II-14 『聞け!オキナワの声』をめぐる奇々怪々な販売協力拒否発言問題にかんする中間総括

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 きょう(9月12日)の新聞報道によれば、安倍強権政府は、9日まで一か月休戦していた沖縄県名護市辺野古での基地移設作業をついに再開した。これにたいして翁長県知事は週明けにも辺野古の埋立て承認取消しに向けた手続きを開始することになった。予想された全面対決の事態だが、安倍晋三という戦後最悪最低の首相は、沖縄県民の基地移設反対の圧倒的な民意を踏みにじり、日本国憲法によって保障された「表現・思想の自由」としての基地ゲート前での抗議行動にたいしてもいっそう凶悪な牙をむいてくるのではないかと懸念される。もしそんな事態になれば、県民は断固として反撃するだろうし、安倍によって内乱=内戦状態が引き起こされることになろう。いまの安倍がやろうとしているのは、そういった憲法無視の独裁による戦争国家化の先取りされた国内実践予行演習版にほかならない。
 すでに本ブログの「II-12 いまや内乱状態の憲法危機――仲宗根勇『聞け!オキナワの声』の緊急出版の意義」で述べたように、この安倍政権の「憲法クーデター」による悪質な憲法改悪の狙いは、まず安保法制なる戦争国家法案化を突破口とすることであり、その端的な具体的実現の第一歩である辺野古基地移設強行工事再開がセットになっている。アメリカ政府への手みやげとして空威張りしてきた安保法制の立法化は、安倍自身にとってもみずからの政権護持の試金石となるから、なにがなんでも法制化の強行採決と辺野古の工事強行再開にはその政治生命がかかっているのである。本来なら東条英機とともにA級戦犯として絞首刑になるべきだった岸信介の孫として日本の政治になどかかわる資格のない超右翼が、この国を内乱=内戦状態に陥れようとしているのである。
 こうしたタイミングで元熱血裁判官の仲宗根勇氏の新刊『聞け!オキナワの声――闘争現場に立つ元裁判官が辺野古新基地と憲法クーデターを斬る』がこの14日に刊行される。辺野古の基地ゲート前での憲法論にもとづく安倍政権批判演説32本と戦争法案にかんする講演3本を起こして緊急出版されるこの本は、専門家として安倍自民党の憲法改悪の本質を鋭く暴き、現場の警察機動隊や海上保安官による憲法違反の暴力行為を現行の警察法や海上保安庁法にもとづいて断罪する法的正当性をもち、一方で現場で抗議するひとびとの闘争に強力な理論的根拠と勇気を与えているという意味で、まさにいまもっとも必要かつ影響力の大きい、待ちに待たれた本なのである。
 この本の刊行自体がひとつの社会的事件であると考えるのは、そうした本の力が社会的政治的意味でただちにひとびとの辺野古基地移設反対のための理論闘争の役に立ち、人びとの実践的行動を鼓舞する力になるからである。
 ところが、こうした本にたいしてここにきわめて奇々怪々な対応が現われた。これも「もうひとつの沖縄差別」であり、その裏にはなにかしら権力のキナくさい圧力を感じさせるだけに、放っておけない問題である。この件についてはすでに断片的に公表し、そのことによって引き起こされたその後の問題について、ここではその経緯を明らかにし、中間総括をしておかなければならない。
『聞け!オキナワの声』は既述したように、七月から八月にかけて音源からの原稿起こしにはじまる突貫作業によってなんとか九月刊行のメドがたち、本の概要(ページ数、予価など)が見えてきたところで8月25日にようやく書店用新刊案内の原稿を作成し、いそぎ新刊案内を作って各書店および各取次にFAXで告知した。刊行が迫っており、なるべく早めの注文をお願いしたのはそういう事情があった。とくに沖縄の書店・取次には期待するものがあったのは当然である。そういうなかで、8月27日に、以前から親しくしているうえに販売協力に積極的なジュンク堂那覇店にはわたしみずから店長に電話をかけ、刊行の予定と内容を知らせたところ、店長は本の意義と売れ行き判断から即座に120部の注文をしてくれた。時間の問題もあるのでこの分はお店に直送することにした。沖縄には通常は船便で配送されるので、ヤマトの書店とくらべて一週間以上の遅れが出ることをこれまでの経験から知っていたからである。事態の急迫にあわせて作った本を一刻も早く沖縄に届けたいという一心から特別サービスとして直送するという判断なのである。
