きょう(2月28日)午後、東大駒場で昨年12月2日に59歳の若さで亡くなった女性哲学者北川東子さんを追悼するワークショップ「北川東子と女性の哲学」がUTCP(東京大学共生のための国際哲学交流センター)主催でおこなわれ、わたしもスピーカーとして参加させてもらった。これはUTCP拠点リーダーの小林康夫さんの依頼というか命令で、これまでの北川東子さんとの交流を出版社の人間としての立場から紹介し、人間としての北川さんの知られざる一面をも発表する機会が与えられたのである。すでにこのワークショップに先駆けてUTCPブックレット用に書いたエッセイ「北川東子さんと『女の哲学』」(*)と多少重複するところはあるが、わたしが北川さんと直接知り合いになった若手教官の会「扉の会」のことから、最後は女性の立場からその身体性を通じての哲学書をめざした『女の哲学』の刊行へ向けて原稿を書きはじめていたが中断してしまったことなどを、そこからの引用をまじえながら紹介させてもらった。
同じくスピーカーとして参加された公共哲学京都フォーラム所長の金泰昌(キム・テチャン)さんのお話によると、北川さんは金さんと男と女のそれぞれの立場から哲学を論じあい、これまでの男性による男性のための男性の哲学を批判し、またこれを反転させただけにすぎない女性性を前面に打ち出した女性のための哲学でもなく、いわば男女が共生しうる哲学の新たな構築をめざそうとしていたということであった。わたしが北川さんと企画していた『女の哲学』もそうした文脈から考えられるものであり、どこかで男女の共生を可能とする哲学の構築がもくろまれていたはずである。産む性としての女性の身体性という地点から語られはじめていた北川東子さんの哲学がもっと自由に展開できるように働きかけるべきであったという大きな悔いがあらためて感じられる話であった。
このワークショップにはフロアに高橋哲哉さんや田中純さん、若手では西山達也さんなども参加され、司会の中島隆博さんともどもそれぞれの北川さんへの思いや体験を語られ、北川東子さんという人間のさまざまな面が浮き彫りにされたいい会になったと思う。
帰りに金泰昌さん、東京大学出版会の編集者竹中英俊さんとビールを呑みながら交わしたおしゃべりもいろいろな話題に及んで楽しいものであったが、こういう顔合せを実現してくれたのも北川東子という人間が残してくれた功徳なのであり、竹中さんなどは別の予定をキャンセルしてまで話し合う夕べとなった。
それにしても、北川さんの亡くなる前後のさまざまな問題には古くからの友人としても力の足りなかった面もあり、またいかんともしがたい不都合も重なって北川さんとしても心残りだったはずである。UTCPがせめてもの供養のために今回のワークショップを実現してくれたことは、小林康夫さんの気持ちの現われでもあって、北川さんの冥福をあらためて祈らざるをえない。(2012/2/28)
*このエッセイはUTCPの了解さえ得られれば、このブログでも公開させてもらいたいと思っている。そのうち今回の付録として掲載できるだろう。
出版界は1996年をピークとして前年比割れをつづけて、いまや最盛時の2兆6000億円超の売上げが2兆円を割るようになってきており、このままでは出版業自体の存続が危ぶまれるような事態を迎えている。その原因としてインターネット、携帯電話等の情報機器の発展や、最近は電子書籍化の動きなどが取りざたされており、書店の衰退、図書館予算の削減などにより本がますます売れない状況が加速されているとも言われている。
そこへもってきて昨年の東日本大震災とそれにつづく原発事故は日本の景気を一気に押し下げて低迷に拍車をかけてしまった。「がんばろう」のかけ声ばかりでは事態はいっこうに打開されないのが実情で、出版界もまたその例外ではない。
昨年11月に未來社は創立60年を迎えた。それにあわせて社史『ある軌跡──未來社60年の記録』を刊行するとともに、わたしが未來社の月刊PR誌「未来」に十五年にわたって書きつづけてきた出版コラム[未来の窓]176回分のうち一部を削除し、テーマ別に再編集して『出版文化再生――あらためて本の力を考える』と題して同時に刊行した。A5判500ページになる大冊になったが、出版界および出版事業にたいするわたしの積年の思いを展開したものとして、いわば未來社の裏の公式文書としても、さいわい新聞等で紹介され、業界的にも話題になっている。
