未来の窓|2007

 
[未来の窓118]

木下順二氏とともに五〇数年

 劇作家の木下順二氏が十月三十日に亡くなられたという情報が新聞やテレビで一斉に報道されたのは、亡くなられてひと月後の十一月三十日だった。九二歳。亡くなられてきっかりひと月後の十一月二十九日に東京文京区向丘のご自宅玄関に張り紙が出されて事態が明らかになったというのが事の真相らしい。残念ながら生前から関係の深い小社においても事態の推移が掌握できていなかった。それというのも、ご高齢とはいえ、いつも「夕鶴」をはじめとする木下戯曲の上演許可にかんして小社と連絡をとりあうかたちでお元気な木下氏のお声を聞く機会が多く、比較的最近においても連絡が途絶えることはなかったし、体調がよくないという情報は聞いていなかったからでもある。
 おそらく亡くなられて三〇日後に公表するように、遺言で指示をされていたことと推察する。わたしは事実を知った当日お電話が通じないこともあって、ご自宅までお悔やみをかねて伺ってみたが、やはり誰もお出にならなかった。十月三十日午後九時五三分に亡くなられたという張り紙と新しい表札を確認できるだけであった。これはいかにも木下氏らしい現世への潔い別離のしかたであり、残された者への思いやりの現われなのだと思う。
 木下順二氏と小社との関係は、創立者の西谷能雄が弘文堂在籍時代にまだ若くて無名の木下氏の戯曲「夕鶴」を企画会議で何度も否定されたあげく、なんとか企画が実現したあともその後の大好評にもかかわらず社内の冷ややかな対応に業を煮やして退職し、紙型を退職金代わりに一九五一年に未來社を創立したという、世に「夕鶴事件」と言われる因縁に端を発している。小社の最初の出版が文庫版「夕鶴」であり、当初は演劇書出版社としてスタートしたことになっているのはそのためである。わたしが聞いているかぎりでは、木下氏とかかわりの深い山本安英さんを中心に成立した「ぶどうの会」のちの「山本安英の会」の全国巡業に、小社の最初の刊行物「夕鶴」および山本さんの文庫版「歩いてきた道」をもって同行販売することが社業の始まりであったそうである。
 そんなこともあって、その後も木下氏は小社から『民話劇集』ほかさまざまな戯曲集や『ドラマの時代』等のエッセイ集を刊行され、のちに作品集(全八巻、一九六一~七一年)と評論集(全十一巻、一九七二~八四年)にまとめられている。晩年の木下氏は小説にも手を染められ、小社とのかかわりも新たな出版物のかたちでは実現しなかったが、長いこと小社の監査役をつとめていただいたり、最後まで株主になってもらっていたり、先述の木下戯曲の上演許可にかんする代理人役を仰せつかっていたりと、小社は変わらぬご厚誼をいただいてきた。
 そう言えば、株主総会のご案内状をお送りすると、いつも白紙委任ではなく、委任相手にわざわざわたしの名を書き込んでくれたうえに、かならず「頑張ってください」というひと言を書き添えてくださるような、義理と人情に厚い方だった。そういうことを思い出すにつけ、出版という事業は大事な著者との熱い共同事業なのだということがあらためて実感されるとともに、その遺産を守りつづける義務が残されたものにはあるのだという緊張がからだを走るのを覚えるのである。
 今号の追悼文のなかで菅井幸雄氏が述べられているように、木下戯曲の公演があると、小社は総出で劇場販売に駆けつけたことがよくあった。わたしもよく参加したものだが、「子午線の祀り」初演のときなど、公演中は販売することもないので、しっかり舞台を拝見させてもらったりした。なにしろ公演ごとに数百冊単位で飛ぶように売れる時代だったのだから、楽しくもあり張り合いもあったのである。いまからは想像もつかないほど本がよく売れ、また読まれる時代がかつてはあったのである。
 木下順二氏がお亡くなりになったいま、小社として何かなすべきことはないかと考えて、木下作品集の各巻末にある解説対談を一冊にまとめることが一番ふさわしいのではないかと考えた。菅井幸雄氏に相談させていただいたところ、おおいに結構、以前からその企画を提案しようと思っておられたとのことだったので、さっそく進めることにさせてもらい、菅井氏には必要な注を準備していただくことになった。
 なにしろこの解説対談は、対談者に当代一流の社会科学者や文学者もふくめ、かならずしも演劇専門家ではないひととの同時代的な文化との横断的な交流をふまえて演劇を位置づけ直そうとする試みで、それぞれが通常の解説の域を超える長大な対談である。ちなみに対談者は、内田義彦(第I巻)、竹内実(第II巻)、尾崎宏次(第III巻)、野間宏(第IV巻)、丸山眞男(第V巻)、下村正夫(第VI巻)、堀田善衛・猪野謙二(第VII巻)、江藤文夫(第VIII巻)(いずれも敬称略)といった錚々たる顔ぶれである。この対談者のほとんどがすでに鬼籍に入られていることを思うと、やや遅きに失した感も否めないが、それだけ逆にこの連続対談集は、ある時代の文化のありかたにたいする証言集であり、それぞれの論者の立場から見た同時代演劇への眼差しであり、ひるがってそれぞれの専門研究における演劇的モチーフとの交差を刻印した貴重な資料になると思われる。こうした企画を世に送ることは、及ばずながらも木下順二氏の功績を偲ぶとともに、五〇数年に及ぶ木下氏との二代にわたるご厚誼を感謝する気持ちをこめたいからである。
 木下順二氏の霊はいま江戸川橋近くの山本安英さんが眠るお墓に並んで眠られているはずである。「夕鶴」の〈つう〉の役を一〇〇〇回以上にわたって長年演じつづけられた山本さんとの絆はこの世の果てを超えてどこまでもつづくのであろう。山本さんの生前にはけっして〈つう〉の役を他者には演じさせなかった木下氏の思いはついにここで完結したのかもしれない。謹んでご冥福を祈りたい。
▲up

[未来の窓119]

