きょうは沖縄の祖国「復帰」40周年の記念日。沖縄ではこの「復帰」にたいして祝うひともいれば、批判的に受け止めるひともいて、さぞやさまざまなかたちでイベントがおこなわれているだろう。そんななかで本土のマスコミは40周年にぶつけて特集記事や特集番組を組んでいる。こういう盛り上がりが一過的なお祭り騒ぎで終わらないことを切に望みたい。
 きょうの「朝日新聞」では1ページを使って知念ウシさんと高橋哲哉さんの対談「復帰と言わないで」を掲載している。ウシさんはつい最近も未來社から共著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』を刊行したばかりであり、高橋さんは第一論集の『逆光のロゴス』をはじめ未來社からは著訳書4冊がある。いずれもわたしとはとても親しいひとたちだ。興味深く読ませてもらった。
 知念ウシさんの論点は基本的に沖縄に米軍基地を置かせている日本全体で基地の問題を考えるべきであり、日米安保にもとづいて日本の安全保障が維持されていると考えるなら、基地を本土(とはウシさんは言わないが)でまず引き取り、そこから返還の問題を考えていくべきであるということである。さしもの高橋哲哉さんもタジタジといった図だ。
 おもしろいのは(おもしろくないか)、朝日新聞の司会者と思われる編集委員が対談にしばしば介入するところである。たとえば「安全保障の専門家の中には、沖縄に基地があるのは沖縄の安全にとってもいいことだという議論があるようですが」などといった具合である。「朝日」からすれば、沖縄に無理解な読者や沖縄に差別的な読者への気遣いからか、ウシさんの意見を一方的に受け容れていないことを示すことが必要なのだろう。
 もうひとつ、きょうの「読売新聞」の文化欄で未來社の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉が前田恭二記者によって大きく取り上げられた。わたしのことも出てくるので、以下に原文を引用しながらコメントをつけさせてもらいたい。
《このところ沖縄関連の書籍を次々に送り出している出版社に未來社(本社・東京)がある。特に目をひくのは、全9巻の写真集シリーズ「琉球烈像」だ。
 批評家の仲里効、倉石信乃両氏の監修で、2010年秋に刊行が始まった。社長の西谷能英氏は『フォトネシア 眼の回帰線・沖縄』など仲里氏の写真・映像論集を手がけ、自分自身、論じられた写真をもっと見たいと出版を思い立った。
 既刊7巻。島に生きる群像や戦没者の遺影を抱いた妻たちを撮った比嘉康雄『情民』、米軍基地のある現実を内側からとらえた石川真生『FENCES, OKINAWA』、本土復帰前に地元でジャーナリストになり、米軍統治期を記録した森口豁『さよならアメリカ』、さらに東松照明氏ら沖縄に深く関わった写真家の巻もある。残る2巻もほどなく刊行予定だ。(注:7月ごろをメドに刊行予定、完結をめざしている。)
(中略)
 シリーズは、「眼差され撮られる対象から、眼差し撮る主体へ」とのメッセージを掲げる。それにとどまらず、自ら米兵向けのバーで働いた石川氏のように、一方的に撮る側に回らず、被写体と深く関わっていく方法論も生まれ、先鋭かつ豊かなイメージが蓄積されてきた。
(中略)
「琉球烈像」の版元として、西谷氏は「風土や人々の生活が写真の細部に現れているし、そこには政治的なものが入り込んでいる。トータルに沖縄が見えてくる」とした上で、「知らないままでいることが抑圧になることがある」と語る。確かに問われているのは、むしろ写真を見る側の意識に違いない。》
 こうした紹介(批評)自体、マスメディアの仕事として得がたいことであるし、対象をとらえるアングルも悪くない。なによりも存在そのものが知られにくい写真集であり、そこに沖縄というプロブレマティックがからむことによって世間の目を気にするマスメディアとしては果敢な試みであると言えよう。感謝する次第である。(2012/5/15)
 さきほど精興社の小山さんが古い紙型リストを持ってやってきた。10年ぐらい前に、精興社が活版印刷をやめることになったときに、活版印刷機のあるうちに前倒し重版をできないか、という提案があっていくつか印刷してみた記憶があるが、それに漏れたものはその時点で処分されたものだと思っていた。実際にリストを見せてもらうと、たぶんそのときと状況は同じ。かつては版を重ねたものもあるが、いまとなっては重版は期待できそうもないものがほとんどである。残るはオンデマンド復刊ぐらいしか可能性はない。ということで、紙型は処分してもらい、原本はオンデマンド用に使えるかもしれないので、持って来てもらうことになった。
