未来の窓|2008

 
[未来の窓130]

オキナワという内部/日本という外部

 この十二月三日、左目の不具合が急にひどくなり、行きつけの病院に診てもらいにいったところ、網膜剥離が判明し、緊急入院させられ、翌日は手術するということになった。しかも術後は原則として二週間は目を使えないとのことである。年末のいろいろたてこんでいるこの時期にまったく困惑させられるトラブルである。いまこれを書いている最中も入院中で、しかもあす再手術することまで決まっている。できるだけ目を使わないほうがいい状況であり、インターネット接続もままならぬ環境にあるが、背に腹は代えられない。そんな危機状態のなかでこんな文章を書こうというのもいかがなものかと自分でも思わないわけではないが、これには前例があって、わが畏友の小林康夫さんもこの夏にやはり同じ網膜剥離になりながらいったんは中断するつもりだった「UP」の連載を自分の病気をテーマに継続するという離れ業を演じている。この顰みにならうわけでもないが、いろいろ事情もあり、わたしもこの連載を中断せずに書くことにした。お互い「転んでもただでは起きないね」と小林さんとも話したばかりである。
 こうして内部が崩落するというドラマティックともいえる状況に陥っているあいだにも、世の中はどんどん動いている。入院などしていると世の中から隔絶させられた気分になるが、どっこいそうはいかないこともある。というのは、沖縄タイムス社が毎年末に発表している「沖縄タイムス出版文化賞」第二八回に、小社がことしの四月と八月に刊行した仲里効著『オキナワ、イメージの縁【エッジ】』と岡本恵徳遺稿集『「沖縄」に生きる思想』が二冊とも受賞という栄誉を受けることになり、二十日のその授賞式を前に十七日には1ページ特集を組むことになったので協力を依頼されたのである。残念ながら担当者が直前に退社したので、代りにわたしが代表者として担当記者から病院で電話インタビューを受けることになった。そのさい沖縄にかんする書籍と出版の関係を話したところ、それを整理して寄稿してほしいということになった。その文章はこのあとに転載するが、そこでも書いたように、沖縄がかかえる歴史的文化的な諸問題はおおげさに言えば世界の国際政治と、そして日本の政治と深く連動しており、そこに生起する先鋭な諸問題にどう対応できるかが日本の出版社やマスコミに問われていると言っても過言ではない。
 小社はこれまで沖縄関連の書籍を多少なりとも刊行してきた。そのなかには新里金福氏の『沖縄の思想』や伊波南哲氏編の『沖縄の民話』をはじめ、沖縄の日本復帰以前のものがかなりふくまれており、最近では上村忠男氏編による『沖縄の記憶/日本の歴史』がある。いま手元に資料がないのでくわしくは述べられないが、沖縄の問題を中央/地方のよくある構図でみるのではなく、日本の歴史と文化が凝縮された原点として沖縄の問題を掘り下げる視点から情報発信と問題提起をおこなうこと──これが吉本隆明氏の南島論や谷川健一氏の仕事を踏まえたヤマト側からする沖縄へのアプローチの基本線である。それを反転させるように、沖縄に渦巻くさまざまな軋轢や思惑のなかを貫く一本の思想の軸、ウチナンチューとしての沖縄人固有の思想軸の構築が一方では力強くなされてきたが、これが今回の仲里効氏と故岡本恵徳氏の仕事にも、みごとに実現されている。崩落しつつある外部としてのヤマトをオキナワという内部が激しく揺さぶり、その実態をあらわなまでに露出させようとする現場性。そこに思想のリアリティを確認しなければならない。
 今回の授賞式は思わぬ再手術の必要が生じてしまい、参加することができなくなりそうで、沖縄のひとたちとの熱い交流ができないのが、なんとも残念に思う次第である。
 以下は「沖縄タイムス出版文化賞受賞作品を祝う」と題して「沖縄タイムス」十二月十七日号に掲載予定の文章である。
「小社からことし刊行された仲里効著『オキナワ、イメージの縁【エッジ】』と岡本恵徳遺稿集『「沖縄」に生きる思想』がいずれも今年度の沖縄タイムス出版文化賞を受けることになった。他に受賞作品がないなかで同時に二冊受賞というのは小社としても快挙であり、またありがたいことでもある。
 もちろん今回の受賞理由としては、これまで沖縄の地にあって沖縄独自の政治的/文化的諸問題に先鋭に対峙されつづけてこられたおふたりの著者の実績があり、今回の受賞作品それぞれにみられる「沖縄」を主題とする問題意識には、われわれヤマトンチューからは容易にうかがい知れぬ情況的な闇の累積とそれらによって構造化された底深い政治性が折りたたまれているのである。それは簡単にヤマト=中央に巻き込まれず、沖縄独自のありかた=生き方を模索しつづけるというねばり強い思考の構築と継続を決意することであると思う。
 こうしたヤマトの側からは見えにくい政治性を重くたたえた両著がこのたび沖縄タイムス出版文化賞を受賞するということは、ある意味で両著に盛られたオキナワ的思考が広く沖縄人に支持されたことを意味するのではないか、とわたしは理解する。その意味では、こうしたオキナワ的思考が沖縄内部に狭く閉じこめられるよりも、より広く日本全国のヤマトンチューの心にも響くようになることはぜひとも必要なことであり、小社が出版をつうじてその一助になれたことを名誉に思うものである。
 出版の世界にもいうまでもなく文化資本としての権力構造が確立している。複雑な政治経済事情と歴史的文化的背景をもつ沖縄の風土は量販を基本とする出版資本は敬遠するだろうが、もともと体制批判的な志向性をもつ小出版社も数多く存在し、そこにはオキナワ的思考と共鳴・連帯しうるものがあり、出版行為をつうじて文化の収奪に抗しようとする。小社もそのひとつでありつづけたいと切に思う。」
(本欄での連載内連載「[テキスト実践技法]エディタ篇ベータ版」は今回は休載します。)
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[未来の窓131]

入稿原稿の整理(1)──原稿の全体構造(階層構造)を見つける([テキスト実践技法]エディタ篇2)