専門書出版をめぐる新しいチャンネル

 専門書出版の製作・流通・販売をめぐる最近の動きにはなんらかの変化が生じてきているように思う。小社においても従来の書籍一点ばりとは異なる選択肢が出てきたからである。もちろん、基本はあくまでも冊子体としての書物であり、新刊活動もそれが売れた場合の重版(増刷)の場合もすべて書物が原則である。しばらく前に書物という形態にたいして、いずれ電子ブックや携帯電話等による情報交換媒体に取って替わられる運命にあるものといった風説がしきりに流されたことがあるが、実際にはそれほど決定的な変容にはいたらなかった。われわれが書物復権の会として十年前から取り組んできた復刊運動は、かつてのロングセラーを共同復刊のかたちで蘇生させようとする努力であり、いまなお所期の目的をクリアできるレベルを保っている。そのかぎりでは書物の刊行と普及という出版社の責務をなんとか果たせているのではないかと思われる。
 しかし、こうした従来の書物の範疇には属さないかたちで新たな販路が開かれつつあるというのがここで確認しておきたい問題である。その代表的なものが、一方ではオンデマンド出版であり、もう一方ではインターネットでのコンテンツ販売というふたつのチャンネルである。
 出版社にも規模やジャンル傾向、出版内容などに大きな差異がありいちがいに言うことはおよそできないが、中小専門書出版社においては在庫をいかにかかえるかという問題は経営の根幹にかかわる重要な課題となっており、かつてのロングセラーものが減少してきてしまった現在、いったん品切れになった書物にどのように対応するかがつねに問題となる。これはそもそも新刊活動においても企画選択の段階での問題でもあって、その企画が将来のロングセラーになりうるか、あるいはある時点までになんらかのかたちで最小限の利益を生み出しうるものかどうかが判断基準になることはいまさら言うまでもない。初版が確実に売れていてまだ余力がありそうな場合はさほど迷うことなく増刷することができるが、問題はそれ以下の場合であり、じつはそうした本の場合がきわめて多いのが現状であろう。増刷する場合には原則的にその増刷部数が近い将来に完売できるであろうという見込みがなければなかなか決断することができない。そうした場合、これまでは、しばらく様子を見たうえでなんらかの機縁があって思いきって増刷するか、前述の書物復権のようなある種の運動体の流れに乗せて増刷(場合によっては新組み)するぐらいしか手立てがなかったのである。それでも出版社はいつ回収できるかわからない先行投資を迫られているのであり、増刷したものの一定期間までにその投資部分を回収できないままになる書物だって少なくはないのである。
 こうしたなかで年間数十部以下の売行きしか見込めない本が品切れとともにどれだけ書物流通の世界から退出させられていったかは想像を超えるものがあろう。小社においてもそうして消えていこうとしている書物が数限りなくあり、そのなかにはかつてはそれなりに売れた本や話題になった本もかなりふくまれている。したがってそうした書物はけっして要望がなくなったわけではなく、注文もそこそこあるのであって、わたしとしてはこうした本をなんとか読めるようにしておきたいといつも思いつづけてきた。そこへ出現してきたのがオンデマンド出版という新しいコンセプトによる復刊の可能性であった。わたしは本欄でこのテーマにかんしてはすでに二回(34回[二〇〇〇年一月号]と110回[二〇〇六年五月号])にわたってそのときどきの見解を述べてきた。
 この間に出版の世界ではさらなる地盤沈下がつづき、以前にもましてオンデマンド出版の可能性が広がってきた。もちろんこの間のオンデマンド印刷の品質向上には見るべきものがあり、まだまだ不十分とはいえ、必要な読者に必要な書物を冊子体の形で提供できるというオンデマンド本来の供給パターンがますます意味をもつようになってきたばかりでなく、商品としてもそこそこの価値をもつようになってきたと思われるようになったわけである。わたしはそこでかつて小社の屋台骨を支える役割を果たした「日本の民話」シリーズ(全七五巻、別巻四巻)を一挙にオンデマンド出版の対象に設定してみた。このシリーズはかつてのロングセラーであるばかりでなく世に言う〈民話ブーム〉の火付け役になった実績のあるものであり、近年は価格設定上の問題その他で在庫を切らすがままにしてきたが、潜在的にはまだまだ多くの読者を望めるものではないかと考えていたからである。印刷会社のデジタル・パブリッシング・サービスの全面的な協力を得て実現したこのシリーズは、図書館をはじめいまはかなりの需要を回復しており、さらには全国トーハン会で重点商品にノミネートされる予定で、予想をはるかに超える販売が期待できるところまできている。これ以外の単品でもまずまずの成績を上げているものがあり、今後もさらにアイテムを増やすことになっている。冗談で「未來社はオンデマンドの宝庫」と言っているのも、ここまで述べてきた理由でまんざら根拠のない話ではない。
 さて、もうひとつのネットでのコンテンツ販売という方法は、紀伊國屋書店が当面は大学図書館を対象として昨年末から公開を始めたNetLibraryへの参加というかたちで実現しそうである。これには若干の初期経費がかかるため印刷会社の協力も必要になるが、わたしの考えでは専門性の高い本であればあるほど、現在流通しているものであっても需要は十分存在するはずである。デジタル・コンテンツは利用者によっては書物本体と同様に、あるいはそれ以上に価値があると思われるし、理論上は販売対象は全世界(と言っても日本語が読める範囲に限定されるが)でありインターネットを介するため書物の現物性という流通上の制約を超えた情報の即効性という付加価値もあるからである。それにふさわしい書物をすこしずつアップしてみるつもりである。
▲up

[未来の窓120]

〈人文書〉の見直しの動きをめぐって

「論座」三月号が〈「人文書」の復興を!〉という特集を組んでいる。柄谷行人氏、ジュンク堂の福嶋聡氏らの評論、岩波書店前社長・大塚信一氏と講談社顧問・鷲尾賢也氏の対談などが掲載されているが、この手の雑誌が〈人文書〉についての特集を組むこと自体かなり稀なことである。〈人文書〉のわかりにくさ、定義づけのむずかしさが各人各様の言いかたで述べられており、考えさせられることが多かった。
 いま、わたしも属している人文会では人文書中ジャンルの全面的な見直しを一年越しで進めているところでもあり、その中間報告をそのつど人文会ホームページ(http://www.jinbunkai.com/)にアップしているところである(この点については「論座」の福嶋氏のエッセイに好意的な言及がある)。今回この人文会が発行している機関誌「人文会ニュース」が一〇〇号を迎えることもあって、多くの業界人からの寄稿を仰ぐとともに、若手書店人と会員社の若手メンバーとの座談会がおこなわれ、またかつての代表幹事たちにも執筆してもらったりインタビューを試みたりして、かなり充実した誌面をつくることができているように思う。事情があって刊行がすこし遅れているが、これにともない朝日新聞にも共同広告を打つとともに連動したフェアを全国規模でおこなうことにもなっている。
 こうした動きに過剰な意味づけを与える必要はないだろうが、〈人文書〉にたいする認識を多くのひとに深めてもらういいチャンスであるとは言えるだろう。その意味で「論座」の特集はわれわれにとってもタイミングのいい企画になっている。そのなかでとりわけ柄谷行人氏の「可能なる人文学」という評論は、われわれ専門書系出版人がえてして勘違いしそうな認識の陥穽を衝くところがあって、深く納得するところがあった。人文書が売れないことが事実だとしても、それはほんとうに人文書の危機なのかという柄谷氏の疑問は、大きく言って量と質の面で立てられている。
 まず第一に、人文書が売れていないといっても、一九六〇年代の高度経済成長と大学紛争の時代をピークとするとして、そのころよりいまのほうがまだより多く売れているのではないか、という現状認識である。これは人文書というものが、時代の動向とともになにが中心的に読まれるものであるかが変動していくものであるだけに、その輪郭をつかみにくいし、そもそも一九六〇年代ではまだ〈人文書〉と呼ばれるものがどんなものか一般的に了解されていなかったことを考えると、この柄谷氏の判断はかならずしも正確なものではない。すくなくとも柄谷氏の印象がそういうものだったにすぎないかもしれないのである。一例を挙げれば、吉本隆明『共同幻想論』や羽仁五郎『都市の論理』などといった話題作は、いまでは間違いなく〈人文書〉の中核とされていただろうが、これらは当時〈人文書〉とは認識されていなかったように思われる。すくなくとも、この時代の終盤に大学生活を始めた者としては、それ以前との比較が体験的にはできないけれども、あきらかにこの種の本が売れていたという実感を否定することができない。それはたんに知識として〈人文書〉を買って読むという意識からではなく、時代のなかの必然として、生きるうえでの指針やヒントを得ようとするがために読まざるをえなかったからである。そして〈人文書〉とはそもそもそういった書物に与えられるべき名前ではなかったか、といまにして思うのである。
 しかしそれはともかくとして、この時代に〈人文書〉が売れたからといって、その時代がほんとうに良かったのか、と柄谷氏は問うのである。それは大量の知識人【=】大衆を生み出しただけではないか、基礎的な勉強をしないままにすぐに大問題に向かうだけで、それはだいたい不毛な結果に終わるのだ、と。
「だから、人文書が売れるということが、このような速成知識人を増やすことだとすると、それは別に喜ばしいことではない。それはむしろ、知識人あるいは知識を簡単に否定するということに帰結すると思います。『知識人を批判する知識人』が一般化する。そして、彼らはまもなく、実際にも本を読まなくなる。近年に人文書が売れないというのは、そういうことの結果だと思います。」──柄谷氏が語ることは辛辣だが、現実に裏打ちされた発言だけに少々耳が痛い。いまの読者の問題だけではなく日本の社会状況全般を見ていても、学問や知識といったものを軽視するか敵対するかのような身振りの風潮が政治家から教育者にまでひろく蔓延していて、批判的言説にたいしては抑圧的にか冷笑的にか働くようになっているのは、こうした底の浅い知的風土のなせるわざでもあろうか。学問的情熱が薄れてきているのは世界的傾向であるとしつつも、日本はそれが極端に出てきていることを柄谷氏は指摘する。
 ところで柄谷行人氏の〈人文書〉批判は、批判のためだけの批判ではない。もちろん、コンピュータのあとに人文学はいかに可能か、というような問いがもはや簡単に成立するわけではないことを承知のうえで、なおかつその可能性を問わなければならない、と主張されるのである。そこに安易な回答や方策を求めようとすること自体が誤りなので、最終的にはいまのこの世界を変えようとする志向をもつこと、現状にあきたらないひとが新たな人文学を構築するはずだという確信をもってこの評論はしめくくられている。
 こうした柄谷氏の提言にたいして人文系専門書出版社としてはどう応えなければならないのか。そのひとつの対応が前述した人文書中ジャンルの全面的な見直しにあったわけだが、なかでも既成ジャンルを超える新しい可能性を追求したものとして「現代の批評・評論」を再設定したことには重大な意味があることをあらためて認識してもらいたい。ここから人文学は新しい何かを生み出していくだろうし、出版社はそれを〈人文書〉の新しい動きとしてつねに注視し、意識的に育成していくべきであろう。
▲up

