2016年アーカイブ

 書店業界のシンボルとも言うべき柴田信さんが急逝され、それにつづいて柴田さんが会長をつとめてきた岩波ブックセンター信山社が倒産に追い込まれたことは、二〇一六年末におけるもっとも暗い話題である。柴田さんにかんしてはわたしなどよりもっと長くもっと深くつきあってきたひとたちがたくさんいるので、できればそういうひとたちの考えを聞かせてほしいぐらいで、わたし自身としてはあまり書きたくないテーマであるが、この問題をこのまま沈黙してやり過ごすことは、生前に柴田さんとなんらかのかかわりをもった人間として避けて通ることは許されないと思うのである。
 最初から歯切れが悪くなってしまうのは、倒産の問題は結局、当事者にしかわからない事情がいろいろあるからで、客観的な状況がわかったとしても最後の決断は当事者がなすべきであるからだ。負債額が一億三千万円弱あったからといって、このぐらいの歴史と知名度のある企業の場合、どうにもならないような額では必ずしもない。現に柴田さんは私財を投じて経営を支えてきたとも言われており、その柴田さん本人が亡くなってしまった以上、その意志を受け継ぐ力量も意欲もあるひとがいなかったということになる。関係の深かった岩波書店や取次の大阪屋栗田などの業界的なバックアップが可能であれば、こんなにあっという間の倒産劇は避けられたのではないか、と思わないわけでもない。柴田さんが高齢とはいえ突然の死であったために、十分な準備も申し送りもできていなかったのかもしれないが、あるいはすでに家族や周辺ではそうした覚悟をあらかじめしていたのかもしれない。すべては推測になってしまうが、どうにも納得しがたいものを感じる。
 晩年の柴田信さんと親しく接していた元「新文化」編集長の石橋毅史によれば、柴田さんは「経営とは資金繰りの苦しみを楽しむことだ、そうした日々を送りながら、いつかどこかで野垂れ死にする覚悟でいるのが経営者だ」と語っていたそうである。(「本屋な日々46/物語はつづく」)まあ、どこまで本気で言っていたのかはもはや不明だが、なんとも身につまされる話だ。書店業界(だけではないのはもちろんだが)の絶望的な不況のなかで、岩波ブックセンター信山社も売上げは最後のころは相当に低迷していたようで、倒産は時間の問題にすぎなかったのかもしれないが。
 信山社の(柴田さんの)意図していた書店展開は専門書を棚で関連づけて売る、というきわめてオーソドックスな手法である。神保町といういまでも本の町として通用している数少ない立地だからこそかろうじて可能かもしれない「専門書の専門書店」という実験的コンセプトは、書店としては理想的な形態である。現代の書店としてはワンフロア一〇〇坪にも満たない店構えではけっして十分なスペースではない。だからこそ限られたスペースのなかでできるだけ無駄のない選書で勝負するしかない。それが柴田さんのもくろんだ「専門書の専門書店」のイメージであっただろう。しかし、いまでもよくわからないのは、そのなかの相当なスペースを岩波書店の本が占めており、柴田さんによれば、実効性としてはきわめて厳しいものだったにもかかわらず、なぜ棚の配分をもっと抜本的に変えようとしなかったのだろうかということである。岩波ブックセンター信山社は岩波の名を冠しているとはいえ、資本的には完全に切れていたはずで、そこまで岩波書店に義理を立てる必要があったのか。それとも柴田さんはやはり専門書とは岩波書店の本が中心にあるべきで、その他の専門書出版社の本はその衛星のようなものだと考えていたのだろうか。ちなみに未來社の本などは常備として二〇冊程度しか置いてもらっていなかった。それはないだろうといつも思っていたが、それはスペースの配分を大きく変えてしまわないかぎり、不可能だったはずである。
 それでも店の入口の平台スペースを使って書物復権の会や人文会、歴史書懇話会のフェアなどを頻繁におこなって店に合ったロングセラーアイテムの発掘に力を入れていた時期もあり、出版社も協力してそれなりの成果も上がったようだが、そうしたノウハウも継続的に店の展開力を高めていったのか、わたしが書店現場に疎くなっていることもあって、そのあたりはもうひとつはっきりしない。仕入れのための資金などの問題もあっただろうが、新刊仕入れにそれほど積極的に取り組んでいたとも思われないところがあったのも事実で、そうした既刊本と新刊の組合せの関連づけと展開力不足に、柴田さんの「専門書を棚で売る」戦略イメージとのギャップがあったのではないか。