 編集者が著者の原稿を手にしたとき、まず最初になすべきことはその原稿の全体構造(階層構造)を見つけ、よく把握することである。具体的には、部・章・節・項などの構造がどうなっているか、そのうちのどれが存在し、どれが存在しないかを確認することである。また、それらの構造(組立て)が適切かどうかをチェックすることである。たとえば──全体の部立てや章立てがおおまかすぎないか、または逆に細かすぎないか、五部立てになっているが三部立てにしたほうがよくはないか、あるいはその逆といった具合である。またタイトルが付されているか、それが適切かといったことも留意すべきことである。「部」や「章」の下位項目として「節」やさらにその下位項目として「項」というものが存在するかどうか、さらにその下位の項目が存在するかどうか、それらは全般的に存在するのか局所的に存在するのか、といったことを確認することである。これらはいずれ割付けをおこなうときに、それらの関係を読者にわかりやすく階層として表示するためにも必要なことである。それらにたいしては順に<H1>…</H1>、<H2>…</H2>、<H3>…</H3>、……という具合にHTMLふうのタグ付けをしていくことになる。これらのタグを実際にどういう書体、サイズで設定するかは最終的に印刷所に入稿するときに指定一覧を作成するときに決定すればよい。このタグ付け以降の方法については後述する。(なお、インターネット上でこの文章を公表する場合には、本来の半角ヤマカッコで表記するとその部分がHTMLタグとしてブラウザに解釈されてしまい、文字の大きさが変わってしまう。そのためにあえて<H1>……</H1>と全角の<>で表示する。あくまでもタグをタグそれ自体として表示させるための特別な処理である。)
 つぎに見ておくべきことは、本文以外に注や付記があるかどうか、ということである。学術専門書の場合はまずほとんど注がついているし、なかには欧文注が大量につけられていることもある。ドイツ語やフランス語、日本語の旧字や特殊表記など、さらにはより特殊な言語でテキスト表示できない文字がふくまれていることもよくある(これらの表示については後述する。)ともかくこうした注がある場合、その量とか本文との関連性にもよるが、どこに配置するかということが肝腎である。巻末に一括掲載するのか、章末や文末、または節の終わりごとに、といった形式もあれば、脚注形式、見開きの左ページに該当する注の内容を表示するという方法など、いろいろある。それにともなって注の原稿ファイルをどう作成するか、どのような書体やサイズで表示するか、といった問題も同時に考えておかなければならない。また付記のようなものがあれば、それもやはりどこにどのようなかたちで配置するか、できればあらかじめ決定しておきたい。
 文献注や補注などのように活字をすこし小さくして見た目を良くするものがあるかどうかも、もうひとつのチェックポイントである。この場合、どれを通常サイズのままとし、どれを小活字化するかの原則はあらかじめ確認しておいたほうがいい。小活字化するときのタグは<S1>…</S1>、複数の種類の小活字化があるときは<S2>…</S2>を加えればよいだろう。
 また、図版や写真があるかどうか、ということもあらかじめ確認しておいたほうがいい。それらは通常は文字データ処理が(部分的にしか)できないので、印刷所のオペレーターによくわかるように指定することが必要になるからである。この場合は、図版や写真の位置や大きさをファイルに指定しておくことになる。それにともなうキャプションがあれば、これは別にファイルを作成し、指定する必要が出てくる。もっともみずからDTP処理をおこなう編集者にとっては話は別であるが。
 いずれにせよ、入稿原稿のなかに目次原稿があれば、それが原稿の全体構造(階層構造)の目安になる。とはいえ、それはあくまでも暫定的なもので、ときに簡単すぎて全体の階層構造が十分につかめないようなものもあるから、編集者は原稿全体を最初に見渡してみずから目次を作っていくつもりでいたほうがいい。目次を作ることから仕事を始めるぐらいのほうがあとの編集がスムーズにいく。もちろん例外もいろいろあるが、編集者は全体から部分を仕上げていくようにしたほうがいい。書き下ろしや講座ものなどの場合は、著者もあらかじめ全体の見取り図を作ってから執筆を始めるのが普通だろうが、個人の論文集や批評集などの場合は、さまざまな機会やメディアに発表された既成の原稿の編集にウェイトがかかるので、目次を作って全体をチェックするというのが基本になるのである。
 目次が英語でコンテンツと呼ばれるように、それは本全体のコンテンツ(内容)と等しいぐらいに重要な要素であることを編集者は肝に銘じるべきである。端的に言えば、目次がきちんとできてしまえば、編集の基本的な枠組みは半ばできてしまったと考えてもいいのである。言うまでもなく、これは事実関係としては、本文を編集していくにあたって修正や変更を余儀なくされることを否定するものではない。最初に作った枠組みに拘泥することはあるべき編集作業──本の中身を検討・吟味し、必要な改訂・修正をおこなう──に悖る行為であり、編集が著者とのコラボレーションであるというわたしの年来の主張からもあってはならないことである。したがってここで言わんとしているのは、とりあえずの作業仮説としてまず目次をきちんと設定することであり、本文の変更や異動にともなって目次のたえざる改訂をしていくことにすぎない。目次を後回しにしてもいいと考える編集者は、木を見て森を見ず、ということになりかねないのである。
 なお、後述するように、見出し類にタグ付けをおこなってからこのタグを利用してテキストエディタのgrep機能を使って目次部分だけを一挙に抽出する技法もあるが、ここではまだあまり先走ることもあるまい。
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[未来の窓132]

入稿原稿の整理(2)──段落処理の問題([テキスト実践技法]エディタ篇3)

 印刷所への入稿原稿はテキストファイル形式でなければならないことは言うまでもないが、問題は著者からの入稿原稿が最近は圧倒的にMicrosoft Wordというワープロソフトによるものが多いことである。一太郎ほかのワープロソフト、ましてやワープロ専用機によるものはきわめて少なくなった。(*)
 これは大学や出版社がWordによる原稿作成を一般化しているというか、どうやら専門家、研究者のあいだではWordによる執筆が誤ってデファクト・スタンダード化していることによる。細かいデータ処理がWordではいちおう表示できると思われているから、大学内での業務的やりとり、専門家同士のあいだの文書交換では便宜的に有効であるという意味では、一定の存在理由があるとも言える。
 しかしWordをはじめとするワープロソフトによる原稿の場合、そのソフト特有の機能をもちいた部分は、しょせんそのソフトにおいてしか実現できないローカルな機能でしかない。Wordではたとえばルビ付き文字の場合など、テキストファイル形式に保存すると、親文字ごと消えてしまい、その痕跡さえ残らないのであるから著者にとってもほんとうは困った機能なのである。欧文の特殊文字(フランス語のアクサンやドイツ語のウムラウトなど)も移行しない。こうした問題が起こることさえ知らない執筆者にとっては完全データのつもりがそうではないことになってしまう。編集者にとっても、そうした機能をワープロソフトで再現し修正する必要があるのだが、そもそも著者の使用ソフトを使える状態でなければならないし、それらの新しいヴァージョンをいつも用意しておかなければならない。古いヴァージョンのワープロソフトでは新しいヴァージョンのファイルをそのまま開くことはできないからだ。上位互換性がないことによって、余計なコストを必要とすることにもなる。
 さて、すべての条件が整ったとしても、Word文書をテキストファイル化するには、まだおこなうべきことはいろいろある。
 まず、その最初のチェックポイントは各段落の最後に改行コードが入力されているかどうかの確認である。
 最近はあまり見かけなくなったが、それでもひとによっては段落の終わりからつぎの行頭にかけて全角ないし半角のスペースでつないで改行したつもりになっているケースがある。著者のプリントアウトしたものを見ているだけでは、こうした処理がなされていることは見抜けない。見た目はきれいに段落づけされているように見えるからである。しかしこれは一行の字詰めが変われば、おかしなことになる。たとえば著者の書式設定が一行三〇字で設定されているとき、一〇字目で改行しようとすると行の終わりまで二〇字分、さらに次行の行頭の一字分とあわせて二十一個分の全角スペースが入ることになるが、これをかりに一行四〇字に変更するとなると、たちまちこのフォーマットは崩れてしまい、この二十一字分のスペースがある行のなかに意味もなく割り込んだ状態になってしまうからである。こうした部分はすべて改行コードに置き換える必要がある。
 この場合に出力原稿を見ながらスペースを削除しつつひとつひとつ改行コードを入れていくのもよいが、それでは手間がかかりすぎる。ここでほんとうは一括処理をしてしまいたいのだが、あいにくワープロソフトでは正規表現をサポートしていないので、あとでテキストエディタ上で実行することになる。
 さらにもうひとつの問題点は、Wordファイルをテキスト保存するときに保存のしかたを誤ると、元の設定で指定された一行の字数の終り、つまり各行末で改行コードが入ってしまうことである。Wordで「名前を付けて保存」を選択し、プルダウンメニューから「テキスト+改行」形式を選択すると、こういう現象が起こる。ワープロ専用機のデータもテキスト保存すると各行末に改行コードが入ってしまう。OCRソフトを活用してテキストデータを取り込む場合にもデフォルト設定では各行末に改行コードが入ってしまう。これを一般に「強制改行」と呼び、本来の段落末の改行コードとは区別しなければならない。こういう強制改行を削除するのは正規表現というルールを使えば簡単に一括処理ができるが(これは後述)、まずはテキスト保存するときに「テキストのみ」という選択をするようにすれば、まずこの問題は解消される。こうした初歩的な知識もないと、編集処理にも無駄が生じてしまうのである。
 もうひとつの問題は、Wordでの入力のさいに段落末で改行コードを入力する(returnキーまたはenterキーを押す)と、もしその段落が一字下げで始まっている段落であれば、つぎの段落が自動的に一字下げになるという機能である。これは高機能テキストエディタなどにも装備されている機能だが、エディタの場合は自動的に全角スペース一字分を入力してくれるが、Wordの場合にはたんに一字分のインデントを入れるだけなのである。これをオートインデント機能という。この機能はWordだけで通用するローカルな機能にすぎないので、これを解除しておかないと、テキスト保存したときにオートインデントした行頭はすべて天付き改行になってしまうという厄介なことになる。この問題の解除の方法については小社ホームページ(http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/gihou_zouhohen.html#5)で明らかにしてあるので参照してほしい。
 なお、Wordとならぶ人気ワープロソフトである一太郎ではこうした厄介な機能はデフォルト設定されていない。さすがに日本製ワープロだからだろう、不自然な機能設定はしていない。もちろんインデント設定はできるが、これらは主として手動でそれぞれの入力者が設定するのが普通であるから、あまり問題にせずともよさそうである。
(*)ごく最近、Macintosh系の有力ワープロソフトであるEGWORDおよびその日本語入力ツールであるEGBRIDGEがサポート中止になった。これはWordの市場席捲の由々しき結果のひとつであると言ってよい。
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[未来の窓133]