[未来の窓121]

「人文会ニュース」と人文会の思い出

 専門書出版社二十社の団体である人文会は来年には創立四十周年を迎えるが、それに先んじて、会が発行している「人文会ニュース」が三月末には一〇〇号記念号を刊行する運びになった。予定よりだいぶ遅れたが、通常号の二、三倍の一二八ページのボリュームがあり、一部だが編集にもかかわった者としては手前みそながら、充実した内容になっていると思う。
 営業マン主体の会として、みなが編集に不慣れななかにも力を出しあった結果としてこうした貴重な記録集が刊行されたことは、今後の会活動にとっても基盤の整備になったはずである。また、時代がおおきく旋回して出版業の将来もけっして安閑としてはいられないいま、これまでの会活動の基本線がどのようにして形成され育てられてきたのかを時代の流れとともに把握できるようになったことは、会を構成している各人にとって今後の活動においても有意義なことであろう。
 この記念号はおそらく出版業界になんらかのかたちでかかわってきた者には、少なからぬ関心を呼び起こすだろう。本好きの一般読者にとっても、出版社がどういう背景のなかで本を生み出し、それらを流通させてきたかを覗いてみることは興味深いことであるかもしれない。(さいわいこの記念号は通常より多めに印刷することにしたので、希望される読者は入手できる。参加している出版社のいずれかに連絡されれば切手代だけで送付されるはずである。)
 それはともかく、この記念号のなかで、二代目代表幹事だった相田良雄氏(元みすず書房営業部長)のインタビューの司会進行と編集にたずさわることになり、とても楽しいと同時に充実した時間をもつことができた。相田氏が代表幹事をされていた一九七七年から一九九〇年の十三年間のちょうど中ごろに会に参加し(八年半ほど在籍)、長い中断をはさんでこの四年ほどを会の構成メンバーとして舞い戻ってきた者としては、この相田政権時代を知る数少ない現役として、いろいろ記録に残しておきたいことがあった。その意味では、当時の仲間である菊池明郎氏(現・筑摩書房社長)や濱地正憲氏(誠信書房)、市川昭夫氏(法政大学出版局)といったOBの同席・協力もあっていろいろな証言を引き出すことができたことはありがたかった。インタビュー後半はかれらの饒舌な丁々発止の会話を楽しむことになって、やや疲労気味の相田氏のバックアップをしてもらいつつ、なつかしい思い出がつぎつぎと蘇ってくるのを禁じえなかった。なかにはとても活字にできないようなオフレコ話もあって、テープを聞き直しながら何度も感慨にふけったり大笑いしてしまうようなこともあった。そんなおもしろさが活字としても残っていると思うし、事情を知らない読者でもわれわれが熱い共同性を築きながら活動していた時代があったことを想像してもらえるのではないかと期待している。
 この相田政権時代にしばらく「人文会ニュース」の編集を担当していたことがあり、それがいまの「人文会ニュース」のスタイルのベースにもなっている。そのことについて今回のインタビューのなかで証言しておけなかったので、忘れないうちに書き残しておきたい。というのは「人文会ニュース」をどういう性格づけのものにするかということで会で議論することがあったからであり、その問題をめぐってかなり意見の衝突があって、それを克服するかたちでいまの「人文会ニュース」のスタイルが確立されたという経緯があるからである。
 わたしは弘報委員長という役を仰せつかってしばらくして、この雑誌の性格について不満を感じ、もっとイキのよい広報活動ができないものかと模索を始めていた。もともとは新刊予告のような会の広報誌あるいは機関誌的な役目をもっていたわけだが、時代はもっと清新な情報をもとめる方向に動いていたのである。そこで新しい試みをしている書店人にその方法論を書いてもらおうということになり、当時、リブロ渋谷という小さいながらも斬新な展示と品揃えで画期的な成果を挙げていた書店の話を聞き、さっそく依頼をしに行った。そのときの店長がのちのジュンク堂の田口久美子さんだった。話を聞いてこれはいけると踏んで、例会に報告したところ、どうしてそんな小さな店から始めるのかという反対意見が当時の重鎮のひとりから出た。そういう書店情報を「人文会ニュース」に掲載するならやはり順序というものがあるだろうということで、大書店から人選すべきだという意見であった。まあ、当時の営業マンの常識からすれば、そういう大きいところに礼儀を尽くすのが当然で、まだ無名だった田口さんのような書店人をトップバッターに起用するのはおかしいというものだったのであろう。
 いまから思えば一理も二理もあるだろうが、当時のわたしは盲蛇に怖じずというやつで、まあ怒りましたね(笑)。そこで今後の「人文会ニュース」はいままで通り会の機関誌として狭い業界向けの誰も読もうとしないもののままでいいのか、それとも何か新しい鼓動を伝えるような情報誌的性格のものにするのかとえらい剣幕で吹聴したものだから、みんな黙ってしまい、それなら西谷の言う通りにやらせてみようという相田さんの判決が出て、それからの「人文会ニュース」は編集担当の判断で自由におもしろい記事をどんどん掲載していこうという情報誌的な性格づけが与えられたのである。このことはのちに「人文書講座」のようなかたちで拡大され、それが人文会初の刊行物『人文科学の現在』へと発展していくことになる。そんなひと幕もあったことは覚えてもらっておいてもいい。
 この五月でわたしも足かけ十二年半にわたる会活動への参加を後続に委ねることにした。もともと事情があって一時的な出戻りのつもりが長引いてしまったから当然のことだが、営業を中心にずいぶん勉強させてもらった恩返しもあって、多少の経験と知識を提供できたかもしれない。でも、きっと迷惑だったり不愉快に思われたことのほうが多かったにちがいないが、そんなことはもう知らない。
▲up

[未来の窓122]

