59 文字文化への可能性?

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 細見和之の「書籍文化と文字文化――若い世代の言語体験への期待」というエッセイを興味深く読んだ。これは「PO」という大阪の同人誌に書いたもので、けっこう本音にちかいところで書かれていて(かれの文章はいつもそうだが)いろいろかれの仕事ぶり、パソコン音痴ぶり(失礼!)がうかがえてほほえましい。そこでの細見の論点は、いまの若者は携帯メールなどをつうじて文字の入力に以前の人間よりはるかに慣れていて、すくなくとも一日の文字入力の分量では一流の物書き以上だということから、これが言語体験として深まる契機があれば、それはひとつの可能性だというに尽きる。
 メールのように「瞬時に応答するのでなく、じっくり推敲して書いた文章の味わいというものを伝えること、自分でもずっと残しておきたいと思える文章を書いてみる楽しさを伝えること、そういうことがすこしでもできれば、彼ら、彼女らの言語能力は新たな文学への道を開くのではないかと思う」と細見は書いている。
 たしかにこういう観点も、いたずらに書籍文化の衰退を嘆くよりはいま必要な希望かもしれない。しかしそこに携帯メール入力から本気で書くことへのジャンプという決定的な契機もまた必要で、惰性の延長が真のエクリチュール(書くこと)につながるわけではないことも明らかである。その深淵を飛び越せるかどうかが、物書きへの転生が実現できるかどうかの分かれ目なのである。(2013/1/21)


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