2012年7月アーカイブ

 ニーチェは書物とたんなる文献学者との関係をこんなふうに書いている。
《ただ書物を「ひっかきまわして検索する」ことだけしかしない学者は――並みの文献学者で日に約二百冊は扱わねばなるまい――しまいには、自分の頭でものを考える能力をまったくなくしてしまう。本をひっかきまわさなければ、考えられないのだ。彼が考えるとは、刺戟(――本から読んだ思想)に_¨返答する¨_ということ――要するにただ反応するだけなのだ。こういう学者は、すでに他人が考えたことに然りや否を言うこと、つまり批評することに、その全力を使いはたしてしまって――彼自身はもはや考えない......》(ニーチェ『この人を見よ』岩波文庫66ページ)
 ニーチェは最初はたしかギリシア古典の文献学者として生涯のスタートを切ったから、こうした学者たちの自己喪失のプロセスをよく見ていたのだろう。その世界からパージされるにつけルサンチマンも募ったことだろう。しかしこのニーチェの批判は当時ばかりでなく現代にもずばり当たっている。多くの学者が自分の考えをまとめられず、他人の意見の受け売りに終始しているのを見ることができる。もっとも現代の学者は以前より書物を読まないひとが増えているし、インターネットやデータベースの利用によって本をひっかきまわさなくても検索によって省エネできるからますます書物から離れているかもしれない。
 ニーチェは辛辣にもこうつづけている。
《学者――それは一種のデカダンだ。――わたしは自分の目で見て知っているが、天分あり、豊かで自由な素質をもつ人々が、三十代でもう「読書ですり切れ」、火花――つまり「思想」を発するためにはひとに擦ってもらわねばならないマッチになりさがっている。――一日のはじまる早朝、清新の気がみなぎって、自分の力も曙光と共にかがやいているのに、_¨本¨_を読むこと――それをわたしは悪徳と呼ぶ!――》(同前)
 なんと、最後には読書行為まで非難されてしまうのである。ここまで言わなくても、オリジナリティにあふれる学者というものはそんなに多いわけがないから、どのみち本を読むだけの学者も出版の世界にとってはお得意さんとして必要でもある。
 本を読むだけでなく、自分の考えをつねに清新にもちつづけること、これはなかなか至難のわざである。出版にかかわる人間としてはそうした著者をたえず発見していかなければならないし、ものを書き考える人間としての自分自身もまたそうであるようにつとめなければならないのだ。(2012/7/21)
 ことし一番の暑さを記録したきょうから東京ビックサイトで恒例の東京国際ブックフェア2012が開催された。1997年に書物の共同復刊事業として始められた書物復権8社の会はことしで16年目に入るが、会としては2004年以来、共同出展は9年目になる。これまで紀伊國屋書店の協力のもとに紀伊國屋ホールを使ってのマンスリーセミナーなど、さまざまな挑戦を試みてきた会だが、ことしは東京国際ブックフェアという会場を利用しての初めての試みである、大学・公共図書館を招いてのブック・ハンティングを紀伊國屋書店営業本部の全面的バックアップでおこなうことになり、きょうがその日になる。いったいどういうことになるのか、興味深くもありおおいに期待もあったので、わたしも様子を見に出かけていったわけである。
 大学出版部協会とも連繋することになった今回の試みには、上智大学、東京女子大学、早稲田大学教育学部、成城大学、お茶の水女子大学、荒川区立南千住図書館、文京区立真砂中央図書館の司書と学生が多数参加され、静かななかにも丹念な書目検索をされていたようだ。木曜にしては一般客も多かったせいか、思ったよりも目立たずに選書がおこなわれていた。終了後のセミナーには柴野京子さん(上智大学文学部新聞学科助教)、永江朗さん(評論家)が講師として参加され、みすず書房・持谷寿夫社長の司会進行のもとで活発な議論が展開された。フロアの学生たちの選書の実感などにかんしても、やはり現物を見ての選書はいつもの現物なしでの選書に比べてかなりインパクトがあったらしい。目次や索引、オビの推薦文なども選書のさいの判断材料にもなったといった話も出た。
 もうひとつの話題としては出版社には品切れ重版未定といった書籍が多すぎるといった批判(永江さん)や上製本が並製本になったりして図書館での寿命が短くなってしまう問題点なども出てきて、出版社側としてはロングセラーの衰退や重版の困難などの事情を説明する羽目になり、最近はオンデマンド復刊などでの対応が現実化しつつあることを指摘することになった(これはわたしの役)。こうした出版社と図書館人との意見交換の場があまりにもない現状からして、今回のブック・ハンティングの試みとそれにつづくセミナーは今後の布石になるいい試みになったような気がする。
 いずれにせよ、ハンディスキャナーを使っての選書作業が最終的にどういう結果を導くのか、ちょっと不安もあるが、意外な結果が待っているのではないかとひそかな期待もしているところである。(2012/7/5)