ことしは専門書の復刊を主な目的として始まった書物復権運動の20周年にあたる。これを記念していつもの専門書復刊にくわえて、これまでに復刊してきた書籍のなかからオプションで連動フェアを全国の書店で展開してもらっている。これまでに復刊してきた書籍は毎年各社5点、総点数で700点ほど。そのうち在庫のあるものが500点ぐらいはあるようなので、そのなかから書店が選択して(あるいはおまかせで)ことし分の復刊書籍と並べて販売してくれている。大規模に展開してくれているところもあり、20年間の集大成として、どのような結果が出てくるか楽しみでもあり不安でもある。
ともあれ、昨今の書物復権の会は一昨年から青土社、吉川弘文館が参加して10社の会となっており、それとともに会の構成メンバーもずいぶん様変わりしてきた。わたしなどはいつのまにか最年長者になってしまい、いまや唯一の創立時メンバーであるみすず書房・持谷寿夫社長ともども、実務的な活性化を進める若い世代の台頭に押されっぱなしである。そうしたこともあって、この20年という節目をひとつの機会としてあらためて書物復権運動を回顧してみようかという気になった。すでにこの会については何度も書いてきているが、重複をおそれずいまの時点で振り返ってみるのも悪くない。
そもそもこの会の成り立ちは、みすず書房元社長の小熊勇次さんが専門書の危機をなんとか打開する必要を感じて提唱した〈書物復権〉という考えにもとづいている。小熊さんの考えでは岩波書店をどうしても巻き込まなければ始まらないということで、当時の岩波の安江社長に談判して実現したのである。専門書取次の鈴木書店が倒産するすこしまえのころで、いまよりはまだ本が売れてはいた時代ではあったが、それでも専門書業界では出版不況を先取りして、専門書に厳しい状況が始まっていたのである。ある新年会だったと思うが、当時の岩波の辣腕営業部長であった後藤勝治さんと坂口専務から「今度ちょっと相談したいことがある」と言われたことがあるが、どうもこの会の発足にかんする話だったのではないかと思っている。ともあれ書物復権の会は1996年に岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房の4社でスタートすることになり、未來社は勁草書房、白水社とともに声がかかり、二年目から参加することになる。そのさらに翌年、紀伊國屋書店出版部が参加して、それから十数年はこの8社の会の体制がつづくことになるのだが、紀伊國屋書店の参加によって、図書館への働きかけなど販売において大きな成果があげられてきたことは特筆しておいてよい。
とはいえ、いまでもはっきり覚えているのは、(こんなこと書いていいのかな)後藤部長があるときしみじみ「もう岩波も独力ではむずかしくなって、みなさんの協力なしではやっていけなくなったんですよ」とわたしに言ったことである。岩波の営業の顔であった後藤さんがそんなことを言うのか、と驚いた記憶が鮮明だ。そういう状況認識のなかでの書物復権の会の出発だったわけである。
会の活動の当初はマスコミの受けもよく、初回配本も350~400セットぐらいだったし、返品率もいまよりはだいぶ低かったように思う。ハガキによる読者リクエストなどもはるかに活発であって、参加した最初の年に復刊したE. H. カーの新組版『カール・マルクス』が読者リクエストで堂々ダントツの第一位となったこともあって、各社の驚きを呼んだことなどを誇らしく思い出す。マルクス本が売れなくなりはじめていたころで、思い切って新組にして出したところが思った以上の反応もあって驚いたが、もともとたしか43刷か44刷までいっていた本だっただけにこれはいわば「隠し球」のようなものだったかもしれない。
2004年から東京国際ブックフェアへの共同出展という試みも始まっていまにいたっている(残念ながら未來社は2013年から出展をとりやめている)。また各地の書店や生協での編集者と読者の集いとか、紀伊國屋ホールを使っての各社主催連続セミナーの催しなど、編集者や著者を巻き込んでの大々的なイベントの取組みなども実現した。400人超のホールをある程度以上一杯にするためには事前の準備から宣伝にいたるまで、たいへんな努力を強いられたわけで、いまからみれば、相当にすごい活動をしてきた観がある。あるときには紀伊國屋書店からの急な提案を受けて会ではいったんキャンセルせざるをえなかったイベントを翌日にかけてわたしのコネクションを動員し、旧友の宮下志朗さん、鹿島茂さんらに声をかけて土壇場で実現させてみたこともあった。書物に造詣の深い著者たちによる、本にかかわる者たちの「総決起集会」ということばが壇上から発せられるようなホットな会になったこともいま思い出すとなんともおかしい。
わたしも若かったんだな、という思いがよぎるが、しんどかった反面、けっこう楽しかったとも言える時代だったのかもしれない。それなりに時間もあったわけで、いまのように経営や本作りに追われまくっていろいろなケアができないことが残念でならない。編集した本が売れてこそ、喜びも倍増するのだが、そういうオイシイ場面を「編集」する楽しみが得られなくなっているからである。まあ老兵の出番ではなくなったのだろうが。
