33 仲里効沖縄批評三部作完結

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 仲里効さんの沖縄文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』がいよいよ刊行される。きのう初校331ページが出校して仲里さんに送ったばかりである。5月連休明けには責了、下旬には刊行される予定。
 この本はPR誌「未来」にそのほとんどが断続連載され、今回、単行本にまとめられるにあたって大幅に加筆訂正された。さらに2本の旧稿も追加されて重厚な評論集となった。現在の沖縄の文学とコトバをめぐる歴史・情況を包括的に論じた、おそらくウチナンチュー(琉球人)による初めての本格的な文学批評集ということになろう。
 ここで論じられているのは、詩人としては山之口貘、川満信一、中里友豪、高良勉であり、小説家としては目取真俊、東峰夫、崎山多美であり、さらに知念正真の戯曲、儀間進のウチナーグチをめぐる連載コラムである。取り上げられているのはかならずしも沖縄出身のメジャーな書き手ばかりではない。しかし沖縄の総体的な文学地図を書くことに仲里効の批評の眼目があるのではなく、ここで論じられているのは現在の沖縄の文学的・言語的地政図を根底から解読するために必要なアイテムとしての書き手たちばかりである。それぞれにたいする評論を通じて浮かび上がってくるのは、その書き手たちがいかに沖縄という政治的・言語的環境のなかでウチナーグチ(沖縄ことば)をつうじて日本国家が強制してきた標準日本語(ヤマトグチ)に抵抗し、反逆し、みずからの立ち位置を創設してきたかの内面ドラマをそれぞれの作品言語の構造を解析するなかから浮き上がらせることである。また、そこに沖縄の書き手たちに共有されている言語植民地下にある〈悲しみ〉や闘いの精神が立体的に再構成されていく。これらの対象たちはそれぞれの個別のきびしい言語的格闘を通じてなにか〈沖縄文学〉と呼ぶべき核を探りあててきたのだが、こうして仲里効という力強い構想力をもった批評家によって初めてそれらが全体的な地平のなかに捉え直されることになった。その意味では沖縄の文学的地平、言語的地平がこの本の出現にともなって〈想像の共同体〉(ベネディクト・アンダーソン)として明快な像を結ぶことになったとも言えるだろう。これからは沖縄の文学を語るうえでここで論じられているさまざまな視角と論点を抜きにしては成り立たなくなる。
 思えば、仲里効さんとの最初の接点はかなり以前に遡るとはいえ、深くつきあうようになったのはここ最近のことである。未來社での最初の評論集『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(二〇〇七年)はわたしの担当ではなかった。ただこの沖縄をめぐる映像論(映画論)をきっかけとして、つぎの写真家論集『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』(二〇〇九年)と今回の文学批評集『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』をあわせて〈仲里効沖縄批評三部作〉をわたしが提案した結果がついにここに実現したことには格別な思いがある。その成果を著者とともに喜びたい。しかもその間に『フォトネシア』が引き金となって沖縄を主題とした沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻(倉石信乃さんと仲里さんの監修)という前代未聞の大企画を強力に推し進めることになったのも、この仲里効さんとの交友なしでは考えられないことである。この交友のなかからつぎつぎと沖縄の新しい書き手たちが出現してきており、いまや沖縄の書き手たちは未來社にとって一大鉱脈であると言ってよいのである。
 以上のようなさまざまな思いをこめて『悲しき亜言語帯』のオビにわたしはつぎのような文言を書いた。
《沖縄の言説シーンの深層をこれほど強力にえぐり出し解明したウチナーンチュ自身による批評はこれまで存在しなかった。「復帰」40年を迎えてついに出現した本格的ポストコロニアル沖縄文学批評集。『オキナワ、イメージの縁』『フォトネシア』につづく仲里効沖縄批評三部作完結!》
 この批評集が現在の沖縄を読み取るうえで必読文献として日本語世界のなかで正当に評価されることを期待する。(2012/4/28 かつての「沖縄デー」の日に)

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