 その注文に力を得て、これもこれまで親しくしている担当者のいるトーハン沖縄営業所に電話をかけたところ、その担当者が不在だったために代わりに電話に出たひとにこの本の意義とジュンク堂那覇店での初回配本部数を知らせ、もし営業所で部数を集められたら、ジュンク堂那覇店の分とあわせてこちらから直送する便宜を伝えておいた。沖縄ではトーハンのシェアが一番大きいし、同じトーハンの書店同士で売行きの見込める新刊入荷に差が生ずるのは不公平になると判断したからでもあった。
 ところが、翌28日の午前中にトーハン沖縄営業所長から未來社営業部長あてにメールが入り、この本は「一般的でない」ので販売協力はできない、今回は書店への販促は見送らせてくれ、という文面があり、わたしは自分の目を疑った。緊迫状況にあるいまの沖縄、辺野古情勢においてこれほどタイムリーで、ひとびとが読みたいと思ってくれるはずの本を、簡単な内容紹介を見ただけで一営業所長レベルの人間が「一般的でない」と判断し、なおかつメールとはいえ、証拠を残すかたちで、取次のひとつの業務である「販売協力」をはっきりと拒否してくるというのは、異例中の異例である。たしかに未來社は注文制(買切制)であり、特別な「販売協力」をお願いしたわけではないし、たいして期待もしていない。だから協力というのは書店から自主的に上がってくる注文部数を刊行日までにとりまとめ、こちらに連絡することぐらいでしかないのである。それをどう勘違いしたのか、一方的に「一般的でない」から協力しないとわざわざ言ってきたのである。
 わたしがただちにトーハン沖縄営業所の旧知の担当者に連絡をし、真意を確かめようとしていたところ、状況を察知したらしい柴田篤弘長が電話を代わって出てきたので、それならということで、どういうわけでこれほどの本が「一般的でない」という判断をしたのかその根拠を質したところ、「わたしが一般的でないと判断したからだ」と言い張るのみで(そのことをくりかえし3回も言った)いっこうに答えにならない。どういうことかとさらに聞いたら、「自分のところはジュンク堂ばかりとつきあっているのではなくて、一般の書店も多くあり、そういう店で一般のひとが読めるようなものではない」とまったく無意味なことを言いつのるばかりである。一般的でない本とは、一般のひとが読めないような本を言うことはあたりまえだから、トートロジーでしかない。こんな認識のひとが営業所長でいいのだろうか。確認のため、この本の拡販にはいっさい協力しないということですね、と聞いたところ、しません、とはっきり答える始末。いくら言ってもラチがあかないので、こういうことはわたしは言説の人間として公表してもいいかと確認したところ、平然と「どうぞ」と言うので、とりあえずツイッター、フェイスブック、ブログ等でこの異常事態をオープンにしたのである。
 このいずれかを読んだひとが知り合いの著者を通じてどういうことかと問合せをしてきたところから問題が大きくなった。事実を知った「沖縄タイムス」と「琉球新報」があいついで取材してくることになり、この営業所長にも取材が入った。新報はトーハン本社(広報課)にまで取材しているが、本社ではすでに状況は把握しており、上層部で大問題になっているということだった。あとで仕入担当者から聞いた話では、この件は「社長預かり事案」になっているという。トーハンの社員がわたしのブログを見て役員に報告したらしいことと、どうもこの営業所長も報告しているらしい。ただし、この所長は自分に不都合なことはいっさい報告していないようだ。トーハンの仕入担当者から沖縄営業所ではするべき仕事はちゃんとやっているので、そのことをわたしに伝えてくれと未來社営業部長を通じて言ってきたが、トーハン側からは当事者のわたしにたいしてなにひとつ問合せもせず、身内の沖縄営業所長の報告だけを信じこんでいるようである。