自社だけではとうていできない(とくに未來社のような小さい所帯では考えられもしない)企画を考えられるのがこの会のいいところであって、最近は大学の図書館員などとも連携して読者との接点を作ろうとする動きも出てきており、そんな試みのなかからなにか新しい可能性が生まれてくることを期待したいと思うのである。
ともあれ、昨今の書物復権の会は一昨年から青土社、吉川弘文館が参加して10社の会となっており、それとともに会の構成メンバーもずいぶん様変わりしてきた。わたしなどはいつのまにか最年長者になってしまい、いまや唯一の創立時メンバーであるみすず書房・持谷寿夫社長ともども、実務的な活性化を進める若い世代の台頭に押されっぱなしである。そうしたこともあって、この20年という節目をひとつの機会としてあらためて書物復権運動を回顧してみようかという気になった。すでにこの会については何度も書いてきているが、重複をおそれずいまの時点で振り返ってみるのも悪くない。
そもそもこの会の成り立ちは、みすず書房元社長の小熊勇次さんが専門書の危機をなんとか打開する必要を感じて提唱した〈書物復権〉という考えにもとづいている。小熊さんの考えでは岩波書店をどうしても巻き込まなければ始まらないということで、当時の岩波の安江社長に談判して実現したのである。専門書取次の鈴木書店が倒産するすこしまえのころで、いまよりはまだ本が売れてはいた時代ではあったが、それでも専門書業界では出版不況を先取りして、専門書に厳しい状況が始まっていたのである。ある新年会だったと思うが、当時の岩波の辣腕営業部長であった後藤勝治さんと坂口専務から「今度ちょっと相談したいことがある」と言われたことがあるが、どうもこの会の発足にかんする話だったのではないかと思っている。ともあれ書物復権の会は1996年に岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房の4社でスタートすることになり、未來社は勁草書房、白水社とともに声がかかり、二年目から参加することになる。そのさらに翌年、紀伊國屋書店出版部が参加して、それから十数年はこの8社の会の体制がつづくことになるのだが、紀伊國屋書店の参加によって、図書館への働きかけなど販売において大きな成果があげられてきたことは特筆しておいてよい。
とはいえ、いまでもはっきり覚えているのは、(こんなこと書いていいのかな)後藤部長があるときしみじみ「もう岩波も独力ではむずかしくなって、みなさんの協力なしではやっていけなくなったんですよ」とわたしに言ったことである。岩波の営業の顔であった後藤さんがそんなことを言うのか、と驚いた記憶が鮮明だ。そういう状況認識のなかでの書物復権の会の出発だったわけである。
会の活動の当初はマスコミの受けもよく、初回配本も350~400セットぐらいだったし、返品率もいまよりはだいぶ低かったように思う。ハガキによる読者リクエストなどもはるかに活発であって、参加した最初の年に復刊したE. H. カーの新組版『カール・マルクス』が読者リクエストで堂々ダントツの第一位となったこともあって、各社の驚きを呼んだことなどを誇らしく思い出す。マルクス本が売れなくなりはじめていたころで、思い切って新組にして出したところが思った以上の反応もあって驚いたが、もともとたしか43刷か44刷までいっていた本だっただけにこれはいわば「隠し球」のようなものだったかもしれない。
2004年から東京国際ブックフェアへの共同出展という試みも始まっていまにいたっている(残念ながら未來社は2013年から出展をとりやめている)。また各地の書店や生協での編集者と読者の集いとか、紀伊國屋ホールを使っての各社主催連続セミナーの催しなど、編集者や著者を巻き込んでの大々的なイベントの取組みなども実現した。400人超のホールをある程度以上一杯にするためには事前の準備から宣伝にいたるまで、たいへんな努力を強いられたわけで、いまからみれば、相当にすごい活動をしてきた観がある。あるときには紀伊國屋書店からの急な提案を受けて会ではいったんキャンセルせざるをえなかったイベントを翌日にかけてわたしのコネクションを動員し、旧友の宮下志朗さん、鹿島茂さんらに声をかけて土壇場で実現させてみたこともあった。書物に造詣の深い著者たちによる、本にかかわる者たちの「総決起集会」ということばが壇上から発せられるようなホットな会になったこともいま思い出すとなんともおかしい。
わたしも若かったんだな、という思いがよぎるが、しんどかった反面、けっこう楽しかったとも言える時代だったのかもしれない。それなりに時間もあったわけで、いまのように経営や本作りに追われまくっていろいろなケアができないことが残念でならない。編集した本が売れてこそ、喜びも倍増するのだが、そういうオイシイ場面を「編集」する楽しみが得られなくなっているからである。まあ老兵の出番ではなくなったのだろうが。
自社だけではとうていできない(とくに未來社のような小さい所帯では考えられもしない)企画を考えられるのがこの会のいいところであって、最近は大学の図書館員などとも連携して読者との接点を作ろうとする動きも出てきており、そんな試みのなかからなにか新しい可能性が生まれてくることを期待したいと思うのである。