未来の窓|2010

 
[未来の窓154]

書籍での用字用語の統一のために

 編集歴も三十数年になると、じつに多様なジャンル、著訳者の原稿に接してきたことになる。また自分でもこれまでなにがしかの原稿を書きつづけてきた。そうしたなかで、仕事柄か、おのずと日本語の表記のありかたについて人一倍の神経を使ってきたように思う。
 たとえば自分のことを「私」とするか「わたし」とするか、さらには「僕」あるいは「ぼく」とするかは書くひとによっても、また文章の性格によっても、書く時期や年齢によってもちがいがあるのはある意味で当然であるが、どうもひとはそこまで自覚していない場合が多いということにあるときから気づいた。つまり同じ文章の隣りあった行のなかで「私」と「わたし」が平気で並んでいたりすることがきわめてしばしばあるのである。「私」と「僕」が混在することはさすがにそうないが、こういうことをひとはそんなに気にしないのだろうか、ということが気になってしまったわけである。人称で言えば、「彼」と「かれ」、「我々」と「われわれ」などの表記のしかたをどうするのか、書き手は自分の原則をちゃんと決めているのだろうか。こうしたことは漢字の使いかた(ひらがなへの開きかた)、動詞の送りがなの送りかたなどについても同じように言える。こういうことにかんして書き手は驚くほど自覚的でない、というのがわたしの実感である。
 一般的に言って、文学や哲学にかかわるひとは表記にかんしても自覚的なひとが多いのは、文章の性格上、言語それ自体で存在するべく書かれるものであるために、文章の細部にまで緻密に神経が配られているケースが多いからである。その一方で、ことばは伝達すべき内容のための手段であって、それ以上のものであるとは考えていないと思われる文章も数限りなく存在する。そういう書き手は社会科学系の学者に多いというのがわたしの経験的理解だが(もちろん例外もたくさんある)、そういうひとの場合、表記の統一などはほとんどこちらにまかせてくれる。ほんとうにそれでいいのかという疑問がないわけではないが、こうしたほうがこちらとしてはすっきりするので、未來社方式に統一させてもらっている。
 この未來社方式にかんしては、わたしが長年かけてデータを集めて一覧にしたものを「編集用日本語表記統一基準」として公表している(二〇〇一年刊の『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』で初出。その後、最新の『出版のためのテキスト実践技法/総集篇』でも改訂版を掲載)。この一覧は未來社ホームページ(http://www.miraisha.co.jp/mirai/archive/touitsu.html)でも最初から公開しており、かなり参照されているので、ご存じでないひとはぜひ参考にしてほしい。世に「用字用語の統一」と呼ばれているもののひとつだと思ってもらってもいい。
 わたしがここでやろうとしていることは、日本語の表記を現代ふうに変更すること、そのためには読みにくい漢字をひらがなに開くこと、副詞や接続詞はひらがなに開くこと、動詞や指示詞の字義通りの意味以外(二次使用)の使用にかんしてはひらがなにする、といったことである。以下に一例を挙げよう。
(副詞)専ら→もっぱら
(接続詞)従って→したがって
(動詞の二次使用)(意味を)持つ→もつ
(指示詞の二次使用)(理解する)上で→うえで
 この「編集用日本語表記統一基準」はたんに一覧表として提示しているだけではない。わたしは[出版のためのテキスト実践技法]シリーズにおいてこうした変換をパソコン上で実現できる一括処理ツールとしてSEDや秀丸マクロを具体的に説明し、実用化できるように提出してきた。編集者はもちろん、著者のなかでこうした問題意識をもっているひとならだれでも使えるツールになっているはずである。わたしの意図としては、こうしたデジタル・ツールを使いこなしてもらって編集作業(著者が原稿の整理をする場合もふくめて)をすこしでも軽減するとともに、日本語のあるべき姿を共同して実現していこうとすることである。わたしが長年やってきた編集作業を公開するのはもっぱらそういう目的のためである。
 今回の『出版のためのテキスト実践技法/総集篇』ではさらに、動詞の送りがなのパターンを以前にくらべて大幅に増補したばかりでなく、二つの動詞の組合せから成る複合動詞の統一処理の方法、ルビの付けかたの原則とそのための具体的方法などをあらたに組み込んだ。デジタル編集上の諸問題はこれでほとんどすべて処理できるようになったと思っている。
 わたしの[出版のためのテキスト実践技法]はこうした「用字用語の統一」などに尽きるわけではない。同音異義語や類似語など変換ミスをしやすいことばをチェックするための、また、よくある表記ミスと思われるものを見つけ出すデジタル手法も、暫定的だが実働できるようにした。そのほかに、印刷所に渡すための「タグ」と呼ばれる組版のためのデータ処理をした入稿データを作成するためのくわしい編集手順も紹介しているのである。残念ながら、この[出版のためのテキスト実践技法]の有効性(正確さ、高速処理、組版価格の低価格化などによる全体的なコストダウン)が限られた範囲でしか知られていないために、この方法がもっと広く利用されるようになっていない。
 この夏に未來社ホームページがリニューアルされたのを機に、このホームページ上で「著者・編集者のためのパソコンTIPS集」というネット連載をはじめたこともついでにお知らせしておきたい。パソコンを利用する編集者や著者のためにちょっとしたヒントやテクニックを書き込んでいるものだが、すでに多くのかたが参照されているようである。わたしの関心は、出版にかかわるひとたちを中心に、できるだけ有用な知識や技術を共有してもらうことである。なんでも面倒くさがってしまうひととは共有することもないだろうが、利用してくれれば役に立つはずである。こちらもできるだけ多くのひとが参照してくれればいいと思う。
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[未来の窓155]

出版界の〈仁義なき戦い〉

 昨年末に図書館流通センター(TRC)が従来の主要取引先であるトーハンから日販に帳合を変更し、書籍データセンター契約も解除するというニュースが入ったときには、業界の動向に鈍感なこのわたしでさえさすがに、いよいよここまでやるのか、という感慨をもつことになった。業界紙によれば、TRCの石井昭会長は「複雑な納品体系の公共図書館が主要な取引先であり、顧客サービスの向上を優先した場合、日販の物流システムを選択せざるを得なかった」と話しているという。長いつきあいのあるトーハンとの取引をやめて、ライバルである日販の物流システムの先行性を選択したことになる。これによってTRCの売上げ二五〇億のうちの二〇〇億がトーハンから日販に移ることになって、二大取次の格差がますます開いてしまう。この二月の移行をまえにトーハン側が絶対に応じられないという対応をしているのはけだし当然だろう。出版の世界においても〈仁義なき戦い〉が始まったと言ってよい。しかしわたしは、この帳合変更は最近の出版界の業界再編をめぐる一連の激震の帰結のひとつにすぎないと思っている。
 すでに昨年九月末に、TRCは丸善とともに大日本印刷(DNP)の子会社となる持株会社CHIグループの設立に参加し、事実上DNPの傘下に入ることに合意している。そして専門書の販売に力を入れているジュンク堂書店も三年後にはこのグループに加わることが内定している。さらにはそのジュンク堂が郊外型書店展開をしている文教堂書店グループとの本格的な提携に入ることも発表された。大日本印刷は一方に丸善、ジュンク堂、文教堂といった毛色のちがう書店グループを擁し、他方では公共図書館を中心に販路をもつTRCを擁することになる。丸善は書店ばかりでなく大学図書館をターゲットとする外商においても大きな力をもっているので図書館納入においても大きなアドバンテージをもつことになるだろう。さらに最新情報によれば、世界文化社が大日本印刷と連携するという動きも見せはじめており、いよいよ出版社のなかにもこのグループへの参入の動きが出てきたことがわかる。今回のTRCの帳合変更がこうした一連の動きの背景にあるなんらかの戦略のもとに構想されたものであることは明らかである。なお、このCHIグループはこの二月一日に東京証券取引所第1部に上場されることも発表された。
 出版業界をめぐるこうした地殻変動は、現在の出版をめぐるそれぞれの生き残り戦略の現われであると言わざるをえない。出版業全体の売上げをも上回る巨大印刷会社DNPの経営戦略など、わたしごとき一小出版社の人間には及びもつかぬところがあるが、なにはともあれ出版業界を巻き込んだ一大コングロマリット化をめざしていることは間違いない。そのためには従来の旧態依然とした取引関係の尊重などは非合理的であるとし、より有効な経済効率を実現することこそが求められているのだろう。新会社CHIグループの社長兼最高経営責任者には丸善の小城武彦社長が就任することになっていることに現われているように、元通産省ベンチャー支援課の有能な官僚出身者の経営戦略は出版界内部の論理や経験だけに自足するようなレベルには存在しないだろう。経営の基盤を〈人〉にみる一見古風な考えをもちながら会社にとって役に立つ人間しか大事にしないと公言してはばからない、超合理的思考の持ち主が出版界の動向を左右するようなキャスチングボードを握ろうとしていることに、わたしは期待と同時におおいなる懸念を感じている。
 出版ビジネスというものが他産業と単純に比較されるようなビジネス・モデルでないことは、わたしのように出版界で長年生きてきたものには自明と思われるのだが、経営論理、経営効率を至上のものと考える合理主義が出版界にも席捲している。こういう合理的経営論理に多くの出版人が共鳴しているのをわたしは知らないわけではないが、そういうなかに専門書出版を志向する編集者タイプの出版人がそんなにいるとは思えない。従来の出版がビジネスであると同時に、いやそれ以上に、出版を通じて文化に貢献することを至上価値としてきたとすれば、それはたしかに出版界がそして日本の戦後社会が右肩上がりの経済成長下にあったことをいわば知らないふりをしてきたからにすぎないかもしれない。そのことの反省をいまごろになって自覚させられているから、たんなる商品の流通価値にたいして本の文化的価値を主張することがアナクロニズムに見えてしまうのであり、おのずから本を流通の面のみで語る論者の声のみがまかり通ってしまうのである。
 わたしはこの十年来の出版界の売上げ縮小という現実にたいして、残念ではあるがけっして悲観してはいない。むしろこの機会に業界あげての適切なダウンサイジングがもっと意識化されていいとさえ思っている。それは、いまや活字以外のメディアが多様化している実情に対応するべきだとか、かならずしもそういうことではない。出版をめぐる製版、印刷、製本などの技術が高度化・高速化し、流通面においてもさまざまな技術革新がなされた結果、出版それ自体ははるかに進化している。自分の本を出版したいと思う著者が存在し、編集者がその意義を認めるかぎり(そしてそれはいまのところまだ大丈夫である)、文化の質を落とさないようにすることで出版は存在意義を維持することは十分に可能なのだ。だからダウンサイジングするとは、必要以外のモノや情報が必要とされてもいないところに無理に流すことをやめるだけでいいのである。昨今ふたたび論議されはじめている流通における〈責任販売制〉にかこつけて言えば、出版社サイドにも〈責任生産制〉とでも呼びうる出版(編集)のモラルが必要になる。これまでのように、一点あたりの部数が減少したからといって、その分を別の本でカバーしようとするような量にもとづく発想ではなく、あくまでも質を維持することで、量への転化を待つ姿勢が大事なのではないかと考えたい。
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[未来の窓156]

