II-19 それでも専門書を売る――柴田信さんを偲んで

| トラックバック(0)
 書店業界のシンボルとも言うべき柴田信さんが急逝され、それにつづいて柴田さんが会長をつとめてきた岩波ブックセンター信山社が倒産に追い込まれたことは、二〇一六年末におけるもっとも暗い話題である。柴田さんにかんしてはわたしなどよりもっと長くもっと深くつきあってきたひとたちがたくさんいるので、できればそういうひとたちの考えを聞かせてほしいぐらいで、わたし自身としてはあまり書きたくないテーマであるが、この問題をこのまま沈黙してやり過ごすことは、生前に柴田さんとなんらかのかかわりをもった人間として避けて通ることは許されないと思うのである。
 最初から歯切れが悪くなってしまうのは、倒産の問題は結局、当事者にしかわからない事情がいろいろあるからで、客観的な状況がわかったとしても最後の決断は当事者がなすべきであるからだ。負債額が一億三千万円弱あったからといって、このぐらいの歴史と知名度のある企業の場合、どうにもならないような額では必ずしもない。現に柴田さんは私財を投じて経営を支えてきたとも言われており、その柴田さん本人が亡くなってしまった以上、その意志を受け継ぐ力量も意欲もあるひとがいなかったということになる。関係の深かった岩波書店や取次の大阪屋栗田などの業界的なバックアップが可能であれば、こんなにあっという間の倒産劇は避けられたのではないか、と思わないわけでもない。柴田さんが高齢とはいえ突然の死であったために、十分な準備も申し送りもできていなかったのかもしれないが、あるいはすでに家族や周辺ではそうした覚悟をあらかじめしていたのかもしれない。すべては推測になってしまうが、どうにも納得しがたいものを感じる。
 晩年の柴田信さんと親しく接していた元「新文化」編集長の石橋毅史によれば、柴田さんは「経営とは資金繰りの苦しみを楽しむことだ、そうした日々を送りながら、いつかどこかで野垂れ死にする覚悟でいるのが経営者だ」と語っていたそうである。(「本屋な日々46/物語はつづく」)まあ、どこまで本気で言っていたのかはもはや不明だが、なんとも身につまされる話だ。書店業界(だけではないのはもちろんだが)の絶望的な不況のなかで、岩波ブックセンター信山社も売上げは最後のころは相当に低迷していたようで、倒産は時間の問題にすぎなかったのかもしれないが。
 信山社の(柴田さんの)意図していた書店展開は専門書を棚で関連づけて売る、というきわめてオーソドックスな手法である。神保町といういまでも本の町として通用している数少ない立地だからこそかろうじて可能かもしれない「専門書の専門書店」という実験的コンセプトは、書店としては理想的な形態である。現代の書店としてはワンフロア一〇〇坪にも満たない店構えではけっして十分なスペースではない。だからこそ限られたスペースのなかでできるだけ無駄のない選書で勝負するしかない。それが柴田さんのもくろんだ「専門書の専門書店」のイメージであっただろう。しかし、いまでもよくわからないのは、そのなかの相当なスペースを岩波書店の本が占めており、柴田さんによれば、実効性としてはきわめて厳しいものだったにもかかわらず、なぜ棚の配分をもっと抜本的に変えようとしなかったのだろうかということである。岩波ブックセンター信山社は岩波の名を冠しているとはいえ、資本的には完全に切れていたはずで、そこまで岩波書店に義理を立てる必要があったのか。それとも柴田さんはやはり専門書とは岩波書店の本が中心にあるべきで、その他の専門書出版社の本はその衛星のようなものだと考えていたのだろうか。ちなみに未來社の本などは常備として二〇冊程度しか置いてもらっていなかった。それはないだろうといつも思っていたが、それはスペースの配分を大きく変えてしまわないかぎり、不可能だったはずである。
 それでも店の入口の平台スペースを使って書物復権の会や人文会、歴史書懇話会のフェアなどを頻繁におこなって店に合ったロングセラーアイテムの発掘に力を入れていた時期もあり、出版社も協力してそれなりの成果も上がったようだが、そうしたノウハウも継続的に店の展開力を高めていったのか、わたしが書店現場に疎くなっていることもあって、そのあたりはもうひとつはっきりしない。仕入れのための資金などの問題もあっただろうが、新刊仕入れにそれほど積極的に取り組んでいたとも思われないところがあったのも事実で、そうした既刊本と新刊の組合せの関連づけと展開力不足に、柴田さんの「専門書を棚で売る」戦略イメージとのギャップがあったのではないか。
 いまさらこんなことを書きつらねたところでどうしようもないのだが、なんとか柴田さんが実験的に実現しようとしていたことを既存の書店が、たとえその一部でも取り込んでみてほしいと思わざるをえない。書店のなかに「専門書店」を意識的に作り出すことである。経営効率上は現実的でないかもしれないが、すくなくとも人文会が定期的に作っている専門書の必須アイテムリストなどを参考に、専門書を棚で関連づけて売る、という基本的な棚作りを心がけてほしい。アマゾンがヴァーチャルなかたちで読者へのお薦め本を関連づけてくるように、現物を並べて見せているリアル書店(何度も言うが、いやなことばだ!)の、そこに本があるという強みを生かして読者を動かせてほしい。そのことを最初からあきらめない姿勢こそが柴田さんの実験的意志を積極的に受け継ぐことになるはずである。出版社だって売れないだろう専門書をそれでも信じて世の中に送り出しているのだから、関連づけで客単価を上げるかたちで連携してもらう以外にないのである。
 ここまで言えば、柴田さんなら、「その通り!」と返事してくれそうな気がする。

 *この文章は「未来」2017年冬号に連載「出版文化再生27」としても掲載の予定です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.miraisha.co.jp/mt/mt-tb.cgi/548

未来の窓 1997-2011

最近のブログ記事 購読する このブログを購読