 小山さんはわたしと同い年。定年退職後もまだ精興社にかかわっている。「紙型」といってもいまの若い人にはわからないよな、というのがふたりの共通見解で、かつては出版社にとっても印刷所にとっても貴重な宝物、「金の成る木」であったものが、いまは何ソレ、と言われるだろう廃品になってしまった。まあ、そんなものをよく取っておいてくれたよな、さすがは精興社、どこかの勝手に処分して恥じない印刷所とは大違いだけど、結果は同じか。ただ志というか心映えがちがう。そこが決定的におおきいんだけど、経済効果は変わらない。いまの経済一辺倒の政治と同じだ。出版の世界でこうした人間の気持ちが反映する場所がどこかにまだ残っているだろうか。

 *「西谷の本音でトーク」ブログから移動しました。(2012/5/11)

 尾鍋史彦『紙と印刷の文化録――記憶と書物を担うもの』(2012年、印刷学会出版部刊)には昨今の電子書籍や専門書にたいする見解、出版の関連業界である製紙業、印刷業についての豊富な情報が盛り込まれていて、たいへん参考になった。尾鍋さんは東京大学大学院農学生命科学研究科、生物材料科学専攻、製紙科学研究室名誉教授、日本印刷学会・紙メディア研究会委員長を経て元日本印刷学会会長などを歴任し、紙の問題を包括的に扱う文理融合型学問としての〈紙の文化学〉を提唱している、いわば紙と印刷の専門家である。この本は「印刷雑誌」1999年1月号から2011年12月号まで13年間にわたって毎月連載された「わたしの印刷手帳」156篇のなかから70篇をセレクトして編集されている。わたしが昨年11月に刊行した『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の長い書評を専門誌「紙パルプ技術タイムス」2012年3月号に書いてくれて、そのコピーとともに本書を恵贈されたものである。尾鍋さんとは、本書にも掲載されているように、書物復権8社の会が2006年5月16日に紀伊國屋ホールで「書物復権セミナー2006」の一環として「批評・教養の"場"再考/再興」セミナーを岩波書店と未來社で担当したさいに挨拶させてもらった記憶がある。
 それはともかく、本書は長期連載コラムの集約であり、テーマごとに再編集してあるという点でもわたしの『出版文化再生』と似た性格をもつ。そのため時評的性格もあり、若干の繰り返しまたはその再展開といった趣きをもつ論点がいろいろ出てくるが、逆に問題点がその時点その時点でどのように捉えられ、どのように深められていったかを知るうえで非常にわかりやすくなっている。製紙業界や印刷業界に関連するさまざまな歴史的動向や問題点は本書によってほとんど初めて統一的に理解できるようになったし、電子書籍にたいする解釈も認知科学の確固とした理論にもとづいているので十分に信憑しうるものとなっている。
 ここでは尾鍋さんの専門分野である製紙関連についてよりも、さしあたりわたしの関心に近いところを読み込んでみたい。
 尾鍋さんは読書行為についてつぎのように書いている。
《ホモサピエンスとしての人間は人類が誕生したときから直立二足歩行と言語の使用というほかの動物とは異なった生物種としての優れた特徴があり、そのために成長過程における経験や学習により個人特有の精神世界を形成する能力をもっている。すなわち外部の新たな刺激や情報の入力により日々認知構造を再編成し、再構造化し、精神世界を深化させ、精神的な進化を遂げてゆくのが人間である。この刺激や情報の源泉として書物は格別に重要であり、読書による新たな知識は既存の認知構造にある知識と照合しながら知識を再配列し、長期記憶に定着させ、新たな認知構造を作ってゆく。すなわちミクロコスモスを能動的に変容させる能力をもつ読書という行為は個人の精神世界、人格形成に不可欠である。》(147ページ)
 この認知科学的理論の導入による読書からの知識の学習、習得、脳内格納等のダイナミズムは尾鍋さんの創見によるものらしく、世界各地でもこの見地からの講演などをしてきたことがうかがわれる。ここで昨今の電子書籍と冊子本の読書行為にどのような違いが生ずるかが検討されている。
 人間は紙の本であれ電子書籍であれ「読む」という行為を通じて情報処理をおこない記憶する。情報処理システムとして人間を捉えることができると尾鍋さんは言う。文字でも画像でも情報として視覚から脳内に入った場合、情報処理過程を経て記憶装置に格納されることになるが、その記憶装置には「短期記憶装置」と「長期記憶装置」があるとされる。「紙の書籍の場合には記憶を妨げる要素はなく、安定的に深く記憶装置に入っていくと考えられ」、「それまでに蓄えられた知識を新しい知識が入れ替えながら長期記憶装置に定着させ、人間の新たな知識となり、知性の向上に寄与することになる」(154ページ)が、電子書籍の場合には「紙の書籍にはない違和感が記憶を阻害し、短期記憶装置に留まってしまい、長期記憶装置に移行しにくい」(154-155ページ)。結論的には「電子書籍はとりあえず情報を読み取れるので一時的な情報の検索や娯楽および格別の目的を持たない読書には役立つが、知識が長期記憶装置には定着しにくいので、人間の知的な向上への寄与という面では紙の書籍が今後も優位性を持ち続けるだろう」(155ページ)というのが、本書全体を通じて尾鍋さんが一貫して主張している眼目である。
