未来の窓|1999

 
[未来の窓22]

出版社の適正規模を考える

 前回、この欄で中央公論社の身売り問題に触れたさいに出版における適正規模について言及した。この一文を書いてまもなく井狩春男氏が「毎日新聞」十一月十六日号でやはりこの問題について書いているのを読んで思うところがあった。そんなわけで今回もこの問題についてもうすこし考えてみたい。

 井狩氏と言えば、人文・社会科学書専門取次・鈴木書店の仕入課長であり、「まるすニュース」の編集人というか執筆者として業界人なら知らぬひとはいないぐらいの存在である。毎日、洪水のごとく押し寄せる新刊をさばきながら、これはという本を選好して記事を書きつづけるという仕事を長いことしている。新しい本が生まれる瞬間というものをほとんどリアルタイムで知っているひととしてはこのひとをおいてはいないだろう。それだけに「『本の洪水』の中の出版不況」と題するこの「毎日新聞」の文章は、昨今の出版界をめぐる異常なほどの不況についての、本を扱う現場からの意見として傾聴すべき発言をふくんでいると思える。

 このひとはときどきいいことを言う。新刊刊行点数がことしはいよいよ七万点近くになるということの不合理について述べたあと、かれはこう述べるのである。

「出版点数が減れば、例えば現在の半分くらいになれば、読者も少しはゆっくり本を選ぶことができ、書店もじっくり売ることができる。しかし、とても読みきれない洪水のような出版点数を_¨誰も¨_減らすことができない。減らせるのは出版社自身であるが、点数を減らせば、新刊の売り上げが減ることは目に見えている。したがって、横ばいか少しずつ増やすか、どちらかとなる。」(傍点-原文)

 まったくその通りである。かつてのオイル・ショックのときのように作りたくても紙がないということでもなければ、出版社自身が自己抑制することはふつうは考えられない。ましてどの出版社も多かれ少なかれ新刊依存体質つまり自転車操業状態なのだから、新刊をストップすればたちまち立ち止まっていることさえできないということになるのが実情なのである。専門書出版社のように息の長い本を作りつづけてきた(はずの)ところでさえそうした傾向が強くなってきたのだから、出して一年もしないうちに誰も手に取らなくなるような場当たり的な本を出してきたところは、主として新刊の売上げによって成り立っているのだから、新刊刊行ペースをますます早めざるをえないのではなかろうか。これでは業界全体の刊行点数は加速度的にどこまでもふえつづけ、かのグレシャムの法則のとおり、悪書は良書を駆逐するという最近の悪しき傾向にますます拍車がかかるだろうことは目に見えている。どこかで認識のチャンネルを切り替えないと、おそらく業界全体が共倒れすることになりかねない。

「本や雑誌が、大量部数売れる時代は終わったと思う。だから、それに応じて、出版社の体質も変わらなければならない」と井狩氏はさきの引用部分につづけて書いているが、面白いのはこの先である。

「ひとつは人数である。大手出版社で、最大でせいぜい30人くらい、月に2~3点の新刊を出すところでは3人もいればいいと思う。100人以上などは多すぎる。もともと出版は、小人数で(1人ででも)成り立つ、もっとも有意義で魅力的な仕事なのである。大人数の幻影の時代は終わった。」

 じつに大胆な意見である。スケール・メリットによる収益構造と細分化された分業体制によって成り立っている大手出版社にとっては首肯しえない提案ではあろう。現実的に言えば、出版社の現場を知らないがゆえの暴論ではあるが、本質論として考えるとき、おおいに耳を傾ける必要のある意見ではないかとわたしは思う。すくなくともわたしの解釈では、ここで言われていることは出版社のトータルな人数のことよりも編集者の数のことを指しているように思えてならない。こんなことを言うと、世の編集者たちには憎まれるかもしれないが、出版界には必要以上に編集者が多すぎるのである。

 誤解をおそれず言えば、本を編集するということは自分のための仕事である。自分の出したい本のイメージが先行してこそ、それを実現できるように最大限の努力をすることができる。出しても出さなくてもいいと当人が思っているような本なら出さないほうがいいにきまっている。実際、編集者の主張のはっきりしない本が多すぎるのである。また、自分の出したい本がどうやっても企画を通らないようなら、そんな出版社にいたって意味はない。もっとも編集者にはひとりよがりの人間がけっこう多いから、自分のやろうとしていることがどこまで普遍性のあるものなのか、じっくり考え抜いたうえで決断することが肝心であるのは言うまでもない。自分で出したい本のイメージのひとつもなくて、業務として編集にたずさわっているだけなら編集者などという因果な稼業からは足を洗うことをお勧めする。まあ、これからさきは当人の生き方の問題だから深追いはしないが、井狩氏の大胆な提案に答えられる点があるとしたら、出版社単位の問題ではなく、編集者ひとりひとりの問題意識の集積が、これからの出版の世界を変えていくことを期待するほうがいいのかもしれない。

 そんななかで、フリー編集者として古書界の面白い話題など出版業の一面に目を配りつつ独自の感覚での編集本を作りつづけているひとに高橋輝次さんというひとがいる。半年ほど前になるが、わたしも一文を寄せた『原稿を依頼する人、される人』(燃焼社)という本が出た。著者、編集者六七人の文章を収録したもので、本が生まれる現場とはどういうものか、さまざまな経験と考え方が語られている。編集者、そしてもちろん著者もぜひ参考にしてほしい。

「本の洪水」のなかの出版不況という悪無限のなかで、自社の出版物を総点検しようとする動きも出始めている。つまらない本なら作っても売れなくて損をするだけだから、当然と言えば当然であるが、この未曾有の出版不況のなかで、専門書出版社やロングセラーをもっている出版社を中心に自助努力がようやく始動したと言うべきか。その結果として出版社の人員の適正規模がすこしずつ実現の方向へ向かっていくなら、おおいに結構なことである。

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[未来の窓23]

読書文化史からなにを学ぶか

「書物がすばらしいものであればあるほど、売れるチャンスは少なくなる。優れた人間というものは、大衆を超越しているから、彼の成功は、作品の真価を認めるのに必要な時間と正比例するのだ。けれど、いかなる出版社も待ってはくれない。今日の書物は、明日売れなくてはいけないのだ。このシステムにおいては、出版社は、高度かつ遅々たる認証を必要とするところの、実質のある本など拒否するのである。」

 なにやら売れる本にしか関心を払おうとしない最近の出版界を批判した現代の出版文化論のように思われるかもしれないが、この文章がいまから一五〇年以上まえに書かれたものであるという厳然たる事実に驚かないわけにいかない。まるで今日の出版界のありようを大予言したかのような的確な認識が示されていて、作品の評価、とりわけ芸術作品の評価がいかに困難かつ非合理なものであるかを、出版という商行為の原則に照らして指摘されている。じつはこの書き手はフランスの大作家バルザックであり、一八四三年に刊行された長篇小説『幻滅』のなかの一節が先の引用文なのである。

 よく知られていることだが、バルザックは若いときから印刷・出版などの事業の失敗で途方もない借金を抱えてしまった人物で、とにかく借金返済のために昼も夜もコーヒーをがぶ飲みしながら書いて書いて書きまくった作家であった。勃興期にあった出版ジャーナリズムに早くから首を突っ込んでいたこともあって、出版の内部事情に当時から誰よりも通じていた人物でもあった。したがって冒頭に引用したような書物の真価と売れ行きにおけるギャップというか、書物の刊行のための必要条件がどれほど書物の実質とかけはなれたものであらざるをえないかをバルザックは熟知していたのである。

 西欧社会が教育の普及や印刷技術の革新などによって今日にいたる近代メディア、近代ジャーナリズムの発展をみせたのは十九世紀のことであった。文学・芸術のジャンルにおけるいわゆる「近代」がこの時期の産物であることはつとに指摘されてきていることである。

 わたしにとって出版や読書環境をめぐる社会史的な考察は立場上からもとても興味深い。こうしたテーマをめぐって最近刊行されたものに宮下志朗著『読書の首都パリ』(みすず書房)という好著がある。わたしの大学院時代の親しい友人の本をこういうところで紹介するのはいくらか気が引けるが、かれが専門のラブレーやルネサンス関連の本はともあれ、十九世紀の主として小説文学にかんしてこれほどの「思い入れ」をもっているとは残念ながら気がつかないままできたのだから、ちょっとした驚きでもあるので許されたい。そして何を隠そう、冒頭に引いたバルザックの小説からの引用もこの本からの孫引きなのである。出世作『本の都市リヨン』をはじめとして、多くの書物論についての著作、翻訳を手がけているかれにとっては十九世紀というのはもうひとつの専門領域といっていいかもしれない。この本は「十九世紀の首都」とも呼ばれたパリを舞台としてバルザック、フロベール、ゾラといった十九世紀フランスを代表する大作家の作品を、しばしば詩人ボードレールの意見を引合いに出しつつ、さまざまな社会的歴史的モメントを縦横にからませながら自在に読み解くといった手法によって構成されている。しかしそこで参照されているのは新聞連載小説、読書クラブという制度、出版社と著者の金銭をめぐる関係、セーヌ河岸のブキニストと呼ばれる露店の古本屋、ベンヤミンでよく知られるようになったパサージュと呼ばれる商業地域、等々の書物をめぐる社会史的知であって、それらが自由にカップリングされて「読書の首都」を立体的に構成しているさまの叙述は壮観であり説得的である。書物の側面からみた一風変わったフランス文学史と呼んでもいいかもしれない。