「書店員の愚直さ」の必然性──福嶋聡氏の新著を読む

 ジュンク堂池袋本店副店長の福嶋聡氏が十年ぶりに関西に戻ることになり、その置きみやげというわけでもないが、『希望の書店論』というエッセイ集を上梓された。これは人文書院のホームページに連載されていたものを中心に年来の主張をまとめて同社から刊行されたものである。この本を読んでいろいろ考えさせられることがあったので、ここでその一端について関心のおもむくままに触れておこうと思う。
 まずなによりもこの本の特質として挙げられるのは、個性的な一書店人からみた出版業におけるさまざまな問題点を、正直にしかも建設的な方向で指摘し、忌憚のない意見を述べているところにある。業界人向けの発言としてではなく、みずからの仕事をつうじて経験を語りながらそれを具体的な方法論として臆することなく提示しようとしているところに福嶋氏のポジションの真骨頂がある。本書を「現場からの定点観測的な報告」(「はじめに」)と言わしめているのは、たんなる謙遜や事実確認からではなく、書店現場という出版流通のゴール地点から書物という媒体を通して出版業界のさまざまな局面へ可能なかぎり遡及しようとする方法のための確固たる基盤をもっていることの意思表示にほかならない。もちろん、ここで言及されていることは、第IV章のタイトル「書店という現場──本を売るということ」に示されているように、出来あがった本という「商品」を売る立場に徹することから見えてくる出版業界のかかえる諸問題である。
 本書を貫くメッセージは、端的にこのように言われている。──「今、厳しい状況であることは、誰でも知っている。でも、『駄目だ、駄目だ』と言っていたって埒【らち】は開かんでしょう。出版物を扱うというのは、とても魅力的な仕事なのだから、なんとかいい方向に持っていこうよ、そのためには『もう駄目だ』と言っちゃおしまいでしょうが。」(一八五頁)
 本を愛する書店人、福嶋聡ならではの率直な物言いだが、まったくその通り。それではどうするか。その視点からかれが展開するのは、一方では、出版における読者=パトロン説であり、他方では、それを実現するものとしての書店現場の「創発」性である。
 まず、出版における読者=パトロン説。たしかにかつて王侯貴族の庇護のもとに文学や絵画、音楽などの芸術、はては哲学までがその生産、継承発展を保証されていた時代があり、才能ある文学者や芸術家とそれを理解することのできるパトロンが相互に結びつくことによってこの関係が限定的に実現されていたことは周知の事実である。そこにさまざまな誤解や錯覚や打算や偶然が働いていたであろうことは当然だが、そのなかで陽の目を見られずに歴史の深淵に沈んでいった才能は無数に存在していたはずである。近代民主主義はその意味では才能を商品化することによって相対的に平準化し、大衆化していった結果、多くの才能を見出すと同時にこの要求にそぐわない才能を消去していった。
 福嶋氏の読者=パトロン説は基本的にこの流れを汲むものであるように見えるが、必ずしもそれが俗流大衆路線へと流れてしまわないのは、かれが勤務するジュンク堂書店という器がベストセラー志向の書店ではなく、むしろいわゆる「ロングテール」、つまり多品種少量の書物群をロングセラーを中心に網羅的に収集・展示することによって日本の出版文化を下支えする強い志向性をもつ書店の立場から発想されているからである。その意味で図書館は書店とは異なる公的な立場とはいえ、わずかながらでも書物のパトロン的な寄与をおこなうものとして評価される。だからこそ、日本文藝家協会と図書館の「公共貸与権」をめぐる意見対立に福嶋氏は違和感をもつのである。なぜなら日本文藝家協会が主張しているのは、図書館を有力な読者=パトロンとみなすのではなく、本の無料貸出し屋として著者の著作権を脅かす存在と断定する方向だからである。
 しかしここで注意しなければいけないのは、日本文藝家協会の主張といっても、それは実際にはごく一部の幹部メンバーの主張にすぎない、ということである。わたしも日本文藝家協会に所属しているが、その構成員の多くは図書館にたいしてこうした敵意を抱いていないし、むしろ著書を購入してくれる有力なパトロンとして期待しているのである。図書館に物足りないところはあるとしても、多くの協会員は読者に広く読まれる機会を与えてくれる場としての図書館の存在を評価している。多くのひとに読まれることが、自分の著作の販売部数を減らし、ひいては印税収入の減少に結びつくと考えられるひとはごく一部の特権的なケースであり、その特権を日本文藝家協会の全体の主張とすることは本末転倒であるとともに、ある意味で読者をバカにした話ではなかろうか。読者をたんなる消費者とみなし、自分を支えてくれるパトロンというふうに考えないから、こうした発想が生まれてくるのである。
「読者という顧客(=個客)は、ほぼ例外なく、書物という物体に対価を払うのではなく、その書物を読むということ、すなわち読書という経験に対価を支払う。だから、著者や編集者の『はたらきかけ』は、顧客の読書経験をデザインすることだと言っていい。」(一三二頁)──こう、福嶋氏は述べているが、ここで「デザイン」とは紺野登氏の概念にもとづいており、「商品の意匠に留まるものではなく、顧客の『経験』そのものを方向付け、顧客満足を獲得する『はたらきかけ』」であるとされている。ここから書店人の「はたらきかけ」も同じであると福嶋氏は主張するのである。「書店現場は個々の売買によって情報そのものが発生する場」(一四九頁)であり、そこに介在する人材こそがその情報を活かして「創発」性を生み出すことができるとされるのである。福嶋氏の言う「書店員の愚直さ」が必然的であることは、書店員の創発性を導き出すための原理がそれ以外にないからである。
▲up

[未来の窓123]

専門書の棚つくりを考える──柴田信氏の小冊子によせて

 岩波ブックセンター信山社の柴田信氏が喜寿を迎えられ、このほど(四月二十一日)歴史書懇話会主催で喜寿の会が設けられた。わたしは所用で出席できなくなったが、その会で柴田氏の『本の街・神保町から【私家版】』(岩波ブックセンター刊)が配られ、のちにわたしにもそのときの記念品とともに一冊恵贈していただいた。エッセイと対話の四篇から成る三〇ページ余りの小冊子だが、最近の柴田氏の神保町を中心とした活動ぶりと、「専門書の専門店」の責任者としての考えがシンプルに表明されている好著である。前回の本欄で柴田氏と親子ほども年齢差のある福嶋聡氏の新著について論評をくわえさせてもらったが、今回も書店人の仕事について考えてみたい。
 柴田氏の書店構想は、大書店の福嶋氏のポジションとちがい、中小専門書店の生き残り方を提示するもので、われわれ小出版社の生き残り方とも相通ずるものがあり、おおいに共感するところがあった。と同時に、いかに書店の書棚を充実させていくかという問題には、柴田氏ならではの矜持と明確な方法論があり、これも出版社の安易な容喙を許さない見識がうかがわれる。平たく言えば、〈私は書籍を棚で売る〉という柴田氏のコンセプトは、大量流通・大量販売になじまない書籍を時間をかけてていねいに売るという姿勢であり、それを支える商品知識とその店ならではの特異性を生かした棚構成の構築という方法化をつうじてこそ実現されるのである。しかも神保町というバックグラウンドを生かした「専門書の専門店」という位置づけをはっきり打ち出すことで読者の定着をはかっている。岩波ブックセンター信山社は歴史書の品揃えでは他の店に負けないという自負をもっている。そうすることで七〇坪という制約されたスペースを最大限に効率化しようとするのである。つまり、店の書棚にあわないジャンルや書籍は置かない、取り扱わない、捨てるという見切りを徹底することによって専門書を売りながら一定の棚効率を確保し、生き残るという思想である。「うちでアダルト本くださいなんて、誰も言いませんものね」と柴田氏が言ってのける理由である。
「何を入れて何を捨てるか。売れるものは注文を出さなくてはいけない。しかし余分な注文は極力抑えなければいけない。その捨て方こそが専門家の腕のみせどころであり、真のプロを意味します。」「私は担当者固定派なんです。たとえば人文社会の担当者は、その分野には精通しないといけない。そのためには、ずっと同じところに張り付いていなければいけない。(中略)オールラウンドプレイヤーを目指すのではなく、エキスパートを養成したいのです。」(「本の街に生きる──出版業界の最終地点から見える世界」)
 柴田氏の言わんとすることは明快だが、そういうエキスパートを養成し、棚の鮮度を保持しつづけることはほかの店ではそう簡単なことではないだろう。神保町という書店に有利な立地と、岩波書店をバックにもつ歴史的経緯があってこその岩波ブックセンター信山社なのであり、そうした強力な条件をもてない書店の多くは、エキスパートはおろかオールラウンドプレイヤーさえも養成するのは容易でない。わたしなどが人文会という会活動を通して書店の人文書の棚つくりに口を出そうとしているのも、書店の一般的な現状に不満をもつからであり必要最小限の品揃えを期待するからであるが、おそらく柴田氏はそうしたマニュアルだけで書店の棚は活性化できないのではないか、と思われるにちがいない。「それぞれの本屋には歴史的に積み重ねてきた品揃えがあって、その土台のうえに立っているのですから、それを変えるというのはすごく僭越なことなんです」(同前)と柴田氏は言っているからである。
 まことにその通りであって、そう言われるとわれわれのやろうとしていることが「僭越な」ことになりかねないのだが、そしてその結果が金太郎飴的な人文書棚ばかりができてしまうことになったとしても、現状よりはまだかなりマシなのではないかとわたしは思うのである。いずれにせよ、人文社会系の専門書の棚というのはたえざるメンテナンスが必要なので、柴田氏の想定するエキスパートが不在の書店では、書店の自主性を云々するよりまえに早晩、棚の鮮度は落ちていくことになる。「出版業界の最終地点」たる書店こそが「売れた結果を綿密に追認していってその過程で品揃えを微妙に変化させていく」(同前)というふうになってくれることはわれわれの願いでもあるのだが、現実はそれを簡単には許さない。本来は書店がそれぞれのプランにもとづいて独自の棚つくりを志向していくのをわれわれ出版社側が協力するというかたちが理想なのだが、「僭越」ながらも出版社が作る側の論理において書店の棚を構想するというかたちになっているのである。
 わたしはなにを言いたいのだろうか。柴田氏の率いる岩波ブックセンター信山社のすぐれた品揃えと実績は言うまでもないことだが、その経験と方法論をどうしたら他の書店においても可能にすることができるのかを考えたいのである。それぞれの書店が歴史的に蓄積してきた店独自のロングセラーや棚構成というものはあるだろうから、まずはそれを継承し発展させていくことが必要になる。柴田氏は先の引用のあとで次のように言う。「売り上げ結果を追認することは読者と対話することにほかなりません。見えない交流、聞こえない会話、読者とのそんな緊張関係の中から棚作りが進みます。時間をかけて書棚が作られていきます。(中略)専門書を仕入れて売るということは、このように地道で地味な世界なんです」と。
 こうした書店の「王道」(柴田氏の表現による)にたいしてはただ首肯できるだけであり、すべての書店および人文書担当者が肝に銘じてほしい大原則であることは間違いない。大きな理想があってこそ現実的な手法が対応するのであって、われわれが「僭越」にも書店の棚を構想するのも、そうした手段のひとつにすぎない。
▲up