 そうした非協力的な事実の一例を挙げよう。それまでなぜかトーハン系の書店から(わたしが注文を直接もらったジュンク堂那覇店以外は)まったく注文が入ってこないのが不思議だったのが、9月4日になってようやく最初のFAX注文が入った。そのFAXの日付を見ると、トーハン沖縄営業所から送られた受注用FAXの時間がなんと9月2日の20時33分。じつはその日は沖縄タイムスの記者が夕方に所長に取材に行った日である。わたしが電話を入れて抗議してから5日後で、その間、所長は「販売協力」を拒否していたことになる。取材を受けて、事の重大さにようやく気がついた所長がその晩になって(所員が退社したあと)本社への言い訳のためにあわてて書店へのFAXを送ったことは明らかである。あとで当人に確認したところ、そのことは自分はやっていないし、指示もしていない、誰がやったかもわからないと明言していたが、事がこんなに大きくなってからほかの所員が所長への断わりなしでこんなことができるはずがないのは火を見るより明らかなことである。「一般的でない」などとは言っていないと取材にも答えたりしているらしく、しかも西谷に「恫喝」されたとまで言っているそうだ。
 わたしが問題だと確信しているのは、よほどのことがないかぎり、一営業所長が断言するには、あまりに大胆すぎること、不遜すぎることであり、その裏にはこうした発言を促す圧力があったからではないか、ということである。こうした一営業所長レベルの人間の「失言」にしては、この一件がふつうでは考えられない本社の「社長預かり事案」になっており、「琉球新報」の取材にたいして見解を公式発表することなっていたにもかかわらず、それがいまだなされていないことも疑問である。以前にトーハンをふくむ取次各社が鹿砦社のある原発批判本にたいして委託配本拒否という問題を引き起こしており、その理由として個人情報が本に記載されていたからという些細な理由をあげているが、今回は安倍晋三そのものを憲法論の立場から徹底的に批判している本だけに、そういう圧力がどこかから(言うまでもなく安倍政権から)かかっていたとしてもなんら不思議はない。いまの安倍政権ならメディア介入の一環として出版の自由の蹂躙ぐらいならいくらでもやりかねない疑いをもつからである。
 わたしはなにもひとりの地方営業所長の妄言をやり玉にあげるためにこんなことを書いているのではない。こういう本の出現をよく思わない権力に迎合した人間が取次のなかにいるのではないか、と危惧しているだけである。長年の取引先であるトーハンがまさかそんなことはしていないと思うが、もし原発批判本にたいする委託配本拒否と同じようなことがこの本にもなされようとしたのだとしたら、これは独占禁止法上の「優越的地位の濫用」にほかならないからである。
 さらに気になるのは、9月7日になって本社からの指示ということで柴田所長がわたしに電話をかけてきたのだが、自分の発言にも問題があったかもしれないがこちらの誤解もある、と言ってきたので、わたしは「あなたの『一般的でない』発言がまったく問題にならない理由にもとづいていることにたいして正しく理解している」ことをはっきり伝え、もしお詫びをしたいというならしかるべく納得できるような文書を提出することを求めたところ、上司に相談する、との返事であった。その後また連絡があり、その結果、「文書を出す必要はない」と言われたとのこと、その発言はトーハンの公式発言として考えていいのかと質したところ「そうだ」との返事。この件が「社長預かり事案」になっている以上、この判断は社長判断ということになる。所長にお詫び電話をさせることで、事をなし崩しに終わらせようとしたと解釈するしかない。
 未來社の社長ごときならこれぐらいでたくさんだとでも思っているのだろうか。いずれ責任者のきちんとした考えを聞く必要があるだろう。(2015/9/12-13)

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