2014年4月アーカイブ

 現在の安倍強権政治の破壊的政治運営が日本国民を破滅の道へ連れ込もうとしていることはこれまでにも何度も言及してきたが、そうした全般的なテロル政治が科学技術や学問のありかたにまで及んできている危機的状況をあらためて教えてくれる本が刊行された。この3月に作品社から刊行された佐々木力『東京大学学問論――《学道の劣化》』がそれである。
 国立大学の独立行政法人化が実施されたのは自民党小泉純一郎政権下の2004年だった。当時、国立大学教員を除いては、この独法化がほんとうは何をねらっていたのか、一般国民はおろか、直接的な利害関係の薄い私立大学教員などにおいてさえも、関心が薄かった記憶がある。国立大学教官の特権的身分の危機というふうに一般に受け止められていたフシがあって、国民的危機意識は低かった。わたし自身にも心当たりがあるのでえらそうなことは言えないが、しかしすでにこのあたりから日本の学問を担うべき大学が国家の一元管理のもとに、学問の自由と自治が奪われ始めていたのである。学問の自由が支配的な経済論理、政治論理によって底を割られ、国家の政策に従属しないか、経済的効率性にあわない科学や学問は廃棄、解体の方向に追い込まれてきたのである。いわば国策としての学問管理のもとに、それに批判的だったり反対する者は容赦なく権利を剥奪する、つまりパージされて社会的に葬られ、国策に迎合する御用学者ばかりが大学の中枢を担うという構図があらわになってきたようである。邪魔者はセクシュアル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、パワー・ハラスメントといった、いきすぎた内部告発(もどき)によって大学や学界からパージしようとする風潮がいまや大学を席捲しているらしい。
 こうした大学と学問の置かれた危機的状況にともなって学問の劣化がとめどなく始まったことは学術出版をめざすわれわれにとってももはや拱手傍観しているわけにはいかない、ゆゆしき事態であると言わざるをえない。このままでは日本の大学の国際評価レヴェルの低下どころか、学問や科学の崩壊、優秀な頭脳の国外流出など歯止めがかからなくなってしまうだろう。最近のSTAP細胞の発見者と言われる小保方晴子さんの例などもそのひとつではないかと思われるが、そのことはさておき、東大教養学部科学史・科学哲学科の中枢を担ってきた佐々木力の場合は、こうしたいまの流れのひとつの典型ではないかと思う。
 この本は「あとがき」を書いている折原浩さんの挨拶文付きで贈られてきたもので(著者の了解も得てあると書かれている)、著者跋文のほかに第三者である折原さんの「あとがき」が12ページにわたって書かれている異例の本であり、書名の大仰さといい、みずからのセクハラ問題を論の中心のひとつに掲げている構成といい、いささかたじろがされる内容のものであったことは事実である。仄聞していた佐々木力のセクハラ問題を当人がどう釈明するのかといった下世話な関心もないわけではなかったが、どうも問題はそんなレヴェルにあるのではないらしいことが本書を読み進めていくなかでわかってきたからである。
 ことのおこりは2004年に佐々木力が大学院で指導にあたっていた台湾出身留学生の女子院生のセクハラ告発から始まったらしく、それを受けた当該研究室主任や研究科同僚、さらには東大教養学部、本郷の法学部の調査委員会といった学内の査問機関でのやりとりがいろいろあって、結局、停職処分、学部講義中止処分、大学院生の指導権の剥奪といった一連の重罪処分がなされ、のちに全面復権することになるのだが、それも形式的な復権にすぎないといったじつに隠微な「事件」である。ことの子細はわからないのでこれ以上言及する権利はないが、なんとも醜悪な権力的陰謀であると思わざるをえない。わたしも知っているひとが何人も関与しているらしいので、複雑な気持ちである。
 だが、問題はもっともっと複雑である。ことのおこりが独法化の始まる2004年だった、ということにあらためて注目しなければならない。佐々木によれば、独法化への移行が日程にのぼることになった2000年の夏に当時の教養学部長であったA教授(物理学専攻)が偶然遭遇した佐々木に言ったせりふがある。A教授は佐々木にこう言ったそうだ。「君はただでおかない。大学が独立行政法人になったら、上部の管理者権限が強化するので、覚悟しておくように」と(本書200ページ)。これが事実だとすれば、東大の原子力開発協力に批判的だった佐々木力を意図的にパージしようとしていた強大な学内勢力が存在していたということになる。