沖縄の熱い夜──仲里効『フォトネシア』出版祝賀会報告

 沖縄はやはり熱かった。
 この一月二十三日、ひさしぶりに沖縄に飛んだ。仲里効さんが昨年、小社から刊行された沖縄写真家論集『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』の出版祝賀会に参加するためである。翌日が名護市長選といういまの沖縄基地問題をめぐる重大な選択を前にした時期にあたり、多くの出席するはずのメンバーが市長選の応援で欠席しているにもかかわらず一〇〇人を優に超える沖縄文化人大結集の会となった。批評家・仲里効の生みの親ともいえる〈反復帰論〉の論客、川満信一氏、新川明氏はもちろん、今回は写真家論集ということもあって、那覇に拠点を移された東松照明氏をはじめ、『フォトネシア』で論の対象となった大城弘明氏、比嘉豊光氏、嘉納辰彦氏、石川真生氏ら写真家も参加され、ほかに新聞人や出版人、美術館関係者、若い批評家などわたしが知らないだけで地元でそれぞれの場所で名を成している多くの方が一同に会し三時間にわたって熱弁をふるう盛大さは、東京でのこの種の会とはひと味もふた味もちがった熱気をはらんだものであった。司会をつとめた詩人の高良勉氏とは初対面だが、以前からそれぞれの文筆を通じて深く共鳴するところをもっていたので、いきなり熱い連帯感が生まれたのもわたしとしては祝賀会の流れに乗せてもらいやすかったと言っていい。
 会は冒頭、『フォトネシア』で批評の対象となった七人の写真家のそれぞれ十八枚ずつの写真連続上映という粋なデモンストレーションのあと、三人の方が『フォトネシア』にたいして真摯な批評的コメントを発表するというきわめてまじめな前半部の催しの最後に、版元代表として挨拶をさせてもらった。そのなかで『フォトネシア』出版にいたる経緯とともにこの『フォトネシア』をふくむ(前作『オキナワ、イメージのエッジ』とともに)仲里効沖縄三部作(映画、写真、文学批評)として〈沖縄と文学批評〉というテーマの本を書いてもらうという構想があること(本誌今号から連載がはじまる予定)、また『フォトネシア』をきっかけとして沖縄の写真家シリーズを構想中であることも発表した。わたしとしてはここに戦後から現在にいたる沖縄の現実、その思想と歴史、生活の実相が集中的に映し出されているのではないかと想定できるし、おそらくそうしたフィルムを通じて日本の来し方行く末があぶり出されてくるという予感が働くのである。
 祝賀会はこのあと、仲里さんの長男淳さんが率いるビッグバンドのジャズ演奏を堪能したあと、つぎつぎとスピーチがあり、それぞれの仲里さんあるいは『フォトネシア』への思いを述べられたが、それらは仲里効という批評家がどれほどいまの沖縄において重要な書き手として認識されているか、そして仲里さんを中心にオキナワ的言説が再組織されようとしているかを如実に示してくれたように思う。東松照明氏が二度にわたって登壇し、仲里さんの批評について話をされたのが印象的であった。会の終りごろに喜納昌吉氏が飛び入りで参会されスピーチされたが、仲里さんの幅広い交友というか、その批評的言説が幅広く支持されていることの確認にもなった。また、昨年春に那覇市内に新しく出店したジュンク堂書店の宇田智子さん(副店長)もわざわざこの会に来てくれて、仲里効夫妻をはじめ沖縄文化人の何人かに紹介することができた。池袋店からの自主的な異動でまだ慣れていないところもあるようだが、ひとつの布石にでもなってくれれば今後のためにもよかったと思う。
 祝賀会終了後、仲里さんのいきつけの場所で二次会になったが、そこでも〈熱い沖縄〉の議論は延々とつづいた。比嘉豊光氏をはじめ論客が『フォトネシア』をめぐって、あるいは沖縄の写真をめぐって、批評のありかたをめぐって、侃々諤々の意見が出て、若いころの自分を思い出させてくれた。この熱さは青春期独特のものと似ているようで、やはり沖縄にこそ持続的に存在している独自のものだ。
 夜遅くになってまたしても喜納昌吉氏が現われ、かれの持論である「沖縄人みずからによる沖縄自立決定論」を力説されたが、わたしはそれにおおいに共感し、ぜひともその論をまとめてもらいたいと申し出て、力強い握手とともに実現をめざすことになった。沖縄の優れた歌手として著名な喜納氏の歌をだいぶ以前に聞く機会がありその独自の声の響きに打たれた記憶があるが、いまや民主党選出の参議院議員として沖縄県連の会長でもあるという立場から沖縄を代表して民主党政権の一角を担われている。沖縄の将来を沖縄人自身の意思表明をとおして考えていかなければならないという強い思想の持ち主だけに、このひとががんばっているかぎり、鳩山政権も迂闊な対応を許されないだろう。米軍の存在が生活と否応なしに直結させられている現状とともに、本土政府の基地問題へのかかわりかたに見られるあいまいさを見ていると、沖縄のひとびとが自分たちの〈自立〉を政治的にも経済的にも、さらには文化的にも真に実現するために必死に考え行動しなければならないかがよくわかるのである。その意味でも、いまの沖縄の政治状況がいかに厳しいものであるかをあらためて認識する機会を得られたと思う。未來社としても沖縄のかかえる諸問題に広角的に取り組むこと、注意を怠らないことを強く心に誓った次第である。
 そして翌日の名護市長選は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対を唱え、民主党や共産党が公認した稲嶺進氏が勝利した。反対派市長やそれを支える広範な市民の意向とアメリカ政府とのあいだで鳩山首相はどのような打開策を見出せるのか。日本の将来も決定しかねない案件だけに目が離せない。
 今回会うことができたひとたちとはこれからさまざまなかたちでかかわりをもっていきたいが、その一環として本誌での「沖縄レポート」というようなかたちで、ほかのメディアではなかなか聞こえない現場のさまざまな声を発信してもらうことにしたい。とりあえず今号では知念ウシさんからの一報がもらえるはずである。
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[未来の窓157]