 ところでわたしはこの本についてここで論評をするつもりはない。ただ、ここからいくつかの現代との共通点と差異を引きだしてみたいのである。最初に書物の出版にかんするバルザックの現代的な考えを紹介したわけだが、これ以外にも当時の小説の出版部数と定価についての興味深いデータが挙げられている。一例を挙げれば、ゾラの代表作としていまでも読まれている「テレーズ・ラカン」という小説(一八六七年刊)でさえ初版は一五〇〇部でしかなかったのである。しかもこれはごく一般的な数字であったようで、おおかたは初版発行部数は一〇〇〇部から二〇〇〇部だったようだ。今日の専門書出版の初版部数とまったく同じではないか。これをどう考えたらいいのか。

 もっともこうした小説の場合、大部数が出ないのにもわけがあった。ひとつには定価が非常に高く、貴族や金持ちでなければ一般のひとが簡単に所有することのできない希少性としての価値をもつものが書物であるという通念があったからであり、もうひとつには、都市部を中心として貸本屋または読書クラブというシステムがよく機能していたからである。だから小説は少部数にもかかわらず、よく読まれた。知名度の高い作家でも小説の印税または原稿料だけで自立していくのが大変だったのはそういう背景があるのである。もっとも、逆に言えば、一定以上に売れさえすればその程度の部数でも生活しうるだけの印税が見込めたということでもあろうか。フロベールの『ボヴァリー夫人』が刊行時におけるスキャンダルによる追い風にもかかわらず、三万部しか売れなかったこと、またそれでも生活的に自立しうるだけの部数であったらしいことが推測されるのだ。

 フランスにおけるこの貸本屋または読書クラブというシステムはいまはすたれてしまったようだが、サルトルが本を読むために図書館に通っていたように、公共スペースとしての図書館の整備が進んでいる国では、書物とは、専門書であろうとなかろうと、またかなり高価なものであろうと、きちんと購入され読者のために確保されるべきものであるという認識が伝統として定着していることがわかるのである。こういうものが文化の厚みというものであって、残念ながら日本の図書館行政にはいまだに根づいていないものなのである。

 書物というものがこれほどにも読む対象として求められた時代があったのだということ、このインターネット時代にもこの記憶は残ることができるだろうか。

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[未来の窓24]

〈責任販売制〉という戦略

 すでに業界紙などで発表されているように、小学館がこの六月に刊行される『21世紀こども百科 歴史館』を対象として「責任販売制(案)」を実施する構想を打ち出した。書店からの事前注文制による買切りであり、その条件としては書店マージン三五%、取次マージン八%をふくむ卸し正味を五七%とするものである。しかも一〇〇部以上販売した書店にはさらに五%の販売促進費(=報償金)を出すというのだから驚きだ。書店マージンは最大四〇%が可能となる。現今の二〇%を大きく上回るマージンが出るとあっては、日書連が大歓迎するのも無理はない。すでに日販・トーハンの二大取次もこの試みに(しぶしぶ)賛成しているとのことである。

 ところで、こうした試みがはたしてどれだけの意味があるのか、いまの段階ではまだなんとも言えないことが多いのだが、予測しうる問題点は考察しておく必要があるだろう。というのは、この試みが現在の出版不況を打破する救世主的役割をはたすものと期待されているむきがあるからである。

 まず考えられるのは、この試みにどれだけの普遍性があるのかという問題である。つまり、業界の大きな流れとは言わないまでも、ひとつの有力な手法として定着する可能性があるのかという問題である。もちろん、あくまで実験的な試みであるとあらかじめ主張されている以上、この問題は限定された範囲でしか問うことはできない。しかし実験的であろうとなかろうと、それが現実に鳴り物入りでスタートする以上、これは原理的な問題として考察されなければならないはずである。

 今回の試みの対象とされる『歴史館』は、最新刊の『科学館』が一四万部の販売実績をもつ人気シリーズである(「新文化」一月二十八日号の記事より)『21世紀こども百科』の一冊であることによって、いわばその成功が最初から保証されている。じつはそこにこそ、この試みの実験性そのものに疑問が生ずる理由があるのである。失敗のないところに実験は存在しないからである。

 小学館によれば、一冊四七〇〇円の『歴史館』は、これまで通りの卸し正味で販売すれば七万部で採算がとれるところだが、今回の試みでは採算部数が一〇万部を超えるとのことである。単純に試算してみても、四七〇〇円の本が五七掛けで七万部売れれば、総売り上げで一億八七五三万円になる。通常正味で売った場合の七万部の売上げが約二億四〇〇〇万だから、この試みが成功しないで七万部で終わったとしても、約五〇〇〇万円強の損失が出るにすぎない。われわれ小出版社にとっては大変な金額だが、小学館のような超大手出版社からすれば、日書連幹部の絶大な支持もとりつけるようなこれだけの話題提供ができれば、それだけでも十分に元を取ることができるといっていいだろう。そればかりではない。ある大書店チェーンでは、書店に協力的なこうした試みにはおおいに「責任販売」してみようと積極的に販売作戦を立てていこうとの話もある。いかにもありうることである。そうしてみると、そもそも七万部どころかその倍以上売れると見込むことも十分に可能なのである。書店にとってみれば、一冊売って三五%から四〇%の利益が上がるものを他の二〇%しか利益の上がらない本より積極的に売ろうとするのは当然だからだ。ましてや売り損なった場合には書店は三割入帳(小学館には二割入帳)でしか返品できないというペナルティまであるのだから、必死になって売り切ろうとするだろう。

 こうなってみると、小学館は「責任販売制」の勇気ある推進者という名をとるとともに実をもとることになる。これはじつにおそるべき巧妙な仕掛けであり、一種の価格破壊を辞さぬ優れた市場戦略であると言うべきかもしれない。しかもそこにはポスト再販まで見越した販売戦略の実験まで含んでいるのかもしれないと思えばなおさらだ。

 言うまでもなく、こうした手法が可能なのは巨大な資本とベストセラー商品を有する特定の出版社に限られる。そもそも大取次二社が特別に手間のかかる特定商品にたいして流通システムの一部変更をともなう特別体制を組むことを了承したのも、シェアの高い出版社の主張だからにほかならない。今回の『歴史館』は通常正味の委託扱いとなる最初の五〇〇〇部の見本分と、それ以外の注文・買切り分との二種類に分かれる予定だそうである。同一商品でありながら二つの正味体系をもつことになり、したがってISBNコードも別々になる。こういった前例のない商品を扱うには、返品時のチェック漏れなどのためにも特別のシステムが必要になるのであって、取次としてもシステムの別途の構築が必要になる。そうしたコストを度外視して通常の取次マージンで我慢することになったのも、責任販売制は業界の流通改善のための切り札という錦の御旗が立てられてしまったからにほかならない。取次はいわば退路を断たれたかたちで今回の小学館の戦略に同調したはずである。これなどはわれわれのようなベストセラーと無縁な弱小出版社には及びもつかない力わざである。

 問題はそれだけに収まらない。こうしたいわば強者の論理がまかり通ることになれば、書店店頭ではますます売れるもの、利幅のあるものを重視する傾向に拍車がかかるだろう。同じ出版物といっても、あらかじめベストセラーになることのありえない専門書と、場合によっては巨大な利益を生むことが可能な出版物とでは、正味を比べること自体に意味がない。にもかかわらず、小社のように企業防衛上、注文制をとらざるをえない専門書出版社の正味体系にまで累が及ぶことにもなりかねないのである。もっとも小学館が売れる商品だけについてでなく全面的に注文制に移行し、責任販売制を主張するようになるのであれば話は別だが。

 小社の創業者でもある西谷能雄が注文制とともに責任販売制について早くから論陣を張っていたことを覚えている業界人ももはや少ないだろう。一九八八年に小社から刊行された『責任販売制とは何か』のなかで「責任販売制」がややもすると_¨販売¨_に重点がおかれがちなのにたいし、業界三者がそれぞれの立場で_¨責任¨_をもつべきであることがくりかえし主張されていたことが、いまやなつかしく思い起こされる。業界の共存共栄につながらなければ、責任販売制の主張もパフォーマンスに終わる危険がある。

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[未来の窓25]

