未来の窓|2003

 
[未来の窓70]

「復帰」三十年後の〈沖縄〉

 去る十二月八日(日)、東京外国語大学府中キャンパスでのシンポジウム《沖縄[復帰]後30年──記憶と映像III》に参加してきた。これは小社からこの五月に沖縄返還三十周年を記念して出版された『沖縄の記憶/日本の歴史』の編者である上村忠男氏を中心とする東京外国語大学大学院共同研究室主催のシンポジウムで、沖縄の写真家たち八名による「琉球烈像in東京外大」写真展、高嶺剛監督の映画『夢幻琉球・つるヘンリー』とビデオ上映、上村氏司会のパネル・ディスカッション《沖縄[復帰]後30年を振り返る》という催しであった。パネル・ディスカッションには沖縄から参加された川満信一氏(詩人・批評家、元沖縄タイムス記者)、仲里効氏(批評家・写真家、「EDGE」編集人)、宮城公子氏(日本近代文学、名桜大学国際学部助教授)のほか、東京外国語大学から西谷修氏(思想文化論)と米谷匡史氏(日本思想史)が加わり、ビデオ上映をはさみ質疑応答もふくめて四時間ちかいディスカッションがおこなわれた。
 あいにくその日の夜からことしの初雪に見舞われることになるこの冬一番の寒さと府中キャンパスのアクセスの不便さや事前宣伝の不足などいくつかの悪条件のために、参加者の数はいまひとつであったが、一日だけの展覧には惜しいほどの二五〇枚の写真展をふくめ、「復帰」後三〇年の沖縄のありかたをめぐる議論は、昨今の国内外のきびしい政治情勢を背景にそれぞれの思想的立場や出自を浮き彫りにさせた濃密な議論だったと思う。(このディスカッションの記録は近く本誌「未来」に掲載させてもらう予定なので、興味あるかたはぜひお読みいただきたい。)
 もともとこの一連の〈沖縄の記憶〉プロジェクトは、東京外国語大学と沖縄での研究発表やシンポジウムをかさねるなかで、沖縄の戦争体験と戦後の日本への復帰にいたる過程、現在までひきつづく米軍や基地にかかわるさまざまな暴力犯罪被害や闘争の歴史をあらためて問い直そうとする試みであった。これらのシンポジウムの記録を中心にさきにふれた『沖縄の記憶/日本の歴史』という成果をもたらしつつ、そのプロジェクトの最後を締めくくるイベントとして今回のシンポジウムがあったわけなのである。
 この〈沖縄の記憶〉プロジェクトにかかわるなかで、わたしのなかにもさまざまな〈沖縄〉があらためて浮上してきたことはたしかである。個人的に言えば、わたしの学生時代の争点は七〇年安保と沖縄復帰問題であったから、このシンポジウムは自分のなかの〈沖縄〉を再点検し、現時点での再考を鋭くうながすものでもあった。
 沖縄の米軍基地は戦後すぐにアメリカのアジア戦略の要衝としての役割を背負わされ、朝鮮戦争やベトナム戦争において米軍の出撃基地として最大級の機能を果たしたばかりでなく、日米軍事協定の根幹にかかわる象徴的な意味をもちつづけてきた。そればかりか、戦後の日米関係の矛盾と相剋を一手に引き受けさせられるかたちで沖縄は存在させられてきた。その端的な表現が沖縄米軍基地なのである。いわば沖縄は日本政府にとって喉に刺さったトゲであり、あるいは多くの日本人にとってはみずからの「平和」とひきかえに提供した代償である。いや、その代償たることを知らぬふりしてやりすごすことを許さない内なる傷としての〈沖縄〉の存在によって、それは政治的争点であるばかりでなく、たえず思想的争点でもあるような普遍的な課題でありつづけている。
 今回のシンポジウムは、沖縄からのそれぞれ世代も出自も異なるパネラーの参加によって、こうした課題がかかえている持続性とともに、世代ギャップもふくめた問題のあらたな局面の一端が露出していたようにも見えた。
 当然のことながら、〈沖縄〉という問題は時代情勢とともに時々刻々変容しているのだが、〈冷戦〉以後のアメリカによるグローバリゼーション=一国世界支配というコンテクストのなかで、アジア戦略の位置づけもおおきく変わってきているのであり、そのなかでの沖縄のもつ意味もおおきく変化している。二〇〇〇年の沖縄サミットが演じようとした意味は、こうしたアメリカのグローバリズム支配戦略とそれに呼応しようとした「先進諸国」の追随ぶりの一大パフォーマンスだったことが明白だが、沖縄のなかからもこうした世界戦略を「知的に」肯定し、沖縄の歴史や記憶の意味をこの世界戦略のなかに溶解させてしまおうとする「学者」グループが台頭してきている。沖縄サミットにあわせるようにして琉球大学三教授の連名による〈沖縄イニシアティブ〉という提言が、あたかも沖縄の内在的な要求をふまえた正統的で建設的な主張のようにあらわれたのは記憶にあたらしい。
 今回のシンポジウムのさいに入手した資料集のなかにこのグループによる〈沖縄イニシアティブ〉提言の全文と、それにいちはやく対応した沖縄のジャーナリストや批評家による地元での反応や批判文を読むことができたが、こうしたあたらしい情勢がつぎつぎに展開するなかで沖縄の内部がきびしい思想闘争にさらされているのだということを確認できた。この構造的対立の亀裂の深さは、米軍による東アジア軍事戦略の決定的転換とそれに付随する基地経済の沖縄経済やひとびとの生活における絶大な威力が減殺されないかぎり、容易には解消しえない難問なのである。
 高良倉吉氏をはじめとする〈沖縄イニシアティブ〉提言グループのよって立つ基盤も、保守勢力のこの現実至上主義=基地不可欠論を共有しているのである。かれらの前提は「アジア太平洋地域において、ひいては国際社会に対して日米同盟が果たす安全保障上の役割を評価する立場に立つものであり、この同盟が必要とするかぎり沖縄のアメリカ軍基地の存在意義を認め」るところに帰着する。かれらの主張のでたらめさは、たとえば大多数の日本人が「専守防衛」を基本とする自衛隊の保持と日米安全保障条約を支持しているといったデマゴギーに集約的に表現されているように、まったくの現実追随論にすぎず、また、アメリカを「安全保障人」と見る認識の甘さと同根だが、こうした幼稚な主張が当時の小渕首相らのソフトな憲法改悪路線に「学問的な」装いをあたえていたことは見逃せない。権力はいつだってこうした御用学者を必要とするのである。

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[未来の窓71]