今回、この本を機縁として未來社としても以前からかかわりの深い「中国新聞」に寄稿を求められたのはたいへんうれしいことである。というのは、小社からは中国新聞社編で『証言は消えない』ほかの広島の記録三部作(毎日出版文化賞受賞)、『中国山地』上下、『新中国山地』などドキュメンタリーものを刊行させていただいており、わたし自身も2004年に『中国山地 明日へのシナリオ』の編集を手がけている。また中国地方とも関係の深い宮本常一さんの『著作集』その他も継続刊行中である。
さて出版はほんとうに力を取り戻せるのか。わたしが『出版文化再生』と書名でわざわざ「文化」を強調したのも、いまこそ出版の原点に立ち返り、本という紙媒体のもつ力をまず出版界のわれわれ自身が再認識し、そこから真に文化的に価値のある本づくりを勇気をもって実現していくことを通じて、新たな日本社会を再生していく基盤をつくろうと呼びかけることにあった。
さいわいなことに本を書こうと念願している力量のある著者はすこしも減少しておらず、それを支える優秀な編集者も健在である。本は読者が手に取るところから始まり、その粋を凝らしたレイアウトや活字の美しさなどを通じて、読書のおもしろさや知識の深さをほんとうに味わえる器なのである。新しい文化はつねにここから始まるのである。
出版界はこれまでのように大量生産―大量流通―大量販売という方式による安易な量的指向ではなく、出版物の文化性を強く志向する質的充実へと転換していかなければならないだろう。情報の一過性に頼る出版物や雑誌はすでにその傾向が顕著に現われているように、いっそうの退潮を強いられざるをえないだろう。
出版界のこれまでの成長を支えてきたこれらの出版物が他のメディアに取って代わられることをいまやおそれてはならない。業界的な成長はもはや期待できないとしても、出版は本の力、活字の力を取り戻すことによって未来をつくっていくことはまだまだ可能なのである。
*この原稿は2月初旬に書いて送ったが、新聞社の意向で表記その他の変更がなされ、「中国新聞」2012年2月19日号に掲載されたものである。ここに掲載するのはその元になった原稿である。(2012/2/22)
最近の取次の書店への取組みの仕方をみていると、市場の冷え込みと不況を反映してか、無駄なコストを極力抑制して効率販売をこれまで以上に上げていこうとする姿勢が顕著である。その最たるものが日販が採用している「インセンティヴ-ペナルティ」というマネジメント理論を取り入れた方式で、要するに一定以上の成績を上げた書店には報償を、それ以下の成績の書店にはペナルティを課すというかたちで、料率に二面的な差配をつけて書店をコントロールするという考えである。
日販はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と共同出資で2006年に立ち上げたMPD(Multi Package Distribution)に仕事の中枢を移行する方向で取次専業から徐々に離脱する指向性をもっていると見られるが、そうしたなかで取引先の収益力の強化を名目にさきの「インセンティヴ-ペナルティ」というマネジメントの方法論をその取引にあたっての原理に据えることによって出版不況に対応しようとしている。具体的には書店の返品率を35%をボーダーに設定することによって、それ以下に抑えた書店にはインセンティヴを、それ以上の結果が出ている書店にはペナルティを課すというものらしい。
しかしそれによって書店は厳しい商品管理と商品仕入れを強いられている。売れる商品しか仕入れることができず、常備やフェアといった企画に対応することができにくくなり、まともな商品構成を実現できなくなりつつあるのである。
なぜなら、ここでいう返品率とは、取次からみた総送品にたいする総返品の割合を指すので、理論上は100%返品されるはずの常備寄託や、売れ残りの多くなるフェア商品は返品率を高めるばかりになるので、返品率を下げることを至上目的とせざるをえない立場に追い込まれた書店は、こうした形態の入荷には否定的にならざるをえないからである。
