこのうちの第一のコストだけであり、それ以外はすべて税金で垂れ流し的にまかなわれている。将来のツケもふくめてこれらを正常にコスト計算に加えれば、とても原発は安いなどと言えたものではない。
《原発開発に関わって国民が負担するコストは非常に大きい。事故対応に関するコストも含めれば、国民にとって原子力発電に経済性がないことは間違いない》(128ページ)のである。
 もちろん、そればかりではない。「原子力村」(大島はこれを「原子力複合体」と呼ぶ)と呼ばれる強大な利益集団は原発の安全性確保を軽視し、「安全神話」をばらまき、反対派を徹底的に排除した無批判状況のなかで、いったん事故が起きれば徹底的に隠蔽するという許しがたき傲慢によってみずからの無能をも隠蔽し、利権をむさぼっているのである。
《原子力政策決定の場は、原子力発電推進に賛成する利益集団で構成され、一般国民からすれば理解しにくいほど原子力開発一辺倒の議論になっている。原子力の利用に疑問が差し挟まれるようなことは一切ない》(160ページ)のである。では、どうするか。
《原子力複合体(=原子力村)の共通点は、原子力発電利用を進めることに関して疑いを持たず、他の意見を排除しようとするところにある。原発ゼロを含めて原子力政策を再検討するためには、原子力複合体を解体し、根本をたたなければ行政の公正性と中立性が満たされない。原子力複合体における安全神話は非常に根深い。それを解体することなしに、原子力政策の根本的見直しはできない。/まず第一に、福島第一原発事故の原因究明を行い、原子力政策の決定に関与した者全ての責任を問うべきである。》(166~167ページ)
 ところが、これに反して日本原子力学会は「事故原因の究明に関して個人の責任追及を目的とすべきでない」とする声明を出しているとのことである。学会長は原子力部会部会長である東大教授の田中知。クロを隠蔽しようとするこんな学会はまったくヤクザの弁護士のようなものであるとしか言いようがない。利権にまみれた学会などになんの知的権威もない。さっそくこんな犯罪者集団的学会から解体すべきであろう。原子力安全委員会、資源エネルギー庁などもその一味である。たしか原子力保安院とかいうどうしようもないチンピラ(西山某とかいったな)が表に出ていた組織は解体されたかどこかに吸収されたはずだが。
 そういうわけで《福島の事態が目の前にある東日本にとって、「原子力発電は安全である」という神話は金輪際通用しない。東日本において原発を再開させたり、ましてや新規の原発をつくるなどということは極めて難しくなったと言えるだろう》(187ページ)どころか、日本全国で原発再稼働を許してはならないのである。《もはや脱原発は理念ではなく、現実の政策としてとらえなければならない。》(190ページ)
 再生可能エネルギーの十分な現実性についてもくわしく述べられ、立証されているので、反原発から脱原発にいたるためのこれらの議論の詳細については、本書の閲読を期待したほうがいいだろう。脱原発推進の理論構築のために広く読まれるべき本である。(2013/4/23)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)

「新文化」4月11日号の「本を手渡す人」というコラムで熊本の長崎書店長崎健一社長がいいことを書いている。
《私は毎日閉店後に、その日の売上げスリップを売れた時間順に並べていきます。そのなかで、「これは!」とスタッフが目をつけ、挑戦して仕入れた本のスリップを手にした時の喜びは、何物にも替えがたい。ひときわ光り輝いて見えるそれらのスリップは、勇気と自信、そして明日への意欲を与えてくれています》と。
 このひとについてはこのコラムの「最近の『人文会ニュース』がおもしろい」(2013/1/22)でも触れたことがあったが、売上げスリップが光り輝いて見えるという思いの強さは最近ではみられなくなった問題だと思う。
 かつてリブロ池袋店の今泉正光店長は、一日の仕事の総括として売上げスリップをかならず全部みるという作業をしていると話していたことがある。かれが注目するのは、大書店ならば一日でも相当数にのぼるベストセラーのスリップではなく、1枚か2枚程度にすぎなくても自分で注目して仕入れた本が売れていく姿だったと思う。そういう本にこそ書店人としての発見と喜びがあるというわけで、長崎社長は若いひとにもかかわらず、そういう書店人の〈原点〉としての書物への愛、発見と喜びをスリップ1枚のなかに見出しているのである。
 わたしなどもかつては取次の集品が毎朝届けてくれる注文伝票の束を一枚一枚確認していくのを日課のひとつにしていたことがある。いまは出版VANなどで細かい売上げ情報がまとめられてしまったために、どこの書店がどういう本を売ってくれているのか(常備カードというものがあり、売れた日付がスタンプされていたりしたものだ)、どんなひとがどんな書店でどんな本を注文してくれたのか(たまに名前を知っている著者などの記載があった)などという生きた情報を知る機会がなくなってしまい、本作りのリアリティの一部が失なわれてしまったことを残念に思っている。せめて毎日の売上げ伝票のチェックを怠らないようにしているのが精一杯で、それも出荷倉庫が離れてしまったために後日まとめて見るという状況になっている。そうしたすべてにわたって作った本が売れていく現場感覚が薄れていっているのであり、いまの若い編集者などは最初からそうした手応えを知ることもなく日々を過ごしていることになる。この現場感覚の喪失というよりもともとの不在は恐ろしいことだと思う。
 そういうわけだから、いまのように、すべて数値化されてしまう売上げ情報のなかで、現物を見ないで売り方を考えているだけのデジタル主義者にはわからなくなってしまった書物の物質的存在感、売上げ情報の手触り感を大事にしてくれる書店人がここにいることを心強く思うのである。(2013/4/18)
 一昨年(二〇一一年)十一月に小社は創立六〇周年を迎えた。そのさいに社史『ある軌跡』60年版を作成するとともに、それまで十五年(一七六回)にわたってわたしが小誌「未来」に書きつづけてきたコラム[未来の窓]を『出版文化再生――あらためて本の力を考える』として再構成し、刊行した。社史とともにひろく寄贈させていただき、さいわい非常に多くの方から貴重なご意見、ご賛同のことばをいただくことができ、おおいに励まされた。それとともにかなりのひとから[未来の窓]の休載を惜しみ連載をつづけるよう慫慂していただくことになり、うれしくもあり、やや困惑するところもあった。自分としてはいちおうひと区切りつけたつもりであったし、そんなに手応えを感じなくなりはじめていたからでもあったからだが、どうもそういうわけでもなかったらしい。とはいえ、出版人として語ることにそんなに興味をもてなくなりつつある自分がいたことも事実である。いちどこのかたちで書くのをやめようとしたからには、どうしたら再開することが可能か形式を模索していくことになった。
 そうしたなかで、やはりこの国で出版事業にかかわりつづけていると、誰がどう思おうと自分が言うべきことはやはり言っておくべきだと思うことが多くなり、そのためにはあまり枠にとらわれずに書きたいことがあればすぐに書けるブログ形式が自分にとって都合がいいことがわかった。あまり肩肘はらずに、所定の枚数や締切もなく、必要だと思ったことをそのつど書けるこの形式は意外と自分にあっているのではないかと思えることもあり、強制もないことがいくらか自由度を獲得できることになって、この一年ほどのあいだに六〇本ほどのブログを書いた。これをニフティのココログページ「出版文化再生」ブログ(http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/)と未來社ホームページで立ち上げた「出版文化再生」ブログ(http://www.miraisha.co.jp/shuppan_bunka_saisei/)のページに掲載してみたところ、徐々にフォローしてくれるひとが出てきて、これまでにない手応えを実感できるようになった。そうしているあいだに、このなかのアクセスの多かったいくつかのブログを二度にわたって小誌で抄録することもあって、なんとなく機が熟してきたのである。
 そんなわけで小誌であらためて出版にかんするコラムの連載を再開するにあたって考えたのは、『出版文化再生』刊行を準備している渦中で気づかされたことだが、現在のような政治状況、文化状況、出版環境のなかでは、わたしが考えてきたような専門書、人文書をあえて刊行していくことは、ひとつの文化闘争のありかたなのだという発見であり、そのことに自覚的になることであった。ひとりよがりと言われることを覚悟のうえで、この反動の時代に逆らっていくことが、出版文化の再生のためにどうしても避けては通れないことだと観念したということである。『出版文化再生』のオビに大書したように、「出版とは闘争である」のだ。考えてみれば、これまでの[未来の窓]執筆においても、誰に頼まれもしないのに、しばしばひとり義憤を感じていろいろ書いてきたことをいまさらのように思い出す。しかしそれはあくまでもなりゆき上そうなったのであって、今後はこのコラムを書くにあたって、この闘争精神のもとに出版文化の再生のためにささやかながらもういちど出版の問題にかんして発言していくことにしたのである。大げさに言えば、これだけの決心をしなければ一出版人としてのわたしがこの場にかかわる意味はないのである。それがこのコラムを「出版文化再生」と名づけた理由である。
 さきほど先行する「出版文化再生」ブログでのさまざまな反響について触れたが、それでもこれまで[未来の窓]を読んでいてくれた(かもしれない)読者の多くは、活字派の読者が多いだろうから、このブログをネットでわざわざ探して読んでくれることはないだろう。たとえブログをチェックするようなひとでも、印刷してからでないときちんと読むことはできないと公言するひともいるぐらいで、そういうひとのためにも活字化しておくべきだと考えたのである。
 とはいうものの、このページで書こうとするものは、すでに先行して書いてきた「出版文化再生」ブログの一部として書くことになるだろうから、できればここで活字化するもの以外の、先行しあるいは今後も継続されるブログとあわせてお読みいただければさいわいである。もちろん本欄の原稿も、以前の[未来の窓]がそうだったように、完成した時点でブログページに掲載するつもりである。したがって活字になる以前に中身を読んでもらうこともできる。
 その意味では、このコラムもこれまでのブログの延長で書きすすめることができそうな気になってきた。ちがうのは、決まった文字数で書かなければならないことと、活字メディアに掲載されることだけである。とくに後者がどのような意味をもつようになるかは今後の問題として関心がある。というのは、ブログで書くものは、いかに専門的な内容であったとしても、それが私家版としてプリントされて読まれ保存されるような場合を除けば、基本的に〈情報〉として処理されてしまうのを覚悟しなければならないのに比べて、本や雑誌に活字化されるということはたんなる情報以上の価値をもちうるチャンスがあるからである。そのかぎりにおいて、いかに人気のあるブログであろうと、それは活字化以前の情報にすぎないのである。
 本(や雑誌)というパッケージ形態がネット上の情報を凌駕することができるのは、それが情報以上のものとして初めて読まれうるからだというその優位性はいまでも変わらないはずである。すくなくともわたしはそう信じている。わたしは「思考のポイエーシス」「ファイル編集手順マニュアル」など数本のブログを並行的に書いているが、これらも活字本としての最終形態をめざしていることは言うまでもない。(2013/4/3)

(この文章は「未来」2013年5月号に連載「出版文化再生1」として掲載)
 3月26日、東京大学駒場キャンパスにて「人文学と制度」というワークショップが開かれた。未來社から刊行されたばかりの西山雄二編『人文学と制度』をめぐっておこなわれたもので、執筆者(西山雄二、宮崎裕助、大河内泰樹、藤田尚志、星野太の各氏)の報告とあわせて活発なフロア・ディスカッションがたたかわされ、予定の二時間を軽くオーバーして終了した。
 大学において人文学を研究対象とすること、そのうちに孕まれる危機が現在の学問の危機であると同時に大学という制度の危機でもあるということをふまえ、どのようにこれを打開していこうとするのか、打開できるのか、何のための学問なのか、学問はどこへむけて開かれようとしているのか、といったさまざまな課題をかかえていることがあらためて浮彫りにされた。大学という制度の歴史と現在を「哲学」という視点からそのかかわりを俎上に乗せた西山さんの前編著『哲学と大学』の諸議論の延長線上に今回のテーマは設定されたわけである。
 現在の大学制度自体が厳しい管理主義的な功利的システムのなかに組み込まれ、そこでの学問のありかたも従来のような純学問的な方向性は無用化され、社会の現実的な利益や目的に速効性のある知見ばかりがもてはやされ、そうした知見を生み出す学問それ自体への問いが不問に付されたままにされている。ワークショップでも飛び出した〈アカデミック・キャピタリズム〉ということばに象徴されるように、いまや大学は社会の批判的実践のための基盤ではなく、現状を維持するための護教的な制度に成り下がろうとしている。そこでは豊かな可能性をもった人間を育て上げるのではなく、現状社会に無批判的に奉仕する高機能な歯車人間を輩出するだけの組織になろうとしているのだ。
 ここで議論の対象とされている人文学の危機とは、こうした大学をとりかこむ現実のむき出しの経済論理にこれまでにないほど直接的に向き合わざるをえなくなった事態を反映している。そもそも人文学という名称そのものが示しているように、かつての人文科学と総称された学問形態――哲学・思想、宗教、社会、歴史、心理、教育――と重なり合い、それらを包摂し、相互媒介されるところに立ち現われてきた新しい学問の方法である。それらはいまだ固有の領域をもたず、それにかかわる論者それぞれに固有の問題領域やテーマ設定がある、いわば生成途上の学知なのである。ただ共通する一点は、これまでの学問体系の狭い枠組みに妥協的に取り込まれることをよしとせず、社会のリアルな動きにたえず目を配りながらこれを批判的に検討することをみずからの使命とすることである。ここにおいて人文学をみずから選択するものは、その対象化の先にかならず対象への批判的視点を担保し、そのことによって対象からの反動を覚悟しなければならない。その意味で、人文学とはあらかじめ危機的であることをその属性とすることを余儀なくされた学知である、と言ってよい。
 いま、人文学の危機が取り沙汰されるのは、この危機的な属性がいよいよ制度的な外圧として学問や研究を潰しにかかってきたことへの危機感の現われなのではないか。そのことにわれわれは敏感でなければならないのは言うまでもないが、そうした危機のなかでこそ人文学の体幹が鍛えられ、そこから新たな飛躍が出現するということももう一方の真相である。優れた人文書とはそうした危機の産物であり、危機的状況を逆手にとって混沌とした状況に危機の本質をみごとに露出させてきたではないか。人文学を志すものはいまこそこの逆境を乗り越えなければならない。そう言うのはたやすいが、ぜひともこの壁を克服してもらいたい。それしか先に道はないからだ。
 ワークショップの最後にあらぬことか総括的な発言をするべく指名されたが、わたしが言いたかったのは、こうした制度の危機とは、大学のなかにあるだけでなく、いわゆる外部としての経済社会のなかに世界的趨勢として現出しているものであって、わたしの属する出版の世界もその渦中にあり、そのなかで優れた人文書の掘り起こしをめざして悪戦苦闘する日常のなかで、この危機をともになんとか乗り越えていきたい、その闘争をつうじて人文学の未来が見えてくることを願っているということである。その意味でこの論集がこういう問題の所在に手を付けたのであるからには、これを起点にさらなる問題の掘削が必要となるだろうし、おおいに期待しなければならない。(2013/3/28)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)

(なお、この論集をめぐるトークショーが来たる29日夜にブックファースト新宿店地下にて、西山雄二さんと小林康夫さんの対談形式でおこなわれる予定である。さらなる問題の深化をみたいと思う。ぜひ参加されたい。)

 昨年暮れに申請が締め切られた経済産業省推進の「コンテンツ緊急電子化事業」も最終的にはどうやら予定していた予算を消化したらしい。出版界の電子化事業を国がバックアップするという触れ込みで始められた事業だが、出版界の当初の反応の悪さもあってかなり難航し、途中で何度も条件緩和などがなされて、なんとか目標を達成することができたようである。
 とにかく世は挙げて「電子書籍」化へむけて動こうとしている。これには一九九六年をピークとして下降をつづけてきている出版界の売上げ減少を食い止めようとする業界努力と言えなくもないが、はたして電子書籍というものがほんとうに出版界にとって、あるいは出版文化にとって起死回生策になるのだろうか。
 ひとくちに「電子書籍」といってもさまざまな形態があることをひとはあまり知らないのではないか。テレビなどが喧伝するように、アマゾンのキンドルのような電子書籍用リーダーを使って読書をすることがこれからの読書モデルと思わされている。しかし「電子書籍」と呼ばれるもののなかには、紀伊國屋書店やジャパンナレッジのように、既刊本のページを利用者に閲覧できるようにしたものもある。
 今後、電子書籍がさまざまなかたちで開発され商品化されていくことは間違いないが、アメリカのように、電子書籍が紙媒体の書籍(従来の書籍)を売上げにおいて上回ってしまうというような事態は、日本やヨーロッパのように歴史が古く書籍文化の伝統の厚みがある国では、そう簡単に起こらないのではないか。これには国土の広さ、書店の身近さ、言語表記の問題(なんといっても英語は文字数が少ない)といった点にも原因がある。
 日本の現状で言えば、これまで積極的に電子書籍化がすすめられてきたのは、マンガ、コミック、ベストセラー小説といったたぐいの一般書である。これらは何度も読み返したり立ち戻ったりして読むものではなく、一方向的に進められていく「読書」であり、総じて一過的なものである。それにたいして専門書出版社があまり電子書籍に乗り気でなかったのは、もともとビジネスモデルとして想定しにくかったからでもあるが、それ以上にこうしたリーダー上で読むにはむずかしい種類のコンテンツが専門書だからである。
 書物とはたんなる情報のパッケージではなく、それ自体がある種の固有価値としてのモノであり、読者がそれらを熟読することによって無限の可能性にみずからがひらかれていくものである。本のかたち、活字やレイアウトの美しさ、装幀などによって一冊の書物としての存在感をもち、それが読書体験をつうじて人間の脳にしっかり定着される。モニタ上の電子情報にくらべて書物を通じての読書の記憶は脳のより深いところで定着すると言われている。こうした深い経験としての読書こそがこれまでの文化を創ってきたのであり、出版文化とはまさにそこにしか存在しない。本の内容をたんに情報としてしかとらえられなくなっている読者が増えているとしたら日本の将来は由々しきものとなろう。
 電子書籍とはオリジナルの書物の二次的派生物として存在理由があるだろうが、オリジナルの書物不在のところからは新しい文化は生まれない。出版界が書物のオリジナル開発に力を入れなくなり、電子書籍化に血道をあげようとするなら、それは本末転倒の自滅行為となるだろう。

(この文章は「サンデー毎日」2月10日号に掲載された「『コピー』からは新しい文化は生まれない」の元原稿を転載したものです。内容的に本欄の「56 電子書籍はオリジナルをどこまで補完できるのか」と重なるところがあります。)

 思い立って小林康夫さんを誘い、横浜市民ギャラリーあざみ野での「写真家 石川真生―沖縄を語る」展を見に行ってきた。この展覧会は2月2日から24日まで開催されている。ほんとうは2日のオープニングか翌日のトークに行きたかったが、あいにくインフルエンザにかかってしまったため遠慮したのであった。
 会場入口で友人らしいひとたちと話している真生さんを見つけ、挨拶してから入場(無料)。予想を超えてなかなか立派な会場で、展示も「熱き日々inオキナワ」「沖縄芝居」「森花―夢の世界」の三部構成で見応えがあった。なかでも最近の仕事という「森花―夢の世界」は、吉山森花さんという若い女性がみた悪夢の世界を当人のイメージのままに演じたシーンを撮ったもので、強烈そのもの。写真集『日の丸を視る目』にも登場していた子だが、真生さんの新しい世界を覗かせるものだった。一見の価値のある展覧会だと思う。
 生前のおそらく最後の動画であろうと言われる東松照明さんのインタビュー(2012年4月)のビデオが会場で流され、石川真生について静かにとつとつと語る東松さんのことばとしゃべり方が印象的であった。亡くなった東松さんへの真生さんのコメントもパネルで読むことができ、泰子夫人ともどもお世話になったことが書かれていて、東松さんの一生が最後まで立派でしあわせであったと結ばれていた。東松照明の偉大さが伝わってくるとともに、東松さんに評価された石川真生という写真家をあらためて見直さざるをえなかった。(2013/2/11)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を転載したものです。)

「人文会ニュース」がなかなか充実している。
 昨年9月刊の113号では新宿紀伊國屋書店本店の吉田敏恵さん(MD=マーチャンダイザーとか)のインタビュー「人文書担当としての試み2001-2012」を平凡社の根井さんがうまくまとめている。〈じんぶんや〉の試みなど、とくに目新しいわけではないが、最近の紀伊國屋書店の取組みをわかりやすく引き出している。
 吉田さんは人文書にたいしてもうすこし「ビジネス」を意識したほうがいいんじゃないかと、著者、編集者、出版営業にたいして注文をつけている。わたしなどにとっても耳の痛いところだ。書名の付け方などにもうすこし工夫したほうがいいんじゃないかと思うことはしょっちゅうある。なにもすべてわかりやすく売れやすくというばかりが能じゃないが、読者に内容が伝わりにくいもの、せっかくそのものズバリで端的な書名が付けられるのにわざわざトーンダウンさせてしまうものもある。本は一冊一冊が勝負なので、あとで修正がきかない。このあたり書店現場のひとに意見を聞くのもいいのだろう。
 吉田さんは書店現場と編集者のコミュニケーションがもっとあればいいのにとも主張している。これはわたしの持論でもあって、そう言えば、いつぞやの東京国際ブックフェアの新刊説明会のあとの懇親会で吉田さんにもそのことを力説した記憶がある。そうなんだよね、もっと交流してすこしでも売れる本を作ること、そうした本をどうやって売ってもらったらいいか考えることを進めていかなくちゃいけないんだ。
 さて、次のできたばかりの114号では熊本の長崎書店(長崎の熊本書店じゃないよ)の長崎健一社長が「『老舗書店』の矜持とチャレンジ」といういい文章を書いている。「日頃の商品情報の収集と分析、販売情報であるスリップの読み込み......そこから仮説を組み立て、検証していくという地道な仕事の繰り返しを、多忙を言い訳にせず可能な限り丁寧に行なっていきたい」と。すばらしい。こういう書店人(しかも若い)が出てきたことに目を覚まさなければいけない。ここもむかしはたしか未來社の常備店でもあったな、と思い出す。ついでに昨年のいつごろだったか、この若社長と人文担当の児玉さんが来社されて、しばらく話をする機会があった。わたしも持論の「棚はナマモノ」説を話していささか辟易とされたかもしれないが、もうひとつ偉そうに、人文書の棚の作り方のヒントとして、人文書が本のネットワークであること、その指標としてコアになる本の参考文献や引用文献などから本同士の連繋が探り出せること、その関連性をつないでいくような棚を作っていくのも簡便な方法ではないか、などとしゃべってみたが、その後、なにか実践してみて役に立つようなことがあっただろうか。そんなことを思い出して書いておきたくなった。(2013/1/23)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を転載したものです。)

59 文字文化への可能性?