発想のツールとしてのデジタル編集マニュアル

 ブックデザイナーの鈴木一誌氏の新著『ページと力──手わざ、そしてデジタル・デザイン』(二〇〇二年、青土社刊)という本を読んでいて驚いた。鈴木氏によれば、「編集、デザインや組版、製版、刷版にたずさわってきた人間が共通に目ざしてきたものは、ページを生みだすことではなかったか」として、この対象を「ページネーション」と名づけている。つまり印刷物のページをつくる作業そのもののことである。最近のようにDTPでどんなページでも組むことができるようになったことと関連して、鈴木氏は従来の組版ルールが崩れてきていることを問題とし、一般的な組版ルールを作りだす必要を感じて「ページネーションのための基本マニュアル」(略称「ページネーション・マニュアル」)を一九九六年に発表していた。今回の本の巻末付録にこのマニュアルの改訂版が掲載されている。わたしが驚いたのは、このマニュアルが、わたしがこの何年か考えてきた執筆と編集のためのマニュアルと、問題にしている領域のちがいはあれ、問題意識において共通することである。
 残念ながら、わたしはこうした組版マニュアルが存在することをこの本で知るまで聞いたことがなかった。不勉強といえば不勉強な話だが、DTPをみずから手がけることもなく最終組版は印刷所におまかせという方法をとってきたわたしからすれば、それぞれの印刷所に独自のマニュアルはありうるとして、そんなマニュアルが印刷業界全体の問題として顕在化しているとは想定できなかったというのが実情である。
 しかし、それならば、わたしが提案した[出版のためのテキスト実践技法]だって、著者の入稿用原稿作成の段階から編集者がそれを処理し印刷所に渡すまでの工程を出版編集にとって原則的な問題においてマニュアル化しようとしたほとんど業界初めての提案だったのであり、「ページネーション・マニュアル」に遅れること五年にして出現した出版編集の立場からの具体的なマニュアルのつもりである。その意味では、鈴木一誌氏の「ページネーション・マニュアル」はわたしの[出版のためのテキスト実践技法]のその先に位置するものであり、デジタルデータを適切に処理して印刷物をつくりだす点において連続性をもちうる考えかたなのである。
 じつはこの本を読んだのは、鈴木氏が戸田ツトム氏とともに編集するデザイン雑誌「d/sign」(デザインと読む)の次号(4号)の特集《複製》のためのインタビューを鈴木氏から受けることになったことが直接のきっかけである。そこでの話し合いのなかで「ページネーション・マニュアル」と[出版のためのテキスト実践技法]の問題意識の共通性と連続性が相互に確認できたことは収穫だったと思う。
 わたしはいま未來社ホームページの「[出版のためのテキスト実践技法]増補・改訂版」(http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/gihou_zouhohen.html/)で、主としてテキストエディタを使ったわかりやすい新しいデジタル編集マニュアルを展開しているところだが、そこでやろうとしていることは、著者からの入稿原稿とファイルを受け取った編集者がまずやらなければならない確認事項や手順からはじまって、できれば印刷所に入稿する段階までに編集者としてやっておいたほうがいいと思えることをマニュアルとして網羅的にチャート化することである。これは鈴木氏の「ページネーション・マニュアル」で約一八〇項目のチェックポイントがあるのと同じで、実際にその必要がないかもしれないものまでふくんだ、あらゆる可能性にたいしてファイルの修正ないしチェックする方法を体系化しようとするものである。その意味で鈴木氏が「ページネーション・マニュアル」について述べている考えかたはおおいに参考になる。
 鈴木一誌氏は「ページネーション・マニュアル」にはふたつの次元があると言う。ひとつめは「いろいろなしごとの最大公約数的なガイドラインとしての汎用レベル」であり、ふたつめは「実際のしごとにあたって、それぞれのひとが自分用に加筆や削除、改変をしたもの」、つまり自分用「ページネーション・マニュアル」という実践レベルである。鈴木氏はこうも書いている。
《「ページネーション・マニュアル」は、山の装備表に似ている。「ページネーション・マニュアル」を眺めながら、この項目はいらない、ここをもっとていねいに膨らませたいと思えるのは、つくりたいページのイメージがすでにあるということだ。「ページネーション・マニュアル」はまず発想のツールでありたい。具体的なケースで各項目を改変するべきだというのはこうした理由からだ。発想のためのツールであるためには「ページネーション・マニュアル」はそれ自体で完結するのではなく、使うひとと対話をする必要がある。》(『ページと力』一七二ページ)
 これにくらべるとわたしの[出版のためのテキスト実践技法]は、著作物の性格やジャンルなどの種類も多岐にわたり執筆者から編集者までの仕事にとりあえずなんらかのかかわりがあるという意味で守備範囲が広く、残念ながらまだまだ「汎用レベル」に達しているとは言いがたい。むしろわたしの個人的実践をつうじて見出してきた経験をなんとか普遍化してみようとしたものにすぎない。しかしだからこそ「ページネーション・マニュアル」と同じく、仕事をするひとのための「発想のためのツール」でありたいし、著作権フリーという意味での「コピーレフト」として提出されているのである。いまのところ、わたしの[出版のためのテキスト実践技法]をさらに発展したかたちで実践してくれている実例は知らないが、唯一、プログラム作者の山下道明氏がそのすぐれたテキストエディタLightWayText(Macintosh用とともにWindows用もある)にストリームエディタSEDを組みこんだかたちにヴァージョンアップしてくれたものが出ている。わたしの『出版のためのテキスト実践技法/編集篇』を読んでSEDの良さを知って搭載してみたとのことで、これなど「コピーレフト」の可能性の一端であろう。
 この二月には昨年も引き受けた平河工業社の「少部数書籍印刷セミナー」がある。未來社ホームページでのデジタル編集マニュアルをさらに発展させたものについて話をできればいいと思っているところである。

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[未来の窓72]

書籍流通は問題の核心か──シンポジウム「書籍流通の理想をめざして」の感想

 この二月十日、新宿の紀伊国屋ホールで日本文藝家協会主催のシンポジウム「書籍流通の理想をめざして」を聴きに行った。四〇〇席を超す会場に、通路に補助椅子まで追加しての盛況であったが、内容的にはかみあわない議論が多く、出版界がかかえている諸問題がいずれも解決困難な課題ばかりであることをあらためて印象づけるものであった。
 日本文藝家協会が主催したわりには、今回は出版〈流通〉にとりあえずの焦点がおかれていたためか、取次、新古書店、図書館に話題が集中しがちであった。翌日の「朝日新聞」がさっそく掲載した「本が売れない、何が問題」というレポートでももっぱらこの観点から「出版不況の元凶」とされるこの三者を中心にまとめられていた。だが、はたして出版流通を改善すれば、本が売れない現象に歯止めがかけられるのか、わたしはおおいに疑問に思っている。今回はこのシンポジウムについて簡単に触れながら、考えを述べてみたい。
 標題のシンポジウムのまえに佐野眞一氏の基調講演があり、例によって『だれが「本」を殺すのか』『同・延長戦』での議論をふまえながら、従来の大量出版─大量流通─大量販売の拡大路線は今後は行き詰まるだろうと予言したうえで、出版の新しい可能性について触れつつ、それでも本は死なないだろうという見通しを述べられた。その新しい可能性はふたつの方向があり、そのひとつが電子出版、もうひとつは少部数出版で取次よりも書店現場をよくおさえているような専門書版元の地道な努力のなかに見出されるとされた。この意見は大筋においてわたしも同調できるし、ぜひそうあってほしいが、出版界の制度疲労を根本から解決するにはやや荷が重かろう。ただ、そうした地道な書店現場との関係構築、関係の維持、そしてそれに耐えられるだけの内容をもった出版物のたえざる創出、大量販売にはけっしてならないけれども一定量の読者とのコミュニケーションを確保できるような新しい流通のスタイルだけは着実につくっておかなければならないだろう。本が死なないならば、新しい流通はおのずからそうした流れのなかから再生するだろうから。
 さて、シンポジウムについても触れてみよう。作家・中沢けいの司会で、パネリストはフランス文学者の鹿島茂、長野の長谷川書店・長谷川浩一郎専務、トーハン・金田万寿人社長、小学館・相賀昌宏社長、公正取引委員会・楢崎憲安取引部長、ブックオフ・坂本孝社長、日本図書館協会・大澤正雄理事、それに日本文藝家協会から書籍流通問題委員会委員長の深田祐介の各氏である。
 人選は疑問なきにしもあらずでピント外れの意見もあったが、今回のように出版〈流通〉がテーマである以上、多かれ少なかれこうしたそれぞれの持ち場からの顔役が登壇するのは必然だとも言える。むしろ、いま批判の矢面に立たされている新古書店ブックオフの社長をこういう場に呼び出した主催者側の労を多とするべきかもしれない。なにしろ創業四年半で七〇〇店舗を擁するほどの急成長をし、周辺の新刊書店の売上げに多大な影響を与え。その半面、青少年の万引きを誘発するような社会問題にまで発展している「出版不況の元凶」のひとつだからである。
 そのかぎりにおいて、ブックオフの坂本社長が誰よりもさまざまな批判と追及の対象とされたのは当然であるが、そうした批判をかわす坂本氏の答弁は、歯の浮くような理屈を述べるだけで老獪さばかりが目についた。もともと捨てられる運命にあった古書を回収して、潜在的な読者の掘り起こしをしているのだというような強弁は、古書店がこうした現実的な機能をうしなってひさしい現在、たしかに一定の役割をおびていることは否定できない。むしろ読み捨て文化をみずから提示し、大量出版─大量流通─大量販売路線に拍車をかけてむりやり拡大してきた出版界の歪みを逆利用するかたちでブックオフが台頭してきたことも否定できないのである。少部数出版の学術専門書がブックオフの「被害」にあうことがすくないのも、そのことを立証している。主として問題になっているのは、文芸ものやコミックなのであり、それが日本文藝家協会が出版流通問題の核心的問題のひとつと位置づけている理由なのであろう。とはいえ、ブックオフのような法律違反すれすれの確信犯的な業者の台頭には必然性があるが、いずれ一定の歩どまりをせざるをえないのではないかとわたしは考えている。
 要するに、出版不況の本質的な問題点はそんなところにはない、というのがわたしの考えである。もちろん新古書店的な商行為にたいして野放しでいいというつもりはないが、日本文藝家協会も出版社、取次、書店もいささか過敏になりすぎているという印象をもった。本質的なことは、いま、出版物はさまざまな知的メディアの選択肢のひとつになってしまったという厳粛な事実を認識すること、にもかかわらず、出版物(活字さらには言語)をつうじての知の獲得こそが未来へつながる新たな知の源泉でありつづける、という二十世紀の言語論的転回によって明らかにされた人間の知的活動のありかたへの根本認識をあらためて見つめなおすことが、出版にかかわるひとにはいまこそ必要だということである。佐野眞一氏が、大状況的にはグーテンベルク以来五〇〇年の出版というシステムが徐々に崩壊していることを指摘しているにもかかわらず、である。その意味では、小学館・相賀社長の「書を持って街へ出よう」という素朴な主張には好感がもてた。これは言うまでもなく寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」のもじりだが、いまでも古書店巡りをするのが好きだという相賀氏の姿勢は出版人として書物に接するための基本姿勢だと思う。出版人がそもそも本を読まなくなっているというおそるべき現実があるなかで、いくら技術論ばかりが論じられても所詮むなしいばかりだからである。
 今回のシンポジウムの最後で公正取引委員会の楢崎氏が最後に言われていたように、再販論議や書籍販売における弾力的運用の問題に話題がのびていかなかったのは残念な気もするが、その一方で出版にかんする議論が文化論におよぶとあたかも必然的に観念論になるかのような発言をしていたのは見逃せない。こういうひとが出版について権力的に介入することの危険を感じたのである。