出版で元気を取り戻そう──小林康夫さんの新著編集から受け取ったもの

 小林康夫さんの『歴史のディコンストラクション──共生の希望へ向かって』がUTCP叢書第4冊として刊行の運びになった。この本は小林さんがこの二月に還暦を迎えたあとの最初の本ということもあって、第二の人生のためのスプリングボードとなるべく、これからの新たな飛躍を期すものとしたいという強い意志に支えられている。最後に収めた「〈新しい人〉に向かって」という台北でのあるシンポジウムのための基調講演では、現代のエコロジカルな環境世界において、「われわれはすでに、否応なく、『共生』的なひとつの生態系のなかに存在している」という単純な事実を踏まえ、そこにわれわれが「『人類』として『共生』し、かつ『人類』として他の生物種たちと『共生』している」ばかりでなく、「未来においてやって来るすべての『人類』と他の種とすら、すでにして『共生』している」という未来から/未来への視線を獲得するなかで、〈新しい人〉の誕生を希望するという哲学が語られている。わたしがオビの背に「〈新しい人〉へ」というコピーを付けさせてもらったのもそういった論点を踏まえているのである。
「未来」連載時にはなく編集のさいに新たに付けられた中見出しを見ていて気づいたのは、意外にも〈希望〉ということばが何回も出てくることで、そこに〈希望の哲学〉とも称すべき小林さんの新しい哲学的方向性が現われているように感じたので、そのことを伝えると当人はかなり驚いたようでそれなりに新鮮な自己発見だったらしい。もちろんその〈希望〉は単純な楽天的なそれではなく、「人間の終わりという希望」>(第VI章のタイトル)というように多分に反語的色彩ももつものであったのだが、それでも本書全体を照らす希望の光は、小林さんがリーダーをつとめているUTCP(University of Tokyo Center for Philosophy=共生のための国際哲学教育研究センター)が掲げる〈共生〉というもうひとつのテーマと結びついて、サブタイトル「共生の希望へ向かって」となってありうべき最終的なかたちを現わしたのである。
 本書のタイトルとなった〈歴史のディコンストラクション〉はそれこそ大胆なタイトルだが、それもタイトルをめぐるふとした電話での会話のなかで、わたしがもらしたひとこと──小林さんの書名には意外にカタカナが少ないよね──がヒントになって突然うかんできたものというふうに「あとがき」には書かれている。事実その通りなのだが、むしろわたしが言おうとしたのは小林さんの書名は「~の~」が多いよね、ということだったはずで、その意味では今回もそのパターンにぴったりはまっているではないか。それに前作『知のオデュッセイア』(東京大学出版会)にしても『光のオペラ』(筑摩書房)にしてもカタカナ表記をふくむ書名がないわけでもない。小林さんがそう思ったことでこの書名が電光石火のごとく閃いてしまったという事実こそが重要なので、しばしば誤解は傑作を生む例であろうか。
 ともあれ、こうして書名、サブタイトルにまでなんだか直接間接関与することになった編集にひさびさにかかわることができたのはわたしとしてもとてもうれしいことである。わたしの持論は著者と編集者のコラボレーションが好著名著を生みだすというものだからだ。考えてみれば、そもそも本書のもとになった「未来」連載の「思考のパルティータ」二十七回は、あるきっかけをもとに小林さんに「未来」へのエンドレス連載を依頼し、了解されたところに起点をもつのである。ずっと以前から長期連載を依頼していてなかなか実現できないままになっていたのがこのときから実現し、いまは「転換のディヴェルティメント」としてつぎの連載に移っているが、こうした日常的に連載を考えつづけなければならない立場に追い込ませてもらうことによっておのずからなる果実がもたらされるようになる。小林さんからもおかげで執筆のテンションを下げずにいられるのでありがたい、という言質をいただいている。続けて小林さんの専門であるフランス現代思想家をめぐる論集(書名はやはり未定)を近く刊行する予定にもなっている。還暦を過ぎたからには、これまでの自分とは違うものをどんどん出していきたいという小林さんの勢いはとどまることを知らないだろう。
 わたしも小林さんより五か月ほどまえにひっそりと還暦を迎えたところで、なんとなくしょぼくれていたところが、小林さんに煽られて人生はむしろこれからなんだ、と思わせられ始めている。そんなわけでもあるまいが、なんだか最近は旧知のいろいろなところからお呼びがかかってきてやたらと忙しいうえに、思わぬ拾い物が多いのである。前回も予告したように、歌手兼参議院議員の喜納昌吉氏との沖縄の自己決定論にかんするインタビュー本(語り下ろし)もいま設定中である。小林さんに言わせると、こういうのは西谷のもっとも得意とするところだそうで、なんだかそんな気にさせられてしまうが、いずれにせよ、この世の中、間違っていることも矛盾も許せないことも多いし、それらを徹底的に解明し、世に問うていく仕事はまだまだ尽きそうにない。
 先日も「新文化」の新編集長氏から依頼されて「〈責任出版制〉のすすめ」という出版業界向け批判の文章を書かせてもらった。これは前々号の「出版界の〈仁義なき戦い〉」の延長にある問題を書いたものである。出版業界というところは正面批判にはからきし弱いのに、知らぬふりをするか陰にまわっていろいろ言うのが好きな人種が多いところだから、さぞやいい話題提供にはなるかもしれないが、いまのわたしはあまりそういうことは問題にしないだろう。そこで書いたように、出版とは「この時代に固有の、生き残るべき価値」を生みだすような本を作ることに邁進すべきで、インターネットや「ケータイ」に負けるべくして負けるような情報本には最初から目をくれてはならない。いまは売れるだけの本を作ろうとしても意味がないのである。
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[未来の窓158]

喜納昌吉氏の平和の哲学──語り下ろし本『沖縄の自己決定権』刊行のいきさつ

 本誌前々月号の本欄で「沖縄の熱い夜──仲里効『フォトネシア』出版祝賀会報告」において予告したように、現在、喜納昌吉氏の語り下ろし本の編集に全力投球中である。
 既述のように、一月二十三日の深夜に沖縄で喜納氏と意気投合することができて、氏の年来の主張である〈沖縄(民族)の自己決定権〉にかんする本を出しましょう、という話になったのはいいが、さて具体的にどうしたら実現できるのか、といろいろ考慮中で仲里効さんにも相談などしていたところ、喜納氏の沖縄事務所の秘書である岩井氏から連絡が入ったのが、二月十九日。実際に連絡がとれたのが翌週の二十二日。そこで参議院選挙が七月にあるので、その前に本を作りたいとの申し出があり、それから慌ただしく準備をして、喜納氏のダグラス・ラミスさんとの共著『反戦平和の手帖――あなたしかできない新しいこと』(集英社新書)などを参考に、喜納氏への質問事項を組み立ててみることになった。喜納氏がご自分の主張を存分に展開してもらうためのプロット作りである。
 大きく分けて、第一部に喜納昌吉氏の生い立ちから音楽家として成長していくプロセス、さらには市民運動や住民運動に参加して平和運動家としても世界的に活躍されることになっていく足跡、そして民主党参議院議員として政界に出馬することになるまでのいきさつなどを話してもらう。第二部には、日本による沖縄侵略四〇〇年の歴史をふまえ、米軍基地問題を中心とする現在の沖縄がかかえているさまざまな社会的問題にまで論及してもらう。そして第三部として、持論である沖縄の民族自己決定権の問題を現実政治とのからみで徹底的に論じてもらう。以上がわたしが最初に設定したプロットである。これを岩井氏に送って基本的な了解を得たのが三月十一日のことである。
 そこで実際のインタビューをおこなうには、喜納氏が参議院の会期中で東京に来られるときが都合がいいだろうということで、東京事務所の岡田氏にバトンタッチしてくれることになり、岡田さんから連絡の入ったのが三月十七日。可能ならば翌十八日の午後から最初のインタビューをおこなえないかとのことで、さっそく若い編集者の高橋浩貴君を連れて参議院議員会館へ赴いた。こんなところにはこれまで一度も足を踏み入れたことがなかったが、意外と警備は軽め。午後の早い時間だったこともあって、陳情に訪れているらしいひとたちがかなりいるなかを喜納昌吉事務所へ。挨拶もそこそこにさっそくインタビュー開始。結局、予定の二時間を超えて四時間ほどを収録する。速射砲のように早いテンポで話す喜納氏の話に驚嘆しながらも、予想を超える話のおもしろさに思わずこちらも質問を突っ込んでノリノリのうちにあっという間の四時間であった。終了後、喜納氏もかなりの満足のようで、刊行後には東京と沖縄で出版記念会をやろうという話まで出るぐらいであった。
 二回目のインタビューは翌週の三月二十三日。この日は午後の参議院予算委員会で喜納氏の代表質問があり、インターネット中継で政府の沖縄基地問題への対応を鋭く追及し、鳩山首相や岡田外相にも弁明を求めるのを聞く。その日は五時ぐらいまで委員会があるためにインタビューは夜六時すぎから一気に三時間ほど。昼間の質問もあって、民主党内部にもいろいろ反応があるらしく何度も携帯電話に連絡が入るなど中断をしながらも、すぐ話のつづきに戻ってまた速射砲。この転換の早さと頭脳の回転の早さには端倪すべからざるものがあり、若いときにドラッグで刑務所に入れられたときに目覚めたと言われる集中的読書で獲得された知識がじつに幅広いことにも驚かされるばかりでなく、その記憶力、社会事象への関心の深い持続などがうかがわれて、ついていくのもやっとであった。
 三回目のインタビューはさらに翌週の三十一日。じつはこの間に、喜納氏が会長をつとめる沖縄の与党系議員七名で結成された沖縄問題懇談会「うるの会」が、喜納氏の代表質問のあと分裂状態になり、翌々日の二十五日に解散になったという新聞記事を読んだばかりだったので、まずこの「うるの会」解散の実情のところから話を聞きはじめた。国民新党の下地幹郎議員が普天間基地の辺野古移設への反対という「うるの会」の基本的約束を破る行為をしたことがきっかけになっているこの解散劇についても詳しい事実関係を話してもらった。沖縄への予算措置が「アメとムチ」の両面作戦によって沖縄県民の意思に反する運営がなされていること、基本的には「賄賂予算」になっていると喝破する喜納氏によれば、沖縄への予算の分捕りを目論む各種勢力「軍産複合体のモンスター」の暗躍が沖縄問題をさらに複雑にしているということである。与党系議員のなかにも目先の利権に飛びつき、それを沖縄県民のためになると錯覚しているか、自己の利益のために結果として県民を裏切っている者がいるということだ。代表質問で喜納氏が質問したように、官房機密費という財源が名護市長選で県内移転容認派に使われた可能性があるというミステリーを一般の日本人はどう理解すべきなのか。
「うるの会」を解散して「ニライカナイの会」の立ち上げを準備している喜納氏の行動を参院選のための「パフォーマンス」と見る向きもある、という新聞記事に見られるように、喜納氏の本来の思想である平和の政治哲学──地球との共生、国境の撤廃、国連機能の回復と沖縄への誘致──がまだまだ理解されていないことが、この間の報道などでも痛感させられる。喜納氏の話を聞けば聞くほど、この理想へむかって人類が進むべき道を、沖縄の現実を起点として描き出そうとする喜納氏の壮大な思想を断固支持しなければならないと考える。  日頃、あまり現実の生政治に接点のなかった専門書志向の出版人として、この半月のあいだに三回の熱い議論で新たな夢を見せてもらったことは、現実政治の実況放送の現場に立ち会った希有な経験であり、新鮮な驚きとともに生きることへの力強い希望と勇気をもつことができたのである。
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[未来の窓159]