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 細見和之の「書籍文化と文字文化――若い世代の言語体験への期待」というエッセイを興味深く読んだ。これは「PO」という大阪の同人誌に書いたもので、けっこう本音にちかいところで書かれていて(かれの文章はいつもそうだが)いろいろかれの仕事ぶり、パソコン音痴ぶり(失礼!)がうかがえてほほえましい。そこでの細見の論点は、いまの若者は携帯メールなどをつうじて文字の入力に以前の人間よりはるかに慣れていて、すくなくとも一日の文字入力の分量では一流の物書き以上だということから、これが言語体験として深まる契機があれば、それはひとつの可能性だというに尽きる。
 メールのように「瞬時に応答するのでなく、じっくり推敲して書いた文章の味わいというものを伝えること、自分でもずっと残しておきたいと思える文章を書いてみる楽しさを伝えること、そういうことがすこしでもできれば、彼ら、彼女らの言語能力は新たな文学への道を開くのではないかと思う」と細見は書いている。
 たしかにこういう観点も、いたずらに書籍文化の衰退を嘆くよりはいま必要な希望かもしれない。しかしそこに携帯メール入力から本気で書くことへのジャンプという決定的な契機もまた必要で、惰性の延長が真のエクリチュール(書くこと)につながるわけではないことも明らかである。その深淵を飛び越せるかどうかが、物書きへの転生が実現できるかどうかの分かれ目なのである。(2013/1/21)


58 東松照明氏の思い出

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 昨年十二月十四日に世界的な写真家・東松照明氏が那覇で亡くなられた。死去の報は、年が明けて仕事始めの一月七日になってオープンにされたが、それまでは箝口令が布かれていたようである。地元の新聞でも報じられたのはその日の夕刊だったようだ。毎日新聞からの問合せでそれを知ったのだが、仲里効さんからもその後くわしいお知らせの電話をもらった。以前から体調が思わしくなく、心臓が弱っていらしたが、これまでも何度も死地を逃れてこられて「不死鳥」のあだ名さえ付けられていた東松氏であったが、ついに永眠されてしまった。八二歳。謹んでお悔やみを申し上げたい。
 わたしなどは東松氏のほんの晩年に沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の一冊として写真集『camp OKINAWA』を刊行させてもらうことでおつきあいさせていただいただけだが、それでも何度かお宅におじゃまして、生前のまだお元気だった氏とことばを交わすことができたのは幸運だった。
 最初におうかがいしたのは二〇一〇年六月六日、仲里効さんに案内してもらって、〈琉球烈像〉への参加承諾へのお礼と挨拶をかねたものだったが、さっそくにもその秋からの展覧会にあわせて写真集のプランをあらかじめ考えていただいていたのにはびっくりだった。もとはと言えば、その年の一月に前年に刊行されこの写真集シリーズの引き金となった仲里効写真家論集『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』の出版記念会でお会いして挨拶をさせてもらったのが最初だが、その会で東松氏が二度にわたって挨拶されたことが印象的で、そのことに触れたわたしの[未来の窓]という連載のなかの文章が東松氏の気に入られて、まさかのシリーズ参加になったといういきさつがある。最後におじゃましたのは二〇一一年八月二十八日、石川真生さんの写真集『日の丸を視る目』のプリントを東松夫人から受け取るために真生さんといっしょにうかがったときで、このときは一時間ほどわたしと真生さんの掛け合いをおもしろがって聞かれていたこともいまとなっては楽しい思い出である。
 そう言えば、『camp OKINAWA』が刊行されてまもなくの二〇一〇年十月二十一日、この写真集刊行のお祝いの会がやはり那覇で開かれた。二五人ほどの小さな会だったが、東松氏がこの歳で自分の初めての出版記念会だと喜んでおられたのは意外な気がした。沖縄では頻繁に出版記念会が開かれることをわたしはこの間の「沖縄詣で」で知ることになったのだが、考えてみれば東松氏は那覇に住民票を移されてまだそれほど経っていない時期だったのである。小さなことだが、氏の唯一の出版記念会のきっかけになった写真集を刊行できたことはその意味でもよかったと思っている。
 写真界における東松照明氏の存在の大きさはわたしなどにはまだ十分つかめていないところがあるが、それはしかるべき識者におまかせして、わたしの知るかぎりの東松照明という人間について記した次第である。(2013/1/18)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を転載したものです。)

57 ルソーの勉強法

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 ルソーは二〇代半ばで死にそうになって、「毎日をこれが最後の一日」と考えるような状態になったとき、これまでなおざりにしてきた読書をつうじての研究によってこの危機を乗り越えることができた。医者の処方をあてにせず、体力の許すかぎりで普通の生活に戻ってみることによって、なんとか回復したのだが、そのときのことを回想してこんなふうに書いている。
《要するに、息を引きとるまで勉強するということがわたしにすばらしく思えたためか、あるいは生きられるというかすかな希望が心の底にひそんでいたためか、死のおとずれを待ちつつも、わたしの研究心はおとろえなかった。それどころか、かえってさかんになり、わたしは来世のためにわずかばかりの知識をせっせとかきあつめるのだった。》(『告白』第六巻)
 こうしてルソーは二十五歳ぐらいまでは「何も知らずいて、それからいっさいを学ぼうとするには、時間をうまく使う覚悟が必要だ」という認識に達し、「万難を排して、あらゆる事柄についての知識を獲得しよう」とする。二十五歳からの勉強というだけでも、これだけの熱意をもってすれば、すでにそれだけでなにものかであろう。ルソーはこの実践のなかで、ひとつの方法を発見する。
《精神の集中を要する本を数ページもつづけて読むと、気が散ってぼんやりしてしまう。それ以上がんばっても骨折り損で、目まいがしてきて、なにも見えなくなる。だが、異なった主題ならたてつづけにやってきても、目先がかわるから、中休みをしなくても楽につづけることができるのだ。》
 これはわたしにはとてもよくわかる。以前にも書いたが、ルソーの考え方はわたしには見習いやすいところがある。どこか気質が似ているのかもしれない。もっともルソーほどにすべての知識をいまさらめざそうというわたしではないのだが。
 先日、若い友人にわたしの古典読書法について感想を言われたのだが、わたしのルソー的分裂気質は一冊ずつの読書には集中できないところがあり、どうしても目先の読書の必要に迫られてそれに追われてしまうばかりで、本来の自分が読むべき本の山がどんどん堆積していってしまう。このままいくとどんどんバカになる(バカのままになる)という恐怖からいわゆる〈古典〉と呼ばれるものを最低一〇ページずつ寝るまえに読むという習慣をつけるようにした。三〇〇ページの本ならひと月以内に読了するというわけだ。さらにジャンルのちがう〈古典〉を複数読むようにしたから、おもしろいことに、そういうノルマを課すことによって、いろいろなレベルで読まなければならない本を同時並行的に読み進めることができるようになって、以前より読書量が格段に上がった。気分転換ができるからとっかえひっかえ読んでいても飽きるヒマがないからである。こういう読み方をすると、一冊ごとの読書のペースはさして上がらないが、同時に何冊も読んでいるので、どれかがしょっちゅう読み終わることになり、そのジャンルごとに後続本を決める楽しさも出てくるというわけである。いかにも教養主義的と思われるかもしれないが、まさにそうなのかもしれない。ルソーじゃないが、来世のための読書にすぎなくても、べつにかまわない。読書というものは読めば読むほど、読まなければ気がすまない本が増えていくものだが、こうしたネットワークのなかに既読本が出てくることが相対的に多くなると、読書の厚みが増してくるような気がしてくる。
 こうしてルソーの『告白』などという、もしかしたら積ん読に終わったかもしれないおもしろい本と出会うことができたのである。これを読まなければ、こんな文章を書くこともなかっただろうと思うと、読書の効用というのはなかなかのものであるとあらためて思う次第である。(2012/12/3)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を転載したものです。)

 紙の本(嫌な言い方だが)から電子書籍へという流れがあるとして、その大きな差異のひとつは、ページという概念が消失することである。したがって索引という意味も消える。かつて巻子本(巻物)その他から冊子本(コーデックス)に書物の形態が移行したときに初めてページという概念が成立した、まさにその逆の現象である。ページがないということは「行」という概念も消えることである。紙に印字され固定されたテクストの文字は、PDFで配布されるようなオリジナルの版面をそのまま流用した電子化ならともかく、いま一般に喧伝されている電子書籍、すなわちテクストがページや行から独立して(解放されて?)どのようにも見ることができる文字データとして動体化されることによって進化をとげると見なされ、紙の本はいずれ消滅するものとされている。
 そこで電子書籍の有利なところは、図書館などもふくめた管理スペースの限界の問題や本それ自体の劣化といった保管上の問題の解決、さらには携帯性において電子データはほぼ無限にパソコンなどに保存でき、いつでもどこでも閲覧できるといった便利性において考えられている。わたしもそのこと自体は否定しない。ただ、本を読むということだけ考えてみても、それだけでいいのだろうかというのがわたしの根本的な疑問である。
 ロジェ・シャルチエはグーグル問題が発生したときのコメントでこの危うさをいちはやく指摘している。
《「同じ」テクストであっても、それが記される媒体が変わると、もはや同じテクストではなくなってしまうのであり、したがって、新しい読者がそのテクストを読む方法も付与する意味も変わってしまうのである。》(「デジタル化と書物の未来」、「みすず」2009年12月号)
 シャルチエは、これまでのあらゆる「著述文化で媒体とジャンルと慣習とを密接に結びつけていた関連性」がパソコン画面に映し出されたテクストにおいては断ち切られてしまっていることを指摘している。つまり書物においてはどの文字も一冊の書物全体のなかに位置づけられざるをえず、必然的に書物の文化全体のどこかに場所を与えられている。それを読む者は、たとえその一部や断片しか読まなくても、その断片がどういう文化体系のなかに存在しているのかをいやでも意識せざるをえない。読者は本を読むそのローカリティにおいてそれぞれのテクストに対面しているのである。しかし電子書籍はそういった読書における読者の意識を解体し、浮遊させるのである。シャルチエはさらにこう述べている。
《(書物のような)媒体が存在していればこそ内容を整理し、階層化し、それぞれのアイデンティティによって識別できたのだが、デジタル化コンテンツの世界では内容はもはや媒体そのものに刻まれているのではない。それはコンテクストから切り離され、並べ置かれた断片で、限りなく再構成できる世界であり、それらが抽出された作品における関連性を知ることは必要とされず、望まれなくなってしまっているのである。》
 こうして「継続性がなく、断片化された新しい読み方」こそがグーグル社が意図した情報のインデックス化と階層化につながり、巨大化されたデータベースがいずれは商品化されていくだろうという認識をシャルチエはもっている。そのことが意味するのは、さらに言えば、読書の経験というものがかぎりなく断片化され、本全体がもっている意味の総体という固有の重厚さが失なわれて、しまいには解体されていくという恐るべき事態である。断片化された情報しか読むことができなくなった読み方は、そもそも長い作品を読むことに物理的に耐えられないし、作品のそれぞれの箇所がもっている意味の重層性や相互関連性を読み解く根気も養成されることができない。とりわけ文学作品のように表面上の意味を貫いて潜在する、より深い意味性を探りあてるような読解力は身につかないままになってしまうだろう。携帯電話の情報交換のようなものに代表される短絡的な意味のない情報、一時的な情報ばかりが猖獗し、本来の読書における、書物の内容と読者みずからの経験の相互交通から新しい自分を再構築していくようなダイナミズムはもはや必要とされなくなりつつある。
 電子書籍の有意味性はあくまでも、あるべき読書や書物を前提としてそれを補完するものでしかない。シャルチエが言うように、図書館の「基本的な任務」は、かつての読書が成立した媒体にそのままのかたちで温存されたテクストを保護し、カタログを作成し、ひとびとの手に届くようにすることであり、そのことを前提にしたうえでのデジタル化の問題なのであり、われわれはオリジナルの書物とその二次的産物たる電子書籍の価値を混同しないようにしなければならない。ひとことで言って、どんなに偉大な作品でも、その全体を知らずして部分だけをとりあげれば、ただの情報にすぎないということをわれわれは断固として主張すべきなのである。文化はそのかぎりにおいてしか保存することはできないからである。(2012/11/9)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)
 柴野京子さんから送ってもらった『書物の環境論』をおもしろく読んだ。この本は弘文堂が新しく始めた「現代社会学ライブラリー」というシリーズの一冊として書き下ろされたものであり、コンパクトななかに出版の歴史から直近の出版情報まで盛りだくさんに書き込まれており、なかなかよくまとまっている。いかにも取次の現場にいたひとらしく、流通という視点からみた書物の置かれる場所と環境といった現状を洗い出して、その問題点を過不足なく論じていく手さばきは堂に入ったものである。だからこその「環境論」ということなのだろう。この本の狙いはメディア論として本と出版について論じようとしたものだと柴野さんがはじめのほうで書いているとおりの成果を収めている。
 わたしのように本や出版について語るとおのずから編集の問題や文化論のほうへ傾いてしまう人間にとっては、こうした柴野流の外側からのアプローチには馴染みにくいところがあるが、それでも、たとえば、日本の出版業の歴史をふりかえって、取次という存在が日本において特異なかたちで発展した結果、欧米の業界にくらべてある種の合理性が獲得されているという指摘など、なるほどと思わせるところがある。世界大戦を契機として日本の出版界が統合されたことに起因する一元流通のしくみが、本の環境にとって「公共的」な環境となっていること、取次について言えば、「ここに投資や体力が必要な部分を集めることで、出版社が大きな資本の傘下に吸収されずにすむ」(本書40ページ)こと、そして取次とは出版業界ぐるみの「大型アウトソーシング」(同前)であることの指摘なども興味深い。この公共的環境があるために、「小さい規模の出版社や書店でも、大手とおなじように出版物の生産や流通が自由に行える」(46ページ)ことによって文化の多様性が保護されていると柴野さんは書いている。このあたりはやや目線がすこし上のほうに行き過ぎているように思えるところがあって、現実はもっと不平等な自由しか存在しないのではないかと思われるが。
 柴野さんの本で知ったことはいろいろあるが、おもしろかったのは、岩波文庫が初めて業界的に売上げスリップを始めたこと、文庫のオビ色を5種類にすることによって、書店への補充とその収納するべき棚の場所がわかりやすくなったこと、そしてそれが「書店の書棚空間を利用し、占有しようとするものだった」こと、「文庫は書店の棚を利用した」(138ページ)ものになったこと、といった見方で、これは一種のメディアテクノロジーであったといった指摘である。なるほど、本来は書店の自由と自発性の表現であったはずの書棚がこうして出版社主導の棚に変えられていったとすれば、岩波文庫の戦略はきわめて大きな影響を与えたことになる。わたしなども深くかかわった人文会による人文書の棚分類と必須アイテムのリスト作りなども、結局はこうした出版社主導の書店戦略と言われてもしかたのない面をもっていたかもしれない。こういう見方もあるのか、という視点の違いはこの本を読むうえでいろいろ参考にもなり、気づかせられたことも多かった。
 この本が流通現場の経験者の立場から書かれた「環境論」であるためか、出版の内実を支えている著者や編集者の仕事に内側から迫る観点がいっさい捨象されているのは、もちろんないものねだりであるが、製作現場の問題にもっと踏み込んでもらえたら、よりいっそう立体的な書物論、出版論が生まれるのではないかと思う。わたしがかかわってきているような編集的側面、文化論的視点がほとんど論及されていないのが、わずかに不満と言えば言えようか。(2012/10/4)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)

 28日の夕方に那覇に着き、さっそく6時から首里のレストラン「FORATO」で仲里効『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』(未來社)・崎山多美『月や、あらん』(なんよう文庫)の共同出版会に参加し、つづいて29日は6時から久米の沖縄青年会館で写真家・山田實さんの94歳の誕生祝いをかねた、写真集『故郷は戦場だった』(未來社)と『山田實が見た戦後沖縄』(琉球新報社)の出版を祝う会に出席した。後者はわたしが力を入れてきた沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻の完結祝いをかねての祝賀会でもあり盛大な集まりだった。めずらしく日曜と月曜という変則的日程だったが、いずれも仲里効さんがキーマンとしてからんだ企画の集大成であることもあり、いずれも版元挨拶が設定されていて、これは無理をしてでも参加しないわけにいかなかった。それに9月から沖縄県立博物館・美術館で開催されている「山田實展 人と時の往来」もきょうの朝早く出かけて行って急ぎ足ながら見て東京へ帰ってきたという次第である。
 仲里効さんの新著『悲しき亜言語帯』は、1972年という沖縄の「本土復帰」の年の映画と映像を対象とした『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(2007年)と、沖縄に関係の深い写真家を論じた『フォトネシア――眼の回帰線』(2009年)とともに、わたしが命名したということになっている〈仲里効沖縄批評三部作〉の集大成として。小説、詩、戯曲を中心に論じた文学批評集である。いずれも沖縄のイメージや言説に深く食い込んだそれぞれの表現者の表現をめぐって、さらに批評的な鋭い分析をくわえた端倪すべからざる言説を縦横に展開した力作ぞろいである。この三部作のうち、実際にわたしが企画と編集にかかわったのは最後の2冊だが、これを〈沖縄〉と〈批評〉をコアにして仲里効という稀代の評論家に最新の論陣を張ってもらうという構想はなかなかのものだとわたしは確信している。そうしたなかで『悲しき亜言語帯』で熱く論じられた作家・崎山多美との合同出版会(出版記念会ではなく、自由に論じあうという意味での出版会だと主催者は主張していた)は、仲里さんの批評がたえず軸線を動かしながら他者との関係を構築し(直し)ていく力学を孕んでいることをおのずから示唆している。この流れのなかで崎山多美さんの小説にも今後かかわりがもてそうな予感がしている。(その後、きょうの帰りの飛行機の中で読んだ『月や、あらん』のタイトル作は、沖縄に移ってきたらしい「カリスマ女性編集者」の偏執的なこだわりが次第に内的な人格崩壊に導かれるという衝撃作で、ウチナーグチを随所に織り込んだ手法にはあらためて瞠目させられた。)
 こうした仲里効の批評が孕むおのずからなる運動の力学は、『フォトネシア』の元になった原稿を雑誌連載中に、わたしが無謀にも関心をもった(もたされた?)沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉という大企画を触発させることによって、このたび3年の年月をかけて完結した写真集全9冊にも反映している。きのうの山田實さんの祝賀会は、沖縄の写真界の草分け的存在であるばかりでなく、いまもその豊かで包容力のある人柄で沖縄の文化界の重鎮でありつづけている山田實という人間をあらためて浮彫りにした感銘深い会であった。そしてその山田さんをトリにしてシリーズ完結を意図した仲里効の文化戦略は、その意味できのうの沖縄文化人総結集の場を必然的に演出するものであったと言っても過言ではない。わたしはみごとにそのお先棒を担がせてもらったわけだが、こうした無謀ではあるが、手前味噌を覚悟で言えばおそらく日本の出版史上においても稀にみる写真集シリーズの企画の現実化は、たしかに仲里効という強力な個性と才能との遭遇なしには起こりえなかった。そのかぎりにおいて、出版人としてのわたしの仕事もここにひとつの達成をみたと自負してもいいと思う。
〈仲里効沖縄批評三部作〉と沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻のほぼ同時的完結によって、連日の出版祝賀会が開かれたのは、したがって、なんの偶然でもない。しかし、これが沖縄をめぐるわたしの一連の出版活動のひとつの大きな区切りになったことは事実であり、ある意味では寂しくなくもない。ここまでに築いてきた拠点をさらなるステップによって新しい展開を見出していかなければならないと気を引き締めなおそうと思っているところである。(2012/10/30)

(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)
 元東京堂店長の佐野衛さんのエッセイ集『書店の棚 本の気配』(亜紀書房)が刊行された。この11月には出版記念会も開かれる予定である。そう言えば、ちょっと前にも定年前に退職することになった佐野さんを激励する会があったのを思い出す。そのときには佐野さんについては言いたいことがあると幹事役の白石タイ塙書房社長に伝えておいたら、なんと出版社を代表してひとりだけ佐野さんへの挨拶をさせてもらったことがあった。言いたいことのほんのすこししか言い切れなかったような気がするが、持谷寿夫みすず書房社長からは挨拶がうまくなったとか、いちおうのお褒めももらった。もっとも以前がよっぽど下手だと思われていたからだろうが。事実、そうなんだけどね。そもそもこういうスピーチ嫌いだし。
 そんなこともあって、このエッセイ集についての感想のひとつも書いておきたい。先日のツイッターでも触れたが、哲学書も書いている佐野さんらしく、哲学者の引用が最後のほうは多くなっている。ハイデガーやショーペンハウアー、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、マルクス、それに廣松渉......といった具合。意外なのが小林秀雄についての言及がけっこう多いこと。そっちの方にも目配りしていたわけね。それからバッハしか聴かないという趣味も、へェー、という感じ。そんな佐野さんが東京堂書店という場を通じて本と人との出会いをどれほど演出していたのかがこの本を読んでいるとよくわかる。一見とっつきの悪そうに見える佐野さんが作家や物書きなどにも気に入られていることがわかって、なぜだかホッとする。わたしなんかよりよっぽどつきあい上手なんだ。出版界の知り合いもたくさん登場するが、わたしはいちども出てこない。残念な気もするが、もともとそんなにしょっちゅう出かけていたわけでもないから無理もないし、そもそもわたしなどお呼びでなかっただけかもしれない。(*)
『書店の棚 本の気配』にはそういう交友録から書店論、本とは何か、といったさまざまな話題が提供されていて、本好き人間の多面的なエッセイになっている。いくつか気にいった文言を以下に引いておく。
《本を探すということは、自分の内部のコンテクストを外部から触発されるということであり、そのコンテクストをさらに構成していくことである。この過程でさまざまな本が立ち現れてきて、それらをつぎつぎに手にとってみては内容を探るのである。》(14ページ)――本に触発されるということは自分の内部にそれを受け入れる準備がなされていることである。佐野さんはそういう準備のできているひとりである。
《もともと本というのは結果であり、それは必要なことを記述したものなのではないかと思う。アインシュタインの『相対性理論』や、ケインズの『一般理論』は、とてもベストセラー狙いで出版されたとは思えない。その内容が人間社会にとって必要だから本にしたのである。それが本として文化を支えてきたのだと思う。売って儲けようとして本を書いたのではない。》(95ページ)――まったくその通り。わたしの『出版文化再生――あらためて本の力を考える』ではそのことを主張している。これにつづけて佐野さんはこう書いているではないか。《転倒した出版文化というのは、いま述べたように必要な内容を記述するのが本であったものを、本という製品の産業形式が必要性を要請するようになってきてしまった、ということである。必要な本を出版するのが出版社なのではなく、出版産業を維持する必要が本を出版しているというのが現状ではないかという事態にたちいたっている》と。佐野さんの静かな怒りがこめられている。
《必要な本を読む読者は必ず存在する。こうした読者の数は多くないが、自分に向いた本が出れば必ず興味をもつのであり、その数は昔からそれほど変わっていない。この部分の活字離れはないと思う。こうした本を出版しようとしている編集者もまた必ずいる。》(96ページ)――そうであってほしいとわたしも念願しているし、そうした編集者のひとりであるつもりだ。
《書店はできる限り多様な読者のために役立てるような品揃えをしておければいいと思う。昔、わたしが教えられたのは、やむなく商品を絞っても、客層は絞るなという教えであった。》(97ページ)――こういう書店人ならではの発想はなるほどと思わせられた。専門書出版社はどちらかと言えば、その逆で、読者層を絞り込んでいく傾向にあるからだ。しかし、こうした本を作る側と受け入れる側の双方向へのそれぞれのベクトルがうまく作用してこそほんとうの出版文化の未来が開かれるのである。佐野さんは現場から離れたが、それにつづく書店界の人材が出てきてほしいと切に思う。

 *本稿の初出である「西谷の本音でトーク」ブログをアップしたら、それをすぐ読んでくれた佐野さんから電話があり、未來社のことも元原稿では書いたのに、ページ数の都合で割愛されることになったとのお詫び。こんど原稿を見せますと言われた。いかにも佐野さんらしい気の使い方で、逆に、半分冗談で書いたことでこちらが悪いことしちゃったかなと思ったぐらいであるが、この稿でもとくに削除していない。(2012/10/18)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章[サブタイトルを一部修正]の後半を推敲のうえ転載したものです。)

