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UTCP叢書5
存在のカタストロフィー
〈空虚を断じて譲らない〉ために
小林康夫 著
シリーズ : UTCP叢書
PR誌「未来」での好評連載〈転換のディヴェルティメント〉31回分の連載に、関連する文章2本と書き下ろしを加えて構成する。前著『歴史のディコンストラクション』において人類や生きものとの「共生」への希望を語った著者が、2011年の東日本を襲った大災厄を踏まえ、人間存在の問題を世界大のパースペクティヴで哲学的にも状況論的にも論じ抜いた待望の論集。
(第1部)
I 生きることを学ぶ
レヴィ=ストロースの〈もうひとつの人間主義〉/デリダの〈生きることを学ぶ〉/生、この限りなき学び
II 「意識=良心」を学ぶ――大学の責任
apprendre la conscience/良心=ともに知ること/大学、誰でもないものの良心
III 「表現なきもの」と「希望の秘儀」――批評の可能性
ベンヤミンのゲーテ読解/批評的暴力/魯迅の「絶望を書く」こと/小林秀雄の「当麻」あるいは歴史の美学化/批評、希望の暴力
(第2部)
IV 症候の発明(1)――漱石『明暗』をめぐって
症候の意味/「まだ奥があるんです」/「こんなものが存在していたのだっけ」
V 症候の発明(2)――一葉『にごりえ』をめぐって
声のエクリチュール/魂というシネマトグラフ/落ちていく〈米〉・落ちていく〈かすていら〉/「落とし穴あやふげ」
VI 症候の発明(3)――日野啓三『夢の島』をめぐって
都市のなかの「夢の島」/分裂する女/ポストヒューマンのデュナミス/死の透視法/アンティゴネーと埋葬の倫理/「隠喩」としての「父」
VII 災厄としての存在 ――ラカンの「アンティゴネー論」をめぐって
Atē/人間的なものの境界/存在、この災厄なるもの/「誰もが時間のずれのなかにいる」/災厄の光、美そして詩
VIII 症候の発明(4)――デュラスの「アガタ」をめぐって
異種の演劇/不可能な愛を見る欲望/アガタ、似ている肉体/戻ってくる夏/母親の「墓」
(第3部)
IX 〈歴史の終わり〉と〈日本〉――コジェーヴ再読
コジェーヴにとっての〈日本〉/二つの註/〈日本〉の衝撃/終わりのあとの人間/もうひとつの歴史/二〇一一年三月十一日/レンヌ講演/ある日本の賢者/「アクティヴな運命主義」(ローマにて)
X 来たるべき、詩――パレスチナ・ノートより
XI Rain Treeをもとめて――大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』の余白に
(第4部)
XII 〈人間の終わり〉と〈フランス的モメント〉――コレージュ・ド・フランス講演
知の無償の熱狂/一九七〇年の転換/限界への問いかけ/終わりの分有/フーコーの開講講義/いっそ愚かに実定的な関係性/Subrepticement parallèle/メルロ=ポンティの開講講義/ベンヤミンの文字
(第5部)
XIII カタストロフィズムとメシアニズム
出来事の時間性/メシアニズムと〈歴史のディコンストラクション〉/公案「メシアいずれの処より来る?」/
公案「プルトニウムにまた佛性ありや?」/Cap とCup/道元とDeep Ecology/そこには崇高はない/リオタールの〈arrive-t-il?〉/災厄の光を凝視する/公案「いかなるか是、古佛心?」「牆壁瓦礫!」/世界の〈華開〉(飯館村にて)/「フクシマの倫理的次元」/『災厄のエクリチュール』/「今日は貧しい」
補論1 リオタールにおけるユダヤ的なもの
(第6部)
XIV 〈歴史の天使〉の方へ――パリ講義
ベンヤミンの〈歴史の天使〉/華開・世界を惜しむ/ドンバル通り一〇番地/〈空虚を断じて譲らない〉態度
XV ブルー・カタストロフィー
補論2 ブリコラージュ的自由
小林康夫(こばやしやすお)
1950年生。東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論。主著に『起源と根源――カフカ・ベンヤミン・ハイデガー』『表象の光学』『歴史のディコンストラクション――共生の希望へ向かって』ほか多数。編著に『いま、哲学とはなにか』『文学の言語行為論』『21世紀における芸術の役割』『知の技法』シリーズなど。