出版界の未来を担う若いひとたちへ

 あいかわらず低迷がつづく出版界の今後はいったいどうなるのか、そこにかかわっている若い出版人たちはどうしたらいいのか、今回はそういった抜き差しならぬ現実について専門書出版社の立場から私見を述べてみたい。
 じつはこうしたことをあらためて考えようと思ったのは、先日、国立国会図書館の方が納本制度六〇周年のPRのために来社されたときにいろいろ話をしたことがきっかけになっている。国会図書館の方が来社されたのは、本欄でのわたしのこれまでのさまざまな論説に持続的な関心をもっていただいた結果として、この納本制度のかかえる諸問題を批判的にでも論評してもらえないか、ということだった。そう思っていただけるのはありがたいことだが、詳しく調べてからあらためて考えさせてもらうことにした。そのさい、今後の図書館のありかた、出版界との関係のもちかた等にかんしてもいろいろ考えを述べたが、それらについても別に書くことにして、今回は出版界の今後について、小社の現状を踏まえて漠然と考えていることを整理してみることにしたのである。
 小社では昨年後半に若い編集者が二人退社した。それぞれ数年の社歴にすぎないが、少人数で切り回している学術専門書系の出版社としては当座はそれなりの戦力ダウンが予想されたが、実際のところその後の経緯をみているとさほど生産性が落ちていない。むしろ本誌「未来」の編集(原稿依頼、編集実務)もふくめてわたしがかなりの時間を編集作業に投入できるようになったことにより、全体に上向きになりつつある。
「未来」の内容も見ていただければすぐわかるように、実力のある書き手の連載を中心に執筆陣が一新された。わたしが依頼して実現したものだけでも、小林康夫氏の哲学エッセイ「思考のパルティータ」(これは東京大学UTCPホームページ[http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/programs/arbre/]でも公開中)をはじめ、渡辺武信氏の座頭市論「プログラムピクチャー再考」があり、また田中浩氏編集による社会科学者十二人によるリレー連載「思想学の現在と未来」がすでに六回に達している。また単発の文章としては折原浩氏にウェーバー関連書の長い書評をいただいている。全体として以前より執筆陣の年齢層が上がったかもしれないが、それだけ名実ともに熟成した書き手が参加してくれるようになっているはずである。
 また単行本にかんしても長年の懸案であった森洋子さんの『ブリューゲル探訪──民衆文化のエネルギー』がこのほどようやく刊行され、丸の内丸善本店の協力を得てこの本を記念した講演会の準備もしているところである。森さんは人も知る「校正地獄に落ちる」(当人のことば)覚悟のひとだから、印刷所も出張校正その他でたいへん驚いたようであったが、それでも無事に最終ゴールにたどりついた。これに比べると、雀部幸隆氏の『公共善の政治学──ウェーバー政治思想の原理論的再構成』や肥前榮一氏の『比較史のなかのドイツ農村社会──「ドイツとロシア」再考』は、純学術書とはいえそれぞれ二~三か月のあいだで刊行までこぎつけている。実績のある研究者の仕事の集成としてそれぞれ高く評価されるべき優れた業績だと思う。その間にこれも長いあいだ待ちつづけた木前利秋氏の原稿がとどき、『メタ構想力──ヴィーコ・マルクス・アーレント』としてきょうにも責了になり、三月中に刊行される予定である。これ以外にも原稿や通読予定の仮ゲラがざっと数千枚分たまっているのが実状で、こうしてみると、すくなくとも小社においては出版の現状はこれまでといささかも変わっていないように思える。そこには著者とともに本を生み出す喜びが伴なっている。すくなくとも著者および著者予備軍は健在だし次々と育ってきていることも否定できない。こういう著者たちと連携していけるかぎりで、出版文化はまだまだ生きのびることができそうだ。問題はあくまで専門書出版が成り立つレベルの読者数が少ないこと、それを支える図書館の予算不足、書店現場や流通がうまく機能していないところにあることだけが明らかなのである。
 こうした事態がどの出版社にもあてはまるものでないことは重々承知しているが、出版の未来がけっして全否定的なものでないことも確かである。出版社や編集者にはそれぞれの実力と見識におうじてそれにふさわしい著者が存在するだろう。専門書出版社にとってはみずからの研鑽の結果と熱意によって世に問うべき書物を生み出すことはけっしてやさしいことではないが、十分に実現可能である。これからを担う若い編集者が出版界の現状に挫折せず、時流に迎合することもなく、著者と喜びを共有する夢をもちつづけてほしいことを念願するのみである。
 一方では、携帯電話やインターネットのいっそうの普及によって紙媒体の出版にますますブレーキがかかっていると言われている。情報のテキスト化のスピードや増殖性、利便性が出版物の固定性、一元性をうわまわり、ネット社会のなかで自立しはじめている。出版物や新聞、雑誌をかならずしも必要としないと感じる世代が出現してきている。ロジェ・シャルティエのように、電子テクストの出現によって従来の「書物」は決定的に変革され、終焉を迎える必然にあるという論者さえいる。はたしてそうだろうか。ともかく、こうした書物をめぐる情報環境と技術的発展から目をそむけることなく、いかにこれらと共存しうるかをこれからの出版人、編集者は考えていかなければならないだろう。悲観的な結論を出すのはまだ早い。
(本欄での連載内連載「[テキスト実践技法]エディタ篇」はいくつかの理由によって中止し、今後は未來社ホームページの「アーカイヴ」ページで以前から公開してきた「『出版のためのテキスト実践技法』増補・改訂版」[http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/gihou_zouhohen.html]に継続することにした。関心をもっていただいた読者の方には不手際をお詫びします。)
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[未来の窓134]

国立国会図書館の納本制度六〇周年

 国立国会図書館の納本制度が施行されてことしの五月で六〇周年になるという。納本制度とは、戦後まもなくの一九四八年(昭和二十三年)に法律化された国立国会図書館法にもとづき、一般に市販目的で発行された図書、雑誌、新聞その他を発行者は納入する義務があるとするものである。
 わたしも未來社入社以来、こうした制度が以前から存在すること、実際に取次への新刊見本のさいに国会図書館分として届けられた本が自動的に納入されることは知っていたが、そうした仕組みが法律にもとづいたものであり、その運用方法にもさまざまな歴史的背景や経緯があり、また現在にもつづく未解決の問題をかかえていることはこれまでよく知らなかった。先日、国立国会図書館の方が納本制度六〇周年のキャンペーンのために来社され、くわしくお話を聞くことができたことをきっかけに小稿で考えを整理してみようという気になった。というのも、学生時代もふくめていろいろ調べものをしたり、編集用の資料を探しに行ったりするのはいつも国会図書館だったから、あの夏でもひんやりした建物ともどもどこかよそよそしい雰囲気にもかかわらず、なんとなく親近感があるからである。それにまた当然のことと思っていた国会図書館への納本が意外にそれほど認識されていないこともあって、収書率は一〇〇パーセントにはまだまだ遠いことがわかったからである。出版社はこの制度をどう考えるべきなのか、このままでいいのかという問題を考えてみようと思う。
 今回、国立国会図書館法という法律を初めて調べてみて、いくつかの発見とともに認識を新たにしたことがあった。そのうちのひとつが、国立国会図書館という名前のとおり、「国会議員の職務の遂行に資する」という明確な規定(第二条)があったことである。国会図書館とはそもそも国会のための図書館なのであった。いまの空転ばかりしている国会のための図書館というとどこか空しい響きをもってしまいかねないが、本来は国の最高決定機関に付属する調査機関なのであって、ここにすべての書籍が保存され活用されるべきであるのは言うまでもないだろう。すくなくとも日本の文化的資産である書物はきちんと永久保存される必要がある。そのための納本制度であることをあらためて確認しておいたほうがいいだろう。
 その点で気がついたことは、国会図書館への納本、納入は公的団体(国、地方公共団体、独立行政法人等)の場合と民間企業の場合とでそのしくみがかなりちがうことである。「国の諸機関」にかかわる場合は「公用又は外国政府出版物との交換その他の国際的交換の用に供するために」「三十部以下の部数を直ちに」納入しなければならないし、独立行政法人や国立大学法人、特殊法人の場合は「五部以下の部数を直ちに」納入しなければならない(第二十四条)とされているのにくらべて、民間企業の場合は「文化財の蓄積及びその利用に資するため、発行の日から三十日以内に、最良版の完全なもの一部を」納入しなければならない(第二十五条)とされ、強制の度合が少ない印象を与える。しかもその納入にさいしては「当該出版物の出版及び納入に通常要すべき費用に相当する金額を、その代償金として交付する」という項目が付加されていることであり、さらに第二十五条第二項として、発行者が納入義務を怠ったときにはその小売価額の五倍以下の「過料」を課するという規定があるにもかかわらず、「この規定は、現在まで一度も適用されたことはありません」(「国立国会図書館月報」五四七号〔二〇〇六年〕の「現行の納本制度の概要」)とコメントされているという具合に、一部骨抜きになっていることを公的に認めている。このコメントはなかなかユーモアに富んでいるというべきものだが、どこか日本的な妥協性の現われともとれなくはない。
 ともあれ、ここで注目すべきものとして、納入のための「代償金」という制度がはっきりと定義されていることである。これは通常われわれが国会図書館分として取次に正味五掛けで卸しているものを指している。現在は日販とトーハンが半年交替でこの集品と納入代行をおこなっているが、これも歴史的経緯はあったようで昭和二十六年以降に取次からの一括納入の制度が確立したことによって、それ以前より納入率は大幅に上昇したらしい。そしてこのルートの確立によって納入にともなう支払い(=「代償金」)がスムースにおこなわれるようになった。戦前の検閲をともなう納本制度が治安・風俗にたいする取締りを目的とする強権的なものだった反省を踏まえて、「代償金」という低姿勢をともなう義務化というスタンスのとりかたがいまの国会図書館の基本なのである。ただ、この「代償金」制度がそのような背景をもっているとしても、今日のような新刊ラッシュがつづくとそのためのスペース確保の問題もさることながら、支払いのための予算も莫大なものにふくれあがっている(二〇〇六年当初予算で三億九〇〇〇万円)。またこの制度を悪用する悪徳出版社もあるそうで、本の価格を異常に高くつけてその半額でも十分なもうけにつながるような納入をするところもあるという。国会図書館としては法律上も制度上も、納入される書物の質の問題は問うことができず、すべて網羅的に収集するという原則があるため、こうした悪質な行為にたいする防御策をとることができない。書物の永久保存もかねて関西館の設置、第二国会図書館の施工なども視野に入れているのであれば、今後の集書方針において、必要な本のみ複数納入、二冊目からの「代償金」制度の導入なども検討していくべきであろう。
 国の機関である以上、もっと予算をつけて購入すべきものはきちんと購入するようにすべきである。そして不要なアイテムは無償で一冊納入というかたちにとどめ、税金の無駄使いにつながるような姿勢はあらためるべきだ。日本書籍出版協会へ働きかけて、新刊納入の一冊目は無償、二冊目からは有償という合意をとりつけるようにしたらどうだろうか。
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[未来の窓135]