出版社の常備寄託にたいして日販系書店からの申込みがこのところ激減しているのはそうした背景があるからであって、このままでは書店の棚構成が形骸化するのは目に見えている。売れるものだけを並べようとしても、そもそも売れるものだけで書店の棚はカバーしきれるものではない。また常備寄託品に代表されるような(回転効率はかならずしもいいとは言えないかもしれない)基本商品を棚に置くことによって新刊や一部の売行き良好書が生きてくるのであって、そうした売れるものだけを並べている書店には読者は用がなくなれば寄りつかなくなってしまう。すでにそうした現象は深刻な事態を迎えているのであって、書店の荒廃をいっそう推し進めることになっていないか。売行きが目立って伸びにくい専門書、人文書の多くはそうした書店から排除される一方になってしまう。
取次の自衛策としか思えないこうした「インセンティヴ-ペナルティ」方式は、あまりに短絡的であって、書店を締めつけることによって出版社にもマイナスの影響を与えるばかりか、それらをつうじて取次自体にもはねかえってくることになるのは明らかではないか。心配なのは、脱取次をめざしていると懸念される日販ばかりか、トーハンなどにもそうした方向性が見られはじめていると言われていることである。
ここは出版界の再生のために大所高所からの判断を期待したい。出版界は三位一体などと言われるが、自己本位になっては業界の存立さえ危ういことになってしまう。それになによりも忘れてはならないのは読者の存在である。このまま読者の書店離れが進めば、もはや取り返しがつかなくなるのではなかろうか。(2012/2/21)
トーハンのデジタル事業担当役員でデジタルパブリッシングサービス(DPS)の社長に返り咲いた鈴木仁さんが電子書籍担当のデジブック林社長とともに来社され、これからのオンデマンド本の構想について話を聞く機会があった。
ひとつにはこれまでのDPSのオンデマンド復刊事業のさらなる発展として、出版社の負担を軽減するため桶川のQRセンターの一角にDPS専用の在庫を預かるスペースを確保して、出版社のオンデマンド製作にかんする発注、郵送、出荷等のコストと時間を圧縮するという提案である。これまで出版社はオンデマンド注文を受けると、まずDPSへの発注作業、納品の確認と倉庫等への発送作業(郵送料の発生)、さらには出荷倉庫での在庫管理、出荷作業(伝票起し、出荷料の発生)などの手間とコストをかけて1冊ごとの注文に応じてきた。それをDPSが注文を受けたあとは製作から管理、出荷までをすべて一貫しておこなうという合理化案なのである。
これには、もうひとつセットになった話がある。これまでは出版社の判断で一冊ごとのオンデマンド製作あるいは場合によっては小部数のショートラン印刷と呼ばれる選択肢があって、出版社が後者の場合には先行投資的に注文数以上の製作をして在庫管理をおこなってきた。鈴木案では、これもふくめて在庫管理をし、なおかつ製作費は注文があるごとに出版社へ請求するだけでいいのではないかというもので、これは出版社にとってはありがたい話になる。オンデマンド機は面付けが4面なのでもっとも効率がいいのは4冊単位ということになり、1冊あたりのコストも若干だが軽減される。そうなればそのコストもいくらかは出版社に還元できるという、さらに具合のいい話なのである。つまり出版社はあるアイテムの注文が1冊くれば、4冊作ってもらい、3冊はQRセンターでの保管にまわしてもらって、とりあえずは1冊分の製作費の請求を受ける、残りは売れるたびに払っていくという仕組みである。オンデマンド本の場合はさほど回転率がいいわけではないから、出版社の負担もそれだけ軽減され、なおかつ在庫があるあいだは出荷がすぐできるという利点も出てくるのである。