[未来の窓124]

デジタルコンテンツ販売をどう考えるか──紀伊國屋NetLibraryの挑戦

 紀伊國屋書店がインターネットを介して書籍のデジタルデータの販売を始めることになったことは、すでに本欄の第一一九回「専門書出版をめぐる新しいチャンネル」ですこしだけ触れておいた。今回はその後の経緯もふくめてこの試みがどのような可能性をもっているのかを具体的に考えてみたい。
 紀伊國屋書店はもともと、世界最大の図書館ネットワークであるとされるOCLC(Online Computer Library Center Inc.)の日本での代理店であり、eBook(電子書籍)の大手プロバイダであるNetLibraryはOCLCの一部である。ここではすでに欧文をもとにした学術書eBookの販売には相当な経験を積んでおり、紀伊國屋も日本で実績をあげている。その紀伊國屋NetLibraryが和書(日本語コンテンツ)を対象にしたビジネスモデルとして立ち上げたのが、今回の試みというわけである。
 インターネットが一般に普及して十年以上経過したこんにち、書籍をめぐる環境はおおきく変わった。すくなくとも、書籍の販売、入手等の手法やスピードはパソコンを使わずには成り立たないか、非常な不利益を覚悟しなければならなくなった。売上げデータ(POSデータ)の活用においても紀伊國屋書店のパブライン等、書店による販売情報の即時入手が可能になり、売れ行き良好書の適切な配本・送品が実現し、重版の時期と部数決定においても無駄が削減されるようになった。またアマゾン・コムに代表されるオンライン書店の売上げは伸びる一方であり、読者の選書や注文にも迅速に対応できるようになっている。大型書店でもこれに対応するように、書店在庫を利用したネット注文による販売も相当なウェイトを占めるようになってきたと聞く。もちろん、DTP(Desktop publishing)を活用した書籍や雑誌の製作においてもデジタル処理の高速化、技法の開拓等によって大幅なスピードアップ、経費縮減、製品の仕上がりのレベルアップが実現した。
 そうしたパソコンとインターネットを基盤とする出版界のおおきな流れに乗るようにして、書籍のデジタルコンテンツの販売という戦略がここへきて現実のものとなりつつある。わたしはこうしたデジタルコンテンツの販売の将来性についてこれまでも何度か言及したことがあるが、それが今回の紀伊國屋NetLibraryの試みによって具体化したことになる。
 わたしは何年も前から書籍の最終データをテキストデータとして保存するように努めてきた。それはいつかなんらかのかたちでこのデジタルコンテンツの販売が現実のものになると想定してきたからであるが、その準備がいまここへきて意味をもとうとしていることはなんとも感慨にたえない。
 ところで、こうした新しい動きにたいする出版界の対応は、及び腰になりながら他社の動きには妙に敏感になるというのが通例である。たしかに技術上の問題、販売戦略の問題、はたしてこれが営業的に即効性があるのか、費用対効果はどうか、といった問題が山積しているようにみえる。しかしわたしはそうした懸念をことさらに吹聴する立場はとらない。書籍の将来ということを考えると、そのデータが価値あるものであるなら、とりわけ専門書のデジタルデータなら、いつでもどこでも入手可能であるという点において、それを必要とする読者にはありがたいはずだからである。冊子本のように品切れにならないという意味でも存在理由があるとも言える。  さて、わたしが紀伊國屋NetLibraryに提供しようと最初に考えたアイテムの条件とは、
一、すでにデジタルデータが存在し、
二、現在も売れている書籍であり、
三、専門家が何度も繰り返して読むような専門書、
というものであった。すでにデジタルデータが存在しているということは、コンテンツを安価に、すばやく完成でき、しかも中身の精度が高い、ということを意味する。そのことはビジネスモデルとしてはまだ未知の部分があるこのNetLibraryに対応するためには、できるだけコストをかけずに、しかも初期コストの回収を確実にするための方法だと思われたからである。そこでわたしがまっ先に考えたコンテンツは、ちょうど昨年、これまでの活版本を組み直したばかりの故丸山眞男氏の『現代政治の思想と行動』であった。さいわい著作権継承者の了解も得られて、デジタルコンテンツの方面でもおおいに利用されるのではないかと期待しているところである。先日、ホテルニューオータニで開かれた紀伊國屋書店の八〇周年記念パーティの席上、数百人の来客を前に流された記念ビデオのなかで丸山氏の本が大スクリーンに映し出されたのは衝撃的だったが、それもこうした取組みの成果であったと言ってもいい。
 出版社のなかにはデジタルコンテンツの販売は、一方で冊子本の売れ行きを減殺してしまうのではないかと懼れているむきもあるようだが、わたしはむしろ相乗効果をもたらすものと予想している。たしかに辞書とか、特殊な実用書にはそういう可能性を否定できないが、ふつうの専門書であれば、冊子本とコンテンツのどちらかが先に購入されることになっても、もう片方も必要とされるようになるのではないかと思う。紀伊國屋NetLibraryの場合は、海外市場への拡販のチャンスも増大するが、そこでは先にデジタルコンテンツが売れる可能性は高くなるだろう。それは冊子本が入手しにくいからであろうし、その場合、もともと冊子本は売れないままだったかもしれないのであるから、販売がマイナスになることはない。
 さらにもうひとつ利点をあげるとすれば、このさいに将来の別途利用も考えられる活版時代の優良アイテムをデジタルデータにする機会とできることであろうか。このデジタルコンテンツは、再編集を可能とし、紀伊國屋NetLibrary以外でもさまざまに利用可能なので、このさいに思いきって年来の課題を実行するのもいい。多少の編集労力をついやしても元がとれるのではないかと思う。
▲up

[未来の窓125]