 きのう書いた「51 沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉がついに完結」で書いたように、沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉が完結し、同じ日に『田中浩集』全10巻の第1回配本『田中浩集第一巻 ホッブズI』が刊行された。終わるものもあれば、始まるものもあるということだ。
 先日27日に書物復権8社の会例会があり、未來社が来年の東京国際ブックフェア2013への出展をとりやめる件が最終的に確定した。2004年に書物復権8社の会として初めて共同出展をして以来、来年は10年目になるが、この出展とりやめの件はすでにことしの出展終了後から社内的には方向性を定めてきたもので、8月2日の書物復権8社の会臨時例会のさいに公表した。それにたいして他の7社は来年も出展する意向を明確にしたので、未來社だけが来年からは脱落することになった。他の7社には足並みを乱すことになっていろいろ迷惑をかけるが、こればかりは未來社としては継続できないということを認めてもらうことになった。
 出展しない理由を単純に言えば、他の7社に比べて人員的に4日間の動員はむずかしくなってきたことがひとつと、年間新刊点数が不足していることがあげられる。最近の東京国際ブックフェアでは既刊書よりも新刊書が売上げの大半を占めてしまうという現実があり、これは世の趨勢でもあるからいたしかたない面があり、その点で未來社の売上げはブース代ほかのコストにも全然見合わないからである。こうした傾向は以前からもあり、経営の立場から見たら、いまのブース代その他の直接費用をクリアするには本来は何倍かの売上げがなければ成り立たない。本のマージンは売上げ分の何分の一かでしかないからである。このことは各社も原理的に同じはずだが、そうした観点は見かけの賑やかさに見えなくなりがちだ。とはいえ、以前のように目録を受け取らない読者もますます多くなってきているし、コミュニケーションをもとうとする読者もどんどん減ってきて、将来につながっていくというより、本を割引で買うことが主目的の読者になってきているように思えてしまう。このことがわたしには不満で、すでに4年前に「このひとたちが『読者』なのか」という総括の文章を書いたこともある(『出版文化再生――あらためて本の力を考える』161ページ)。このあたりから、わたしの出展への意欲は徐々に損なわれてきていたと思う。
 しかし、ことしに関しては、これまではあえて触れないできたもっとも大きな決定的な理由が別にある。というのは、わたしがここ最近、力を入れてきた沖縄関連書、とりわけ沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉がこういう場所では、手に取るひとの多いわりには購入するひとがきわめて少ないという現象がその理由である。ことしの4月に刊行された中平卓馬写真集『沖縄・奄美・吐カ喇1974-1978』は今回の超目玉のつもりで出品したのであったが、これもふくめてこの写真家シリーズはさすがにことしはかなり売れるだろうと期待せざるをえなかったのだが、まあ見事に惨敗したことになる。東京国際ブックフェアに集まる読者というのは、とりわけ書物復権8社の会のコーナーに集まる読者というのは、首都圏のかなり優良な読者層であるはずだけに、この期待はずれにはいまいちど落胆させられることになった。やはり首都圏のひとたちの〈沖縄問題〉への関心はこの程度のものだったのだという、あらためて考えてみれば、いまの日本(ヤマト)のひとたちが考えている〈沖縄問題〉へのレベルをもろに反映しているのであった。たしかに値段も(相対的に)高いし、大型判の写真集だということもあるかもしれないが、パラパラとめくっていくことは相当あっても、まずほとんどのひとがそのままパスするという光景は、わたしにはこの関心度を如実に表わしていると思われた。
 写真展の個展やなんらかのイベント会場など、〈沖縄問題〉に関心の高い読者が集まるような場所だとこういうことはないから、その落差を痛感せざるをえなかったのである。わたしは今後も〈沖縄問題〉に注力していくつもりなので、こうした光景が毎年くりかえされるのをもはや見るにはしのびない、それがわたしの気持ちを決定的にトーンダウンさせた理由なのである。わたしは、こう言ったからといって、東京国際ブックフェア自体も出版社が出展する判断自体も否定するつもりは毛頭ないので、いまは未來社の力量と方向性がこのフェアにはマッチしなくなったということを言いたいだけなのである。ほんとうは言わずもがなのことだろうし、こういうことを書くこと自体に反対するひともいるだろうが、いずれこういうことははっきりするべきだと思うので、あえて書いた次第である。(2012/9/30)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)

 きのうの朝、沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻最終回配本の第1巻山田實写真集『故郷は戦場だった』の見本がとどき、このシリーズも三年ごしでついに完結させることができた。監修の仲里効さん、倉石信乃さんの全面協力とそれぞれの巻の解説者の方々の応援、そして装幀と本文レイアウトに携わってくれたデザイナーの戸田ツトムさん、さらには厄介な注文に財政的配慮もふくめて協力してくれた萩原印刷と東新紙業の方々には感謝のことばもない。こういうひとたちの力によってわたしの無謀とも思えるこの写真家シリーズの刊行もなんとか完結までほぼ順調に進めることができたのだった。
 これにくわえて売りにくい大型変型判の写真集を揃えてくれた各書店、とりわけ沖縄県での販売に力を発揮してくれたトーハン沖縄営業所、また書評や記事でこのシリーズの存在を知らしめてくれた「沖縄タイムス」「琉球新報」の地元2紙のほかに、さまざまな記事を掲載してくれたマスコミ各紙にあらためてお礼を述べたい。
 この仕事の企画から進行にかんしては、わたしの『出版文化再生――あらためて本の力を考える』(2011年、未來社刊)に収録されたPR誌「未来」の連載コラム[未来の窓]で何度も触れてきた。古くからの出版界の知人などは「西谷が書くのは沖縄ばかり」と冷やかされもしたほどだが、実際はそれほどでなくともたしかにこの写真家シリーズについてはそのつどの思いをメッセージとして(誰への?)送りつづけてきた。それがいよいよ完結したのだから、刊行までの前半戦は終了し、これからはこれをいかに広めるかという後半戦に入ることになる。
 この写真家シリーズを刊行すること自体が、現今の日本社会のなかでの〈沖縄問題〉をもっとも根底から支える内実をイメージとして提出することによって、沖縄の現実と歴史を理解していくことにつながるとわたしは信じている。米軍基地の問題にしてもたんに政治問題としての決着を急ぐだけでなく、沖縄社会の深い理解なくして安易な政治力学のなかで処理されてはならないからである。だからこの写真家シリーズのなかにあるのは、沖縄のさまざまな現実や生活であり、なかには当然のことながら基地問題や米軍にふれるイメージもふくまれるが、それらはたんなる政治的メッセージとして定着されているわけではない。そうしたリアルな現実をふくんだ生活の全体像を見てほしいと思う。このシリーズが沖縄ばかりでなく、広く知られ読まれて(見られて)いくことこそが、〈沖縄問題〉の真の解決にもつながっていくとわたしは心底から期待しているのである。だからこそこのシリーズの刊行とその販売こそ、出版が闘争であるというわたしの思いにダイレクトにつながるのである。後半戦の戦いはいよいよこれから始まるのである。(2012/9/29)

 出版業界紙「新文化」2951号(2012年9月20日)の「出版概況」を見ていて、あらためて出版不況の進行の度合いを確認することになったが、売上げの減少は言うまでもなく、ほかにもいくつか気になるところがあった。わたしに関心のあるところを3点だけにしぼって見ておこう。なお、統計は2011年から遡ること最近10年分である。
 まずは書籍の新刊発行点数とその平均定価の問題である。昨年(2011年)は新刊点数が取次のデータでは75, 810点で平均価格が1109円。問題は、平均価格(平均定価)が10年連続で低下しつづけていることである。これは新書と文庫の発行点数が頭打ちになっていることから言って、全体に値下げ傾向、すなわち軽薄短小化していることがよくわかる。
 つぎに書籍発行部数をみると、13億1165万冊と昨年より3%ダウンで毎年かなりの減少傾向にある。ピークの1997年には15億7354万冊だったから、それにくらべると16. 6%減である。この年の新刊発行点数は62, 336点だったから、初版部数もふくめて一般に1点あたりの部数がさらに大きく減少していることになる。これは売上げの減少と平行関係にあるとみてよいだろう。
 わたしの計算では、年間売上げが2兆6980億円でピークを記録した1996年の新刊発行点数は60, 462点だったのにたいして、2009年には新刊が80, 776点にもなっているにもかかわらず、売上げは2兆409億円。1996年にくらべてざっと点数で133%、売上げは75. 6%。1点あたりの売上げは56%になっている。この傾向はさらに進んでいると思われるので、数年のうちに1点あたりの売上げはピーク時の半分以下になるだろう。つまり出版界は半減期を迎えているのである。
 もうひとつわたしが気になるのは、書店の分類別売上げのなかで「専門書」のマイナス成長が一番高いことである。全体で4.3%減のところ「専門書」は11.0%減になっている。もっともなにをもって「専門書」とするかによってかなり差があるのでいちがいに否定的になるべきではないかもしれないが、やはりこういうかたちでほんとうの専門書が書店から閉め出されているのではないかと危惧せざるをえない。(2012/9/26)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で掲載した同題の文章を事実確認と推敲のうえ、転載したものです。)

 このところいろいろなひとと電子書籍について話をするたびにわたしが言うことはほとんどいつも同じである。今週には放送大学でのオンエアでこの話題についてもしゃべることになるだろうから、いちど整理しておく必要がある。
 つまり、日本における電子書籍は今後どうなるのか、というお定まりの話題についてのわたしの考えであるが、端的に言って、日本で電子書籍はこれまでよりかはいくらか広がりと深まりを見せるだろうが、巷間いわれているようなアメリカにおけるような急速な展開は起こりえない、というものである。それは出版文化の歴史の厚みがちがうとか、英語のような文字数の少ない言語と日本語のような多文字言語のちがいがあるのは言うまでもない。もちろん、経済産業省が推進している「コンテンツ緊急電子化事業」のような公的バックアップがあって、大出版資本がそれにあわせてコミックや漫画、小説のような一過的な商品価値の高いものを便乗的に電子化しようとする動きがあるにはあるが、それらは冊子本というかたちで恒久的に保存すべき種類のものとは言えないものが多く、いずれにせよこの時代潮流のなかではおのずからほかの形式(ここでは主として電子書籍)に移行していくのは必然だからである。それに諸外国で人気のある日本のアニメやコミックが版権上の問題もあって、大手出版社がこれまでの利権を守ろうとする立場から早めに電子書籍化して版権を囲い込もうとする強い動機づけがあるからである。
 しかし現在の出版界を見てみると、これまでの通常ルートである出版社~取次~書店~読者という流れは、オンライン書店の出現以来、読者のオンライン注文というかたちで流通の中抜き現象が生じることによって書店現場を中心に弱体化を招いているし、それ以上に、携帯電話等の異常な発達によって些末な断片情報への関心の一面化と短絡化が起こり、人間の知への欲求が急速に矮小化されてきている結果を生じており、そのための書物離れが一段と加速化している現状はもはや誰も否定できなくなっている。このぶんでは、1996年のピーク時の2兆6900億円という業界売上げの数字がすでにいま現在で3割ダウンしているものが、早晩、ピーク時の半分以下になるだろうことは十分に予測できる。つまり何年かのちには業界は半減期を迎えるということである。これは悲観的な観測ではなく、峻厳な現実の観測結果である。
 そこで何が問題なのか。出版界は娯楽的にも情報的にも消費されたところで役目を終える出版物のための物量的産業であることをやめ、数は少ないけれど必要な読者にとって固有な価値をもつ出版物(という文化)をいかに生き残らせることができるようにするかを考えていくべきだろうということである。そうした出版物の大部分は電子書籍化には本質的に馴染まない種類の出版物である。つまりその種の出版物の電子化はあくまでもオリジナルあってのコピー、二次的派生物にすぎないということであって、出版物をおしのけてひとり歩きできるものではないということだ。言い換えれば、出版物は出版物としての固有性を維持しうるものだけが存在しつづけるようになるのではないか。
 そのとき、これまでの物量的流通を支えてきた取次を中心とする出版業界の流通構造はそのまま残ることは考えにくい。大幅な業務縮小を強いられる流通構造は、これまでの量指向から多様性という質指向に転換することは簡単でないからである。したがって取次はもちろん書店においても量から質(多様性)への大きな方針転換や決断が避けられないということになる。そしてこのことは出版社においても同様であり、たんなる合従連衡といった小手先の調整で片づく話ではない。業界再編という大問題がこれからの避けようもない課題なのである。
 もうひとつ問題なのは、現在の電子書籍化への流れが徐々にではあるが実現するとしても、携帯電話で些末な断片化した情報の処理に明け暮れている若者が(若者だけじゃないところおそろしいことでもあるが)質量ともにより大きな文字の文化に近づいていくことができるだろうか、という心配である。この場合、そうした若者たちは書物という形態はもちろん、電子書籍にさえも近づくようなことはないのではないか。読書とは習慣づけが必要な行為であり、そのための修練の場として携帯ではまったく不十分だからである。さきほども述べたように、情報や娯楽中心の出版物は電子書籍化されることでその目的はほぼ再現可能になるので、携帯からもアクセスしやすいかもしれない。とはいえ、そこには必要な最小限の情報をピンポイントで獲得するだけでよしとする習性から、より総体的な情報を取得しようとする動機づけまでにはおおきな距離があるわけで、したがって電子書籍がその手の読者を(出版物に代わって)獲得できることで出版物の売上げ減少分を補填することができると考えることは大いなる幻想と言わなければならない。出版物を手に取る習慣のないところに、電子書籍の可能性も低いはずである。専門書系出版社が電子書籍に積極的でない理由のひとつはそこにある。書物の価値をどうしたら広く理解してもらえるようにするのかが、電子書籍に走ることよりもはるかに切実な課題となるべきである。
 もしかしたらアナクロに見えるかもしれないこうしたことを考えながら上村忠男さんの『ヘテロトピア通信』を読んでいたら、上村さんが姜尚中との対談のなかで自分がめざすべき知識人のイメージをつぎのように提示しているのを見つけた。《権力という巨象にうるさくまとわりついて離れない虻のような存在としての知識人》《社会なり時代なりに大きな動きが生じたとき、その動きにアイロニカルな批判的懐疑の眼差しを向けることを忘れない知識人》(同書220ページ)と。上村さんはこの知識人像をサイード的知識人と呼んでいる。知識人であるかどうかはともかく、出版界の流れに棹さして電子書籍化への流れを批判しているわたしなどまさしく《権力という巨象にうるさくまとわりついて離れない虻のような存在》であり、《社会なり時代なりに大きな動きが生じたとき、その動きにアイロニカルな批判的懐疑の眼差しを向ける》のはわたしがおおいに心がけていることである。この懐疑精神と闘争心を失なわないようにしたい。(2012/9/16)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で掲載した「電子書籍という幻想」と「虻のような存在としての懐疑精神」を大幅に推敲して転載したものです。)

 重厚で濃密な文章が書かれなくなってきているという実感はずいぶん以前からある。最近はツイッターやブログなどで簡単に意見を書いて発信できることもあり、それらの特徴は「早い、短い、軽い」といった点にあるので、思いついたらすぐ書いてすぐ発信してしまうところがあり、ますます情報が断片化し、軽量化してきている。なにしろ東日本大震災の渦中でもツイッターで被害の実況詩を書けば、リアルさがお手軽な感動を呼んで話題になる時代である。それもことばの力だと言えばそれまでだが、ことばがじっくり練られ熟成されて詩なり文章なりとして現われてくるということがめっきり少なくなった。著者も編集者もそうしたことばの熟成を待っていられないのである。かく言うわたしもこんなブログを書いているぐらいだから、同じ穴のムジナと言われてもしかたないのだが。
 こんな状況は、しかしもっと前からあったとも言えないわけではないらしい。1969年に亡くなったテオドール・W・アドルノは「句読点」というおもしろいエッセイで文章記号にかんするさまざまな問題について触れているなかで、セミコロンの死滅という現象について、それが数頁にわたる段落を恐れるという問題に結びつけてつぎのように書いている。
《この恐れは市場の産物であり、骨が折れることを嫌う顧客によって生み出され、それにまず編集者が、そして著者が、生活のために順応したのだが、彼らはみずから順応した挙げ句に、明晰さだとか、客観的な仮借のなさだとか、圧縮した正確さだとかいうイデオロギーを発明した。こうした傾向のもとにおかれるのは、言語だけではない。事柄も同様である。言語と事柄は分解できないのだから、複合文が犠牲にされることによって、思考の息が短くなる。》(「みすず」2009年6月号)
 ここでセミコロンの死滅というのは欧米語特有の文章記号にかかわる現象だが、そこで問題とされていることはセミコロンで切り分けられるひとまとまりの文が、それを一部にふくむより大きな文(ピリオドで完結する)という単位に統合されて、より大きな思考を形成することがない、という思考言語の貧弱化、浅薄さなのである。日本語のように句点と読点が主要な分節記号となっている言語においては直接的な問題ではないように見えるが、そうではなく、思考がひとつの文(フレーズ)の流れをおのずから形成し、それらが縒りあわされてひとつの段落(パラグラフ)を形成するという文章のおのずからなる営みが短絡的になりつつあるという、洋の東西を問わずに生じている思考の簡略化が日本語においても生じてきていることが問題なのである。一般的に文が短くなり、段落も短くなって、アドルノの言う〈圧縮した正確さ〉というイデオロギーによって、読者の知的怠慢に迎合し、編集者と著者の手抜きが正当化されることになる。
 著者の思考の息が短くなって適当にアガリにしてしまい、ちょっとした美辞麗句と簡便なチャートを付ければ読者に喜ばれる(=売れる)というどうしようもない知的頽廃の風潮を助長しているのが出版社と編集者なのだと言えば、すこしは反発するひともいるだろうか。すでにアドルノの慨嘆からも時代はだいぶ経てきて、この嘆きはますます大きくなるばかりか、息の長い思考を展開する著者も、それを読み抜く読者もいまや不在になりつつある昨今は、ついに印刷物という原初の形態さえも放棄して電子情報化への道へなぜか突き進もうとしているのだ。(2012/8/9)
(この文章は「西谷の本気でトーク」で掲載した同文の転載です。)
 先日、大阪屋の古市さんが取締役に就任されたのを期に、少人数でのお祝いの会を開いた。アマゾンとの取引を長年にわたって担当してきた経験からふだんでは聞けないような話を公私にわたっていろいろ聞くことができた。そのさいに、最近、アマゾンでの未來社の売行き良好書の勢いが急速に落ちてきていることを具体例を挙げて問いただしたところ、たしかにいくつかの問題があることが判明した。日をあらためて個別に話し合いをもとうということになり、今週はじめに実現した。
 アマゾンとの取引においては日販が好条件を出しているらしいことから情勢が不透明であるが、一方では、日販も相当な無理をしているはずで、たとえば専門書版元との取引などは必ずしも手厚いとはいえない。すくなくとも未來社にかんしては、アマゾンの担当者との合意があるにもかかわらず日販の窓口は積極的な取組みをしているとは思えない。新刊の初期入荷以後は、アマゾン側から日販の倉庫に補充をかけるが、在庫がなければ大阪屋の倉庫にあたりをかけるという仕組みになっているらしい。そういう序列ができているのはかなり以前からであるが、大阪屋のほうでもことしのはじめあたりから過剰在庫をできるだけ捌く方向で出版社からの補充を押さえたこともあって、専門書センター(未來社では大阪屋TBC)からの注文が激減した。その結果、かなり問題を解消したが、まだまだとのこと。売行き良好書の補充も従来にくらべて冊数をかなり減らして注文している。これではせっかく大阪屋の倉庫に補充のあたりをかけても在庫数が少ないためにアマゾンへの補充も供給不足気味になり、かなりの売り逃しをしているのではないか、とわたしが指摘して、それならということで対策を考えることになった。
 わたしはもともと、大阪屋には専門書取次としていまはなき鈴木書店のできなかったことをふくめて積極的に取り組んでもらいたいと思ってきた。そうは言ってもそんなに売れない専門書だから大きなことは言えないが、大阪屋にとっても不都合の少ない方法を考えることは可能である。話し合いによって解決すべき手だてはあるはずで、こんなことならもっと早く話し合いをしておけばよかったかとあとになって思ったぐらいである。
 大阪屋の考えでは、現在、一般の売行き良好書の注文を対象としたiBCと専門書の店売補充用のKBC(東京ではTBC)という二つの倉庫をもっている。この二つの倉庫を有効に稼働させることによって商品の回転と充足率を上げることが経営効率的にも具合がいい。できるだけこれらの倉庫を通過させることで商品の流れもよくなり、情報収集もしやすいということだろう。そのための方法としては両方の倉庫にできるだけ多くのアイテムの在庫を常備というかたちでもつことが提案された。これをベースに動きの早いものは追加補充のかたちで売り逃しを防ぐばかりでなく、商品補充のスピードアップによって売上げの向上もめざすことができる。そのために若干の条件変更の問題はあるが、結果を一年後に確認することで暫定的に実験してみようということになった。
 大阪屋でもこうした方向で専門書出版社がこれまでより以上に深くかかわってもらうことを望んでおり、未來社との話し合いは有益なものとなったとのことで、未來社としても大阪屋のこれからの動きがちょっと楽しみになろうとしているところである。(2012/8/2)

 ニーチェは書物とたんなる文献学者との関係をこんなふうに書いている。
《ただ書物を「ひっかきまわして検索する」ことだけしかしない学者は――並みの文献学者で日に約二百冊は扱わねばなるまい――しまいには、自分の頭でものを考える能力をまったくなくしてしまう。本をひっかきまわさなければ、考えられないのだ。彼が考えるとは、刺戟(――本から読んだ思想)に_¨返答する¨_ということ――要するにただ反応するだけなのだ。こういう学者は、すでに他人が考えたことに然りや否を言うこと、つまり批評することに、その全力を使いはたしてしまって――彼自身はもはや考えない......》(ニーチェ『この人を見よ』岩波文庫66ページ)
 ニーチェは最初はたしかギリシア古典の文献学者として生涯のスタートを切ったから、こうした学者たちの自己喪失のプロセスをよく見ていたのだろう。その世界からパージされるにつけルサンチマンも募ったことだろう。しかしこのニーチェの批判は当時ばかりでなく現代にもずばり当たっている。多くの学者が自分の考えをまとめられず、他人の意見の受け売りに終始しているのを見ることができる。もっとも現代の学者は以前より書物を読まないひとが増えているし、インターネットやデータベースの利用によって本をひっかきまわさなくても検索によって省エネできるからますます書物から離れているかもしれない。
 ニーチェは辛辣にもこうつづけている。
《学者――それは一種のデカダンだ。――わたしは自分の目で見て知っているが、天分あり、豊かで自由な素質をもつ人々が、三十代でもう「読書ですり切れ」、火花――つまり「思想」を発するためにはひとに擦ってもらわねばならないマッチになりさがっている。――一日のはじまる早朝、清新の気がみなぎって、自分の力も曙光と共にかがやいているのに、_¨本¨_を読むこと――それをわたしは悪徳と呼ぶ!――》(同前)
 なんと、最後には読書行為まで非難されてしまうのである。ここまで言わなくても、オリジナリティにあふれる学者というものはそんなに多いわけがないから、どのみち本を読むだけの学者も出版の世界にとってはお得意さんとして必要でもある。
 本を読むだけでなく、自分の考えをつねに清新にもちつづけること、これはなかなか至難のわざである。出版にかかわる人間としてはそうした著者をたえず発見していかなければならないし、ものを書き考える人間としての自分自身もまたそうであるようにつとめなければならないのだ。(2012/7/21)
 ことし一番の暑さを記録したきょうから東京ビックサイトで恒例の東京国際ブックフェア2012が開催された。1997年に書物の共同復刊事業として始められた書物復権8社の会はことしで16年目に入るが、会としては2004年以来、共同出展は9年目になる。これまで紀伊國屋書店の協力のもとに紀伊國屋ホールを使ってのマンスリーセミナーなど、さまざまな挑戦を試みてきた会だが、ことしは東京国際ブックフェアという会場を利用しての初めての試みである、大学・公共図書館を招いてのブック・ハンティングを紀伊國屋書店営業本部の全面的バックアップでおこなうことになり、きょうがその日になる。いったいどういうことになるのか、興味深くもありおおいに期待もあったので、わたしも様子を見に出かけていったわけである。
 大学出版部協会とも連繋することになった今回の試みには、上智大学、東京女子大学、早稲田大学教育学部、成城大学、お茶の水女子大学、荒川区立南千住図書館、文京区立真砂中央図書館の司書と学生が多数参加され、静かななかにも丹念な書目検索をされていたようだ。木曜にしては一般客も多かったせいか、思ったよりも目立たずに選書がおこなわれていた。終了後のセミナーには柴野京子さん(上智大学文学部新聞学科助教)、永江朗さん(評論家)が講師として参加され、みすず書房・持谷寿夫社長の司会進行のもとで活発な議論が展開された。フロアの学生たちの選書の実感などにかんしても、やはり現物を見ての選書はいつもの現物なしでの選書に比べてかなりインパクトがあったらしい。目次や索引、オビの推薦文なども選書のさいの判断材料にもなったといった話も出た。
 もうひとつの話題としては出版社には品切れ重版未定といった書籍が多すぎるといった批判(永江さん)や上製本が並製本になったりして図書館での寿命が短くなってしまう問題点なども出てきて、出版社側としてはロングセラーの衰退や重版の困難などの事情を説明する羽目になり、最近はオンデマンド復刊などでの対応が現実化しつつあることを指摘することになった(これはわたしの役)。こうした出版社と図書館人との意見交換の場があまりにもない現状からして、今回のブック・ハンティングの試みとそれにつづくセミナーは今後の布石になるいい試みになったような気がする。
 いずれにせよ、ハンディスキャナーを使っての選書作業が最終的にどういう結果を導くのか、ちょっと不安もあるが、意外な結果が待っているのではないかとひそかな期待もしているところである。(2012/7/5)
 この7月14日に東京外国語大学府中キャンパスにて仲里効さんを招いてシンポジウム「沖縄『復帰』40年――鳴動する活断層」が開催される。主催者の東京外国語大学大学院の西谷修さんからくわしく聞いていたのだが、ようやくチラシが届いた。5年前に行なわれたシンポジウム「沖縄・暴力論」の継続版だ。このシンポジウムの内容をふくんで増補された『沖縄/暴力論』が西谷修・仲里効共編でその後、未來社から刊行された。
 今回は沖縄「復帰」40年ということであらためて沖縄の「復帰」の問題を考えようという趣旨である。しかも第一部の仲里効の基調講演のあと、第二部は「『悲しき亜言語帯』と『自立』をめぐって」という総括討論が予定されている。質疑応答形式でそれぞれ原稿を事前に準備してもらい、その概要を口頭発表、仲里さんが応答するという形式が予定されている。質疑の予定者は土佐弘之(国際政治社会学)、崎山政毅(ラテンアメリカ)、中村隆之(クレオール文化)、中山智香子(社会思想)、真島一郎(国際政治社会学)、米谷匡史(東アジア)の6名。5月下旬に刊行された仲里さんの『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』が論題にあてられる。沖縄の文学的言説(小説、詩、戯曲、エッセイ)を、沖縄といういまだ植民地的要素から脱却しきれていない独異な地政のもとにおかれた言説群にたいしてポストコロニアルの批評的視点とウチナーンチュの立場から徹底的に読み抜き、原理的な沖縄文学論として完結させたこの本は沖縄文学論としてこれまでに書かれ得なかった最高度の達成であることは(おそらく)間違いない。西谷修さんの見解も同じである。もしかすると今後も二度と書かれ得ないかもしれない、と。
 このシンポジウムでは第一部の「『復帰』40年を考える」では主催者の西谷修さんが「擬制の終焉」と題してプレゼンテーションをおこない、それを受けて仲里さんの「思想の自立的拠点」という基調講演になる。ことし3月に亡くなった吉本隆明の書名にちなんだタイトルを二本冠するのもどこか象徴的な感じもあるが、沖縄の日本「復帰」という〈擬制〉と、そうした日本(ヤマト)の仕組んだ沖縄の植民地環境の永続化からの〈自立〉を、どういう論理で展開することになるか、期待したいところである。そのためにも刊行されたばかりの『悲しき亜言語帯』が重要な視点を開示しているはずだ。
 まことにタイムリーに出されたこの『悲しき亜言語帯』(もちろん、「復帰」40年にあわせようとしたので偶然ではないのだが)は沖縄の「復帰」40年の内実を言語の内側から、言説の発動する場所や背景をも広角的にとらえるなかから、さまざまな文学テクストの可能性と意味の射程を探究し確認しようとしたものである。このイベントをひとつのきっかけにすこしでも広く知られるようにしたい。