こうした鈴木案にわたしは原則的に大賛成で、通常重版がやりにくい専門書・学術書におけるオンデマンド復刊の必要性をさらに後押ししてくれるものとなる。ついつい面倒さが先に立って新しいアイテムの準備を怠ってしまいがちなオンデマンド本の拡大もこれでやりやすくなる可能性がある。こういう構想は同じような悩みをかかえる専門書系出版社にとってはおおいなる福音とも言えるもので、一社だけでなく、たとえば書物復権8社の会のようなところがある程度まとめてアイテムを拡充することになれば、これまでよりはるかに大きなマーケットの開拓につながることになるだろうし、読者の不満にもいくらかでも応えることができるようになる。それにDPSとしても業量が増えることによって1冊あたりの製作費用や移送費用なども軽減できることにつながり、すべてうまく回転することが可能になる。
こうした発想は、鈴木仁さんがたんに業務拡大のためだけでなく、いまの出版界になんらかの貢献をトーハンとしてできることはないか、という文化論的立場から出てきたもので、この意気やよし!とするべきなのである。ちかくわたしは書物復権8社の会などに具体的な提案をしてみようかと思っている。(2012/2/15)
きょうの沖縄県宜野湾市の市長選で伊波洋一氏が惜敗した。普天間基地の県外移設、海外移設を一貫して主張してきた伊波氏にたいして、自民党・公明党ほか推薦の佐喜真淳氏がやはり県外移設を唱えて仲井真弘多知事とも連繋した結果、宜野湾市民はより融通性のありそうな佐喜真氏を選択したということだ。だがこの結果をわたしは理解に苦しむ。そもそも沖縄の米軍統治、米政府への屈服政治、さらには普天間の辺野古移設を進めてきたのは歴代自民党(+公明党)政府だったのであり、そうした政治責任のある自民党・公明党のバックアップを受けながら、それと反対の主張をする佐喜真氏自身を県民が信用したということなのか。それとも強硬な伊波氏の反米路線にはついていけないと感じたからなのか。さらには以前、名護市長選で当時の民主党官房長官が官房機密費を自民党支持者に使って辺野古移転反対派の稲嶺現市長を落とそうとした一件にみられるような裏金工作がまたしてもおこなわれたのか。野田政権のアメリカ追随路線が今回の市長選でアンチ伊波に結びついていることは明らかで、民主党県連は自主投票を今回も選択せざるをえないという体たらくをさらし、結果的には佐喜真市長当選をとめられなかった。
それにしても、宜野湾市民はいったいなにを考えているのだろう。普天間基地問題の存在やそれに付随して起きるさまざまな事件や事故を忘れたのか。
いま未來社ではことしの沖縄の「本土復帰四〇周年」にむけてあらためて沖縄関連本を続々と準備中である。二年まえから継続刊行中の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全九巻の残りの三巻が中平卓馬写真集『沖縄・奄美・吐【カ】喇1974-1978』をはじめ故伊志嶺隆写真集、山田實写真集とつづけて刊行できそうである。それからPR誌「未来」で連載してもらった仲里効「沖縄と文学批評」全十七回、さらには知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦各氏のリレー連載「沖縄からの報告」全二十四回もいよいよまとめに入る。宮本常一「私の日本地図」シリーズの第八巻「沖縄」も三月には刊行される予定である。さらには今回、2011年度沖縄タイムス芸術選賞文学部門(評論の部)大賞を受賞した高良勉『魂振り――琉球文化・芸術論』の続篇『言振り』や知念ウシ評論集もことしの後半には刊行予定に入っている。
またヤマトンチュの坂手洋二さんの戯曲『普天間』もこの五月に刊行することになる。これは普天間問題を主題として沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故をはじめさまざまな事件や事故を扱い、その背景にある歴史的な問題ともからませて現在の沖縄の現実を明らかにしていく戯曲である。夫人が沖縄人であるという坂手さんの沖縄への想いが結集した作品になっていると思う。できれば現地での上演ができればいいが、伊波氏の敗北によってこうした可能性が低くなってしまったかもしれない。ともかくこの秋から青年劇場が全国公演を三十回おこなうのにあわせてこの戯曲を世に送り出そうと考えている。五月までに最大で七冊の沖縄関連本が生まれることになれば、いくらかでも沖縄の情勢にコミットできることになるだろう。(2012/2/12)