 これが佐々木の被害妄想でないと考えられるのは、東大工学部原子力工学科(1960年設立)がどれほど日本の原子力開発に国策的に協力し、原子力産業界への人材供給源となり、一枚岩的に批判者、反対者をパージしてきたかの事実を知ればすぐにわかることである。わたしも知っている安斎育郎さん(放射線防護学専攻)はその第一期生であり、在学中から異分子扱いされ、東京電力の社員スパイがいつも安斎さんの動向をすぐ横でチェックしていたほどであるのは有名だが、1975年の設立15周年パーティのときに、当時の教授が挨拶で「安斎育郎を輩出したことだけは汚点」とわざわざ言ったという話が本書で紹介されている(225ページ)。福島第一原発事故のときの原子力委員会委員長の斑目春樹は元東大教授、「3・11」直後にテレビで「原発は安全」をしつこく繰り返したが、途中でばったり出てこなくなって名前さえ忘れてしまうほどだった関村直人といった現役教授は、東電から毎年数億円の寄付を受けていたこともすでに明らかになっている現在、こうした「御用学者」たち利権勢力につらなる東大教授が数多くいるとしてもなんの不思議もない。わたしのつきあっている東大の著者たちの多くは人文系なので、こうした利権につながることはそんなにないはずだが、理系となるとこうした産学協同(大学闘争時代の打倒対象だったなつかしい標語だ)にどっぷりはまりこんだ影の世界があるのだろう。
 佐々木力は、みずから公言しているように、トロツキストであり、それでなくとも官僚や大学執行部から目をつけられやすいところへ、こうした国策科学への全面的批判者でもあったから、セクハラ疑惑にかこつけたレッドパージだった可能性はきわめて高い。大学を独立行政法人化するということはこうした異端分子を大学から排除するための方策だったことを考えると、こうしたことがますます進行している現在は、学問は「御用学者」のみの領域に成り下がっていく危険は増す一方なのかもしれない。このことを佐々木はつぎのように整理している。
《国立大学の法人化は、郵政事業の民営化とともに、新自由主義的私有化のきわめて重要な構成要素であった。現実の法人化施行の二〇〇四年度以降、大学当局=執行部の権限がきわめて大きくなり、教員の任期付雇用、解雇、処分などは、ドラスティックに非民主化されるようになった。研究者は、ごく一般的に言って、御用学者化されるにようになった。懲戒処分は、かなり恣意的に政治的になされるようになり、国立大学時代には保障されていた国家公務員としての権利は縮小され、処分に不服な者は、一回の審理だけで即刻解雇が可能となった。すなわち、不服申し立ては不可能になった。》(91ページ)
 この国はいま、おそるべき頽廃にむかって崩壊していこうとしている。佐々木力のセクハラ問題と同様な権力による国策批判者への恫喝と「事件」のでっち上げは本書でもいくつか紹介されているが、どれも同じ構造をもっている。「特定秘密保護法」などにいたるまで、さまざまな排除のしくみができあがりつつあるのだ。誰もがこうした監視と排除の目にさらされている。国民はこうした国家権力とそれに癒着する勢力のテロに最大限の警戒をしなければならないのである。(2014/4/20)

(この文章は短縮して「未来」2014年6月号に連載「出版文化再生14」として掲載しました)


 すでにこのブログの「77 追悼・木前利秋」で触れたことであるが、昨年十二月四日に亡くなった木前利秋さん(大阪大学人間科学研究科教授)の遺稿である『理性の行方 ハーバーマスの批判理論』を、未亡人である木前恵さんの了解を得て刊行させてもらうことになった。ようやく編集作業の最終工程に入ったところで、木前利秋さんの仕事ぶりについてあらためて思うところがあったので、今回は研究者の仕事と出版はどうあるべきかについて書いておきたい。
 この本の刊行のいきさつにかんしては、巻頭に「刊行にあたって」としてつぎのような一文を掲載する予定である。
《本書は二〇一三年十二月四日に亡くなった木前利秋氏の生前のユルゲン・ハーバーマスに関する論考を整理し、まとめたものである。
 木前利秋氏はハーバーマス論をまとめることを前提に、小社PR誌「未来」において二〇〇八年十月号から二〇一〇年一月号まで、二〇一〇年十一月号と十二月号、二〇一二年九月号から十一月号まで、合計二十一回の連載をおこなった。最初の十六回分は本書の第一章から第三章、次の二回分は第四章、最後の三回分は第五章に該当する。連載終了後、掲載原稿の全ファイルをまとめて木前氏に校正用に送っておいたが、なかなか進まず、その間に木前氏は体調を崩され不帰のひととなってしまった。
「未来」の連載原稿はそのつど厳密な校正をほどこしたもので、そのままにしてしまうのはあまりにも惜しい内容であり、これだけでも十分に立派なハーバーマス論としてまとめられるものだと思われたので、夫人の木前恵氏の了解のもと、生前の木前氏と関係の深かった上村忠男、岩崎稔両氏の査読を経たうえで刊行されることになった。ほかにハーバーマス関連の文章が四本ほど見つかったので、付論として収録することにした。