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[未来の窓73]

新しい流通チャンネルの可能性──JRC設立にあたって

 去る二月十九日、東京の本の街、神田神保町の一角で小さな書籍販売促進会社の創立の会があった。人文・社会科学書流通センター(JRC)という名前のその会社は、出版不況のなかでますます進んでいる現在の人文・社会科学系専門書の売れ行き不振になんとか歯止めをかけたいという意気に燃える人たちの集まりである。たった七人の創立メンバーはいずれも元鈴木書店のベテランぞろい。鈴木書店でつちかった専門書の販売ノウハウと出版社・書店のつきあいを生かして、中小零細出版社の営業代行をおこなうとともに、事務所にささやかな店売所をもうけて書店への直売その他をおこなおうとする会社である。
 昨年秋ごろから元鈴木書店の人たちが語らい、これまで鈴木書店でやってきたことをなんとか生かして業界の役に立ってみたいという気持ちがひとつになって、昨年末ごろから書店や出版社への協力依頼にまわりはじめた。未來社にも協力打診は早くからあり、これまでの鈴木書店との長い取引の歴史を省みても、できるだけの協力は惜しまないという構えで対応してきた。
 さいわい、業界紙をはじめ、「読売新聞」や「東京新聞」が好意的な記事を掲載してくれたこともあって、いまのところ業界の反応は上々である。鈴木書店と取引のなかった小出版社までが続々と名乗りを上げてきているとのことで、店売在庫をおく出版社はすでに五十数社になっている。また地方の書店からは早くも通常の取引を希望する声まで届いているとのことである。創立の会でも出版ニュース社の清田義昭氏が言っていたように、JRCの設立はいま現在の不況にあえぐ出版界にとってはなによりも久々の、元気のでるいい話なのである。
 わたしも三月にはいったところで神保町の事務所兼店売所を見学させてもらったが、予想以上に立派な書棚がすでに入っていてぼちぼち各社の店売用商品が入荷しつつあるという状況を確認した。必要な設備も徐々に整いつつあり、いささかのんびりした感のあったメンバーだが、その心意気が伝わってくるようになった。鈴木書店という枠のなかにいたためか、いくぶん世慣れていないところのある人たちという印象はいまだ拭いきれないが、ともあれ再び本に触れる喜びを語るかれらの素朴な姿勢は、やはり出版にかかわる者の原点であるということをあらためて再認識させられた。
 出版社は、とりわけ専門書出版社は、こうした人たちの地道な努力によってこそ支えられてきたのであり、これまではとくに問題とされてこなかった専門書取次のサービス営業の部分がJRCという会社の出現によって顕在化してきたとも言えるだろう。大書店の専門書の棚が日に日に貧困化していると言われる現在、これまで鈴木書店が果たしてきた役割の大きさがあらためて認識される必要がある。出版社のなかにはこの役割の大きさを認めたがらない人がいるが、そんなはずはないのである。JRCが鈴木書店の役割をカバーできるとは言えないにしろ、そうした方向性と意志をもっていることは汲みとるべきだし、またそうした力とやる気が必要なのだということを率直に認めたほうがいい。
 出版社のなかには、鈴木書店の内情にくわしかった人ほど、JRCの創立メンバーにたいする疑問をもっているらしい。かれらが鈴木労組の構成員だったからというのがその理由だが、そうだとしても、今回のJRC設立にそれが問題点として浮上するその論理こそがわたしには疑問である。ここはむしろ、かれらがなにもないところから起業しようとするやる気を買うべきであって、出版社はこういう会社をもりたてていく義務と必然性があると思うのである。
 かく言うわたしとて、JRCがすべてうまくいくかどうかの確信があるわけではない。こういう内容の仕事が気持ちだけで成立すると考えるほど甘いものではないことは言うまでもない。むしろ専門書出版社の多くがこういうJRCの意気込みを評価して、過去のいきさつにこだわることなく、これからの専門書流通の一端を託するぐらいの気持ちが必要ではないかと言いたいだけである。多くの出版社の協力を呼びかけたいと思う。
 そこでJRCにたいしてもいろいろ提案をしていきたいと考えている。すでに予定している書店や大学生協への販売促進の代行、および新刊・売行き良好書の店売の活性化、学会等での出張販売の代行などのほか、出版社と協力してフェア企画などの立案、持ち込み、商品あっせん、などの業務を広げていくことを考えるべきではないかということがその第一点。新刊でとくに売りたい本があるような場合、その本の著者やテーマにそくしたミニ・フェアなどの企画を考え、書店に持ち込むことができないか、ということである。そのためにも、主要な出版社との定期的な交流や勉強会など積極的な関係づくり、情報交換などが必要だろう。
 さらには書店ばかりでなく図書館などの欠本補充のような仕掛けができないか、というのが第二点。ホームページ開設によって在庫状況を公開し、書店や読者からの注文にも応じられるようにできないか、というのが第三点。これは鈴木書店時代にもできなかったことであり、初期コストもかかるので大変だろうが、ぜひ実現してほしい。さらに、それとも関連するが、神保町の一角という立地をいかして、かつての「神田村」と呼ばれたような、三省堂や東京堂、書泉といった近くの大書店の倉庫のような機能をもてるように、取引のチャンネルを増やす努力をしてほしい。これが第四点である。そのためにも取引出版社数や在庫アイテム数をいっそう増やす努力が必要になるが、それは焦らずに徐々に実現していければいい。実績とともにそれらは確実に増大するだろう。
 この四月一日から一か月間、東京堂書店で「未來社全点フェア」がおこなわれることになった。書店内で鵜飼哲氏と高橋哲哉氏によるトーク・セッションのイベントをおこなう予定もあり、あわせて備品として保存しておいた古い本の一部を特別出荷することも予定している。こうした動きのなかで、フェアの補充品をJRCの店売から取り寄せるといったようなかたちでさっそくにも活用することができないかと夢想しているところである。

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[未来の窓74]