 いまさらこんなことを書きつらねたところでどうしようもないのだが、なんとか柴田さんが実験的に実現しようとしていたことを既存の書店が、たとえその一部でも取り込んでみてほしいと思わざるをえない。書店のなかに「専門書店」を意識的に作り出すことである。経営効率上は現実的でないかもしれないが、すくなくとも人文会が定期的に作っている専門書の必須アイテムリストなどを参考に、専門書を棚で関連づけて売る、という基本的な棚作りを心がけてほしい。アマゾンがヴァーチャルなかたちで読者へのお薦め本を関連づけてくるように、現物を並べて見せているリアル書店(何度も言うが、いやなことばだ!)の、そこに本があるという強みを生かして読者を動かせてほしい。そのことを最初からあきらめない姿勢こそが柴田さんの実験的意志を積極的に受け継ぐことになるはずである。出版社だって売れないだろう専門書をそれでも信じて世の中に送り出しているのだから、関連づけで客単価を上げるかたちで連携してもらう以外にないのである。
 ここまで言えば、柴田さんなら、「その通り!」と返事してくれそうな気がする。

 *この文章は「未来」2017年冬号に連載「出版文化再生27」としても掲載の予定です。

II-18 翻訳出版の危機

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 明るい話題に事欠く昨今の出版界にまたひとつあまり感心しない問題を提示しなければならないことになった。今後の出版文化において――すくなくとも日本の翻訳出版文化のありかたにおいて――大きな変化というか停滞が余儀なくされる可能性が出てきたということである。
 というのは、ここ最近のことだが、人文系専門書の翻訳出版において、原書にはない訳者解説、訳者あとがきなどの収録にたいして原出版社側ないし原著作権者側から(あらかじめ版権契約の段階で)厳しい制約が課されるようになってきたことであり、そうした文書を付加する場合には事前にその内容、分量、そうした文書を付加する理由書を原出版社に提示し、著作権者の許諾を得なければならず、しかも通常はよほどのことがなければ、承諾を得られないだろうというのである。かれらからすれば、日本語で書かれたその種の文書はそもそも判読が困難であり、場合によっては原書の内容を損なうものになりかねない、というのがその理由のようである。
 この問題を一般に理解してもらうためには、出版におけるさまざまな歴史的・技術的な問題点をきちんと指摘しておかなければならない。そして読者の側においても、こうした問題の所在を知っておいてもらいたいのである。
 どうしてこういう問題が生じたかというと、まずなによりも単純な理由は、翻訳作業が横文字(アルファベット)を縦文字(日本語)に転換することの困難さにあることである。翻訳という作業はある言語(ラング)を別の言語に置き換えることであるが、欧米語間の翻訳は広い意味でインド【=】ヨーロッパ語族と呼ばれる言語同士の翻訳であるから、さまざまなニュアンスのちがいもあるとはいえ、同じ語源をもつ単語も多いし、翻訳の問題は同族言語間の差異を克服することが中心となる。平たくいえば、言語間の移動であると言っていいが、日本語化という作業はそもそも共通するところがほとんどない言語間の変換であり、日本語特有の膠着語法とも呼ばれる文法的な形態的差異がなんとも大きく、そこにさらに歴史的文化的差異もくわわって、翻訳作業をいちじるしく困難なものにしている。欧米語間の翻訳では翻訳者の名前さえ掲出されないことがあるのは、翻訳という作業がそれほど重視されていないという理由でもあるのかもしれないが、日本語ではそう簡単なものではない。とりわけ専門書の翻訳では、言語的能力のみならず、原書の置かれている歴史的文化的社会的背景を十分に理解する知識と能力を必要とする。それがないと日本語として読めるものにならないばかりか、とんでもない誤訳だらけの本になりかねない。ヴァルター・ベンヤミンが「翻訳者の使命」で言うような、諸言語を貫いて抽出されうる〈純粋言語〉といった理想の言語の概念はここでは別の話であり、現実的には翻訳上のさまざまな工夫によってこの差異を埋めるべく日本語の翻訳者たちは悪戦苦闘しているのである。それでもどうしても訳文のうえでは実現できない、文脈上の背景の違いや問題点の所在などを読者に「解説」しなければ翻訳者としてのつとめを果たすことができないと考える訳者の姿勢は、翻訳者として誠実だと思う。読者もそうした「解説」を通じてその翻訳が信頼できるものであるかどうかを判断することができるし、そうならばその「解説」をおおいに参考にして理解につとめようとするのである。