 なお、シンポジウムの時間と場所は以下の通り。(予約不要、入場無料)
 時:7月14日(土)14時~17時半(開場は13時半)
 場所:東京外国語大学(府中キャンパス)研究講義棟226教室
 開始にあたって13時半から「Condition Delta OKINAWA」の上映があります。
 宮本常一『私の日本地図8 沖縄』の「沖縄雑感」というまとめの部分を読んでいると、宮本常一という人間がどれほど沖縄の振興に気をもんでいるかということが伝わってくる。離島振興に力を入れていた宮本だからよけいそうなのだろうが、1969年という「復帰」の3年前の渡航記である本書には、短期間であったとはいえ、現地の案内も得て離島もふくむ観察記事と多くの貴重な写真を残してくれている。いまも変わらない部分とまったく変わってしまった部分があるだろう。わたしは那覇中心にしか行く機会がなかなか得られないが、それ以外のところは案外そんなに変わっていないのではないか、とも思う。
 そうした宮本の文章は善意にあふれているが、ところどころ気になるところもある。たとえば1969年時点で、会うひとの誰もが日本への復帰を望んでいるという記述や、教職員の標準語教育が成功して誰もが日本語に習熟していることを讃美するようなところである。ほんとうにそうだったのか。仲里効の『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』などによれば、そういう日本語教育がいかに歪んだものをふくんでいたか、ということを内部的に告発しているところがある。また「反復帰論」と呼ばれる思想的運動もそれなりに力をもっていたはずで、それが今日の沖縄独立論の源流にもなっているように思うが、その件にはまったく言及がない。このあたりに限界が見えるとも言えるが、それはないものねだりなのだろうか。
 宮本常一のこの本をどう読むかは読者の立場や見識によるだろうが、これからの沖縄を考える意味でもいぜんとして有効な問題提起をたくさん含んでいると思う。(2012/6/15)

 本ブログのいくつかの文章をPR誌「未来」に掲載することになった。すでにそこそこのアクセス数はあるものの、わたしが念頭においているような読者の多くはこの手のブログの文章まではフォローしてはくれないからである。自分が逆の場合にも言えることなので、それはやむをえないことだと思う。ブログの速報性や自在性は有効ではあるものの、自分でも主張しているとおり、活字でないときちんと読めない(頭に入らない)のであるから、わざわざプリントアウトまでして読むというのはよほどの場合にかぎられるのである。
 そういうこともあって、本ブログのうち比較的アクセス数の多い文章をピックアップして「未来」で「『出版文化再生ブログ』から」というタイトルを付けて適宜掲載する。今回は七月号に空きページが生じたのをきっかけに本ブログから「17 日販の『インセンティヴ-ペナルティ』方式の危険」までの6本を一部省略をくわえたかたちで再録した。ほかにも再録しておきたいものはないわけでもなかったが、本ブログで読めるのでいいことにした。残りもつづけて再録していく予定であるが、そのためにはこのブログもどんどん書いていかねばならない。初めての試みだが、これもまた出版文化再生のための闘争の一環であると言えようか。(2012/6/11)

41 新藤兼人さんの思い出

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 ドキュメンタリー映画の巨匠、がお亡くなりになりました。100歳という長寿を全うされましたが、まだまだお元気だったようで残念です。最近はお会いすることもないままになってしまいました。
 わたしが新藤さんの本を作らせてもらったのはなんと1978年のことで「竹山ひとり旅」という津軽三味線の名手、高橋竹山の映画のもとになるシナリオを含む撮影記録を収録した『映像ひとり旅――映画「竹山ひとり旅」創造の記録』でした。赤坂にあった近代映画協会に何度も足を運んでゲラの校正やら打合せやらで新藤さんほかスタッフの方々とお会いしたことが思い出されます。そのころ新藤さんは六十代半ば、わたしは駆け出しの編集者でまだ二十代。その撮影の厳しさは「シンドイカネト」とあだ名をもらっていたように、独立プロという所帯を切り盛りしながら映画を撮りつづけた新藤さんならではのもので、あるとき撮影現場を見せてもらえることになり、ベテラン俳優が新藤さんに何度もダメ出しされてしょげているのを見て、これは大変だなとひとごとながら思ったものでした。
 その後、新藤さんに気に入られたらしく、映像論集を出そうということになり、翌1979年にこれまで書かれたエッセイをまとめて『フィルムの裏側で』を刊行しました。映画にまつわるさまざまな仕事師たちとの交流や映画製作の機微に触れた文章が集められています。さらにこれまでのシナリオを全部集めて新藤兼人全シナリオといった企画も出されたように記憶していますが、それは実現しませんでした。
 あらためてご冥福を祈ります。(2012/5/31)
 きょうの「琉球新報」文化面に仲里効さんの「比嘉豊光氏に問う――写真家シリーズ批判に反論する」という記事が大きく掲載されている。これはやはり「琉球新報」5月8日号に掲載された二人の歌手との座談会で、比嘉豊光が仲里効さんも監修に参加している未來社版の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉に対して「沖縄文化の侵略」というとんでもないレッテルを貼ってきたことにたいする反論(批判)である。
 これについてはわたしもいろいろ言いたいことはあるが、この時期にことさらに版元として口出しすることは、沖縄のひとたちにあらぬ誤解を招くことになるだろうから、いまは未來社のような出版社にたいしてさえ、「文化侵略」というあくどいデマを放言するひとがいるということを情けなく思うだけであることを言っておきたい。
 仲里さんも書いてくれているが、〈出版とは闘争である〉をモットーとして昨年11月に刊行したわたしの『出版文化再生――あらためて本の力を考える』には何度もこの写真家シリーズについて、あるいは沖縄にかんして書いた文章を収録している。わたしの沖縄および沖縄文化へのかかわりかたにはそんな文化侵略のかけらもないはずだと思っている。そもそも未來社ごとき小出版社が沖縄文化を「侵略」できるはずもないのは誰の目にも明らかではないか。そんなふうに見える比嘉のドン・キホーテぶりは滑稽と言うしかない。
 さいわい仲里さんの反論が的確に比嘉の被害妄想と独善を批判しているので、比嘉が責任をもってこれに応答してみせることができるか、見届けたいと思う。(2012/5/30)

 詩の同人誌「アリゼ」147号で藤田修二という元毎日新聞記者が、NHK経営委員会が議決した2012年から向こう3年間の経営計画について書いている。
 それによると、2001年のETV番組「戦争をどう裁くか」で従軍慰安婦問題をめぐって、当時の政権与党、自民党極右の安倍晋三、中川昭一が政治的に介入し、番組の改竄、ねつ造をおこなった事件で、それに関与した内部の人間が内部告発してNHKに激震が走った事件がある。これについては未來社から刊行されている高橋哲哉『証言のポリティクス』が、当時の番組出演者として放送前の台本と放送内容が著しく改竄されているのを証拠にもとづいて具体的に検証している。こうした事件をふまえて「放送倫理検証委員会」の批判的意見が出されていた。
 マスメディアの世界では、〈内部的自由〉という問題があるとのことで、企業の経営者や上司が記者や現場の表現・言論・取材の自由にたいして抑圧的に振る舞うことへの抵抗を実現しうることを言うらしく、欧米のマスメディアではそうした抵抗の根拠としての拒否権をもっている。ところがNHKの今回の経営計画には活力ある職場づくり、すなわちそうした〈内部的自由〉をどのように担保していくのかという問題への言及はまったく見られなかったという。《考えてみれば、経営委員の中にメディアや「表現の自由」についての専門家は一人も含まれていない。結果もむべなるかな。》と藤田は最後に書いている。
 こうしたマスメディアの「公共性」をタテにとった経営的・政治的抑圧はなにもNHKだけでなく、ほとんどすべてのマスメディアに現在はびこっている現象ではないだろうか。大新聞も同罪だ。へたをすると、その抑圧構造が末端にまで行き渡っている場合がある。ほとんどアメリカのジャパン・ハンドラーの言いなり、指図通りに動いているいまの日本の政治、メディア、官僚、大企業、御用学者の一体化した反動ぶり、無能ぶりを見るにつけ、このNHKの経営計画なるもののひどさは容易に想像できるのである。(2012/5/24)
   *
 ここまで書いたあとできょうの新聞によれば、NHKの経営委員会委員長をやっていた数土文夫なる男が辞任して東京電力社外取締役に専念するという。これまでNHK経営委員会委員長と東京電力の社外取締役の兼職は問題ないとしてきた当人も、これを任命した政府も兼職は規定違反ではないからまかり通ると思ってきたらしいが、経営委員会内部からも視聴者からも相当な批判があり、当人の「信念の問題」として辞職するという。ふざけた話だ。NHKと東電の二股をかけていたような奴がNHKの経営改善などできるはずがなかったのである。聞くところによれば、福島原発当時の最高責任者であった勝股元会長の後釜に座る可能性もあったという人間だ。こんな人間がNHKの経営改善に役立つわけがない。それどころか東電のしたいことを全国放送するNHKという構図ができていたことになる。マスコミが東電とつるんでいたことはこれでも明らかになったわけである。(2012/5/25追記)



 精神医学者の中井久夫さんの書くものはいつもすばらしい専門知識と啓示にあふれている。その中井さんがこんなことを書いている。
《この二一世紀の言語的抑圧は言語の恐ろしい単純化である。もはやわれわれは書いていない。つついているのである。携帯電話によるメールをみよ。書字とワープロの相違は書き文字とタイプライターの相違である。書字との間にはまだ往復性がある。(中略)コンピュータ以後はこの往復はない。携帯電話に至っては、これは肉体をほとんど失ってほとんど骨まで単純化された形での、会話言語への一種の回帰である。》(「言語と文字の起源について」「図書」2009年1月号)
 中井さんがパソコンを使って原稿を書いているのかは知らないが、いまのように言語発信のしかたが携帯メールはもちろんツイッターやブログ、フェイスブックなどによるいささか安易な方法によるものが多くなってくると、たしかに手で字を書いていた時代にくらべて内容が軽くなっていく傾向にあるのは事実だ。情報量はその意味で圧倒的に増えていると言ってよい。もちろん吹けば飛ぶような情報がそのほとんどだが。
 わたしもいまや原稿はすべてパソコン(テキストエディタ)による入力だし、ツイッターもブログもフェイスブックもやっている。それでもこれだけはというときは原稿をプリントアウトして読み直し、修正を入れてから公表するようにしているが、それでもブログ(この原稿もそうだ)などでの発表はどこか手軽さを否定できない。読むほうもほとんどはモニタ上で読んで終わりだろう。尾鍋史彦さんではないが、必要と思われる文章はかならずプリントして紙で読み、保存するという認知科学上の読書環境を設定しているというようなひとは少ないだろう。
 書くことが「骨まで単純化された」ものになりかねないなかで、それでも本として残すべき知は視覚から指先でキーボードを「つつく」行動の流れに現われる脳の認知システムのなかをどうやって生き延びることになっていくのだろうか。いささか心配だが、いまのところこの心配をクリアできる処方箋は見つかっていない。(2012/5/21)

 新宿紀伊國屋サザンシアターで青年劇場公演「臨界幻想2011」(ふじたあさや作・演出)を見た。坂手洋二戯曲『普天間』の刊行を機に関係が深まりつつある劇団の招待もあって、この30年前にいちど上演された戯曲の再演(というか再構成)を見せてもらうことになった。初演は1981年で、わたしもかかわりの深かった千田是也さんの演出。
 この戯曲は2011年3月11日の福島原発事故を受けて、かつてチェルノブイリ原発事故を契機として公演された戯曲にその後の情報をくわえて提出されたもので、原発の被曝労働の実態を暴き、利権に踊らされ地域ぐるみで原発誘致に狂奔する自治体やそれを操る政府(当時は自民党)の定見のなさ、悪どさを今回の福島の事故と重ねあわせることで批判する大変な力作だと思う。今回の事故を起こるべくして起こった事故として、ずさんな管理、下請け・孫請け労働者の被曝を前提とした虚構の安全神話などが舞台上でつぎつぎと暴露されていく。なかでも印象に残ったのは敦賀原発を導入した当時の敦賀市長が他の導入予定地の自治体幹部を前に演説したという、原発がいかにもうかるかをあからさまにぶち上げた利権まみれの自治体政治の醜さは、それを聞いていたひとたちの爆笑と大拍手によって増殖され、あたかもナチス・ドイツの悪魔的なプロパガンダを連想させた。そこで市長は50年後、100年後の子どもたちが全部「片輪」になろうと、いまを大もうけしていければいいじゃないか、とまで言い放っていたのだ。この荒廃の極致が当時の原発導入の自治体がかかえていた真相だったのであり、いまも基本的に変わらない「原発村」の実態なのだ。
 いま、原発事故をめぐる原発企業から政府、自治体とその推進派(警察や学校までふくむ)によるあきれるほどのこうした犯罪的実態がどんどん明らかにされているなかで、この戯曲はある被曝死事件の真相をひとつの家族を中心とする物語のなかでいきいきと視覚化してみせた。主演の農婦をつとめた藤木久美子は、息子を理不尽な被曝労働で失った母の苦しみと、あくまでも放射能による死を隠蔽しようとする東電(戯曲のうえでは「日電」)と裏金でカルテを偽造する町立医院の医師などへのじりじりこみ上げてくる怒りを最後に一気に爆発させる力演で、圧倒的な存在感と演劇的カタルシスをステージにもたらしていた。
 ひさしぶりに演劇の迫力を感じさせてくれたこの公演は初日18日朝のNHKテレビでも紹介されたが、27日までつづくので原発問題に関心のあるひとにはぜひ見てほしい問題作だと思う。(2012/5/19)

 きょうは沖縄の祖国「復帰」40周年の記念日。沖縄ではこの「復帰」にたいして祝うひともいれば、批判的に受け止めるひともいて、さぞやさまざまなかたちでイベントがおこなわれているだろう。そんななかで本土のマスコミは40周年にぶつけて特集記事や特集番組を組んでいる。こういう盛り上がりが一過的なお祭り騒ぎで終わらないことを切に望みたい。
 きょうの「朝日新聞」では1ページを使って知念ウシさんと高橋哲哉さんの対談「復帰と言わないで」を掲載している。ウシさんはつい最近も未來社から共著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』を刊行したばかりであり、高橋さんは第一論集の『逆光のロゴス』をはじめ未來社からは著訳書4冊がある。いずれもわたしとはとても親しいひとたちだ。興味深く読ませてもらった。
 知念ウシさんの論点は基本的に沖縄に米軍基地を置かせている日本全体で基地の問題を考えるべきであり、日米安保にもとづいて日本の安全保障が維持されていると考えるなら、基地を本土(とはウシさんは言わないが)でまず引き取り、そこから返還の問題を考えていくべきであるということである。さしもの高橋哲哉さんもタジタジといった図だ。
 おもしろいのは(おもしろくないか)、朝日新聞の司会者と思われる編集委員が対談にしばしば介入するところである。たとえば「安全保障の専門家の中には、沖縄に基地があるのは沖縄の安全にとってもいいことだという議論があるようですが」などといった具合である。「朝日」からすれば、沖縄に無理解な読者や沖縄に差別的な読者への気遣いからか、ウシさんの意見を一方的に受け容れていないことを示すことが必要なのだろう。
 もうひとつ、きょうの「読売新聞」の文化欄で未來社の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉が前田恭二記者によって大きく取り上げられた。わたしのことも出てくるので、以下に原文を引用しながらコメントをつけさせてもらいたい。
《このところ沖縄関連の書籍を次々に送り出している出版社に未來社(本社・東京)がある。特に目をひくのは、全9巻の写真集シリーズ「琉球烈像」だ。
 批評家の仲里効、倉石信乃両氏の監修で、2010年秋に刊行が始まった。社長の西谷能英氏は『フォトネシア 眼の回帰線・沖縄』など仲里氏の写真・映像論集を手がけ、自分自身、論じられた写真をもっと見たいと出版を思い立った。
 既刊7巻。島に生きる群像や戦没者の遺影を抱いた妻たちを撮った比嘉康雄『情民』、米軍基地のある現実を内側からとらえた石川真生『FENCES, OKINAWA』、本土復帰前に地元でジャーナリストになり、米軍統治期を記録した森口豁『さよならアメリカ』、さらに東松照明氏ら沖縄に深く関わった写真家の巻もある。残る2巻もほどなく刊行予定だ。(注:7月ごろをメドに刊行予定、完結をめざしている。)
(中略)
 シリーズは、「眼差され撮られる対象から、眼差し撮る主体へ」とのメッセージを掲げる。それにとどまらず、自ら米兵向けのバーで働いた石川氏のように、一方的に撮る側に回らず、被写体と深く関わっていく方法論も生まれ、先鋭かつ豊かなイメージが蓄積されてきた。
(中略)
「琉球烈像」の版元として、西谷氏は「風土や人々の生活が写真の細部に現れているし、そこには政治的なものが入り込んでいる。トータルに沖縄が見えてくる」とした上で、「知らないままでいることが抑圧になることがある」と語る。確かに問われているのは、むしろ写真を見る側の意識に違いない。》
 こうした紹介(批評)自体、マスメディアの仕事として得がたいことであるし、対象をとらえるアングルも悪くない。なによりも存在そのものが知られにくい写真集であり、そこに沖縄というプロブレマティックがからむことによって世間の目を気にするマスメディアとしては果敢な試みであると言えよう。感謝する次第である。(2012/5/15)

35 「紙型」という廃棄物

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 さきほど精興社の小山さんが古い紙型リストを持ってやってきた。10年ぐらい前に、精興社が活版印刷をやめることになったときに、活版印刷機のあるうちに前倒し重版をできないか、という提案があっていくつか印刷してみた記憶があるが、それに漏れたものはその時点で処分されたものだと思っていた。実際にリストを見せてもらうと、たぶんそのときと状況は同じ。かつては版を重ねたものもあるが、いまとなっては重版は期待できそうもないものがほとんどである。残るはオンデマンド復刊ぐらいしか可能性はない。ということで、紙型は処分してもらい、原本はオンデマンド用に使えるかもしれないので、持って来てもらうことになった。
 小山さんはわたしと同い年。定年退職後もまだ精興社にかかわっている。「紙型」といってもいまの若い人にはわからないよな、というのがふたりの共通見解で、かつては出版社にとっても印刷所にとっても貴重な宝物、「金の成る木」であったものが、いまは何ソレ、と言われるだろう廃品になってしまった。まあ、そんなものをよく取っておいてくれたよな、さすがは精興社、どこかの勝手に処分して恥じない印刷所とは大違いだけど、結果は同じか。ただ志というか心映えがちがう。そこが決定的におおきいんだけど、経済効果は変わらない。いまの経済一辺倒の政治と同じだ。出版の世界でこうした人間の気持ちが反映する場所がどこかにまだ残っているだろうか。

 *「西谷の本音でトーク」ブログから移動しました。(2012/5/11)