人文書中ジャンル全面改訂進行中

 この五月に二度目の人文会正メンバーを三年半ほどつとめてようやく無罪放免(?)になったところだが、どうやらまだ解放させてもらえないらしい。やり残しの仕事として在任中に提唱した人文書中ジャンルの全面改訂をなんとかこの秋までに仕上げてしまわなければならなくなったからである。もっともこうした仕事はあまりダラダラとするべきではなく、とにかく一度は全面的な改訂を公開できるところまでもっていって、あとはたえざる改訂作業という日常的な仕事の領域に移行しなければならない。
 すでに人文会ホームページでも公開を進めている段階に入っており、すでに「教育学」「社会」「宗教」「心理」の四ジャンルはアップされている(このページのURLはhttp://www.jinbunkai.com/new_category/index.html)。残すは「歴史」「哲学・思想」「現代の批評・評論」の三ジャンルであり、このうちの後者二ジャンルの仕上げがわたしに課せられているのである。ちかく「歴史」ジャンルはアップされる段階にきているので、いよいよ切羽詰まっているわけである。
 なかでも「現代の批評・評論」ジャンルは新しい学問動向・社会状況を横断的に把握し、それらに柔軟に対応できるようにすべきであるから、人文書の新しい傾向や出版物の動きに敏感でなければならないという重大な任務がある。それをキーワード、キーパースン、基本図書といった項目にまとめていく作業はちょっとしたクロスワードパズルのおもむきがあるとも言えようか。ここで言い訳するつもりはないが、これはそもそも一個人の手に余る仕事であるし、人文書の強い書店の現場を熟知しているベテラン書店人の協力を仰がなければならないのは言うまでもない。このジャンルはたえざるチェックとともに、時代の動向にあわせてドラスティックな変更・改訂を必要とするものであって、書店の人文書売り場が強力な新刊の出現によって並べ方をそのつど変えていかなければならないのと同じく、これらキーワード、キーパースン、基本図書の繰り替えを常時おこなっていく覚悟が必要である。既成の六ジャンルにおいても事態は根本的に変わらないが、とりわけこの「現代の批評・評論」ジャンルこそは、ユルゲン・ハーバーマス流に言えば「未完のプロジェクト」として終わることのありえない企てであり、完成したと思ったときからすぐに次のステップが始まるぐらいに変動の激しいホットな領域なのである。これをシジフォス的な苦行とみるか新しい挑戦として結果を楽しみにするかは立場の分かれるところかもしれないが、人文書という世界にかかわっていく以上、避けて通ることのできない課題であろう。
 ともかく切迫している理由としては、人文書をどう並べていいかわからない書店が急増してきている現状が一方にあり、もう一方には売れないなかでも刊行意欲をもちつづける出版社の期待がかけられているという出版事情がある。そこへもってきて今回、この一年にわたって大取次のトーハン専門書グループとともにこのジャンル検討を進めてきた結果として、トーハンが大々的な「人文書のすすめ」フェアを何箇所かの書店でこの秋に実現したいという意向をしめしてくれたことがある。秋の読書週間に向けて三〇〇〇点規模のフェアを一か月かそれ以上の期間で実施しようとするプランは、われわれにとってもこの中ジャンル改訂の実証実験として大きな意味をもつことになる。今回の試みは今後の人文書のあり方、売り方を方向づける意味で相当な役割を期待される。ぜひとも成功させたいものである。
 そのためには、人文会だけの力ではどうにもならない問題がある。人文会協賛というかたちでなにがしかの協力はできるだろうが、最終的にはこうした試みに人文会以外の多くの出版社が協力して出品してくれることが肝要である。人文書を刊行している出版社は大から小規模に及ぶさまざまなレベルがあり、それに応じて人文書というものにたいする位置づけ、思い入れ、その販売姿勢もさまざまであろう。どちらかと言えば、細かい煩瑣な出品作業と出品条件を要求されるかもしれない今回の出品要請にたいして、こうした出版社のあいだにはかなりの温度差がありうる。専門書系の出版団体である歴史書懇話会や大学出版部協会などは人文会と親睦関係にあるからおそらく協力してくれるだろうが、ふだんあまりつきあいのない出版社にたいしては取次や書店のほうからの要請が必要になる。今回の趣旨がうまく伝わるかどうかが心配の種である。
 もうひとつは書店のほうに今回の企画の意図を十分に理解し望んで参加してくれるところがいくつあるか、という問題である。相応のスペースをもたない書店はそもそも参加のしようがないし、取次と出版社側としてもそれなりの成果を期待しなければならない事情がある。うまく成功すれば、今後こうした試みは恒常的に実施可能となるだけに書店との相互選択はかなり慎重にならざるをえないが、一方では人文書中ジャンル設定の「実証実験」という性格もあるから、できればさまざまな規模と立地のタイプの書店のヴァリエーションがほしいところでもある。書店・取次の負担、出版社側の出品負担などをいろいろ考えあわせると、じつのところどういう選択がのぞましいのか、いまはまだよくわからない。現実的に考えると、実際のフェア設定に取り組む取次側の人力にも限界があるので、条件のととのう三箇所ぐらいの書店での実施が妥当なところかもしれない。ゆくゆくはさまざまなジャンルを自由に選択してもらって各地の書店が独自の試みとして人文書ミニフェアのようなかたちで取り組んでほしい。
 ともかく、こうした試みが順調にスタートでき、期待以上の成果を挙げられることを仕掛け人のひとりとしては望んでいる。人文書という得体の知れないジャンルがどういうかたちでこれからも買われ読まれていくかは、大げさにいえば今後の出版事業がどういうふうに進展していくかの試金石になるとわたしは思う。
▲up

[未来の窓126]

編集への原点回帰

「朝日新聞」八月十七日号に出版不況をめぐる大きな記事が掲載された。いわく、町の書店には新刊配本がまわってこない、ましてベストセラーは大型書店にばかり重点配本されるので、小さい書店は立ちゆかなくなっている、と。廃業する書店もふえている一方で、全国的な大型書店は地方出店などでますます巨大化し、全体では書店の売り場面積自体は増床しているという具合である。トーハンの桶川センターなど大取次の流通改善への取組みも取材され、出版不況への対策が着々となされているとはいえ、そうした対症療法的な取組みでは現状を打破するのはむずかしいのではないか、という冷ややかな見方があることも紹介されている。
 たしかにこうした八方塞がりの状況はいまに始まったことではない。専門書出版という立場からすると、こんな状況はすでにバブル経済が破綻する以前から実感されてきていたことであり、なにをいまさら、の感もなくはない。むしろこうした実感が数字的にもごまかしができないほど明確になってしまい、これまで出版界の成長神話を支えてきた大出版社(雑誌社)─大取次の大量生産・大量流通・大量販売路線にかげりが見えはじめたことが誰の目にも明らかになったというにすぎない。
 業界の大状況もさることながら、小社のような資金力も宣伝力もない小専門書出版社としては、それでも著者と読者を信じて生き残りを考えていかなければならない。さいわい毎年恒例の書物復権の催し(書物復権八社の会主催)も多くの書店の協力を得てなんとか持続しているし、復刊された本によっては比較的好調な売れ行きを示しているものもある。ことしの例で言えば、『エイゼンシュテイン映画演出法講義』(ニージニー述/中本信幸訳)がそれだ。こうした復刊本を通じてでもどういうニーズが読者のほうにあるのかを確認することができる。また、数は少ないが、オンデマンド本のアイテム数をふやしたことによって(とりわけ「日本の民話」シリーズは好調だ)着実に成果が上がりつつある。それに前々回にも触れた紀伊國屋NetLibraryによるデジタルコンテンツの製作・販売もレールに乗りつつある。
 だから問題は、こうした過去の遺産ばかりでなく、新しい企画をこれらにマッチさせながらいかにして実現していくかということになる。大幅な軌道修正や急激な生産力アップは望めないにしても、未來社なりのテンポや規模で実現できるものはまだまだある。わたし自身が営業関係の現場からも手が離せるようになったこともあり、ほかにいろいろな事情もあって、ここ当分はわたしも編集業に力を入れ直してみようかと思っている。さいわいなことに、古くからのつきあいのある実力ある著者はたくさんいるし、活用すべきさまざまな関係も十分に残っているのだから。
 まあ簡単に言えば、わたしがここへきて一大発奮しようとしているわけである。その直接のきっかけは毎年おこなわれている東京国際ブックフェアでの書物復権八社の会合同出展での売上げ成績が例年にもまして悪かったことによる。端的に言って、豊富な新刊書と話題書がなければ、あの場所では戦うことができないのである。
 二〇〇一年に小社の五〇周年にかこつけてこのブックフェアに初参加したときは、直前にわたしの『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』が「朝日新聞」で大きく取り上げられ六九三冊という記録的な売上げをあげたこともふくめ、ビギナーズラックでもあろうが予想をはるかに上まわる成功を収めた。残念ながらそのときの経験をもつ者がいなくなってしまったために、それと単独ブースでないという気安さも手伝ってか、本を売る楽しみ、読者と交流する喜びを分かちもつことができなくなっているのではないかと危惧していたのが、その通りになってしまったのである。
 東京国際ブックフェアでの販売実績というのは、それ自体ではたいしたものではない。これはある意味でお祭でもあるし、出展料や労働量に見合うだけの合理的な利益は十分とは言えない(か、へたをすると損失にもなりうる)。すくなくとも専門書系の出版物では大きな商取引の対象にはなりえないので、あくまでも読者への展示、サービス、アピールといった目に見えない効果を勘案して価値評価をしてみるだけである。しかしそこでの実績はある傾向を端的に反映している。つまり、これは共同出展をしているからこそわかることでもあるのだが、自社および自社の出版物を相対化あるいは対他化して見ることができ、読者が何を手に取り、何に関心をもつか、何を購入するのかということを了解できることである。そこで小社には、新刊の活性化ということもふくめて、課題がいろいろあることが再認識できたというわけである。
 そんなわけでこれからいろいろ改革を進める気になっているところである。小誌「未来」もふくめてもういちど編集の原点に帰って活性化を心がけたいと思う。
 そんななかで来月には懸案だった『堀一郎著作集』の第二巻が刊行される。全八巻に縮小されたものの三〇年をかけた企画がようやく完結するのである。日本宗教学会の立役者のひとりであった堀一郎氏の偉業の全貌を示すことができるわけである。そのさいに品切れになっていた第八巻「シャマニズムその他」もオンデマンド版であわせて復刊したので、全巻揃いでの購入が可能になった。
 また長いこと予告だけになっていた森洋子さんのブリューゲル論が『ブリューゲル探訪』としてまとまるメドがついた。これも森洋子さんという稀代のブリューゲル研究者のブリューゲル関連エッセイを集大成するかたちにふくれあがったもので、読者待望の書になろうかと思われる。
 読者のご理解を得たいこともあって、社内事情をからませて今後の小社の展望を述べた次第である。
▲up

[未来の窓127]