「総額表示」という政治的陰謀

 この三月二十八日、「消費税法等の一部を改正する法律案」が国会を通過し、書籍の定価表示の方法が消費税額をふくめた総額表示方式とすることが義務づけられることになった。来年四月からの施行ということであるが、出版界はまたしても無用な混乱に陥れられることになる。それでなくても苦境にあえいでいる出版界にとって、この表示方法の変更は、たんなる技術処理上の問題だけでは終わらない。この表示方法の変更が日本の出版文化にとって致命的ともなりかねない重大な危険をはらんだ問題であるだけに、この総額表示方式の強制がはらむ危険をここで強く訴えねばならないと思うのである。
 そもそも、なぜここへきてあらたな定価表示方式をとらねばならないのか。一九八九年の消費税導入時と一九九七年の消費税率改定時の二度にわたって、出版界は定価表示のしかたをめぐって、公正取引委員会とのさまざまな折衝をはさみながら、従来の定価表示方式に奇妙な修正をほどこしてきた。現行の定価表示方式はその意味ではすでに歪んだ形式であるが、それでもここ数年のあいだに読者との無用な混乱もなくそれなりに定着してきた。つまり、本来の流通の基礎のための「本体価格」を明示し、それに消費税をプラスしたものを「定価」とするということで、かりに消費税に変更があっても本体価格が明示されているかぎり、流通に対応できるようになっているのである。この表示方式においては消費税は本体価格にたいして外税として機能するのであって、書店のレジでは消費税率変更にもあらかじめ対処することができるようになっている。この外税方式は一九八九年の消費税導入のさいに、出版界の一部が主導した内税方式の自己矛盾を業界的に徹底的に反省するなかで定着してきたものである。
 この内税方式とは、消費税をふくんだ総額を「定価」とみなし、なおかつ流通と書店店頭での利便性(扱いやすさ、買いやすさ)という矮小な問題意識のために定価を「丸める」(金額の一桁目に端数を出ないようにする)という姑息な手段であった。雑誌や文庫、新書といった回転も早く廉価な書籍を主要な商品とする大手出版社の自己本位がまかりとおった結果、本体価格が消費税率の変動によって微妙に変更されることになり、いわゆる「一物二価」という問題が生じ、あわせて無用なシール貼りという作業を強いられることになったのである。消費税を自明の前提として定価体系のなかに繰り入れることへの当初から指摘されていた自己矛盾があらわになったのは、一九九七年の消費税率アップの時点であった。消費税が3%から5%に変更されることによって3%に対応させて端数になっていた本体価格に今度は5%を上乗せすると、これまでうまく丸まっていたはずの「定価」が丸まらなくなってしまうという滑稽な事態が生じたからである。そうした失敗にこりたこともあって、さすがにそれ以降は外税方式にすることが業界で一般化してきたのである。
 こういう経緯は業界外のひとにはわかりにくい。しかしここが今回の総額表示方式導入がなぜ政治的陰謀であるかのポイントであることを理解してもらわなければならない。
 なによりもこの総額表示方式導入の一番の狙いは、消費税率再引き上げのための隠れ蓑として、書店店頭での混乱を招かないようにするという理由をつけていることである。しかしこれはすでに読者においても定着している、本体価格を基準として定価を把握するといった意識をいったんゼロ還元し、消費税率の再引き上げにともなう痛税感を総額表示方式によってあらかじめ拡散させてしまおうとする政府の陰謀以外のなにものでもない、ということである。要するに、本も雑誌もタバコやビール、ガソリンと同じように、どこまでが税金なのかわかりにくくしてしまおうという、まったく読者をバカにした話なのである。
 そして書籍も総額表示方式をとることになれば、その結果として、事実上、消費税率の変更があるごとに税込み定価の変動が生じ、なんのことはない、十四年まえの消費税導入のさいに内税方式をとったところがかかえた問題を、今度は出版業界全体に蔓延させることになってしまうのである。専門書のように何年もかけて息長く売りつづけることが必要な出版物においては、消費税率の変更のたびに定価表示を変更しなければならなくなる。もともと二〇〇〇円だった書籍が二〇六〇円になり、二一〇〇円になったうえに、またまた二一四〇円とか二二〇〇円とかに変更されていくことになってしまうのである。これは事実上の内税化の強制であり、こんなことを強制されては売るのに時間のかかる専門書などもはや出しつづけることはできなくなる。製作するにも販売するにも手間のかかる専門書をなんのために刊行するのか、そのための出版社の意欲が大幅にそがれてしまうことになる。
 出版の世界は、先端的かつ専門的な研究あるいは思考の営みである専門書を中核として、それらの専門研究をベースにした一般書や実用書その他によって構成されている。中核的な仕事は貴重であり時代の動向を方向づけるものであるが、それらはえてして専門的な少数者にしか理解されにくい側面をもつために、どうしても売れ行きに限界があるものが多い。むしろそうした研究や思考をもとにした通俗的な書物がそれらの内実を広く浅く浸透させる役割をになう。しかしすぐには理解されない中核的な専門書群こそが文化の中核をになっているのであり、「文化財」という名にふさわしいものであるが、今回の総額表示方式が長い目でみて、文化財としての書籍の刊行をいちじるしく制約するものになるだろうことは容易に予測できるのである。「文化財」としての中核的書籍が刊行されにくくなり、いわゆる出版物の「ドーナツ化現象」が予測されているのはこうした理由にもとづくのである。
 以前の消費税導入時の業界の分裂にくらべると、今回は、業界的には一致して総額表示方式に反対している。しかもこの義務づけには罰則規定がないことから、意識的なサボタージュを主張している者もいる。売り上げスリップによる表示など、さまざまな便宜的な対応策も提起されているが、そうした対症療法や政府筋への「陳情」といった手法ではない、文化の圧殺という自民党政府の政治的陰謀にたいする強力な総額表示反対論がいまこそ必要なのである。

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[未来の窓75]

編集者という職分──『表象の光学』をめぐる回顧

 編集者という職分にはおのずと定年とでも言うべきものがある。そういうふうにずっと考えてきた。というのは、編集という仕事は、一面では経験と知識と人脈が必要な仕事であるが、別の面ではそれ以上に新しい知の情報とそれにともなうセンスとアイデアが必要な職分だからである。編集者は一般的に著者と世代感覚をともにするものであり、必然的に著者とともに成長し、成熟し、老いるのである。最近のように、印刷や製版の技術進歩が激しい時代には、従来の編集手法が経験としても知識としても役に立たないものになりつつあり、その結果、これまでかかわりの深かった著者との関係だけが編集者の財産というかたちになっていく。これがへたをすると、もはや読まれる意味のなくなりつつあるテーマや著者の仕事に汲々と取り組むというかたちになっていきかねない。編集者ごとの能力差とか個人差もおおいにあろうが、これがわたしに言わせれば編集者の_¨老害¨_ということになる。編集者の職分に定年が必要だとわたしが言うのも、そうした編集者の生理的な問題に根ざしているのである。
 こういうことをわざわざ書いてみようとするのも、わたし自身がそろそろそういう立場になろうとしているという自戒にもとづいているからである。そしてまた、年齢的体力的な制約も感じられはじめたところでもあり、できれば自分のやりたい仕事だけをしていきたいという年来の願望をそろそろ実現すべき時がきたと感じられるからである。
 未來社のような専門学術書出版を中心とするところでは、かなり広い学問範囲にわたって高度な内容の企画が持ち込まれたり推薦されたりしてくる。それぞれの企画内容は優れたものが多いだろうことは疑わないが、出版する側は人数的にも資金的にも限度がある。専門領域の内容にまで精通した編集者が必ずしもいるわけではないし、その内容がどれだけいまの時代に通用するレベルのものであるか不明なままのことも多い。十分な読み込みをする時間的余裕もないので、いきおい著者のこれまでの実績とか推薦者のことばなど周辺的な情報にもとづいて採否の判断を下さざるをえない。こうしたかたちで出版社として引き受けざるをえない仕事が多いのは、逆に編集者としての頽廃の兆しでもありうるのである。
 さいわい、未來社も編集部の世代交代の時期を通過しつつあり、徐々にではあるがこれまであまりフォローできなかった若い研究者や書き手たちを発掘しようとする機運が出てきたところである。わたし自身も昨年の終わりごろから自分のやりたい仕事に手がつけられるようになりつつある。その中心のひとつが、予定よりかなり遅れてはいるもののここへきて一気に収束状態にはいろうとしている小林康夫氏の『表象の光学』なのである。
 これは長年の懸案だった企画で、いま初出を調べてみてあらためて驚いたことだが、当初の計画からすでに十三年が経過しているのである。なぜ企画のはじまりの時間を特定できるかというと、この企画の直接のきっかけとなったのが「現代思想」一九九〇年五月号の〈デカルトの世紀〉特集の「デカルト的透視法──表象装置としてのコギト」という小林康夫氏の論文であるからだ。初出時にこの論文をおもしろく読んだわたしはさっそくこの論文を出発点とする論文集を小林氏と計画したのである。(この論文はもちろん今回の『表象の光学』の巻頭論文として収録予定である。)
 もちろん、刊行の遅れはもっぱらわたしの催促の怠慢が原因なのである。この間に小林康夫氏は仕事をしていなかったどころではない。わたしの担当しているポイエーシス叢書の輝かしい一冊目として一九九一年に刊行された『起源と根源──カフカ・ベンヤミン・ハイデガー』をはじめとして、『光のオペラ』(筑摩書房)などの単行書、ベストセラーとなった『知の技法』三部作シリーズ(東京大学出版会)ほかの編集本、さらに講演やテレビ出演などなど、ほとんど休む間もなく仕事をこなしてきているのをわたしはつぶさに知っている。その間に未來社からも『大学は緑の眼をもつ』というエッセイ集、『文学の言語行為論』という編集本、さらにジャン=フランソワ・リオタールの『インファンス読解』の共訳本を刊行してくれている。しかしながら、これらの数々の業績のなかでも、前記『起源と根源』と今回の『表象の光学』が小林康夫氏の力量が最高度の水準の稜線を築いている仕事であるとわたしは確信している。
 本来は何年もまえに刊行されていても不思議はなかった本だが、思えば長い熟成期間を経て今回の刊行に結実するわけなのである。結果として当初の計画よりずいぶん膨らみもし充実したものになったとはいえ、やはり編集者としてのわたしが小林康夫氏の可能性を最大限に引き出す役割を十全に果たしえたと言えるのか、という忸怩たる思いが強く残るのである。わたしが編集者論を述べたりするときにいつも主張する著者と編集者との理想的なコラボレーション的関係は、小林氏との関係をつねに念頭においているのである以上、なおさら思わざるをえないことなのである。
 やや個人的な思いを過剰に吐露したような気もするが、要するにここで言いたいことは、編集者には著者との運命的な出会いというものがあり、それは良くも悪くも編集者のその後を決定するということである。わたしにとってのそれは小林氏をふくんだ「扉の会」という東大駒場の若手教師たちとの読書会形式の勉強会だった。一九八〇年代前半の足かけ三年ほどにわたって月一回開かれた「扉の会」は、思えば学問研究のありかたをめぐる熱い討論によって、ひとりひとりにとって充実した研鑽の場だったはずである。そこで意気投合した小林康夫氏と船曳建夫氏のアイデアによって『知の技法』シリーズは生まれたのである。
「扉の会」メンバーはいずれも当時まだ二十代後半から三十代半ばぐらいの気鋭の教師たちで、いまやそれぞれのジャンルで存分に力を発揮しているひとたちである。ここで名前だけでも記しておけば、北川東子、桑野隆、小林康夫、高橋哲哉、竹内信夫、船曳建夫、湯浅博雄の各氏である。未來社でもすでになにがしかの仕事を実現してもらっているが、今後はこれまでの信頼関係をもとにいっそう多くの仕事の実現をはかりたいと望んでいるところである。

