偏執的編集論2:出版の仕事はテキストデータの処理からはじまる

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偏集者 それでね、まず編集者は何をするのかということなんだけど、まずは著者からの原稿がとどいたとして、最初にするべきことは何だと思う?
F君 そうですね、まずは原稿の中身を確認することでしょうか。
偏集者 もちろん、そうだよね。内容もさることながら、原稿データがちゃんと使えるものになっているかどうかも確認する必要がある。データが壊れていたり、文字化けがあったりすることはいまでもよくある。おいおいそういう話題にもふれていかなければならないんだけど、編集者が最終的にするべきことは原稿データの中身を入校用のデータに変更することで、印刷所はそれをDTP(注 Desk Top Publishing、つまり机上編集機のこと)で出版用のデータをつくる。いまほどDTPが出版編集の中心でなかったころはいろんな編集ソフトが印刷所ごとにあって、電算写植なんて言われた時代があったことは知らないだろうね。
F君 そういう話は聞いたことがありますが。
偏集者 そのころのデータは復元できないなんてことが実際に起こっている。書物復権(注 一九九六年に専門書出版社が集まって共同復刊事業をつづけていまも継続中)の本なんかをひさしぶりに復刊しようと思うと既存データが使えず、君もすでに知っているように、本をスキャンして制作することになるなんてとんでもないことになっている。ところで何の話だったっけ。
F君 出版物の原稿データの話だったんですけど。
偏集者 そうだったね。印刷所に入校するデータの中身の話だったね。西谷流の編集技法は著者からとどいた原稿データをそのまま渡すんじゃなくて、それ以前にDTPオペレーターがする仕事のほとんどを自分のパソコンで先取り的にやってしまうところに真骨頂がある。あとでくわしく説明するけど、テキストエディタの検索・置換で正規表現(注 regular expression パソコンの演算処理能力を活用する検索・置換用ツール)を使って用字用語の高速変換処理をしたり、データを変換させるためのさまざまな編集タグと呼ばれる指定データを埋め込むことによって、印刷所での一括処理を実現できるようにする。これには多少のツールが必要ではあるけれど、基本的には高機能テキストエディタと周辺のユーティリティがすこしあれば、ほとんど実現可能なんだよ。印刷所がほしいデータ形式はどういうものかね、F君?
F君 いつもそうですが、理想的にはテキストファイルです。いまは著者がワード(注 Word マイクロソフト社のワープロソフト)で作成したままの原稿データが多いですね。
偏集者 それをワード帝国主義と呼ぶんだよ。ワープロ形式が一般的だと思っている著者も編集者も圧倒的に多いんじゃないかな。昔からそうだけど、ワープロというのはプレゼンテーション用ソフトで中間形式の発表媒体(たとえばパンフレット、紀要などそんなに専門的な編集の手がかからないもの)にはそれなりに見てくれのいいものを作ることはできるんだけど、専門的な出版編集のレヴェルに対応できるほど高度な機能を具えていない。たとえば、いずれくわしく論ずることになるが、さっき言ったタグ付き正規表現を使った検索・置換などの機能はまったく装着していないに等しい。まったくオモチャのようなソフトなんだよ、ワードっていうのは。すくなくとも編集者が使うべきソフトではない。それはともかく、ワープロのデータをテキストデータにしなきゃならないんだけど、その変換のさいにさまざまな機能が失なわれてしまうことがある。とくに日本語ネイティヴでないワードはね。
F君 それはどんな機能ですか。
偏集者 たとえば、ルビとか傍点、フランス語やドイツ語のアクサン、ウムラウトといった特殊記号のほかにもたくさんある。ワードは優れたソフトのように見えても、しょせんはローカルな機能、つまりはワードならワードの世界だけでしか流通しないもので、およそ標準的とは言えない。だけどそういうことを知らない編集者がワードをスタンダードだと思って著者にもワードでの入稿を推薦するなんて本末転倒の事態が現実のものになっているらしい。
F君 印刷所ではワードからテキストへの変換をひとつの業務としていますが......
偏集者 それをひとむかしまえはイヴァン・イリイチ(注 Ivan Illich オーストリア生まれの思想家)のタームを使って「シャドウワーク」と呼んでいたわけで、要するにお金にならない日陰の仕事というわけさ。いまは女性が強くなったけど、むかしは主婦の家庭での仕事は典型的なシャドウワークだった。夫は外で働いて稼ぎ、主婦は家で食事、洗濯、掃除からなにからなにまでおこない、それらはすべて無償労働。それとどこか同じで、パソコンのことを知らない編集者は著者からのワード入稿原稿がそのまま印刷所のゲラになると思っているから、出力原稿に昔ながらの赤字で割付指定をして入校すればいいだけだと思っている。データ入稿なんだから組み代が安くなって当然だとさえ言ってくる編集者もいるそうだ。しかし、F君も知っているように、ワード原稿はそのままでは印刷原稿には使えない。さっきも言ったような現象が起こるからだが、著者によってはどんな使い方をしているかわからないケースもある。印字されたものを鵜呑みにしているから、そんな無知がまかり通ると思っているわけだよ。印刷所にシャドウワークを強いていることの認識さえもっていない。データの変換などは本来は編集者の仕事だし、西谷流[出版のためのテキスト実践技法]はテキストデータへの変換から本格的なテキスト編集の仕事がはじまっていく。これから君に話そうとするのはそういう話だし、著者や編集者にも知っておいてもらいたいことばかりだよ。しばらくは黙ってていいよ。

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