2012年8月アーカイブ

 重厚で濃密な文章が書かれなくなってきているという実感はずいぶん以前からある。最近はツイッターやブログなどで簡単に意見を書いて発信できることもあり、それらの特徴は「早い、短い、軽い」といった点にあるので、思いついたらすぐ書いてすぐ発信してしまうところがあり、ますます情報が断片化し、軽量化してきている。なにしろ東日本大震災の渦中でもツイッターで被害の実況詩を書けば、リアルさがお手軽な感動を呼んで話題になる時代である。それもことばの力だと言えばそれまでだが、ことばがじっくり練られ熟成されて詩なり文章なりとして現われてくるということがめっきり少なくなった。著者も編集者もそうしたことばの熟成を待っていられないのである。かく言うわたしもこんなブログを書いているぐらいだから、同じ穴のムジナと言われてもしかたないのだが。
 こんな状況は、しかしもっと前からあったとも言えないわけではないらしい。1969年に亡くなったテオドール・W・アドルノは「句読点」というおもしろいエッセイで文章記号にかんするさまざまな問題について触れているなかで、セミコロンの死滅という現象について、それが数頁にわたる段落を恐れるという問題に結びつけてつぎのように書いている。
《この恐れは市場の産物であり、骨が折れることを嫌う顧客によって生み出され、それにまず編集者が、そして著者が、生活のために順応したのだが、彼らはみずから順応した挙げ句に、明晰さだとか、客観的な仮借のなさだとか、圧縮した正確さだとかいうイデオロギーを発明した。こうした傾向のもとにおかれるのは、言語だけではない。事柄も同様である。言語と事柄は分解できないのだから、複合文が犠牲にされることによって、思考の息が短くなる。》(「みすず」2009年6月号)
 ここでセミコロンの死滅というのは欧米語特有の文章記号にかかわる現象だが、そこで問題とされていることはセミコロンで切り分けられるひとまとまりの文が、それを一部にふくむより大きな文(ピリオドで完結する)という単位に統合されて、より大きな思考を形成することがない、という思考言語の貧弱化、浅薄さなのである。日本語のように句点と読点が主要な分節記号となっている言語においては直接的な問題ではないように見えるが、そうではなく、思考がひとつの文(フレーズ)の流れをおのずから形成し、それらが縒りあわされてひとつの段落(パラグラフ)を形成するという文章のおのずからなる営みが短絡的になりつつあるという、洋の東西を問わずに生じている思考の簡略化が日本語においても生じてきていることが問題なのである。一般的に文が短くなり、段落も短くなって、アドルノの言う〈圧縮した正確さ〉というイデオロギーによって、読者の知的怠慢に迎合し、編集者と著者の手抜きが正当化されることになる。
 著者の思考の息が短くなって適当にアガリにしてしまい、ちょっとした美辞麗句と簡便なチャートを付ければ読者に喜ばれる(=売れる)というどうしようもない知的頽廃の風潮を助長しているのが出版社と編集者なのだと言えば、すこしは反発するひともいるだろうか。すでにアドルノの慨嘆からも時代はだいぶ経てきて、この嘆きはますます大きくなるばかりか、息の長い思考を展開する著者も、それを読み抜く読者もいまや不在になりつつある昨今は、ついに印刷物という原初の形態さえも放棄して電子情報化への道へなぜか突き進もうとしているのだ。(2012/8/9)
(この文章は「西谷の本気でトーク」で掲載した同文の転載です。)
 先日、大阪屋の古市さんが取締役に就任されたのを期に、少人数でのお祝いの会を開いた。アマゾンとの取引を長年にわたって担当してきた経験からふだんでは聞けないような話を公私にわたっていろいろ聞くことができた。そのさいに、最近、アマゾンでの未來社の売行き良好書の勢いが急速に落ちてきていることを具体例を挙げて問いただしたところ、たしかにいくつかの問題があることが判明した。日をあらためて個別に話し合いをもとうということになり、今週はじめに実現した。
 アマゾンとの取引においては日販が好条件を出しているらしいことから情勢が不透明であるが、一方では、日販も相当な無理をしているはずで、たとえば専門書版元との取引などは必ずしも手厚いとはいえない。すくなくとも未來社にかんしては、アマゾンの担当者との合意があるにもかかわらず日販の窓口は積極的な取組みをしているとは思えない。新刊の初期入荷以後は、アマゾン側から日販の倉庫に補充をかけるが、在庫がなければ大阪屋の倉庫にあたりをかけるという仕組みになっているらしい。そういう序列ができているのはかなり以前からであるが、大阪屋のほうでもことしのはじめあたりから過剰在庫をできるだけ捌く方向で出版社からの補充を押さえたこともあって、専門書センター(未來社では大阪屋TBC)からの注文が激減した。その結果、かなり問題を解消したが、まだまだとのこと。売行き良好書の補充も従来にくらべて冊数をかなり減らして注文している。これではせっかく大阪屋の倉庫に補充のあたりをかけても在庫数が少ないためにアマゾンへの補充も供給不足気味になり、かなりの売り逃しをしているのではないか、とわたしが指摘して、それならということで対策を考えることになった。
 わたしはもともと、大阪屋には専門書取次としていまはなき鈴木書店のできなかったことをふくめて積極的に取り組んでもらいたいと思ってきた。そうは言ってもそんなに売れない専門書だから大きなことは言えないが、大阪屋にとっても不都合の少ない方法を考えることは可能である。話し合いによって解決すべき手だてはあるはずで、こんなことならもっと早く話し合いをしておけばよかったかとあとになって思ったぐらいである。
 大阪屋の考えでは、現在、一般の売行き良好書の注文を対象としたiBCと専門書の店売補充用のKBC(東京ではTBC)という二つの倉庫をもっている。この二つの倉庫を有効に稼働させることによって商品の回転と充足率を上げることが経営効率的にも具合がいい。できるだけこれらの倉庫を通過させることで商品の流れもよくなり、情報収集もしやすいということだろう。そのための方法としては両方の倉庫にできるだけ多くのアイテムの在庫を常備というかたちでもつことが提案された。これをベースに動きの早いものは追加補充のかたちで売り逃しを防ぐばかりでなく、商品補充のスピードアップによって売上げの向上もめざすことができる。そのために若干の条件変更の問題はあるが、結果を一年後に確認することで暫定的に実験してみようということになった。
 大阪屋でもこうした方向で専門書出版社がこれまでより以上に深くかかわってもらうことを望んでおり、未來社との話し合いは有益なものとなったとのことで、未來社としても大阪屋のこれからの動きがちょっと楽しみになろうとしているところである。(2012/8/2)