29 マスコミの「良識」という幻想

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 昨年3月の福島原発事故以来、沖縄・普天間基地移転問題についての扱いは民主党政権はじめマスコミにおいて明らかに小さくなった。在沖米軍による震災被災地への「トモダチ作戦」なる、「核汚染下を想定した安上がりな軍事訓練」(米軍高官)については感謝のキャンペーンを張る一方で、沖縄の怒りの声は無視されている。たまたま起こった「沖縄はゆすりの名人」発言のケヴィン・メア(米国務省東アジア・太平洋局日本部部長)や、「犯す前に犯しますよと言いますか」発言の田中聡(防衛省沖縄防衛局長)のような暴言はさすがにメディアも取り上げ、アメリカ政府と民主党政権もこいつらのクビを飛ばすぐらいの対応を強いられたが、所詮それらは沖縄をめぐる支配の言説の一端にすぎない。そもそもこういう言説を生み出す政治経済の構造を打開していかないかぎり、そうした悪質な言説はいくらでも再生産されるだけだろう。
 しかし、ここへきてアメリカ寄りの報道に終始してきた「朝日新聞」(だけではないが)でさえ、5月に「復帰」40年を迎える沖縄の問題を取り上げざるをえなくなってきたようだ。3月30日の「朝日新聞」朝刊では沖縄の写真家・大城弘明さんの写真を数枚1ページ大にわたって記事を掲載していた。しかしこれらの主要な写真を収録した大城さんの唯一の写真集『地図にない村』(未來社)については一言の言及もなかった。また、きょうの朝刊においても、25年まえの沖縄国体で日の丸を引きずり下ろして火をつけたという行為で知られる知花昌一さんを「ひと」欄で取り上げながら、その行為に強いインパクトを受けて写真集『日の丸を視る目』(これも未來社)の巻頭に知花さんを掲載した石川真生さんとその写真集についての言及もなかった。これらはいずれも写真集の写真にヒントを得て記事がつくられていったことは明白であるのに、あえてそうしたソースにあたる部分についてはいっさい無視している。これは「朝日新聞」が沖縄についての本質的な関心をもっているかのように見せたいポーズであって、沖縄の基地問題をはじめとする諸矛盾について鋭く問題提起をしている未來社の沖縄本については知られてほしくない、という姿勢を一貫してとっていることを示している。おそらくこれは記者レベルではなく、その上部レベルでそういう検閲が働いているにちがいない。
 あらためて言うまでもなくすでに「記者クラブ」問題で暴かれているように、「朝日新聞」幹部もまたこうしたアメリカからのさまざまな優遇措置や権益システムに毒されているからである。この問題についてはわたしも『出版文化再生――あらためて本の力を考える』収録の「マスメディアこそが問題である――沖縄米軍基地問題にかんして」(「未来」2010年6月号)ではっきり批判したことがあるから、脛に傷あるマスコミ人なら当然知っているだろう。
 いちいち挙げないが、ほかにもこうした検閲が働いていると考えるしかない例がいくつもあるので言っているまでで、なにか被害妄想じゃないのかと言いたいひともなかにはいるだろうが、そのひとはマスコミの「良識」という幻想にいまだにとらわれているにすぎない。この問題は今後も厳しく点検していくつもりである。(2012/4/6)

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未来の窓 1997-2011

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