 尾鍋史彦『紙と印刷の文化録――記憶と書物を担うもの』(2012年、印刷学会出版部刊)には昨今の電子書籍や専門書にたいする見解、出版の関連業界である製紙業、印刷業についての豊富な情報が盛り込まれていて、たいへん参考になった。尾鍋さんは東京大学大学院農学生命科学研究科、生物材料科学専攻、製紙科学研究室名誉教授、日本印刷学会・紙メディア研究会委員長を経て元日本印刷学会会長などを歴任し、紙の問題を包括的に扱う文理融合型学問としての〈紙の文化学〉を提唱している、いわば紙と印刷の専門家である。この本は「印刷雑誌」1999年1月号から2011年12月号まで13年間にわたって毎月連載された「わたしの印刷手帳」156篇のなかから70篇をセレクトして編集されている。わたしが昨年11月に刊行した『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の長い書評を専門誌「紙パルプ技術タイムス」2012年3月号に書いてくれて、そのコピーとともに本書を恵贈されたものである。尾鍋さんとは、本書にも掲載されているように、書物復権8社の会が2006年5月16日に紀伊國屋ホールで「書物復権セミナー2006」の一環として「批評・教養の"場"再考/再興」セミナーを岩波書店と未來社で担当したさいに挨拶させてもらった記憶がある。
 それはともかく、本書は長期連載コラムの集約であり、テーマごとに再編集してあるという点でもわたしの『出版文化再生』と似た性格をもつ。そのため時評的性格もあり、若干の繰り返しまたはその再展開といった趣きをもつ論点がいろいろ出てくるが、逆に問題点がその時点その時点でどのように捉えられ、どのように深められていったかを知るうえで非常にわかりやすくなっている。製紙業界や印刷業界に関連するさまざまな歴史的動向や問題点は本書によってほとんど初めて統一的に理解できるようになったし、電子書籍にたいする解釈も認知科学の確固とした理論にもとづいているので十分に信憑しうるものとなっている。
 ここでは尾鍋さんの専門分野である製紙関連についてよりも、さしあたりわたしの関心に近いところを読み込んでみたい。
 尾鍋さんは読書行為についてつぎのように書いている。
《ホモサピエンスとしての人間は人類が誕生したときから直立二足歩行と言語の使用というほかの動物とは異なった生物種としての優れた特徴があり、そのために成長過程における経験や学習により個人特有の精神世界を形成する能力をもっている。すなわち外部の新たな刺激や情報の入力により日々認知構造を再編成し、再構造化し、精神世界を深化させ、精神的な進化を遂げてゆくのが人間である。この刺激や情報の源泉として書物は格別に重要であり、読書による新たな知識は既存の認知構造にある知識と照合しながら知識を再配列し、長期記憶に定着させ、新たな認知構造を作ってゆく。すなわちミクロコスモスを能動的に変容させる能力をもつ読書という行為は個人の精神世界、人格形成に不可欠である。》(147ページ)
 この認知科学的理論の導入による読書からの知識の学習、習得、脳内格納等のダイナミズムは尾鍋さんの創見によるものらしく、世界各地でもこの見地からの講演などをしてきたことがうかがわれる。ここで昨今の電子書籍と冊子本の読書行為にどのような違いが生ずるかが検討されている。
 人間は紙の本であれ電子書籍であれ「読む」という行為を通じて情報処理をおこない記憶する。情報処理システムとして人間を捉えることができると尾鍋さんは言う。文字でも画像でも情報として視覚から脳内に入った場合、情報処理過程を経て記憶装置に格納されることになるが、その記憶装置には「短期記憶装置」と「長期記憶装置」があるとされる。「紙の書籍の場合には記憶を妨げる要素はなく、安定的に深く記憶装置に入っていくと考えられ」、「それまでに蓄えられた知識を新しい知識が入れ替えながら長期記憶装置に定着させ、人間の新たな知識となり、知性の向上に寄与することになる」(154ページ)が、電子書籍の場合には「紙の書籍にはない違和感が記憶を阻害し、短期記憶装置に留まってしまい、長期記憶装置に移行しにくい」(154-155ページ)。結論的には「電子書籍はとりあえず情報を読み取れるので一時的な情報の検索や娯楽および格別の目的を持たない読書には役立つが、知識が長期記憶装置には定着しにくいので、人間の知的な向上への寄与という面では紙の書籍が今後も優位性を持ち続けるだろう」(155ページ)というのが、本書全体を通じて尾鍋さんが一貫して主張している眼目である。
 尾鍋さんがしばしば引用するマクルーハンのメディア理論によれば、「一般的に新しい技術が出現するとその新規性から市場形成能力が過度に評価され、既存技術に対する代替能力が過度に評価されがちとなるが、結局は新技術を人間と社会が受け入れるか否かが重要な点となる」ということであり、人間の親和性が最終的な審級であることになる。その点ですくなくとも尾鍋さんの世代やわたしぐらいの世代では、一時絡的な情報や知識の獲得のためならともかく専門書を通読し深く理解しようとするには紙の書籍による以外にはありえないとする結論が導かれることになる。
 またアメリカでの電子書籍の広がりについても、アメリカでは西欧や東アジアのような紙の歴史も書物の歴史も浅いために書籍文化への敬意も薄いためだと一蹴している。
《人間の持つ好奇心という性質はどの民族にもある普遍的なものなので、電子書籍が市場に登場した初期段階ではどの国民も興味を持つと思われるが、紙や紙の書籍の長い文化的伝統を持つ国々では電子書籍の市場はアメリカほどには拡がらないだろう。》(158ページ)
 こうした紙の書籍への信頼と敬意こそが書物の必然的存在理由を自明のものとすることは書物に深く関わってきた者にとってはわかりやすいところであるが、生まれたときからパソコンや携帯電話やネットに囲まれて生きていくことになる若い世代がこれからこうした書籍への信頼や敬意をもつ機会があるのかどうか、そうした世代が電子情報からの知識の習得、長期記憶装置への格納などの能力をどうやって身につけていくことにできるのかどうかも心配なところである。原発問題でも防衛問題でもそうだが、電子書籍の導入にあたっても、アメリカ主導の大国主義への無批判的追随はもういい加減にやめにしたらどうか。現世代が後世のために禍根を残すことのないように、目先の利益や新規性に短絡的に飛びつくのではなく、慎重な配慮をもって事態に取り組むべきであることを指摘しておきたい。
 最後になるが、電子書籍がほんとうに商売として成立するかどうかへの危惧も尾鍋さんは指摘している。このこともしっかり検討しておくべき問題である。
《デジタルとネットワークはいったんそこに情報が載せられると、個々の情報の価値を限りなくゼロに近づける危険性を秘めている。電子書籍端末やネットワーク環境がいかに進化しようと、電子書籍ビジネスには利益が出にくいと言われるゆえんはこのような原理が背後にあるからだ。》(38ページ)(2012/5/6)
 仲里効さんの沖縄文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』がいよいよ刊行される。きのう初校331ページが出校して仲里さんに送ったばかりである。5月連休明けには責了、下旬には刊行される予定。
 この本はPR誌「未来」にそのほとんどが断続連載され、今回、単行本にまとめられるにあたって大幅に加筆訂正された。さらに2本の旧稿も追加されて重厚な評論集となった。現在の沖縄の文学とコトバをめぐる歴史・情況を包括的に論じた、おそらくウチナンチュー(琉球人)による初めての本格的な文学批評集ということになろう。
 ここで論じられているのは、詩人としては山之口貘、川満信一、中里友豪、高良勉であり、小説家としては目取真俊、東峰夫、崎山多美であり、さらに知念正真の戯曲、儀間進のウチナーグチをめぐる連載コラムである。取り上げられているのはかならずしも沖縄出身のメジャーな書き手ばかりではない。しかし沖縄の総体的な文学地図を書くことに仲里効の批評の眼目があるのではなく、ここで論じられているのは現在の沖縄の文学的・言語的地政図を根底から解読するために必要なアイテムとしての書き手たちばかりである。それぞれにたいする評論を通じて浮かび上がってくるのは、その書き手たちがいかに沖縄という政治的・言語的環境のなかでウチナーグチ(沖縄ことば)をつうじて日本国家が強制してきた標準日本語(ヤマトグチ)に抵抗し、反逆し、みずからの立ち位置を創設してきたかの内面ドラマをそれぞれの作品言語の構造を解析するなかから浮き上がらせることである。また、そこに沖縄の書き手たちに共有されている言語植民地下にある〈悲しみ〉や闘いの精神が立体的に再構成されていく。これらの対象たちはそれぞれの個別のきびしい言語的格闘を通じてなにか〈沖縄文学〉と呼ぶべき核を探りあててきたのだが、こうして仲里効という力強い構想力をもった批評家によって初めてそれらが全体的な地平のなかに捉え直されることになった。その意味では沖縄の文学的地平、言語的地平がこの本の出現にともなって〈想像の共同体〉(ベネディクト・アンダーソン)として明快な像を結ぶことになったとも言えるだろう。これからは沖縄の文学を語るうえでここで論じられているさまざまな視角と論点を抜きにしては成り立たなくなる。
 思えば、仲里効さんとの最初の接点はかなり以前に遡るとはいえ、深くつきあうようになったのはここ最近のことである。未來社での最初の評論集『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(二〇〇七年)はわたしの担当ではなかった。ただこの沖縄をめぐる映像論(映画論)をきっかけとして、つぎの写真家論集『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』(二〇〇九年)と今回の文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』をあわせて〈仲里効沖縄批評三部作〉をわたしが提案した結果がついにここに実現したことには格別な思いがある。その成果を著者とともに喜びたい。しかもその間に『フォトネシア』が引き金となって沖縄を主題とした沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻(倉石信乃さんと仲里さんの監修)という前代未聞の大企画を強力に推し進めることになったのも、この仲里効さんとの交友なしでは考えられないことである。この交友のなかからつぎつぎと沖縄の新しい書き手たちが出現してきており、いまや沖縄の書き手たちは未來社にとって一大鉱脈であると言ってよいのである。
 以上のようなさまざまな思いをこめて『悲しき亜言語帯』のオビにわたしはつぎのような文言を書いた。
《沖縄の言説シーンの深層をこれほど強力にえぐり出し解明したウチナーンチュ自身による批評はこれまで存在しなかった。「復帰」40年を迎えてついに出現した本格的ポストコロニアル沖縄文学批評集。『オキナワ、イメージの縁』『フォトネシア』につづく仲里効沖縄批評三部作完結!》
 この批評集が現在の沖縄を読み取るうえで必読文献として日本語世界のなかで正当に評価されることを期待する。(2012/4/28 かつての「沖縄デー」の日に)
 知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』が未來社からきょう刊行された。これは本ブログの「26 書名トレードのドタバタ」でも触れた本のひとつで、PR誌「未来」にこの2月までの2年間にわたってリレー連載された4人の著者によるレアな沖縄の現状報告集である。細かい経緯はこれも本ブログの「25 『沖縄からの報告(仮)』はじめに(下書き)」で書いているように、2010年1月にわたしが沖縄での仲里効『フォトネシア』出版祝賀会に参加したおりの二次会で知念ウシさんに出会ったことに端を発している。前述のブログ「25」は書名を変更した以外はとくに訂正することもなく、今回刊行された本の巻頭に「まえがき」としてそのまま掲載させてもらった。
 なにしろ「未来」での連載がなんの工夫もない「沖縄からの報告」だったから、そのまま書名にするわけにもいかず(サブタイトルに痕跡を残したが)、土壇場で仲里効さんの近刊の沖縄文学批評集に予定していたタイトルをトレードさせてもらってなんとか格好をつけたというかたちになった。さっそくきょう紀伊國屋書店から書名にかんする問合せがあったようで、新刊案内を出してしまったあとでのトレードだから書店現場には迷惑な話であるが、ご寛恕いただきたい。ともあれ、この書名バナシについては本書の「あとがき」で知念ウシさんがご丁寧にも言及してくれて、友人に「トウソウする~」という書名の話をしたら当然「逃走する」でしょ、と言われたらしい。わたしがウシさんに電話で最初に提案したときも「逃走する沖縄」ですか、といわれて一瞬まさかと思ったぐらいであるが、どうもウチナンチューには「基地問題」からはいい加減「逃走」したいという思いがあるようだ。でも闘っているんだからやっぱり「闘争」でしょ、ということで一件落着したというオチがある。まあ、おもしろい本だからぜひ読んでみてください。
 未來社の沖縄本は4月に入ってすぐ沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の中平卓馬写真集『沖縄・奄美・吐カ喇1974-1978』が出たが、さらに昨日には宮本常一の『私の日本地図8 沖縄』も刊行された。これはわたしが編集にかかわっているものではないのだが、じつにタイムリーであった。このほかにもすでに本ブログの「14 沖縄関連本の連続刊行」でも予告しておいたように、坂手洋二戯曲『普天間』と、さきほどの仲里効さんの〈沖縄批評三部作〉とわたしが名づけたということになっているところの第三作、沖縄文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』が5月に、沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の残りの2巻、伊志嶺隆写真集『光と陰の島』と山田實写真集『ゼロに萌える』が6~7月にかけて刊行される。このほかに知念ウシ評論集と高良勉文学論集『言振り』も夏から秋にかけて刊行予定である。
 この5月15日に「復帰」40周年を迎える沖縄にあわせて、いまヤマトのマスメディアもいろいろそれにあわせた番組製作や広告特集などが目白押しであり、こちらにもいろいろ問合せや取り持ちの依頼など、また出広依頼などがつづいている。こうした盛り上がりが例によって一過性のお祭り騒ぎに終わらないことを祈りたい。むろん沖縄ではそんなことがありえないのは、米軍に代わる自衛隊の進駐問題や高江のヘリパッド問題、また昨今の北朝鮮によるミサイル発射(失敗)騒ぎや、さらには石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の買収工作案など、沖縄にとっては目に余る問題が次々と生じていてお祭りどころではないはずだからである。
 そんななかで未來社の沖縄本はともかくも次々と刊行される予定だ。これらの本が沖縄の現状の打破にすこしでも役立つことを念じている。(2012/4/20)

「エディターシップ」1号という雑誌を読んでいろいろ思うところがあった。これは日本編集者学会というグループが発行している学会誌であり、その学会の副会長であり発行元であるトランスビューの中嶋廣さんから送ってもらったものであるが、こういう動きに疎いわたしはこういう学会が存在することも知らなかった。ちなみに会長は長谷川郁夫。長谷川さんと言えば、直接の面識はないが、かつての小沢書店の社主。いまは大阪芸術大学で教鞭をとっているらしい。
 こうした顔ぶれからも想像できるように、〈編集〉という営為になんらかの積極的な意味づけを与えようという意図のもとにさまざまな編集者が結集した学会らしい。わたしも編集者の社会的ありかたには〈レフェリー〉的役割があると考えているが、それにしても〈編集学〉のようなものが存在すると思ったことはない。同じようなものに日本出版学会があり、〈出版学〉の存在だってどんなものかなとは思うが、こちらには出版の歴史や出版業界のしくみの研究などいくらか学問的なフィールドの余地があるから学会と呼べなくもないが、編集者学会となるといささか鼻白むものがある。
 創刊号も全部読ませてもらったわけではないが、巻末の学会シンポジウム「書物の現在そして未来」などを読んでも、現役の編集者と元編集者の大学人たちの個人的体験にもとづく編集論はそれぞれの立場を反映したものとして興味深く読める反面、たとえば電子書籍にたいする見解などにはさほど傾聴に値するものは見られなかった。編集者といっても、出版社の規模やジャンル、方向性においてあまりにもさまざまな人種が存在するなかで、どこまで学会としての独自性を打ち出していけるのか、今後の展開を見ていく必要がある。
 このなかで元平凡社の編集者でもあったという石塚純一の「人文書の編集者」の最後で、これからの人文書の編集について触れたところがわたしにも納得できるものがあったので引いておこう。
「いまの状況を見て思うんですけれど、そもそも書物を読む人口は昔から多くはなかった。人文書を読む人の数を三千人だとすると、文学系を読む人は千五百人くらい、歴史好きは千人、その他宗教・芸術とかが五百人、そんなものです。まったくの専門書を出すならばそれぞれの数を目標にすればいい。しかし、ある専門の隣の領域の読者にも刺激的な内容の本だったら、千プラス五百の読者を得ることができる。このように領域が異なる良質な読者の小さな輪を想定し、そこにぶつけていくのが人文書編集者の腕ではないかという気がしています。」
 わたしもかつてほぼこれと同じようなことを話しかつ書いたことがある。(*)ジャンルオーバーする人文書の可能性はたしかに多く見積もっても三千人、狭くとれば千人という数字はきわめて現実的になってきている。千冊がひとまず売れることはいまや人文書にとって最初のハードルと言えなくもない。
 そうした厳しい現実はあっても、この水準で出版社を維持していくことができれば、出版業は今後もかろうじて成り立つ。しかし量を指向してきた出版業界としては崩壊していかざるをえないだろう。量の世界から質の世界へ、はたしてどういうかたちで出版は維持されていくのだろう。

 *昨年十一月に刊行した拙著『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の「編集者と読者の交流の試み」を参照されたい。(2012/4/18)
 きのうは坂手洋二さんとの企画について書くつもりが、途中からマスコミ批判になってしまった。坂手さんの戯曲『普天間』の仮ゲラを渡し、いろいろ打合せをしたのだが、この戯曲のタイトルをめぐって坂手さんはけっこう緊張しているという。というのは、やはりヤマトンチューが沖縄の、それもいま政治問題としても渦中にある「普天間問題」をタイトルとする作品を本として出すことの心配があるらしい。
 わたしも青年劇場での上演台本を読み、それを修正した出版用原稿の通読をしたところだが、坂手さんも言うように、セリフのウラはいろいろとってあるので間違いはないがウチナンチューがどのように受け止めてくれるかということには自信がないとのこと。それは出版人としてのわたしもいつも痛感していることである。ヤマトンチューが沖縄のことについて本を出すということはある種の部外者的介入であるという側面は免れないところがある。そのことに無自覚な著者や出版者は論外としても、十分に意識的なはずの著者や出版人がそれでもくぐり抜けなければならないハードルはけっして低くない。
 その意味で今回の坂手洋二による戯曲『普天間』がウチナンチューがどのように受け入れられるか、おおいに気になるところである。しかしヤマトンチューによるオキナワ本がウチナンチューにも理解され、受け入れられるとともに、ヤマトンチューの事実認識、意識変革に結びつくものでないかぎり、出版される意味はない。わたしが読むかぎり、沖縄国際大学での米軍ヘリ墜落事故とその後始末にかんする米軍の隠蔽処理に始まって、「日米地位協定」にもとづく日本政府側の無力をはじめ、現在の普天間飛行場をめぐる諸問題は的確に主題化されているように思える。そのかぎりにおいて戯曲『普天間』は十分な問題提起になっていると思う。
 坂手さんには「推進派」という徳之島への基地移転(民主党鳩山政権時代の普天間基地移転代替案)をめぐる現地取材にもとづく戯曲もある。戯曲『普天間』につづいてできれば刊行してほしいという坂手さんの意向にはできるだけ添うようにしたいと思うが、それはたんに戯曲『普天間』との関連性だけではない。坂手さんの構想には韓国のチェジュド(済州島)と沖縄を関連させた戯曲が準備中であり、さらにはフクシマと沖縄というテーマも構想中であるという、その想像力の展開に期待したいからである。言うまでもなく、そこには時代の要請に真摯に応えようとする精神のありかたがみとめられるからである。(2012/4/7)
 昨年3月の福島原発事故以来、沖縄・普天間基地移転問題についての扱いは民主党政権はじめマスコミにおいて明らかに小さくなった。在沖米軍による震災被災地への「トモダチ作戦」なる、「核汚染下を想定した安上がりな軍事訓練」(米軍高官)については感謝のキャンペーンを張る一方で、沖縄の怒りの声は無視されている。たまたま起こった「沖縄はゆすりの名人」発言のケヴィン・メア(米国務省東アジア・太平洋局日本部部長)や、「犯す前に犯しますよと言いますか」発言の田中聡(防衛省沖縄防衛局長)のような暴言はさすがにメディアも取り上げ、アメリカ政府と民主党政権もこいつらのクビを飛ばすぐらいの対応を強いられたが、所詮それらは沖縄をめぐる支配の言説の一端にすぎない。そもそもこういう言説を生み出す政治経済の構造を打開していかないかぎり、そうした悪質な言説はいくらでも再生産されるだけだろう。
 しかし、ここへきてアメリカ寄りの報道に終始してきた「朝日新聞」(だけではないが)でさえ、5月に「復帰」40年を迎える沖縄の問題を取り上げざるをえなくなってきたようだ。3月30日の「朝日新聞」朝刊では沖縄の写真家・大城弘明さんの写真を数枚1ページ大にわたって記事を掲載していた。しかしこれらの主要な写真を収録した大城さんの唯一の写真集『地図にない村』(未來社)については一言の言及もなかった。また、きょうの朝刊においても、25年まえの沖縄国体で日の丸を引きずり下ろして火をつけたという行為で知られる知花昌一さんを「ひと」欄で取り上げながら、その行為に強いインパクトを受けて写真集『日の丸を視る目』(これも未來社)の巻頭に知花さんを掲載した石川真生さんとその写真集についての言及もなかった。これらはいずれも写真集の写真にヒントを得て記事がつくられていったことは明白であるのに、あえてそうしたソースにあたる部分についてはいっさい無視している。これは「朝日新聞」が沖縄についての本質的な関心をもっているかのように見せたいポーズであって、沖縄の基地問題をはじめとする諸矛盾について鋭く問題提起をしている未來社の沖縄本については知られてほしくない、という姿勢を一貫してとっていることを示している。おそらくこれは記者レベルではなく、その上部レベルでそういう検閲が働いているにちがいない。
 あらためて言うまでもなくすでに「記者クラブ」問題で暴かれているように、「朝日新聞」幹部もまたこうしたアメリカからのさまざまな優遇措置や権益システムに毒されているからである。この問題についてはわたしも『出版文化再生――あらためて本の力を考える』収録の「マスメディアこそが問題である――沖縄米軍基地問題にかんして」(「未来」2010年6月号)ではっきり批判したことがあるから、脛に傷あるマスコミ人なら当然知っているだろう。
 いちいち挙げないが、ほかにもこうした検閲が働いていると考えるしかない例がいくつもあるので言っているまでで、なにか被害妄想じゃないのかと言いたいひともなかにはいるだろうが、そのひとはマスコミの「良識」という幻想にいまだにとらわれているにすぎない。この問題は今後も厳しく点検していくつもりである。(2012/4/6)

 北川東子さんが乳ガンの宣告を受けたのは二〇〇九年十一月十八日のことである。なぜその日だとわかるのかと言えば、北川さん本人からその日にこの話を聞いたからである。小林康夫さんと仕事の打合せに下北沢の行きつけの店で会っているところに北川さんも来られて、きょう宣告を受けてきたのだと突然われわれは報告されたのである。かなり末期的とのことでショックを受けていたようで、二人でいろいろ励ましたことを覚えている。そしてしばらくこの話は内密にしようということになった。ただいずれにせよ、そんなに長くは保たないのではないかという懸念があって、なにか問題が生じたらわれわれ二人が力になろうということでその晩は早めに帰宅してもらった。
 その後、北川さんの自宅に近い八王子のほうにいい病院があるということで入院され、放射線治療の効果もあってか、思った以上に回復したときもあったようである。ところが昨年八月十六日に北川さんから電話があり、しばらく話をした。放射線治療を受けているが、なかなかマーカーが下がらないとのことだった。そのときは政治や原発事故の批判の話題になったが、東大駒場のあるドイツ語関係者の対応など微妙な話もいろいろ聞いて、暗澹たる気持ちになった。結局、北川さんと話をしたのはそれが最後になってしまった。そして二〇一一年十二月二日、ついに来るべきものが来てしまったのであるが、ガンの宣告から二年、いろいろ苦しかっただろうが、よく頑張ってくれたのではないかといまは思うしかない。
   *
 こういう交友関係ができるようになったのは、一九八八年にわたしが旧知の竹内信夫さんに頼んで東大駒場の若手教官たちとの勉強会を作らせてもらいたいと提案したことに端を発している。そこに小林康夫さんや、以前から知っていた湯浅博雄さん、桑野隆さんのほかに初対面の高橋哲哉さん、船曳建夫さんと北川東子さんが加わってくれることになった。わたしの記録によると、その年の七月十三日に渋谷で初会合をおこなっており、まわりもちでレポーターがなにかテキストを決めて月例で勉強会をおこなうことになった。この会の名前は小林さんの提案で《扉の会》(未来の扉を開くという意味だったと記憶する)となり、わたしが連絡と設定の係となって、一九九〇年代はじめまで三年間ほどほぼ毎月おこなわれた。この会は竹内さんを最年長として四十代前半から三十代前半の七名のまさにこれから日本を代表する研究者・論客になろうとしているひとたちが集った、ある意味では歴史的な研究会であったと言ってよいかもしれない。
 そこでの喧喧諤諤の熱い議論の一端をわたしがテープ起こししたデータは残っているが、それは公表しないという事前の原則のために陽の目をみないままになっている。学問研究のありかたをめぐる考え方をぶつけあった、それぞれにとってもその後の仕事を展開するための有益な場になっていたと思う。そこに参集されたひとたちとその後、出版の仕事をつうじていろいろと深いかかわりをもたせてもらうようになったのは、まさにこの会の成果であった。昨年の未來社六〇周年のために刊行された社史『ある軌跡』に《扉の会》の何人かに執筆していただいたが、一様にこの会について言及されているのも、そうしたインパクトがそれぞれの方に残っていることの証跡であると言えそうで、感慨深いものがある。
   *
 北川東子さんとはフーゴ・オットの大著『マルティン・ハイデガー──伝記への途上で』(一九九五年刊、故・藤澤賢一郎さん、忽那敬三さんとの共訳)の仕事しか実現できなかったのだが、じつは北川さんに女性哲学者としての思索をまとめてもらおうという企画をあるとき思いついて、筆の遅い北川さんにとにかく原稿を書いてもらうにはどうすればいいかと思案した結果、二〇〇六年から往復メールのかたちでこちらが質問を発し、それにたいして一週間以内に最低五枚以上の論考で返信してもらうという約束でひとつの試みを始めることになった。北川さんも最初は乗り気でなんとか三回ほどでいくつかのテーマに分けた返答をもらったあと、続かなくなってしまった。タイトルもこちらの提案で『女の哲学』とまで決まっていて、うまくいけば日本で初めての本格的な女性による哲学書が生まれるはずであった。
 それはこんな文章から始まっている。
《若い人からは想像もつかないだろうが、意識のなかで年月が残してくれる痕跡はひどく頼りない。実は、私も半世紀以上、この世に生きてきたのだ。もう随分長いこと生きてきた気がするし、まだまだ人生の初心者という気もする。数を数えれば、確かに五〇年以上の生命と、二〇年以上の職業生活とがあったのだ。けれど、相も変わらず成熟できなくて、相も変わらずなにもわかっていない気がする。ただ一点だけ、そこそこの年月生きてきたことの実感がある。この五〇年以上、「女として生きてきた」という実感である。
 そう、私は、もう随分長いあいだ、「女として」生きてきた。そうして、この随分の長い年月、「女として」という事態につきあってきた。》
 なんだかプルースト的な始まり方だと言えなくもないが、このあとにつづく文章はまさに自分の生誕から幼少女期の経験をその家庭環境までふくめて現時点であらためて洗い直すというかたちで開始されようとしている。自分では「ただひたすらとりとめもないことを書いている気がします」と書きつつも、ここから「戦後日本における道徳的心性の修復という問題とジェンダー」とか「例外状態と日常性をつなぐ女体の意味」とか「女はいつ『産みたい』気持ちになるのか」とか「『産む性』にとっての民族とは」といった小タイトルの付けられた文章がとにかく書かれたのである。未整理のままであったとはいえ、これがどういうふうに展開していくのかはおおいに期待していかなければならないはずであったのに、こちらの追求不足もあって、この企画がこのままになったことがいまとなっては取り返しがつかないことになってしまった。
 北川東子さんは日本語の著作が少ないために、ほんとうの力量が一般に知られることなく亡くなってしまった。わたしなどが喋々すべくもないが、北川さんのドイツ語の力、その読解力などには端倪すべからざるものがあり、こうした力量を発揮する機会をもっともっと提供すべきだったと思うと、その早すぎる死が悔やまれてならないのである。

