バックナンバー
「未来」2013年12月号(No. 567)
肉体の暗き運命(1945-1970) 戦後文化論をオペラ的に 4 小林康夫
《新連載》オリンピックの落とし穴 世相の森 1 町田幸彦
「パライ」や「タップゥ」は誰のものか? 南インドのダリットの太鼓舞踊 5 黒川妙子
電力供給の権利を市民の手に取り戻すベルリンの住民投票 ドイツと私 64 永井潤子
消えていく震災遺構 みちのくからの声 2 原田勇男
石田雄さんへの手紙――『シランフーナー(知らんふり)の暴力』をめぐって 沖縄からの報告 46 知念ウシ
《書評》「悪魔の声」が超えさせた「啓蒙の壁」 田中秀夫著『啓蒙の射程と思想家の旅』 山田鋭夫
災害史のなかの宮澤賢治――その詩と『グスコーブドリの伝記』 (下) 太田哲男
〈白河以北一山百文〉はいまに通ず 出版文化再生 8 西谷能英
「未来」2013年11月号(No. 566)
肉体の暗き運命(1945-1970) 戦後文化論をオペラ的に 3 小林康夫
「自分をいとおしく感じる心」を育む民族舞踊 南インドのダリットの太鼓舞踊 4 黒川妙子
“放射能に輝く”オリンピック ドイツと私 63 永井潤子
《新連載》オリンピックどころではない みちのくからの声 1 原田勇男
二〇二〇年の〈喪〉とポワカッツィのゆくえ 沖縄からの報告 45 桃原一彦
災害史のなかの宮澤賢治――その詩と『グスコーブドリの伝記』 (上) 太田哲男
知念ウシさんへの手紙――『シランフーナー(知らんふり)の暴力』を読んで 石田雄
いまもつづく〈東大闘争〉――折原浩さんの最新総括から 出版文化再生 7 西谷能英
「未来」2013年10月号(No. 565)
肉体の暗き運命(1945-1970) 戦後文化論をオペラ的に 2 小林康夫
地母神とつながる太鼓をはぐくむ人々 南インドのダリットの太鼓舞踊 3 黒川妙子
八月のベルリン ドイツと私 62 永井潤子
テーミヌユーを目指して 沖縄からの報告 44 赤嶺ゆかり
《書評》日本に対する愛のムチ 永井潤子著『放送記者、ドイツに生きる』 桂敬一
女優園井恵子と核廃絶 原田勇男
『マルクス主義の分解』序言 ジョルジュ・ソレル(竹下和亮訳、上村忠男解題)
「脱構築研究会(Association for Deconstruction)」を開く 西山雄二
知念ウシさんとの仕事――『シランフーナー(知らんふり)の暴力――知念ウシ政治発言集』の刊行 出版文化再生 6 西谷能英
「未来」2013年9月号(No. 564)
《新連載》肉体の暗き運命(1945-1970) 戦後文化論をオペラ的に 1 小林康夫
タップゥあるいはパライについて 南インドのダリットの太鼓舞踊 2 黒川妙子
参議院選挙結果についてのドイツの新聞論調 ドイツと私 61 永井潤子
《書評》「デラシネ」の知的備忘録の魅力 町田幸彦著『世界の壊れ方』 進藤榮一
《交換書評》独特の一歩 鈴村和成著『書簡で読むアフリカのランボー』 粟津則雄
《交換書評》詩以前・詩以後を生きた、ランボーを見よ 『ことばへの凝視――粟津則雄対談集』 鈴村和成
フェンスぬ島小やさやさやさやさ 沖縄からの報告 43 知念ウシ
《最終回》包括的詩人 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 14 中上哲夫
《最終回》メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 12 内村博信
精興社の偉業を読む――『活字の世紀 白井赫太郎と精興社の百年』 出版文化再生 5 西谷能英
「未来」2013年8月号(No. 563)
戦後文化論の方へ――新連載のための前口上 小林康夫
《新連載》太鼓にもカーストがある 南インドのダリットの太鼓舞踊 1 黒川妙子
浮き彫りになった「過去から学ぶ姿勢」の日独の差 ドイツと私 60 永井潤子
それぞれの「構築される信念」 沖縄からの報告 42 桃原一彦
すべての出発点は金城実 「喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α」開催顚末記 高橋美香
二〇一三年・沖縄/夏の鼓動 仲里効
終焉の地 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 13 中上哲夫
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 11 内村博信
政治の暴走をどこでとめるのか――永井潤子さんの新刊を参考に 出版文化再生 4 西谷能英
「未来」2013年7月号(No. 562)
家・眼差し・〈72年〉――「琉球烈像」をめぐって 4 小林康夫
《最終回》サッチャリズムの源流 デラシネ備忘録 42 町田幸彦
創立一五〇年を迎えたドイツ社会民主党 ドイツと私 59 永井潤子
《書評》制度の先へ行く意志 西山雄二編『人文学と制度』 梶谷真司
《書評》ルーヴルの現在性、あるいは美術館の使命 ジャック・ラング著/塩谷敬訳『ルーヴル美術館の闘い』 米田尚輝
Yuree ワッターを主体化する空間 沖縄からの報告 41 赤嶺ゆかり