 尾鍋さんがしばしば引用するマクルーハンのメディア理論によれば、「一般的に新しい技術が出現するとその新規性から市場形成能力が過度に評価され、既存技術に対する代替能力が過度に評価されがちとなるが、結局は新技術を人間と社会が受け入れるか否かが重要な点となる」ということであり、人間の親和性が最終的な審級であることになる。その点ですくなくとも尾鍋さんの世代やわたしぐらいの世代では、一時絡的な情報や知識の獲得のためならともかく専門書を通読し深く理解しようとするには紙の書籍による以外にはありえないとする結論が導かれることになる。
 またアメリカでの電子書籍の広がりについても、アメリカでは西欧や東アジアのような紙の歴史も書物の歴史も浅いために書籍文化への敬意も薄いためだと一蹴している。
《人間の持つ好奇心という性質はどの民族にもある普遍的なものなので、電子書籍が市場に登場した初期段階ではどの国民も興味を持つと思われるが、紙や紙の書籍の長い文化的伝統を持つ国々では電子書籍の市場はアメリカほどには拡がらないだろう。》(158ページ)
 こうした紙の書籍への信頼と敬意こそが書物の必然的存在理由を自明のものとすることは書物に深く関わってきた者にとってはわかりやすいところであるが、生まれたときからパソコンや携帯電話やネットに囲まれて生きていくことになる若い世代がこれからこうした書籍への信頼や敬意をもつ機会があるのかどうか、そうした世代が電子情報からの知識の習得、長期記憶装置への格納などの能力をどうやって身につけていくことにできるのかどうかも心配なところである。原発問題でも防衛問題でもそうだが、電子書籍の導入にあたっても、アメリカ主導の大国主義への無批判的追随はもういい加減にやめにしたらどうか。現世代が後世のために禍根を残すことのないように、目先の利益や新規性に短絡的に飛びつくのではなく、慎重な配慮をもって事態に取り組むべきであることを指摘しておきたい。
 最後になるが、電子書籍がほんとうに商売として成立するかどうかへの危惧も尾鍋さんは指摘している。このこともしっかり検討しておくべき問題である。
《デジタルとネットワークはいったんそこに情報が載せられると、個々の情報の価値を限りなくゼロに近づける危険性を秘めている。電子書籍端末やネットワーク環境がいかに進化しようと、電子書籍ビジネスには利益が出にくいと言われるゆえんはこのような原理が背後にあるからだ。》(38ページ)(2012/5/6)
 仲里効さんの沖縄文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』がいよいよ刊行される。きのう初校331ページが出校して仲里さんに送ったばかりである。5月連休明けには責了、下旬には刊行される予定。
 この本はPR誌「未来」にそのほとんどが断続連載され、今回、単行本にまとめられるにあたって大幅に加筆訂正された。さらに2本の旧稿も追加されて重厚な評論集となった。現在の沖縄の文学とコトバをめぐる歴史・情況を包括的に論じた、おそらくウチナンチュー(琉球人)による初めての本格的な文学批評集ということになろう。
 ここで論じられているのは、詩人としては山之口貘、川満信一、中里友豪、高良勉であり、小説家としては目取真俊、東峰夫、崎山多美であり、さらに知念正真の戯曲、儀間進のウチナーグチをめぐる連載コラムである。取り上げられているのはかならずしも沖縄出身のメジャーな書き手ばかりではない。しかし沖縄の総体的な文学地図を書くことに仲里効の批評の眼目があるのではなく、ここで論じられているのは現在の沖縄の文学的・言語的地政図を根底から解読するために必要なアイテムとしての書き手たちばかりである。それぞれにたいする評論を通じて浮かび上がってくるのは、その書き手たちがいかに沖縄という政治的・言語的環境のなかでウチナーグチ(沖縄ことば)をつうじて日本国家が強制してきた標準日本語(ヤマトグチ)に抵抗し、反逆し、みずからの立ち位置を創設してきたかの内面ドラマをそれぞれの作品言語の構造を解析するなかから浮き上がらせることである。また、そこに沖縄の書き手たちに共有されている言語植民地下にある〈悲しみ〉や闘いの精神が立体的に再構成されていく。これらの対象たちはそれぞれの個別のきびしい言語的格闘を通じてなにか〈沖縄文学〉と呼ぶべき核を探りあててきたのだが、こうして仲里効という力強い構想力をもった批評家によって初めてそれらが全体的な地平のなかに捉え直されることになった。その意味では沖縄の文学的地平、言語的地平がこの本の出現にともなって〈想像の共同体〉(ベネディクト・アンダーソン)として明快な像を結ぶことになったとも言えるだろう。これからは沖縄の文学を語るうえでここで論じられているさまざまな視角と論点を抜きにしては成り立たなくなる。