追悼する想いのなかから

 ことしになって小社の代表的な出版物の著者の追悼のための二つの会にあいついで出席することになった。その一は、一月三十日に成蹊大学4号館ホールでおこなわれた故・安藤英治氏の追悼式であり、その二は二月二十日に神楽坂の出版クラブで故・埴谷雄高氏の三周忌として開かれた「埴谷雄高を想う会」(シンポジウムと懇親会)であった。一方はウェーバー研究者として著名な学者であり、もう一方はいうまでもなく『死霊』で名高い戦後作家である。お二方のいずれにもわたしは小社の仕事の関係でその晩年にお会いする機会があり、それぞれわずかながら印象にとどめさせていただいている。

 本号で追悼の小特集を組むことになっている安藤英治氏は、小社からは、その学界での衝撃的なデビュー作となった『マックス・ウェーバー研究』(一九六五年)と最後の著作でもある『ウェーバー歴史社会学の出立』(一九九二年)を刊行されたほか、故・大塚久雄氏によって改定されたウェーバーの梶山力訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』を復権(一九九四年)させ大塚学派に異を唱えるなど、最後まで学者としての良心を守る姿勢を貫かれた。

 成蹊大学での追悼式(学部葬)に参加して驚かされたのは、安藤氏の質実剛健の精神は、学界での孤高とも言うべき立場とはちがって、その教育者および剣道部顧問としてのさまざまな教え子たちから敬愛され信頼されているお姿だった。弔辞を何人かの方が読まれたが、なかでも小林昇氏のものはご霊前に向かってではなく、ホールの聴衆に向かって話しかけられるというやや異例のかたちで、ありし日の安藤氏のお仕事の全貌をくまなく紹介して間然するところのないもので、印象に深く刻まれるものであった(この弔辞は本号に収録されているので、ぜひお読みいただきたい)。亡くなられた部屋の仕事中の机の上には、数年前にミュンヘンでおこなわれたウェーバー学会での発表をまとめることになるというドイツ語の書物のための最終ゲラが広げられたままだったという。いかにも大学者にふさわしいエピソードであり、立派な追悼式であった。

 埴谷雄高氏とは生前最後の五冊の評論・対話集の刊行に直接かかわらせてもらっただけに、思うところもまた複雑である。埴谷氏自身によって「運命的な××と××シリーズ」とも呼ばれた評論・対話集シリーズは合計三十三冊にまで上った。晩年の埴谷氏と関係の深かった白川正芳氏によれば、埴谷氏は関係の深かった講談社と未來社を特別視してくださっていたとのことで、最後の対話集の打合せに吉祥寺のお宅へうかがうことをお知らせすると、体調の悪かったときでさえ朝から「きょうは未來社が来る、未來社が来る」とおおいに張り切ってくれていたそうである。亡くなる前年の一九九六年に最後の対話集『超時と没我』『跳躍と浸潤』『瞬發と残響』が刊行される前後にお会いしてお話をうかがうことが多かったが、いつもその話の宇宙的広がりに埴谷氏らしさを感じつつも、その息苦しそうな呼吸が気が気でなかったことをよく覚えている。

 そんな埴谷氏をあらためて追悼する会が、命日である二月十九日の翌日、三周忌をかねて「埴谷雄高を想う会」としておこなわれたわけである。昨秋から講談社のW氏の呼びかけで河出書房新社のI氏とわたしとで「想う会」の事務局会議が何度かおこなわれて、この会が実現したわけだが、これには講談社版全集の監修委員の方たちの意向がおおいに働いている。宇宙へむけて無限の思考を凝らそうとした埴谷雄高氏らしく、たんなる追悼集会というよりは「想う会」として埴谷氏を想いながらいろいろ話をしてみようとの主旨である。午後のシンポジウムには大江健三郎、島田雅彦、鶴見俊輔の各氏によるトークがあり、土曜日にもかかわらず多くの聴衆が参加してくれて、こうした会を開く経験の乏しいわたしとしてはいろいろ学ぶところがあった。

 いくつかのハプニングもあったが、埴谷雄高氏の思想がこうした会のなかにも力強く生きつづけていることが感じられる集まりであり、文学者を追悼するという行為がいかなる強制もはたらかない自発的なものであることが、あらためて認識された。さまざまな追悼の会に出席したことがあるわたしにも、懇親会の最後まで多くのひとが埴谷氏との別れを惜しむかのように居残りつづけたことが、ことに印象深かった。

「埴谷雄高を想う会」があった翌週には、青土社の清水康雄社長が亡くなられ、二月二十六日の葬儀にも参列した。面識を得る機会はついにこないままになってしまったが、個人的には大学入学したてに愛読した創刊されたばかりの「ユリイカ」をはじめ、「現代思想」その他でずいぶんお世話になってきた。とりわけこの「現代思想」の刊行において日本の思想界に与えた影響力ははかりしれないものがあるだろう。弔辞で中村雄二郎氏もそのような意味のことを述べられていた。懇意の著者を通じて以前から清水氏の具合が良くないことを聞いていただけに、やはり来るべきものが来たという印象は免れなかった。ここでも大岡信氏、那珂太郎氏などさまざまな詩人、批評家、編集者、デザイナーとお会いすることができたけれども、日本の出版界はひとりの重要な人材を失なったことになる。

 学者の追悼式と文学者を想う会、そして出版人の葬儀と、その主旨はそれぞれかなりちがうけれども、多くのひとがひとりのひとの生前の業績なり人物なりを高く評価し、愛着をおぼえることを通じて、残されたひととひとのあいだにさまざまなコミュニケーションがおこなわれる、このことに本質的なちがいはない。人間の実在は消滅しても、書き残されたことはひとびとの心に、そして書物としてひとびとの前に残される。書物あるいは出版という仕事は、残されてはじめてその重要な意味が見えてくる。書物という存在は、見えないところでひととひとを結びつけ、なにものかをひとに伝える。埴谷雄高氏のことばではないけれど、〈精神のリレー〉というものがたしかに存在するのである。出版という仕事はそういう人間の本質的な営為に深くかかわっている。そんなことをあらためていろいろ考えてみたい。

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[未来の窓26]

追悼ふたたび

 前号で小社の主要な二人の著者の追悼の文章を書いたばかりであるのに、今回またしても、個人的にも親しくさせてもらっていた著者がお二人つづけて亡くなられてしまった。お二人とも昨年のはじめから入院されていたから不意のことではなかったとはいえ、ひとの生が断ちきられるという残酷さは、残された者の無念さとは本来的に釣り合わないものがあるとはいえ、やはり人間のいのちについてあらためて考えさせられる。元気に生きていて仕事をできることの幸福──どんなに多忙であっても、生きていてこそひとは他者と出会うことも語り合うこともできるのである。

 三月十七日に亡くなられた矢代梓氏(ドイツ思想史)は一九四五年生まれのまだこれからといってよい研究者で、専門のドイツ思想から二十世紀の文化、音楽全般にわたるその該博な知識とあくことなき関心、そしてそのエネルギッシュな能弁ぶり(と声の大きさ)は、一度でも氏と接したことのある者なら誰ひとり知らぬ者とていないほど有名であった。矢代さんは中央公論社の笠井雅洋さん(本名)という名物編集者としてもつとに知られていた。

 そのお通夜と葬儀にそれこそ日本全国からさまざまな著者、研究者、編集者、芸術家が駆けつけたことからもわかるように、その交友圏は広大であり、いろいろなひとと多彩な接点をもつことができていたのであり、おおげさに言えば現代日本の思想・文学・芸術界の粋が結集したと言ってもいいほどのものだった。わたしもそこで思いがけぬ多くのひとたちと挨拶を交わすことができたし、そのあと初対面のひともふくむ何人かのひとたちと献杯をしながら思い出にひたることもできた。ひととひとを出会わせ結びつけるのが矢代氏(というか、ここでは笠井さん)の真骨頂だったとすれば、笠井さんは死してなおひととひとを結びあわせようとしたのかもしれないと勝手に解釈している。

 あらためて考えてみると、笠井さんとのおつきあいはいつから始まったのだろう。最初の出会いのときがいまひとつはっきりしないのがむしろ不思議なぐらいなのだが、もう十年ほどまえからつづいている大学教師や詩人や編集者の忘年会のなんとはなしの集まりがあって、おそらくその二年目ぐらいから笠井さんはレギュラーとして早くもその存在感を誇示されてきたように記憶する。笠井さんの本と音楽にかんする話術と元気はいつでも座の中心になってしまうのだった。