 そして原稿の読み直しと表記の統一その他のチェックを進めていたところ、恵氏から木前氏の使っていたパソコンのなかに元原稿に手を入れたらしいファイルがいくつも見つかったとの連絡が入った。さっそくファイルを送ってもらい照合してみると、相当な修正をくわえたものだということがわかった。とりわけ連載の前半は大幅に書き直そうとしていたことが明らかになった。亡くなる年の二〇一三年の夏頃まで、体調不良のあいまをぬって手を加える作業を繰り返していたことがファイルの最終修正日で確認できた。つまりほんとうに仕事ができなくなってしまった直前までこのハーバーマス論に手を入れていたことがわかるのである。亡くなる前まで夫人にこの仕事を仕上げたいという希望を述べていたということも伝えられている。まさに渾身の一冊として最後まで全力を投入されていたことになる。
 こうしたなかで原稿の徹底的な見直しと改稿ファイルにもとづいて修正をおこなったのが本書である。そのさい、藤原保信・三島憲一・木前利秋編著『ハーバーマスと現代』(新評論、一九八七年)に掲載された「理性の行方」という論文が徹底的な改稿をほどこされて本書のはじめに置く構想をもっていたことが確認できたので、これを急遽「序章 近代の行く末」(タイトルは改稿ファイル通り)として収録することにした。
 木前氏の最終的な構想が本書の通りになったかどうかは、いまとなっては不明のところがある。章ごとの改稿ファイルにはところどころ構想途上のメモらしきものもあり、本書第一章第三節、第二章「むすびにかえて」、第三章第三節後半以降は改稿ファイルにはなぜか存在しない。改稿途上であったのか、削除予定だったのかはにわかには判断できないが、内容からみて連載時のデータをそのまま掲載することにした。第四章は修正もすくなく、第五章にいたっては改稿ファイル自体が存在しない。おそらく連載の最後のほうはほとんどできあがっていた本の構想にあわせて執筆されたからではないかと推測しうる。それに比べるとまだ構想が十分に練れていなかった時点で執筆された前半は徹底的に改稿されており、それだけ意図が明確になっていると思われる。
 木前氏が存命していればより充実したものになったであろうが、いまはこれをもってよしとしなければならない。せめてもの供養になればさいわいである。》
 ここに刊行のいきさつの細部にわたって基本的なことはすべて触れており、また最初に言及したこのブログの「77 追悼・木前利秋」で亡くなったときの事情も書いているので(この追悼文は亡くなった三日後に書いたもので、本の付録にも収録した)、ここではいくつか必要な補足だけしておきたい。
 まず木前利秋さんが原稿を書くことにきわめて慎重で準備がととのわなければなかなか着手しない書き手であったことはかなり知られていたらしく、教え子の亀山俊朗さんの話では、木前さんが「未来」に毎月連載をしていたことなどはまったくの奇跡と周辺では受けとめられていたそうである。いわゆる「遅筆」のひとなのである。たしかに毎回ぎりぎりのところでの執筆と校正のやりとりがつづき、たいへんであったことは否定できない。西谷方式のテキスト処理と仮ゲラ校正の方法でなければ、おそらく間に合わないことがつづいたことだろう。しかしそうでもしなければ、当人もここまでの原稿をこれほど早く書けなかったのではないかと思う。
 最初の十六回の連載はいちども欠稿することなく完了したが、そのあと二章か三章分を書き下ろす予定だったのがいっこうに進行しないため、短期連載を二回(二章分)してもらったことでなんとか完成したつもりであった。「刊行にあたって」に書いたように、これらの全データを木前さんに送って、あとは校正を待つのみというはずだったのである。ところが、木前さんは古い論文に全面的に手をくわえた「近代の行く末」という序論に該当するものを用意していたのであり、「未来」連載分にかんしても元原稿に徹底的な改稿を用意していたのである。とくに最初の十六回の連載分は、こちらの都合でかなり急な依頼で始められたせいもあって、相当な修正が入っていることが判明した。連載が始まる二〇〇八年に刊行された『メタ構想力――ヴィーコ・マルクス・アーレント』という生前唯一の単著となった本を刊行したさいにもゲラに相当な赤字が入ったことからみても、木前さんはおそらく最後の最後までよりよいものにするための修正をくわえる執念のひとでもあった。
 わたしの知っている範囲で元の原稿にこれだけ手を入れる著者はきわめて少ない。原稿を書いたときの気合と感覚を大事にして元稿にほとんど手をくわえない文学系のひとが多いが、木前さんほど入念な推敲をするひとは稀である。まことに木前さんは研究者の鑑であった。おそらくこれまで書いてきたものの質と量からすれば、生前に何冊も単行著書を刊行していて当然の木前さんがようやく二冊目を出そうとしていたことがそうした慎重さの結果であったことを思えば、そうした木前さんをもっと励ましていかなければならなかったといまさらながら残念でならないのである。こうした貴重な著者の仕事を掘り起こし世に出していくのは、出版文化を標榜するわれわれ専門書出版社にとって最大の責任なのである。(2014/4/7)

(この文章はすこし短縮して「未来」2014年5月号に連載「出版文化再生13」としても掲載の予定です)