 思えば、仲里効さんとの最初の接点はかなり以前に遡るとはいえ、深くつきあうようになったのはここ最近のことである。未來社での最初の評論集『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(二〇〇七年)はわたしの担当ではなかった。ただこの沖縄をめぐる映像論(映画論)をきっかけとして、つぎの写真家論集『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』(二〇〇九年)と今回の文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』をあわせて〈仲里効沖縄批評三部作〉をわたしが提案した結果がついにここに実現したことには格別な思いがある。その成果を著者とともに喜びたい。しかもその間に『フォトネシア』が引き金となって沖縄を主題とした沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻(倉石信乃さんと仲里さんの監修)という前代未聞の大企画を強力に推し進めることになったのも、この仲里効さんとの交友なしでは考えられないことである。この交友のなかからつぎつぎと沖縄の新しい書き手たちが出現してきており、いまや沖縄の書き手たちは未來社にとって一大鉱脈であると言ってよいのである。
 以上のようなさまざまな思いをこめて『悲しき亜言語帯』のオビにわたしはつぎのような文言を書いた。
《沖縄の言説シーンの深層をこれほど強力にえぐり出し解明したウチナーンチュ自身による批評はこれまで存在しなかった。「復帰」40年を迎えてついに出現した本格的ポストコロニアル沖縄文学批評集。『オキナワ、イメージの縁』『フォトネシア』につづく仲里効沖縄批評三部作完結!》
 この批評集が現在の沖縄を読み取るうえで必読文献として日本語世界のなかで正当に評価されることを期待する。(2012/4/28 かつての「沖縄デー」の日に)
 知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』が未來社からきょう刊行された。これは本ブログの「26 書名トレードのドタバタ」でも触れた本のひとつで、PR誌「未来」にこの2月までの2年間にわたってリレー連載された4人の著者によるレアな沖縄の現状報告集である。細かい経緯はこれも本ブログの「25 『沖縄からの報告(仮)』はじめに(下書き)」で書いているように、2010年1月にわたしが沖縄での仲里効『フォトネシア』出版祝賀会に参加したおりの二次会で知念ウシさんに出会ったことに端を発している。前述のブログ「25」は書名を変更した以外はとくに訂正することもなく、今回刊行された本の巻頭に「まえがき」としてそのまま掲載させてもらった。
 なにしろ「未来」での連載がなんの工夫もない「沖縄からの報告」だったから、そのまま書名にするわけにもいかず(サブタイトルに痕跡を残したが)、土壇場で仲里効さんの近刊の沖縄文学批評集に予定していたタイトルをトレードさせてもらってなんとか格好をつけたというかたちになった。さっそくきょう紀伊國屋書店から書名にかんする問合せがあったようで、新刊案内を出してしまったあとでのトレードだから書店現場には迷惑な話であるが、ご寛恕いただきたい。ともあれ、この書名バナシについては本書の「あとがき」で知念ウシさんがご丁寧にも言及してくれて、友人に「トウソウする~」という書名の話をしたら当然「逃走する」でしょ、と言われたらしい。わたしがウシさんに電話で最初に提案したときも「逃走する沖縄」ですか、といわれて一瞬まさかと思ったぐらいであるが、どうもウチナンチューには「基地問題」からはいい加減「逃走」したいという思いがあるようだ。でも闘っているんだからやっぱり「闘争」でしょ、ということで一件落着したというオチがある。まあ、おもしろい本だからぜひ読んでみてください。
 未來社の沖縄本は4月に入ってすぐ沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の中平卓馬写真集『沖縄・奄美・吐カ喇1974-1978』が出たが、さらに昨日には宮本常一の『私の日本地図8 沖縄』も刊行された。これはわたしが編集にかかわっているものではないのだが、じつにタイムリーであった。このほかにもすでに本ブログの「14 沖縄関連本の連続刊行」でも予告しておいたように、坂手洋二戯曲『普天間』と、さきほどの仲里効さんの〈沖縄批評三部作〉とわたしが名づけたということになっているところの第三作、沖縄文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』が5月に、沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の残りの2巻、伊志嶺隆写真集『光と陰の島』と山田實写真集『ゼロに萌える』が6~7月にかけて刊行される。このほかに知念ウシ評論集と高良勉文学論集『言振り』も夏から秋にかけて刊行予定である。