 そんな笠井さんに著書を出すことを長いこと勧めてきた結果、ハーバーマス論を小誌に連載してもらい、それがようやく『啓蒙のイロニー──ハーバーマスをめぐる論争史』として実現したのが一昨年(一九九七年)の七月だった。これまでどちらかと言えば、黒子に徹してきたところのある笠井さんの事実上はじめての本格的な著書になったと思われるが、このあたりから笠井さんは本気で著述家として立っていこうとしていたはずである。『啓蒙のイロニー』刊行のあと、いっしょに呑んでいるときにそうした意欲を語られていたことを思い出す。そのときの話題のひとつが、ドイツの古書肆フィッシャー書店の創立者にかんする伝記を準備中だという話だったと記憶している。本来の専攻テーマであるワイマール文化史についても膨大な情報量のなかからきっと優れた著書が続々と生まれたにちがいなかった。

 そんな笠井さんがノドを患って入院されたのが昨年二月だった。一年におよぶ長い闘病生活のあと、親友の山本啓さんに亡くなる直前に語ったという「くやしい!」という笠井さんの叫びがいまもわたしの心に刺さっている。お見舞いに行くたびに、引越ししたばかりの家に積み上げられたままであろう数百箱とも言われる蔵書やCDの整理が全然できていないことを気にかけていた笠井さん。引越しが一段落したら一度みんなを新居披露に招待してくれる約束になっていた笠井さん。出版にまつわるいろいろな企画やらパソコンの伝授をすることになっていた笠井さん。楽しみや期待をいっぱい残して、心身の疲労が重なってこうした死を招いたことがほんとうに残念でならない。心からの冥福を祈ります。

 悲しみは突然、しかも続けてやってきた。

 笠井雅洋氏の亡くなった四日後の三月二十一日、経済思想史の杉山忠平先生が長い闘病生活のすえに亡くなられたという知らせを受けた。小誌今号に小林昇、水田洋両氏のご弔辞を急ぎ掲載させていただいた。先生のご業績、人となりはこのお二人の心あたたまるすばらしいご弔辞に十分に尽くされているので、ここではわたし個人の先生への感謝をわずかにでも書き留めておきたい。わたしは、もともと先代からの長いおつきあいをいただいていた杉山先生に、ときどき小社にやって来られたときにご挨拶をする程度であった。かなり以前、奥様をなくされたあとで元気を出していただくためにスタークの『経済学の思想的基礎』の翻訳のお仕事を編集者としてかかわらせていただくことがあった。あとにも先にも、わたしが先生といっしょに仕事をさせていただいたのはこの一冊だけだったが、先生の厳密な学問への姿勢を実地に学ばせていただく絶好の機会だったといまさらに思いかえされる。

 そんなうちに小林昇先生のご推輓もあって、小林先生のあとを受けて五年ほど監査役を引き受けていただいた。そういうわけで、毎年十一月下旬になると、決算報告のために杉山先生の東中野のマンションにお邪魔する習慣ができ、そこで杉山先生のご専門である経済思想史の関連の学問動向やら先生ご自身の近業についてお話をうかがうことになった。こちらが門外漢でなければ、もっとそういったお話からいろいろ直接役に立つお話を引き出せたかもしれないのだが、のちにケンブリッジ大学出版局から出版されることになったアダム・スミス関係の専門的な注釈書のお話などをただひたすら拝聴させていただくだけに終わってしまった。

 そんなこともあって、杉山先生はむしろ出版界の動向をわたしから聞きだそうとすることのほうに興味をもたれることになって、専門書の売れない話などをもっぱらお聞かせするようなかたちになってしまった。お送りする小社の本にひとつひとつ丁寧に励ましのことばを手紙に書いてきてくださるほんとうにジェントルマンというべき先生だった。ほんとうに長いこと、ありがとうございました。

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[未来の窓27]

復刊の意義──書物復権運動と「定本・日本の民話」

 ことしも専門書出版社による〈書物復権〉運動のあらたな成果が問われる時期がやってきた。ことしで三回目になるこの運動に、さらに紀伊国屋書店がくわわることによって図書館販売などの面でもいっそうの広がりがでてくることが期待できる。この四月に新しい復刊書ラインナップを発表した〈書物復権〉リーフレットができ、その冒頭に「書物復権のあらたな段階へ」というタイトルで拙文が掲載されている。現時点での専門書復刊の意義について、とりわけ読者の方々への訴えとして書いたものなので、ここにあらためて転載させてもらいたい。

「専門書を主として刊行している出版社が集まって〈書物復権〉の運動を始めてから三年目になります。人文・社会科学系専門取次である鈴木書店や全国の有力書店のご理解とご協力を得て、また真に書物を愛する読者の方々のご支持とご期待のことばに励まされて、わたしたち出版社はことしも復刊の運動を進めます。昨年の7社にさらに紀伊國屋書店出版部も加わった8社が、読者の皆様からのアンケート結果を踏まえて厳選された以下の四一点の書物を復刊することになりました。/これらの書物はすでに高い評価を得ており、実績もあるものばかりです。しかしながら、これまでであれば着実に版を重ね、それを必要とする読者のご要望にいつでもお応えすることができていたはずの書物が、怒涛のように作り出される出版物の波に呑み込まれて、いつのまにか姿を消さざるをえなくなってしまっていたのです。せわしない時代の流れのなかで一冊一冊の書物が短命にならざるをえず、ロングセラーと呼ばれるものがどんどん消滅していく昨今の風潮は、未来への指針を失った現代の姿にほかなりません。/しかし、優れた著者と編集者の手でこの世界に送り出されてきた数多くの名著は、はたしてそんなに簡単に無用になるものでしょうか。そこには未来への光を与え、生きるヒントを与えてくれる知見や深い智恵や意志の力が具わっているはずです。わたしたちは目先の利益に飛びつくばかりでなく、人類の叡知とも言うべき古典的名著にたえず立ち返ってみて、そこから現代への認識を再点検してみる必要があります。/ここに復刊された書物はそうした埋もれようとする名著のごく一部でしかありません。わたしたち8社の出版社は、それぞれが生み出してきた遺産をもとに、取次・書店はもちろんのこと、心ある読者とともに書物復権のあらたな段階へ勇気をもって進んでいくつもりです。読者の方々のいっそうのご理解とご支持を願ってやみません。」

 おもしろいもので、この〈書物復権〉運動に参加させてもらって以来、自社の図書目録の品切れ一覧を見ていると、一冊一冊の品切れ本がみずからの復権をもとめて、その存在理由を主張して声を発しているように思われてくる。通常はどうしても見落としがちな品切れ本があらためて読み直しをせまってくるのである。われわれ出版社の人間こそがまず自社の財産目録たる図書目録に十分な注意と愛情を注いでいないのではないかという反省が必要なのだろう。今後ともそういった見地から良書の再発掘をしていきたいものである。

 その意味で今回はもうひとつの〈書物復権〉についてもお知らせしておきたい。かねてより定評のあった「日本の民話」シリーズ(全75冊、別巻4冊)がこのほど平凡社出版販売株式会社の販売協力を得て、「定本・日本の民話」第一期二十巻、第二期十九巻(セット定価各一〇八〇〇〇円)としてこの六月から復刊され、セット販売されることになった。一九五七年刊行の第一巻『信濃の民話』以来、ほぼ全国の府県を網羅したこのシリーズはTBSテレビ放映の「日本むかしばなし」のオリジナルとして使われるなど、民話ブームの発端となったこともあってよく売れた実績があるが、未來社版をベースにしたほるぷ版「日本の民話」として別売されたセットは、平凡社の世界大百科事典と競り合うほどの空前の売行きを示したこともある。

 今回はそういう縁のある平凡社出版販売(平凡社の販売・管理部門の子会社)の肝煎りでこの民話シリーズが復刊されることになり、ようやく制作が完了しようとしているところである。11ポ相当の大活字による読みやすさを意図して元の版をすこし大きくしたため菊判としたが、このサイズでの平均五〇〇頁の本が二十巻揃うと、かなり壮観である。子どもの教育問題がいろいろ取り沙汰されているなかで、母親が子どもに語って聞かせることのできる民話は、その地方ごとのさまざまな伝説や語り伝えを収集したものであり、親子間のコミュニケーションを作り直す契機になるかもしれない。

 このシリーズのために作製したチラシには『信濃の民話』の編者でもある松谷みよ子氏やTBSテレビの放映でおなじみの市原悦子氏、劇作家の木下順二氏、民俗学者の宮田登氏、小澤俊夫氏の推薦文をいただいたが、それぞれに日本の民話の豊かさ、日本人のこころの癒しとなる可能性などを指摘しておられる。たとえば、木下順二氏は、「日本の民話」への懐かしさに触れられたあとで、こう書かれている。「民話の中には、われらの祖先たちのそういった“懐しい思い”が、いろんな形をとって実に豊かに籠められている。それを今日の私たちがどう受けとめ、どう発展させるかが大切なことで、今度の復刊の大きな意味の一つもそこにあるだろう」と復刊の意義を認めていただいている。また宮田登氏は、「未來社版は何よりも平易な口語体で記され、かつ素朴な語り口を生かした再話民話の集大成であるから広範な読者層を獲得したのである。バブルがはじけ、不景気もきわまった日本の最近の世相であるが、こういう時期にこそ、荒んだ日本人の心のいやしに『定本 日本の民話』が役立つことは明らか」と本シリーズの特徴をわかりやすく説明されている。