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[未来の窓76]

未來社の販売システムの移行について

 未來社では、一九六八年に委託制から注文制に移行して以来、常備品およびフェア用商品やなんらかの特別な場合を除き、これまで新刊・既刊を問わずすべて原則的に返品不可の注文扱いのみで販売してきた。ここでなんらかの特別な場合というのは、一般書的な傾向のある話題性のありそうな新刊の販売にかんしてはトーハン、日販の二大取次に相談して取次了解の範囲内で返品条件付きでの販売に取り組んできたことが──稀にではあるが──あったことを指している。それはある程度は取次のいわゆるパターン配本と呼ばれる仕組みに依拠するかたちで、これまで未來社とは関係の薄かった書店までもふくむ拡販の試みであったことになる。
 もちろんこうした試みによってこれまでの注文制販売システムでは越えられなかった壁の一部を越えることができたけれども、予想した通り返品が多く、また期間限定の試みであったために、こちらが期待したような結果にまでは至らなかったと言わざるをえない。また、こうした新刊は定価も相対的に安く、もともと現在の未來社の主流である人文書系の書籍とは傾向がちがうのが通例だったために、いつも未來社のこれらの書籍をなんとか売ろうとしてくれてきた書店もふくめて、これまでと売り場がちがうことになってしまい、いろいろな面でもうひとつの大きな壁にぶつかっていたわけである。つまり、せっかく返品条件付きで販売をしようとしても、本来もっとも協力してもらうべき書店のしかるべき担当者や棚の役には立たないという結果に終わっていたのである。
 こうしたささやかな経験をベースに、われわれなりに考えて、むしろこれまでわれわれの注文制にたいして頑張って支えつづけてきてくれた特約店・常備店に未來社本来の書籍でもって報いることができるならば、これこそがもっとも現実的で効果的な対案ではないかと判断するにいたった。それには未來社がいまもっとも力を入れて刊行している人文書で、しかも話題性があり、ある程度以上売れる見込みのあるものでなければ意味がない。そういう新刊こそは書店が気を入れて売ろうとしてくれる可能性があり、必要以上のリスクを負わずに販売に協力してくれやすいから、これまでの制約下ではなかなか望めなかった販売部数の実現が可能となるかもしれない。さいわいそういう条件を満たす可能性のある本がないわけではないので、そのさいには思い切って新しい条件での販売を試みるべきではないかと考えたのである。
 そういう流れのなかで、前回この欄で触れた小林康夫氏の『表象の光学』を最初の試みとして、_¨未來社の特約店・常備店にかぎり¨_、_¨未來社の責任において¨_返品条件付きで思いきった配本をしてみようという機運が出てきたのである。というのも、この本はわたしがもっとも力を入れてきた企画のひとつであり、表象文化論において画期的な内容であるだけでなく、造本面においても戸田ツトム氏が装幀ばかりか本文レイアウト・組版にまでかかわってくれるという初めての試みを実践しようとするものだからである。仕上がりはけっしてひとの意表を衝こうとするものではなく、むしろオーソドックスであるとさえ言えるものだが、戸田氏が普及につとめようとしている新フォント、筑紫明朝の美しいのびやかさとともに、良い出来映えになっていると思う。
 それはともかく、この本の刊行がもともとかなり遅れてしまっていたこともあり、すでに各書店から予約の注文をいただいていたにもかかわらず、これらの予約部数とともに未來社からの希望販売部数を明示して各特約店・常備店にあらためて注文依頼書を六月上旬に送ったばかりである。本稿執筆中の現在、すでに続々とFAXあるいは返信封筒で_¨満額回答¨_が寄せられてきつつあるところであり、この新しい販売方針にたいする理解と協力の輪が未來社の特約店・常備店に広がりつつあることを感じる。これと同時に、直接出向いて話を聞いてもらった書店人の反応もおおいに好意的である。こんな不況の時代であるからこそ、版元と書店は深い共感をともなった関係の再構築こそが必要だといまさらながら確認しつつあるところである。こうしたコミュニケーションの関係をもとにした未來社独自の版元指定配本方式を今後、徹底して研究していきたい。
 もっとも、こうした版元独自の指定配本方式をとっているところは何社もあることを知っているので、別にさして新しい方式と言いたいわけではもちろんない。それでも出版社の規模や性格、刊行物のそれぞれの特性といったところもふくめて、かなりの差異が生まれざるをえない。そこのところを未来社方式として確立していきたいと思うのである。
 わたしなどはついつい編集者の立場から本の売れかたや出版業界のありかたなどについて批判的に考えがちで、多くの同業者から反発を受けることがあったが、本の内容や質の問題とは別の世界(流通や販売、それにともなう諸現実)があることも事実である。前回の「編集者という職分」でも書いたように、編集者にはおのずと年齢の制約や関心領域の狭さという限界がある。それにせっかく苦労して作った本が内容とは別の次元で読者の手に届かない現象を、流通や販売だけの問題として見すごすことはできないと考えるようになってきた。なにをいまさらとおそらく言われようが、なんと言っても本は読者の目に触れ、吟味される機会を増やさなければならないのである。いまのように本の命が極端に短い時代には、どんなに賞味期限の長いはずのロングセラー指向本であっても、新刊時にその存在が認識されないままだと、そのまま無視されてしまいがちである。未來社の本にはそういう知られざる本がおそらくかなりのウェイトを占めていて、げんにインターネットで購入される本には刊行後ずいぶん時間が経ったものや日頃売れないものが多く、これらが書店市場にないことによる機会損失の量をうかがわせるのである。
 長いこと出版の世界にかかわってきて、あらためて本を売ることへの興味が湧いてきたと言うと、なにか変だが、ここまでいたるには、トーハン・日販をはじめ各取次店の方々や多くの書店人の深い理解と協力がなければ、とても実現することはありえなかった。ここではお名前をとくに挙げることは控えたいが、ここに関係者の方々にあらためて感謝する次第である。

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[未来の窓77]

