70 政治の暴走をどこでとめるのか――永井潤子さんの新刊を参考に

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 まもなく参議院選挙の日がやってくる。
 こういう場所で政治的なことを書くと、いろいろ批判があることはこれまでも何度か経験がある。匿名の脅迫ハガキをもらったり、隠微なかたちで小誌攻撃をされたこともある。しかしながら、昨年来の民主党政権の内部崩壊、それに乗じた自民党の権力奪取、世界の動向に反する原発再稼働と大企業優先のアベノミクス、さらには軍国主義に道を開く憲法改正(=改悪)に突き進もうとする日本社会の前途を考えると、このまま自民党安倍政権による暴走を許していいのか、ここで冷静に踏みとどまって考えるべきではないかと切に思うのである。
 いまの日本の政治状況を考えると、対抗勢力がないままに自公政権によるほとんど独裁的とでも言うしかない方向に政治と経済が暴走を始めていることに気づかざるをえない。自民党の支持率が過半数に遠く及ばない現状にもかかわらず小選挙区制をテコにした小差当選の積み上げによる議会の多数派形成、さらには平和憲法を廃し、軍隊をつくるための憲法改正(改悪)のじゃまになる、議会での三分の二以上の賛成が必要という日本国憲法第九六条自体をまず修正し、半分の賛成で憲法改正ができるようにしようという策謀である。なんのことはない、安倍首相は、過半数に遠く及ばない支持率にもかかわらず、議会多数派形成~九六条撤廃~平和憲法の破壊(軍隊の創設)という三段飛びで(A級戦犯でもあった祖父岸信介元首相以来の)一族の宿願ともいうべき軍国主義の復興を狙っているのである。
 もうひとつ許しがたいのは、福島第一原発の大事故を起こし、その原因究明も被災者救助も不十分なままに原発再稼働を進めようとしているうえに、世界に原発を売り歩く死の商人を首相みずから引き受けている恥知らずぶりである。もともと原発推進をしてきた自民党政権が民主党時代の菅直人首相以下の不手際をいいことに、みずからの原発創設責任をほおかむりしたまま原発再稼働の実現を企んでいるのである。これが世界じゅうの不安をかきたてて、アメリカ政府でさえも最近の安倍政権の強硬姿勢には疑問と警戒心をもちはじめていると言われるのも当然であり、中国や韓国との外交関係も急速に悪化してきている。
 こうした安倍政権の増長ぶりは、はっきり言えば、自民党に投票する日本国民の一定の支持層を基盤にしているにすぎない。こうした支持者はもともと自民党の利権政治から利益を吸い上げている一部の者は別にして、その多くは民主党への幻滅、投票すべき対抗勢力の不在という状況への漠然たる転換ムードに乗った無批判層であると言わざるをえない。しかしこのままいけば、そうした無思慮の結果が、ワイマール時代のドイツがナチの台頭を許したように、国民全体の「不作為の責任」(物事を深く考えずなにも行動しないこと=丸山眞男)が日本社会をなし崩しに独善社会に貶めていくことは目に見えている。
 こうした事態を打開するには、まもなく小社から刊行される永井潤子さんの『放送記者、ドイツに生きる』でのさまざまなドイツ事情の報告がおおいに参考になる。そこには第二次世界大戦で日本と同様、世界戦争を挑発して敗戦し、厳しい自己批判をへて戦後復興をはたしてきたドイツ人の生き方、政治姿勢など、日本人の無批判的な曖昧な姿勢とはあまりにも異なるドイツ事情がさまざまに描き出されている。
 その端的な事情のひとつが、保守派メルケル首相が福島第一原発事故以来、それまでの原発推進政策をすぐさま撤回して脱原発路線に切り替えたその決断の早さである。国内の脱原発の強力な流れを察知したすばやい政治的修正という見方もあるようだが、自身が出身地の東ドイツ時代に物理学者でもあったという個人的経歴と基礎的な知識がそうした決断を促したと考えてもよい。ヨーロッパのなかで原発推進派のフランスや天然ガス供給源のロシアなどとの葛藤や厳しいエネルギー事情のなかでこうした高度な政治決断をできる政治指導者がいる国はやはりうらやましい。日本の歴代首相にそれだけの器と知識と判断力をもったひとがひとりでもいただろうか。
 ドイツは一九八六年のチェルノブイリ原発事故の発生にともない国内も重大な被害にあった経験を踏まえており、福島第一原発の大事故を受けてドイツのメディアは独自の調査によって世界のどこよりもはやく、しかも事態の重大さを報道した経緯がある。日本では、政府や東京電力その他のずさんな報道を真に受けて被害の重大さを認識せず、ドイツの報道を過剰報道とみるひとが多かったが、結果をみれば、ドイツ・メディアの報道は正確だった。日本の原発問題をひとごとではなく、先進国家が共通にかかえる世界への責任としてとらえるドイツ人の心性が、この永井さんの本をつうじてつぶさに、しかもリアルタイムでとらえられている。ドイツからだからこそ、外部からだからこそよく日本の実情が見えるのである。実際に再生可能エネルギーの開発にむけてユーモラスな「おむつ発電所」などもふくめていろいろ具体的な試みの事例が報告されている。
 ことは原発の問題だけにとどまらない。日本の政治の姿勢がドイツなどからみるとすべて疑問だらけなのだ。
 最後に永井さんが紹介しているドイツの新聞報道の例をあげておこう。昨年の衆議院選挙の自民党圧勝を受けた見出し――「フクシマを軽視」「日本は原子力を選んだ」。また「少なからぬ地震の危険にされされている国で、原発を再稼働させるだけでなく、新しい原発の建設も視野に入れていくという方針は本当に賢いやり方だろうか? 日本のようなグローバルな大国は、原発を徐々に減らしながら、ほかの再生可能エネルギーを増やしていく方が、未来志向で賢明ではないだろうか」と一見穏やかだが、あきらかに皮肉の論調で述べられた記事もある。こうした外部からの指摘を受けなければならないほど、日本人の自助能力は足らないのだろうか。この参院選にひとつの結論が出るだろう。

(この文章は「未来」2013年8月号に連載「出版文化再生4」として掲載されます)

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