 そういう思いをこめた本がこの時代にどのぐらい再評価されるのか興味深いものがある。

 なお、このシリーズはすでに述べた平凡社出版販売のオリジナル企画ということもあって、未來社としては制作にしか関与していないので、窓口としてしかかかわらない。注文その他はすべて平凡社出版販売のほうで扱うことになっているので、どうぞご理解をいただきたい。(連絡先の電話番号は03-3265-5855)

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[未来の窓28]

図書館の役割はどう変わるべきか

 公共図書館の図書購入の基準はどうなっているのか。以前からいろいろ疑問があったのだが、「朝日新聞」五月二十七日号の記事で、とりわけベストセラー本の購入にかんしていろいろな意見があることがわかった。ここではこの記事に関連しながら、公共図書館はどうあるべきかについて私見の一端を述べておきたい。

 まず最初に問題にすべきことは、公共図書館とそれを利用する読者(市民)との関係がそれぞれの図書館関係者に明確に位置づけられていないことである。なにが公共の役に立つかという観点である。これは〈公共性〉という近代的観念をめぐる哲学的な知見を必要とする課題かもしれないが、さしあたり市民の読書への要望をどう評価するかということが争点になる。『失楽園』や『五体不満足』のようなベストセラーを「市民のために」として一館で数十冊も購入する公共図書館が少なくないということであるが、これはいまに始まったことではない。かつて黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』が売れているときには一館で二百冊購入したところもあったと聞いたことがある。

 たしかにどんな本であろうと、市民に要望の多い本を揃えるのは公共図書館の役目であると思っている図書館司書は多いだろう。しかしこうしたベストセラー本が一過的な興味を引きつけるだけで、時間がたてば誰も見向きもしなくなっているという現実を経験している司書は多いのではないだろうか。にもかかわらず、当座の人気と要望に応えるのが図書館の使命だと考えるのだとすれば、やはり役人によくありがちな失点防止主義、ことなかれ主義だと言われても仕方ないだろう。読者はどうしても読みたければ、自腹を切って買って読むのがあたりまえではなかろうか。文句を言って税金で買わせるのが市民の権利だとでも思っているひとにおもねる必要がどこにあるのか。

「朝日新聞」の記事によれば、元図書館員のM氏は「ベストセラーは時代を写す鏡であり、図書館利用者は図書館人が考える以上に賢明です」と主張している。こうした考えは一見市民を尊重するまっとうな意見にみえて、そのじつはふだんあまり本を読まないような市民層に迎合しようとするだけではないだろうか。本来の図書館がはたすべき役割はもっと別のところにあり、こうした種類の本の利用者ばかりが図書館を利用していることこそが問題ではなかろうか。M氏の主張とは逆に、図書館人が利用者よりもさらに賢明でないだけではなかろうか。「『無料貸本屋みたい』という批判は、ほめ言葉として受け取りたい」と言うにいたっては、かなり悪質な開き直りだと言うしかない。こういうひとが、予算の制限をタテに学術書の購入されにくさを残念がってみせ、図書館の相互貸借制度のことを推奨するのも、スタンドプレーとしか思えない。

 たしかにM氏が言うように、「『良書』を通して知識を獲得し、人間性の向上に役立てるという古典的な『良書主義』」という観点は、むしろ近代主義的な市民啓蒙の思想にすぎず、こうした上からの押しつけもまたおおいに問題にしてよい。

 しかし本の選別をするのが司書の役割であることに変わりはない以上、一過的なベストセラー本に目を奪われず、購入すべき本を見分けるのはかなりの情報量と選択眼をもたなければならないことになる。そこで各種新聞・雑誌の書評なり記事なりを参考にするのも司書の当然の役割のひとつであろうが、昨今の大新聞も学術書や専門書のきちんとした書評が載せられなくなってきている傾向にあることを思うとき、それだけに頼っていいのだろうかという思いがする。

 そこで図書館人に考えてもらいたいのは、文化的な出版活動が成立するためには、図書館の役割がこれまで以上に必要になってくるだろうということへの自己認識であり、欧米なみとはすぐにはいかないかもしれないが、図書館予算をふくむ行政改革にもっと積極的に取り組んでほしいということである。

 図書館人は出版の現状についてもっと知ってもらいたい。数年前に神奈川県の図書館のひとたちと話をする機会があったときに経験したことであるが、出版物が世に出るためにはどれだけのコストや手間がかかるかということ、専門書がどれほど少部数の刊行であるかについて、ほとんど知らないということにこちらのほうが驚いたことがある。しかもそこに集ったひとたちは図書館のひとたちのなかでもかなり意識的で積極的なひとたちであったはずだから、なおさらのことだった。その意味では公共図書館のひとたちが、ベストセラー本の安易な大量購入をやめて学術専門書の購入をもうすこし積極的に考えてくれるだけで当面でもかなり大きな専門書出版社へのサポートになるのだということを認識してほしいのである。

 竹内紀吉氏はさきの「朝日新聞」の記事へのコメントのなかで「本や出版社が俳優や女優だとすれば、図書館は演出家」であり、中小出版社の本の徹底収集の必要を説いている。こうしたすぐれた演出のもとでこそ、すぐれた利用者も集まってくるのであることは言うまでもないだろう。そしてこの演出家は、ベストセラー志向でない、地道な研究や基礎的な学問への出版社の意欲を高めることを通じて、専門書出版のさらなる活性化に、ひいては文化の向上におおいに寄与することになるだろう。

 松本功氏は近著『ルネッサンスパブリッシャー宣言』(ひつじ書房刊)のなかで、これからの出版について具体的な提案をおこなっているが、そのなかで図書館のありかたについても、いくつかの提案をしている。たとえば、インターネットをつうじての電子図書館化。現在、公的機関のかわりにNPO(非営利団体)が品切れの学術専門書などのコンテンツ制作をつうじて情報提供の運動を展開しているが、こうしたボランティア活動にたいして積極的な購入その他をつうじて資金援助をおこなうとか、紙媒体によらない書物の電子情報化にたいして利用の頻度に応じた支払いを制度化するなどの考えかただ。図書館人も二十一世紀にむけてこうしたあらたな出版形態を模索する時期にきているのだ。

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[未来の窓29]

少部数出版の可能性

「絶版本1冊から受注」──「日本経済新聞」七月一日号夕刊にこうしたセンセーショナルな記事が掲載されている。日販が出版社の品切れ本、絶版本を読者から受注して印刷・製本をし、配送もおこなおうという構想で、この九月には「ブッキング」という新会社を設立してサービス業務を開始しようとするものである。いわゆる「プリント・オンデマンド」による読者の要望へのサービスとなるわけだ。日販の説明によれば、出版社は在庫をもたずに必要な部数だけの重版をすることができ、しかもローコストでそれを実現することができるし、読者のほうでは読みたくても読めなかった書物が簡単に手に入るということになる。たしかに、こんなうまい話があれば、総論的にはおおいに賛成したい。われわれのような専門書中心の小出版社にとってはとりわけ積年の課題が解決できるのではないかという期待さえ抱かせるものがある。

 しかし、いろいろ話を聞いてみると、なかなかそううまい話ばかりではないようだ。もちろん、読者のほうからの読みたい本がなかなか手に入らない、流通に時間がかかりすぎるばかりでなく、必要な本が版元品切れで入手できないといった不満や切実な要求に答えねばならないのは出版界の懸案でもあり、こうした問題に取り組もうとする日販の姿勢は敬意を表するべきものであることは言うまでもない。

 したがって総論は賛成だが、各論のところで問題が十分に煮詰められていない点がいささか心配なのである。いくつかの問題をここで整理してみよう。

 その第一は「ブッキング」という新会社が今後どういう戦略をもってこの事業に取り組もうとしているのかがもうひとつ見えてこない点である。というより、取次の現場からは出版の内実があまりにも見えていないという気がするのである。

 たとえば、このオンデマンド出版の方式としてスキャン方式とデジタルファイルによる加工方式の二種類がまず設定されている。古い書籍の場合、ほとんどデジタルファイルというものは存在しないから、当面はスキャン方式、つまり原本をカメラ取りし、それを簡易印刷・簡易製本して読者に渡す方式がとられざるをえないが、それさえもきれいな原本二冊が版元にも残っていない場合が考えられる。初版ではなく、最新刷りの原本が必要なのは、訂正処理などがすんでいるものでないと、誤植その他がそのまま定着してしまうからである。それから写真や装幀などをそのままスキャンするとしても、当然ながら元版に比べれば精度は落ちるし、文字の場合とはちがって写真家やデザイナーの不満や拒否にあうことも考えられる。  くわえて著作権者の了解や、著作権料の見直し(=料率の軽減)などの交渉も出版社の仕事とならざるをえない。また、翻訳ものの場合など、原出版社との契約事項には版権の二次使用については別途ないし割増規定があり、そのための再契約なども必要になってくるかもしれない。「1冊から受注」可能だということは、1冊しか売れない場合だってあるという危険と背中合わせであることを考えると、どんな本だって注文があったら、この方式で読者の要望に応えられるわけではないということでもある。やはりある程度売れないとこの方式さえも非現実的になりかねないのである。