マスメディアこそが問題である──沖縄米軍基地問題にかんして

 沖縄の普天間基地返還問題をめぐってのマスメディアの報道ぶりがかまびすしい。鳩山民主党政権が発足以来かかげてきた最重要課題としての沖縄基地問題をめぐって、鳩山首相みずからが設定したこの五月末決着の時間が刻々と迫ってきているにもかかわらず、その解決策が暗礁に乗り上げつつあることが原因であり、そのための動きがいかにもぎこちないせいでもある。メディアが伝えるとおり、徳之島への米軍基地移設案をめぐる平野官房長官の独断専行とも言える事前の根回しの拙速ぶり、それとは裏腹に鳩山首相のいかにも遅すぎた沖縄訪問での仲井眞県知事との会談や県民との「対話集会」での対応などが批判のヤリ玉にあげられている。
 たしかに民主党の政権獲得以後、閣僚たちの自分勝手な発言や行動が目立ち、首相の内閣統率力への疑念がささやかれ、一方では、小沢一郎幹事長や首相自身の脱税疑惑などが要所要所で騒ぎ立てられていて、おそらく政府や民主党内も日常的にドタバタした状況にあるのだろう。これも政権交代後の時間の不足を言い訳にすることはできないし、政権遂行能力の欠如を疑われてもしかたのない事態ではあろう。マスメディアがそのことを厳しく追及するのはわからないわけではない。鳩山首相の言動にも矛盾や拙劣さがあることはたしかで、そうした首相へのほとんど一方的な批判が毎日の新聞、テレビをにぎわしている。
 しかしこの報道の偏向ぶりにはどこかとても胡散臭いものがあるのではなかろうか。この偏向にかなりのひとたちが気づきはじめている。今回はこのことをメディアの内部にいる者として書いておきたい。以前、本欄で当時期待されて就任したばかりの安倍晋三首相が長くは保たないだろうと批判的に書いたところ、匿名の読者からこんなことを書く奴は国外へ出て行け!となじられたことがあるが、今回もそんなことを言ってくるひとがいるかもしれない。そういうひとには、わたしに言うよりも、米軍に向かって国外へ出て行け!と言ったほうがいいことをあらかじめお奨めしておく。
 さて、まずなによりも今回の普天間基地返還にかんして鳩山首相が辺野古の海を埋め立てるのは自然への冒涜であると明言したことに見られるとおり、言動の稚拙さは別としても、これまでの自民党時代の首相の誰ひとりとして言わなかった米軍基地のありかたへの根底的な批判がなされていることである。「朝日新聞」五月七日の「社説」では冒頭、こんなふうに書かれている。「政治家にとって言葉は命、という。ましてや、一国の最高指導者となればなおさらだ。鳩山由紀夫首相はその重みをわかっていない」と。はたしてそう言い切れるだろうか。そういう面があることは否定できないが、それでは首相が国連で「二酸化炭素排出を現在の二五%削減する」方向性を世界の誰よりも早く宣言したり、「東アジア共同体」構想を打ち出したり、それに今回の沖縄問題にしても米軍基地のありかたにたいして沖縄県民の痛みをはっきり言っていることは、この「社説」子にはどう映っているのだろうか。まだ実現できていないことを「軽く」言うのは簡単だ、とでもこの「社説」子なら言うのだろうか。メディアにいる人間にも同等かそれ以上に「言葉は命」であるはずではないか。政治家がことばに出すことは、それ自体がすでに政治的行為である。このことをマスメディアにいる人間はもっと謙虚に理解すべきである。
 問題はどうも別にありそうだ。鳩山首相を退陣に追い込もうとすることで誰が得するのか、という問題である。いまの日本を見まわしても、自民党はもちろんのこと、そこから脱退していった人間たちが政権を担う能力があると思えるひとはいない。与謝野馨氏が最後の青春をかけて鳩山と戦う、と息巻いているが、そんな青春ならおやめになったほうがいいでしょう。自民党のなかにいてこそまだ首相候補などと言われただけで、外に出てみればただの「裸の王様」でしかないことがこういうひとたちにはわかっていないのだ。舛添要一氏にいたっては厄介者が出ていってもらってよかったと自民党幹部から言われているだけで、誰もついていかない始末である。
 わたしはそういう消去法的な現実的判断だけで鳩山首相を擁護しようというのではない。今回、喜納昌吉氏の『沖縄の自己決定権』という語り下ろし本を作らせてもらってずいぶん勉強させてもらったが、沖縄の基地問題には莫大な金額のさまざまな利権がからんでおり、現地の基地容認派にはそういう利権がらみのひとが多い。それに日米安保や日米地位協定(正確には「在日米軍地位協定」)がらみで巨大な「軍産複合体のモンスター」(喜納昌吉氏のことば)が暗躍しており、そこにつながる政治家が民主党内もふくめて多いということである。そういうひとたちが内外から鳩山首相の足を引っ張っていることがわかってきた。日米の利権業者と結託した日本の政治家をこれから厳しくチェックしていく必要がある。かれらの言動が、ひたすら自分たちの利権を守り、沖縄の不幸な状況を食い物にするばかりか、沖縄問題を通じてはっきりしてきた日本国自体のアメリカへの従属体制、ひいては日本の真の独立さえ実現できていないことに目隠しをする役割を果たしていることが徐々にわかってきたからだ。
 これも喜納昌吉氏の話をうかがっていて理解できたことだが、沖縄の米軍基地問題がじつは日本自体の問題であることにわれわれはようやく気がつきはじめたのではないだろうか。日本全体の〇・六パーセントの土地と一パーセントの人口しかない沖縄に在日米軍専用基地の七五パーセントが集結しているという事実。日常的に起こっている米軍によるひき逃げ事件や女性への暴行事件。それらが日本の警察によっては取り調べる権限もないという治外法権状態。そういう無権力状態を規定する日米地位協定のまやかしとそれを法的に保証する日本国憲法第九八条の抜け穴……。日本の電波の三分の二がアメリカに握られているという実態、さらには東京の西側の制空権が米軍によって領有されているという、とても真の独立国とは言えないような事実。道理で羽田から成田に国際空港を移し、西に行くのにわざわざ東京湾から千葉方面を迂回して飛ぶというムダが生じていたわけである。そんなことも知らなかったのか、と言われれば、はい、そうですと言うしかないが、こうしたことをメディアはほとんど言及しないできたではないか。
 マスメディアがこういう本質的な問題を正面から取り上げてこなかったことこそが問題なのである。そもそも「記者クラブ」の問題に見られるように、日本のマスメディアが情報ソースからさまざまな優遇措置や経済的な利益を得ているばかりか、外部にたいして独占的に自分たちの権益を守ることができるシステムを作ってしまっていることが問題で、これは自民党政権時代から営々と築かれてきた悪しき仕組みなのである。これでは戦時中の「大本営発表」と同じではないか。こうしたニュースソースから与えられた記事しか伝達できないような仕組みを壊してしまわないかぎり、ほんとうの意味での体制批判は及びもつかないではないか。その意味でマスメディアが古い体質をかかえた日本の官僚システムとともに長い自民党政権時代の悪弊に染まったままでいることが今回の鳩山批判につながっていることが明らかになってくる。
 鳩山政権は一貫して官僚システムの解体を主張してきた。官僚の天下り批判や、事業仕分けによる裏の利権体制の解体がそれだし、アメリカの言いなりにならない民族自立的で国連志向の従来にはない外交手法(その中心人物が小沢一郎氏だ)が、これまで利権をむさぼってきた日米の「軍産複合体のモンスター」たち、およびその手先になっている一部の官僚やマスメディアの気に入るはずがないのである。
 沖縄の普天間基地返還問題を誰の目にもわかるように大きくしたのは「民主党沖縄ビジョン」の作成を通じて民主党内に問題の切実さを提示した喜納昌吉氏だが、それが明らかにしたのは、既述したように、沖縄問題こそは日本の問題であり、日本の真の独立がそこで問われているということである。この問題意識を正面から受けた鳩山首相を引きずりおろそうとするひとたちの言説こそが、リトマス紙のように、自分たちの利権を守ることにのみ汲々としている姿を映し出すのである。喜納氏によって国会で明らかにされた内閣官房機密費が平野官房長官によって名護市長選で不当にも敵対する県内移設派陣営に使われたというような事態を考えてみれば、民主党の内部にも国を売り物にする人間がいるということである。自民党の野中広務元官房長官がいまごろになって、この官房機密費をメディアやそこで言いなりに発言してくれるひとたちにばらまいていたという爆弾発言をしたことによって、こうした暗部が一挙に噴出してきたのは、今回の普天間基地移設問題の副産物でもあるが、こうしたからくりで政治が動いていることをわれわれはもっと厳しく監視すべきであると思う。そういう目で見ると、誰が何を言うかでそのひとのお里が知れるということになる。われわれにも知識と勉強が必要なのだ。
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[未来の窓160]