出版業界の長期低落を検証する

 出版業界紙「文化通信」五月一日号に「出版市場、3年連続マイナス成長」の大きな記事が掲載された。業界的にはすでに周知の事実だが、この間の出版事情もふまえてさらに一九九〇年代半ば以降の出版界の長期低落について適切なまとめになっているので、このデータをもとに問題点の整理をしてみたい。
 まずなによりも出版界のマイナス成長はこの三年だけの話ではなく、一九九六年の業界年間売上げ二兆六五六三億円をピークに以後七年連続でマイナス成長をつづけ、二〇〇四年に『ハリー・ポッター』の驚異的な売上げの下支えによって一時的にプラスを生み出したものの、ふたたび対前年比二~三パーセントのマイナス成長に陥っている。昨年の年間売上げが二兆八五三億円でピーク時と比べて五七一〇億円の減少、十一年間でじつに二一・五パーセントのマイナスである。昨年は一九八九年時の業界売上げにほぼ匹敵し、二〇年近い昔に戻った状態と言える。
 その内訳としては書籍が一兆九三一億円から九〇二五億へ、一九〇六億円の減少、約一七・五パーセント減、雑誌(月刊誌、週刊誌)は一兆五六三二億円から一兆一八二七億円へ、三八〇五億円の減少、約二四・三パーセント減。なかでも週刊誌は三一・五パーセントの減少である。この減少の現象は、インターネットや携帯電話等の新しい情報メディアの発達によって情報ソースの多元化、厳しく言えば紙媒体からの読者の流出という事態を示している。この傾向にはますます拍車がかかるだろうことはもはや言うまでもない。前述した二〇〇四年の『ハリー・ポッター』による一時的回復(に見えたにすぎない)は書籍が対前年比四・一パーセント増を示したのにもかかわらず雑誌は一・七パーセント減、なかでも週刊誌は四・九パーセント減を記録することによって、業界全体ではわずかに〇・七パーセントの増加を実現したにすぎなかった。『ハリ・ポタ』がなければもちろんかなりの赤字を計上したはずで、実質的には十一年連続のマイナス成長にすぎないのである。雑誌は十年連続のマイナス成長中である。
 こうしたなかでは書籍はまだしも健闘しているのかもしれない。この十一年で二〇〇四年をふくむが三回は対前年比増を実現しているからである。この結果、かつての雑高書低と言われた流れもすこしずつ書籍の割合が高くなりつつある。一九九六年には四一・一五パーセントだった書籍が、昨二〇〇七年には四三・二八パーセントと二ポイント以上の比率アップとなっている。もちろん書籍の中身も問題で、昨今の新書ブームに象徴されるように、実用本位の回転の良いものが重視され、ほんとうの意味で力のある、創造性の高い本の比率はますます低下しているというのが現状である。そう考えると、出版の前途はあいかわらず光の見えない状況にあることには変わりがないことになってしまうのだが。
 ともかく、もうすこし情勢分析をすすめてみよう。こうした業界全体の長期低落は主要な出版社、書店、取次においても基本的に同様の傾向を示さざるをえないが、それでも十年単位で比較してみると、大きな差が生じていることに気がつかないわけにいかない。
 まず出版社で言えば、業界トップを誇ってきた講談社の落ち込みが目立つ。一九九八年からの十年間で五四四億円、二七・二パーセントの減は業界全体の減少の一二パーセント分に相当する。学研にいたっては五八九億円、四三パーセント減で講談社を上回る。雑誌や児童学習書のウェイトの高いところは苦戦を強いられているのがわかる。一方では、角川グループホールディングスが急速に売上げを伸ばし、七一一億円、九〇・二パーセント増を実現している。こうしたなかで民事再生の申請をしていた草思社が文芸社に引き取られたというニュースは驚きとともに、今後のなりゆきがおおいに懸念されている。これは「支援」というより事実上の買収、非ブランド出版社によるブランド出版社の破格の安値による買い取りといっていいものだからである。
 さて、書店や取次に目を向けると、老舗では丸善の動きがやはり目につく。二〇〇五年までの八年間で四九〇億円、三七パーセントの激減だったが、ここ二年で一八九億円、二二・九パーセント増の挽回を示している。紀伊國屋書店は新規出店や増床によりほぼ横ばいをキープしているが、個々の書店現場の実情はかなり厳しくなりつつある。ほかに有隣堂、ジュンク堂が堅実に伸びているのが注目される。その一方で日書連加盟書店は一九九八年の一〇二七七店から二〇〇七年の六三三〇店に激減しているのをみてもわかるように、ナショナル・チェーン店以外の書店の衰退ぶりが如実に示されている。この傾向は今後も進むだろう。  取次では業界首位の日販が二〇・五パーセント減で、トーハンの一八・三パーセント減に比べて目につく。この結果、日販とトーハンの差がここへきて急速に縮まってきている。いずれにせよ上位二社が業界全体を反映して大幅に売上げを下げてきているのにたいして、業界第三位の大阪屋の奮闘が目につく。十年間で二三〇億円、二二・四パーセント増は驚異的である。ここにはアマゾン・コムとの提携による増売やジュンク堂、ブックファーストの出店等による売上げ増が大きく作用しているだろうが、アマゾンとの関係が微妙になりつつあると言われている現在、今後の推移は必ずしも楽観できないだろう。もともと薄利多売型で売上げのわりに収益率が低いのがそうした売上げ増の裏にあるさまざまな矛盾の存在を示唆しているところに、大阪屋の苦労も偲ばれるところである。
 われわれ専門書出版社としても、今後もますます関係を緊密にしていかなければならない業界三者の一員として、こうした流れのなかで雑誌にたよらない地道な書籍出版の命脈を保っていかなければならないのである。
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[未来の窓136]