 *この稿は「20 北川東子さん追悼ワークショップ『北川東子と女性の哲学』」の注で予告したように、小林康夫編『〈時代〉の閾──戦後日本の文学と真理』(UTCPブックレット25、2012年3月刊)に収録されたものであり、ブックレット刊行後に「出版文化再生ブログ」への転載を了解してもらったものである。前稿と重複するところがあるが、あわせてお読みいただければさいわいである。(2012/4/1)
 未來社での先輩でありわが営業の師匠とも言える藤森建二さんが独立して洋泉社を創業したのが1984年12月、44歳のときであった。昨年暮れのある会で会い、ひさしぶりに二人で二次会をしたさいに、近く回想記を出すので読んでみてくれ、と言われていたのが、そのしばらくあとに送られてきた『洋泉社私記──27年の軌跡』である。わたしが未來社に入って8年ぐらいで独立してからすでに27年になるのかと思うと、いまさらながら時間の経過の早さに感慨深いものがある。しかもすでに2年まえに古希を迎える年に引退しているのだからなおさらである。
 もっともこの間いろいろなところで遭遇したりいっしょに呑む会に参加したりしているので顔を合わせることがなかったわけではない。しかしこの回想記を読むと、なんといろいろなひとと会ったり交渉したりしているのかがわかる。もともと営業畑で広告関係もかかわりがあったから、創業者ということもあって、未來社時代の人脈もいろいろ活用しながら馬車馬(失礼!)のごとく業界内を動きまわっていたことがわかる。その結果が年間百数十点に及ぶ新刊を出すような出版社に成長をとげさせたのだから、親の仕事を引き継いだだけのわたしなどに比べるまでもなく、この厳しい時代の出版界にあってたいした成功者だと言っても過言ではないだろう。所轄税務署から優良企業としてお褒めのことばをいただくぐらいなのだから。
 この回想記について言えば、記述があまりにもメモ風なので、どういうひとと会い、なにをしていたかはわかるが、概略だけしかわからない。社員の出入りもいろいろあったからもっと思うところはあったはずだが、そういうところは淡々としているのがいかにも藤森さんらしい。
 出版傾向はわたしの意図するところとは相当ちがうので、べつにコメントをつけるつもりはないが、「あとがき」で「出版社の『目録』は、その社の暖簾と言われてきましたが、今日ではさほど重視されなくなってきています。......いつからか、書籍も一般の商品と変わらなくなりはてて......」という箇所があるが、やはり「それはちがうでしょう、藤森さん」というのがわたしの見方であることだけは言っておかなければならない。古くさいと言われようが、わたしはそういう一方の陣営に属している人間であって、いまだからこそ書籍の力を呼び戻さなければならないと思っているのである。それが『出版文化再生――あらためて本の力を考える』を刊行した理由であり、〈出版とは闘争である〉と考えるからである。(2012/3/28)
 このところ新刊の書名に苦労することがつづいている。
 2月に刊行した湯浅博雄さんの『翻訳のポイエーシス――他者の詩学』もさんざん迷ったあげくにわたしが思い切って提案して湯浅さんの了解を得たものだったが、これは内容的に言って副題もふくめてぴったりだったと自負している。湯浅さんの性格からやや説明的になりすぎるのをかなり強引に断定的なタイトルになった。わたしが創ってきたポイエーシス叢書にもちなんだ書名でもあり、わたしはとても気に入っている。これなどはあとづけで付けた書名にしては珍しくうまくいったほうである。
 3月に刊行した守中高明さんの『終わりなきパッション──デリダ、ブランショ、ドゥルーズ』は、当初、守中さんが希望した書名が『パッション』だったのだが、未來社にはジャック・デリダの同名の翻訳があり(これは原題のまま)、同じ出版社から同題の本が出るのはまずいということから再考してもらって、今回のものに落ち着いた。これは当人が決めてくれたのであり、いいタイトルだと思う。
 さて、いま難航中の書名問題がある。PR誌「未来」にリレー連載してもらってきた「沖縄からの報告」(前項参照。執筆者は知念ウシ、與儀秀武、後田多敦、桃原一彦の四氏)をこの4月に単行本にまとめるにあたって、連載タイトルをあまりに安直に付けてしまっていたため、まさかこれをそのまま書名にするわけにもいかず、とはいえ連載が本になったことをわかってもらうようにするにはその痕跡を残さねばならず、ハタと困ってしまったのである。知念ウシさんや與儀秀武さん、はてはこの連載の企画協力者でもある仲里効さんにまで知恵を借りる始末。
 わたしのイメージとしては「沖縄からの報告」をサブタイトルに残して、できればウチナーグチ(沖縄語)でわりとヤマトゥ(日本人)にもわかりやすそうなコトバがあればいいな、ということで検討してみたが、内容にそぐわないものばかりで、あとはあまりにもヤマトゥに理解が(いまの段階では)むずかしいコトバになってしまい、初志貫徹できず。いまにいたるも(すでに原稿はきょう印刷所に入稿してしまった)決着していない。なにを隠そう、窮余の一策として、ほぼ連続して刊行される予定の仲里効沖縄文学評論集に予定していた『闘争する境界』をトレードしてもらうことにしようかと思っている。執筆者にメールでこの旨を伝えて反応を待っているところであるが、いまのところ直接確認をとった知念ウシさん以外からの返答はない。どうやらこれでいけるかもしれない、という現状である。まったく前代未聞の書名トレード話だが、書名と内容をマッチさせ、今回のように執筆者が4人いて、それぞれの個性がちがうのをまとめつつ共通性を探るということになると、なかなかうまくいくわけではない。さいわいなことに、このリレー連載は沖縄の若手論客を中心にしてきただけに沖縄人のヤマト政府および日本人への不信感、批判精神はほぼ共通のものがあるので、こうした括りかたが可能になった。サブタイトルには「復帰後世代の沖縄からの報告」としたのはウシさんの提案だが、これは内容を明快に伝えていると思う。
 ところで、書名トレード元の仲里本には仲里さんのもともとの希望でもあった『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』を付けることになった。すでに書店には元の名前で新刊案内を送ったばかりで恐縮のかぎりだが、こうして書名問題がなんとか解決しつつあることの報告である。(2012/3/26)

 わたしが沖縄に深くかかわるようになったのは、沖縄の批評家・仲里効さんと写真家論集『フォトネシア──眼の回帰線・沖縄』のための連載原稿をPR誌「未来」で発表してもらっていた二〇〇九年ごろからであるが、とりわけ足繁く沖縄を訪れるようになるのは、この本の出版祝賀会出席のためにひさしぶりに訪沖した二〇一〇年一月二十三日からである。その出版祝賀会で、『フォトネシア』で取り扱われている写真家を中心に沖縄在住の写真家および沖縄を主要なテーマとして写真を撮っているヤマトの写真家とをあわせた沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉という途方もない企画をスタートさせることになった経緯をおおいに宣伝してくれという仲里さんの促しに乗って、多くの写真家をふくむ沖縄の代表的文化人を前にアピールしてみたのだった。
 さらにその日の二次会で飛び入り参加された喜納昌吉さんと意気投合し、自身の音楽家人生と重ねあわせながら沖縄の歴史と現状を総括するような語り下ろし本を刊行しようということになり、その後、『沖縄の自己決定権』という本となって結実した。
 そういう稔りの多い訪沖の機会であったが、じつはそれだけではなかったのである。喜納昌吉さんと話している二次会のその場にいて刺戟的な発言をされたのが初対面の知念ウシさんだった。そのときの話をぜひ「未来」に書いてほしいという依頼を受けて書かれたのが、本書の第一回原稿「基地は本土へ返そう」である。この回をスタートにして、リレー連載というかたちでヤマトでは聞こえてこない沖縄からの生まの声をレポートしてもらうことになった。ここでも仲里効さんに協力してもらって適切な人選を推薦してもらった結果、與儀秀武さんと後田多敦さんが知念ウシさんともども三か月に一回という約束でそれぞれの観点や立場から最新の沖縄情報を書いてもらうことになった。二年目にはいるところで、事情があって後田多さんに代わって桃原一彦さんがあとを受けてくれることになって、とりあえず二年間二四回分の原稿が集積されたので、とりあえず単行本としてまとめさせてもらうことにした。
 この二年のあいだに民主党政権の混迷や沖縄問題対応の拙劣さから首相が二度も交替するという激動がつづいており、その渦中にはいつもオキナワがある。東日本大震災が起こったあとでも在沖米軍が「トモダチ作戦」と称して災害地救助の名目のもとにさまざまな軍事シミュレーションをおこなったりしているのも、沖縄人からみればじつにうさんくさい事情がある。本書ではそうした指摘もなされている。いずれにせよ、沖縄からの厳しい批判の声をヤマトの政府はもちろん、日本人それぞれが襟を正して聞くべきなのである。日本への「復帰」四〇年をまえにして本書が刊行される意義はそこにある。

 二〇一二年三月
 未來社代表取締役 西谷能英

 *これはこの四月に刊行予定の知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦著『沖縄からの報告(仮)』の「まえがき」として書かれたものの下書きである。正式書名は現在のところまだ決まっていない。(2012/3/21)

24 守中高明さんと本の力

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 午前中、守中高明さんから電話があり、きのうできたばかりの新刊『終わりなきパッション――デリダ、ブランショ、ドゥルーズ』の仕上がりにとても満足しているという喜びの声を聞いた。高麗隆彦さんの装幀がオビもふくめて自分のイメージを120パーセント表現してくれているとのことで、原稿とはちがって本というまとまった形になることでやはり格別な手応えをもたらしてくれるものだと言って、なにより喜んでいるようであった。守中さんとはもう二十数年のつきあいになるが、自分でも言うように「喜びを表現するのが下手」かもしれないかれの喜びには尽くせぬ思いがあることをわたしは知っている。
 守中さんはこの間、公私にわたって相当しんどい時期があったこともあって、昨年、小社の60周年にあたっての社史『ある軌跡──未來社60年の記録』刊行にあたって執筆ができないくらいだったのである。それが昨年10月末に『ある軌跡』60年版への不参加のお詫びとともに今回の本の原稿が送られてきたのだった。わたしにとってもまったく青天の霹靂でわが目を疑ったものだが、とにかくあまり元気がなさそうであった守中さんと刊行の準備をすこしずつ整えながら、しだいに元気を回復していく守中さんを励ましつつ刊行にこぎつけたわけである。この本をともに担当した明るい長谷部和美さんの協力も守中さんには好影響を及ぼしたのではないかと思う。
 さきほどの電話で「こんなんだったら、もっと早くお願いすればよかった」と守中さんは言っていた。かれとしてもひさびさの単行本刊行ということもあって、あらためて〈本の力〉をふたりで確かめあうことになった。ここでも出版が著者を勇気づけ元気にすることによって〈本の力〉を生み出すための闘争であることが確認できた次第である。
 その余波かどうか知らないが、この3月31日(土)夕方には守中高明夫妻の主催で「詩歌の饗宴――朗読と語りのゆうべ」(出演:岡井隆、平出隆、倉田比羽子、進行:守中高明)が専念寺・本堂(新宿区原町2-59、Tel: 03-3203-5895)がおこなわれる。以下は守中さんが書いたチラシの文章である──「日本の詩歌の構造は不思議です。一方に、音数律・韻律・行分けの規則などいっさいの制約のない口語自由詩があります。他方に、1300年の長きにわたって定型を守り続けてきた現代短歌があります。両者の関係はどうなっているのでしょうか。ふたつのジャンルを越境しつつさまざまな詩形式を試みる3人の実作者を招き、作品の朗読と鼎談を行ないます。チェロの演奏と肉声の響き合い、そしてしずかで熱い語り合い──ひとときの饗宴の中に、さあ何が見えてくるでしょうか。」詩人・守中高明の元気な姿を見にいきましょう。(2012/3/15)
 3月6日の夕方、東大教養学部キャンパスの18号館ホールにて東大大学院言語情報科の湯浅博雄教授の最終講義がおこなわれた。それにあわせて最新刊『翻訳のポイエーシス──他者の言語』(ポイエーシス叢書)を刊行させてもらった。最終講義はこのなかのバタイユ論「エロティシズムと〈存在の連続性〉をめぐって」を湯浅さんが読み上げるというかたちで進められた。約1時間半にわたって粘りのある文体で書かれた高度な内容のテクストがホールにしみ透るように響き、誠実な湯浅さんの人柄そのままに淡々と読み終えられた。終了後、開かれた祝賀会パーティでこの本が参加者に寄贈された。
 このパーティでは長らく言語情報科の同僚であった宮下志朗さんがスピーチをおこなったあとを受けて、わたしも湯浅さんと手がけさせてもらったいくつかの本の話を中心に大学院時代からのエピソードを披露させてもらった。知り合った最初から着実な研究スタイルを築いてこられた湯浅博雄さんがこうして定年退官を迎えられるということはわたしなりに感慨深いものがあり、とくに1980年代末期に〈扉の会〉という勉強会をいっしょにやらせてもらって以降は著書に、翻訳にコンスタントに本作りを共同させてもらったことは大変ありがたいことであった。
 東大を定年になったからと言って、湯浅さんのことだからまだまだ新しい仕事をされていくことだろう。いつも謙虚な湯浅さんのこれからのますます充実した仕事に協力させていただきたい。さいわい優れたお弟子さんたちも育ってきているので、そういうひとたちとも連繋して日本の出版文化を支えていってもらうよう応援したいと思っている。(2012/3/7)
 ひさしぶりに熱い芝居を見た。きのう(3月4日、日曜日)の午後、誘われて武蔵関の"ブレヒトの芝居小屋"という劇場(といっても工場跡みたいな場所)へ出かけて行き、韓国のベテラン劇作家・鄭福根(チョン・ボックン)作(坂手洋二演出)「荷(チム)」の東京演劇アンサンブル公演の楽を見た。200席ほどのスペースが両側に分かれて舞台を見下ろすかたちの劇場で構造上の制約があるからだろうが、こういう舞台もなかなか新鮮だった。
 演目は第二次大戦直後の青森県大湊市を舞台に、大戦中に強制的に日本に連れてこられた朝鮮人をそこから船に乗せて朝鮮に送還するという設定で、そこには軍事工場などで強制的に働かされた者や従軍慰安婦として性奴隷とされた女性たちがひしめいていて、それぞれのドラマを抱えて乗船するが、その船は戦時中の悪事の露見を恐れた旧日本海軍の陰謀で大量に積み込まれた爆弾とともに途中で沈没させられることになっていた。七〇〇〇人余りを乗せて一九四五年八月二十四日、舞鶴沖で爆沈させられた浮島丸事件をテーマとする重い芝居である。そこに朝鮮の由緒ある旧家から連行され従軍慰安婦にさせられた女性と、その女性の存在を一族の恥とする朝鮮の家族の古風な考え方とが交錯し、そこに一種のセカンド・レイプ状況が生まれる。女性は爆沈した船からたまたま救われるのだが、大湊に戻って自死にも似た死を選んでしまう。その女性が死ぬまでかかえていた荷物が二〇年後の世界で日韓のあいだを何度も往復するという設定のドラマなのである。
 ドラマの筋は省略するが、ここで暴かれたのは、日本帝国主義の軍隊のあまりの凶暴さ、残忍さであり、その被害にあった朝鮮民族の苦しみであり、それが戦後においても容易に解決できないさまざまな軋轢をもつことの現実である。親兄弟や恋人、息子や娘を強制的に奪われ殺され辱めをうけた朝鮮民族の「恨(ハン)」の深さがこれ以上ない痛切さでことばと叫び、演技を通じて訴える。
 こういう重い主題であるが、満杯の観客には若い女性も目につき、彼女らがこういう現実から目をそらすことなく、今後の生き方のなかで歴史認識をきちんともちつづけてくれることを期待したい。出版社はこういう作品こそをもっともっと世に送り出すべきではないかと考えさせられた。(2012/3/5)
 未來社の漢字表記について東京大学出版会の竹中英俊さんから鋭い突っ込みがなされている。ツイッター上での発言なので見落としがちだが、どっこい何度も言及されているようなので、フォローし直さないわけにいかず、この自称「白川静の押しかけ弟子」の追及は放っておけない問題であるし、ほかにも竹中さんとツイッターでこの問題についてやりとりしている方がいることがわかったので、いちどこのあたりの事情を説明しておく必要があるだろう。あまり「出版文化再生」につながらないと思う(笑)が、この場を借りてひとこと釈明しておきたい。
 まず竹中さんはこんなことを書いている。
《西谷能英社長に話したことだが、「未来社」は、ロゴの文字のうち「来社」は旧字、PR誌「未来」のタイトルは新字である。社が編集しているPR誌面の「未来社」の文字は「来」だけを旧字にしている。こんないい加減な表記はやめて「未来社」と「未来」にしてほしいな。そして「来」の魅力を語りたい。》《白川静の弟子である私ですので、ならば「社」もシメスヘンの旧字にしていただきたいですし、PR誌の『未来』も旧字にしてほしいのです。一貫性がない姿勢を問題にしているのです。》《手もとにある最新刊の加藤節『同時代史考』をみると、「未来社」の表記において、「社」が新字旧字が混在していて、自社出版物でも混用してしまうものを、どうしたらいいのでしょうか。西谷さん、よろしくお願いします。》(いずれも2012年2月29日)
 まったくお節介なことだが、せっかくそう言ってくれるのも貴重なご意見なので弁明しなければならない。じつはこの「いい加減な」混在状態はいまに始まったことではなく、正確な日付は覚えていないが、あるときまで「未来社」も「未來社」も、そしてここでは表示できないが「示偏(しめすへん)」の「社」も編集者ごとにいろいろ使っていたらしいのを、わたしが今後はすべて「未來社」に統一しようと言い出して、以後は原則としてこの表記が使われている。本文の引用文献などでも著者の原稿を修正してまで直しているのである。記憶では20年以上前になるかな。1989年に交通事故で亡くなった小箕俊介がまだ生きていたころだったような気がするからそれ以上になるかもしれない。もっとも当時はどこまで徹底できたかはわからないが。PR誌「未来」にかんしては商標登録に関係あったかどうかは怪しいが、最初からこれで通してきているので、社名との不一致は最初から一貫(笑)しているのである。
 ところがおそらく2000年ごろを境として、書物の世界にもデジタル編集の時代がやってくることになり、これは竹中さんには叱られそうだが、パソコンで出力できる「來」はともかく、外字扱いになってしまう旧字の「社」は、さまざまな点を考慮して旧字はやめ「未來社」に統一することに決めたのである。ただし、装幀などでは「來」はもとより、旧字の「社」を使うこともないわけではない。しかしその場合でも、あくまでもデザインとしての画像扱いで、流通上は「未來社」としている。そうしないと、インターネットなどで流通するものもしなくなってしまうからである。現に書協のホームページでは「未來社」で検索しても該当する書名は出てこないで、「未来社」なら1621件ヒットする。最初のころ、書協に申し入れてどちらでもヒットするように「あいまい検索」できるように仕組みを変えてくれと要求したことがあったが、技術上の困難があったらしい当時はともかく、いまだに実現していない。まったく不親切な組織だ! 会費払うのやめようかな。平凡社だって同じだ。というかあちらのほうがもっと確信犯なのか、あんな泣きべそのような「平」の旧字だかなんだか知らないが最初からパソコンでは出てこないのだからしかたない。すみません、変なとばっちりを食わせてしまって、平凡社さん!
 というわけでネット流通上の不利にもかかわらず、せめて「來」の字にだけはこだわっているのが現状です。竹中さん、これでお答えになりましたでしょうか。
 そうそう、ついでにわたしのお得意の正規表現を使って、文中の「未来社」を一括変換する置換処理の方法を書いておきましょう。
 検索文字列:未来社\([^会]\)
 置換文字列:未來社\1
これは「未来社会」のような熟語以外の「未来社~」にのみヒットさせ、「~」の部分をそのまま代入させることで「未来社の」「未来社は」「未来社が」などをそれぞれ「未來社の」「未來社は」「未來社が」と一括変換させるのである。ちなみにこれを秀丸エディタのマクロで表記すると
 replaceallfast "未来社\\f[^会]\\f","未來社\\1",inselect,regular;
となる。
 どうです、竹中さん、この一貫ぶりだけは貴兄のこだわりにひけをとらないように思いますが。(2012/3/1)

 きょう(2月28日)午後、東大駒場で昨年12月2日に59歳の若さで亡くなった女性哲学者北川東子さんを追悼するワークショップ「北川東子と女性の哲学」がUTCP(東京大学共生のための国際哲学交流センター)主催でおこなわれ、わたしもスピーカーとして参加させてもらった。これはUTCP拠点リーダーの小林康夫さんの依頼というか命令で、これまでの北川東子さんとの交流を出版社の人間としての立場から紹介し、人間としての北川さんの知られざる一面をも発表する機会が与えられたのである。すでにこのワークショップに先駆けてUTCPブックレット用に書いたエッセイ「北川東子さんと『女の哲学』」(*)と多少重複するところはあるが、わたしが北川さんと直接知り合いになった若手教官の会「扉の会」のことから、最後は女性の立場からその身体性を通じての哲学書をめざした『女の哲学』の刊行へ向けて原稿を書きはじめていたが中断してしまったことなどを、そこからの引用をまじえながら紹介させてもらった。
 同じくスピーカーとして参加された公共哲学京都フォーラム所長の金泰昌(キム・テチャン)さんのお話によると、北川さんは金さんと男と女のそれぞれの立場から哲学を論じあい、これまでの男性による男性のための男性の哲学を批判し、またこれを反転させただけにすぎない女性性を前面に打ち出した女性のための哲学でもなく、いわば男女が共生しうる哲学の新たな構築をめざそうとしていたということであった。わたしが北川さんと企画していた『女の哲学』もそうした文脈から考えられるものであり、どこかで男女の共生を可能とする哲学の構築がもくろまれていたはずである。産む性としての女性の身体性という地点から語られはじめていた北川東子さんの哲学がもっと自由に展開できるように働きかけるべきであったという大きな悔いがあらためて感じられる話であった。
 このワークショップにはフロアに高橋哲哉さんや田中純さん、若手では西山達也さんなども参加され、司会の中島隆博さんともどもそれぞれの北川さんへの思いや体験を語られ、北川東子さんという人間のさまざまな面が浮き彫りにされたいい会になったと思う。
 帰りに金泰昌さん、東京大学出版会の編集者竹中英俊さんとビールを呑みながら交わしたおしゃべりもいろいろな話題に及んで楽しいものであったが、こういう顔合せを実現してくれたのも北川東子という人間が残してくれた功徳なのであり、竹中さんなどは別の予定をキャンセルしてまで話し合う夕べとなった。
 それにしても、北川さんの亡くなる前後のさまざまな問題には古くからの友人としても力の足りなかった面もあり、またいかんともしがたい不都合も重なって北川さんとしても心残りだったはずである。UTCPがせめてもの供養のために今回のワークショップを実現してくれたことは、小林康夫さんの気持ちの現われでもあって、北川さんの冥福をあらためて祈らざるをえない。(2012/2/28)