沖縄問題をめぐる知的恫喝を警戒しよう

 先日、「未来」のある定期購読者から以下のようなメールが小社の「未来」営業担当に届いた。非常に興味深い文面であるとともに、現在の沖縄をめぐる各種言説、メディアのありかた、日米同盟にもとづく日米関係の病理の根深さをさまざまに考えさせてくれる貴重な問題提起であると受けとめたので、問題箇所に限定してあえて公表させていただく。
「昨今の『未来』における沖縄論者の選択と、その論者たちの書く内容に強い違和と危惧を覚えます。沖縄内部でも沖縄を本質主義や本土/沖縄の二項対立ではない形で従属状況を解きほぐそうという学者や運動家やアーティストや学生たちの動きがあるのですが、冊子『未来』に見られる論調が性急かつ無批判に『本質』を所与としていることを非常に残念に思います。そうした論者の方が論考を発表されるのは一向に構いませんが、沖縄の論壇の多様性というものは、すくなくとも『未来』上では捨象されています。」
「また社主が個人的主張を出版社(publisher)という公共性の高い媒体を通じて表明してしまうことにも危惧を覚えます。アカデミック・プレスとして未来社を捉えていたのですが、アカデミック・プレスが維持すべき学問的水準と、見解の多様性が冊子の沖縄関連論考からは抜け落ちておりませんでしょうか。」
「以上の理由から冊子の講読を中止することはできますでしょうか。」
 短い文面のなかで問題はいくつかに及んでいるが、整理してみると、まず第一に、この読者(以後は「論者」とする)によれば、沖縄の内部には「本質主義」でなく、「本土/沖縄の二項対立」でないかたちで「従属状況を解きほぐそうという学者や運動家やアーティストや学生たちの動き」があるとのことである。
 第二は、それにもかかわらず「未来」の沖縄論者の論調には「性急かつ無批判に『本質』を所与としていること」が見て取ることができ、「沖縄の論壇の多様性」が「捨象」されているそうである。
 第三には、社主が「個人的主張」を「公共性の高い媒体」を通じて表明することに反対である。
 さらに第四には、未來社を「アカデミック・プレス」としてとらえていたが、そうした性格のメディアが「維持すべき学問的水準」に達していないのではないか、という批判。
 そして最後に、「未来」への不満として購読中止をしたいという読むことへの拒否。
 こうした反応を知ってわたしが即座に感得したのは、現在の沖縄問題が提起している諸問題が、日本における人間それぞれの存在の問題、立場の選択、思想の感度を(当人の意識とあるときはかかわりなく)如実に示してしまうという状況である。この論者が沖縄在住の大学講師で、アメリカ帰りの文学研究者らしいことはこのさい個人的な事情にとどまるにすぎない。
 小社が以前から沖縄のさまざまな問題に持続的な関心を寄せてきたことは、これまでの刊行図書をみてもらえば理解してもらえることである。また最近は、仲里効という強力な批評家の存在を介して沖縄の多くの優れた表現者、思想家と出会うことができ、その結果として小社の出版物、企画、そして「未来」誌上において沖縄関連の記事や文章が他のメディアに比して大きなウェイトを占めてきていることは確かである。結果としてそうなった面もあるが、むしろ選択的に(実存的に)沖縄のかかえている問題を共有し、その問題を顕在化させることによって現在の日本の問題にも出版を通じてかかわっていこうとしていると言ってもよい。とくに社主であるわたしの現在の関心が〈沖縄〉にあることは否定するつもりはない。
 この論者によれば、未來社あるいは「未来」は「アカデミック・プレス」として評価していただいていたとのことであるが、「未来」掲載の沖縄関連の文章がそうした期待すべきレベルに達していないというのはひとつの見解にすぎない。もししかるべき読者の理解がそうであるならば、その批判は甘んじて受けるしかないが、論者の言いたい「沖縄の論壇の多様性」を実現するのが「未来」の役割であるとは思わない。またその多様性がどのようにあるのかについての言及がないので判然としないが、それが利権ゆえの普天間基地の県内移設派、容認派などを意味するものであるならば、そのような多様性の主張は無効である。そんな無原則な多様性など沖縄の主張を相対化してとらえようとするマスメディアと同じである。論者の意見は「多様性」の名のもとに「未来」の執筆者たちが発する沖縄の独自の声を封殺しようとするものである。
 そしてそうした主張を述べる社主の「個人的主張」が「公共性の高い媒体」であるらしい「未来」でなされることに危惧をもつとこの論者は言うが、これも同じ理由でその批判こそおおいに疑問である。この論者は定期購読をして一年もたっていないからご存じないだろうが、わたしは小出版社の「社主」としてよりはひとりの出版人として出版業界のみならず、気になるさまざまな社会的問題などにもそのつど論を立ててきた(つもりである)。良識ある?「公共性の高い媒体」を利用して意味のない「個人的主張」をしてきたつもりは一度たりともない。そのようにしか読めない文章があったとすれば、そのことに反論の余地はないが、すくなくとも一出版人の姿勢として発言することをあたかも公共性を認識していないかのように口をふさごうとするのであれば、これも「公共性」に名を借りた非常に狡猾な知的恫喝であると反論するしかない。前号で昨今のマスメディア批判を通じて日米同盟を利したさまざまな利権業者がいることを指摘したことがこの論者には具合が悪かったのかもしれないが、アメリカで刷り込まれた視点からでは沖縄の問題はもはや理解できない。沖縄問題にふれるとき、沖縄県外のひとの理解にも同様の盲点があることを「未来」の執筆者たちはさまざまな視点から指摘しているのである。
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[未来の窓161]

沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の意図するもの

 いよいよこの夏から小社の大型企画、沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全一〇巻(監修は仲里効氏と倉石信乃氏)の刊行が開始される。沖縄在住の写真家のほかに、沖縄を作品活動の重要なテーマとして展開してきた東松照明氏、中平卓馬氏、森口豁氏もふくめた一〇人の代表的写真家によるそれぞれ一冊ずつ、平均して一二〇枚の写真を収録し、解説を付したA4変型判の大型写真集シリーズである。ここまで沖縄に特化した写真集シリーズは初めての試みであるばかりか、なんらかの一貫したテーマで刊行される写真集シリーズもここしばらくは日本でも出ていないはずである。
 本写真集シリーズは、戦後沖縄の歴史、社会、米軍基地および基地周辺の生活風景や人物など多岐にわたる映像を、写真家ひとりひとりの独自の手法にもとづいて一冊ずつに凝縮したものであり、沖縄の戦後現実を視覚的に喚び起こす一大ドキュメンタリーであり、ひとつの沖縄通史にもなりうる。戦後初期から現在にいたるまでの沖縄のリアルな映像を通じて、沖縄の特異な生活感覚、文化や民俗性を提示すると同時に、沖縄のなかの基地問題を、基地のなかの沖縄をあらためて認識しなおすきっかけにもなることができるのではないかと思う。
 初回配本は大城弘明氏の『地図にない村』。みずからの生い立ちを、家族が負わされた沖縄戦での傷に重ねていくその追尋のありかたがスリリングだ。
 第二次世界大戦末期、日本のなかで唯一の地上戦を経験した沖縄は、当時の島住民の三人にひとりが戦死したとも言われ、豊かな風土や景観は激しい爆撃や艦砲射撃によって見る影もなく変形させられた。こうした沖縄戦の爪痕はいまも生ま生ましくいたるところに残されている。本号の後多田敦氏が報告しているように、那覇市の土地整理事業地区で、最近になって沖縄戦で死んだ日本兵の頭蓋骨が脳みそを残したまま出てきたといった話など、戦後六五年を経たいまでも〈戦争〉は不気味にくすぶっている。いや、それどころか、戦後の歴史を顧みるまでもなく、朝鮮戦争から最近のイラク戦争まで、沖縄は一貫して米軍の世界戦略の前進基地として戦争の片棒をかつがされつづけてきたのである。沖縄では〈戦争〉はいまも日常化していると言ってもいい。
 沖縄に一度でも足を運んだ者なら気がつかぬはずはないが、狭い沖縄本島には日本全国の米軍基地の七五パーセントが集結し広大な土地を占拠しているばかりか、米軍による騒音問題、暴行事件、交通事故は依然として跡をたたない。これにたいして沖縄側(日本側)が手を出すことができないのは「日米地位協定」という差別的な制度によって米軍の治外法権的な権利が温存されているからである。その意味では沖縄の戦後はいまだに完結していない。そしてこの問題を避けて通るかぎり日本という国もまた正常な独立国としての権限をもっているとは言いがたい。昨今の普天間基地移設問題をめぐって起きた鳩山首相の辞任問題などは、今日の沖縄の基地問題が、たんに沖縄だけの問題ではなく、また日米政府間の力関係のバロメーターであるだけでもなく、日本国のありかた自体、日本人の真の意味でのアイデンティティの確立の問題でさえあることをようやくにして日本人それぞれに突きつけたものであると言ってよい。にもかかわらず沖縄問題をみずからに突きつけられた問題としてとらえることのできない、あるいはとらえようとしない日本人があまりにも多いことにはあきれるほどである。
 さて本写真集シリーズでは、沖縄の戦後の歴史は強烈な映像に焼き付けられているばかりでなく、こうした沖縄の現状を考えるためのさまざまな問題が提起されている。言うまでもなく、カメラが提示する現実の諸断面は、それ自体がさまざまな意味をもちうるし、特定の解釈に一元化されるわけではない。それぞれのショットは、その対象となった事物が現実にあるときに存在したという意味で〈存在の詩学〉とも呼ばれるべき独自の次元をもつのであって、ひとつのメッセージや意味に還元されるわけではないのはもちろんである。優れた映像には汲めども尽きぬ多様な意味作用や象徴性の深みがある。沖縄のさまざまな事象を切り取ってきた本写真集シリーズのひとつひとつのショットにはそうした隠れた次元、解読されるべき意味や価値が眠っているのである。〈沖縄〉をどう読み取るか。それは沖縄にいまも残存している豊かな風土や文化をきちんと位置づけ、評価していくことにつながるし、そうした営為を通じて日本(ヤマト)と沖縄の関係をその歴史的、文化的関係性のなかにあらためて問題化し、これからの関係を創造的に再構築していくための基本資料を提供するものとなるだろう。
 すでに本誌三月号の「[未来の窓156]沖縄の熱い夜──仲里効『フォトネシア』出版祝賀会報告」でも記したように、本写真集シリーズの構想は、昨年九月に刊行された沖縄の尖端的な批評家仲里効さんの『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』で批評的に取り上げられた写真家たち――比嘉康雄、比嘉豊光、平敷兼七、平良孝七、東松照明、中平卓馬ほかの各氏――の写真それ自体がいかなる力をもつものであるかを広く提供してみたいというわたしの関心と願いに端を発したものであった。その意味で仲里効さんの批評的眼力によって見出された写真家たちのシリーズであると言うべきであろう。このなかにはすでに亡くなった比嘉康雄、伊志嶺隆、平良孝七といった写真家たちの一部覆刻をふくむ集成という意味もある。この秋に没後一〇周年の大きな回顧展が予定されている比嘉康雄の「情民」シリーズの待望の単行本化、幻の写真集と言われてきた平良孝七写真集『パイヌカジ』の覆刻などである。また、東松照明氏の米軍基地にかんするこれまで蓄積された膨大なアーカイヴのなかから特権的に選り出された『camp OKINAWA』に見られる眩惑的な基地表象の多様性など、沖縄をめぐる写真の集大成と呼ぶにふさわしい陣容となるだろう。
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[未来の窓162]

〈本の力〉再考

 このところしきりに〈本の力〉というものについて考えている。このテーマをめぐって考えるきっかけになったのは、当然のことながら昨今の出版不況が遠因となっているのだが、より直接的には大日本印刷(DNP)を中心とした印刷・書店業界、さらには図書館流通センター(TRC)や中堅出版社まで巻き込んでの業界再編の動きが急速化したからであり、こうした動きにたいしてわたしなりの整理をしておこうとして書いたのが、本欄の「[未来の窓155]出版界の〈仁義なき戦い〉」(二〇一〇年二月号)であった。いつもとさして変わらぬ力の抜きかたでこれを書いたのだが、テーマがテーマだっただけにこれが意外に反響を呼び、その一文の最後に触れた「〈責任生産制〉とでも呼びうる出版(編集)のモラル」をさらに発展させる必要に迫られることになった。
 それが「新文化」三月十一日号に書いた「〈責任出版制〉のすすめ」という一文である。ここでは「新文化」という業界紙の性格上、出版流通や販売に関心のある執筆者や読者がほとんどということもあって、あえて「流通や販売をめぐる諸問題があたかも出版界の最大の問題であるかのような錯覚」について言及し、つぎのように書いた。
《「売る」ことにのみ加重された業界問題などたんなる業界エゴである。もっと論じられるべきは、出版というかたちをつうじてどうしたらこの時代に固有の、生き残るべき価値を生み出せることができるかということでなければならない。そういう問いの先に初めて出版という事業が文化創造の基本であることの意味が見えてくる。そうした総体としての出版の問題をあらためて考え直していかなければならない時期にさしかかっているのではないか。そうしなければ出版の問題は販売技術論に成り下がるだけである。》《したがって出版の世界が生き残る道は基本的にただひとつしかない。インターネットや「ケータイ」がけっして実現しえない、知識と思考の宝庫であるようなトータル・パッケージとしての書物を著者とともにひたすら追究することで、それが実現する世界の豊かさや魅力を読者に伝えていくことである。独創的な思考の運動を伝える書物はかならずや新しい読者をつうじてさらに新たな思考の息吹をつくりだしていくだろう。そこに出版が文化の創造をつうじて存在する意義がある。》
 こういう論脈で流通・営業中心の業界紙の読者にどれだけ意図が通じたかは疑問だが、そのことはどうでもいい。むしろこう書くことでわたし自身が〈本の力〉についてあらためて考えなおしてみようという気持ちになったことが大きいのである。
 ちょうどそんなときに沖縄の音楽家で参議院議員でもあった喜納昌吉さんの『沖縄の自己決定権』という本を緊急出版することになり、喜納さんと接するたびにこの人の本にはわたしが想定している〈本の力〉の原型が宿っていることが確信できた。本がひとを変え、時代を動かすという可能性があることを信じられるようになったのである。時の総理大臣が沖縄基地問題処理の不手際を原因として政権を放棄する結果になったために、この本が本来発揮するはずだった現実を変革する力が見えにくくなってしまったが、沖縄問題がいぜんとして迷走状態を続けていくかぎり、この本のもつ〈力〉はけっして失なわれることはない。来たるべき沖縄県知事選などで〈沖縄の自己決定権〉というラディカルな思想の真価が問われていくことだろう。
 わたしが〈本の力〉について確信を深めていく過程でこんどは出版ビジネススクールからセミナーの依頼があり、もとめられていた[出版のためのテキスト実践技法]をめぐる実践的なレクチャーをやめて「責任出版制と本の力を考える」というタイトルで話をさせてもらうことになったのもこういう流れがあったからである。著者も編集者も夢と理想を捨て、ヴィジョンをもたずに出版をつづけているかに見えるこの時代に、どうすれば〈本の力〉をとりもどせるのか、そのことを問いかけようとしたのである。〈責任出版制〉についてのナマな議論を期待したひとには迂遠なように思われたかもしれないが、いまの出版界で必要なことは、刹那的に売れるだけの本やたんなる自己満足に終わる本を書いたり編集したりすることではない。
 さて、そんな〈本の力〉をめぐってさらなる展開の場が与えられたのは、「新文化」七月一日号で書物復権八社の会の盟友でもあるみすず書房・持谷寿夫氏との対談「今こそ『本の力』『出版社の本分』を考えよう」であった。ここでは主としてすでに十四年つづいている〈書物復権〉運動の試みを現時点で総括しながら、この運動がもつ〈本の力〉の見直し、再定義を試みようとした。東京国際ブックフェアの書物復権八社の会をふくめた人文書関係のコーナーには熱心な読者がなぜこんなに集まるのか、本を確認して購入するという行為はいかなるものか、ということもふくめてここには〈本の力〉を確信させるものが存在する、そのことを考えてみなければならない。すでに品切れになった本が復刊されること、そこまでいかなくても品切れの本や品薄の本が注文されること、ここにわたしはもうひとつの〈本の力〉を認めるのである。巷にあふれかえっている本ではなく、語りつがれ読みつがれていく少数者のための本が存在することに注目したい。
 ここから得られた結論のひとつは、まず出版されるべき本はなんらかのかたちで出版されなければならないという自明のことである。初版が小部数であろうと、話題にならなかろうと、出版されるべき本が世に出ることである。ランボーの『地獄の一季節』だって初版は数百部、しかもその大部分が出版社の倉庫で埃をかぶって死蔵されていたではないか。読まれるべき本はかならず読者をもつ。出版業が出版「産業」にとどまらずに出版「文化」を生みだすとはそういうことである。あとは編集者がどれだけその内容に責任と自覚をもてるのかということが、わたしの言う〈責任出版制〉なのである。
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[未来の窓163]