『俳優修業』から『俳優の仕事』へ

〈スタニスラフスキー・システム〉と言えば、演劇にかかわる者ならまず知らないひとはいない演劇史上もっとも有名な俳優教育のための古典的メソッドである。スタニスラフスキーのこの〈システム〉の翻訳はすでに『俳優修業』第一部・第二部として小社から山田肇氏の訳で刊行されており、半世紀を超えるロングセラーとなっている。ただこの翻訳は、一九三六年に『俳優の自分に対する仕事』というタイトルでアメリカの出版社から刊行された英語版をもとにしており、また、この英語版刊行にあたって著作権上の複雑な事情からもともとの原稿が大幅に削除されたという経緯もあって、手頃ではあるがスタニスラフスキーの意図を完全に実現しているとは言い切れない側面があった。
 一九三八年、スタニスラフスキーの没後に生徒や同僚が監修したロシア語版『俳優の自分に対する仕事』第一部(「体験の創造過程における自分に対する仕事」)が刊行され、英語版との大きな相違が問題になったそうだが、外国語版への翻訳はやはり著作権上の問題があってこのロシア語版からの翻訳はなされなかった。しかもその第二部は未完に終わったので、英語版がいつまでも生き残ってしまったのである。その第二部(「具象化の創造過程における自分に対する仕事」)も一九四八年になって、スタニスラフスキーが書きためたテクストをもとにロシアにおいて編集刊行されることになるが、それでも著作権の問題がつきまとい、なかなかロシア語版からの翻訳がなされずにきた。その後、スタニスラフスキー著作集全九巻がロシアで刊行されたのをきっかけに、その版を用いて新たな日本語訳を刊行したいという動きが現われ、その結果として今回の『俳優の仕事──俳優教育システム』全二冊が刊行されることになった。第一部につづけて第二部の刊行も秋には予定している。
 今回のロシア語版テキストからの翻訳が刊行されるまでには、じつはさまざまな紆余曲折があり、長い時間がかかってしまった。わたしの認識不足もあり、また既訳のロングセラー『俳優修業』が存在すること、それと新訳の位置づけが定まらないこと、などがその理由の一端だが、新訳はこれからのスタニスラフスキー研究において欠かすことのできないテクストであり、俳優をめざす若いひとにとっても一度はかならず挑戦してみなければならない基本書であることを再認識してあらためて世に問うことにしたのである。
 かく言うわたしも今回はじめてこの〈システム〉をゲラで読むことになったのだが、この俳優教育システムがこれほど実践的かつ具体的なものだということは新鮮な驚きでもあった。また第一部の岩田貴氏による「訳者あとがき」にあるように、本書は「演技というものの〈科学〉を究明しようとする演劇史上初めての試み」であり、「いまでも最も体系的で緻密な俳優教育法であり続けている」ことがおのずから納得できるようになっている。じつは本書の成立にかんするここでのわたしの既述部分の多くはこの「訳者あとがき」に負っているのだが、スタニスラフスキーが〈システム〉の研究にとりかかったのが一九〇七年からだとすれば、なんと一〇〇年も前の俳優教育システムがいまでも健在だということになる。スタニスラフスキーはすでに一九〇二年のある手紙のなかで「駆け出しの俳優のための参考書のようなもの」「演劇芸術の_¨文法書¨_」「予備的な実習のための問題集」を思い描いていると述べているとのことだが、また「はじめのうちは出版するためでなく、自分自身のために、われわれがめざしていた演劇とその心理操作術の探求に役立てよう」(「序文」)としたとも書いているが、こうした意味でも科学の世紀のはじまりにふさわしく俳優の演技術についてのオーソドックスな科学的方法論の書をスタニスラフスキーがめざしていたことがわかる。
 スタニスラフスキーは「序文」でさらにこう書いている。
「芸術のことは簡単にわかるように語ったり書いたりしなければならない。難解な言葉は生徒を怯えさせる。そういう言葉が刺激するのは脳であって心ではない。そのため、いざ演じようとするときに知性が俳優の情緒とその潜在意識を抑圧してしまうことになる。この情緒と潜在意識こそがわれわれがめざす芸術においては重要な役割を担っているものなのだ。」
 スタニスラフスキーが依拠したのが心理学者テオデュール・リボー(古い記憶より新しい記憶のほうが先に失われる、という「リボーの法則」で知られる)であり、時代的背景としてはフロイトによる無意識の発見、ベルクソンの〈エラン・ヴィタール〉の哲学、ソシュールによる構造主義的言語学の新展開等があり、演技という芸術的行為の方法的確立のために当時の最先端の科学的知見が応用されたのである。当時のロシア演劇界の権力者からは演劇の生命を脅かす「スタニスラフスキー病」として批判されたのも、〈スタニスラフスキー・システム〉がこうした科学的先進性に立脚しようとするものだったからだろう。それが現代からみれば、やや科学主義的に見える素朴なところももちあわせているにせよ、演劇における演技という実践領域における〈スタニスラフスキー・システム〉の方法的的確さはいまでも十分検証に耐えるものだろう。
「私が本書で書いているのはそれぞれの時代やその時代の人々に関わることではなく、俳優の気質をもったすべての人々、すべての民族、すべての時代の本質に関わることなのである」とスタニスラフスキーは「序文」で書いている。こうした普遍性への強い志向性が〈システム〉と呼ばれるだけの一貫性と強度を実現したのである。
 本書が、さまざまな批判を受けながらも、これまでの山田肇訳版『俳優修業』というコンパクト版とともに、俳優をめざすひとたちにとってトレーニングのための手がかりとなる本格的な基本書として読まれつづけるだろうことをわたしは信じたい。
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[未来の窓137]

このひとたちが「読者」なのか

 恒例の東京国際ブックフェア2008(東京ビッグサイト)が終わり、猛暑がやってきた。ことしは三日目の夕方に激しい雷雨があったようだが(じつは会場内にいたのでまったく聞こえなかった)、おおむね好天に恵まれたこともあって、これまでの最高の入場者数だったと聞く。書物復権8社の会のブースのある「人文・社会科学書フェア」コーナーはいつにもましてコンスタントに相当な人混みがあり、全体としてもこれまでの最高の売上げを記録した。昨年から始めた書店・取次・一部メディア関係者を招いての各社合同新企画説明会のほうも滞りなく終了した。──こう書いてみるとすべて順調なように見えるかもしれないが、必ずしもそうではない。というのは、コストと手間がかかりすぎ、人員も相当に必要になり、広告宣伝的な意味でのプラス要素はあるにしても、必ずしも採算があっているとは言えないからである。すくなくとも8社のうち何社かは厳密には経費倒れしているのではなかろうか、という疑念をぬぐいさることができない。経営的な視点と営業的な視点は違うし、ましてや業界的なお祭り的要素による読者との出会い、サービス、交流、ひいてはある意味でのマーケットリサーチなど肯定的なプラスアルファがあることも間違いないので、このあたりの判断はかなりむずかしいのだが、ことしで四年になる共同出展が来年も当然のようにあるべきかどうかは、ここらで一考する必要があるだろう。(主催するリード・エグジビションと日本書籍出版協会との協力契約もあと三年で切れることも視野に入ってきている。)
 小社が二〇〇一年に創業五〇周年にかこつけて初めて単独ブースを出したときは、さまざまな要因があって相対的に大きな売上げを記録し、ビギナーズラックのように見られたものであったが、準備作業と後始末においても人員配置のうえでも実際のところはかなりきつかった。だから翌年には成果が半減したこともあって、二年で出展をとりやめた経緯がある。それが書物復権8社の会での共同出展という方向が出たときにはおおいに賛成し、推進派にまわったものであった。それはなによりも共同出展というかたちをとることによって単独ブースのときよりも大きな集客力を獲得できそうなこと、レジの共同化によって労力負担が大幅に削減されることが予想できたからである。そしてその予想はたしかに毎年毎年成果を増大させてきているとも言えないことはないのであるから、それをもって良しとする考え方も当然成り立つだろう。そんないきさつを回想しながら、やはりもうひとつ釈然としない思いが残るのである。
 祭典が終わったばかりで問題点を整理しきれていないところだが、最大の問題は、このブックフェアがなによりも本のバーゲン・フェアでしかないことである。一般読者にとって定価の二割引が標準化され、最終日の夕方ぐらいには出版社によっては半額か、それ以下にもなりうるという安値というのはまたとない購買意欲発揮の場になることは言うまでもない(書物復権8社の会ではそういうことはない、念のため)。まして日頃、割高の専門書を買い控えている読者層にとってはまたとないまとめ買いのチャンスである。四冊買えば一冊分がおまけで付くといった実利は、再販制で小売価格が固定されている現状では、なかなか得難い魅力でもあるだろう。その意味でどこの区画より「人文・社会科学書フェア」コーナーにひとが集まるという現象は、ここだけに本好きが集まっている感があるほどである。たしかにそのかぎりでは、専門書の読者はまだまだ健在なり、と言えるのかもしれないが、わたしの実感からすればどこかがすこしずつ違ってきているように思えてならない。
 その理由のひとつとしては、最近の読者は図書目録のたぐいをあまり欲しがらないという感じがすることである。これはおそらく一般的な現象でもあるのだろうが、とにかく図書目録のように余分な重さのあるものはいまは必要ないということなのであろう。数年前にはまだまだ喜んで図書目録を持っていってくれるひとが多かった。単独ブースを出していた二〇〇一年~二〇〇二年にはこの場所で毎年一〇〇〇冊ほどの図書目録を配ることができた。東京国際ブックフェアとは図書目録を配ることなり、といった宣伝効果(つまりあとで見えないかたちで売上げに結びつく)が大きなウェイトを占めていた。ところが、最近は情報はもはや図書目録からではなく、インターネットで簡単に敏速に得られるという事情もあってか、ペーパー版はありがたがられなくなってしまった。年配の読者であってもそうした傾向にあるのだから驚きだ。このことの見えない損失はじつは相当に大きいのではないかとわたしは思っている。それとともに、目録を渡しながら読者との自然なコミュニケーションも乏しくなっているように思える。単独ブースだと本を手に取ったときから支払いまで一貫して同じ場所にいるので、その間にちょっとしたきっかけでコミュニケーションをはかることができたのだが、最近は売り場が別になっているためお客さんにお礼を述べるだけで終わってしまう。とにかくお客さんとの接点がほとんどなくなってしまったというのが実感だ。
 これにはおそらくいまの読者のありかたともかかわりがあるのかもしれない。平たく言ってしまえば、東京国際ブックフェアでの購買者は、ひとりひとりが個性的な「読者」であることから個性の見えない「消費者」になりつつある。もちろんそれぞれの生活のなかで本の占める比重の高いひとたちであろうが、それでも本を介在させて生産者(メーカー)である出版社の人間とコミュニケートする絶好の機会であることをあまり認識していないような気がする。こちら側の働きかけが弱くなっている面も否定できないが、ただ淡々と本を手に取り、ながめ、購入するかしないかをひとりで決断する、こちらからのアクセスをどことなく拒んでいるかのような、このひとたちとはいったい何者なのか。この「消費者」たちが「読者」に変身する姿をわたしはうまく想像することができない。
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[未来の窓138]