出版にいかにかかわるのか──三つの会への感想

 七月にはいってから出版関連の会につづけて三つ出席した。出版関連の会と言っても、いつもの業界的な定期的な催しに類するものではなく、いずれも個人の業績にかかわるもので、それも出版評論家、著者、編集者といったそれぞれ異なるジャンルで出版にかかわったひとを偲び、あるいは祝うという会だった。わたしもそれぞれ異なる立場から出席させてもらい、出版にいかにかかわるのかという点で、いろいろ思うところがあったこともあって、今回はまことに失礼ながらあわせてご報告かたがた感想を述べさせていただきたい。
 七月七日(月)夜、東京の市谷アルカディアでこの五月三日に七十一歳で亡くなった出版評論家、小林一博さんを送る会があった。わたしなどは実際におつきあいさせていただいたのは晩年の十年間くらいで、長い年月にわたって小林さんと親しくつきあわれたひとたちに比べるまでもないが、現在もつづいている〈二一世紀の出版を創る会〉の前身〈二一世紀の出版を考える会〉で小林さんと毎月一回お会いして議論をかわすことができたことはいまでは貴重な経験となっている。この[未来の窓]での拙文についても何度か感想やあたたかい励ましのことばをいただいたこともある。評判になった『出版大崩壊』にも見られるように、小林さんは最後の最後まで戦闘的で反骨的な批評家の姿勢を崩さなかった。ともすると、現実への妥協に流れがちな出版人への確固とした出版倫理からの批判的視点は、思わず襟を正さざるをえないほどの強力なものだった。それゆえに、晩年はそういう批判に身に覚えのあるひとたちからやや敬遠されたところがあるようにさえ見受けられる。
 それはともかく、今回の送る会で配られた遺稿『出版半生記1959-1970』(「小林一博遺稿集」刊行委員会発行)は、これまでの小林さんの生い立ち、経歴についてあまりくわしくないわたしのような者にとっても大変ありがたい贈り物である。小林さんがかつて詩を書いていたという事実がわたし個人にとって意外であったということは別にしても、この本では小林さんの〈出版半世紀〉が赤裸々に語られているばかりでなく、さまざまな具体的資料とともに、戦後の出版界の草創期が明快に語られており、いまはなき「日本読書新聞」やさまざまなメディアに在籍した者の内側からのリアルな眼差しで出版界のいまにいたるも変わらない内情が明らかにされている。この遺稿にはまだ後半があるとのことだが、各方面に差し障りもある部分もふくめて最近の出版界にたいする小林さんのナマの声をぜひ聞いてみたいと思うのはわたしの偽らざる感想である。関係方面の英断を期待したい。
 この小林さんを送る会のあった同じ週の七月十二日(土)、昨年四月九日に八十二歳で亡くなられた詩人・評論家、安東次男さんを偲ぶ会が丸の内の東京會舘であった。この会は安東氏の誕生日である七夕の日にちなんで「七夕忌」とされるもので、没後一年を期しておこなわれた追悼の会である。主催者の中村稔氏ほかの方々が述べられたように、生前「威張りの安東」と呼ばれたひとだけにどれだけのひとが集まってくれるか心配されたそうであるが、まったくもって杞憂であった。すぐれた詩人、俳人のほか、東京外国語大学での教え子たちなど、安東氏を敬愛するひとたちが多く集まり、氏を偲びながらお世辞などなにひとつない、じつに真率な思いの数々をそれぞれに語られた、楽しくもありじつのある、まれにみる感動的な追悼会であったと思う。思潮社社主の小田久郎氏の緩急自在な司会のもと、飯島耕一、大岡信、吉増剛造、粟津則雄といった錚々たる顔触れによる安東氏にまつわるエピソードを聞きながら、できれば生前の安東氏にちゃんとお会いしてお話する機会をもたなかったことを残念に思った。
 そんなわたしがこの会に出席した理由は、ほかでもない、ことしの書物復権運動の復刊本のなかに安東氏の『澱河歌の周辺』を四十一年ぶりに新版として刊行し、この本が安東夫人、多恵子さんのご希望で参会者におみやげとして配られるという願ってもない幸運に恵まれたからである。この本の復刊を以前からわたしは望んできたが、なかなか機会のないままに安東氏が亡くなってしまった。一九六二年に刊行された初版の『澱河歌の周辺』はさいわいにもその年の読売文学賞を受賞し、のちに芭蕉や蕪村の評釈家としても著名になる安東次男氏の出世作となったものであり、芭蕉、蕪村からフランス詩やシュールレアリスムにまで及ぶその多彩なテーマの組合せによっても、知るひとぞ知る、幻の本であった。「現代詩手帖」での安東次男追悼号のなかでも何人かのひとがこの本に言及されているのにさらに力を得て、シリーズ〈転換期を読む〉の一冊としてこのほど復刊が実現した。解説は粟津則雄氏に力作を寄せてもらい、この本の読み直される理由がよりいっそう明瞭になったし、予想を上回る売れ行きを示しているようでもあって、まさに〈書物復権〉をなしえた喜びをかみしめているところである。だからこそ安東氏の生前にこのことを実現しえなかったことだけが心残りなのである。
 そしてこの「安東次男さんを偲ぶ会」の翌十三日(日)に池袋の東京芸術劇場大会議室でおこなわれたのが「松本昌次さん編集者五〇周年と影書房二〇周年を記念するつどい」であった。今回触れた三つの会で唯一の存命中の編集者の活動を祝う会であったが、ご存知のかたも多いように、松本さんの前半三〇年の編集者人生は未來社の最初期から中期にわたる時期と重なっている。前述した『澱河歌の周辺』も松本さんの編集に負っているのである。
 松本さんは現在七十五歳。いつに変わらぬ批判精神を発揮してますます意気軒高である。冗談で「生前葬」だと言っているらしいが、当人はまだまだそんな気でいることはないだろう。自分のお祝いの会であろうが、司会からマイクを奪ってまでの弁舌ぶりには、かつて数年間にわたって未來社で仕事をともにした時間が彷彿としてくる。というか、さまざまな会合でもよくごいっしょすることも多く、そのたびに未來社の仕事、わたしの書くことにいちいちご批評をいただくので、いささか辟易することもあるが、その存在感は背後霊のごとくわたしにとってはなつかしくもあり、得がたい先輩である。これからもますますのご活躍を祈るとともに良きライバルでありたいと願うのみである。

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[未来の窓78]

未來社の新体制

 八月にはいって小社の主として営業部と経理部の構成に大きな変動が生じた。というのも、これまで経理と営業(の一部)を担当していた者が退社し、わたしがその役を引き受けることになったことがひとつ。さらに、営業責任者として経験豊富な強力な助っ人があらたに小社のスタッフに加わってくれることになったこと、それにともない、埼玉県朝霞市三原の未來社流通センターに一時的においていた営業部を本社に戻すことにしたことがもうひとつ。未來社流通センターは今後は管理倉庫としての商品の品出し、改装、管理といった仕事に限定することにし、そこのメンバーの身分を一新して管理の効率化と集中をはかるようにした。本社でも営業体制の再編によって販売促進の強化、倉庫との連絡等の緊密化を実現していく予定である。また、当面のあいだ、わたしがかつて参加していた中堅出版社営業マンの集まりである人文会や書物復権の会(八社の会)に出席することになり、営業面での対外的な折衝の場面が増加することで、営業的にも経営的にも新局面が開けてくることもあるだろう。
 そんなこともふくめて、今回の新体制によってこれまで弱体だった営業部を強化するとともに、わたしが経理実務まで担当することになるので出版社経営を実態的に把握し現実的にもっとも適切な処理を実現していく契機になるだろう。いずれにせよ、早晩避けて通ることのできなかった経営にかんする諸問題をひとつひとつクリアーし、よりよき体制づくりに入るきっかけになればよいと思っている。
 さて、こうしたわたしの仕事内容の大幅な変更にともなって生じるさしあたりの問題点が、新刊を実現する編集実務の時間がわたしの日常のなかから消えてしまっていることである。すでに本欄の前々回にも書いたように、これまでのように編集者としてどんな仕事にも対応していこうとすることの無理と限界をしっかり見つめなおす時期にきているのであるが、未來社のように長いあいだ専門的で売れない本を出しつづけていると、売れないけれども内容的に出版する価値があるという企画はつぎつぎと集まってくるのであって、それらを的確に取捨選択していくことは、時間的にも能力的にも事実上、無理である。そこがこれまでの解決困難な問題であったのだが、いまはわたしが編集実務の時間をもてなくなることによっていよいよ困難の度が増大していることになるのだろう。この問題はわたしの当面の仕事が緩和されるか効率化がはかられることで、ふたたび編集実務の時間が多少なりとも取り戻せるようになったとしても、容易に解決されることではないだろう。
 しかし、こうしたディレンマをかかえながらも、いまは若い編集部がすこしずつ力をつけてきているので、これまでのように、すべてを自分でかかえこまなければならないという切迫した気持ちからはいくぶんか解放されつつある、というのも事実である。自分の判断ですべてを進めてしまうよりは、著者やテーマによってかれらひとりひとりの考えや意見を参考にできるようになってきている。
 もちろん編集経験の乏しい編集者はまだまだ半人前以下でしかない。どんなに知識やアイデアや著者関係の人脈があったとしても、自分が提出した企画を本の形で最終的に仕上げるためには、企画提出の努力の何倍、何十倍もの努力が必要なのだということをまだ知らないからである。そして言うまでもなく、それが実現したあとの結果にまつわる歓びも悲哀も知らないからである。とはいえ、若い編集者との粘りづよい対話や共同作業のなかからしか新しい展望も見えてこないし、かれらの成長もない。
 先にも述べたように、さいわいにしていまの未來社には経験不足を補うに足るだけの意欲と力量を感じさせる若い編集者が育ちつつあり、編集のためのパソコン操作や情報収集のための手法なども現代ふうの技術をあらかじめ身につけている。あたりまえと言えばあたりまえの話だが、これまでの未來社のスタッフから見ればずいぶん様変わりしたものである。こうしたなかから対外的な情宣活動なども積極的におこなえるようになり、四月におこなわれた東京堂での鵜飼哲・高橋哲哉両氏の公開対談(本誌先月号に概要を掲載)、さらに八月二日の青山ブックセンターでの小林康夫『表象の光学』刊行記念トークセッション(小林康夫・宮本隆司両氏の公開トーク&スライド)もそれぞれ成功裡に実現することができたことはこうした若いスタッフの実行力の現われである。これからもこのような企画が随時おこなえるようになることをおおいに期待したい。また、これとともに本誌「未来」の誌面にもかなり思い切った企画が現われてきており、ちかく誌面構成に抜本的な変更を試みようとしているので、読者の方々には期待していただけるものと思う。
 こうしたなかで、若い編集部のなかにもわたしの[出版のためのテキスト実践技法]がようやく定着しつつあり、編集時間やコストの無駄の軽減にもおおいに効果を上げようとしている。この種の編集用パソコン技法もふくめてさまざまな編集ノウハウをできるかぎり伝えていこうと思っている。いまは時間がさけないので中断気味だが、未來社ホームページで公開している[テキスト技法]増補・改訂版はアクセス数がかなり多いので、これも継続的に書きつづけていきたい。「週刊読書人」で連載している[執筆と編集のためのパソコン技法]とともに、これらはある意味では未來社の若い編集者のための編集技法のテキストなのであって、おそらく出版業界に今後もかかわっていきたいという他の多くの編集者のためにもなんらかのガイドブックのつもりである。
 こんなことを考えていると、先月号でもふれた小林一博氏が「日本読書新聞」に勤務しているかたわら構想しその後に実現した日本エディタースクールや鳥取大山での「本の国体」シンポジウムのような、出版文化や編集文化の啓蒙のための努力に思いが及ばないわけにはいかない。自分にはそこまでの情熱はないが、わたしが[出版のためのテキスト実践技法]をつうじて実現しようとしている編集者育成のプランがなにほどか小林氏の思いと通じるところがあるような気がしてくる。わたしもいつからかひとりのドン・キホーテになっているのかもしれない。