 この5月15日に「復帰」40周年を迎える沖縄にあわせて、いまヤマトのマスメディアもいろいろそれにあわせた番組製作や広告特集などが目白押しであり、こちらにもいろいろ問合せや取り持ちの依頼など、また出広依頼などがつづいている。こうした盛り上がりが例によって一過性のお祭り騒ぎに終わらないことを祈りたい。むろん沖縄ではそんなことがありえないのは、米軍に代わる自衛隊の進駐問題や高江のヘリパッド問題、また昨今の北朝鮮によるミサイル発射(失敗)騒ぎや、さらには石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の買収工作案など、沖縄にとっては目に余る問題が次々と生じていてお祭りどころではないはずだからである。
 そんななかで未來社の沖縄本はともかくも次々と刊行される予定だ。これらの本が沖縄の現状の打破にすこしでも役立つことを念じている。(2012/4/20)

「エディターシップ」1号という雑誌を読んでいろいろ思うところがあった。これは日本編集者学会というグループが発行している学会誌であり、その学会の副会長であり発行元であるトランスビューの中嶋廣さんから送ってもらったものであるが、こういう動きに疎いわたしはこういう学会が存在することも知らなかった。ちなみに会長は長谷川郁夫。長谷川さんと言えば、直接の面識はないが、かつての小沢書店の社主。いまは大阪芸術大学で教鞭をとっているらしい。
 こうした顔ぶれからも想像できるように、〈編集〉という営為になんらかの積極的な意味づけを与えようという意図のもとにさまざまな編集者が結集した学会らしい。わたしも編集者の社会的ありかたには〈レフェリー〉的役割があると考えているが、それにしても〈編集学〉のようなものが存在すると思ったことはない。同じようなものに日本出版学会があり、〈出版学〉の存在だってどんなものかなとは思うが、こちらには出版の歴史や出版業界のしくみの研究などいくらか学問的なフィールドの余地があるから学会と呼べなくもないが、編集者学会となるといささか鼻白むものがある。
 創刊号も全部読ませてもらったわけではないが、巻末の学会シンポジウム「書物の現在そして未来」などを読んでも、現役の編集者と元編集者の大学人たちの個人的体験にもとづく編集論はそれぞれの立場を反映したものとして興味深く読める反面、たとえば電子書籍にたいする見解などにはさほど傾聴に値するものは見られなかった。編集者といっても、出版社の規模やジャンル、方向性においてあまりにもさまざまな人種が存在するなかで、どこまで学会としての独自性を打ち出していけるのか、今後の展開を見ていく必要がある。
 このなかで元平凡社の編集者でもあったという石塚純一の「人文書の編集者」の最後で、これからの人文書の編集について触れたところがわたしにも納得できるものがあったので引いておこう。
「いまの状況を見て思うんですけれど、そもそも書物を読む人口は昔から多くはなかった。人文書を読む人の数を三千人だとすると、文学系を読む人は千五百人くらい、歴史好きは千人、その他宗教・芸術とかが五百人、そんなものです。まったくの専門書を出すならばそれぞれの数を目標にすればいい。しかし、ある専門の隣の領域の読者にも刺激的な内容の本だったら、千プラス五百の読者を得ることができる。このように領域が異なる良質な読者の小さな輪を想定し、そこにぶつけていくのが人文書編集者の腕ではないかという気がしています。」
 わたしもかつてほぼこれと同じようなことを話しかつ書いたことがある。(*)ジャンルオーバーする人文書の可能性はたしかに多く見積もっても三千人、狭くとれば千人という数字はきわめて現実的になってきている。千冊がひとまず売れることはいまや人文書にとって最初のハードルと言えなくもない。
 そうした厳しい現実はあっても、この水準で出版社を維持していくことができれば、出版業は今後もかろうじて成り立つ。しかし量を指向してきた出版業界としては崩壊していかざるをえないだろう。量の世界から質の世界へ、はたしてどういうかたちで出版は維持されていくのだろう。

 *昨年十一月に刊行した拙著『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の「編集者と読者の交流の試み」を参照されたい。(2012/4/18)
