90 那覇の熱気――シンポジウム『いま、なぜ、琉球共和社会憲法か』の提示する方向

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 報告するのがやや遅きに失した感があるが、逆に、その遅れがその後のさまざまな動きをあわせて報告する機会を作り出したと考えるならば、こうした「間合い」もときには有用であろうか。なにを隠そう、わたしがこれから整理しようとしている事態とは、この七月十二日に那覇でおこなわれた「いま、なぜ、琉球共和社会憲法か」というシンポジウムについてその類い稀なる充実の報告と、その後のさらなる展開のことである。もとよりこのシンポジウムはそのひと月まえに刊行された川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』(未來社刊)の刊行を記念し、そこで問われている沖縄の自立の問題をあらためて問い直そうとするものであった。
 何十年ぶりかの強大な破壊力を想定された台風何号だかをその日の午前中にやり過ごして、ほぼ定刻通りに羽田を飛び立ったわたしは前日に那覇入りをし、シンポジウムの主催者たちといつもの居酒屋で入念な「打合せ」をして、余裕をもって当日の会場(とまりん地下会議場)へとおもむいた。
 ゆったり座れば100人ぐらいは入る会場は思った以上に融通が利き、最終的には150人超の聴衆で埋まるほどの盛況であった。沖縄ではシンポジウムつづきでひとが集まらないのではという不安を吹き飛ばし、有力なひとたちが多くフロアに参集されたこともあって、議論は最初から白熱し、2時から6時までの予定が7時半まで、短い休憩をはさんでゆるみもなくおこなわれた。その内容は全部録音したが、これだけで一冊にしてもいいのではないかと思ったほど充実した内容だったと言っていい。ジュンク堂那覇店の細井店長みずから出張販売に協力してくれたこともたいへんありがたかった。販売結果は39冊とまずまず。終了後、場所を変えてさらに出版祝いと懇親会をかねて11時まで熱いメッセージの交換がおこなわれたことも付言しておきたい。
 さて、仲里効氏の巧みな司会進行によって、シンポジウムはまず元沖縄県知事・大田昌秀氏の開会挨拶「沖縄へのメッセージ」で開始された。それは通り一遍の挨拶に終わらずに、かつて少年兵として沖縄戦に半ズボンのまま狩り出された経験をもつ人間として、また県知事として日米歴代政府首脳と沖縄の米軍基地返還をめぐってさまざまに交渉した経験をふまえて、現在の安倍政権がいかにヤマトと沖縄の人間にウソをつき見えすいた隠蔽工作をしながらみずからの軍国主義への野心をむきだしにしてきているか、ということをさまざまな事実を暴露しながら述べて、琉球社会がいかに日本国憲法から切り離されてきたか、にもかかわらずこの平和憲法をいかに必要としているかを明らかにした。辺野古への基地移設がどれだけ日本の税金を必要としているか、その維持費も現在の70倍になること、建設費用もその時間も日本政府が言っているのは真っ赤なウソであってはるかに時間も費用もかかること、いちど建設されてしまえば200年は基地を返還させることはむずかしいこと、現在の基地の分散状態を集中させることによって米軍の攻撃力を飛躍的に増強できること、などがつぎつぎと明らかにされた。これはマスコミの黙殺もふくめて「本土」ではほとんど知らされていないことであり、この内容はヤマトの人間にも広く知られる必要があると思った。さいわいこの講演はテープ起こしした原稿に手を入れて「未来」9月号に掲載させてもらうことになった。ありがたいことである。
 つづいて沖縄を代表する論客3人による『琉球共和社会憲法の潜勢力』へのコメント的報告がおこなわれた。主として川満信一氏の「琉球共和社会憲法C私(試)案」にたいする賛否こもごもの意見であった。地元の「沖縄タイムス」と「琉球新報」の元論説委員が登壇することによって沖縄新聞界の関心の高さが証明されたわけだが、中央のマスコミ界からは「偏向新聞」と呼ばれていることも明らかにされた。今後の沖縄2紙にたいする安倍政権側からの特定秘密保護法などを利用した圧迫も想定しうるが、ぜひその反骨精神を守り抜いてもらいたい。そして提案にもあったように、川満憲法私案を受けてさらにより現実的な「中間マニフェスト」の草案づくりを急いでもらいたい。