沖縄問題を展望する力になるために──沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉刊行はじまる

 本欄の前々回「[未来の窓161]沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の意図するもの」で予告したように、シリーズ〈琉球烈像〉の第一回配本である大城弘明写真集『地図にない村』がこの八月二十七日、ようやく刊行された。予定よりだいぶ遅れてしまったが、これはデザイナーの戸田ツトム氏がシリーズ全体の用紙選び、印刷の方法、インクの選定などに念には念を入れたテストをおこなった結果でもある。試し刷りに使用された用紙は十数種類、その方法は延べ二十数パターンに及ぶもので、用紙としてはいわゆる高価なスーパーアート紙系のものが多く、用紙代、試し刷りのコストなど考えると相当な額にのぼっている。これも最高品質の写真集シリーズを実現しようとする必要な措置なのだろうが、版元としてはハラハラドキドキものである。
 そうした経緯を経て、大城弘明写真集につづけて東松照明写真集『camp OKINAWA』が九月下旬には陽の目をみる運びである。また十月から十一月に予定している石川真生写真集『FENCES, OKINAWA』、さらには比嘉康雄写真集『情民』の写真原稿も入稿した。それにつづく森口豁氏、伊志嶺隆氏の原稿も着々と準備中である。おそらくしんがりをつとめてもらうことになるであろう中平卓馬氏のものも写真選びの段階に入ろうとしている。順調にいけば、毎月一冊刊行というハイペースで来春にはシリーズ完結ということになるかもしれない。小社としても近年にない大型企画であり、一年前には想像もつかないかたちで仕事が進んでいる。
 これも監修者の仲里効氏、倉石信乃氏の全面的協力とともに、写真家の方たちの熱意の現われであると言わせてもらうしかない。とりわけ東松照明氏には、ご当人のシリーズ参加だけでもこちらには望外の喜びであったのに、すばやい原稿の準備、さらには他のシリーズ参加者への強い慫慂など、さまざまなかたちでこの企画の重要性を宣伝してくださっているとの話を直接間接にうかがっており、感謝に堪えない。
 その一方で、当初予定していた企画が二本ほど取りやめになったことは残念である。このシリーズのアイデアが当初の数巻から戦後沖縄写真史を通覧できるような十巻を超える大型企画に拡大していく過程で、人選にたいして不満が生じたこと、ヤマトの出版社からこのようなシリーズが刊行されることにたいする警戒というか疑念のようなものが生じてきたという、もうひとつ理解しがたい理由によって思いがけぬ事態になった。それでも予定のほとんどは実現へむけて動き出しているので、心配はない。ここではこれ以上述べる理由もないので、そうした企画には捲土重来を期しているとだけ言っておきたい。
 本シリーズの刊行意図については前述の一文で述べているので繰り返さないが、メディアをつうじてすこしずつその意義が明らかにされていくだろうと信じている。すでに業界紙の「新文化」九月二日号には〈ウチのイチ押し〉というコラムで〈沖縄の写真家が発する強いメッセージ〉としてさっそく紹介された。この記事は、〈沖縄の問題は日本の問題、その解決なくして日本に真の独立と平和はない〉というわたしの信条を紹介しつつ、この大型企画が生まれたいきさつを伝えている。
 じつはこの取材は第一回配本のまえにおこなわれたものだが、それにはこのシリーズ企画がことしの東京国際ブックフェアでの書物復権八社の会主催の恒例の「新企画説明会」で書店、取次、マスメディアの各担当者約五〇人にむけてわたしがこのシリーズの企画説明をさせてもらったことに端を発している。小社としては企画することもなかなかむずかしくなってきた大型企画でもあったので、みずから登板していささか力の入った説明をしてしまったのだが、すくなくともそういうきっかけがあってこの取材を申し込まれていたのである。書店や取次の流通関係者が読む新聞だけに実質的な反応が期待される。
 それだけではない。書評紙の「週刊読書人」でも監修者の倉石信乃氏と今福龍太氏の巻頭対談が決まっており、こちらは知識人、編集者をふくむ一般の読書人にたいして強くアピールできることが望まれる。また地元の「沖縄タイムス」がシリーズ刊行開始という話題性で紹介記事を掲載してくれることになっている。こちらはなんと言っても、地元だけに反響も大きいことを期待したい。
 この九月十八日には那覇で大城弘明写真集刊行にちなんで出版祝賀会が開催される。そこには沖縄の写真界はもとより文学者やアーティスト、メディア等の文化人の多くが集まって、大城さんの写真集刊行を言祝いでくれるであろう。琉球舞踊等のアトラクションも用意されているとのことで、楽しみでもある。わたしも予定を変更して参加させてもらい、たぶんこの沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉について挨拶やらメッセージを述べさせてもらうことになるだろう。そう言えば、ことしは那覇での出版祝賀会はこれで三回目になる。最初は仲里効氏の『フォトネシア』、二回目は喜納昌吉氏の『沖縄の自己決定権』で、いずれも自分で企画・編集したものだが、今度はシリーズ全体の最初の刊行物になるのでなおさらの感が深いのである。
 ことし一月の『フォトネシア』出版祝賀会では、すでにこのシリーズの刊行予告を大々的にやらせてもらったばかりか、喜納氏との出会いの場ともなった結果が『沖縄の自己決定権』刊行となって実現したことはすでに本欄で触れた通りである。また本誌で「沖縄からの報告」というリレー連載を始めてもらうきっかけになった夜でもあった。そうした意味からも、沖縄でのさまざまな出会いがなにか運命的に新しい企画アイデアをわたしにもたらしてくれるのである。
 民主党代表選を控えた現在、政権がどういう結果になろうとも、沖縄の問題はますます日本の固有の問題として喉元に突きつけられてくる。その展望のためにもこの写真集が力をもつことを信じたい。
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[未来の窓164]