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[未来の窓79]

その後のJRC──本のネットワークの構築を期待する

 今回は、この二月に創立されたJRC(人文・社会科学書流通センター)についての近況を報告しておこう。四月号の本欄で「新しい流通チャンネルの可能性──JRC設立にあたって」と題してこの新会社の発足にあたってのわたしなりの期待と抱負を述べさせてもらったが、その後の実質半年のあいだに、たとえわずかずつであるとはいえすこしずつ成果を上げはじめてきているJRCの活動は、身近に観察してきた者としてはもうすこし広く認識してもらっていいように思うからである。
 前回この欄で書いたことだが、わたしはJRCのこれから取り組むべき活動のポイントとして、書店や大学生協への販売促進の代行、店売の活性化、学会等での出張販売の代行などのほかに、つぎのような四つの提案をおこなった。
 一、出版社と協力してフェア企画などの立案、持ち込み、商品あっせん、をおこなうこと。
 二、図書館などの欠本補充。
 三、ホームページの開設。
 四、近くの大書店の倉庫の機能をもてるようになること。
 これらの項目のすべてにわたって一部はすでに実現している。たとえばフェア企画の立案から注文取りという面では、未來社と共同して企画した「ハーバーマス・フェア」が東京堂書店、三省堂本店、リブロ池袋店、紀伊國屋書店本店、丸善日本橋店、東京大学本郷生協、芳林堂高田馬場店、一橋大学国立生協、大盛堂など都内の十数書店でミニ・フェアとして実現し、大きな成果を挙げた(一部は継続中)。これには岩波書店や平凡社、法政大学出版局、人文書院、木鐸社、松籟社、マルジュ社といった版元も巻き込むことができ、JRCにとっては取引出版社拡大の面でもすくなからぬ実績になったはずである。
 この企画はハーバーマスのおそらく最後の代表作となるであろう『事実性と妥当性』(原書刊行は一九九二年)がようやくこの五月に小社から刊行されたのにあわせて、この二十世紀の代表的な哲学者の邦訳文献を集めて展示・販売をしてみようという試みであり、ハーバーマスの仕事にかんする情報を小さなフリーペーパーとしてもまとめており、小社のホームページなどでも案内を出したところ、読者からもこのペーパーを入手したいという要望がかなり寄せられている。このことからもうかがえるように、ハーバーマスにたいする関心は依然として高い。JRCがこうしたフェア企画をタイムリーにおこない、またそれらの企画をストックとしてさらに増設していくことができれば、フェア企画会社としての魅力も出てくるだろう。こうしたフェア企画など、出版社の協力を得ればいくらでも立案可能なのであるから、もっともっと積極的に展開していくべきである。未來社としてもつぎの企画をいくつか準備中である。
 JRCの活動がほかでもすこしずつ広がってきているのは、JRCの店売商品を活用して特定の図書館への見本販売がわずかではあるが定期化してきていることにも現われている。また、いくつかの書店グループや大学生協のグループがJRCに棚作りやフェア商品の出品依頼をおこなうことを機関決定し、この秋から本格的に稼働する予定である。現在の取次から書店への配本システムには大きな亀裂がいたるところに走っており、地方の有力書店などでも入るべき商品がまったくと言っていいほど入荷しないところはいくらでもある。そういう書店のいくつかがJRCにパイプをもとうと働きかけてきており、そうした書店との取引も条件さえあえば実現可能までもう一歩である。
 その意味ではJRCは販売促進会社である以上に、取次機能の確立へとすこしずつ前進しているとも言えよう。ただし、大書店においては、実際の取引となるには大取次との諸関係などさまざまな経営事情があり、なかなか実現はむずかしいというのが現状のようである。それでも思うにまかせぬ流通に不満をもつ販売現場からの突き上げもあって、たとえ少量ずつでもJRCとの取引を望む書店人の声は日増しに高まっている。こうした要望はJRCが適切な品揃えをよりいっそう実現し、書店への商品配給が可能になるにしたがっておのずと増大していくだろう。そのためにも有力書店や大学生協との日常的なかかわりを強化していく努力は欠かせない。
 もう一方では版元への出品協力その他の努力もますます必要である。さいわい大月書店がまもなくJRCとの取引を開始することになった。未來社も所属する人文会二十一社のなかでは二番目の取引先になる。人文会に所属するぐらいの規模の出版社がJRCの取引先に加わることは、販売力強化が必要な専門書出版社がほかにも存在することの証拠である。JRCの様子を見ながら取引を検討している出版社がいくつもあることをわたしは知っている。その意味でもいまはJRCにとってもわれわれ先行出版社にとっても頑張りどころなのだ。
 こうしたなかで先日おこなわれた「新刊.com」の説明会はひとつの試みである。JRCと松籟社の共同で開かれたこのメール新刊案内の試みは、小さな出版社にとってはなにほどかの情報伝達の価値があるかもしれない。内容についてここであまり論及しないが、その会であらためて浮き彫りになったのは、すでに開設されているとはいえ、十分な機能を果たしていないJRCのホームページ(www.jrc-book.com)の本格的な稼働が遅れていることである。前身の鈴木書店からの懸案であった在庫管理のシステム構築が停滞していることは残念なことであり、JRCの販売活動にも大いなる停滞を引き起こしかねない。わたしが前記「新しい流通チャンネルの可能性」で期待とともに述べた四項目のうちでもっとも遅れが目立つのがこのホームページ起ち上げ問題なのである。取扱い商品アイテムとその在庫情報の明示こそが新しい取次をめざすべきJRCの生命線である。いま程度のアイテム数をこなしてしまわないで、どうしてこれからの情報の急激な拡大に対処しうるのか。むしろこれらのアイテムをフェアなどをふまえて相互にリンクさせながら、どこのデータベースにも存在しない強力な本のネットワークを構築していってもらいたいのである。

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[未来の窓80]

