80 絶対平和主義の社会構想 ――「琉球共和社会憲法私案」をいま問い直す必要

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 前回のこのコラムで昨年末の東京外国語大学でのイベントについて触れたが、その二次会で沖縄の批評家仲里効さん、詩人の川満信一さんと、以前からあたためていた企画が再燃した。外大イベントのさいに配布された資料にもなぜか掲載されていた、一九八一年の「新沖縄文学」誌上で川満さんが提案した記念碑的な「琉球共和社会憲法C私(試)案」を軸に、その憲法プランの思想的射程を検証しようという企画だ。
 二、三年前に那覇の居酒屋で三人で企画会議をしたことがあって、仲里さんから提案された企画だったが、川満さんは「いまさら、あんなもの」といったていで、あまり乗り気ではなかった(ように見えた)。川満さん流の照れもあったのかもしれないといまになって思うが、このたびは時代状況もずいぶん変わってきており、特定秘密保護法案の国会強行採決や安倍首相の突然の靖国参拝、仲井眞県知事による裏切りというしかない辺野古への移転承認などいまの自民党の強権政治にたいして、もうやっていられない、といった雰囲気が沖縄でも高まってきている。昨年十月には「琉球民族独立総合研究学会」が創設され、独立問題をめぐって本格的な取組みも始まった。この一月には石破自民党幹事長が五〇〇億円の自派用支援金をちらつかせて辺野古をかかえる名護市の市長選に介入しようとしたが、名護市民の抵抗力の前に自民党はみじめに敗北した。四年前の名護市長選においても当時の民主党政権が内閣官房費を使って当時反対派だった自民党に金を流して移転反対派の稲嶺候補を陥落させようとしたが、僅差ではたせなかったことが問題になった。以前ならばこうした策動によって有利なはずの選挙も逆転されてしまうのが沖縄では常だったらしいが、そのときあたりから形勢がはっきり変わってきたようだ。今度の名護市長選では現職の稲嶺進氏が一九〇〇〇票、辺野古移転容認派の自民党推薦候補が一五〇〇〇票と前回より差が開いた。五〇〇億円のエサに飛びつこうとしなかった名護市民は確実に自民党的金権政治にたいして自分たちの生活権を選んだと言えるだろう。
 ところがこうした惨敗にもかかわらず、安倍首相は、ダブルスコアの敗戦を覚悟していたのに予想以上の善戦をしたという理由だけで、名護にも一定の支持者がいることに確信をもったと強弁する始末。まことに黒を白と言いくるめる自分勝手な解釈である。いまのところ自民党が優位に立っている議会だって、小選挙区制に依拠する小差勝ちを積み重ねた結果の圧勝にもとづくだけであって、国民の支持率は過半数にも満たない。同じ理屈を言うなら選挙に勝ったからといって相当な反対派がいることを認識しなければならないはずである。戦前の軍国日本のような体制を夢見る長州藩出自のDNAをもつ安倍は、この議会多数派の力学を利用して憲法第九条を廃棄するべく段階を追ってなし崩しに「自衛」という名の軍国化への道を固めようとしている。まずそのまえに憲法改正のための国民投票にもっていくために、国会での三分の二以上の賛成が必要という憲法第九六条を賛成半数以上ですむようにと画策している。また特定秘密保護法案は戦前の治安維持法の再現をめざしたものであり、この道程の第一歩にすぎない。このままでは内閣批判などもその取締り対象のひとつになって、国民はなにも批判できなくなっていくのは目に見えている。
 こうした安倍政権の野望をどうしたらいまのうちに粉砕することができるのか。残念ながら対抗しうる野党の不在がこうした一党独裁のやりたい放題、言いたい放題を助長しているのは認めざるをえないが、とにかく可能なところから反撃していかなければならない。そのひとつの可能性が三三年まえに発表されたこの「琉球共和社会憲法私案」を再検討することなのである。カントの永遠平和論にも通ずる驚くべきユートピア的、絶対平和主義的な憲法私案が現実的な実現可能性に乏しい側面があるにしても、その究極の理念までも疑ってはならない。
 以下にその全五六条から成る憲法条項の際立ったポイントだけでも確認しておこう。その「前文」にはまずこうある。
《九死に一生を得て廃墟に立ったとき、われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが、米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け、そして、ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦、非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と、それを遵守する国民に連帯を求め、最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。/好戦国日本よ、好戦的日本国民者と権力者共よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。》
 ここにはすでに今日の沖縄の現状にそっくりそのまま通底する認識があることがすぐにも見てとれるだろう。一九七二年の「日本復帰」後十年足らずで書かれたこの「反復帰論」の論客の眼差しは、日本という幻想にからめとられることなく、今日の沖縄の姿を見抜いていたかのようでさえある。
 その第一条には「人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する」とあり、第二条には「軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつくらない」とある。また第十三条には不戦条項として「武力その他の手段をもって侵略行為がなされた場合でも、武力をもって対抗し、解決をはかってはならない」とある。こうした絶対平和理念を凡庸な権力主義者は嘲笑しようとするだろうが、武力抗争とは武力で対抗しようとするかぎり終りなき抗争にほかならないことが好戦主義者には見えていないだけなのである。沖縄が軍事的要衝であるよりも東アジアにおける絶対平和の要石になるための社会構想がここでは切実に問われているのである。

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