37 青年劇場公演「臨界幻想2011」の迫力

| トラックバック(0)
 新宿紀伊國屋サザンシアターで青年劇場公演「臨界幻想2011」(ふじたあさや作・演出)を見た。坂手洋二戯曲『普天間』の刊行を機に関係が深まりつつある劇団の招待もあって、この30年前にいちど上演された戯曲の再演(というか再構成)を見せてもらうことになった。初演は1981年で、わたしもかかわりの深かった千田是也さんの演出。
 この戯曲は2011年3月11日の福島原発事故を受けて、かつてチェルノブイリ原発事故を契機として公演された戯曲にその後の情報をくわえて提出されたもので、原発の被曝労働の実態を暴き、利権に踊らされ地域ぐるみで原発誘致に狂奔する自治体やそれを操る政府(当時は自民党)の定見のなさ、悪どさを今回の福島の事故と重ねあわせることで批判する大変な力作だと思う。今回の事故を起こるべくして起こった事故として、ずさんな管理、下請け・孫請け労働者の被曝を前提とした虚構の安全神話などが舞台上でつぎつぎと暴露されていく。なかでも印象に残ったのは敦賀原発を導入した当時の敦賀市長が他の導入予定地の自治体幹部を前に演説したという、原発がいかにもうかるかをあからさまにぶち上げた利権まみれの自治体政治の醜さは、それを聞いていたひとたちの爆笑と大拍手によって増殖され、あたかもナチス・ドイツの悪魔的なプロパガンダを連想させた。そこで市長は50年後、100年後の子どもたちが全部「片輪」になろうと、いまを大もうけしていければいいじゃないか、とまで言い放っていたのだ。この荒廃の極致が当時の原発導入の自治体がかかえていた真相だったのであり、いまも基本的に変わらない「原発村」の実態なのだ。
 いま、原発事故をめぐる原発企業から政府、自治体とその推進派(警察や学校までふくむ)によるあきれるほどのこうした犯罪的実態がどんどん明らかにされているなかで、この戯曲はある被曝死事件の真相をひとつの家族を中心とする物語のなかでいきいきと視覚化してみせた。主演の農婦をつとめた藤木久美子は、息子を理不尽な被曝労働で失った母の苦しみと、あくまでも放射能による死を隠蔽しようとする東電(戯曲のうえでは「日電」)と裏金でカルテを偽造する町立医院の医師などへのじりじりこみ上げてくる怒りを最後に一気に爆発させる力演で、圧倒的な存在感と演劇的カタルシスをステージにもたらしていた。
 ひさしぶりに演劇の迫力を感じさせてくれたこの公演は初日18日朝のNHKテレビでも紹介されたが、27日までつづくので原発問題に関心のあるひとにはぜひ見てほしい問題作だと思う。(2012/5/19)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.miraisha.co.jp/mt/mt-tb.cgi/365

未来の窓 1997-2011

最近のブログ記事 購読する このブログを購読