II-1:新しい哲学というワザを見出すこと

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 きのう(1月24日)の午後から夜にかけては稀代の哲学パフォーマーである小林康夫さんの会につきあって、なかなか充実した時間を過ごした。この会は小林さんの東大退官にあたっての最初のイヴェントとして企画されたもので、小林さんが10年以上にわたって拠点リーダーをつとめてきたUTCP(The University of Tokyo Center of Philosophy)のシンポジウム「新たな普遍性をもとめて――小林康夫との対話」で4部構成、発表者とコメンテーター計14名と小林さんとの対話という形式で午後1時から7時半まで延々とおこなわれた。小林さんがはじめにクギを刺したように、これは学会発表的なものであってはならず、あらかじめ小林さんが設定しておいた質問――(超)実存とは可能か、資本主義の未来、など――への個人の心底からの回答が求められるというもので、多少のバラツキはあるものの、おおむね創意に富んだものであったと言ってよいだろう。
 第一部冒頭で、いまや売れっ子となった国分功一郎は、人間の存在それ自体がもつ本源的な〈傷〉をどう抱えていくのか、というところでルソーの本性的自然人と別のかたちで生きなければならない現代的人間がかかえこまざるをえないfate=運命という観点をもちだし、尖端的医学の知見を応用して「当事者問題」を対他的に開いていくことで〈傷〉の治癒が実現されつつあるという論点を示した。これにはいろいろ異論や疑問も提出されたが、小林さんの実存への再検討という設問へのずらしの効いた回答になっていたように思った。
 また、ブルガリア出身の日本文学者、デンニッツァ・ガブラコヴァさんの「humanitasとantropos」という発表や、それにたいする中国出身の思想研究者、王前さんのコメントに見られたように、西欧近代の人間概念をそろそろ東アジア的視点で読み替えていく(脱構築していく)必要性=必然性が語られた。小林さんが言うように、こうした西欧の周辺地域や非西欧の知識人たちをも抱え込んで活動してきたところにUTCPという組織の独自性があるのだが、今回のシンポジウムはそうした人材の豊富さ、多彩さを開陳するものともなった。
 こういう人材を育ててきたUTCPという場は、今回のシンポジウムを開催することでそうした人材の成長を証明する場にもなったということで小林さんはとても満足していることをわたしにもらしたが、それは本音であったと思う。とにかくUTCPはたしかに有能な人材を輩出していくことで、この停滞する世界にさまざまな知のモデルを提供してきているが、小林さんという強力なコーディネーター抜きで今後もそうした課題を克服していくのは大変だろう。
 最後に小林さんは、いまの哲学雑誌などにほんとうの哲学は存在しないと断言し、これからの哲学は閉塞した現実にたいしていかにして風穴をあけ展望する視点を見出せるかというスタイルとワザが必要なのであると力強く締めくくった。世界にたいして日本から発信する哲学を、と。小林さんもふくめて、これからのひとたちにぜひそうした展開を期待したい。(2015.1.25)
 

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未来の窓 1997-2011

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