 *このエッセイはUTCPの了解さえ得られれば、このブログでも公開させてもらいたいと思っている。そのうち今回の付録として掲載できるだろう。

 ここまで18回にわたって書きつづけてきたこの「出版文化再生ブログ」であるが、ここ数回、とりわけ前々回の「17 日販の『インセンティヴ-ペナルティ』方式の危険」を書いたことで、この記事のアクセスが1日で1500超というこれまでにない数を記録したことにより、以前から未來社ホームページという狭い場所でなく、より一般的な場所で広く公開したほうがアクセス数が一気に増えるだろうと未來社ホームページ担当者からアドバイスされていたことを踏まえて、いよいよNIFTYココログページにこのブログを開設することにした。これまではある程度、様子をみるかたちで書いてきたのだが、どうやらこの「出版文化再生ブログ」もコンスタントに記事を書くペースが確立し、定期的に読みにきてくれる読者も見えてきたので、さらなる拡大をめざすことにしたわけである。これまでもNIFTYココログページの別のブログで使っていたページを広げて新しく「出版文化再生ブログ」(http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/)を作り、そこにこれまで書いた分をコピーしてとりあえず公開できるところまできた。
 今回はこの情報を知らせることとし、未來社ホームページとうまく連動できるようになるまでは従来のページでも公開するが、いずれ一本化できるようにしたいと思っている。(2012/2/23)
 出版界は1996年をピークとして前年比割れをつづけて、いまや最盛時の2兆6000億円超の売上げが2兆円を割るようになってきており、このままでは出版業自体の存続が危ぶまれるような事態を迎えている。その原因としてインターネット、携帯電話等の情報機器の発展や、最近は電子書籍化の動きなどが取りざたされており、書店の衰退、図書館予算の削減などにより本がますます売れない状況が加速されているとも言われている。
 そこへもってきて昨年の東日本大震災とそれにつづく原発事故は日本の景気を一気に押し下げて低迷に拍車をかけてしまった。「がんばろう」のかけ声ばかりでは事態はいっこうに打開されないのが実情で、出版界もまたその例外ではない。
 昨年11月に未來社は創立60年を迎えた。それにあわせて社史『ある軌跡──未來社60年の記録』を刊行するとともに、わたしが未來社の月刊PR誌「未来」に十五年にわたって書きつづけてきた出版コラム[未来の窓]176回分のうち一部を削除し、テーマ別に再編集して『出版文化再生――あらためて本の力を考える』と題して同時に刊行した。A5判500ページになる大冊になったが、出版界および出版事業にたいするわたしの積年の思いを展開したものとして、いわば未來社の裏の公式文書としても、さいわい新聞等で紹介され、業界的にも話題になっている。
 今回、この本を機縁として未來社としても以前からかかわりの深い「中国新聞」に寄稿を求められたのはたいへんうれしいことである。というのは、小社からは中国新聞社編で『証言は消えない』ほかの広島の記録三部作(毎日出版文化賞受賞)、『中国山地』上下、『新中国山地』などドキュメンタリーものを刊行させていただいており、わたし自身も2004年に『中国山地 明日へのシナリオ』の編集を手がけている。また中国地方とも関係の深い宮本常一さんの『著作集』その他も継続刊行中である。
 さて出版はほんとうに力を取り戻せるのか。わたしが『出版文化再生』と書名でわざわざ「文化」を強調したのも、いまこそ出版の原点に立ち返り、本という紙媒体のもつ力をまず出版界のわれわれ自身が再認識し、そこから真に文化的に価値のある本づくりを勇気をもって実現していくことを通じて、新たな日本社会を再生していく基盤をつくろうと呼びかけることにあった。
 さいわいなことに本を書こうと念願している力量のある著者はすこしも減少しておらず、それを支える優秀な編集者も健在である。本は読者が手に取るところから始まり、その粋を凝らしたレイアウトや活字の美しさなどを通じて、読書のおもしろさや知識の深さをほんとうに味わえる器なのである。新しい文化はつねにここから始まるのである。
 出版界はこれまでのように大量生産―大量流通―大量販売という方式による安易な量的指向ではなく、出版物の文化性を強く志向する質的充実へと転換していかなければならないだろう。情報の一過性に頼る出版物や雑誌はすでにその傾向が顕著に現われているように、いっそうの退潮を強いられざるをえないだろう。
 出版界のこれまでの成長を支えてきたこれらの出版物が他のメディアに取って代わられることをいまやおそれてはならない。業界的な成長はもはや期待できないとしても、出版は本の力、活字の力を取り戻すことによって未来をつくっていくことはまだまだ可能なのである。

 *この原稿は2月初旬に書いて送ったが、新聞社の意向で表記その他の変更がなされ、「中国新聞」2012年2月19日号に掲載されたものである。ここに掲載するのはその元になった原稿である。(2012/2/22)

 最近の取次の書店への取組みの仕方をみていると、市場の冷え込みと不況を反映してか、無駄なコストを極力抑制して効率販売をこれまで以上に上げていこうとする姿勢が顕著である。その最たるものが日販が採用している「インセンティヴ-ペナルティ」というマネジメント理論を取り入れた方式で、要するに一定以上の成績を上げた書店には報償を、それ以下の成績の書店にはペナルティを課すというかたちで、料率に二面的な差配をつけて書店をコントロールするという考えである。
 日販はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と共同出資で2006年に立ち上げたMPD(Multi Package Distribution)に仕事の中枢を移行する方向で取次専業から徐々に離脱する指向性をもっていると見られるが、そうしたなかで取引先の収益力の強化を名目にさきの「インセンティヴ-ペナルティ」というマネジメントの方法論をその取引にあたっての原理に据えることによって出版不況に対応しようとしている。具体的には書店の返品率を35%をボーダーに設定することによって、それ以下に抑えた書店にはインセンティヴを、それ以上の結果が出ている書店にはペナルティを課すというものらしい。
 しかしそれによって書店は厳しい商品管理と商品仕入れを強いられている。売れる商品しか仕入れることができず、常備やフェアといった企画に対応することができにくくなり、まともな商品構成を実現できなくなりつつあるのである。
 なぜなら、ここでいう返品率とは、取次からみた総送品にたいする総返品の割合を指すので、理論上は100%返品されるはずの常備寄託や、売れ残りの多くなるフェア商品は返品率を高めるばかりになるので、返品率を下げることを至上目的とせざるをえない立場に追い込まれた書店は、こうした形態の入荷には否定的にならざるをえないからである。
 出版社の常備寄託にたいして日販系書店からの申込みがこのところ激減しているのはそうした背景があるからであって、このままでは書店の棚構成が形骸化するのは目に見えている。売れるものだけを並べようとしても、そもそも売れるものだけで書店の棚はカバーしきれるものではない。また常備寄託品に代表されるような(回転効率はかならずしもいいとは言えないかもしれない)基本商品を棚に置くことによって新刊や一部の売行き良好書が生きてくるのであって、そうした売れるものだけを並べている書店には読者は用がなくなれば寄りつかなくなってしまう。すでにそうした現象は深刻な事態を迎えているのであって、書店の荒廃をいっそう推し進めることになっていないか。売行きが目立って伸びにくい専門書、人文書の多くはそうした書店から排除される一方になってしまう。
 取次の自衛策としか思えないこうした「インセンティヴ-ペナルティ」方式は、あまりに短絡的であって、書店を締めつけることによって出版社にもマイナスの影響を与えるばかりか、それらをつうじて取次自体にもはねかえってくることになるのは明らかではないか。心配なのは、脱取次をめざしていると懸念される日販ばかりか、トーハンなどにもそうした方向性が見られはじめていると言われていることである。
 ここは出版界の再生のために大所高所からの判断を期待したい。出版界は三位一体などと言われるが、自己本位になっては業界の存立さえ危ういことになってしまう。それになによりも忘れてはならないのは読者の存在である。このまま読者の書店離れが進めば、もはや取り返しがつかなくなるのではなかろうか。(2012/2/21)
 トーハンのデジタル事業担当役員でデジタルパブリッシングサービス(DPS)の社長に返り咲いた鈴木仁さんが電子書籍担当のデジブック林社長とともに来社され、これからのオンデマンド本の構想について話を聞く機会があった。
 ひとつにはこれまでのDPSのオンデマンド復刊事業のさらなる発展として、出版社の負担を軽減するため桶川のQRセンターの一角にDPS専用の在庫を預かるスペースを確保して、出版社のオンデマンド製作にかんする発注、郵送、出荷等のコストと時間を圧縮するという提案である。これまで出版社はオンデマンド注文を受けると、まずDPSへの発注作業、納品の確認と倉庫等への発送作業(郵送料の発生)、さらには出荷倉庫での在庫管理、出荷作業(伝票起し、出荷料の発生)などの手間とコストをかけて1冊ごとの注文に応じてきた。それをDPSが注文を受けたあとは製作から管理、出荷までをすべて一貫しておこなうという合理化案なのである。
 これには、もうひとつセットになった話がある。これまでは出版社の判断で一冊ごとのオンデマンド製作あるいは場合によっては小部数のショートラン印刷と呼ばれる選択肢があって、出版社が後者の場合には先行投資的に注文数以上の製作をして在庫管理をおこなってきた。鈴木案では、これもふくめて在庫管理をし、なおかつ製作費は注文があるごとに出版社へ請求するだけでいいのではないかというもので、これは出版社にとってはありがたい話になる。オンデマンド機は面付けが4面なのでもっとも効率がいいのは4冊単位ということになり、1冊あたりのコストも若干だが軽減される。そうなればそのコストもいくらかは出版社に還元できるという、さらに具合のいい話なのである。つまり出版社はあるアイテムの注文が1冊くれば、4冊作ってもらい、3冊はQRセンターでの保管にまわしてもらって、とりあえずは1冊分の製作費の請求を受ける、残りは売れるたびに払っていくという仕組みである。オンデマンド本の場合はさほど回転率がいいわけではないから、出版社の負担もそれだけ軽減され、なおかつ在庫があるあいだは出荷がすぐできるという利点も出てくるのである。
 こうした鈴木案にわたしは原則的に大賛成で、通常重版がやりにくい専門書・学術書におけるオンデマンド復刊の必要性をさらに後押ししてくれるものとなる。ついつい面倒さが先に立って新しいアイテムの準備を怠ってしまいがちなオンデマンド本の拡大もこれでやりやすくなる可能性がある。こういう構想は同じような悩みをかかえる専門書系出版社にとってはおおいなる福音とも言えるもので、一社だけでなく、たとえば書物復権8社の会のようなところがある程度まとめてアイテムを拡充することになれば、これまでよりはるかに大きなマーケットの開拓につながることになるだろうし、読者の不満にもいくらかでも応えることができるようになる。それにDPSとしても業量が増えることによって1冊あたりの製作費用や移送費用なども軽減できることにつながり、すべてうまく回転することが可能になる。
 こうした発想は、鈴木仁さんがたんに業務拡大のためだけでなく、いまの出版界になんらかの貢献をトーハンとしてできることはないか、という文化論的立場から出てきたもので、この意気やよし!とするべきなのである。ちかくわたしは書物復権8社の会などに具体的な提案をしてみようかと思っている。(2012/2/15)

 本日(2012年2月14日)、いよいよトーハンの「Digital e-hon」ホームページ(http://www.de-hon.ne.jp/digital/)がリオープンされることになった。昨年四月、トーハンが呼びかけた「Tohan initiative for e-BOOK (Tie)」の電子書籍配信事業をめざして昨年後半からさまざまな配信会社を取り次ぐべくデジタル事業部を中心にネットワーク作りに邁進してきたトーハンだが、配信会社とのやりとりがもたつくなかで、トーハンが従来から紙の本で実働化してきた「e-hon」のデジタル版としてこの「Digital e-hon」ホームページが先行して立ち上がったわけだ。
 今回、このホームページ立ち上げにあたっては、デジタル事業部との連繋によりトップページに「未來社特集ページ」のバナーを設定してもらい、学術専門書版元としての栄えあるトップバッターに起用してもらったわけである。このページ開設にあたってわたしが依頼されて書いたガイド文が掲載されているので、それを以下に引いておこう。
《トーハンのデジタルe-hon事業開始にあわせて未來社としては初めての試みである電子書籍配信を始めました。小社は以前より書籍のテキストデータ保存に努めてきましたので、今日の電子書籍化をめぐる動きには原則的に対応できます。従来の一般書・小説・コミックを中心とした電子書籍配信の動きにたいして、人文・社会科学系専門書・学術書を中心にする出版社はいまのところあまり積極的ではない気がしますが、これまでとは異なる専門書の受け取られ方があるはずです。小社の試みは今後の書籍販売のあり方へ向けてひとつの実験のつもりです。》
 正確に言うと、未來社としてはすでに大学図書館向けの紀伊國屋NetLibraryへの出品があり、まったく初めての試みというわけではないが、広く一般読者にオープンにされたWebサイトへの配信は初めてと言える。ただ、ここでアップされたデータは基本的には紀伊國屋NetLibraryで使用したPDFファイルを流用したものであって、巷間よく言われるような動画的なファイルではない。そういうものを期待した読者にはがっかりされるかもしれないが、そもそも小社のような学術書、専門書のような出版物の読者にとってはそういうデータは必要ではあるまいと判断しているからである。紙の本と同じような感覚で本を読んでもらいたいということから、最初の数ページ分を「立ち読み」できるようにもしてある。また、価格も紙の本とまったく同一である。電子書籍だから紙の本より安くできるという説もあるが、わたしは同意しない。電子書籍とはあくまでも紙の本があってのものであって、電子書籍はその別形態にすぎないから、価格がちがうのはおかしいという考えである。
 ともかく、「Digital e-hon」ホームページ立ち上げにあたってこの試みがどういう方向へ発展していくのか、いかないのかを見きわめていきたいと思う。(2012/2/14)

14 沖縄関連本の連続刊行

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 きょうの沖縄県宜野湾市の市長選で伊波洋一氏が惜敗した。普天間基地の県外移設、海外移設を一貫して主張してきた伊波氏にたいして、自民党・公明党ほか推薦の佐喜真淳氏がやはり県外移設を唱えて仲井真弘多知事とも連繋した結果、宜野湾市民はより融通性のありそうな佐喜真氏を選択したということだ。だがこの結果をわたしは理解に苦しむ。そもそも沖縄の米軍統治、米政府への屈服政治、さらには普天間の辺野古移設を進めてきたのは歴代自民党(+公明党)政府だったのであり、そうした政治責任のある自民党・公明党のバックアップを受けながら、それと反対の主張をする佐喜真氏自身を県民が信用したということなのか。それとも強硬な伊波氏の反米路線にはついていけないと感じたからなのか。さらには以前、名護市長選で当時の民主党官房長官が官房機密費を自民党支持者に使って辺野古移転反対派の稲嶺現市長を落とそうとした一件にみられるような裏金工作がまたしてもおこなわれたのか。野田政権のアメリカ追随路線が今回の市長選でアンチ伊波に結びついていることは明らかで、民主党県連は自主投票を今回も選択せざるをえないという体たらくをさらし、結果的には佐喜真市長当選をとめられなかった。
 それにしても、宜野湾市民はいったいなにを考えているのだろう。普天間基地問題の存在やそれに付随して起きるさまざまな事件や事故を忘れたのか。
 いま未來社ではことしの沖縄の「本土復帰四〇周年」にむけてあらためて沖縄関連本を続々と準備中である。二年まえから継続刊行中の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全九巻の残りの三巻が中平卓馬写真集『沖縄・奄美・吐【カ】喇1974-1978』をはじめ故伊志嶺隆写真集、山田實写真集とつづけて刊行できそうである。それからPR誌「未来」で連載してもらった仲里効「沖縄と文学批評」全十七回、さらには知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦各氏のリレー連載「沖縄からの報告」全二十四回もいよいよまとめに入る。宮本常一「私の日本地図」シリーズの第八巻「沖縄」も三月には刊行される予定である。さらには今回、2011年度沖縄タイムス芸術選賞文学部門(評論の部)大賞を受賞した高良勉『魂振り――琉球文化・芸術論』の続篇『言振り』や知念ウシ評論集もことしの後半には刊行予定に入っている。
 またヤマトンチュの坂手洋二さんの戯曲『普天間』もこの五月に刊行することになる。これは普天間問題を主題として沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故をはじめさまざまな事件や事故を扱い、その背景にある歴史的な問題ともからませて現在の沖縄の現実を明らかにしていく戯曲である。夫人が沖縄人であるという坂手さんの沖縄への想いが結集した作品になっていると思う。できれば現地での上演ができればいいが、伊波氏の敗北によってこうした可能性が低くなってしまったかもしれない。ともかくこの秋から青年劇場が全国公演を三十回おこなうのにあわせてこの戯曲を世に送り出そうと考えている。五月までに最大で七冊の沖縄関連本が生まれることになれば、いくらかでも沖縄の情勢にコミットできることになるだろう。(2012/2/12)
 紀伊國屋書店の外商部とJRC(人文・社会科学書流通センター)とがタイアップしてJRC取扱い出版社の前年の新刊を図書館に納入するカタログ販売の試みを始めて三年目になる。先日来社したJRC後藤社長の話によれば、この販売戦略がとても好調だとのことである。JRCも来年で創立十周年になる。不況の出版業界のなかで大取次の隙間をぬうようにして書店の要望に応え品不足を補うかたちで販売促進や納品をつづけてきたJRCの新たな試みとしてのこの新刊カタログ販売は、紀伊國屋書店外商部の要請もあって始められ、着実に成果を積み上げてきており、経営戦略としても大きな柱になりつつある。
 店舗販売が厳しい紀伊國屋書店にあって、外商部(営業)の力はいまや売上げ上での相当な寄与を実現している。これまで外販を競ってきた丸善の外商力が急激に落ち込んできていると言われるいま、紀伊國屋書店はこちらの面ではかなりのアドバンテージを得てきているようだ。そんななかで、丸善出版がライバルである紀伊國屋書店に販売協力を希望し、後藤氏の推薦と仲介もあってカタログ販売への参加が実現した結果、『科学・技術倫理百科事典』(全5巻)といった高額商品が売れているらしい。当初、紀伊國屋書店側にも営業のモチベーションが上がらないといった反応もあったようだが、結果的にみればこのタイアップは成功し、両者とも喜んでいるとのことである。言ってみれば、丸善が紀伊國屋書店の軍門に下ったようなかたちだが、いまやそこまでしてでも販売成果を上げる必要がそれぞれにあるということかもしれない。
 出版販売の世界はこれまでの習慣やいきさつをいちど洗い直して建設的な方向にいろいろ試みていく時期に入ったのではなかろうか。(2012/2/10)
 この「出版文化再生」ブログをしばらく中断してしまった。ここに書くべき話題がなかったわけではなく、むしろ問題にすべき話題は多かったかもしれないのだが、いくつか依頼された原稿が集中したために書く余裕がなかったにすぎない。
 そのひとつは『出版文化再生――あらためて本の力を考える』について「読売新聞」の昨年十二月二十日号に文化部の待田晋哉記者による《「未來社」創立60年の充実》という記事が掲載され、そのなかで『宮本常一著作集』のショートラン重版などが触れられたことに関心をもたれた「中国新聞」の佐田尾信作さんから「出版業の再生 活字の未来」というテーマで原稿を頼まれ、「出版は活字の力を通じて未来をつくっていく」という原稿を書いたことである。これはまだ未発表だが、いずれ掲載が可能になったらこのブログにも転載したいと考えている。
 もうひとつは、昨年十二月二日に五九歳で亡くなった東京大学の北川東子教授の追悼エッセイを、UTCP(The University of Tokyo Center for Philosophy=東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」の拠点リーダー小林康夫さんに依頼されて書いた「北川東子さんと『女の哲学』」である。この二月二十八日には東大駒場でUTCP主催の北川東子さん追悼集会が開催される予定であり、そこでのスピーカーも依頼されており、北川東子さんとの出版をつうじてのおつきあいについて話をさせてもらうことになっている。このエッセイはそれとおそらく重複することもあるだろうが、どういう形かわからないが活字化を考えられているようである。北川東子さんとはわたしがかかわった東大駒場の若手教官の勉強会「扉の会」でのつきあい以来、二四年にわたるおつきあいをさせてもらい、これからいよいよ本格的な哲学を展開してもらうつもりであっただけに痛恨の極みと言わざるをえない。その思いの一端を書いたもので、これも掲載が可能になったらこのブログに転載したいと考えている。
 そんななかで出版界の話題としては暗いものが多く、出版文化の再生をめざすこのブログの主旨からはあまり生産的とは思われない内容はあえてとりあげる必要はないので、これからあらためて出版の活力につながる話題にしぼって再開しようと思っている。(2012/2/8)

