II-22 ある編集者の一日

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 ひと(他人)の書いたものをメールで受け取り、テキスト編集しながら通読し、行数やページ数を数えたりしては印刷し、電話やFAXで校正を送ったり受け取ったり、これが日々繰り返される。そこに装幀者やデザイナーとの確認、打合せ、催促、また確認、データの受取り、そしてまた確認。こうして毎日が始まり終わる。これがある編集者の一日であり一生つづくかと思われる毎日である。
 編集者とは何だろうか。御用聞きなのか、お産婆役なのか、誰も読まない本をせっせと世に送り出している奇特なクリエーターなのか。こんなに本が売れなくなった時代にも著者と編集者、その予備軍はいっこうに減りそうもない。研究しても創造しても本を出すことがますますむずかしくなっているのに。
 今回は、たとえばきょうという特定の一日を編集という側面に限って反省的にドキュメントしてみるということを思いついた。いよいよアイツも言うべきことがなくなってここまできたか、という声がさっそく聞こえてきそうだが、それも事実だからいっこうにかまわない。そろそろ矛先を収めて自分のやりたいことに専念することにしようかと思っているところだからである。
 そんな気分のなかでこの文章を書いているわけだが、じつはきょうあたりをピークとしてここ何日か「季刊 未来」秋号の編集に追われているからで、その間隙をぬってこの[出版文化再生]コラムの文章も書かなければいけないのである。自分のノルマも果たしていないのにひと(他人)の原稿を追い追われるこの怒濤の時間――「僕って何」(三田誠広)というわけだ。
 ――S氏から論集収録用原稿の見直し分もどる。こちらの校正の指摘にたいしてご不満のお手紙付き。これまで他社では注文をつけられなかったらしい。読みやすさと正確な表記をお願いしたところ編集者の越権行為で不遜な振舞いとされてしまった。ときどき自分の原稿の「完全さ」にケチをつけられたと思うひとがいる。未來社では遠慮なく指摘させてもらう方針なので、こういうひとにあたった場合は運が悪いと思うことですましておく。算用数字の漢数字化などの不備にたいしてはこちらの一括処理を任される。プロとして完璧を期せ、と。こちらは秀丸マクロがあるので、お任せあれ。
 ――同じ論集に収録予定の中国人研究者S氏からは収録依頼状への返信メールも届く。快諾。連絡先不明でようやく連絡ができたので、この原稿も読まなければならない。
 ――もうひとりのSさんから「季刊 未来」連載のゲラの件で初校一〇ページの再修正を速達で送ったとの電話。こちらの勘違いで半ページほど削除を依頼していたところ逆に半ページほど不足だったことがわかり、削除部分の復元もふくめて初校校正のし直しを前日頼んでいたもの。メールアドレスを変更したらしくプロバイダが不親切でメール送信がまだできないらしい。
 ――同じく「季刊 未来」連載のFさんよりメールで原稿とどく。テキスト処理+通読+ファイル修正して印刷。六ページのところ一八行パンク。Fさんに電話してPDFをメール送信。Fさんから電話で、あす午前中に校正をすませると連絡あり。
 ――進行中の本の編著者Aさんよりメールで初版部数などを聞いてくる。電話を入れてその返事。略歴に表記する追加事項を説明。付きものをめぐっていろいろ意見と注文があり、かなり大変。その間にデザイナーと電話でカバー、オビ、表紙などの修正点、意見交換、スケジュール調整などをしたうえで、メールにて付きものの仕様とどく。仕様の確認、表紙の指定を依頼し、印刷所にも電話で束見本に使った用紙を確認する。この間なんども電話とメールの交換。その間にもAさんからメールであれこれ修正点や意見などあり、頭がぐちゃぐちゃになりながらも、なんとか本文と付きもののPDF入稿のメドがつく。あさって入稿してくれれば十二日に色校出校、十五日に印刷、二十五日に見本という予定は前日、印刷所と確認してある。
 ――「季刊 未来」秋号のGさんの連載の初校一〇ページ、出校。確認してとくに問題なし。控えゲラをGさんに送付。Gさんの原稿は精度が高く量も計算通り、ルビ指定などもわかるようにしてくれているので、もっとも安心していられる模範的な執筆者である。もちろん内容もいつも切れ味がいい。若いときからわたしの文章上の指南役である。
 ――Kさんからきのうメールで届いた「季刊 未来」秋号の連載原稿の追加分を取り出し、テキスト処理して追加。挿入された部分以降をKさん宅にFAX。メールで七ページ分の残りの使える行数を連絡。長い長いつきあいだが、原稿はけっこう手がかかる。理系なのにテキスト処理系はあまり得意でない。もっとも理論的理系は工学的理系とちがってコンピュータに強いとは限らないというのが当人の説であるが。今回はたまたま見つけた古い詩を関連する箇所に追加挿入するということになり顰蹙覚悟のうえとか。わたしの今回の文章もそれに倣ったもので顰蹙覚悟ものであるかもしれない。
 そんなわけでほんとうは毎日のように原稿を読みテキスト処理をして準備を進めておかなければならない加藤尚武著作集全一五巻の仮ゲラ作りの仕事もここ二日はまったくストップ状態である。この十一月からスタートしたいこの著作集は各巻四〇〇~四八〇ページぐらいになりそうで隔月刊。総ページ六五〇〇ページ以上となると、相当なストックを作っておかないと追いつかれてしまう。いまのところ一〇〇〇ページに届いたかどうか。プレッシャーがかかりっぱなしの日々なのだが、/7こんな一日一日を過ごしている「僕って何」をはたから見たら「このひと、何」となるんだろう。(2017/9/7)

 *この文章は「未来」2017年秋号に連載「出版文化再生30」としても掲載の予定です。


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