 こうした言語間の差異、文化間の差異を埋める翻訳者たちの努力こそが、明治以来の日本の翻訳文化を形成してきたし、そのことを通じて欧米とのさまざまな格差やギャップを縮めてきた歴史がある。もちろん、それらを踏まえた多くの論者たちの研究や論説を通じて世界との知的交通が拓けてきたことも忘れるわけにいかない。長い自国文化をもつとはいえ、これまた長い鎖国状態を脱して明治以来せいぜい一五〇年間に日本がここまで世界水準の文化を(再)形成してくることができたのは、こうした独自の翻訳文化を実現してきたことにも一因がある。これは世界的には相当に稀有のことであるかもしれない。訳者たちの努力の蓄積、またそれを出版物として実現してきた各出版社の努力がなければ、こうした水準の実現は不可能であっただろうし、この努力はいまだ未完のプロジェクトとして今後も推し進めていかないわけにはいかないのである。
 こうした近代日本文化形成の特殊性にたいして欧米の原出版社はもうすこし関心をもってほしい。欧米語間の翻訳とちがって知的土壌の違う風土における文化的移植の営みが日本語への翻訳なのだということへの理解が十分とは言えない。日本語への根気の必要な翻訳とそれと一体化した理解への努力とはひとつの〈創造行為〉でもあるのだ。そうした認識のうえで対処してもらわないと、今後、訳者はそうした創造的努力をする気力を喪失してしまうだろう。
 また出版の条件として、刊行間際にならないと提出しづらい本文訳文や装幀プランの提出、付加文書の内容説明ないしその訳文提出も課され、それらの点検をするために二週間から一か月ぐらいの待機時間を必要とするとなると、出版社も刊行予定が立てにくくなってしまい、そこまでするのなら面倒な翻訳書出版を断念してしまう方向に傾いてしまいかねない。こうなると、これまでせっかく相互の文化的歴史的差異を縮めるべく努力してきた出版文化の歴史とは逆の方向に向かうことになってしまう。たとえば小社で刊行を準備しているジャック・デリダの宗教論が意図しているような、いまこそ相互理解を深めあうことを必要とする世界的状況のなかで、原著作権の防御的な法的権利ばかりが主張され、相互の無理解のほうに拍車をかけてしまうならば、歴史的にも社会的にも大きな禍根を残すことになるだろう。

 *この文章は「未来」2016年秋号に連載「出版文化再生26」としても掲載の予定です。

 ことしは専門書の復刊を主な目的として始まった書物復権運動の20周年にあたる。これを記念していつもの専門書復刊にくわえて、これまでに復刊してきた書籍のなかからオプションで連動フェアを全国の書店で展開してもらっている。これまでに復刊してきた書籍は毎年各社5点、総点数で700点ほど。そのうち在庫のあるものが500点ぐらいはあるようなので、そのなかから書店が選択して(あるいはおまかせで)ことし分の復刊書籍と並べて販売してくれている。大規模に展開してくれているところもあり、20年間の集大成として、どのような結果が出てくるか楽しみでもあり不安でもある。
 ともあれ、昨今の書物復権の会は一昨年から青土社、吉川弘文館が参加して10社の会となっており、それとともに会の構成メンバーもずいぶん様変わりしてきた。わたしなどはいつのまにか最年長者になってしまい、いまや唯一の創立時メンバーであるみすず書房・持谷寿夫社長ともども、実務的な活性化を進める若い世代の台頭に押されっぱなしである。そうしたこともあって、この20年という節目をひとつの機会としてあらためて書物復権運動を回顧してみようかという気になった。すでにこの会については何度も書いてきているが、重複をおそれずいまの時点で振り返ってみるのも悪くない。
 そもそもこの会の成り立ちは、みすず書房元社長の小熊勇次さんが専門書の危機をなんとか打開する必要を感じて提唱した〈書物復権〉という考えにもとづいている。小熊さんの考えでは岩波書店をどうしても巻き込まなければ始まらないということで、当時の岩波の安江社長に談判して実現したのである。専門書取次の鈴木書店が倒産するすこしまえのころで、いまよりはまだ本が売れてはいた時代ではあったが、それでも専門書業界では出版不況を先取りして、専門書に厳しい状況が始まっていたのである。ある新年会だったと思うが、当時の岩波の辣腕営業部長であった後藤勝治さんと坂口専務から「今度ちょっと相談したいことがある」と言われたことがあるが、どうもこの会の発足にかんする話だったのではないかと思っている。ともあれ書物復権の会は1996年に岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房の4社でスタートすることになり、未來社は勁草書房、白水社とともに声がかかり、二年目から参加することになる。そのさらに翌年、紀伊國屋書店出版部が参加して、それから十数年はこの8社の会の体制がつづくことになるのだが、紀伊國屋書店の参加によって、図書館への働きかけなど販売において大きな成果があげられてきたことは特筆しておいてよい。
