II-16 いまこそ出版の原点へ

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 月刊PR誌「未来」を「季刊 未来」に変更してからほぼ一年半になる。それにともない、この[出版文化再生]ブログの執筆回数も減少しているが、必要と思われる文章はそのつど書いて発表してきたので、当人にとってはさほど変化があるとは思っていない。むしろ強制が少なくなった分だけ、書きたいことだけを書けるようになってきている。
 さいわいなことにこの[出版文化再生]ブログのアクセス数はコンスタントに毎月2000~3000となっているので、なにかしら参照してくれているらしい。執筆の間があいてきているにもかかわらず、定期的にチェックしてくれているひとがいるのである。すでに『出版文化再生――あらためて本の力を考える』としてまとめてある[未来の窓]ブログのほうもいまだに毎月300超のアクセスがあるのが不思議で、刊行時に付けた注などを見てもらう価値があると思っているのだが、本のほうはあまり動きがない。その後に書いたブログをまとめた『出版とは闘争である』(論創社)のほうもいまひとつ。出版にかんする本は売れない、という常識があるらしいが、ブログのアクセス数との不均衡が気になる。
 それはともかく、「未来」季刊化にともなって新刊にかけられる編集の時間が増えたせいか、昨年はかなりの新刊を刊行することができた。わたしが仮ゲラ(未來社独自の編集タグ付きプリント)ないし初校ゲラで通読をするかたちでかかわった新刊は、4月から毎月3点の刊行をつづけてきている「[新版]日本の民話」シリーズの昨年刊行分27冊をふくめて44冊を数えた。ほとんどの本はほかの編集者との連携で進めたものだから、実際のところはかなり割り引いて考えなければならないだろうが、なかにはマーク・マゾワーの待望の『暗黒の大陸――ヨーロッパの20世紀』やダニエル・ベンサイド『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と逆境(十九―二十世紀)』などといったいずれも550ページ以上の大著もふくまれているから、経理業務などにとられる時間のことも考えれば、これは相当な仕事量だろう。ことしは順調にいけば、この数はさらにもうすこし増えるだろう。いいトシをしてこんなに編集の仕事をしていいのだろうか、と我ながら恥ずかしいほどである。
 昨年からことしにかけて栗田出版販売の民事再生申請に始まる一連の騒動、ここへきての太洋社の自主廃業といった中堅取次会社の経営破綻をみるにつけ出版業界の先行きはますます厳しくなっているが、そういうなかで未來社では新刊点数の増加ということもあって、このところ売上げはまずまず伸びてきている。もっとも製作費も相対的に増えているから、差引き勘定からすればまだそれほど好転しているわけではないが、先行投資的に進めてきた「[新版]日本の民話」シリーズが、ようやくここへきて刊行継続を知られだしたらしく読者の支持もふえつつあり、図書館の購入数も上がってきているので、この方向で推移してくれれば、かなりバランスがとれてくるだろう。ことしの最初からアマゾンと有償契約をしたベンダー・セントラルでも売行きの情報がつかめるようになった結果、こうした傾向が確認できるようになった。
 問題はいわゆるリアル書店(ふつうの書店)の元気のなさである。わたしは「[新版]日本の民話」シリーズの書店での売れ行きを、現在の書店の活性力のひとつのバロメーターとみているが、このシリーズの販売においても、せっかく期待して仕入れてくれた書店(大都市の大型書店、ご当地の地方書店)での販売が当初期待したほどの成果を上げるまでにいたらず、配本開始した時点から徐々に新刊配本部数が減ってきている。その反面、取次の専門書センターなどからの補充はどの巻もコンスタントにあり、既刊にさかのぼっての全巻購入などもあるので、どこかの書店経由で売れていることになるが、そのあたりがよく見えないところがこのシリーズが通常の書籍とちがうところなのかもしれない。これは元版のロングセラー「日本の民話」シリーズが、地元の一番店、二番店と言われるような老舗書店を中心に大きく販売実績を上げてくれた昔の事情とは食い違ってきている。そもそもそういったかつての老舗書店が低迷し、つぎつぎと廃業に追いやられつつある現在、いまや地方でもナショナル・チェーンの書店が支配的になり、そういうところではそれほど力を入れて販売してくれているように思えない店が多いように感じられる。とはいえ、巻数によっては、その地に根づいている地元書店がおおいに気を入れて売ってくれようとしているところも出始めているので、かつてほどではないにせよ、ご当地本として喜ばれるようになることも期待できる。わたしとしては幼いときから本を読む習慣を身につけるには絶好のシリーズだと思っているし、「ふるさと再生」ではないが、その地方ならではの方言を生かした地方文化の再生と活性化に寄与できるものと考えてきたので、これはなんとしても広く読まれてほしいのである。
 ここまで書いてきて、やはり出版というものはひとつの力になりうるし、ならなければならないとあらためて痛感する。出版界の不況はさまざまな要因があるので解決は簡単ではないが、出版されるべき企画はこんな時代であるからこそなおさら多種多様に存在しているとみるべきである。読者はそういうものをこそ待ってくれている。最近刊行された木村友祐『イサの氾濫』なども、小社ではめずらしい小説だが、東日本大震災による東北のダメージとそれにたいする中央政府の無策(というより無作為の放置)にたいする心底からの怒りを方言を駆使してぶつけた異色の作品で、初期の反応もいい。本が社会をよりよくしていく力となる可能性をあらためて教えてくれる本となるかもしれない。いまや東北は沖縄とともに、日本の政治的経済的矛盾の集約点と化しており、そうした問題の所在を明らかにしていく使命が出版に課されている。そういうものに応える出版こそが時代の隘路を切り開けるのではないか。出版とはまさに闘争なのだから。(2016/3/6)

 *この文章は「未来」2016年春号に連載「出版文化再生24」としても掲載の予定です。

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未来の窓 1997-2011

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