65 書店人の本を売ることの現場感覚

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「新文化」4月11日号の「本を手渡す人」というコラムで熊本の長崎書店長崎健一社長がいいことを書いている。
《私は毎日閉店後に、その日の売上げスリップを売れた時間順に並べていきます。そのなかで、「これは!」とスタッフが目をつけ、挑戦して仕入れた本のスリップを手にした時の喜びは、何物にも替えがたい。ひときわ光り輝いて見えるそれらのスリップは、勇気と自信、そして明日への意欲を与えてくれています》と。
 このひとについてはこのコラムの「最近の『人文会ニュース』がおもしろい」(2013/1/22)でも触れたことがあったが、売上げスリップが光り輝いて見えるという思いの強さは最近ではみられなくなった問題だと思う。
 かつてリブロ池袋店の今泉正光店長は、一日の仕事の総括として売上げスリップをかならず全部みるという作業をしていると話していたことがある。かれが注目するのは、大書店ならば一日でも相当数にのぼるベストセラーのスリップではなく、1枚か2枚程度にすぎなくても自分で注目して仕入れた本が売れていく姿だったと思う。そういう本にこそ書店人としての発見と喜びがあるというわけで、長崎社長は若いひとにもかかわらず、そういう書店人の〈原点〉としての書物への愛、発見と喜びをスリップ1枚のなかに見出しているのである。
 わたしなどもかつては取次の集品が毎朝届けてくれる注文伝票の束を一枚一枚確認していくのを日課のひとつにしていたことがある。いまは出版VANなどで細かい売上げ情報がまとめられてしまったために、どこの書店がどういう本を売ってくれているのか(常備カードというものがあり、売れた日付がスタンプされていたりしたものだ)、どんなひとがどんな書店でどんな本を注文してくれたのか(たまに名前を知っている著者などの記載があった)などという生きた情報を知る機会がなくなってしまい、本作りのリアリティの一部が失なわれてしまったことを残念に思っている。せめて毎日の売上げ伝票のチェックを怠らないようにしているのが精一杯で、それも出荷倉庫が離れてしまったために後日まとめて見るという状況になっている。そうしたすべてにわたって作った本が売れていく現場感覚が薄れていっているのであり、いまの若い編集者などは最初からそうした手応えを知ることもなく日々を過ごしていることになる。この現場感覚の喪失というよりもともとの不在は恐ろしいことだと思う。
 そういうわけだから、いまのように、すべて数値化されてしまう売上げ情報のなかで、現物を見ないで売り方を考えているだけのデジタル主義者にはわからなくなってしまった書物の物質的存在感、売上げ情報の手触り感を大事にしてくれる書店人がここにいることを心強く思うのである。(2013/4/18)

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