イタリアからワシントンへ 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 12 中上哲夫
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 10 内村博信
古典を読む悦び 出版文化再生 3 西谷能英
「未来」2013年6月号(No. 561)
〈沖縄の幼年時代〉そしてFENCES――「琉球烈像」をめぐって 3 小林康夫
くつろぎやすい過去 デラシネ備忘録 41 町田幸彦
反原発の市民運動からエコ電力供給会社へ ドイツと私 58 永井潤子
ギブアップ フテンマ! 沖縄からの報告 40 知念ウシ
イタリアのパウンド 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 11 中上哲夫
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 9 内村博信
土台としての経済/上部構造としての思想、ひとつの総合の試み リュシアン・フェーヴル(真部清孝訳)
出版文化再生 2 西谷能英
「未来」2013年5月号(No. 560)
情・市・非在――「琉球烈像」をめぐって 2 小林康夫
時代の残響 デラシネ備忘録 40 町田幸彦
寒いベルリンでの脱原発デモ ドイツと私 57 永井潤子
世代間の断層と再政治化 沖縄からの報告 39 桃原一彦
オデュッセウスという主題(続) 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 10 中上哲夫
「マリオ・ジャコメッリ写真展」キュレーター アレッサンドロ・マウロ氏に聞く 伊勢功治
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 8 内村博信
《新連載》出版文化再生 1 西谷能英
「未来」2013年4月号(No. 559)
道・生命・色――「琉球烈像」をめぐって 1 小林康夫
モスクワは涙を信じない デラシネ備忘録 39 町田幸彦
第六十三回ベルリン国際映画祭を振り返る ドイツと私 56 永井潤子
立ち位置とジニオロジー 沖縄からの報告 38 赤嶺ゆかり
オデュッセウスという主題 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 9 中上哲夫
資本主義の世界像 3 オットー・バウアー(青山孝徳訳)
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 7 内村博信
「未来」総目次
「未来」2013年3月号(No. 558)
形という生命――ミケル・バルセロとともに 8 小林康夫
大相撲の国際関係論 デラシネ備忘録 38 町田幸彦
ベルリンで祝われた独仏友好条約五十周年 ドイツと私 55 永井潤子
分離壁と向き合う村のその後 映画「壊された5つのカメラ」と民衆の闘い 高橋美香
沖縄人の命のためのフェンス行動 沖縄からの報告 37 知念ウシ
ふしぎな経済学 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 8 中上哲夫
白い雨――「蛇抜」のなごり 3 旅に旅して 4 松本直子
資本主義の世界像 2 オットー・バウアー(青山孝徳訳)
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 6 内村博信
「未来」2013年2月号(No. 557)
形という生命――ミケル・バルセロとともに 7 小林康夫
入り口のメディア デラシネ備忘録 37 町田幸彦
日本の政権交代についてのドイツの新聞論調 ドイツと私 54 永井潤子
「善意」で舗装された道はどこへ向かう? 沖縄からの報告 36 桃原一彦
アポロン的とディオニュソス的 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 7 中上哲夫
白い雨――「蛇抜」のなごり 2 旅に旅して 4 松本直子
資本主義の世界像 1 オットー・バウアー(青山孝徳訳)
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 5 内村博信
「未来」2013年1月号(No. 556)
形という生命――ミケル・バルセロとともに 6 小林康夫
「Gゼロ」時代と米国 デラシネ備忘録 36 町田幸彦
映画「ズールの鮨」 ドイツと私 53 永井潤子
独立論の行方 沖縄からの報告 35 與儀秀武
孔子に見たものは? 『キャントーズ』を読む エズラ・パウンドを求めて 6 中上哲夫
《最終回》打ち捨てられたコミューンへの道 向井豊昭の闘争 12 岡和田晃
《特集》沖縄写真家シリーズ「琉球烈像」完結によせて
沖縄写真史の位置――来たるべき東アジア写真史のために 金子隆一
示された主体性――「琉球烈像」完結に寄せて 浦本寛史
写真家というアーカイヴ 倉石信乃
新たなるはじまりへ――「論争」の封印を解く 仲里効
メランコリーとアレゴリー――ベンヤミンのバロック論における歴史神学 4 内村博信