松本昌次さんと未來社の歴史──『わたしの戦後出版史』を読む

 小社の大先輩である松本昌次氏(以下、これまでもそうしてきたように、松本さんと呼ばせてもらう)が『わたしの戦後出版史』(トランスビュー刊)というインタビュー本を刊行された。聞き手は元講談社の鷲尾賢也氏と元小学館の上野明雄氏。この本の元になったのは、朝日新聞社の「論座」に二〇〇六年四月から二〇〇七年十二月まで二十一回にわたって連載されたインタビュー「わたしの戦後出版史──その側面」であり、聞き書きの速記録をもとに松本さんが再構成されたものであると、本書冒頭におかれた鷲尾氏の「聞き書きのはじめに」で明らかにされている。「関係者に迷惑がかかってはいけないと、かなり慎重に整理されている」とも記されているように、おそらく実際の聞き書きの現場ではもっと過激な裏話やエピソードが話されたのであろう。
 この本のなかで話されていることは、松本さんの未來社での三〇年の編集者時代が中心であり、松本さんの未來社入社以前もふくめて話に出てくる人物やそのエピソードなどはわたしもほとんど聞いたことがある。というのは、わたしの幼いころから松本さんは西谷の家に出入りされていたので、わたしが入社した一九七七年以前から両親をつうじて、また実際にお会いしたときの印象などからその人となりについてかなり知っていたからである。そもそも大学院でモラトリアム環境にいたわたしを未來社へ引き入れたのも松本さんなのであった。
 それはともかく、わたしが未來社に入社してから松本さんが独立して影書房を創立された一九八三年まで、考えてみるとじつは未來社でいっしょにいたのは六年にすぎないことに、いまさらながら驚く。その間、本書にも出てくるが、西郷信綱氏を囲んで月一回の『古事記』を読む会などで勉強をともにしたこと、いろいろ呑む機会が多くてそのときに必ず説教されたこと、などが思い出される。本書によく出てくる庄幸司郎さんや写真家の矢田金一郎さん、形成社印刷の入野正男社長、そしてもちろん著者の埴谷雄高氏、西郷氏、丸山眞男氏、木下順二氏、山本安英さん、井上光晴氏などとも大なり小なり接点をもつことができた。そのほとんどが鬼籍に入られてしまったことをふくめ、松本さんの下にいたわたしの二十代後半から三十代前半の六年間は濃密な時間だった。
 松本さんはお酒を呑むと「からみの松」とあだ名されていたように、小言と説教が多くなることで有名であったが、わたしに対してはどういうわけか呑んでいないときでもいつも必ず説教してくれていたように思う。もちろん未來社から離れてからもいつも未來社の仕事にたえざる関心をもっておられて、何かとご意見をいただくことが多い。この[未来の窓]などについてもしばしば批判のことばをいただいている。その意味でも、いろいろ教えられることの多い先達である。本書でも聞き手ふたりにたいしていつもの理想主義的な話を繰り返されているのを読むにつけ、松本さんはあいかわらず変わっていないな、という感想をもつ。聞き手の鷲尾氏、上野氏はさぞや大変だったろうと想像がつく。
 松本さんの編集者魂の真骨頂は、書き手にたいしてぞっこん惚れ込むという基本姿勢から発しており、いったん惚れ込んだら書くものだけでなく、その書き手の生活そのものにまでどっぷりとかかわっていくというスタイルにある。年下の友人である建築家の庄さんを従えて、著者の家の建て替えなどまで手を出しているのだから、いまではとても考えられないような深く、熱い関係を構築してしまうのが松本流なのだ。だから松本さんの人間関係はお互いにとことん付き合うか付き合わないかのどちらかになりがちである。松本さんの思想は理想主義的ゆえにかなり紋切り型で狭量なところがあり、いまの時代にはかなり馴染みにくいのではなかろうか。もろさわようこさんが必要にせまられ携帯電話を使うようになったことを「転向」だとして批判しようと思っているなどと冗談めかして語っているのもそのひとつである。わたしもパソコンを使った編集技法を世に問うたときに、パソコンなど使って本ができるなんてはずはないと皮肉られたこともあった。便利な機器はなにもすべて万能だなどと思っているひとばかりでないのに、そういうものに関心がない松本さんからすればそういうものにかかずらっている人間はすべて「ダメ」なのである。そういう松本さん流「からみ」が本書のなかにもずいぶん出てくる。たとえば翻訳出版について松本さんはこんなことを語っている。
「それらはすでにはじめから評価が決まっているものだし、どこの出版社も追いかけているし、翻訳の善し悪しがあるだけなんで、何もわたしがやることはない。それらは読者として買って読めばいいわけだから、あまり他の出版社がやらないもの、それと大出版社が追いかけている文壇的なものや権威的なアカデミズムは避けようと思いました。」(三五ページ)
 ここにはわたしもおおいに共感する松本さんのオリジナルへの志向性がよく現われている。もっとも翻訳出版もそんなに評価が定まっているばかりではないし、翻訳の善し悪しだけではないとわたしは思うが、それはいまはおく。そんな姿勢のなかから松本さんが残してくれた文学・思想関係の未來社の書物はわたしが若いころから愛読したものや影響を受けたものが多いのは事実で、そうした遺産のなかからしばしば〈書物復権〉運動の復刊対象がおのずから選ばれることになる。本書でも言及されているが、西郷信綱・廣末保・安東次男編『[新装版]日本詞華集』や平野謙・小田切秀雄・山本健吉編『[新装版]現代日本文学論争史』上中下巻、さらに竹内好著『[新版]魯迅』、安東次男著『[新版]澱河歌の周辺』などはそうした理想主義的編集者としての松本さんが手がけた仕事の一端にすぎない。
 本書はある意味で松本さんからみた未來社の歴史の貴重な証言であり、細かい事実の間違いはともかくとして、いまは襟を正して感謝するばかりである。
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[未来の窓139]