 それに関連して言えば、これからの出版物のありかたを考えるとき、これからつくられる本もふくめて、インターネットを利用してのデジタルデータの売買、ダウンロード、決済方式についてもあらかじめ考慮に入れておかなければならないだろう。しかし、いまのところ本と同じ内容のデジタルデータというものがほとんど存在しないという厳然たる事実を指摘しておかなければならない。ブッキングという会社が将来的にはネット上でのデジタルデータの売買を中心にすることを考えているのだとすれば(また、そうでなければ将来的に見込みがない)、デジタルデータというコンテンツがすでにいまでもある程度存在しているというような錯覚をもっていてはならない。本があれば、それに対応するデジタルデータが存在するだろうというのが大前提になっているような気がするが、事実はそれに反する。著者の入稿データは訂正以前の初校程度のものにすぎないから、いまの段階では、印刷所にあるデータが最終形態に近い。しかし、これには印刷所の編集機ごと、あるいはフォント会社ごとにさまざまなコマンドなり記号なりがフルに入力されたテキストファイルしか存在しないというのが実情であり、これは言うまでもなく一般の読者にはなんのことだかわからない暗号のようなファイルなのである。要するに、使いやすくて容量的にも軽いテキストファイル形式の業界標準が存在しない現段階では、使えるデジタルデータはないということになる。

 こうした重大な問題点はあるものの、とりあえず事態の打開をすすめるために、まずできるところから着手するという方向性は支持したい。ただし、ここにも大きな問題がある。というのは、これまでの重版ロットとして存在していた五〇〇部、一〇〇〇部という単位でなく、もっと少部数の重版を可能とする技術が出現してきたからで、二〇〇部、三〇〇部でも通常の重版が可能になりつつあるからである。そうしてみると、ブッキングがターゲットにしているであろう比較的要望の多い品切れ本が通常の書物として復活するチャンスが出てきたということになり、少部数重版にもすくなくとも二つの選択肢があらわれたことになる。

「書物復権」の運動にも示されているように、古い名著にもまだまだ読者は健在である。採算がとれなくなったというだけで重版ができなくなってきたここ何年かの専門書出版社の低迷ぶりにもようやく歯止めがかけられようとしているのかもしれない。これにわたしが考え実践しているような、新刊刊行におけるテキスト処理の技法がより認識され一般化してくれば、新刊においても少部数出版が可能になると思われる。出るべき新刊がなかなか出せないといった、経済不況に先導された出版における企画の貧困、これをわたしは「文化不況」と名づけているが、どうやらこの文化不況を突破するツールだけは揃いつつあるらしい。あとは著者、編集者、経営者など、出版人のアタマの中身の問題だけが残されていると言ったら言いすぎだろうか。

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[未来の窓30]

テキストファイルの業界標準化

 前回、オンデマンド出版の問題について述べたなかで、これからの出版物のありかたについて、とりわけそのデジタルデータとの関係についてすこしだけ言及した。出版物が紙媒体(通常の書物の形態)としてケ1のみケ2存在することを自明としてきたこれまでの出版の世界から、電子データそのものの流通・販売の可能性のもうひとつの世界へ、出版の世界も大きくひろがりつつある。これからは紙媒体とともにそのデジタルデータが売買の対象になるにちがいない。しかしながら、目下のところ、書物とまったく同一のデジタルデータで一般読者が利用できるものはじつはどこにもないのだということがまったくといっていいほど理解されていない。前回も書いたように、著者のもってきた文字データと印刷所の最終データとは通常は似て非なるものであり、いずれもそのままでは使いものにならないのである。しかも、いまのところ、編集者は多くの場合、著者のデータをそのまま印刷所に中継して渡すだけだから、出版社ないし編集者の手元には肝腎のデータはなにひとつ残されていないのである。

 これからの新刊製作およびデジタルデータのインターネット利用ということを考えるとき、データがどういうかたちで保存され配布されるのがいいのか、そろそろきちんと考えておかなければならないはずである。ネット上で利用可能になるためには、データの軽量性、可変性、検索可能性などの点からもプレーンなテキストファイル形式がもっとも望ましいのはいうまでもない。せいぜい書式を組み込んだPDF(Portable Document Format)形式でなければならない。

 プレーンなテキストファイルとはなによりも数列に変換されうる電子情報だけで成り立っている文字列のことである。したがって日本語表現につきもののルビ、傍点(圏点)などの約束事が排除されたファイル形式である。もちろん書体や文字サイズなども原則的に設定されない。だからこうした約束事を文字列のうえで表現する規則のようなものが誰にでもわかりやすいかたちで決められていなければならない。ところが、不思議なことにいままでのところ、こうした規則が明確に存在していないのである。印刷所ごとにルビ表示、傍点表示のしかたはあるようだが、標準フォーマットとして確立されたものではない。出版社もふくめたいわゆる業界標準といったものが皆無なのである。

 聞くところによると、近く電子出版協会から電子データ・フォーマット形式が提案されるそうだが、これがほんとうに一般化可能なフォーマットであるならありがたい。どういう基準でことが決められるのかよく知らないが、誰にでもわかりやすく適切な標準化が望まれるところである。実践的な立場で文章を書いたり読んだりしているひとの意見が十分に組み込まれた標準化でないと、むしろ無用な反発や混乱のもとになりかねない。ことは今後の日本語表記の習慣などとも関連するきわめて重大な標準化になるはずなので、ぜひとも専門技術者のみでことを進めてほしくないものである。

 もしこの標準フォーマットが適切なものであるなら、これからの電子データはすべてこの原則のうえで書かれることができる。著者も編集者もこの原則にしたがってデジタルデータをつくるように努力することになるであろう。

 いまやオンデマンド出版をめぐって業界的に議論がなされはじめたところである。いまのところ紙媒体による復刊にアクセントがおかれているが、時代の趨勢としていずれデジタル・コンテンツの流通・販売が主流になってくることは間違いない。デジタルデータでなければ、これからの研究者にとって情報価値は低いものと見なされるであろう。出版物のデジタルデータは利用者にとって出版物もふくむ各種情報のデータベースとして活用され検索可能になってこそ意味があるのであって、人間の記憶にたよる情報処理などもはやこの時代においては残念ながら処理速度において格段の差がついてしまった。人間の記憶力の衰退につながるものとして文字の誕生を否定したプラトンの『パイドロス』のタモス王の考え方ではなく、知の収蔵庫としてのデジタル・コンテンツのデータベースの充実化・拡大こそがあらたな世紀の知を発展させる原動力になるのではないだろうか。

 これまでの編集経験によれば、これからの来たるべき専門書出版はコンピュータの処理能力を駆使することをつうじて実現される度合いがますます高まるだろう。それは著者および編集者が日常的にコンピュータによるデータ作成、データ編集といったテキスト処理に習熟していることを前提とするが、しかしそれはなにも特別な能力や技術を要求するものではない。そうでなければ、たとえばDTPのように特殊な専門的能力を必要とすることになってしまう。そうではなくて、ひと通りのコンピュータ操作能力さえあれば、誰にでも可能な、一般的な操作をおこなうことによって、ハイスピード化とローコスト化がはかれるということが前提になっている。このことによって専門書出版物の採算ベースを大幅に引き下げることができるようになれば、これまで売行きがなかなか見込めずにお蔵入りしていた企画が実現可能な範囲に入ってくる。これをわたしは専門書の「出版革命」ではないかといささか大げさに主張したい。著者の理解と最小限の努力によって、専門書出版がおおきく可能性を広げる予感がある。そのためにもテキストファイルの適切な業界標準フォーマットが設定される必要があるのである。

 この九月十日から「本の学校」大山緑陰シンポジウムが例年のごとく鳥取・大山で開かれる。ことしで最後になるこの「本の国体」にわたしもパネラーとして初参加することになっている。そこでの主題のひとつは「メディアの多様化は出版をどう変えるか?」(第一分科会)であるが、そこでわたしに課せられたテーマは「テキスト処理」の方法論である。来たるべき二十一世紀の出版のありかたをめぐって、とりわけデジタルデータの処理方法について、これまでもこの欄で断片的に語ってきたが、これを契機に具体的かつ実践的な手法を整理して報告したいと思っている。大山では時間の制約もあるので全面展開はできないだろうが、近いうちになんらかのかたちで一冊にまとめたいと念願している次第である。