 きのうは坂手洋二さんとの企画について書くつもりが、途中からマスコミ批判になってしまった。坂手さんの戯曲『普天間』の仮ゲラを渡し、いろいろ打合せをしたのだが、この戯曲のタイトルをめぐって坂手さんはけっこう緊張しているという。というのは、やはりヤマトンチューが沖縄の、それもいま政治問題としても渦中にある「普天間問題」をタイトルとする作品を本として出すことの心配があるらしい。
 わたしも青年劇場での上演台本を読み、それを修正した出版用原稿の通読をしたところだが、坂手さんも言うように、セリフのウラはいろいろとってあるので間違いはないがウチナンチューがどのように受け止めてくれるかということには自信がないとのこと。それは出版人としてのわたしもいつも痛感していることである。ヤマトンチューが沖縄のことについて本を出すということはある種の部外者的介入であるという側面は免れないところがある。そのことに無自覚な著者や出版者は論外としても、十分に意識的なはずの著者や出版人がそれでもくぐり抜けなければならないハードルはけっして低くない。
 その意味で今回の坂手洋二による戯曲『普天間』がウチナンチューがどのように受け入れられるか、おおいに気になるところである。しかしヤマトンチューによるオキナワ本がウチナンチューにも理解され、受け入れられるとともに、ヤマトンチューの事実認識、意識変革に結びつくものでないかぎり、出版される意味はない。わたしが読むかぎり、沖縄国際大学での米軍ヘリ墜落事故とその後始末にかんする米軍の隠蔽処理に始まって、「日米地位協定」にもとづく日本政府側の無力をはじめ、現在の普天間飛行場をめぐる諸問題は的確に主題化されているように思える。そのかぎりにおいて戯曲『普天間』は十分な問題提起になっていると思う。
 坂手さんには「推進派」という徳之島への基地移転(民主党鳩山政権時代の普天間基地移転代替案)をめぐる現地取材にもとづく戯曲もある。戯曲『普天間』につづいてできれば刊行してほしいという坂手さんの意向にはできるだけ添うようにしたいと思うが、それはたんに戯曲『普天間』との関連性だけではない。坂手さんの構想には韓国のチェジュド(済州島)と沖縄を関連させた戯曲が準備中であり、さらにはフクシマと沖縄というテーマも構想中であるという、その想像力の展開に期待したいからである。言うまでもなく、そこには時代の要請に真摯に応えようとする精神のありかたがみとめられるからである。(2012/4/7)
 昨年3月の福島原発事故以来、沖縄・普天間基地移転問題についての扱いは民主党政権はじめマスコミにおいて明らかに小さくなった。在沖米軍による震災被災地への「トモダチ作戦」なる、「核汚染下を想定した安上がりな軍事訓練」(米軍高官)については感謝のキャンペーンを張る一方で、沖縄の怒りの声は無視されている。たまたま起こった「沖縄はゆすりの名人」発言のケヴィン・メア(米国務省東アジア・太平洋局日本部部長)や、「犯す前に犯しますよと言いますか」発言の田中聡(防衛省沖縄防衛局長)のような暴言はさすがにメディアも取り上げ、アメリカ政府と民主党政権もこいつらのクビを飛ばすぐらいの対応を強いられたが、所詮それらは沖縄をめぐる支配の言説の一端にすぎない。そもそもこういう言説を生み出す政治経済の構造を打開していかないかぎり、そうした悪質な言説はいくらでも再生産されるだけだろう。
 しかし、ここへきてアメリカ寄りの報道に終始してきた「朝日新聞」(だけではないが)でさえ、5月に「復帰」40年を迎える沖縄の問題を取り上げざるをえなくなってきたようだ。3月30日の「朝日新聞」朝刊では沖縄の写真家・大城弘明さんの写真を数枚1ページ大にわたって記事を掲載していた。しかしこれらの主要な写真を収録した大城さんの唯一の写真集『地図にない村』(未來社)については一言の言及もなかった。また、きょうの朝刊においても、25年まえの沖縄国体で日の丸を引きずり下ろして火をつけたという行為で知られる知花昌一さんを「ひと」欄で取り上げながら、その行為に強いインパクトを受けて写真集『日の丸を視る目』(これも未來社)の巻頭に知花さんを掲載した石川真生さんとその写真集についての言及もなかった。これらはいずれも写真集の写真にヒントを得て記事がつくられていったことは明白であるのに、あえてそうしたソースにあたる部分についてはいっさい無視している。これは「朝日新聞」が沖縄についての本質的な関心をもっているかのように見せたいポーズであって、沖縄の基地問題をはじめとする諸矛盾について鋭く問題提起をしている未來社の沖縄本については知られてほしくない、という姿勢を一貫してとっていることを示している。おそらくこれは記者レベルではなく、その上部レベルでそういう検閲が働いているにちがいない。
 あらためて言うまでもなくすでに「記者クラブ」問題で暴かれているように、「朝日新聞」幹部もまたこうしたアメリカからのさまざまな優遇措置や権益システムに毒されているからである。この問題についてはわたしも『出版文化再生――あらためて本の力を考える』収録の「マスメディアこそが問題である――沖縄米軍基地問題にかんして」(「未来」2010年6月号)ではっきり批判したことがあるから、脛に傷あるマスコミ人なら当然知っているだろう。