コンピューター史の決定版

 コンピューターが現在これほど普及し、多くのひとがメールやインターネット、あるいは仕事用にワープロ・ソフトや表計算ソフトをさほどの不自由を感じずに日常的に利用できるようになるとは、数十年前には世界じゅうのほとんどのひとが想像することもなかっただろう。いまや飛行機や自動車といった移動機械や銀行決済から商品売買、さまざまな予約行為にいたるまでコンピューターなしでは考えられない社会になっている。ましてや今後はますますこうした流れが生活のあらゆる領域にまで浸透し、否応なしに「コンピューター革命」は世界の歴史を根本的に変えていこうとしている。一九六八年に公開され、当時の未来映画の決定版とされたスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』が予見的に示唆していたように、コンピューターは人間の意識や精神のありかたにまで深く影響を及ぼしている。コンピューターなしの世界にはもはや人間は戻ることができなくなっている。そういう意味では人類史のうえでルネッサンス革命や産業革命に匹敵するおおきな変革の時代にわれわれの現在はあるのだ。
 しかしそうした可能性をコンピューター史の最初期から信じたひとたちが例外的に存在した。それがアラン・チューリングやジョン・フォン・ノイマンといった数学者や理論家であったが、現代のコンピューターはこうしたひとたちの基本思想や設計理念にいまなお依拠している。ここからさらにじつに多くの頭脳や技術の成果が結集され、そこにさまざまな企業や組織の必要や利益や思惑が介在して実現したのがいまのコンピューターなのである。コンピューターをめぐる歴史には多くの事件や問題や栄枯盛衰があり、それらの決着としていまのコンピューター事情があり、また今後の展開もあるのだ。
 わたしはもちろん、コンピューターにかかわっている者、関心のある者にとってもこうした歴史の全体像はほとんど知られていないだろう。小社から近刊のポール・E・セルージ著『モダン・コンピューティングの歴史』(宇田理・高橋清美監訳)は、コンピューターがそもそもどういうものであり、なんのために作られ、利用されようとしたものであるかを論理的かつ現実的に展開したおそらく最初にして最大の歴史書ではなかろうか。詳細かつ網羅的にコンピューター史の真相が告げられている。本誌の広告に「コンピューターの歴史を、あなたは知っていますか」と、いささか挑発的なキャッチコピーを付けたのは、本書の繙読によってすこしでも多くの関係者にコンピューターの歴史を認識し、その認識を共有しつつ新しい冒険に臨んでほしいからである。
 いまのコンピューターがマイクロプロセッサの発見によって机上の手軽なマイコンピューターとして実現される以前、コンピューターとは巨大な計算機(computeとは「計算する」という意味だった)のことであり、莫大な出費のかさむ超高級マシンであった。それがメインフレームとかミニコンピューターと呼ばれるもので、言わずとしれたNASA(アメリカ国立航空宇宙局)の軍事的・宇宙的開発のための複雑で高度な計算の必要や、内国税歳入局の単純だが膨大な税務処理の緊急性など、巨大な資金源と目的の国家的重要性をもつ組織に端を発することはよく知られている。さらには飛行機会社や電気会社をはじめアメリカの多くの巨大企業がそれぞれ固有の必要性と目的からコンピューターの有用性(初期のそれはなんと言ってもその計算能力)に目をつけ、高額の費用を支払いながらも結果としてコンピューター産業の育成に寄与することになった。そうした大きな資本の動きや組織のなかで、ビジネスチャンスの多い発展可能性のある業種として、若い才能や革新的なヴィジョンの持ち主たちが活躍する可能性を見出せる場所としてコンピューター業界が実現し発展してきたのである。本書では最初期の電子式デジタル・コンピューターの発明者としてのプレスパー・エッカートとジョン・モークリーをはじめとしてさまざまな登場人物が入れ替わり主役と脇役を演じた物語が年代記的に語られていく。そこでは能力やアイデアのある者がかならずしも勝利するわけでなく、資本力や人材に恵まれた企業が勝ち残ったわけでもない。そこにはさまざまな偶然や思惑ちがいがあり、この産業あるいは業界が結果的に残してきたものが、かぎりなくドラマチックな物語であったことを示している。ここではとても要約もエッセンスさえも語り尽くすことはできない。
 セルージは本書の終わりのほうでこう述べている。
《モダン・コンピューティングの歴史は、J・C・R・リックライダーのいう「人とコンピューターの共生」というヴィジョンがどのように実現したのかの物語である。こうした歴史は、リックライダーのみならず、ダグラス・エンゲルバート、テッド・ホフ、エド・ロバーツ、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアック、ビル・ゲイツ、ゲイリー・キルドール、ティム・バーナーズ・リーといった人びとの努力の結晶である。そして、そのリストの一番上にはケン・オルセンの名前を記すべきだろう。このように資本主義における「創造的破壊」の営みは素晴らしい成果を上げてきたが、その過程は合理的でもなければ公平でもなかったのだ。》
 セルージがここでしているのは、コンピューター業界の成功者がいかに巨大な富を手に入れようとも、ほんとうの主役はこの陰に隠れてしまったかのように見える何人かの優れた貢献者たちであり、このひとたちの仕事と成果に現在の時点からあらためて光をあてることによってコンピューターの世界がどのような価値を生んできたのか、今後どのような発展が望めるのかを整理してみせたことである。本書の第一版が一九九五年に書かれ、第二版が二〇〇三年に書かれているが、日々刻々進展するコンピューター世界を記述するのはむずかしいし、たえず書き直されるべきものかもしれない。しかしここでの通史的視点はおそらく今後も簡単にはゆるがないだろう。
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[未来の窓140]

「現役」出版人という覚悟

 最近は退職する出版社仲間が増えてきた。定年退職もあるし、定年前退職もある。前者のうちには定年後も活動的な人生謳歌組もいて、ブログなどで日々の生きざまを存分に提示したりして、世の中の動向などはどこ吹く風、そんなことにはもはや一喜一憂しない。ひとに頼まれれば、これまでの経験と知識を活かして応援にもかけつける。残りの人生を同世代の仲間や近隣のひとたちと楽しく生きていければいいのだといったたくましさがある。昨年あたりから始まった団塊世代(一九四七年~一九四九年生れ)の退職ラッシュは、再雇用の問題を喚起するとともに、Uターン現象やIターン現象となって地方の活性化ともつながっているらしい。
 その一方で、いまの自分のありかたに納得できず、早めに退職して自分のしたいことを始めたいというのが後者だ。こういうひとには編集志望者が多い。編集経験があるが、社の事情で他の部署にまわされた結果、どうも欲求不満が残ってしまったというタイプで、なにか自分本来の仕事として世の中に痕跡を残したいといった願望の現われである。編集経験者で営業責任者になって活躍しているひとを何人もわたしは知っているが、やはり相性というものがあるのだろうか。編集者時代の人脈と営業経験で得たはずのマーケティング能力を活かしてぜひともいい仕事を残してもらいたい。
 かく言うわたしもすでに団塊世代の最後尾、来年にはなんと還暦を迎えることになっている。定年退職という区切りをつけられない立場がいいのか悪いのか、同世代の仲間が次々と身を引いていくいま、現役をつづけられる(つづけざるをえない)という立場をいろいろと考えさせられることが多くなった。ましてや編集という立場もいぜんとしてつづけている以上、時代の先端にアンテナを張りつづける努力を怠るわけにはいかない。そうは言っても、編集者の宿命として自分より若い世代の仕事まではフォローしきれないので、必然的に自分とともに育ってきた同世代か少し年上の著者たちとの仕事中心にならざるをえない。わたしはそれでいいのだと思っているが、著者にも定年はないとはいえ、それぞれの旬というものがある。そこを編集者としてきちんと見据えられないと、いい仕事のつもりがたんなる繰り言にすぎないような本を作りかねないのである。「現役」出版人をつづけるにも、それなりの覚悟が必要なのである。
 さて、そんなわたしだが、まだまだやるべきことがたくさんある。そのひとつが優れた編集者を育てることである。自分で言うのもおこがましいことだが、自分なりにつちかった編集の知識と技術は、日常の仕事のなかで若いひとたちと共同作業をしているなかでさまざまなレベルで伝えておくべきであることが感じられる。著者とのつきあいかたからはじまって、企画の立てかた、著者との交渉、原稿の受け取りかた、さらには原稿を本に仕上げていくときの細かいノウハウ、その手順や留意点、刊行直前の最終チェックのありかた、といったさまざまな問題がたえず出現する。経験豊富な編集者の場合にはあるていど安心して任せられるが、逆に自由な発想転換ができにくいなどワンパターンに陥りやすい欠点がある。また出版社ごとにちょっとした流儀のちがいなどがあり、他社から移籍した編集者には自社での編集経験を積んでみないと思い込みから意外なミスが発生するようなこともある。
 そんなこともあって、わたしとしてはすくなくとも自社編集部のために役立つ編集マニュアルを整理しておこうと思っている。もちろん編集の基本技術にかんするマニュアル本はいろいろ出ているし、わたしの関心はそういうところにはない。また編集者はどうあるべきか、といった精神論や心がまえについて経験的に語った本もいろいろあるだろうし、著者についてのエピソードや人となりについて編集者が残した証言や記録もあるだろう。わたしがここで考えているのはそういうものではなく、著者の原稿がいま手元にあるとして、それをいかに正確に、すばやく、そして企画の本来の意図に添うかたちでの本として実現するか、という編集技法に尽きると言ってもよい。
 わたしにはすでに二〇〇一年に刊行した『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』と、翌二〇〇二年にその続篇として出した『同/編集篇』がある。そこで展開していることは、基本的にコンピューターを使ったデジタル処理の実効性が、ふつうに思われがちな一律的な置き換え作業といった単純化ではなく、編集の知識や経験を盛り込んだ処理をコンピューターによって実現することである。いわば自分の目と手の代行をコンピューターにさせることである。こういうことを言うと、コンピューターで編集の仕事ができるか、といったお決まりの反発がくるのはもはや想定ずみだ。
 そういうわけで、[出版のためのテキスト実践技法]が話題にされたときより数年を経て、基本的な方法論は変わっていないものの、その間のツールやコンピューターの進歩、コンピューターにたいする人間の理解度、技術の向上などにより、現時点でのマニュアルを作り直す必要に迫られたと言える。その後に開発した新しいプログラムもふくめて新しく『出版のためのテキスト実践技法/テキストエディタ篇』をオンデマンドで出版したいとも考えている。
 さて、そうした編集にかんする問題とは別に、これからの専門書出版のありかたを未來社という枠に即して考え直してみなければならない。わたし自身がそういつまでも現役でいるわけにはいかないこともあるので、後継者を育てなければならないからであるが、そのまえに、予想される出版業の今後のけっして楽ではなさそうな展望をふまえて専門書出版の生きる道筋を考えておかなければならない。それ以外にも個人的にやり残している仕事が多いので、できるだけそのための時間も確保したいというのがわたしのひそかな願いであるが、はたしてどこまで許されることだろうか。
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[未来の窓141]