紀伊國屋書店の外商部とJRC(人文・社会科学書流通センター)とがタイアップしてJRC取扱い出版社の前年の新刊を図書館に納入するカタログ販売の試みを始めて三年目になる。先日来社したJRC後藤社長の話によれば、この販売戦略がとても好調だとのことである。JRCも来年で創立十周年になる。不況の出版業界のなかで大取次の隙間をぬうようにして書店の要望に応え品不足を補うかたちで販売促進や納品をつづけてきたJRCの新たな試みとしてのこの新刊カタログ販売は、紀伊國屋書店外商部の要請もあって始められ、着実に成果を積み上げてきており、経営戦略としても大きな柱になりつつある。
店舗販売が厳しい紀伊國屋書店にあって、外商部(営業)の力はいまや売上げ上での相当な寄与を実現している。これまで外販を競ってきた丸善の外商力が急激に落ち込んできていると言われるいま、紀伊國屋書店はこちらの面ではかなりのアドバンテージを得てきているようだ。そんななかで、丸善出版がライバルである紀伊國屋書店に販売協力を希望し、後藤氏の推薦と仲介もあってカタログ販売への参加が実現した結果、『科学・技術倫理百科事典』(全5巻)といった高額商品が売れているらしい。当初、紀伊國屋書店側にも営業のモチベーションが上がらないといった反応もあったようだが、結果的にみればこのタイアップは成功し、両者とも喜んでいるとのことである。言ってみれば、丸善が紀伊國屋書店の軍門に下ったようなかたちだが、いまやそこまでしてでも販売成果を上げる必要がそれぞれにあるということかもしれない。
出版販売の世界はこれまでの習慣やいきさつをいちど洗い直して建設的な方向にいろいろ試みていく時期に入ったのではなかろうか。(2012/2/10)
この「出版文化再生」ブログをしばらく中断してしまった。ここに書くべき話題がなかったわけではなく、むしろ問題にすべき話題は多かったかもしれないのだが、いくつか依頼された原稿が集中したために書く余裕がなかったにすぎない。
そのひとつは『出版文化再生――あらためて本の力を考える』について「読売新聞」の昨年十二月二十日号に文化部の待田晋哉記者による《「未來社」創立60年の充実》という記事が掲載され、そのなかで『宮本常一著作集』のショートラン重版などが触れられたことに関心をもたれた「中国新聞」の佐田尾信作さんから「出版業の再生 活字の未来」というテーマで原稿を頼まれ、「出版は活字の力を通じて未来をつくっていく」という原稿を書いたことである。これはまだ未発表だが、いずれ掲載が可能になったらこのブログにも転載したいと考えている。
もうひとつは、昨年十二月二日に五九歳で亡くなった東京大学の北川東子教授の追悼エッセイを、UTCP(The University of Tokyo Center for Philosophy=東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」の拠点リーダー小林康夫さんに依頼されて書いた「北川東子さんと『女の哲学』」である。この二月二十八日には東大駒場でUTCP主催の北川東子さん追悼集会が開催される予定であり、そこでのスピーカーも依頼されており、北川東子さんとの出版をつうじてのおつきあいについて話をさせてもらうことになっている。このエッセイはそれとおそらく重複することもあるだろうが、どういう形かわからないが活字化を考えられているようである。北川東子さんとはわたしがかかわった東大駒場の若手教官の勉強会「扉の会」でのつきあい以来、二四年にわたるおつきあいをさせてもらい、これからいよいよ本格的な哲学を展開してもらうつもりであっただけに痛恨の極みと言わざるをえない。その思いの一端を書いたもので、これも掲載が可能になったらこのブログに転載したいと考えている。
そんななかで出版界の話題としては暗いものが多く、出版文化の再生をめざすこのブログの主旨からはあまり生産的とは思われない内容はあえてとりあげる必要はないので、これからあらためて出版の活力につながる話題にしぼって再開しようと思っている。(2012/2/8)