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[未来の窓31]

大山緑陰シンポジウムに参加して

 前回お知らせしたように、この九月十日からの「本の学校」大山緑陰シンポジウムにパネラーとして参加してきたばかりである。今回が五年目で最後の回であるにもかかわらずはじめての参加ということもあって初めは勝手がわからなかったが、自分の言いたいことのある程度は言えたような気がする。

 なにしろ十一日(土)の朝九時から夕方五時すぎまでの長丁場で、全部で六つの分科会があるのだが、同時開催ということもあって他の分科会をのぞきに行くこともできず、ひたすら「メディアの多様化は出版をどう変えるか?」というわれわれの分科会に与えられたテーマにあわせて理念を構築し、なかなか見えてこない出版の新しい可能性について知恵をしぼるという時間を経験したのであった。

 われわれの分科会は、元晶文社編集長で評論家の津野海太郎氏をコーディネーター兼司会として、日立デジタル平凡社の龍沢武氏、岩波書店の大塚信一社長、葦書房の三原浩良社長とわたしという顔ぶれで、人文・社会科学系専門書出版社の立場から現在の出版不況をどうやったら打開しうるのか、今日のコンピュータをはじめとするニューメディアを出版にどう生かすことができるか、というような問題を論じあうことができた。もちろんはじめから明快な答えなど出せる問題ではないことはわかっていたから、出版物の多様性が文化水準のバロメーターであることを確認し、少部数でもベーシックな本が出る条件を真剣に討議することができただけでも、とても貴重なことだったと思う。

 うまく言えたかどうかは別にして、わたしが大山で主張したかったポイントはほぼ次の二点に要約できる。

 その第一は、これからの出版においてコンピュータおよびインターネットの利用は必要不可欠であるばかりか、その使い方次第では、これまでの出版界における製作および販売・流通のそれぞれの側面でまったくあたらしい局面を切り開く可能性をもっていることである。デジタルデータの扱いに習熟すればするほど、製作におけるコストダウンおよびスピードアップがはかれるのであり、印刷業界との連携がうまくとれれば各出版社における採算分岐点の引き下げにおおきく寄与することができるようになること、したがってこれまで企画倒れになっていた専門書の未知の可能性がおおきく広がることがまずあげられる。

 またインターネットを利用しての販売チャンスの増大ということは、われわれのようなふつう書店の店頭ではなかなか陳列してもらえない専門書出版社にとっては情報提供機会の増大にとどまらず、読者の性格上さらなる販売・流通回路の増大という意味をもつと考えられるのである。なぜなら専門書の読者とはインターネットの利用率も高いはずだし、多忙なひとも相対的に多く書店に足を向ける時間もすくないわりには書物購入の必要度が高いから、必然的にインターネットを利用しての資料検索そして購入というかたちをとりやすいと思われるからである。現今のインターネット販売の社会的ルールがもうひとつ確立していない状態が整備されてくれば、このチャンネルは今後おおきなウェイトを占めてくるであろう。そしてデジタルコンテンツ自体の販売・流通というあたらしい出版形態もいずれ確立されてくるのではないか。

 第二の論点は、第一の論点のうち、主として製作にかんする部分を拡大して述べた問題である。つまり著者と編集者(それに印刷所)との出版物製作にかんする協力関係のあたらしい性格についてである。デジタルデータをいかに作るのか、内容上の吟味をいっそう深めることを同時にともないながらいかに訂正のない最終的なデジタルデータを完成し、印刷所にラストパスを送るのか、という問題である。印刷所に最終的に渡すファイル形式がテキストファイル形式であるならば、著者に最初からテキストエディタを使って正確なテキストファイルを入力してもらい、編集者もまたテキストエディタを使ってこのファイルを専門的見地から徹底的に修正し、印刷所に渡すための最終ファイルを作成するということである。わたしはこの手法を便宜上「テキスト処理の技法」と呼んでいる。この欄でも何度かふれた手法だが、いざ数十人の業界関係者を相手に直接話しかけるとなると、この問題を短時間に説明することのむずかしさとおもしろさを感じさせられた。

 わたしの言いたいことは、さきに書いたように、製作におけるコストダウンおよびスピードアップによって、これまでの採算分岐点をたとえば千五百部から千部に引き下げることが可能になり、そうすることで力量のある若手の企画が実現され、現在の出版不況ひいては文化不況を打破することが可能になるのではないかということである。

 これらの論点にたいしていくつかの疑問ないし反論が出されたけれども、これらは本欄を読んでくださるかもしれない読者にとってもありうべき疑問かもしれないので、あらかじめそのいくつかにあらためてここで答えておくべきであろう。

 ひとつはこうした作業をすることで編集者の仕事が増大し、本来の仕事ができなくなるのではないかという疑問である。これにはゲラにしてからの手間のことを計算に入れれば、テキスト処理の技法のほうがはるかに高速かつ的確であるとだけ言っておきたい。これは経験上すでに確認されている。

 また、ゲラにしてからこそ著者も編集者も原稿を別の視点で眺めることができ、必要な修正も見つかるのではないかという反論である。ゲラになると妙に安心だという習性もあるのかもしれないが、しかしこれにたいしても、ゲラと同じようなプリントをすることができるユーティリティがあるので、かならずしもゲラを赤字だらけにされてむざむざコストがかかるようになるのを手をこまねいて見ている必要はないはずである。著者こそが一番で、編集者ごときが口を出すべきではないという意見も出て驚いたが、著者にも出版という行為への認識を新たにしてもらうべきではないか。

 ともあれ、千部の出版が可能ということを強調して話したために、千部の新刊ということがやや独り歩きしすぎたきらいはあるが、ここはとくに修正しないことにした。現在の出版にとって千部というのはやはりひとつの壁にちがいないからである。刊行されさえすれば、本は独立した価値とそれ自体の生命力をもつからである。

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[未来の窓32]

真実は細部に宿る──矢代梓氏の思想史年表

『年表で読む二十世紀思想史』(講談社)という本がいま手元にある。著者は今年の三月十七日、五十三歳という若さで喉頭癌のため亡くなった矢代梓氏(本名・笠井雅洋)。この欄でも追悼の一文をすでに書いたことがある(小誌五月号の「追悼ふたたび」)が、小社からはいまや主著となった『啓蒙のイロニー──ハーバーマスをめぐる論争史』が出ている。この本が一九九七年の夏に刊行されたあとしばらくして発病されたことを思うと、なんとも複雑である。

 このたび刊行された『年表』には今村仁司氏の解説的まえがきとともに笠井いち子未亡人の「あとがきに代えて」が付されている。「もしかしたら私は本と結婚したのかしら、と思うくらい笠井との生活は、始めから終わりまで大量の本とともにありました」といち子さんも書かれているように、二万冊以上と言われる蔵書は、これまた膨大な量のCDやLDとともに、引越ししたばかりで未整理のまま自宅に残されているそうである。本来であれば、この大量の本がもとになって『年表』も大幅に手を入れて刊行されるはずであった。

 講談社の「現代思想の冒険者たち」という書き下ろしシリーズの付録として書きはじめられたこの年表の元原稿は、このたび刊行された『年表』よりもはるかに多くの枚数があったはずである。付録としては多すぎる原稿のかなりの部分が削除されていたらしい。そのことは生前の矢代さんの不満として聞いていたからほぼ間違いない。矢代さんのことだから、おそらくふつうの思想史年表とはちがって、微細なエピソードなどまで書き込んだ読み物としてもっと大部の二十世紀思想史概説となっていたにちがいない。そのおもしろさは『年表』の本文にも痕跡となって一部は残されているが、「フユトニスト」(一種の文化欄コラムニスト)としての矢代さんは、さまざまな思想史的・芸術史的側面を縦横に折り込んだ立体的な年表を構想していたのだろう。専門領域のドイツはもちろんのこと、イギリス・フランス・アメリカ・ロシアなどひろい目配りで哲学から芸術、文学、社会的・風俗的事象についてまで、きわめて幅広い知識と感受性をもっていた矢代さんだからこそ可能な壮大な知のパノラマが描かれていたであろう。

 今村仁司氏のまえがき「笠井『二十世紀思想史年表』のおもしろさ」にもあるように、矢代さんのひそかに手本とする人物はアビ・ヴァールブルクであるかもしれない。言うまでもなくワイマール文化のひとつの象徴ともいえるヴァールブルク研究所を設立した人物である。矢代さんの本来の研究領域がワイマール文化研究であったことを考えればおおいにありうることである。今村氏は矢代氏のことを「荒ぶる細部探求者」と呼び、つぎのような評言を書いている。