〈戦後レジーム〉の再検証

 九月十二日昼、安倍晋三首相が突然の辞意を表明し、政局は大混乱に陥っている。七月の参院選での自民党の大敗にもかかわらず強引に政権にしがみつき、臨時国会を召集してまでおこなった直前の所信表明演説ではテロ特措法(テロ対策特別措置法)の延長のためには「職を賭して」とまで見得を切った舌の根も乾かぬうちにおきたこの退陣表明は、いったいどういうふうに理解したらいいのだろう。それも午後一時からの代表質問を直後に控えての昼前、周囲の自民党幹部数人に意向を伝えただけで、ことは一方的におこなわれたようである。
 わたしは以前、本欄([未来の窓114]昨年九月号)で安倍晋三氏が首相になっても時代の危機は乗り越えられないだろうという趣旨の意見を述べたことがある。政権はおそらく一年ももたないだろうと予想していたが、ほんとうにその通りになった。「自分の祖父(故岸信介)をA級戦犯扱いすることを認めず、戦前の日本帝国主義のおこなったさまざまな野蛮行為をいっさい認めようとしない世間知らずのお坊ちゃま」とそのとき書いたのだが、そのときは安倍氏への期待感が強かったためか、むしろ反発を買うこともあったようである。あろうことか「未来」の読者カードを使って地方の読者から(無記名で)こんな文章を書くヤツは国外へ出て行け! と罵倒されたこともあった。その意味では、安倍晋三氏は自民党の内部だけでなく世論のかなりの支持を受けるかたちで首相の座についたのである。
 しかし結局は「世間知らずのお坊ちゃま」という本質は最後まで変わらず、自分の思い通りにいかないと面倒なことは投げ出す幼児体質そのままに、政権をほっぽり出してしまったというのが事の真相だろう。稀代のポピュリスト小泉純一郎の衣鉢を継いで〈改革〉を謳ったものの、〈美しい国〉ということば同様、なんの裏づけもない空理空論にすぎなかったから具体的なことはなにもできなかったのは、前任者と同じである。しかも前任者のような閣僚を威嚇的に扱いうる求心力もなにもない「おともだち内閣」しかつくれなかったために閣僚の失言やら失態やらが相次ぎ、しまいには自分もぼろぼろになってしまったようである。民主党党首の小沢一郎氏との党首会談をもちかけて相手にしてもらえなかったことも辞任表明の理由のひとつとされているのもこの幼児体質の一端であろう。あれやこれやが重なって心身耗弱の状態に陥ったという説もあるが、もともとそういう資質だったのではないだろうか。ひとことで言って首相になる器でなかったことになると言えば、それまでの話であるが。
 そうすると日本のこれからはどうなるのだろう。おそらく現状では日本の首相は、自民党の誰がなっても、その力量や思想性において、期待をもつことはできそうもない。また民主党にしたって、もともとは自民党の分裂からできただけの党であって大同小異、公明党にいたってはその宗教性が権力をもつことになれば得体の知れないことになろう。なにはともあれ、当分のあいだ日本の政局は予想される内紛ともども世界中の注目を浴びることになるだろう。本稿が活字になるころは後継者も決まっているだろうが、せめて失笑を買わない程度の人材の登用を望みたい。
 今回は思いもかけぬ事態が起きたためについ政治の話に首を突っ込んでしまった。安倍首相の言う〈戦後レジームからの脱却〉とは逆に、出版の世界においてはこの〈戦後レジーム〉のさまざまな局面の再検証があらためて必要ではないか、と思っている。戦後日本を背負ってきた「団塊の世代」の退職~再就職といった問題が現実味を帯びてくるにつけ、この世代(わたしもそのひとりだが)が生まれ、育ち、活動してきたこの戦後の時空間をあらためて計測し直すような試みが今後の課題のひとつになるだろう。
 この十月三十日に没後一周年を迎えられる故木下順二氏の仕事は、主としてこの戦後的時空において演劇という形式をつうじて熱いメッセージを残してきたものであることがよくわかる。以前に予告した([未来の窓118]本年一月木下順二追悼号)ように、『木下順二作品集』(全八巻)の各巻末に収録されたさまざまなジャンルの識者と木下氏による「解説対談」を『木下順二対話集 ドラマの根源』として一冊にまとめることになって、あらためて通読してみると、いまや冷却してしまった精神的・思想的な同時代感覚と人びとのあいだにおける連帯感の広がりと熱さを感じざるをえない。ここには丸山眞男氏や内田義彦氏のような社会科学者、野間宏氏や堀田善衛氏といった文学者、竹内実氏や猪野謙二氏、江藤文夫氏のような研究者、評論家、尾崎宏次氏や下村正夫氏といった演劇プロパーとの、自作にかんする対話を通じて木下氏がその時代と格闘しながらなしとげてきた仕事が存分に語られているのである。他ジャンルのひとたちとのジャンルを超えた交流がさまざまなかたちで存在していたことの結果として、こうした対話が実現したのである。その意味で、この一冊は木下順二の演劇論であると同時に〈戦後レジーム〉の実質を積極的に開示する貴重な記録としてあらためて読み直される価値があるように思われる。
 こうした過去の仕事の見直しと同時に、新しい時代状況を踏まえたさまざまな総括的な企画もすこしずつ始めたい。
 そのひとつが本誌今月号からのリレー連載特集「思想学の現在と未来」である。これは政治学者の田中浩氏を中心とした社会科学方法論の今日的見直しといった性質をもつ。すこし手薄になりがちな社会科学関連の論文をこれを手始めに「未来」で展開していこうと考えている。また、小林康夫氏の連載「思考のパルティータ」は氏の哲学的・文学的思考/志向の連結と新たな方向性の探究をめざす意欲的な試みになるだろう。
 単行本企画につながるこうした意欲的な連載や特集を織り込みながら、しばらく「未来」の編集にも取り組んでみたいと思っているところである。
▲up

[未来の窓128]

テキストエディタだけでも編集はできる──[テキスト実践技法]エディタ篇ベータ版公開にあたって

 数年前に『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』『同/編集篇』を連続的に刊行して以後、この二冊の増補と改訂、さらにはテキストエディタを使ったより一般的な編集技法の展開を未來社ホームページ(http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/gihou_zouhohen.html)で公開してきた。しかし残念ながらここしばらくはわたしの多忙と怠慢から更新されないままになっていた。このページのアクセス数はいまでもまだかなりあることからみても、これまで試みてきたわたしのパソコンを使った編集技法がそれなりの関心をもたれていることは実感できる。ここではそこで発表した文章を再構成しながら、執筆と編集の技法についての考えをまとめておきたい。
 この間にわたしは「週刊読書人」で七七回にわたって連載した[執筆と編集のためのパソコン技法]をはじめ、二〇〇五年九月には翔泳社から『執筆者・編集者のための秀丸エディタ超活用術』という本を書き下ろしで出版した。しかし後者は、たんなるツールのマニュアル本と思われてしまったらしく、この手のマニュアルとしては高い評価を得ているにもかかわらず、本来の対象と考えていた出版業界へのインパクトは『出版のためのテキスト実践技法』にくらべてかなり弱いという気がする。
 最近いろいろな機会でわたしの[出版のためのテキスト実践技法]を知らない業界人と話をするたびに、もともと出版業界人(著者、編集者、印刷業者等)のために役に立つテキスト処理の技法を紹介したつもりが、それほど浸透していないことを痛感することになった。わたしの実践的な経験からも、ファイル処理の速さと正確さがどれほど編集作業の効率化と、さらにはより的確な読みに集中するための時間を確保することにつながるかを知ってもらいたいのだが、なかなかそういうひとたちの目に触れないようなのである。また身近な編集者にとっても、ここへきてもっと使い勝手のいいマニュアルの必要が生じてきているのかもしれない。
 たしかに[出版のためのテキスト実践技法]で推奨したSED(Stream Editor)というツールはかなり特殊な部類に属しているせいか、どうも馴染めないひとが多いらしい。Macintosh用にはSedMacというすぐれたツールがありたいへん便利だが、Windows用にはあまり使い勝手のいいものがないのが現状であって、Windows派のひとにはわたしの編集技法は絵に描いた餅に見えていたのかもしれない。また、実際のところ、最初からSEDの一括処理をしないでもすむぐらいに技術的にも完成度の高い著者原稿がすこしずつ増えていることからしても、部分的な処理を効率よくできる具体的な方法をあらためて説明していくことも必要になってきた。