 とはいえ、いまでもはっきり覚えているのは、(こんなこと書いていいのかな)後藤部長があるときしみじみ「もう岩波も独力ではむずかしくなって、みなさんの協力なしではやっていけなくなったんですよ」とわたしに言ったことである。岩波の営業の顔であった後藤さんがそんなことを言うのか、と驚いた記憶が鮮明だ。そういう状況認識のなかでの書物復権の会の出発だったわけである。
 会の活動の当初はマスコミの受けもよく、初回配本も350~400セットぐらいだったし、返品率もいまよりはだいぶ低かったように思う。ハガキによる読者リクエストなどもはるかに活発であって、参加した最初の年に復刊したE. H. カーの新組版『カール・マルクス』が読者リクエストで堂々ダントツの第一位となったこともあって、各社の驚きを呼んだことなどを誇らしく思い出す。マルクス本が売れなくなりはじめていたころで、思い切って新組にして出したところが思った以上の反応もあって驚いたが、もともとたしか43刷か44刷までいっていた本だっただけにこれはいわば「隠し球」のようなものだったかもしれない。
 2004年から東京国際ブックフェアへの共同出展という試みも始まっていまにいたっている(残念ながら未來社は2013年から出展をとりやめている)。また各地の書店や生協での編集者と読者の集いとか、紀伊國屋ホールを使っての各社主催連続セミナーの催しなど、編集者や著者を巻き込んでの大々的なイベントの取組みなども実現した。400人超のホールをある程度以上一杯にするためには事前の準備から宣伝にいたるまで、たいへんな努力を強いられたわけで、いまからみれば、相当にすごい活動をしてきた観がある。あるときには紀伊國屋書店からの急な提案を受けて会ではいったんキャンセルせざるをえなかったイベントを翌日にかけてわたしのコネクションを動員し、旧友の宮下志朗さん、鹿島茂さんらに声をかけて土壇場で実現させてみたこともあった。書物に造詣の深い著者たちによる、本にかかわる者たちの「総決起集会」ということばが壇上から発せられるようなホットな会になったこともいま思い出すとなんともおかしい。
 わたしも若かったんだな、という思いがよぎるが、しんどかった反面、けっこう楽しかったとも言える時代だったのかもしれない。それなりに時間もあったわけで、いまのように経営や本作りに追われまくっていろいろなケアができないことが残念でならない。編集した本が売れてこそ、喜びも倍増するのだが、そういうオイシイ場面を「編集」する楽しみが得られなくなっているからである。まあ老兵の出番ではなくなったのだろうが。
 自社だけではとうていできない(とくに未來社のような小さい所帯では考えられもしない)企画を考えられるのがこの会のいいところであって、最近は大学の図書館員などとも連携して読者との接点を作ろうとする動きも出てきており、そんな試みのなかからなにか新しい可能性が生まれてくることを期待したいと思うのである。

 月刊PR誌「未来」を「季刊 未来」に変更してからほぼ一年半になる。それにともない、この[出版文化再生]ブログの執筆回数も減少しているが、必要と思われる文章はそのつど書いて発表してきたので、当人にとってはさほど変化があるとは思っていない。むしろ強制が少なくなった分だけ、書きたいことだけを書けるようになってきている。
 さいわいなことにこの[出版文化再生]ブログのアクセス数はコンスタントに毎月2000~3000となっているので、なにかしら参照してくれているらしい。執筆の間があいてきているにもかかわらず、定期的にチェックしてくれているひとがいるのである。すでに『出版文化再生――あらためて本の力を考える』としてまとめてある[未来の窓]ブログのほうもいまだに毎月300超のアクセスがあるのが不思議で、刊行時に付けた注などを見てもらう価値があると思っているのだが、本のほうはあまり動きがない。その後に書いたブログをまとめた『出版とは闘争である』(論創社)のほうもいまひとつ。出版にかんする本は売れない、という常識があるらしいが、ブログのアクセス数との不均衡が気になる。