 そうしたなかでもわたしにとって大発見だったのは、すでに仲里効氏からも示唆されていたことだが、川満憲法私案と同時に「新沖縄文学」に掲載された「琉球共和国憲法F私(試)案」の起草者でもあり、一九七二年の「祖国復帰」への痛烈な批判を展開した反復帰論の論客でもあったコメンテーター仲宗根勇氏の批判的舌鋒の鋭さであった。反復帰論の論客としての言説活動のあと、裁判官として長期に及ぶ沈黙を余儀なくされたあと、退官して発言の自由を再獲得した矢先だっただけに、往年の批判精神をひさしぶりに爆発させた感があった。若いひとにはともかく、年配のひとにとって仲宗根勇のその名前の通りの勇名は知れ渡っていたらしく、仲里流に言えば、仲宗根勇が来るというだけでひとを集められるというほどの注目株なのであった。それで会が盛況だったのかどうかはともかく、その発言には慣れない者には最初はどこまで本気なのかと思わされるぐらいの迫力があった。知るひとにとっては仲宗根勇健在なりを知らしめるものであったにちがいない。川満信一氏の飄々とした詩人ならではの洒脱さにくらべると、強固な論理で徹底して押しまくる剛毅のひとという印象であった。
 懇親会の席でさっそく仲宗根勇氏に企画の申し入れをして快諾してもらい、とりあえず1980年代前半の論考がひと束送り届けられたのは東京に戻って2日後であった。さっそく読ませてもらい、その言説のいまだに古びない先見の明と論理性、剛直な論旨にあらためて感心すると同時に、いまの視点でこの30年に及ぶ沈黙の期間の諸問題や、憲法学者としての立場から安倍首相の解釈改憲の危険性、暴力性、非合理性をふくめて、いまの問題を総合的に論じてもらいたいということで、書き下ろしをお願いしている。すでにすごい勢いで書きはじめられていることは、とりあえずの分を送ってもらっているのでわかっている。11月の沖縄県知事選をまえに、沖縄をこれ以上悲惨な状況に追い込まないための理論武装のためにも緊急出版を予定している。おもしろいことに、わたしの「日録」での記事をさっそく見つけてこの企画について問い合わせてきた富山の「生・労働・運動ネット」というグループの運動家が、仲宗根勇さんの書いたものに関心をもっていることを伝えてきたりしている。
 シンポジウムの第二部は、冒頭にわたしの『琉球共和社会憲法の潜勢力』出版のいきさつについてのスピーチが要請され、出版についてのわたしの思いをのべさせてもらったところ、なんと4日後の「沖縄タイムス」紙の「魚眼レンズ」というコラムで写真入りで紹介されてしまった。「出版人として社会に対する批判的視点の強い本を一冊でも多く出したい」という決意を述べたことが紹介された。これもありがたいことである。
 その後は『琉球共和社会憲法の潜勢力』の執筆者4人(大田静男、高良勉、山城博治、丸川哲史の各氏)による報告があり、時間の制約のなかでそれぞれの視点から川満憲法私案の可能性と拡張性について述べられ、興味深い問題の指摘などもあったが、できれば本でそれらの見解にあたってもらいたい。
 今回のようにこれほど稔りの多い沖縄行きはなかったかもしれない。沖縄での熱い議論と熱気を持ち帰ると、ヤマトの、東京のひとたちの覇気のなさ、我れ関せずの沈滞ぶりに愕然とする。ここはあきらめずに、問題意識をもった数少ないひとたちと粘り強く闘争をつづけていくしかないと気合いを入れ直しているところである。(2014/7/31)

(この文章はすこし短縮して「未来」2014年9月号に連載「出版文化再生17」としても掲載します)

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