 そこでこれからは、編集者が著者原稿のデータを入手してからどういう手順で原稿を整理し、修正し、割付けをほどこしていくのかをより具体的に記述することにしたい。考え方の基本はあくまでもSED的な一括処理だが、テキストエディタだけでも編集はできるということを述べていくつもりである。『出版のためのテキスト実践技法/編集篇』とはやや異なった視点から、より現実的な編集技法を模索してみたいのである。
 ここでは、わたしがすでに刊行した前記の二冊の本およびその増補・改訂版、また「週刊読書人」での連載と連動しながら、これらとの重複をいとわず、より詳細な技法や手順を紹介していくつもりである。
 これからの記述は、これまでにもまして、テキストエディタおよびその関連のツール類の使用を大原則とする。それらのツール類の使い方等は未來社ホームページで紹介しているのでおおいに参考にしてほしい。以後、主として使うツールは、
[テキストエディタ]秀丸エディタ、QXエディタ、LightWayText
[クリップボード・ユーティリティ]ToClip for Windows, QTClip
[プリント・ユーティリティ]WinLPrt
である。これらはいずれもシェアウェアまたはフリーウェアでインターネットをつうじて入手できるものばかりである。その多くは未來社ホームページの「アーカイヴ」~「ダウンロード」ページ(http://www.miraisha.co.jp/mirai/download/download.html)からも入手できる。なお、最近のわたしはMacintoshをあまり使わなくなっているので、記述の中心はWindowsになることを了解ねがいたい。
『執筆者・編集者のための秀丸エディタ超活用術』についても簡単に触れておくと、Windows利用者のために秀丸エディタを使ってとりあえず編集一括処理を実現するための方法を中心に解説したものである。ここでは秀丸マクロに編集処理用のさまざまなマクロを組み込むことによって、SEDが実現する強力な一括処理を不十分ながらも秀丸上で実働させることができるようにした。秀丸は対話的なエディタだから、処理が進行しているあいだは画面が激しく振動するように見えるが、これはマクロが作業している姿をディスプレイ上で確認できるものでもある。その分、SEDにくらべて処理速度は落ちるが、マクロがどのように編集処理を実現していくものであるかがよくわかる。この秀丸マクロはやはり未來社ホームページからダウンロードできるようにしてあるので、『秀丸エディタ超活用術』を参考に使ってもらえればおおいに役に立つはずである。
 というようなわけで、しばらくは本欄のページを使って[テキスト実践技法]エディタ篇ベータ版を公開していくことにしたい。これと同時に未來社ホームページ上での連載を再開したいと思うので、興味のある方はぜひそちらのほうにもアクセスしていただきたい。できればこれらを一年以内に[出版のためのテキスト実践技法]エディタ篇としてまとめておきたいと気合いを入れているところである。
▲up

[未来の窓129]

〈知〉は誰のためのものか──二つのシンポジウムに参加して

 この十一月十日(土)、十一日(日)と、種類も趣旨もおおきく異なる二つのシンポジウムにつづけて参加した。いずれもわたしにもかかわりの深いシンポジウムであったが、そこにはかなりの落差と考えさせられるものがいろいろあったので、とりあえずの私見を述べておきたい。
 前者は、紀伊國屋ホールを舞台にしての書物復権八社の会共同主催による書物復権セミナー「書物復権2007~今、教養の場はどこにある?」の第二回「大学の〈知〉、街の〈知〉」で、パネラーは佐藤良明、管啓次郎、坪内祐三の三氏。
 後者は東京外国語大学での特別シンポジウム《沖縄・暴力論2007》の第二部のなかのシンポジウム「暴力とその表出」(パネラーは西谷修、仲里効、目取真俊、真島一郎の各氏)。わたしは二日にわたるイベントの二日目の午後の部の映画(中島貞夫監督「沖縄やくざ戦争」)上映の途中から参加しただけであって、ここでの感想も全体に及ぶものではなく、あくまでもシンポジウムに関する部分にとどめる。
 さて、最初に「種類も趣旨もおおきく異なる」と述べたように、前者は都心の第一級の場所を舞台に、われわれ専門書出版社の肝いりで開催され、パネラーもテーマもこちらで選ばせてもらったものである。紀伊國屋ホールという不特定のひとが多く集まりやすく器も大きい場所柄か、また有料という事情もあって、どうしてもあまり専門的なパネラーやテーマを選びにくく、時間も限られてしまうという条件がつねに先行し、一方ではそういう人集めの可能なスター級の著者と日常的なかかわりの少ない専門書系出版社としてはいつも人選とテーマ設定に苦労する。かりにそういう人選ができたとしても、日程調整、共通のテーマ設定がむずかしいという問題もある。今回の「大学の〈知〉、街の〈知〉」というテーマもどこか二元論的で、残念ながら話がうまくかみ合ったとは言いかねるのである。
 大学での教育のありかた、制度の歪みが大きな隘路をかかえているいま、〈知〉の問題、学問の問題が大学内外でも、マスコミや出版の世界でも大きな関心を呼び起こさずにはいない。しかしその一方でこうした問題は一般のひとたちの関心へと広く解き放たれているわけではない。むしろ大学を文部官僚の目の届く範囲で管理していこうとする暗黙の力学が教育現場に強く作用を及ぼしており、教育の荒廃は大学教師みずからが闘うべき自身の課題ともなっている。
 こうした大学および大学教師みずからがかかえる困難をどう乗り越えるのか、すくなくともどう対処するのかという問いに応えるべく開かれたひとつの試みが、東京外国語大学での特別シンポジウム《沖縄・暴力論2007》であったのではないか。すくなくともそこには抽象的な大学の〈知〉という議論ではなく、現在のパワー・ポリティクスの焦点とも言える〈オキナワ〉をテーマにそこにうずく政治的・歴史的諸問題の根深さをえぐりだそうとする〈知〉の切っ先が感じられた。西谷修氏を中心とする東京外国語大学教員と沖縄から招かれた映像作家/批評家の仲里効氏、作家の目取真俊氏を交えた議論は、必然的に大学内部だけで自足する水準からははるか遠く、現実の世界の発火点と切り結ぶ危機意識の現われがあったと思う。
 戦争中の沖縄での「集団死」が日本軍の強制であったことを教科書から削除しようとする文科省の検定結果にたいする、沖縄での十一万人を超える大集会(九月二十九日、宜野湾市海浜公園)が提起するものはなにか。明治の第一次琉球処分にはじまり、第二次大戦末期の沖縄戦を経て戦後の米軍占拠という、日本政府の度重なる沖縄抑圧~切り捨てという歴史にたいして隠蔽を図る日本政府(ヤマト)に対する断固たる抗議がそこにある。今回のシンポジウムはこうした政治的・歴史的背景をもつ現在の沖縄がかかえるさまざまな矛盾を〈暴力〉をキーワードに読み解こうとする試みである。
 そしてこのシンポジウムの仕掛け人である西谷氏が語ったように、そのきっかけとなったのが今春刊行された仲里効氏の『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(小社刊)であったことはいささかの偶然でもない。仲里氏の著書は沖縄返還の年、一九七二年前後の沖縄をめぐるさまざまな映像を解読することをつうじてそこに貫通されている多様な政治的力学を内在的に明らかにしようとする稀有な試みであり、多くの発見をともなうそのイメージ解析はオキナワが複雑に重層させている矛盾の深層をその発火点ぎりぎりのところでとらえた同時代イメージ論である。歴史的な諸矛盾をそこに生きる沖縄の人びとの生活現実や意識とのあいだの亀裂としてとらえ、そこに走る縫合線を見出そうとする西谷氏にとって、仲里氏の本が与えたインパクトは相当なものだったにちがいない。
 仲里氏の本でも論じられた映画「沖縄やくざ戦争」において千葉真一扮する国頭正剛の強烈な「沖縄ナショナリズム」が体現した反ヤマトの暴力性はまことにすさまじいものだが、今回のシンポジウムで目取真俊氏がこの映画について述べたこともあざやかな視角を提示するものだった。目取真氏はこの映画を観て悲しくなるのはいつでも沖縄人同士が殺し合うばかりであり、ヤマトの代わりに自分たちがいがみ合い、殺し合う構図のやりきれなさを指摘された。今度はウチナンチューがヤマトンチューを殺す場面を見たいものだとも半分冗談めかして目取真氏は話されたが、わたしはここにオキナワの人たちの奥深いヤマトへの憎しみ、不信がこめられているのを感じないわけにはいかなかった。現実のオキナワにはそうした情念がいまでも渦巻いているのであり、そこに近づく者を畏怖の念で覆わないわけにはいかないはずである。シンポジウムの最後で西谷氏や会場から発言された鵜飼哲氏がそういう厳しい現実を前にしての学問の限界に触れられたことも印象に残るものだった。
(本欄での連載内連載「[テキスト実践技法]エディタ篇ベータ版」は今回は休載します。)
▲up