日新堂倒産を考える

 十月にはいったとたん、専門書系小取次会社の日新堂が突然の破産宣告をおこなった。十月六日の月曜日になって会社のシャッターが下ろされていることで取り沙汰され、翌七日に日新堂代理人の大岸聡弁護士から、日新堂が資金繰りのいきづまりによる破産申立を近日中におこなう予定であるという、六日付けのFAXが送られてきたことで、その事態が確認された。正確なことはまだ不明だが、小社はたまたま十月二日の木曜日に日新堂に九月分売上げの小切手を受取りに寄っているので、四日と五日の土日のあいだにこのような措置がなされたものと思われる。情報では社員は事態をまったく知らされておらず全員自宅待機ということで、内海宏社長による独断と見られる。
 二〇〇一年十二月の鈴木書店の破産以降、小社にとっては二度目の取次会社の破綻である。いわゆる神田村(東京都千代田区神田神保町にある専門書小取次群)が鈴木書店破産を受けて、鈴木書店の遺産をある程度は受け継いで社業をそれぞれ拡張させていたはずであるにもかかわらず、日新堂においてはそれが時代の逆風を乗り越えるだけの契機にならなかったことになる。
 たしかにこの一、二年、日新堂の業績が芳しくなく、支払いも滞りがちであるという事態がつづいていたことは事実である。本来ならば、期日に振り込まれるべき入金がなく、経理に連絡をしてもすべて社長決裁なので不明であったり、手違いで振り込みをしていなかったとかの稚拙な言い訳に終始したりしていて、およそ信用できるような取次ではなくなりつつあった。出版社によっては半年や一年も支払いがないところもあると聞いたことがある。そうした事態がつづいたために小社でもことしの初めあたりから月あけには集金に行くようになっていた。それがいつのまにか恒常化してしまい、未來社は小切手支払いという扱いになっていると経理のひとに言われたこともある。こうしたいわばなしくずしの取引条件の無原則化は許しがたいことであり、最近も内海社長に支払いをきちんとしてほしい旨の申し入れをした。そのときは内海社長はいつまでも取引先に甘えていてはいけないと自覚している旨の返事をもらったのだが、社長の態度や物腰には出版社との接触を避けたい風がありありと感じられたのも事実であり、こうした点からもなんとなく見通しの悪さを感じさせるものがあったのである。
 それにしても、これまで日新堂からは支払い繰り延べの依頼もなければ、なんらかの協力要請もなかった。一時、岩波書店をはじめ何社かの店売分を増強したこともあったようだが、あれはどうなったのであろうか。なにか展望を切り開こうとする努力や意気込みを日新堂のひとたちから感じることはなかった。アイデアもなくやる気もうしなった会社ほど悲惨なものはないことを痛感する。
 ともかくこの十月二日に集金に行ったときも担当者が席をはずしているという理由がどことなく怪しげであったことは事実であり、実際のところはすでに不渡りになることを知ったうえでの小切手支払いだったのかもしれない。そうだとすれば、これもまた不誠実な行為であると言うしかないのである。今後、弁護士を介しての弁済の話がどうなるのかはいまのところ不明であるにせよ、最後はきちんとした処理をしてもらいたい。
 その意味では、これは出版業界にかぎらず、現在のどんな業態においても起こりうる事態である。出版業界においても書店は毎年一〇〇〇軒を超える閉店がつづいており、出版社においても小さいところはどこも不況にあえいでいる。それでもなんとか専門書系出版社が生きのびていけるのは専門書を売ろうとしてくれるひとにぎりの書店と、そこをつなぐ取次店が存在するからなのである。しかし日新堂の破産が示しているのは、専門書を置いてくれる書店との取引経路のひとつが切れたことを意味するばかりでなく、専門書を扱って利益を出すことが小取次にとってどうすればほんとうに可能なのか、という鈴木書店破綻以来の懸案が未解決のままであることを示している。
 小部数をいかに効率よく適切な書店に配本し、読者に知ってもらうことができるかというのは、専門書出版社にとって最大の課題のひとつである。営業力や宣伝力がないために、もともと少ない読者層に情報がゆきわたらないことがその理由だが、その不足を補う方法はまだまだ残されている。
 読者の潜在的な需要を喚起するそれぞれの出版物の内容をより魅力的な、価値あるものにすることについては言うまでもないが、ここであらためて考え直してみる必要があるのは、読者との接点である書店とそこに情報と本そのものを届ける取次店とのかかわりである。これだけ多くの書籍が市場に氾濫している以上、出版社はこれまでよりいっそう一点一点の書籍の特徴づけを明確にする必要がある。さらに自社あるいは他社の既刊あるいは新刊の出版物との関連をはっきり位置づけることで本のネットワークをつくりあげ、それによって全体的な底上げをはかりつつ読者にアピールしていかなければならないのである。専門書はそうしたネットワーク化ができるかどうかが生命線である。
 一例を挙げれば、小社から刊行されたばかりの現代フランスの哲学者フィリップ・ラクー【=】ラバルト氏による『メタフラシス──ヘルダーリンの演劇』(高橋透・吉田はるみ訳)は、最近みすず書房から『近代人の模倣』が、藤原書店から『ハイデガー──詩の政治』が刊行されたこともあって、時ならぬラクー【=】ラバルト・ブーム(?)を引き起こしている。これにはラクー【=】ラバルト氏の来日予定(実際は来られなかったが)にあわせた出版という面もないわけではないが、こうしたきっかけひとつによっても現代思想の読者には一定のインパクトが与えられるのであり、これにともなって小社がすでに刊行してきたラクー【=】ラバルト氏の『虚構の音楽』(ワーグナー論)も『経験としての詩』(ツェラン論)も連動して読者の関心に呼びかけることができるのである。過去の蓄積とリンクした新刊による読者への呼びかけの力こそ、専門書ネットワークの本領であり、新たな知のネットワークを生み出す源泉なのである。

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[未来の窓81]

危機のなかの〈学問のすすめ〉──折原浩『ヴェーバー学のすすめ』の問いかけ

 いま、編集者として会心の著作の編集を終えようとしている。本稿が活字になるころには、すでに書店に配本されているであろう折原浩著『ヴェーバー学のすすめ』がそれだ。今回はこの本の編集にかかわりながらいろいろ考えたことを書いておきたい。
 折原氏のこの本は、主としてマックス・ウェーバー研究者に向けて、学問とはなにか、学問をするということはどういうことか、という本質的な問いを発するものである。しかもある悪質な、ためにするウェーバー批判(あるいはむしろ悪罵)の書に反論し、故なきウェーバー弾劾からウェーバーの学問を擁護し、ウェーバーのいわば「特別弁護人」として、あえていまの学界に問題提起をおこなおうとするものである。
 ここで前述した悪罵の書とは羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(二〇〇二年、ミネルヴァ書房)という本のことである。このタイトルを見るだけでも相当にいかがわしい本だが、ひとの意表をつく悪意あるウェーバー非難がそれなりにウェーバー学界に与えた傷は大きかったようで、そのためにこれからウェーバーを研究しようとするような若い研究者にその気を萎えさせる効果はあったらしい。また実績ある研究者たちも、どうせこんな無内容な本はすぐに消えるのだからわざわざ相手にする必要なし、といった傍観の立場に立っているようだ。まともに相手をするのも馬鹿らしいといった態度が一般的だ。
 こうしたウェーバー学者の保身的あるいは日和見主義的な態度に業を煮やして反論の筆をとったのが折原浩氏なのである。本書『ヴェーバー学のすすめ』は、すでに発表ずみの書評を大幅に改訂・増補した第二章「ヴェーバーの言葉・意味・思想・エートス論――羽入書論駁をとおして」と、本書のために書き下ろした「基本構想――ヴェーバーにおける実存的問題と歴史・社会科学」とから構成される。わたしがここでとくに触れたいと思うのは、この第一章のほうである。なぜなら、この章こそはわたしが以前に、折原氏に依頼してそのときは事情で断られたことのある折原氏的〈学問のすすめ〉のかたちを変えて実現したものだからである。学問研究への厳密な意識と誠実な態度で知られる折原浩氏にしか書けないような学問論をいちど読んでみたいと思ってきたからである。その思いの一端は今回で十分に満たされたことをご報告しておきたい。
 ところで、その「以前に」というのは、いまから数年前の本誌でたたかわされたいわゆる「折原・山之内論争」と呼ばれた、やはりマックス・ウェーバー研究の方法論をめぐる業界で話題になった山之内靖氏との論争があり(一九九七年九月号、十月号、十二月号)、そのさいにわたしが折原氏のもともとの意向とは別に、いま学問をするとはどういう行為か、といった視点で書き下ろしができないか、というお願いをしたことを指す。今回の折原氏の羽入書論駁は、前回のものとはいささか次元を異にするものとはいえ、やはり折原浩という稀代の学問研究者の学問への取組みかたの真骨頂を示す絶好の機会ではないかと考え、あらためてこの折原氏的〈学問のすすめ〉の追加をお願いし、今回は快諾を得て一気に書き下ろされたものが本書第一章なのである。ウェーバーの代表作である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』をめぐる、羽入辰郎氏のおよそ学問的とは言えないウェーバー切り捨て的な論難には、折原浩氏の厳密な検証で逐一論破されていると思われるので、ウェーバーの人相が「詐欺師」のそれに似ているといった自分の妻のさもしい評言を得意げに枕にもってくるような羽入書の展開については、わたしのようなしろうとが立ち入った論評は控えるべきだろう。
 こうした折原浩氏の学問的情熱がたんに学問内部的なものでなく、学問を取り囲む環境や生活世界にまで及ぶことはよく知られていることであろうが、思えば、折原浩氏にはわたしもすくなからぬ因縁がある。というのも折原氏が社会学科助手として勤務していた東京大学教養学部でいわば造反教師として尖鋭な活動を始めていた一九六八年にわたしはその大学に入学し、大学闘争のなかで折原氏の姿や噂を渦中で目撃し、聞いていたからである。その活動のためにその後、大学で不遇をかこつことになったとはいえ、折原氏は当時から学問のありかたをめぐるウェーバー的なエートスの体現者として、研究する行為自体がみずからの生活環境や意識と矛盾しかねない学問研究のありかたへの一貫した批判者だったのである。
 その批判精神の最初の集約されたものが小社から一九六九年に刊行された『危機における人間と学問──マージナル・マンの理論とウェーバー像の変貌』である。じつはこれの内校はわたしがしている。詳細はすっかり忘れてしまったが、〈マージナル・マン〉というキーワードは自分のなかにしっかりと記憶されている。学問をすることはつねに時代のマージナルな領域に自覚的に立ち尽くすことからしか始動しないという折原氏の学問論は、早いうちからわたしの生きかたのなかにインプットされたものであったのかもしれない。その意味でも、折原氏との因縁が浅くないというのはわたしの側の勝手な思い入れだが、そうであればこそ、あらためて折原氏の毅然とした学問への姿勢がこめられている本書第一章は、たとえウェーバー研究のありかたという窓を通したものであるとはいえ、ひろく現代の日本の学者・研究者たちに虚心に読んでもらいたい一文である。
 じつを言えば、本書第二章の単独刊行が折原浩氏から示唆されたとき、当初の羽入書論駁を内容とした第二章だけでは、折原氏ほどの実力のある学者がわざわざ相手にするにはあまりにも対象が小さすぎるし、一過的な本に終わってしまうのではないかとの懸念があった。しかし書き下ろしの第一章を得ることによって、この論駁の理念的な背景や根拠が与えられることになり、もともと折原氏が意図したことが十分に読者に読み取れるようになったのではないかと思う。その意味でも、編集者として会心の仕事になったと思えるのは、わたしとしてはたいへん幸運なことである。

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