出版界を支えてきた大手・中堅出版社の主として営業系の中心人物たちが集まって、月に一度、勉強会を進めてきた会があり、かれこれ二十年近く継続している。出版界の新しい動きや情報にたいして各大手出版社のオーナー社長の懐刀とも言うべきやり手揃いで、日本書籍出版協会の真の実行部隊でもあったひとたちが出版界の横断的勉強会を開こうということになって発足した会で、わたしも設立当初から誘われて唯一の弱小出版社の人間でありながら参加してきた。この会の名は「21世紀の出版を創る会」という。じつはこの会についてはわたしが先日刊行した『出版文化再生――あらためて本の力を考える』においてもいちども触れたことがない。この会の趣旨は外部に情報をもらさないということを前提に、本音で語り合う勉強会という位置づけがあり、わたしもこの趣旨にそって対外的発言は差し控えてきたという事情があるからである。きのうの夜に忘年会が開催され、どうやらこの禁制も解除されてもいいような気になってきたので、あえて書いてみようかと思う。
「21世紀の出版を創る会」はかつて正味問題を考える出版社の会というイベントがあり(日付ははっきりしないのでおわかりの方があればぜひご教授をお願いしたいが、飯田橋のハローワークで開催されたことは間違いない)、この会は出版社だけの会で正味問題を論じあおうという趣旨だったにもかかわらず、取次や書店の人間が入り込んできており、あまつさえ東京書店組合の人間が出版社への批判的介入をするなどあって、議論が進まず解散になったという経緯をふまえて、あらためて出版社だけの会を結成しようということになってできたものである。そのときは当時の書協にあった情流推(情報流通推進協議会)のメンバー(各主要出版社の中核メンバーで構成されていた)と出版労連の幹部たちが合体し、出版評論家の小林一博さんを座長として発足した会である。正味問題を論じあうことから始まって、出版界のさまざまな問題について意見を交わしあうというフリーな場であって、わたしもずいぶん勉強させてもらった。その後、小林さんが亡くなられ、会の存続を相談した結果、有意義な会なので継続しようということになったのである。最初は「20世紀の出版を考える会」だったのが、21世紀を超えるにあたって、いまの名前に変更した記憶がある。
ともあれ、よく意見の飛び交う勉強会でわたしなど口を挟む余地がないほど次元の高い会であった。最近はあまり出席していないので、こうした過去形を使ってしまうのだが、理由はそれだけでもない。というのは、きのうの忘年会でも退職の挨拶をするひとが四人もいただけでなく、すでに退職しているが会に出席しているひとがおそらく半分以上を占めるようになっており、かつて活躍したメンバーでも退会したひと、出席しなくなってしまったひとが目立ち、どうも今後の活躍が期待できないひとが多くなってしまったからである。すくなくとも現役が少なすぎる。わたしも近況挨拶でこの会は養老院みたいだと言ってしまったが、『出版文化再生』を刊行したことも、社史『ある軌跡』60年版を出したことも、とくに発表する気になれなかった。もっとも幹事の嶋田晋吾さんが見本をみんなに見せて宣伝してくれたが、すでに寄贈しているひとも多く、その他のひとたちからの関心はあまり期待できなかった。なかには元文藝春秋の名女川勝彦さんのようなまだまだやる気満々のひともいるのだが、全体にメンバーが拡散した感じで、これからの出版界をどう構築していくのかといったヴィジョンを語れるようなひとがあまりいなくなったように思われた。わたしが『出版文化再生』で考えている方向とのズレが大きくなっていることを感じた次第である。(2011/12/14)
「21世紀の出版を創る会」はかつて正味問題を考える出版社の会というイベントがあり(日付ははっきりしないのでおわかりの方があればぜひご教授をお願いしたいが、飯田橋のハローワークで開催されたことは間違いない)、この会は出版社だけの会で正味問題を論じあおうという趣旨だったにもかかわらず、取次や書店の人間が入り込んできており、あまつさえ東京書店組合の人間が出版社への批判的介入をするなどあって、議論が進まず解散になったという経緯をふまえて、あらためて出版社だけの会を結成しようということになってできたものである。そのときは当時の書協にあった情流推(情報流通推進協議会)のメンバー(各主要出版社の中核メンバーで構成されていた)と出版労連の幹部たちが合体し、出版評論家の小林一博さんを座長として発足した会である。正味問題を論じあうことから始まって、出版界のさまざまな問題について意見を交わしあうというフリーな場であって、わたしもずいぶん勉強させてもらった。その後、小林さんが亡くなられ、会の存続を相談した結果、有意義な会なので継続しようということになったのである。最初は「20世紀の出版を考える会」だったのが、21世紀を超えるにあたって、いまの名前に変更した記憶がある。
ともあれ、よく意見の飛び交う勉強会でわたしなど口を挟む余地がないほど次元の高い会であった。最近はあまり出席していないので、こうした過去形を使ってしまうのだが、理由はそれだけでもない。というのは、きのうの忘年会でも退職の挨拶をするひとが四人もいただけでなく、すでに退職しているが会に出席しているひとがおそらく半分以上を占めるようになっており、かつて活躍したメンバーでも退会したひと、出席しなくなってしまったひとが目立ち、どうも今後の活躍が期待できないひとが多くなってしまったからである。すくなくとも現役が少なすぎる。わたしも近況挨拶でこの会は養老院みたいだと言ってしまったが、『出版文化再生』を刊行したことも、社史『ある軌跡』60年版を出したことも、とくに発表する気になれなかった。もっとも幹事の嶋田晋吾さんが見本をみんなに見せて宣伝してくれたが、すでに寄贈しているひとも多く、その他のひとたちからの関心はあまり期待できなかった。なかには元文藝春秋の名女川勝彦さんのようなまだまだやる気満々のひともいるのだが、全体にメンバーが拡散した感じで、これからの出版界をどう構築していくのかといったヴィジョンを語れるようなひとがあまりいなくなったように思われた。わたしが『出版文化再生』で考えている方向とのズレが大きくなっていることを感じた次第である。(2011/12/14)