36 沖縄「復帰」40周年をめぐるマスメディアの記事から

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 きょうは沖縄の祖国「復帰」40周年の記念日。沖縄ではこの「復帰」にたいして祝うひともいれば、批判的に受け止めるひともいて、さぞやさまざまなかたちでイベントがおこなわれているだろう。そんななかで本土のマスコミは40周年にぶつけて特集記事や特集番組を組んでいる。こういう盛り上がりが一過的なお祭り騒ぎで終わらないことを切に望みたい。
 きょうの「朝日新聞」では1ページを使って知念ウシさんと高橋哲哉さんの対談「復帰と言わないで」を掲載している。ウシさんはつい最近も未來社から共著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』を刊行したばかりであり、高橋さんは第一論集の『逆光のロゴス』をはじめ未來社からは著訳書4冊がある。いずれもわたしとはとても親しいひとたちだ。興味深く読ませてもらった。
 知念ウシさんの論点は基本的に沖縄に米軍基地を置かせている日本全体で基地の問題を考えるべきであり、日米安保にもとづいて日本の安全保障が維持されていると考えるなら、基地を本土(とはウシさんは言わないが)でまず引き取り、そこから返還の問題を考えていくべきであるということである。さしもの高橋哲哉さんもタジタジといった図だ。
 おもしろいのは(おもしろくないか)、朝日新聞の司会者と思われる編集委員が対談にしばしば介入するところである。たとえば「安全保障の専門家の中には、沖縄に基地があるのは沖縄の安全にとってもいいことだという議論があるようですが」などといった具合である。「朝日」からすれば、沖縄に無理解な読者や沖縄に差別的な読者への気遣いからか、ウシさんの意見を一方的に受け容れていないことを示すことが必要なのだろう。
 もうひとつ、きょうの「読売新聞」の文化欄で未來社の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉が前田恭二記者によって大きく取り上げられた。わたしのことも出てくるので、以下に原文を引用しながらコメントをつけさせてもらいたい。
《このところ沖縄関連の書籍を次々に送り出している出版社に未來社(本社・東京)がある。特に目をひくのは、全9巻の写真集シリーズ「琉球烈像」だ。
 批評家の仲里効、倉石信乃両氏の監修で、2010年秋に刊行が始まった。社長の西谷能英氏は『フォトネシア 眼の回帰線・沖縄』など仲里氏の写真・映像論集を手がけ、自分自身、論じられた写真をもっと見たいと出版を思い立った。
 既刊7巻。島に生きる群像や戦没者の遺影を抱いた妻たちを撮った比嘉康雄『情民』、米軍基地のある現実を内側からとらえた石川真生『FENCES, OKINAWA』、本土復帰前に地元でジャーナリストになり、米軍統治期を記録した森口豁『さよならアメリカ』、さらに東松照明氏ら沖縄に深く関わった写真家の巻もある。残る2巻もほどなく刊行予定だ。(注:7月ごろをメドに刊行予定、完結をめざしている。)
(中略)
 シリーズは、「眼差され撮られる対象から、眼差し撮る主体へ」とのメッセージを掲げる。それにとどまらず、自ら米兵向けのバーで働いた石川氏のように、一方的に撮る側に回らず、被写体と深く関わっていく方法論も生まれ、先鋭かつ豊かなイメージが蓄積されてきた。
(中略)
「琉球烈像」の版元として、西谷氏は「風土や人々の生活が写真の細部に現れているし、そこには政治的なものが入り込んでいる。トータルに沖縄が見えてくる」とした上で、「知らないままでいることが抑圧になることがある」と語る。確かに問われているのは、むしろ写真を見る側の意識に違いない。》
 こうした紹介(批評)自体、マスメディアの仕事として得がたいことであるし、対象をとらえるアングルも悪くない。なによりも存在そのものが知られにくい写真集であり、そこに沖縄というプロブレマティックがからむことによって世間の目を気にするマスメディアとしては果敢な試みであると言えよう。感謝する次第である。(2012/5/15)

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