「批評的フユトニスト、あるいは細部探求者としての笠井君は、例えば、大思想家とその思想にも当然ながら関心と興味をいだくけれども、それと同じ程度に、あるいはそれ以上に、普通の観察からは漏れてしまう細部としての、人物の人間関係、人と人との、人と事件との、出会いかたのほうに情熱的といっていいほどの興味と関心をいだくだろう。彼の書物収集の本来の動機は、自分の好きな書物を集めるというよりも(中略)、例えば一人の人間が思想を作っていく背景を、あるいは思想と社会的(付き合いの意味での)背景との関係を、証拠をもって突き止める道具にすることにあったのではないのだろうか。これをやりだすとキリがないほど多種多様な書物の集積になるのは宿命的必然である。(中略)それは知的構想に支えられた、一種獰猛なまでの探求精神があって、書物の探索と事実のなかにある精神的結晶を発掘することである。」

 さすがに矢代さんとの長い交流を思わせる洞察力あふれる人間観察である。矢代さんは思想のちょっとした断面、思想家や芸術家の行状やつきあい関係、人間関係の細部に目をとめる。まるでそこにすべての解明すべき問題があるかのように。思想の実質よりも、その思想の形成、その思想を生み出した背景とか事情のほうがはるかにおもしろいのかもしれない。矢代さんの関心のもちかたを見ていると、たしかにアインシュタインではないが、「神は細部に宿る」と言っていいのかもしれない。

 たとえば、恥ずかしながらこの本ではじめて知ったのだが、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』がちょっとした出会いからパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から出版されたこと、この書店はアメリカ出身の女性が始めた書店で、当時は英米作家の廉価本が少なかったため、本を売るより本を貸す店として第二次大戦前まで重要な文学サロンだったことなどが一九二二年の項目として書かれている。こうした細部の事実がどれほど文学そのものにとって外部的な些事であろうと、文学作品もまた社会や歴史のなかになんらかのかたちで取り込まれるものである以上、その社会的受容のありかたにこそ、深い真実が宿っていることがありうるのである。こうしたことを思想史年表のなかに平然と書き込んでしまうひとが矢代梓というひとなのだ。ちなみに、ここで出てきたシェイクスピア・アンド・カンパニー書店というのはいまではパリ左岸のカルチエラタンのはずれ、セーヌ川沿いのサン・ミシェル地区にある、入口から見ると本が天井までつかえているような小さな書店で、そこの現在の女主人は本のことならなんでもご存知、一度つかまったら話を聞くのが大変ということで有名なひとらしい。まるで矢代さんのようなひとがここにもいるのだ。

 こういったちょっとした驚きがこの『年表』を読んでいるといろいろ出てくる。真実は細部に宿るというのは実感である。ともあれ、矢代梓というおそるべき好奇心のかたまりのような人物がいなくなった出版界、思想界というのはますますさびしい世界になってしまったような気がする。みずからの関心にそって思うように編集の仕事をこなし、ついにはそれにあきたらずこの『年表』のような本を書いてしまったひと、どんな話題にも元気に大声で関心をしめし、意見を述べることのできる、博覧強記の編集者そしてフユトニストとしての矢代さんのようなひとに出版文化はこれまでささえられてきたのにちがいない。あらためてご冥福を祈りたい。

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[未来の窓33]

編集者と読者の交流の試み

 この十月二十九日、新長野駅前の平安堂書店まで行って来た。書物復権8社の会の新しい会活動として編集者と読者の集いを展開しはじめているところで、その一環としておこなわれた平安堂新長野店での「編集者と語る会」に出席するためである。

 その会には東京大学出版会から竹中英俊編集局長とみすず書房から尾方邦雄編集部次長が同席し、わたしもふくめて三社の編集者が、書店に集まってくる読者を中心とする三十数名の参加者にむかって現在の出版状況、とりわけ専門書編集にあたってのいろいろな苦心談や出版事情などを話しかけ、出席者からの率直な疑問などにできる範囲で答えるという交流の試みであった。なにぶんにも金曜の夜七時から八時半までの一時間半という時間的制約があるうえ、こうした試みがこれまであまり前例がないこともあり、出席編集者の不慣れもあいまって、実際のところどういう成果があったのか当事者としてはいまひとつ不明なままである。しかし当日出席された地元紙の信濃毎日新聞の記者が後日(十一月八日号)かなり大きな記事にしてくれたところによると、まずまずの関心と今後もこういう活動をつづけてほしいという要望があったようである。内山貞男店長からもすぐいただいたハガキで読者の満足する反応があったとのことなので、とりあえずの役割ははたせたのかもしれない。8社の会のこの試みはこのあとさらに六つの書店・生協で展開中なので、いずれその成果なり反省点が出そろってくることと思われる。

 うちつづく不況のなかで、出版の世界もますます困難の度合いを深めており、本が売れなくなっていることによって新しい本を出版することの意義がますます見えにくくなっている。編集者はみずからの企画に自信をもてなくなり、読者の顔が見えなくなってきた。専門書出版などというものはもともと少部数出版なので、読者の顔がある程度予測がつく種類のものなのであるが、それさえもかなり怪しくなってきたというのが実感である。編集者というのは日ごろ書店人や読者と直接接触する機会があまりなく、しかも仕事柄、本来は黒子に徹する種類の仕事なので、どちらかと言えばマイペースで、悪く言えばひとりよがりな傾向がつよい。そんななかで硬い専門書を出している出版社の編集者がはたして未知の場所で未知の読者と対面してどんな結果を生めるのか、われわれも正直言ってかなり不安があったのだが、すくなくとも今回のケースでは読者の反応はわれわれ編集者にとっては好意的なものであったと思う。内山店長がはじめにわれわれに教えてくれたとおり、長野の読書人が「優しい」ことはたしかだった。昔から教育県として全国的にも知られている土地柄ということもあったにちがいないので、これが全国どこにも共通する反応だったかどうかは速断しえない。

 それはともかく、わたしにとっては日ごろ自分もその読者のひとりである他の専門書出版社の編集者と意見を交換する場所をもてたということもまた今回の大きな収穫だったと思っている。出版の世界では営業マン同士の共同行為というのはしばしばあるのだが(8社の会の書物共同復刊運動もそのひとつだ)、編集者同士の会というのはめったにない。企画や著者が競合するというケースもあるからだが、先にも書いたとおり、編集者の一匹狼的性格にもよるのだろう。それに所属する出版社の規模やタイプによって必ずしも編集者の仕事自体がそのひとの本来の志向を反映しているとはかぎらない。だからなかなか編集者の本音とか希望とかを聞いたり話したりする機会がないのである。

 今回はたまたま同席することになったみすず書房の尾方氏とは、共通の著者や知り合いが多く、また彼がわたしの大学の学科の後輩だということがわかっていたので、気楽に臨めた面がある。平安堂での彼の話自体もたいへん面白いものであった。彼もまた、いわゆるゴリゴリの純粋学術専門書を担当するのではなく、広い意味での専門書の編集者であるが、彼の企画は三千人の読者に支持されることを当面の目標においているというのである。その席でこの意見に共感する意見を言う時間がなかったのがいま思えば残念なのだが、わたしの考えていることときわめて似ているのに驚いたのである。もっと昔ならこの数ももうすこし多いこともありえたのかもしれないが、たしかにいまの出版の現状では冷静で的確な目標ではないかと思う。

 いま、ひとつの専攻分野なり専門の学会などの基本構成メンバーは百人以下から数百人規模のものが圧倒的に多くなっている。そういうなかだけで読者を獲得しようと思っても、もはやそれだけでは出版という企画自体が成り立たない。いきおい出版助成などに頼るような企画しか出てこないというのが学術専門書出版の現状である。このあたりの説明は平安堂の会では東大出版会の竹中氏がていねいにしてくれた。いずれにせよそうした出版物の意義はもちろん十二分に認識したうえで、それだけでは出版社というものの存立基盤を確保することはできない。結局、ある専門分野なりある特定のジャンルを超える読者を獲得できる本こそが、ひとつの専門分野をコアにして他の専門分野なりジャンルに越境的に横断していく力をもつ書物として読者の支持を得るものなのである。その場合、数は少なくても最小限三千部ぐらいの読者を獲得できる専門書ならば、それが与える学問的影響力は学問の基礎的部分に多様に作用し、その結果、知らぬ間にわれわれの日常のすみずみにまで広く浸透しているものとなるはずだ。そういうものが専門書出版の基本的立場であるということを三社の編集者はそれぞれの言い方で主張していたような気がする。その点でも、これからの出版活動になんらかの勇気と確信をあらためて得る機会になったと思う。

 今回は尾方氏とともに朝日新聞学芸部の山脇記者もわたしの運転するクルマで長野へ行くことになり、途中、来年から竣工が予定されている須坂インターチェンジそばの出版社共同倉庫の予定地まで見学することができた。おそらく出版人のなかでこの土地の実地見学者としてはかなり早い部類に属するだろうというのがわれわれの見解で、地味の問題などいろいろ問題の発見もあったが今回は触れないでおく。

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