 それはともかく、「未来」季刊化にともなって新刊にかけられる編集の時間が増えたせいか、昨年はかなりの新刊を刊行することができた。わたしが仮ゲラ(未來社独自の編集タグ付きプリント)ないし初校ゲラで通読をするかたちでかかわった新刊は、4月から毎月3点の刊行をつづけてきている「[新版]日本の民話」シリーズの昨年刊行分27冊をふくめて44冊を数えた。ほとんどの本はほかの編集者との連携で進めたものだから、実際のところはかなり割り引いて考えなければならないだろうが、なかにはマーク・マゾワーの待望の『暗黒の大陸――ヨーロッパの20世紀』やダニエル・ベンサイド『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と逆境(十九―二十世紀)』などといったいずれも550ページ以上の大著もふくまれているから、経理業務などにとられる時間のことも考えれば、これは相当な仕事量だろう。ことしは順調にいけば、この数はさらにもうすこし増えるだろう。いいトシをしてこんなに編集の仕事をしていいのだろうか、と我ながら恥ずかしいほどである。
 昨年からことしにかけて栗田出版販売の民事再生申請に始まる一連の騒動、ここへきての太洋社の自主廃業といった中堅取次会社の経営破綻をみるにつけ出版業界の先行きはますます厳しくなっているが、そういうなかで未來社では新刊点数の増加ということもあって、このところ売上げはまずまず伸びてきている。もっとも製作費も相対的に増えているから、差引き勘定からすればまだそれほど好転しているわけではないが、先行投資的に進めてきた「[新版]日本の民話」シリーズが、ようやくここへきて刊行継続を知られだしたらしく読者の支持もふえつつあり、図書館の購入数も上がってきているので、この方向で推移してくれれば、かなりバランスがとれてくるだろう。ことしの最初からアマゾンと有償契約をしたベンダー・セントラルでも売行きの情報がつかめるようになった結果、こうした傾向が確認できるようになった。
 問題はいわゆるリアル書店(ふつうの書店)の元気のなさである。わたしは「[新版]日本の民話」シリーズの書店での売れ行きを、現在の書店の活性力のひとつのバロメーターとみているが、このシリーズの販売においても、せっかく期待して仕入れてくれた書店(大都市の大型書店、ご当地の地方書店)での販売が当初期待したほどの成果を上げるまでにいたらず、配本開始した時点から徐々に新刊配本部数が減ってきている。その反面、取次の専門書センターなどからの補充はどの巻もコンスタントにあり、既刊にさかのぼっての全巻購入などもあるので、どこかの書店経由で売れていることになるが、そのあたりがよく見えないところがこのシリーズが通常の書籍とちがうところなのかもしれない。これは元版のロングセラー「日本の民話」シリーズが、地元の一番店、二番店と言われるような老舗書店を中心に大きく販売実績を上げてくれた昔の事情とは食い違ってきている。そもそもそういったかつての老舗書店が低迷し、つぎつぎと廃業に追いやられつつある現在、いまや地方でもナショナル・チェーンの書店が支配的になり、そういうところではそれほど力を入れて販売してくれているように思えない店が多いように感じられる。とはいえ、巻数によっては、その地に根づいている地元書店がおおいに気を入れて売ってくれようとしているところも出始めているので、かつてほどではないにせよ、ご当地本として喜ばれるようになることも期待できる。わたしとしては幼いときから本を読む習慣を身につけるには絶好のシリーズだと思っているし、「ふるさと再生」ではないが、その地方ならではの方言を生かした地方文化の再生と活性化に寄与できるものと考えてきたので、これはなんとしても広く読まれてほしいのである。
 ここまで書いてきて、やはり出版というものはひとつの力になりうるし、ならなければならないとあらためて痛感する。出版界の不況はさまざまな要因があるので解決は簡単ではないが、出版されるべき企画はこんな時代であるからこそなおさら多種多様に存在しているとみるべきである。読者はそういうものをこそ待ってくれている。最近刊行された木村友祐『イサの氾濫』なども、小社ではめずらしい小説だが、東日本大震災による東北のダメージとそれにたいする中央政府の無策(というより無作為の放置)にたいする心底からの怒りを方言を駆使してぶつけた異色の作品で、初期の反応もいい。本が社会をよりよくしていく力となる可能性をあらためて教えてくれる本となるかもしれない。いまや東北は沖縄とともに、日本の政治的経済的矛盾の集約点と化しており、そうした問題の所在を明らかにしていく使命が出版に課されている。そういうものに応える出版こそが時代の隘路を切り開けるのではないか。出版とはまさに闘争なのだから。(2016/3/6)

 *この文章は「未来」2016年春号に連載「出版文化再生24」としても掲載の予定です。