世の中は意外と楽しくできている

 このところひととひとのつながりの意外さにいろいろ驚くことが多い。最近は沖縄に行くことが多くなり、さまざまなひとと接することが急に増えてきてからはとりわけそうである。
 先日も大城弘明さんの写真集『地図にない村』の出版祝賀会で那覇に行き、多くのひとと挨拶をかわしたが、仲里効さんの紹介で沖縄文化の杜共同企業体代表の平良知二氏とも初対面の挨拶をさせてもらった。この文化の杜共同企業体というのは沖縄県立博物館・美術館の指定管理者で、博物館・美術館の付属施設であるミュージアム・ショップもその一部になっている。沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉をそのショップで取り扱ってもらいたいというお願いをし、快く了解してもらった。その後、平良氏に連絡を入れ、ミュージアム・ショップの池宮城店長を紹介してもらい、いろいろお話を聞いたところ、なんとこの女性店長は大城弘明さんの同級生で、先日の出版祝賀会にも出席されていたとのことで、このシリーズの刊行のいきさつや出版の意義などは先刻ご承知、わたしのスピーチも聞いてくれていたことがわかり、大いに売りましょう、ということになって意気投合。沖縄は狭いですから、とのことば通り、いろんなひとがどこかしらでかかわりあっている。そう言えば、出版祝賀会で中学や高校の同級生が集まって校歌斉唱するなどというのは、東京しか知らないわたしのような人間にとっては考えられない、なんともうらやましいホットな環境だ。
 さらに『地図にない村』が「信濃毎日新聞」で書評が掲載されることになり写真掲載の承諾の必要があって大城さんに電話をしたときに聞いたことだが、たぶん長野県在住のもろさわようこさんの推薦ではないか、と推測されたことも意外なことのひとつである。この推測がほんとうかどうかはわからないが、――というのは「信濃毎日新聞」は共同通信配信の書評だけでなく独自の書評にも力を入れている新聞だからだが――、もろさわさんに『地図にない村』を恵贈したところ細かい文字でいっぱいのお礼ハガキが届いたとのことで、もろさわさんがある時期から半年は沖縄に「歴史をひらく家」を開設して住みつくことになったときからいろいろ協力されたことがあって、関係はつづいているとのこと。もろさわさんは小社の古くからの著者で、『おんな・部落・沖縄』など沖縄関連の著書も刊行してもらっている。かならずしも偶然ではないとはいえ、大城さんの広い交友関係がここにも反映されていると思う。
 さて、そんな話を聞いたばかりのところに喜納昌吉さんの参議院議員時代の元政策秘書をつとめられていた伊高浩昭さんからメールが届き、なんとピースボートの船旅から帰国されたとのことだが、同じ船にニカラグアから旧知の森口豁さんが乗ってこられていっしょに沖縄セッションをし、沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉についてもいろいろ話をされたそうで、これにもビックリである。というのは森口さんからはピースボートに乗られる話は事前に聞いていたから知っていたものの、伊高さんが同じ船に乗られるとはやはりかなりの偶然だろうと思われるからだ。伊高さんは元共同通信記者、ラテンアメリカの専門家で、特派員としても長く沖縄にかかわり喜納昌吉さんを支持してその後押しをされ、その結果、前述したように、定年退職後に請われて喜納議員の政策秘書を最近まで務められたという経歴ももつ。喜納昌吉さんの『沖縄の自己決定権』刊行のさいに非常にお世話になった。また立教大学講師をつとめられ、ラテンアメリカ研究所にもかかわっておられる。立教大学ラテンアメリカ科と言えば、小社からも『接触と領有――ラテンアメリカにおける言説の政治』を刊行されている林みどり文学部教授がいるところだ。そんなわけだから伊高さんがラテンアメリカ行きのピースボートに乗られても不思議はないのだが、そんなに乗客が多いとは思えないピースボートで最近のわたしの仕事にかかわりの深いおふたりが遭遇するというのもなにかの縁ではないかと思わざるをえないのである。
 意外性はまだつづく。この伊高さんが「週刊読書人」でわたしの編集したジャック・ラング著/塩谷敬訳『ネルソン・マンデラ』の書評をしてくれたのだが、訳者の塩谷さんから伊高さんの経歴についての問合せがちょうど来たばかりなので、さっそく伊高さんに問合せをすることになった。塩谷さんはフランスに長く在住し、著者のジャック・ラングさんがミッテラン大統領時代の文化大臣のころからの親しいおつきあいがあって、前回の『マルローからの手紙』同様、今回の翻訳を進めてくれたのだが、伊高さんの書評が非常に気に入って知り合いのフランス人にフランス語に訳してもらい、ラングさんに読んでもらいたいということから、ラングさんからの予想される問合せにそなえて伊高さんのことを知っておきたいということだったのである。さっそく伊高さんの返信を塩谷さんに連絡したことは言うまでもない。
 そんなときに、朝日新聞西部本社報道センター文化グループの西正之記者からメールがあり、東松照明氏から写真集『camp OKINAWA』のサイン本を寄贈されたとのことで、シリーズ全体の資料をほしいとの申し入れがあった。西記者とは六月の喜納昌吉さんの『沖縄の自己決定権』出版祝賀会の前日に東松氏宅へ仲里効さんと挨拶に訪れたときに、ちょうど居合わせてお会いしたことがあり、そのときの話題になっていた写真集がこうして早くも完成されたことに感慨をもたれてのことであった。これを機に紹介記事などに結びつけてもらえればありがたいことである。ちょうど相前後して東松照明さんを囲む小さなお祝いの会がもたれることも決まりそうで、これに関連して東松さんを中心として沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉をめぐるドキュメンタリー番組製作の話ももちあがりつつある。別の出版祝賀会も重なり、十日後にはまた那覇に行くことになりそうである。こんなに忙しくも楽しい充実した日々はいつまでつづくのだろうか。
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[未来の窓165]

知念ウシさんの仕事──無知という暴力への批判

 この十月に今年五回目の沖縄行きとなった。その主たる目的は十月二十一日(木)夜の東松照明氏の写真集『camp OKINAWA』(小社刊)の出版祝賀会への出席、もうひとつは翌二十二日(金)夜の知念ウシさんの新著『ウシがゆく──植民地主義を探検し、私をさがす旅』(沖縄タイムス社刊)の出版祝賀会への出席であった。そのほかにも東松照明氏への写真集原稿のオリジナルプリントの返却、および現在製作中の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉WEB特集ページへの写真の掲載依頼のためのiPadによるデモンストレーション、さらにはジュンク堂書店那覇店への訪問、沖縄県立博物館・美術館のミュージアム・ショップへの〈琉球烈像〉シリーズ取扱いにたいするお礼の挨拶などもあった。
 こうしたなかなかに盛りだくさんな用事を二日でクリアするというのは一見かなり大変そうに思われそうだが、いずれも那覇という小さな街だからこそ実現可能なのであって、じつはこれ以外にもそれぞれの出版祝賀会の二次会、三次会もあり、とりわけ二日目の夜などは十二時までの二次会のあと、さらに詩人の川満信一さんと元「噂の真相」編集人の岡留安則さんの店で呑んだあと、川満さん宅で朝方まで島尾敏雄さんからいただいたという大事なウォッカのご馳走になったりしたのだった。その間にも企画中の高良勉さんの評論集の原稿の一部を受け取ったり、仲里効さんと川満さんをまじえての呑みながらの企画相談などもおこなった。また、琉球放送の女性キャスター島袋さんとも沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉をめぐって簡単な取材も受けていて、東京に戻ってから必要な資料をお送りすることになった。なにしろ沖縄にいるあいだは、異常なほどの熱意と十月とはいえ夏の暑さの残る気候のなかで、毎回ほんとうに充実した時間を送ることができるのである。
 今回はこのなかで、知念ウシさんの出版祝賀会と新著についての感想、さらにはいま企画中の新しいエッセイ集について触れてみたい。
 今回の『ウシがゆく』出版祝賀会は、九月に大城弘明写真集『地図にない村』の出版祝賀会のさいに知念さんからあらかじめ知らされていたものであった。自社出版物ではないので、単独では出席することはむずかしかったのだが、前述したように、東松照明氏の内輪の出版祝賀会が急に前日に設定されたこともあって、急遽出席させてもらうことになった。もちろん知念さんには小誌でのリレー連載「沖縄からの報告」の執筆者のひとりとして原稿をお願いしている関係もあり、そのなかで企画の話も浮かんできていることから、できるかぎり力になりたいという気持ちがあるので、今回参加することができたことはとても良かったと思っている。
『ウシがゆく』出版祝賀会は琉装の知念さんを囲んで華やかなものだった。元県知事の大田昌秀氏や照屋寛徳衆議院議員なども参加する一方、多数の知識人、文化人、運動家なども集まり、にぎやかな会であった。着実に増えつつあるわたしの知り合いもあちこちに顔が見え、知念さんのご主人でもある平和運動家のダグラス・ラミスさんともお話ができたこともうれしいことのひとつであった。「レキオス」というすでに馴染みになった琉球料理店での二次会も三十人を超えるもので、知念さんが沖縄の文化運動、政治活動のなかでどういう位置についているかを知るよい機会にもなった。
 知念ウシさんの『ウシがゆく』は「沖縄タイムス」での同名の長期連載を中心に一冊にまとめたものだが、米軍基地の県外移設、日本(ヤマト)の基地受け入れを主張するものであり、日米安保の廃棄が現実的にできないいまの段階では、基地被害を一方的に沖縄に押しつけるのではなく、痛みを日本全国が共有すべきであり、その痛みへの認識のなかから米軍基地の廃絶、日米安保の解体という全国民的な道筋をつけるべきである、という強い意思をもつものである。この論点は、いまの日本の現実政治のなかでは過激に映るかもしれないが、沖縄における基地の県外移設論、海外移設論の根底にある心情と論理を突き詰めたところに強固な基盤をもっているとわたしは思う。
《「県外移設」とは、沖縄で「基地撤去」をいかに懸命に長年訴えても、日本「本土」の国民的課題にならない仕組みを見抜き、沖縄人がようやく手にした言葉なのである。》(『ウシがゆく』二八三ページ)
 こうした強い主張をもつ『ウシがゆく』を支持するひとたちを中心とした二次会で、数少ないヤマトンチューのひとりとして発言するのはかなり厳しいものがあり、これまでのどちらかと言えば歓迎される立場とはいささか異なった雰囲気で、ヤマトの出版人の立場から沖縄にかかわることの微妙さを感じさせられることになった。そもそも沖縄人の心をヤマトから遠ざけてしまうような政治力学の連鎖は、われわれヤマトンチューが解決しなければならない責任を負わざるをえないのである。
 知念ウシさんは東京での大学生活の時間も長く、また海外での経験も豊富であることから、その思考のありかたは普遍的な志向性をもっており、その主張も沖縄人としての視点をけっして手放さずに、また女性としての生活感覚に依拠した論理的一貫性がある。手元に預からせてもらっている企画用原稿は、学生時代からの若書きもふくまれているが、そこには沖縄のひとと風土を愛しつつ、基地のない沖縄をどうしたら実現できるのかを粘り強く探求し、これまでの沖縄人が達することができなかったラディカルな論点と大胆かつ戦闘的な主張に充ちている。ヤマトの人間のほんとうの沖縄にたいする無知、すなわち沖縄に全国の七五パーセントの米軍基地を集めさせていることによって享受している平和(と思われているもの)からくる沖縄への無関心こそが、沖縄人にたいする暴力であり攻撃でさえある、ということを暴き出していく。この論点と立場をわたしは断固支持していくつもりである。
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