 いちいち挙げないが、ほかにもこうした検閲が働いていると考えるしかない例がいくつもあるので言っているまでで、なにか被害妄想じゃないのかと言いたいひともなかにはいるだろうが、そのひとはマスコミの「良識」という幻想にいまだにとらわれているにすぎない。この問題は今後も厳しく点検していくつもりである。(2012/4/6)

 北川東子さんが乳ガンの宣告を受けたのは二〇〇九年十一月十八日のことである。なぜその日だとわかるのかと言えば、北川さん本人からその日にこの話を聞いたからである。小林康夫さんと仕事の打合せに下北沢の行きつけの店で会っているところに北川さんも来られて、きょう宣告を受けてきたのだと突然われわれは報告されたのである。かなり末期的とのことでショックを受けていたようで、二人でいろいろ励ましたことを覚えている。そしてしばらくこの話は内密にしようということになった。ただいずれにせよ、そんなに長くは保たないのではないかという懸念があって、なにか問題が生じたらわれわれ二人が力になろうということでその晩は早めに帰宅してもらった。
 その後、北川さんの自宅に近い八王子のほうにいい病院があるということで入院され、放射線治療の効果もあってか、思った以上に回復したときもあったようである。ところが昨年八月十六日に北川さんから電話があり、しばらく話をした。放射線治療を受けているが、なかなかマーカーが下がらないとのことだった。そのときは政治や原発事故の批判の話題になったが、東大駒場のあるドイツ語関係者の対応など微妙な話もいろいろ聞いて、暗澹たる気持ちになった。結局、北川さんと話をしたのはそれが最後になってしまった。そして二〇一一年十二月二日、ついに来るべきものが来てしまったのであるが、ガンの宣告から二年、いろいろ苦しかっただろうが、よく頑張ってくれたのではないかといまは思うしかない。
   *
 こういう交友関係ができるようになったのは、一九八八年にわたしが旧知の竹内信夫さんに頼んで東大駒場の若手教官たちとの勉強会を作らせてもらいたいと提案したことに端を発している。そこに小林康夫さんや、以前から知っていた湯浅博雄さん、桑野隆さんのほかに初対面の高橋哲哉さん、船曳建夫さんと北川東子さんが加わってくれることになった。わたしの記録によると、その年の七月十三日に渋谷で初会合をおこなっており、まわりもちでレポーターがなにかテキストを決めて月例で勉強会をおこなうことになった。この会の名前は小林さんの提案で《扉の会》(未来の扉を開くという意味だったと記憶する)となり、わたしが連絡と設定の係となって、一九九〇年代はじめまで三年間ほどほぼ毎月おこなわれた。この会は竹内さんを最年長として四十代前半から三十代前半の七名のまさにこれから日本を代表する研究者・論客になろうとしているひとたちが集った、ある意味では歴史的な研究会であったと言ってよいかもしれない。
 そこでの喧喧諤諤の熱い議論の一端をわたしがテープ起こししたデータは残っているが、それは公表しないという事前の原則のために陽の目をみないままになっている。学問研究のありかたをめぐる考え方をぶつけあった、それぞれにとってもその後の仕事を展開するための有益な場になっていたと思う。そこに参集されたひとたちとその後、出版の仕事をつうじていろいろと深いかかわりをもたせてもらうようになったのは、まさにこの会の成果であった。昨年の未來社六〇周年のために刊行された社史『ある軌跡』に《扉の会》の何人かに執筆していただいたが、一様にこの会について言及されているのも、そうしたインパクトがそれぞれの方に残っていることの証跡であると言えそうで、感慨深いものがある。
   *
 北川東子さんとはフーゴ・オットの大著『マルティン・ハイデガー──伝記への途上で』(一九九五年刊、故・藤澤賢一郎さん、忽那敬三さんとの共訳)の仕事しか実現できなかったのだが、じつは北川さんに女性哲学者としての思索をまとめてもらおうという企画をあるとき思いついて、筆の遅い北川さんにとにかく原稿を書いてもらうにはどうすればいいかと思案した結果、二〇〇六年から往復メールのかたちでこちらが質問を発し、それにたいして一週間以内に最低五枚以上の論考で返信してもらうという約束でひとつの試みを始めることになった。北川さんも最初は乗り気でなんとか三回ほどでいくつかのテーマに分けた返答をもらったあと、続かなくなってしまった。タイトルもこちらの提案で『女の哲学』とまで決まっていて、うまくいけば日本で初めての本格的な女性による哲学書が生まれるはずであった。
 それはこんな文章から始まっている。
