75 ことばをめぐる闘争――知念ウシ出版記念会報告に代えて

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 きのう(11月16日)は知念ウシさんの『シランフーナー(知らないふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』の出版記念会東京ヴァージョンとも言うべき集会があり、わたしも主催者的立場から参加した。人数はそれほど多くはないが、沖縄の若手論客として注目を集めているウシさんの会らしく、通常の出版記念会のようなたんなるお祝いの会という以上に、相互の問題意識をぶつけあい、議論をたたかわせるまれにみる有意義な会であったと思う。わたしの司会進行が拙劣であったにもかかわらず、議論が高度なレヴェルで進行したのは、出席者たちのそれぞれの立ち位置や存在被規定性を軸にした発言がのっぴきならない現実を踏まえていたからだと思う。
 出席者の多くは、沖縄出身者やそれに近いひと、沖縄のかかえる問題に持続的な関心をもってきた研究者、メディア関係者などの割合が高かったし、在日韓国人研究者もいて、沖縄がかかえる植民地的現状をどうとらえるのか、具体的には知念ウシさんが提起している沖縄基地の本土引き取り論にどう応答するのか、各人の立場からの真率なぎりぎりの発言が次々と飛び出して、それぞれに耳を傾けざるをえない緊張感のもとで会は終始したのであった。若い沖縄出身の大学院生たちの感想を聞くこともできて、それぞれが抱えている悩みや問題意識の変遷などが率直に語られたのも新鮮だったし、これからの沖縄を考えていくうえでも彼ら彼女らに期待感を抱かせるものでもあった。
 しかし、ここでこの会の概括をこれ以上するつもりはない。そんなに簡単にまとめられるような内容ではないし、わたし自身がこれからさらに考えていくべき問題の本質をいろいろ見ることができたが、まだ十分に咀嚼できたとは言えないからである。ただ、そのなかでいちばん強く感じさせられたのは、日常われわれがほぼ無意識または常套的に使っていることばがここでは文脈が輻輳化するなかで安易に使えないということが顕在化したことである。沖縄ではことばの不用意な使い方は許されない局面もないではないが、それでも沖縄人特有のホスピタリティのせいか、かなり和らげられたものであった。しかし今回は論客がそろっていたこともあって、たとえば〈連帯〉というようなことばがしばしばもつ欺瞞性やイデオロギー性、権力的植民地主義的な無意識性が強く指弾された。
 その意味では、スピーチのなかでとりわけ在日韓国人の徐京植(ソ・キョンシク)さんの発言は、東アジアでの研究集会の例を挙げて、その複雑な立ち位置を明確に示してくれた点で印象に残った。沖縄人、韓国人、ヤマトンチューがいっしょに議論する場で進行係をつとめた徐さんはウチナーグチや自国語で語ろうとする沖縄人その他にたいしてここでは「標準語としての日本語」で議論をしようと呼びかけたところさまざまな異論が出たし、そもそも在日韓国人であって日本人でないのになぜ日本語なのか、といった反問を受けたそうである。これまでも沖縄や韓国でヤマト在住者であるためにヤマト批判を受けることもあって、たしかに沖縄や韓国からすればふつうのヤマトンチュといっしょくたに見られてしまうというかなり厄介でしんどい位置を引き受けさせられることに何度も直面したことのある人間として、知念ウシさんの基地引き取り論にたいしては在日韓国人である自分としては応えにくいが、ひとりのヤマト在住者としてはそれでもなんらかの応答をしなければならないという複雑な立場を表明され、そのためには他者にたいして自分の〈位置〉からの想像力による応答が必要なのだという回答を用意している旨の発言があった。この回答はきわめて哲学的な内容をもつので、容易には説明しづらいが、関係性の同位性に想像力をめぐらせて考えるなかから新たな関係性の構築を模索する方法とでも言えばいいだろうか。
 こうした徐さんのような立場から知念ウシさんの議論をどうとらえていくのか、ということはわたしなどの想像の埒外にあったことで不明にして気づかないできたが、〈自然的日本人〉という無媒介的な自己存在を超えた想像力の獲得がこれからは必要なのだと悟らされた会でもあったのである。その意味で日本語のなかにも深いところでの〈ことばをめぐる闘争〉が厳然として存在し、そのことにこれからは無知、無自覚ではいられないことになった。〈シランフーナー(知らんふり)の暴力〉とはその意味でも言い得て妙であることばだと再認識したしだいである。(2013/11/17-18)

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