人文書販売の現在──人文会四〇周年イベントに参加して

 この十月二十三日から翌二十四日にかけて人文会四〇周年を記念して「人文書の可能性を探る」と題する書店人との東京合同研修会がおこなわれた。この大イベントは人文系出版社の集まりである人文会十九社が全国の書店人(北海道から沖縄まで九五書店一〇三名)を東京に招待して二日間にわたる四部構成の企画を実現させたもので、全体としては大きな成功を収めたことをまずは喜びたい。半年以上かけて準備してきたというだけあって、会員社メンバーだけでの手作りのイベントとしては遺漏のないものだったようである。
 わたしも最初の代表幹事による開会挨拶と竹内洋氏の特別講演を除いてすべてのイベントに参加してみていろいろ思うこともあったので、若干のコメントを付しておきたい。
 初日の講演のあとの最初のイベントは、ジュンク堂大阪本店の福嶋聡氏をはさんで人文会の会長でもある筑摩書房・菊池明郎社長、現役代表として東京大学出版会・橋元博樹氏によるパネルディスカッション「人文会の40年と人文書の可能性」(司会はみすず書房・持谷寿夫氏)。菊池氏の話は二〇年ぐらい以前からの人文会の歴史を伝えるもので、われわれ人文会同期メンバーとしてはなつかしいものだった。福嶋氏はいま現場をすこし離れているという立場であるとしながらも、〈オルタナティヴ〉の提起が人文書の役割であり、出版社には〈カノン〉となるような本作りを期待するというエールを送ってくれた。若手の橋元氏は福嶋氏の論を受けて、さらに〈広がり〉と〈公共圏〉をキーワードに一九九〇年代以降のカルチュラル・スタディーズの展開を解説しながら、人文書の新しい役割に可能性を見出そうとした。ただ残念なのはいままで人文会が進めてきた新しい人文書ジャンルの全面的見直しについての言及がなかったことである。福嶋氏が言う〈棚のオルタナティヴ〉こそ人文会がキーワード、キーコンセプト、キーパースンを軸に新しい書目をリストアップするなかで、出版社の側から書店担当者に提案するものだったはずである。その点についてのアピールが会全体としても不足していることを感じないわけにいかなかった。
 第2部のイベントは書店人四名によるケーススタディ「人文書販売の現在と未来」とするもので、それぞれの書店での人文書販売の経験や試みを発表するものであった。紀伊國屋書店新宿本店の「じんぶんや」の試みは以前このページで触れたことがあるが、現在は四四回を数え、スペースもかなり広くなったらしい。まじめな取組みを持続していってもらいたい。また喜久屋書店倉敷店の市岡陽子さんによると、軽めの入門書が売れる店だそうだが、人文書担当者としては問合せや反応のあった本などを売り捨てず棚に入れること、既刊書でも面出しすること、ジャンルの垣根を低くする努力をしているということをきちんと話されて好感をもった。棚に一冊だけの本でも発売後三日以内に売れたような本の場合は追加発注するとして、小社の『若き高杉一郎』に触れられたことはうれしかった。
 初日はその後、会場の出版クラブの宴会場を使っての大懇親会になり、多くの書店人と挨拶を交わすことができた。書店人にも相当に若返りがあり、このひとたちが今後の人文書販売を担っていってくれるのだと感慨も一入。その晩は旧知のちくさ正文館・古田一晴氏や福嶋氏らと近くでさらに旧交をあたためることができた。
 さて二日目は場所をアルカディア市谷に代えて、朝から編集者によるパネルディスカッション「人文書の最前線」。ゲスト・スピーカーとしてかつて小社から出版人生を始めた小林浩氏(現在、月曜社)をはじめ、各社の編集者三名が出演したが、そのうち二名が新書担当者だった。〈人文書の最前線〉と謳っておきながら新書担当者では芸がなさすぎた。そのうちのひとりが「新書は人文書の最果てです」と言うのはジョークとしても、ほんとうの最前線はどうなっているのか聞きたかったわたしとしてはたいへん残念であった。小林氏の棚の編集としての営業という観点はいままでのわたしの視点でもあったので、その蘊蓄をもっと話してもらいたかった。また最後の東京大学出版会編集者の山田秀樹氏のオーソドックスな人文書編集の立場は、これからの教養は自分のことばで語ることができるかどうかではないかという明確な視点をもって語られていて、唯一安心できるものだった。おそらく誰が話しても人文書編集の奥義というものは簡単に見つけられるものではないが、人文書ということばが一般学生レベルではほとんど認識されていないことを出版社はもっと知ったほうがいいというようなシニカルな編集者は登用すべきではなかった。会場から人文書でなく新書の話でがっかりしたという意見が出たのは当然だろう。
 最後に、「人文書販売の未来をデザインする」と題してフリーディスカッションがおこなわれた。事前に人文書アンケートに答えてもらっていたこともあって、おたがいにそれぞれの人文書担当者の意見も知ったうえでの討論であったが、現場担当者の苦闘がうかがえてたいへんリアルだった。それぞれの担当者が人文書を息の長いものとして、しかし並べかた次第では魅力あるオリジナルな人文棚ができるものであることを認識してくれていることがわかって頼もしかった。最後に出版社がどんな意図のもとに本を出しているのかという根本的な問いが出されて、司会者からわたしに答える役を指名されたのにはさすがに困った。ただ、書店の人文書売り場の現場が新しい本の出現にたいしてたえず〈ナマモノ〉としての切り口を要請されているのと同じように、編集の現場はそうした書店現場を想定しつつ新しい〈カノン〉となるような本作りに向けて努力していくこと、著者の原稿を〈ナマモノ〉として目的意識的に、よりよいものに高めていくように心がけていくことに向けられていくべきであることをあらためて確認できた。その意味でも貴重な意見交換の場だったように思う。
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