《若い人からは想像もつかないだろうが、意識のなかで年月が残してくれる痕跡はひどく頼りない。実は、私も半世紀以上、この世に生きてきたのだ。もう随分長いこと生きてきた気がするし、まだまだ人生の初心者という気もする。数を数えれば、確かに五〇年以上の生命と、二〇年以上の職業生活とがあったのだ。けれど、相も変わらず成熟できなくて、相も変わらずなにもわかっていない気がする。ただ一点だけ、そこそこの年月生きてきたことの実感がある。この五〇年以上、「女として生きてきた」という実感である。
 そう、私は、もう随分長いあいだ、「女として」生きてきた。そうして、この随分の長い年月、「女として」という事態につきあってきた。》
 なんだかプルースト的な始まり方だと言えなくもないが、このあとにつづく文章はまさに自分の生誕から幼少女期の経験をその家庭環境までふくめて現時点であらためて洗い直すというかたちで開始されようとしている。自分では「ただひたすらとりとめもないことを書いている気がします」と書きつつも、ここから「戦後日本における道徳的心性の修復という問題とジェンダー」とか「例外状態と日常性をつなぐ女体の意味」とか「女はいつ『産みたい』気持ちになるのか」とか「『産む性』にとっての民族とは」といった小タイトルの付けられた文章がとにかく書かれたのである。未整理のままであったとはいえ、これがどういうふうに展開していくのかはおおいに期待していかなければならないはずであったのに、こちらの追求不足もあって、この企画がこのままになったことがいまとなっては取り返しがつかないことになってしまった。
 北川東子さんは日本語の著作が少ないために、ほんとうの力量が一般に知られることなく亡くなってしまった。わたしなどが喋々すべくもないが、北川さんのドイツ語の力、その読解力などには端倪すべからざるものがあり、こうした力量を発揮する機会をもっともっと提供すべきだったと思うと、その早すぎる死が悔やまれてならないのである。

 *この稿は「20 北川東子さん追悼ワークショップ『北川東子と女性の哲学』」の注で予告したように、小林康夫編『〈時代〉の閾──戦後日本の文学と真理』(UTCPブックレット25、2012年3月刊)に収録されたものであり、ブックレット刊行後に「出版文化再生ブログ」への転載を了解してもらったものである。前稿と重複するところがあるが、あわせてお読みいただければさいわいである。(2012/4/1)
 未來社での先輩でありわが営業の師匠とも言える藤森建二さんが独立して洋泉社を創業したのが1984年12月、44歳のときであった。昨年暮れのある会で会い、ひさしぶりに二人で二次会をしたさいに、近く回想記を出すので読んでみてくれ、と言われていたのが、そのしばらくあとに送られてきた『洋泉社私記──27年の軌跡』である。わたしが未來社に入って8年ぐらいで独立してからすでに27年になるのかと思うと、いまさらながら時間の経過の早さに感慨深いものがある。しかもすでに2年まえに古希を迎える年に引退しているのだからなおさらである。
 もっともこの間いろいろなところで遭遇したりいっしょに呑む会に参加したりしているので顔を合わせることがなかったわけではない。しかしこの回想記を読むと、なんといろいろなひとと会ったり交渉したりしているのかがわかる。もともと営業畑で広告関係もかかわりがあったから、創業者ということもあって、未來社時代の人脈もいろいろ活用しながら馬車馬(失礼!)のごとく業界内を動きまわっていたことがわかる。その結果が年間百数十点に及ぶ新刊を出すような出版社に成長をとげさせたのだから、親の仕事を引き継いだだけのわたしなどに比べるまでもなく、この厳しい時代の出版界にあってたいした成功者だと言っても過言ではないだろう。所轄税務署から優良企業としてお褒めのことばをいただくぐらいなのだから。
 この回想記について言えば、記述があまりにもメモ風なので、どういうひとと会い、なにをしていたかはわかるが、概略だけしかわからない。社員の出入りもいろいろあったからもっと思うところはあったはずだが、そういうところは淡々としているのがいかにも藤森さんらしい。
 出版傾向はわたしの意図するところとは相当ちがうので、べつにコメントをつけるつもりはないが、「あとがき」で「出版社の『目録』は、その社の暖簾と言われてきましたが、今日ではさほど重視されなくなってきています。......いつからか、書籍も一般の商品と変わらなくなりはてて......」という箇所があるが、やはり「それはちがうでしょう、藤森さん」というのがわたしの見方であることだけは言っておかなければならない。古くさいと言われようが、わたしはそういう一方の陣営に属している人間であって、いまだからこそ書籍の力を呼び戻さなければならないと思っているのである。それが『出版文化再生――あらためて本の力を考える』を刊行した理由であり、〈出版とは闘争である〉と考えるからである。(2012/3/28)