11 出版事業の発明

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 出版の問題について教材用にその概略を書く必要があって、古代ギリシアの全盛期アテナイで出版事業と書籍市場が早くも発生していたというカール・ポパーの講演があったのを思い出した。これはポパーが一九九二年の京都賞受賞のさいに来日したときの記念講演で、長尾龍一・河上倫逸編『開かれた社会の哲学──カール・ポパーと現代』(一九九四年、未來社刊)という本に収録されている。
 ここでポパーはあくまでも大ざっぱなものだがと断ったうえで、「歴史上の新発見」として仮説を提示したのである。その後、この議論がどういう位置づけを獲得したのか不明だが、通常は十五世紀のグーテンベルクによる聖書印刷によって開始されたと見なされている近代印刷術とそれにともなう出版事業がなんと二千年も前にさかのぼるギリシア時代にその萌芽があったというのだから驚きだ。
 ポパーによれば、紀元前六世紀ごろのアテナイの僭主であると同時に文化事業の擁護者でもあったペイシストラトスがホメロスの叙事詩を書物とする事業を始めたところに端を発するそうである。「ペイシストラトスのこのホメロス文書化事業こそ、後世に比類なき影響を及ぼしたもので、それは西洋文明史上の焦点というべきものである」とポパーはこの講演での中心命題を要約している。
 どういうことかというと、当時のアテナイ市民のあいだに人気の高かったホメロスの作品を公開朗読会のさいに書物のかたちで配布したところ「大人気を博したことが、出版を商売にしようというような考えを生み出した」ようである。もちろんこの時代に印刷機などはないので、どうしたのか。
《書物の制作は、具体的には、大勢の文字を解する奴隷に、口頭で唱えたものを書き取らせる方法で行なわれた(......)書き取った紙片は巻物に編纂されて、「書物」(ビブロス)とよばれて、「オルケストラ」と呼ばれた場所で売り出されました。》(20ページ)
 こうしてまずホメロス人気に乗って開始された出版事業で、このあと他の詩人の詩集や悲劇・喜劇の作品などがどんどん書物化され、市場(アゴラ)における書籍市場(ビブリオニア)が制度として確立することになった。こうして出版を意図する著述までも現われるようになり、そうした最初の著書はアナクサゴラスの科学論『自然論』だとポパーは推測している。
 こうした地中海世界における最初の出版行為によって出版事業が発明されたとポパーは言う。書籍市場が確立されることによって出版事業も成立したわけであり、ポパーによれば、こうした制度の確立によって市民の字を書く能力の発展をうながし、権力者の「陶片追放」(オストラシズム)を可能にさせ、ギリシアの文化と民主主義の発展に大きく寄与することになったのだということ、それがヨーロッパ文化の起源にもなっていくという壮大なスケールの見取り図がつくられていく。
 この講演をしめくくるにあたってポパーはつぎのように結論づける。
《われわれの文明は、その発端から「書物の文明」(bookish civilization)であったのです。この文明は、伝統に依存しながらも革新的で、真摯であり、知的責任を重んじ、比類ない想像力と創造性を発揮し、自由を尊び、それへの侵害に敏感な文明ですが、これらすべての属性の根底にあるのが、「書物への愛」に他なりません。私は、短期的流行や、ラジオやテレビ、コンピューターなどによって、人々の書物への愛が毀損されないこと、いな多少でも減殺されないことを祈ってやまないのです。》(26ページ)
 いまならこれに携帯電話やインターネット、さらには電子書籍などが加えられるべきだろう。しかしポパーはこのあとさらにつぎのようにクギを刺している。
《しかし私は、書物讃美論によってこの講演の結末としたくはありません。(......)忘れてならないのは、文明を構成するのは人間であり、文明を身につけた、即ち有意義な、文明的な生活を送っている個々の女性ないし男性だということです。書物であれ、文明の他の諸要素であれ、それはわれわれの人間的目的を増進するところにその意義があるのです。》(26-27ページ)
 このポパーの言明をこそ、わたしたちはあらためて出版文化再生のための原点に据えなければならない。(2012/1/15)
 一般読者の「ニーズ」に対応して、これらに応えるべく書かれてきた一般書、実用書にたいして、情報の消費を目的としない別の意図をもって書かれたのが専門書と呼ばれる一群の出版物であるととりあえず定義することができる。それらは読者の「ニーズ」に応えるために書かれたものではなく、書き手にとってどうしても解明せずにはいられない主題が必然的にもたらした結果である。そういうものはあらかじめ誰にも知られていない知や価値の発見であって、書き手にとってさえ書き進めることによってはじめて見いだされた真実、場合によっては予測できていたかもしれないが細部にわたって解明できていなかった真相である。読者はもちろん、誰にも発見されていなかったこうした事態をすぐれた専門書は世界にはじめてもたらすのである。
 すぐれた専門書は刊行され解読されてはじめて世の中の財産目録に加えられることができる。すぐれた文学書がすべてそうであるように、書かれるまえにはどこにも存在しえなかった世界への窓、世界認識のしかた、こんな物事の見方があったのかという驚き、こうしたものがすぐれた文学のそれぞれがもたらすものだとすれば、さまざまな知への学問的営為とも言うべき専門書の成果とは、それぞれの学問的見地から学問や科学の最先端を探求した結果ようやくにして獲得できた知なのである。こうした発見の価値が刊行当初においては十分理解されないことがあっても、あるいは一般にはなかなか理解されないことがあっても、時間がたてばそれが人類の文化の向上に計り知れない価値をもたらすことは、これまでの世界史が十分に証明していることである。それらは世界の古典になっていくのである。
 こういう価値のある専門書が最初から一般に読まれるということはよほどのことがないかぎりありえない。つまりそこに既成の価値観でしかない「ニーズ」は存在しないからである。かつて経済主義一辺倒の規制緩和論者が「ニーズ」のないところに出版はありえないとか言った愚劣な意見を開陳していたが、そんな程度の「ニーズ」を充たすだけの出版物だったらとっくにインターネットの情報提供力に負けてしまっている。発見的知としての新たな「ニーズ」こそが文化を前進させる。このような知をもとめる出版物は、最初から成功を約束されているわけではないので、小部数出版にならざるをえない。いまのマスコミなどではほとんどそうした真価をとらえられないためにまず紹介されることはないから一般に知られるには時間がかかるが、いずれはすぐれた理解者を得て知られていくことになる。すぐ売れなくても価値の高い専門書を発掘し、刊行していくこと、それが専門書出版社の最大の役割なのである。(2012/1/8)

*放送大学教材用の下書き稿の一部を転用しました。

9 出版界と退職者

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『出版文化再生――あらためて本の力を考える』を昨年11月末に刊行して、同時に刊行した社史『ある軌跡──未來社60年の記録』とあわせて主要な著者をはじめ、出版関係各社および業界の知り合いに相当数の献本をおこなった。わたしの『出版文化再生』は未來社の最近15年の基本的な考え方を提示しているものとしていわば非公式の記録でありながら出版という営為を通じて実現しようとしてきたことの真意というか意志を明示するものであり、社史という公式の記録文書とともにあわせて読んでもらいたいという願望もあったからである。さいわいこの期待はある程度認めてもらったようである。多くのお礼状や感想などからそう推測しても間違いではないだろうと思えるからである。
 そうしたさまざまな感想や激励などのなかに、わたしはひとつ問題があることに気がついた。それは、今回お送りした知り合いのなかにかなりの割合で現役を引退しているひとがふくまれていることにも関連する。わたしのこれまでのつきあいやかかわりの深いひとたちがわたしより上か同年配ということもあって、必然的に定年後のひとが多くなっているのは事実である。そういうひとのなかにはいまでもなんらかのかたちで出版界にかかわりをもっているひともすくなからずいることはいるが、それでもどこか半分は現役を退いたかたちになっている。それはそれでやむをえないのだが、問題はそういう現役を退いたひとたちが、しかもそのほとんどは現役時代に出版界でもそれぞれの立場から貴重な仕事を残してきたひとたちであるにもかかわらず、もはや出版界のことについての関心を失なってしまっているように感じられるひとが何人もいることなのである。これはわたしにとってある種のショックである。
 わたしはこの業界から足を洗うことができないという自分の立場上、出版および出版界のことを自分の年齢の問題と重ねあわせて考えてみることはあまりない。あるとしたら、自分の著述のための時間をもっともちたいというぐらいのことで、経営の課題をクリアできないかぎり、現実的にはなかなか厳しい欲求でしかない。それにたいして、退職後、出版の世界に関心をもたなくなったことを表明するひとがわたしの知り合いのなかからも出てきていることに愕然とするのである。営業関係者の場合には、たしかに自分の活動する場が失なわれてしまった以上、どうすることもできないのであるからこの成り行きには納得せざるをえないものがあるのだが、編集者だったひとはどうなのだろう。もちろんこれも編集者として出版業にかかわりをもてなくなった以上、現実的には関心が失なわれていくのは同じことかもしれない。しかし、わたしにはどうしてもその断念の心的しくみが理解できないのである。
 こうしてあらためて考えてみると、出版という営為はやはり実業でしかないのか。出版界を去ろうとする人間の話をこのところ何人も見聞きしてきたが、ほとんどが余生の話、趣味の話に終始してうんざりさせられたところである。こうしたところにも勢いのなくなりつつある出版界の現状を見てとるべきなのかもしれないが、いやいや、それだからこそここは頑張りどころなのではないかと思うのである。それこそが『出版文化再生――あらためて本の力を考える』という本を出した理由なのだから。(2012/1/2)
「無条件に科学を信じている者はすぐれた科学者になることもできないであろう。科学的知識を絶対的なもののように考えるのはむしろ素人のことであって、真の科学者は却ってつねに批判的であり、懐疑的でさえあるといわれるであろう。少くとも科学を疑うとか、その限界を考えるとかいうところから哲学は出てくる。」(「哲学はどう学んでゆくか(二)」、初出は「図書」一九四一年四月号)
 こう書いているのは七〇年前の三木清である。あたかも今日の原子力科学者の思考のレヴェルの低さを予言しているかのようである。科学的知識を絶対化するエセ科学者の妄言をもとにこの国の原子力発電は今日の最悪の事態にまでいたり、それとともに日本という国の根幹が致命的な原子力汚染にまみれてしまった。どうやって回復させることができるのかは、三木が言うように「素人」の科学者にまかせておくことはできない。「真の科学者」の出番であるが、そこに哲学の必要も問われてくる。ことここにいたっては、単純な原子力批判だけでは事態の解決にはいたらないのである。
 三木は先の文章にすぐつづけてこう書いている。「しかしながら懐疑というのは、物の外にいて、それを疑ってみたり、その限界を考えてみたりすることではない。かくの如きは真の懐疑でなくて、感傷というものである。懐疑と感傷とを区別しなければならぬ。感傷が物の外にあって眺めているのに反し、真の懐疑はどこまでも深く物の中に入ってゆくのである。これは学問においても人生においてもそうである。容易に科学の限界を口にする者はまた無雑作に何等かの哲学を絶対化するものである。感傷は独断に陥り易い。哲学はむしろ懐疑から出立するのである。」
 ここで三木の言う「感傷」に陥らずに「どこまでも深く物の中に入ってゆく」懐疑は容易に事態を単純化しないだろう。いまや単純な原発批判でなく、どうしたら原子力の暴走を食い止められるのか、そうした科学の内部からあくまでも懐疑的に(哲学的にと言っても同じだろう)現状を打開しうる科学者の出現を待たなければならない。あるいはそういうひとを発見し、その声に耳を傾けなければならない。(2011/12/23)

 来年の1月26日(木)夜、「出版ビジネススクールセミナー:未來社60周年記念講演/出版文化再生 出版とは闘争である――あらためて本の力を考える」でわたしのセミナーが開かれます。会場は岩波セミナールーム。これは出版研究センターの林幸男さんが主催するセミナーでわたしもこれまで三回ほど出演させてもらったことがあります。今回はわたしがこのほど刊行した『出版文化再生――あらためて本の力を考える』(未來社)をきっかけにこの本に因んだタイトルの講演をさせてもらうことになりました。以下はその案内用チラシのためにわたしが作成した文章の素案です。ご関心をもっていただける方はどうぞいらしてください。ご連絡は出版研究センター(03-3234-7623)へ。
《ご参加のすすめ》
 未來社は2011年11月11日、創立60周年を迎えました。それにあわせて社史『ある軌跡――未來社60年の記録』を20年ぶりに作成するとともに、わたしがPR誌「未来」で1997年3月号以来176回にわたって書きつづけてきた出版コラム[未来の窓]を再編集して『出版文化再生――あらためて本の力を考える』という本にまとめました。後者は最近15年間の未來社の歴史であるとともに、最近の出版業界のかかえてきた諸問題へのわたしなりの批評的総括でもあります。
 東日本大震災と原発事故以来、出版界はこれまで以上に厳しい局面を迎えております。すこし前の電子書籍騒動も依然として不透明で、出版界の先行きはいっこうにはっきりした展望をもつことができていません。
 こうしたなかで昨今、出版業界で問題にされはじめた〈本の力〉とは何かについて、あらためて考えてみたいというのが今回のテーマです。紙の本がもつ魅力とは何か。電子書籍と比較して何がどう違うのか。ここが一番肝腎だと思いますが、このあたりをともに考えていきたいと思います。
《レジュメ》
*出版不況がつづいていますが、この原因はどこにあるのでしょうか。日本の出版界がもつ構造的な問題。経済不況。情報環境の変化による本離れ。電子書籍問題。その他。
*出版界の問題が議論されるときに、業界紙などをはじめとしていつも流通問題、売上げと利益の問題に一面化されて、出版が本来もっとも担うべき文化創造の問題が話題になることがあまりありません。出版人は概して出版文化について語ることを避ける傾向があります。これはどうしてでしょうか。
*出版とは闘争である、とわたしの本のオビにありますが、この闘争の対象はどんなものでしょうか。『出版文化再生』のなかでは具体的にいくつか挙げています。消費税率変更と再販制問題、学術書出版をめぐる出版社、編集者のありかた、社会的・政治的な争点をもつような出版物をめぐる「公共性」批判とマスメディアの対応、などです。
*総じて出版物は体制的な社会や政治に迎合する現状肯定のためではなく、よりよき未来を見据えた批評的・改革的な視点から書かれたものであるべきであり、出版社はそうした視点から書かれた出版物を提供していく立場をとるべきです。こういう出版物は広く受け入れられるものではないのが通常で、出版社は経営的にはけっして楽ではないことは確かですが、だからこそそうした出版物を断固として刊行し、それをすこしでも広めていくような努力をすることがわたしのいう〈闘争〉なのです。この講演会自体、話を聞いていただくこと自体がわたしの闘争の一環でもあるのです。(2011/12/18)
「新文化」2011年12月15日号で未來社60周年の記念社史『ある軌跡──未來社60年の記録』刊行の紹介とともに、わたしの『出版文化再生――あらためて本の力を考える』が紹介された。記者は新文化通信社の芦原真千子さん。昨年の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の企画を〈ウチのイチ押し〉欄で紹介してくれたひとだ。
 今回は『出版文化再生』に「新文化」に寄稿した2本の文章を収録させてもらう依頼のさいに取材とインタビューの約束がなされていた。この本の元になったPR誌「未来」の連載[未来の窓]が出版界のピークを過ぎた1997年から開始され、「下降線を辿り、多くの問題が噴出した時期と重なる」ことを指摘している。さらに「それらの問題について、多角度から見た率直な物言いの論評を加えてきた。その集積である本書は、直近15年の出版小史であり、出版界が直面した問題や出来事の本質を明らかにする評論集でもある」と書いてくれている。また「鈴木書店の倒産直前、著者(わたし)がトーハンに買収交渉に出向いたことなど、当時は書けなかった幾つかの事実を、出版史上のエピソードとして初めて明かした。刊行後、一読すべき書として業界から注目されている」とも書かれている。
 今回は60周年記念として著者、出版社、取次・書店などにセットで送らせてもらったが、とてもいい感触のお返事やお礼状などをもらって、おおいに勇気づけられている。やはり無理をしてでも刊行してよかった。
 また小社のホームページで『ある軌跡』60年版と『出版文化再生』のプレミアムセット販売の案内をしたところ好調な反応にくわえて、「未来」購読者へ向けて60周年記念フェアとして三十点ほどの書籍の割引販売と1万円を超える場合には『ある軌跡』を無料進呈する案内を送ってみたところ非常に多くの注文があり、驚いている。
 小社が業界人や読者にたいしてひさびさにアピールできたことは、今後の出版活動のうえでもひとつの転機になりうるのではないかと、力を矯めているところである。なにしろ出版はそれ自体が闘争なのであるから(本書のオビの文句より)。(2011/12/17)

 出版界を支えてきた大手・中堅出版社の主として営業系の中心人物たちが集まって、月に一度、勉強会を進めてきた会があり、かれこれ二十年近く継続している。出版界の新しい動きや情報にたいして各大手出版社のオーナー社長の懐刀とも言うべきやり手揃いで、日本書籍出版協会の真の実行部隊でもあったひとたちが出版界の横断的勉強会を開こうということになって発足した会で、わたしも設立当初から誘われて唯一の弱小出版社の人間でありながら参加してきた。この会の名は「21世紀の出版を創る会」という。じつはこの会についてはわたしが先日刊行した『出版文化再生――あらためて本の力を考える』においてもいちども触れたことがない。この会の趣旨は外部に情報をもらさないということを前提に、本音で語り合う勉強会という位置づけがあり、わたしもこの趣旨にそって対外的発言は差し控えてきたという事情があるからである。きのうの夜に忘年会が開催され、どうやらこの禁制も解除されてもいいような気になってきたので、あえて書いてみようかと思う。
「21世紀の出版を創る会」はかつて正味問題を考える出版社の会というイベントがあり(日付ははっきりしないのでおわかりの方があればぜひご教授をお願いしたいが、飯田橋のハローワークで開催されたことは間違いない)、この会は出版社だけの会で正味問題を論じあおうという趣旨だったにもかかわらず、取次や書店の人間が入り込んできており、あまつさえ東京書店組合の人間が出版社への批判的介入をするなどあって、議論が進まず解散になったという経緯をふまえて、あらためて出版社だけの会を結成しようということになってできたものである。そのときは当時の書協にあった情流推(情報流通推進協議会)のメンバー(各主要出版社の中核メンバーで構成されていた)と出版労連の幹部たちが合体し、出版評論家の小林一博さんを座長として発足した会である。正味問題を論じあうことから始まって、出版界のさまざまな問題について意見を交わしあうというフリーな場であって、わたしもずいぶん勉強させてもらった。その後、小林さんが亡くなられ、会の存続を相談した結果、有意義な会なので継続しようということになったのである。最初は「20世紀の出版を考える会」だったのが、21世紀を超えるにあたって、いまの名前に変更した記憶がある。
 ともあれ、よく意見の飛び交う勉強会でわたしなど口を挟む余地がないほど次元の高い会であった。最近はあまり出席していないので、こうした過去形を使ってしまうのだが、理由はそれだけでもない。というのは、きのうの忘年会でも退職の挨拶をするひとが四人もいただけでなく、すでに退職しているが会に出席しているひとがおそらく半分以上を占めるようになっており、かつて活躍したメンバーでも退会したひと、出席しなくなってしまったひとが目立ち、どうも今後の活躍が期待できないひとが多くなってしまったからである。すくなくとも現役が少なすぎる。わたしも近況挨拶でこの会は養老院みたいだと言ってしまったが、『出版文化再生』を刊行したことも、社史『ある軌跡』60年版を出したことも、とくに発表する気になれなかった。もっとも幹事の嶋田晋吾さんが見本をみんなに見せて宣伝してくれたが、すでに寄贈しているひとも多く、その他のひとたちからの関心はあまり期待できなかった。なかには元文藝春秋の名女川勝彦さんのようなまだまだやる気満々のひともいるのだが、全体にメンバーが拡散した感じで、これからの出版界をどう構築していくのかといったヴィジョンを語れるようなひとがあまりいなくなったように思われた。わたしが『出版文化再生』で考えている方向とのズレが大きくなっていることを感じた次第である。(2011/12/14)

 きのうの夜は、中目黒のエチオピア料理店「クイーン・シーバ」での鈴村和成訳『ランボー全集』出版記念パーティーに出席した。36人ほど出席。何人かの知り合いに挨拶した。鈴村和成さんはいま「未来」で「書簡で読むアフリカのランボー」を連載中。このたびみすず書房から刊行された『ランボー全集』個人全訳は、これまであまり重きをおかれてこなかったアフリカ書簡を大幅に訳出したもので、「未来」の連載はそれをベースにアフリカでのランボーの足跡を追うもので、ユニークなランボー論になっている。
 この出版記念パーティの仕掛け人は野村喜和夫さん。エチオピア料理店はアフリカ好きの鈴村さんにちなんで夫人の眞里子さんが選定したとのことだが、入るのは初めてだそうだ。
 パーティはこの全集の編集を担当したみすず書房の浜田優君の司会で進められた。浜田君は未來社から移籍した編集者で詩人。途中で自作朗読もしていた。冒頭でランボーの権威、粟津則雄さんが挨拶。鈴村訳ランボーのことば遣いに若干の違和を表明された。粟津さんには『ある軌跡』60年版で寄稿してもらったが、「君のことを褒めておいただろ」といわれた。そうだったかな。つづけて乾杯は安藤元雄さん。安藤さんもランボー訳は一篇だけだとしながらも鈴村訳ランボーの現代的すぎるボキャブラリーに言及していた。わたしも通常「酔いどれ船」と訳される長篇詩を「酔いどれボート」とするのはいささかニュアンスが違うような気がしていたが、あとで鈴村さんのこの作品の朗読を聴いて、そのドライブ感のある朗読力に意外性のパワーを感じたのだが。
 思いがけないことに北川透さんが出席していてスピーチされた。フランスのロワイヨーモンでの鈴村さんとの同行の話やその後のパリでの話など、鈴村さんとのつきあいについて語っていた。話自体はよく知っているので驚くほどではなかった。北川さんともひさびさに会ったことになるので、最近の詩集のお礼をかねて以前に比べてその詩が相当に多弁になってきていることを指摘させてもらったが、自分の詩集にかんしてはよくわからないと言われた。たしかにそうだろうと思う。
 藤井貞和さんは鈴村さんとは五〇年近くなるつきあいで、かつての「白鯨」の仲間としてはただひとり出席。いつものひょうひょうとした話だった。そのまえに話をした朝吹亮二さんが言及した鈴村さんの最初の本『ランボー序説』(だったかな)の発行人として藤森建二さんが紹介され、話を聞いた。藤森さんは元未來社、のち洋泉社を起こしたひとだが、未來社時代に鈴村さんの本を出版したとのことで、版元はたぶん永井出版企画じゃないかと思うが、確かめそこなった。会がおわってから中目黒駅のそばで藤森さんと二次会でしばらく話をした。藤森さんもいまや七十一歳。引退して相談役とのことだ。(2011/12/10)

 前回の「2 いまの哲学の惨状」にたいしてさっそく「神学者ヨハネ」さんからタイトルについて「『いまの哲学〈を取り巻く状況〉の惨状』と題する方がまだしも」ではないか、とのご提案をいただいた。読み直してみて、たしかに哲学を取り巻く状況の惨状はいうまでもないが、哲学それ自体、哲学者、哲学書を発行する出版社自体にも襟を正すべき実情はけっして免罪されるものではないと思うので、あえて変更する必要はないのではないかと思う。
 それにしてもブログというものは書いたままをアップするので、あまり推敲することがないから自戒する必要もありそうだ。自分では日記を書いたことはないので書き方がよくわからないが、ブログのように公開を前提としているものであれば、すこしは構えも必要になる。だからある程度はナマな思考のプロセスをさらけ出すことになるのだが、まあとりあえずはこの調子でいってみよう。(2011/12/8)

2 いまの哲学の惨状

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 茂木健一郎がある座談会のなかで哲学の現在をめぐって以下のような発言をしているのが目を引いた。
《ツァラトゥストラのメタファーでいうと、自ら山を降りていくか、それともみんなに登ってきてもらうかの差が大きいと思うんです。大思想家が生きていて、岩波の哲学講座がよく売れていた頃は、みんなが山に登ろうとしていたんです、人びとの方が。(中略)「町場の哲学」書の読者は、知性派であるにしても、いわば何も苦労しないでポカーッと口を開けて待っている。哲学者がそっちへ降りていって、わかりやすく辻説法をする。いま売れている哲学書は、広い意味のエンターテインメントです。厳しい修行の場とは、また違った倫理と様式になってしまっている。》(座談会「哲学はいま」、「図書」2008年4月号)
 まったくその通りのいまの哲学の惨状である。みずから考えるのではなく、わかりやすい辻説法を待っている。これはテレビと同じだ。受け身の哲学、受け身の読書。だから読書する喜びも哲学する意気込みも感じられないものが横行する。ややこしく小難しい議論をする本や哲学書は敬遠され、どちらかと言えばわかりやすくなじみやすい本が喜ばれるのだ。〈教養〉と呼ばれるものがバカにされ、基礎的な知識を得るための努力が軽んじられる。こうした知の現状はすべての学問の頽廃に及んでいる。東日本大震災での東京電力をはじめとする原発推進派のすべて、東京大学工学部を中心とする原発擁護派の御用学者たちの頽廃ぶりは犯罪的でさえある。科学することの哲学以前の話である。
 こういうカネ(利権)と権力で泥まみれになった学問をどうやって再建するか、哲学の役割はいまこそ重要になってきていると思うのだが。(2011/12/7)

 アマゾンの石川真生写真集『日の丸を視る目』のカスタマレビューで悪質なレビューが掲載された。奈良県のソガノイルカ"ソガ"という名の「見なければ良かったです。」というレビューである。もちろんおすすめ度は最低の「1」である。ひどい内容だが、黙視できないので、以下に全文を引用する。
《すごく気分悪くなりました。本屋で偶然見てしまいましたが、トラウマになりそうです。/こういうのを出版する意図が解らないですが、中国朝鮮とは絶対に仲良くなれない、彼らに隙を見せてはならない、ということが良く分かりました。日本人の平和ぼけを醒ますには、役に立つかも知れません。/見たことを忘れたいぐらい、嫌な気分になりました。》
「出版の意図がわからない」というより、わかりたくないだけである。むしろ出版の意図がわかっていて、日の丸に象徴される日本国家への批判を封殺しようとする意図がありありと見えてしまう。この手の意見にたいしてはわたしはすでに『出版文化再生』のなかで「沖縄問題をめぐる知的恫喝を警戒しよう」(452ページ以下)その他で批判している。ナイーヴさを装った政治的抑圧の幼稚な手法である。予想されたことだが。こういう真実を直視しようとしないひとには何を言っても始まらない。言うまでもないことだが、アマゾンの読者もこれに惑わされないようにお願いしたい。(2011/12/6)

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 PR誌「未来」で176回にわたって連載してきた出版コラム[未来の窓]をこのたび『出版文化再生――あらためて本の力を考える』として未來社から刊行しました。それにともない、新しいかたちでの出版コラムとしてこの「出版文化再生」ブログを始めることにしました。これまでの[未来の窓]とは異なり、時間や原稿枚数に制約のないかたちで思ったことをどんどん発信することになると思います。うまくいくかどうかわかりませんが、これまで以上の関心をもっていただければありがたいと思います。

未来の窓 1997-2011

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