2012年6月アーカイブ

 この7月14日に東京外国語大学府中キャンパスにて仲里効さんを招いてシンポジウム「沖縄『復帰』40年――鳴動する活断層」が開催される。主催者の東京外国語大学大学院の西谷修さんからくわしく聞いていたのだが、ようやくチラシが届いた。5年前に行なわれたシンポジウム「沖縄・暴力論」の継続版だ。このシンポジウムの内容をふくんで増補された『沖縄/暴力論』が西谷修・仲里効共編でその後、未來社から刊行された。
 今回は沖縄「復帰」40年ということであらためて沖縄の「復帰」の問題を考えようという趣旨である。しかも第一部の仲里効の基調講演のあと、第二部は「『悲しき亜言語帯』と『自立』をめぐって」という総括討論が予定されている。質疑応答形式でそれぞれ原稿を事前に準備してもらい、その概要を口頭発表、仲里さんが応答するという形式が予定されている。質疑の予定者は土佐弘之(国際政治社会学)、崎山政毅(ラテンアメリカ)、中村隆之(クレオール文化)、中山智香子(社会思想)、真島一郎(国際政治社会学)、米谷匡史(東アジア)の6名。5月下旬に刊行された仲里さんの『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』が論題にあてられる。沖縄の文学的言説(小説、詩、戯曲、エッセイ)を、沖縄といういまだ植民地的要素から脱却しきれていない独異な地政のもとにおかれた言説群にたいしてポストコロニアルの批評的視点とウチナーンチュの立場から徹底的に読み抜き、原理的な沖縄文学論として完結させたこの本は沖縄文学論としてこれまでに書かれ得なかった最高度の達成であることは(おそらく)間違いない。西谷修さんの見解も同じである。もしかすると今後も二度と書かれ得ないかもしれない、と。
 このシンポジウムでは第一部の「『復帰』40年を考える」では主催者の西谷修さんが「擬制の終焉」と題してプレゼンテーションをおこない、それを受けて仲里さんの「思想の自立的拠点」という基調講演になる。ことし3月に亡くなった吉本隆明の書名にちなんだタイトルを二本冠するのもどこか象徴的な感じもあるが、沖縄の日本「復帰」という〈擬制〉と、そうした日本(ヤマト)の仕組んだ沖縄の植民地環境の永続化からの〈自立〉を、どういう論理で展開することになるか、期待したいところである。そのためにも刊行されたばかりの『悲しき亜言語帯』が重要な視点を開示しているはずだ。
 まことにタイムリーに出されたこの『悲しき亜言語帯』(もちろん、「復帰」40年にあわせようとしたので偶然ではないのだが)は沖縄の「復帰」40年の内実を言語の内側から、言説の発動する場所や背景をも広角的にとらえるなかから、さまざまな文学テクストの可能性と意味の射程を探究し確認しようとしたものである。このイベントをひとつのきっかけにすこしでも広く知られるようにしたい。

 なお、シンポジウムの時間と場所は以下の通り。(予約不要、入場無料)
 時:7月14日(土)14時~17時半(開場は13時半)
 場所:東京外国語大学(府中キャンパス)研究講義棟226教室
 開始にあたって13時半から「Condition Delta OKINAWA」の上映があります。
 宮本常一『私の日本地図8 沖縄』の「沖縄雑感」というまとめの部分を読んでいると、宮本常一という人間がどれほど沖縄の振興に気をもんでいるかということが伝わってくる。離島振興に力を入れていた宮本だからよけいそうなのだろうが、1969年という「復帰」の3年前の渡航記である本書には、短期間であったとはいえ、現地の案内も得て離島もふくむ観察記事と多くの貴重な写真を残してくれている。いまも変わらない部分とまったく変わってしまった部分があるだろう。わたしは那覇中心にしか行く機会がなかなか得られないが、それ以外のところは案外そんなに変わっていないのではないか、とも思う。
 そうした宮本の文章は善意にあふれているが、ところどころ気になるところもある。たとえば1969年時点で、会うひとの誰もが日本への復帰を望んでいるという記述や、教職員の標準語教育が成功して誰もが日本語に習熟していることを讃美するようなところである。ほんとうにそうだったのか。仲里効の『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』などによれば、そういう日本語教育がいかに歪んだものをふくんでいたか、ということを内部的に告発しているところがある。また「反復帰論」と呼ばれる思想的運動もそれなりに力をもっていたはずで、それが今日の沖縄独立論の源流にもなっているように思うが、その件にはまったく言及がない。このあたりに限界が見えるとも言えるが、それはないものねだりなのだろうか。
 宮本常一のこの本をどう読むかは読者の立場や見識によるだろうが、これからの沖縄を考える意味でもいぜんとして有効な問題提起をたくさん含んでいると思う。(2012/6/15)

 本ブログのいくつかの文章をPR誌「未来」に掲載することになった。すでにそこそこのアクセス数はあるものの、わたしが念頭においているような読者の多くはこの手のブログの文章まではフォローしてはくれないからである。自分が逆の場合にも言えることなので、それはやむをえないことだと思う。ブログの速報性や自在性は有効ではあるものの、自分でも主張しているとおり、活字でないときちんと読めない(頭に入らない)のであるから、わざわざプリントアウトまでして読むというのはよほどの場合にかぎられるのである。
 そういうこともあって、本ブログのうち比較的アクセス数の多い文章をピックアップして「未来」で「『出版文化再生ブログ』から」というタイトルを付けて適宜掲載する。今回は七月号に空きページが生じたのをきっかけに本ブログから「17 日販の『インセンティヴ-ペナルティ』方式の危険」までの6本を一部省略をくわえたかたちで再録した。ほかにも再録しておきたいものはないわけでもなかったが、本ブログで読めるのでいいことにした。残りもつづけて再録していく予定であるが、そのためにはこのブログもどんどん書いていかねばならない。初めての試みだが、これもまた出版文化再生のための闘争の一環であると言えようか。(2012/6/11)